【書籍化決定】かませ役♂に憑依転生した俺はTSを諦めない 作:不破ふわる
昼前の陽光が、クローマ音楽院の街並みにやわらかく降り注いでいた。
古い赤煉瓦の壁が光を受けて温かく輝き、窓辺の花々がそよ風に揺れている。
大通りにはパンとハーブの香りが漂い、どこからともなく軽やかなバイオリンの音色が流れてきた。
音と香りが溶け合い、この学園全体がまるで昼の前の静かな祝祭を迎えているようだった。
数日前まで天使の影響下にあり、生徒会長であるリュウコを生徒全員で襲っていたなどと言われて誰が信じるだろうか。
幸いにもリュウコがすぐに逃げ出したおかげで大きな戦いもなく建物の破壊も少なかったため、クローマ音楽院はすぐに運営を再開したのだ。
「いつ来てもにぎわってるね」
「すごい人の数……」
二人の少女は、そんな通りを歩いていた。
トアは屋台を覗き込みながら、焼き立てのサンドイッチやスイーツに目を輝かせている。
「見て見て! このタルト、フルーツが山盛りだよ!」
彼女の声は明るく、陽気な昼の街にぴったりだった。
相変わらずトアは食に興味がある様で、数歩歩くたびに何かしらの食に引き寄せられている。
「ふふっ、美味しそうだね」
隣を歩くケイは、その勢いに少しだけ苦笑しながらも、どこか嬉しそうに頷いた。
「でも食べ歩きは程々にね。お昼まで持たないかも」
そう言いつつも彼女は香ばしいパンの香りに惹かれ、立ち止まって店先を眺める。
「食べる? 食べよっか!」
問いかけが即座に決定事項へと変化し、トアはケイの返事も待たずにパン屋の中へと入る。
数分後、紙袋いっぱいにパンを入れた状態の満足そうなトアと、その膨大な量と自分の手の中に一つだけあるパンを交互に見るケイが店から出てきた。
「うーん、そろそろお昼だからお腹空いたね」
「えっ」
信じられない言葉を聞いた気がしたが、そんなわけがない。
ケイは自分の耳を疑った。
「……ハッ、そうだった。今日は私の記憶を取り戻すんだった! 食べ放題デートじゃなかったね」
「忘れていたの?」
「まさか!」
じゃあその両手のパンはなんだ、そう言いたくなったケイだがトアが思い出してくれたのならわざわざ指摘するまでもないだろう。
「あそこの広場のベンチで少し休もう。ケイちゃんも、歩きっぱなしで疲れたでしょ?」
少し先の広場では、白いテントの下でクローマの生徒がなにやら催し物の準備をしていた。
演奏会でも始まるのか、たくさんの楽器がリズムを刻み、チューニングの音が少しずつ重なっていく。
彼らを眺められる位置にあったベンチに腰を下ろした二人は改めて今日の本題を確認することにした。
「さて、今日ここに来たのはケイちゃんと一緒に私の記憶を安全に取り戻す為だよ。正確には、私の中に残留したネームレスの記憶だけどね。そのために、ケイちゃんには私と一緒にいて貰うよ」
「うん。だけど……どうして私だったの? 他にもいたと思うんだけど」
それはケイからすれば当然の疑問であった。
記憶を取り戻す為ならば、トアの事を昔からよく知りサポートできる人間が最適だろう。
少なくとも今のケイではその役割は十分には果たせそうにない。
やるからには全力だが、それはそれとしてなぜ自分が選ばれたのかという疑問は常に頭の片隅にあった。
「そ、それは……その」
てっきり軽い調子の答えが返ってくると想像していたのだが、いざ質問をされたトアはその顔を朱に染めている。
そして今までは平然と目を合わせていたというのに、何故かケイにチラチラと視線を送り、もじもじしながらパンを食べていた。もうすぐ紙袋いっぱいにあった筈のパンは底をつくだろう。
「記憶を一つ取り戻した時にね……その……ええっとね」
トアは何かを思い出しているのだろう。
視線を彷徨わせて適切な言葉を探しているようだった。
その仕草を見ていると、何故だがケイの方まで緊張してしまって背筋を無意識のうちに伸ばしてしまう。
そうして街の喧騒を背景に、二人はほんの少しの間沈黙した。
「た、たくさん食べても許してもらえるかなぁって思ったんだ!」
やがてトアはそう答えた。
その目は泳いでおり、顔は真っ赤だがしかしそれをケイが指摘できるはずもない。
「そ、そうなんだ」
「うん。ミロクちゃん達だと、ここまで好き勝手に食べられないからね! あっそうだ、ミユメちゃんの言ってたアプリ起動しなきゃ! 効率的に私の記憶が取り戻せるんでしょ?」
「うん。そうらしいけど……」
ケイはダイブギアを操作し、仮想ウィンドウを展開した。
その中ではデフォルメされた女王様のような存在がちょこんと座っている。
『初めまして。私はイチャイチャ促進型記憶サルベージシステム【
トアは直感的にそれがミユメの良くない部分で構成された発明品であると理解した。
「……なにこれ」
『尊帝です』
「いやそう言う事じゃなくて」
『推奨、カップル限定パフェ。評価:良き』
「ちょ、ちょっと待ってよ尊帝ちゃん」
『推奨、手を繋いで街を散策。評価:良すぎ』
「ミユメちゃんは何からインスピレーションを得てこれを作ったの~!?」
トアの困惑した声に、仮想ウィンドウの中で尊帝は首を傾げる。
『私は壁となり貴女達をサポートします。推奨、おそろいのアクセサリー。評価:めっちゃ良い』
矢継ぎ早に繰り出される謎の言葉に、ケイは手を上げて質問をする。
「えっと、尊帝ちゃん、そのさっきからずっと言っている評価って何……?」
『これは記憶サルベージの効率を端的に表したものです。良ければ良い程に記憶サルベージの効率が上昇します』
「そっかぁ……」
「一応、理屈はあるんだね……」
それが尚更質が悪い。
しかし、それが本来の目的なのだからトアとケイに断る理由はなかった。
ミユメの発明品であれば、過程はどうであれ確実に結果を出すであろうという信頼もある。
そのため、二人は顔を見合わせてどこか気恥ずかしそうにして笑った。
「じゃ、じゃあ……そのまたお散歩しよっか」
『推奨、お散歩ではなくデートという呼称で固定。評価:良き』
「ケイちゃん、一旦それしまって」
『ご心配には及びません。私は以降、壁となり自ら語りません。次の行動に迷った際にお声がけください』
そう言うと、尊帝はひとりでに仮想ウィンドウを閉じて姿を消してしまった。
アプリが個人の判断に基づいて無断で仮想ウィンドウを閉じている事実に気が付かずに、二人は安堵のため息を漏らす。
このままあのよくわからないカプ厨AIみたいなものに引っ掻き回されていたらどうなるかわかったものではない。
「そ、それじゃあ……行こっか。で、デートに」
「うん。……あ、そのトアちゃん」
「何?」
ケイはトアの顔を直視できないようで、俯きながら控えめに手を差し出す。
その顔はほんのりと赤く染まっており、時折トアの顔色を伺うように上目遣いで視線を向けていた。
「その、記憶のサルベージには手を繋ぐのがいいんだよね? だから……はい」
先ほどの尊帝のせいでケイは変に意識をしてしまっているようで、とても恥ずかしそうにそう提案をしてきた。
トアはそんな彼女を前にして固まる。
(可愛いな、ケイちゃん)
改めてその事実を認識したトアは、恥ずかしさや躊躇などを捨て去って無意識のうちにその手を取っていた。
小さく細い指に、ほんのりと高い体温と柔らかな掌。
手を握るなど今まで何度もやってきた行為のはずなのに、何故だか妙な達成感があった。
『――手、繋ごうかトアちゃん。はぐれないようにね』
「っ」
不意に脳に聞き覚えのある声が響く。
景色まではわからない。
しかしそれは確かに過去にあった誰かの記憶だった。
「トアちゃん?」
「……ううん、何でもないよ。じゃあ行こっか!」
不安そうなケイの手を引いて、トアは街へと繰り出した。
「まずはパフェだね!」
「えっ、さっきあれだけパン食べてたのに……?」
『こういうのは下手に口出しするものじゃないだろうに。カプ厨って奴はこれだから面倒くさいねぇ』
『自分の解説かな?』