【書籍化決定】かませ役♂に憑依転生した俺はTSを諦めない 作:不破ふわる
九重が目覚めたことに気が付くと、カメは愛おし気に笑う。
どうやら九重が眠っている間、ずっと頭を撫でていたようだ。
「目覚めたのか、幼き命」
「うん……ふぁ、どれくらい寝ていたの?」
「2時間20分だ」
カメの言葉に九重はハッとして体を起こす。
「寝すぎた……!」
「案ずるな。講師達の実験はどういう訳か機材トラブルでまだ始まっていない」
「え?」
「きっと幼き命の純粋な思いに答えたのだろう」
カメはそう言うと九重の髪を撫で整える。
そして何かを九重の髪へと取り付けた。
「何かつけたの?」
「ああ。お守りのようなものだ。それを付けていれば私が必ず貴女を助けると誓おう」
カメは鏡を手にそう言った。
鏡に映る九重の髪には、ウミガメを模した髪飾りが付いている。
「わぁっ、かわいい!」
「気に入ってくれたようで何よりだ」
カメは満足そうに頷いた。
そしてその小さな手で九重の両頬を包み込むと、まっすぐに見つめる。
「さあ、これで準備は出来た。幼き命よ、君はこれから何かを成しに行くのだろう?」
「うん」
九重は力強く頷く。
「私ね、おかあさんもキリカちゃんも大事なの。だから……まずはどっちとも喧嘩しない方を選ぶ。カメちゃんのまいろーど? ちゃんみたいに!」
「そうか……それはきっと……」
カメは何かを言いかけたが、静かに首を横に振る。
「わかった。それが貴女の望みなら止めはしない。しかし、忘れてはいけないぞ幼き命」
カメの銀色の瞳が九重をまっすぐに映し出す。
吐き出される言葉は、その幼き姿から乖離したものだった。
「生きることは、喪失の旅だ。私が見てきた文明は全て例外なく、何かを失い何かを得た。故に恐れるな幼き命よ。貴女の選択に間違いはない。自分の答えに胸を張れ」
「……うん。ありがとう」
九重は頷きベッドから降りる。
まだはっきりとした答えは出ていない。
しかし、やりたい事だけははっきりしていた。
「今なら、きっとおかあさんに伝えられる……!」
それは、九重という命が初めて自ら選んだ道である。
どのような結末が待っているか、幼き彼女にわかるはずもない。
が、今はそれで良いのだ。
「カメちゃん、私行ってくる! だからここで待ってて――」
そう言って振り返る。
しかし、そこには既にカメの姿はなかった。
「……カメちゃん?」
返事はない。
しかし、どこかから聞こえてきたさざ波のような音が安らぎを与えた。
すぐそばに、あの少女はいる。
それだけで、九重は重い扉を開けることが出来た。
「……よし」
薄暗い道を九重は進む。
ラボへと近づくにつれて、次第に騒がしさを感じた。
男女問わず多くの人間が口々に何かを話し合っているようだ。
「――なんだこの数値は!? おい、どの博士だ。勝手に機材をいじったのは!」
「私は知らない。多重提唱空間で聞いたら?」
「うーん、結局二時間以上機材の調整に手間取るとは……これは
ラボにたどり着いた九重が見た物は、たくさんのモニターにノイズが走り博士たちが慌てている光景だった。
どうやら、人類最大の叡智の結晶と言っても過言ではない彼らが焦るほどの事態が発生しているようである。
(カメちゃんが言っていたのはこれの事だったんだ……)
九重は博士たちの眼を気にしながらこっそりと足を踏み入れた。
博士たちは九重を一瞥したが興味がないのか、すぐにまた会議という名の愚痴を再開する。
「キリカちゃんは……まだ、大丈夫そうだ」
ガラス板の前に立ち、部屋の中にいるキリカを見る。
椅子に厳重に拘束されたキリカは未だに眠ったままのようで、ぐったりとしていた。
(あとはおかあさんとお話を……)
九重はキョロキョロと辺りを見渡す。
そしてすぐに目的の人物を見つけた。
「おかあさん!」
「おや九重、お昼寝はもう良いのか。見ての通りのトラブルが発生していてね、もう少し眠っていても構わないよ」
「私……おかあさんとお話がしたいの」
「ほう、いいだろう。母であるならば子と会話するのは当然のことだとも。ハチノミヤ、作業を代わってくれ」
『はいですのです』
講師は九重に気が付くとキーボードから手を離し、向き合った。
代わりに、講師が椅子代わりにしていたアタッシュケースからアームが飛び出し、操作を始める。
「では何をお話しようか。あいにくと私は幼児の好む話が分からないのでね、九重の好きな話をすると良い」
アタッシュケースに座ったまま、講師は九重を見降ろしてそう言った。
九重は一瞬怯んだが、服の裾を掴んでもう一度講師を見る。
「あのね、キリカちゃんを解放して欲しいの」
「……ほう、面白い事を言う」
「キリカちゃんも話せばわかってくれる! 私たちは正義の味方なんだよね? だったら、キリカちゃんときちんとお話すれば……」
「それは出来ないよ九重。正義とは時に残酷なものだ。私だって本当は辛いのだよ」
「うぅ……でも……」
九重は必死に言葉を探して反論しようとする。
その時、ガラスの向こうでキリカが目を覚ました。
「ん……ぅ」
「キリカちゃん!? 目が覚めたんだ!」
九重は気が付くとガラス板に駆け寄る。
その背を見ながら、講師は優しい笑みは固定したまま口を開いた。
「流石はSランク、目覚めたのか。ハチノミヤ、お願いするよ」
『わかりましたですのです』
「え? おかあさん、何を――」
講師達の会話に首を傾げる九重は、つんざくような悲鳴で再びキリカへと視線を戻した。
彼女の座る椅子から光が発生し、激しい音を鳴らしている。
椅子に座っているキリカは、逃げようともがき暴れながら叫び続けていた。
「や、やめておかあさん!」
「私も辛いのだよ、九重。でもね、仕方がないのだ。ああ仕方がない。彼女はSランクだからね。こうして眠らせるしかない」
「……眠らせる?キリカちゃんをいじめているんじゃなくて?」
「違うよ、これはいじめているんじゃない。必要な事なんだ」
講師はそう言って九重を撫でる。
ガラス板の向こうでは、キリカが悲鳴を上げ続けていた。
その姿を見て、九重が黙っていられるわけがない。
「駄目ぇ!」
「おっと」
九重は講師の手を払い、キリカのいる部屋の扉へと手をかける。
しかし、厳重な電子ロックがなされている部屋を九重が開けられる訳がなかった。
「早く助けないと……!」
「九重、いい子にするんだ。私たちは正義の味方だろう?」
「ならどうしてキリカちゃんは今苦しんでいるの?」
「必要だからだ。そうだな……処置が済んだら君の望む形に変えてあげよう。どんな子だと嬉しい? 性別は? 身長は? 性格は? 九重の理想の友達としてキリカをデザインしてあげよう」
それは命を一つの結果として見ているが故の言葉だった。
講師は冒涜する意思など毛頭ないままに、子供を宥める母のまま言葉を吐き出し続ける。
「あまりおかあさんを困らせないでくれ」
そう言って講師は手を伸ばした。
「君までデザインし直すのは時間がかかって面倒だ」
「……っ」
母ではない、講師としての言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、九重の中にあった何かが切れた。
「……うごかないで!」
「おや」
九重の叫びと共に、その場にいた博士と講師がその動きを強制的に止める。
まるで何かに縛り付けられているかのように彼女らは微動だにしない。
否、出来ないのだ。
「これはこれは……私はその力を使うなと言っていた筈だが」
講師は動きを止めたまま、驚くことはなくそう言った。
想定していた事態だとでも言いたげに、講師は九重を観察する。
「ふむ、やはり従属の異能に問題はなさそうだ。効果範囲のテストはまだしていないがこれなら十分にSランクとして活動できるだろう」
「しゃべらないで!」
「……」
子供の癇癪でしかないはずの言葉が、絶対の法則となって世界を支配する。
人々は動きを停止したままだった。
「はぁっ、はぁっ」
『九重、やめるですのです』
異能の使用に息を切らす九重の前に、ハチノミヤが現れる。
固まったままの講師を地面に投げ出して、ハチノミヤはたくさんのアームで九重を捕獲しようとした。
「っ」
その時、強固な筈の電子ロックが突然解除され、キリカの部屋へと続く扉が開いた。
九重は考える間もなく咄嗟に飛び込む。
「九重ちゃん!?」
「ごめんなさいキリカちゃん! 私、貴女と仲直りがしたくて……っ」
『九重、やめるですのです』
「うるさいっ! 私はキリカちゃんとも仲良くしたい。だからこんなのは嫌なの!」
九重はそう言ってキリカへと手を伸ばした。
「今行くから!」
一歩、二歩と駆けだす。
そして――。
「それは駄目だ。プランと違うよ、九重」
「っ!?」
踏み出した地面に、黒い泥のような何かが満ちる。
それはまるで闇のようにあっという間に地面に広がると、九重の足にヘドロのようにまとわりついた。
「っ、これは十加羅!?」
「そうだ。キリカが逃走する可能性も考えて用意していたのだが……まさか君に使う羽目になるとはね」
講師はガラス板越しにそう言った。
彼女の首元にはまるで蛇のように十加羅が生み出した泥が巻き付いている。
「異能や魔法の効果を著しく阻害する……十加羅の機能は当然君にも有効に出来る。本来は、十加羅で魔法や異能による抵抗力をゼロにして、九重で従属させるための物なのだが……。これも応用だ。我が子の調教に使うとしよう」
講師はそう言うと、首元の黒いヘドロを指先でなぞった。
「飲み込め」
「っ……おかあさん、わた、しは……!」
泥の中でもがき抵抗しようとする九重をハチノミヤが上から抑え込む。
そして、己も共に沈んでいった。
「私、頑張るから! キリカちゃんも傷つかなくていいように頑張るから、仲良くしてよおかあさん!」
縋るような必死の叫びを前に、講師はまた優しい母親として微笑む。
そして、今まで通りの穏やかな声色で言った。
「次はもっと扱いやすく作るとしよう。では、おやすみ九重」
「っ、……そんな」
絶望と共に、涙が零れ落ちる。
それでもがむしゃらに泥の中でもがき続けた九重だったが、最後には泥の中に沈んでしまった。
講師は九重が沈み終えるまでじっと見つめていたが、やがて興味を失ったように背を向ける。
「……さて、では実験の再開といこう。あとは、九重の育成プランの見直しだな――」
■
十加羅の黒い泥の中に広がる空間は拡張領域を独自に改造したものである。
一種のダンジョン空間と言っても良いだろう。
異能や魔法を阻害する特殊な暗闇の中を、九重はハチノミヤに拘束されたまま落ちていく。
「離してハチノミヤ! 早くキリカちゃんを助けないと!」
『大人しくするですのです。貴女にはプランへ反対する権限がありませんですです』
変わらない返事にうんざりした九重がハチノミヤへと異能を行使しようとする。
しかし、集めた魔力は異能として出力される前に霧散してしまった。
(……私、失敗しちゃったの……?)
九重は縋るように上へと手を伸ばした。
光は次第に遠ざかり、世界が闇に閉ざされていく。
生まれたばかりの少女の反抗は、あっけなく終わりを迎える。
しかしそれは――。
「貴女の決意と行動に、敬意を示そう」
純真の守護者たるソレがいなければの話である。
『新たな存在を検知。この魔力深度はまさか……!』
九重を淡々と拘束していたハチノミヤに初めて動揺が生まれた。
異常事態に気が付いたハチノミヤはすぐさま講師へと信号を出そうとする。
しかし、もう遅かった。
『
暗闇が性質を変えた。
機械であるハチノミヤがそのことに真っ先に気が付いた。
十加羅の、全てを否定し侵食する闇ではない。
まるで全てを受け入れ、静かに包み込む海の底。
深海のような、穏やかな暗がりが辺りに広がっていた。
一体それはいつからだろうか。
あるいは、初めから。
「……カメちゃん?」
静かな世界で、九重はその名を呼ぶ。
やがて九重の目の前に現れたのは、巨大な銀色のウミガメであった。