放課後は退魔師   作:アフロダイB

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今日から退魔師

 

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真っ暗な視界が少しずつ開かれていくと、炎に巻かれた病室が視界に移り込んでくる。

今の私は赤ん坊らしく見知らぬ女性の腕に抱かれていた。

私を抱く女性はまた別の見知らぬ女性と刀で斬り合っている。

私を抱いているため片手で刀を振るっており、それだけでも相当な不利のはずだが、そもそも彼女は入院患者用の服を着ていて顔色も本調子とは思えない。

 

『勝負は見えたなぁ!やっぱり最強は太刀花(たちばな)じゃなく八蛇(やだ)だ!』

 

敵対している女性が叫ぶ。

聞き覚えのある名を聞いて徐々に意識がハッキリとしてきた。

八蛇とは太刀花家と因縁のある一族の名だ。

 

そして私の名は太刀花 藍(たちばな らん)。

国宝指定されている退魔師の名家【太刀花家】の末娘である。

 

八蛇家も古くから続く退魔師の名家だが自他共に犠牲を伴わぬ仕事ぶりから世間の指示を得られていない。

それ故に太刀花家を逆恨みしていると聞いている。

そして因縁故に私の母を殺害したとも。

 

自分を抱きながら八蛇と戦う女性は私の母なのだろう。

これはきっと自分の中にある記憶、母が亡くなった日の記憶なのだ。

 

母は何度も窮地に陥るがギリギリの所で決定打を与えない。

その度に八蛇は舌打ちを鳴らしたが、やがて何かに気付きいやらしい笑みを浮かべる。

 

『これで終わりだぁ!』

 

八蛇は細かな小石をまばらに投げつける。

それは母に効果がなくとも赤子の私には致命的な傷となるだろう。

母は覆いかぶさるようにして私を庇った。

 

『ははは、ばぁぁーーーか!!』

 

隙だらけの母の背中を八蛇の狂刃が貫いた。

母は口から血を吐いてそのまま前のめりに倒れる。

 

『ざまあみろ!何が最強の女だ!やっぱりあたしこそが最強じゃないか!』

 

八蛇は勝利宣言をすると母を足で転がし、今度は床に転がる自分を拾い上げる。

 

『かわいい赤ちゃんだねぇ。

どう遊んでやろうか。』

 

記憶の中の出来事であっても背筋に悪寒が走る。

こんなに悪意に満ちた笑みを見たことがない。

八蛇の女性は私を高く放り投げて、刀を振り降ろそうとしたその時だった。

 

『返せっ!あたしの子だぁ!!』

 

身体を刺し貫かれたはずの母が動き出し八蛇の顔を斬りつけた。

 

『ぎゃぁあああ!!ひ、卑怯者ぉ!!』

 

八蛇が怯んだ隙に母が自分を拾い上げ部屋の外へと走り出していく。

 

『嵐!大丈夫か!…うっ!?』

 

廊下には慌てて駆け付けた叔父の姿があった。

叔父は母の姿を見て全てを察したようだ。

母はゆっくりと叔父に近づき、自分を叔父に託すと静かに語りかけた。

 

『姉が凛だからさ…煉(れん)にしようかと思ったんだ…

でもさ、藍にするよ。藍玉石の藍。

綺麗な青い瞳と髪をしているし…あたしと同じ音ならあたしの意志を継いでくれそうだろ?

…まだやらなきゃならないことが…たくさんあったから…この子に…やってもらいたくてさ…。』

 

『…わかった…!』

 

やがて後ろから若かりし兄達が現れると病室から叫び声が鳴り響いた。

 

『その娘の!全てを否定してやる!!

痛めつけて!なぶり倒して!心をへし折って!

ちくしょう、あたしは勝ったんだ!勝ったのにさ!

そいつに!自分は生まれついての負け犬ですと涙を流しながら認めさせてやる!

全部全部全部!そこのクソ女のせいだ!』

 

凄まじいまでの怒りと恨みを撒き散らした後、八蛇の気配が消えた。

不利を察して窓から逃げ出したのだろう。

叔父は懸命に母の名を叫ぶが、母からの返事はない。

崩れ落ちる病院の中、叔父の慟哭だけが響き渡った。

 

やがて視界が徐々にぼやけていくと、聞き覚えのある声が遠くから近づいてくる。

 

『おーい、着いたわよー。』

 

姉の声が聞こえる。

悲しい夢はそこで消えた。

 

『修行明けで疲れてるならやめとく?』

 

そうだ、私は先ほどまで退魔師になるための修行をしていた。

まだ身体中のあちこちに疲れを感じる。

 

寝ぼけたまま周りを見渡す。

窓の外の風景は見覚えのない田舎、私の座っているのは電車の座席だ。

私は姉に手を引かれホームに降り立つ。

 

『さて、ここから先は退魔師の世界よ。』

 

先日、ある妖怪が起こしている問題を解決して欲しいと太刀花家に依頼が入った。

祖父はこの依頼を私に任せて監督役に姉を付けた。

依頼を解決するという事は修行中の身であった私がいよいよ一人前の退魔師として活動するという事だ。

 

『今ならまだあっちのホームに行って引き返せるわよ。

依頼はアタシ一人でやってあげる。』

 

姉が反対側のホームを指差す。

退魔師になるという事は、普通の生活を捨てて怪異と関わって生きていくこと。

普通か異常か、足元にある線路が私にとって運命の境界線なのだ。

 

『ご存じの通りアンタは八蛇に狙われている。

兄ちゃん達に護ってもらいながら普通の女の子として生きる手もある。』

 

それが妥当だと祖父達にも教えられた。

そもそも女性が太刀花家の退魔師として活躍したのは長く続いた歴史の中でも母が初めてであり異例中の異例である。

私が普通の女の子として暮らしても誰も白い目で見ないだろう。

 

『いいえ、私は退魔師となります。

強くならなければなりません。』

 

姉の言葉を遮るように答える。

兄達に護ってもらう道を選んだ場合は、些細なきっかけで八蛇と太刀花の抗争が本格的に始まってしまう恐れがある。

そうなればどれだけの血が流れるのかわからない。

 

八蛇家も太刀花家全員と本格的に事を構えたくはないらしい。

ただ八蛇家にとって私とは得るべきであった当然の戦利品らしく、そういった身勝手な道理に非常にこだわる家柄らしい。

ともかく八蛇家は私の身だけを狙っているのだ。

 

最悪の結末を避けるために、私は問題を私だけのものとする事にした。

私が一人で身を護り一人で戦う。

迂闊に手出しできないくらい私が強くなれば八蛇も諦めるだろう。

 

亡き母が残したノートには八蛇家と和解する計画が残されていた。

彼らを滅ぼしてはならない。

母がそう願ったように、私は自身の運命を切り開くためにも母の遺志を継ぐ事を選んだ。

 

『わかった。

じゃ依頼主の所に行きましょ。』

 

姉は小さく溜め息を吐くと私の手を取った。

太刀花藍、中学二年生、本日をもって退魔師になります。

 

 

 

 

 

人々がすっかり寝静まり世界から物音が消えた夜。

僅かに差し込まれる月明かりだけが頼りの薄暗い山中を少女が息を切らしながら懸命に走っている。

 

長い銀色の髪を左右に結んだツーサイドアップに袖が膨らんだセーラー服。

言わば巫女セーラーと呼ばれるコスプレに近い姿をしている。

腰に携えられた刀はより一層のコスプレ感を与えるはずだが少女の着こなしがそれを否定している。

 

少女の背後からは得体のしれない人型の生物がバタバタと手足を動かしながら少女を追いかけている。

1メートル程度の小さな身体でデタラメな走り方をしているが、それでもかなりの速度を出している事から未知の生物の身体能力の高さが伺える。

 

2人の距離が詰まると未知の生物は奇声を発して少女に飛び掛かった。

 

『っ、えぃっ!』

 

少女は振り向きざまに片足を高く上げて未知の生物の股間を正面から踏みつけるように蹴飛ばした。

蹴った側の少女の方が反動で後ろに飛ばされたが、片足立ちでなんとかバランスを取りながら後ろに飛びのいていく。

未知の生物が股間を抑えてうずくまっている隙に少女は一目散に山を駆け降りて行った。

 

『おぉ、戻ってきたぞ!』

 

『走ってきたぞ!

追われとるんじゃないか!?』

 

『いや、後ろには何もおらん!』

 

山の入り口で数人の男達が騒いでいる。

山の中から現れた少女の身を案じながら男たちは駆け寄っていく。

 

『ご無事で何よりです。

お怪我はありませんか太刀花様。』

 

最も年老いた弱々しい老人が少女に話しかける。

未知の生物に追われていた少女は太刀花藍だ。

駅のホームを降りた後、藍は姉と共に依頼主の所へ向かい依頼について詳しい話を聞いた。

その後は単独で怪異の討伐に向かい、思わぬ反撃に遭い逃げ帰ってきたのだ。

 

『村長様、それに村のみなさま、申し訳ございません。

討伐は失敗致しました。』

 

藍は男達に頭を下げると、山での顛末を話し始めた。

深々と頭を下げる藍の姿に村長と呼ばれた老人が狼狽える。

 

『いやいや、貴女様に何かあってはワシは生きていけませぬ。』

 

村長だけは藍を特別な存在のように扱うが、周囲の男達は単純に子供として気遣っているようだ。

 

『そうそうお嬢ちゃん。

悪いのはワシらの方じゃよ。』

 

『藍ちゃん、無理しなくていいよ。

この件は他の人に任せるから。』

 

次々と浴びせられる言葉を遮るように村長が怒鳴りつける。

 

『お前らワシの話を聞いとったんか!

太刀花様は昔から日本を守ってきた由緒正しい退魔師一家じゃぞ!

その末娘とあればもう国の宝も同然、馴れ馴れしい言葉を吐くな!』

 

村長が怒鳴りつけるが男達にはピンと来てないらしい。

村長の言うように昔は神様のように扱われた事もあったらしいが現代ではあまり通用しなくなっている。

 

『いいえ、私などただの小娘ですから。

皆様もそのように接して下さいませ。』

 

藍は丁寧な仕草で微笑み返すと、コホンと咳をして姿勢を正す。

 

『先程は不覚を取りましたが次は大丈夫です。

この件は引き続き私にお任せください。』

 

藍の仕草には気品と華がある。

危険だと理解していても藍に言われてしまうと男達は何も言えなくなってしまった。

 

『それにそんなに心配されてしまうと私の家名にも傷が付いてしまいます。

このような場所で待っていてお疲れでしょうから皆様はご自宅で吉報をお待ちください。』

 

『わ、わかりました。

貴女様がそこまで仰るなら引き続きお任せ致します。

ただし絶対に無理はなさらないでくだされ。』

 

心配そうに何度も振り返る男達に笑顔で手を振って見送ると、いつの間にか背後にいた少女が藍に話しかける。

 

『で、初任務の初失敗はどうだった?』

 

金色の長い髪をポニーテールでまとめ、下半身を丈の短いスカートに変更した巫女服を着ている。

少女の名は太刀花 凛(たちばな りん)。

年齢が3つ上の藍の姉である。

 

『はい、事前情報では餓鬼が1体と聞いてましたが現場には2体おりました。

そして2体と交戦中に3体目が現れて飛び掛かってきました。』

 

餓鬼(がき)。

六道輪廻の餓鬼界に落ちた人の事ではなく、この場合は妖怪の一種を示す。

妖怪は基本的には異界で生きているが稀に現世に迷い込んでくる。

 

餓鬼はその名の通りあらゆる欲望に飢えており、欲望を満たすためになりふり構わず突進してくる。

脳によるリミッターが外れている事から小柄な体格に似合わず人間よりもずっと力が強い。

当然ながら会話が通じるような相手ではない。

退魔師界隈では餓鬼が相手ならば即刻駆除する事が推奨されている。

 

『ふんふん、それで肩をやられちゃって刀が振れなくなって逃げてきたわけだ。

あっ、でもさっきの蹴りは良かったわ。

股間でも何でも躊躇せず蹴ったのはいい判断よ。』

 

先ほどの蹴りを凜に見られていたらしい。

偶然当たっただけだが、妙に柔らかい嫌な感触を振り払いながら藍が報告を続ける。

 

『えっと、恐らく1体が監視役なのでしょう。

また待ち伏せをしているでしょうから先に2体を遠巻きから奇襲攻撃で仕留めたいと思います。』

 

『4体目がいるかもよ?』

 

凛が意地悪く藍を揺さぶるが、藍は自信ありげに即答した。

 

『そうであれば私が不意討ちを受けた時に4体目も一気に襲い掛かったはずです。』

 

藍の回答に満足すると凜はさらに妹を試し続ける。

 

『じゃあ持ってくのは遠距離攻撃用の札と監視にバレないように消音の札も必要ね。

餓鬼ごときに使うのは勿体ないんだけどなぁー。』

 

勿体ぶる凜に負けじと藍が笑顔で畳みかける。

 

『実力に見合った作戦と準備をする。

お姉様の教えですよね。』

 

藍の言葉に凜は満面の笑みで応える。

 

『うん、それで正解!

背伸びして失敗するのが一番ダメだからね。

この仕事は臆病なくらいでちょうどいいのよ。』

 

凛は笑顔で藍に装備一式を渡す。

藍の答えを予測していたらしい。

 

『お恥ずかしながら餓鬼に不覚を取ってしまいましたから、引き留められると思ってました。』

 

照れ隠しのように笑う藍とは対照に、凜は真面目な顔で応える。

 

『ハッキリ言っちゃうと今でも反対だよ。

でも藍は退魔師になるって決心しちゃったんでしょ?

藍は一度決めたらもう譲らないもんね。』

 

凛の言葉に藍は静かに頷く。

 

『じゃあここで負けるような才能なら、いっそ痛い目に遭って貰って心折れてもらうのが一番マシなのよ。

二度と怪異には関わりたくないって怯えて暮らして貰いたいもんだわ。』

 

笑うでも怒るでもない。

凛は真顔のままで話を続ける。

 

『餓鬼はあらゆる物に飢えてるからね。

藍ももう女の子だから負けたらエッチな事されちゃうわよ。

アイツら性欲にも飢えてるから。』

 

『せ、性欲…ですか。』

 

怪異の中にはそう言った事をする者もいると知識はあっても改めて言葉にされると委縮してしまう。

 

『他の怪異なら殺されるのはもちろん、身体を乗っ取られてとんでもない悪事を働かれたり、魂を捕らえられて永遠に飼い殺しにされちゃうこともあるからね。

妊娠くらいで済んで残りの人生を平穏に過ごしてもらえるならそれでいいわ。』

 

『に、妊娠くらいって…』

 

凛の言葉に委縮してしまう。

想像するだけで恐ろしい事なのに姉の想定では一番マシらしい。

 

『覚悟が足りん!

私達はそういう厳しい世界にいるのよ!

もし藍が危険な目に遭ったとしても私は助けられないんだからね!』

 

退魔師を続けるには、人にも妖怪にも平等である事が重要である。

人の事情を優先する退魔師もいるが、人を優先し続けていれば妖怪達の助力を得る事はもちろん交渉の場にすら立たせてもらえない。

すなわち妖怪の助力を得る事で放つ強力な術を行使する事が出来ないため退魔師としては弱い。

さらに会話が可能な妖怪達と交渉による解決が出来ず、あらゆる依頼に対し弱い身のまま戦う道しか選べなくなる。

つまり人の事情だけを優先するのは三流退魔師だ。

 

『私の力はアテにしない事、いいわね!?』

 

今回は私が引き受けた依頼であり、依頼を受けていない姉が私を助けた場合は身内と言えど人側に贔屓した事になる。

姉は妖怪達の信用をなくし三流退魔師となるだろう。

下手をすれば太刀花家そのものが信用を無くす恐れもあり、それは怪異に悩ませられる人々にとって大きな損失となる。

 

『もし負けたら酷い目に合わされちゃうって改めて肝に銘じておきなさい。』

 

凛は人差し指を差して藍に念を押す。

言われたとおりに忠告を肝に銘じ、藍は深呼吸をすると改めて薄暗い山道を登り始めた。

 

灯りを頼りに暗い山道を進むと、朽ち果てた山師の小屋が見えてくる。

餓鬼はここをねぐらにしている。

 

餓鬼はあらゆる欲望に貪欲であるが怠惰でもある。

怠ける事にも貪欲なのだ。

それ故に欲望を満たすものが見つかるまでは寝ているか起きていてもフラついている。

いわばボーッとしているのである。

 

案の定、藍が小屋に近づくと開けっ放しの扉から2体の餓鬼が床に寝ているのが確認できた。

もう1体はここからは見えない場所でボーッとしているのだろう。

 

藍は消音の札を使い自身の足音を消す。

そのまま射程圏内までゆっくり近づくと遠距離攻撃用の火の呪符を使う。

藍の手元に現れた火の玉が銃弾のように射出され、着弾した火はあっという間に膨れ上がり2体の餓鬼を包み込んだ。

炎に包まれた餓鬼が倒れて音を鳴らすと、藍の奇襲に気付いた見張りの餓鬼が小屋から飛び出してきた。

 

餓鬼は藍の姿を見つけると一目散に飛び掛かったが、藍は横に飛んで回避した。

地面にへばりついた餓鬼がすぐさま起き上がって藍に振り向くと、藍はすぐに刀を抜こうとせず腰の刀に手を添えて居合いの構えを取った。

抜いてる間に飛び掛かられれば命取りになる。

藍はいつでも刀を抜いて攻撃が出来る体制に入ったのだ。

まともな思考ならば居合いを警戒し踏み込みをためらう所だが、欲望に任せて動く餓鬼にそんな思考はない。

再び飛び掛かってきた餓鬼を藍の居合いが横に斬り裂く。

餓鬼は再び大地を踏みしめる事なく血を流し絶命した。

倒れた餓鬼に刀を突き刺しとどめを刺すと、藍は刀を納めて大きく息を吐く。

 

その瞬間、背後から物音がしたので藍は慌てて振り向く。

幸運にも振り向きながら刀に手をかけたのは日頃の修行の賜物だろう。

 

背後から現れた人影が振り下ろした刀を藍はとっさに刀を抜いて受け止める事が出来た。

 

『嬢ちゃんに恨みはないが、アンタは餓鬼にやられて犯されていた所を俺に助けられた。

そういう事にしてもらう。』

 

鍔迫り合いのまま発せられた男の言葉から藍は状況を整理する。

 

(餓鬼に犯されていた事にする。

つまりこの人は餓鬼に代わって私とそういう事をしようとしている…?)

 

悪寒が身体を襲った瞬間を見計らって男が力任せに迫ってくる。

藍は腰が引けてしまい押され気味になってしまう。

男はこの状況のために私を動揺させる言葉を発したのだろう。

 

『かの有名な太刀花家のお嬢様。

将来はさぞかしご立派な道を進むはずだったろうに残念だったな!』

 

男の力がさらに強くなる。

藍はギリギリで堪えながらも思考を止めずに考え続けた。

 

(私が太刀花家の者だと知っている。)

 

この男は太刀花家を徹底的に強請るつもりなのだろう。

 

(私から何かしらの弱みを握って、私が餓鬼に負けた所を助けたと吹聴する?)

 

恐らく私はこの男にさんざん弄ばれた後に写真か何かを撮られるのだろう。

そうなると私は何も言い返せない。

写真をどこかに公表されたら私は生きていけないし、太刀花家の家名にも響くだろう。

藍は不利な体勢ながらもなんとか男の正体と目的を導き出した。

相手が卑劣漢ならばこちらもまともに付き合う必要はない。

藍は大きく息を吸うと、真っ暗な森に向かって大声で叫び始めた。

 

『この方はご同業の退魔師です!

護衛の方々、出てきてください!!』

 

藍が大きな声で叫ぶと男の意識はいるはずのない【護衛の方々】へと意識を向けられる。

太刀花家のお嬢様の初任務ならば、己が気配を察せないほど凄腕の護衛が潜んでいても不思議ではないと考えたのだ。

今度は藍がその隙をついて押し返す振りをして相手の力を後ろへと受け流した。

男は体勢を崩しながら藍の横を通り抜けていく。

藍は男を受け流しながらも思考を止めなかった。

 

(この方の実力は…戦いを挑んできたからには私より上!

そして私がすべきことは、この方を倒す事ではありません!)

 

勝利しても得る物はなく負ければ全てを失う。

己がすべきことを冷静に判断すると藍は通ってきた道を一目散に駆け出した。

しばらくは男との追いかけっこになったが、藍の方が速かったらしい。

鳴り響いていた男の足音が聞こえなくなっても藍は足を止めず一気に麓の老人の家まで駆け降りた。

 

『村長様、藍です!

お助け下さい!!』

 

藍が村長の家のドアを叩くと、村長が慌ただしくドアを開けて迎え入れた。

玄関には村の男達もいた。

どうやら有事に備えて全員で私の帰りを待ってくれていたらしい。

 

『どうなされましたか!?

討伐に失敗して追われているのですか!?』

 

藍は乱れた呼吸を少しだけ整えると村長に状況を手短に説明した。

 

『妖怪は討伐しました。

ですが討伐後に知らない男の人に襲われました。』

 

相手が妖怪であれば村の男達よりも退魔師である藍の方が強いが、相手が人間の男であれば藍よりも村の男達の方が強い。

先ほどの退魔師がよほどの達人でない限りは武器を持った男達に囲まれたらひとたまりもないだろう。

また退魔師が悪人であったとしても法の下で暮らす人間である事に変わりはない。

まさか村の男達を虐殺して連続殺人犯になりたいとは考えないだろう。

藍が村長に助けを求める事は退魔師の男にとって最も困る選択だった。

 

『なんと…こんな田舎に暴漢が現れるとは…』

 

『いいえ、男は退魔師の方でした。

私を倒して手柄を奪おうと考えたようです。』

 

藍が報告するとまだ歳若い村の男が申し訳なさそうに語り始めた。

 

『ご、ごめん。

藍ちゃんに何かあったら大変だから僕が別の退魔師にも依頼したんだ。

君が危ない時は助けて欲しいって。』

 

『それでまんまと騙されたんか!

太刀花様に何かあったらどうするつもりだったんじゃ!!』

 

藍はいきり立つ村長を宥める。

若い男に罪はない、彼も騙された被害者のようなものだろう。

そう考えた藍は若者の手を両手で握り締めた。

 

『私がふがいないばかりに不安にさせてしまい申し訳ありませんでした。

お気遣い感謝いたします。』

 

ほんの1,2秒ほど藍と男が見つめ合っていると来客を知らせるインターホンが鳴り響く。

先程の男が追って来たのかと委縮するが、そんな藍の恐怖を吹き飛ばすように明るい声が響き渡る。

 

『凛ちゃんでーす!開けてくださーい!』

 

姉の声で緊張から解放されると、村長が玄関を開けて凛を迎え入れた。

今度は凜を加えて藍は改めて今回の件について報告をする。

 

『というわけで餓鬼は確実に仕留めました。

太刀花の名において村の皆さまの安全を保障します。』

 

『藍を襲った退魔師も人のいる所では手出ししてこないでしょ。

後は朝まで泊めてもらえると助かるんだけど。』

 

それならばと村長が名乗り出ようとしたところを、先程の若い男が割り込んでくる。

 

『じゃあ僕の家に来ると良いよ。

村長の家は床で寝る布団だしうちにはwi-fiもあるし、若い子だからその方がいいよね。』

 

先ほどの侘びも兼ねてと男が詰め寄るが、凜がそれを拒否する。

 

『ん-…もう動きたくないし村長の家がいいかな。

アタシ早く寝たいよー。』

 

『もうお姉様、失礼ですよ。

先ほどの事はお気になさらないでください。

お気持ちだけいただきます。』

 

藍が礼を言い終えて話がまとまると村の男達はそれぞれの家へと帰っていった。

藍と凜が村長宅の風呂を借りている間に村長の奥さんが寝巻きと布団の準備してくれていた。

畳が敷かれた和造りの古い家もちょっとした旅館のようで風情がある。

旅行気分で2人は布団に寝転がりながらお喋りを始める。

 

『あー…やっぱ通信制限入るかー。

私らの地元よりも田舎だもんね。』

 

凛がスマホを触りながら愚痴り出す。

動画を見ようとしたが頻繁に停止してしまうらしい。

 

『でしたら先ほどの方の申し出を受け入れればよかったのでは。』

 

藍としては先ほどの若い男に引け目を感じて欲しくない。

自分達がお呼ばれする事で彼の気が晴れるならと考えていた。

 

『あまーい。

一人暮らしの男の家に泊まるなんて危機感が無さすぎー。』

 

凛は身体を起こして藍を警告する。

 

『とても親切な方でしたよ?

それに私のような子供などにそう言った感情は抱かないでしょうし。』

 

凛の言わんとする事はわかるが藍は若い男から悪意を感じなかった。

彼の人柄を信頼する藍に、凜は男について持論を語る。

 

『ロリコンじゃなかったとしても、完全な善意で接してくれていたとしても。

アンタのちょっとした仕草から女を感じちゃうと、たまには範囲外の子でもいいかなって気分になっちゃうのが男なのよ。』

 

少なくとも自分の周りの大人は優しい人ばかりだ。

凛の言葉を藍は理解できなかった。

 

『アンタもそういう歳になったの。

妖怪と同じくらい男にも警戒しなさい。』

 

この言葉を最後に2人は何となく布団にもぐり、そのまま朝を迎えた。

 

翌朝、村の人達に見送られて2人は村を出た。

金曜日の夜に到着し、そのまま餓鬼を討伐。

藍は初任務がどうにか一泊二日で終わってくれた事に安堵する。

長引いて月曜になってしまうと学業に支障をきたしてしまう。

 

車で駅まで送ってくれたのは昨日の若い男だった。

駅に入るまで何度も振り返っては挨拶する藍を男は名残惜しそうに眺めていた。

男にせめてもの罪滅ぼしをさせなかった事を藍は少しだけ後悔する。

依頼で人と関わるからには、このような後悔はこれからも起こるのだろう。

 

誰もいない構内でしばらく待つと1時間に1本しかない電車がゆっくりと到着する。

土曜日なので通勤する人もおらず、車内はどこに座っても問題ないほどのガラガラだった。

 

発車時刻までのんびり座って待っていると、見覚えのある男が車内に入り込んでくる。

 

『おっ、嬢ちゃん達も同じ電車か。』

 

それは昨夜襲ってきた退魔師だった。

昨夜は急だったため確認できなかったが、歳は30代前半くらいだろうか。

全体的に貧しい印象を受け、着ている私服もヨレヨレである。

ハッキリ言ってしまえばまともに稼げていない退魔師なのだろう。

それ故に犯罪まがいの事も平気でする。

昨夜の事を思い出し身を竦めてしまう藍を退魔師の男が落ち着かせる。

 

『怖がらなくていいって。

もう嬢ちゃんに手出ししないからよ。』

 

『こんな場所では、でしょ?

で、何の用?』

 

藍を庇うように凜が割って入る。

退魔師の男は凛を値踏みするように視線を舐めまわすと2人の正面に座って話し始める。

 

『お姉ちゃんの方は随分と慣れてるな。

何が目的かって言われたら同業者として親交を深めたいからさ。

電車賃だけ払って無報酬じゃ退魔師なんてやってられないからな。』

 

藍なりに男の言葉を解釈する。

要するに男は太刀花家の後ろ盾のような物を求めているのだろう。

 

『まぁいいんじゃない?

仲良くなっておけばたまたま近くにいた時に助けてもらえるかもよ?』

 

凛の言葉なのだから間違いないのだろう。

藍は自分に襲い掛かってきた卑劣な男と交流を深める事にした。

清濁を併せ呑むのも退魔師だ。

 

『では退魔師の先達として、未熟な私に色々と教えてくださいな。』

 

これは藍にとっても退魔師として成長するチャンスなので珍しく欲を出していく。

そんな藍を見て男はわずかに笑みを浮かべると、オーバーアクション気味に手を振って話し始めた。

 

『そうだな、例えば昨日の夜は逃げ出す必要はなかったぜ。

俺はわざわざ声を出してお嬢ちゃんを脅してたろ?

そうしないと勝てないからさ。』

 

昨夜の男は正体を隠すよりも声を出す事を優先していた。

それは普通に戦えば負けてしまうが故なのだろうか。

男に言われた言葉を素直に受け取って藍は考え込んでしまう。

 

『な、なるほど。

そこに気付いて普通に戦っていればよかったのですね。』

 

『すぐに騙されないの。

勝っても良い事ないんだから戦う必要なし。

そもそも仕掛けてきた時点で向こうには勝てる算段があるのよ。』

 

あっさりと騙されて基本を忘れた事を凜に怒られてしまう。

 

『はっはっは、お姉ちゃんは一人前だが妹ちゃんはまだ未熟だな。』

 

男に煽られて藍は少しだけむくれる。

 

『人と魔、双方が引けぬ事情から争いが始まる。

それを武力、交渉、策略、様々な手段で収めるのが退魔師だ。

言っちまえば俺みたいな嘘つきだって退魔師はやれるのさ。』

 

『…ありがとうございます。

では、もう一度教えて頂けますか?』

 

次こそはと藍は姿勢を正して意気込む。

 

『それはいいがお嬢ちゃん、パンツ見えてるぞ。』

 

『えっ、ひゃぁあっ!』

 

藍は慌ててスカートを抑えて下を向く。

 

『ほい隙ありだ。』

 

いつの間にか席を立ち上がり、目の前まで来ていた男に頭を軽く叩かれてしまう。

 

『ほれ実戦なら今ので終わりだ。』

 

『…家に着くまでに何回騙されるのかしら。』

 

あまりのふがいなさに凛にも呆れられてしまう。

 

『うぅぅ…ず、ずるいですよ…』

 

『おいおい、実戦で敵にそんな事を言うつもりかい?』

 

藍の抗議が受け入れられるはずもなく、この後も何度も男に騙されては凛に怒られてしまう。

その度に藍は昨夜の成功が奇跡のようなものであったと思い知らされるのだった。

 

次の仕事ではこんな風に騙されないようにしなければならない。

私が選んだ仕事は死と隣り合わせなのだから。

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