まばらに建つ民家を眼下に見下ろすように、豪華絢爛でありながら趣のある旅館が山上に構えている。
『今回って旅館でのお仕事だしー、ついでにみんなで保養してこいって意味だったりして!』
『…私は温泉で保養なんて歳じゃないし…。』
『私はって言ったか?』
凛がお気楽な言動をして面倒くさそうに杏樹が呟き、いつものように2人で頬を引っ張り合ってケンカを始める。
怪異事件に立ち向かうとは思えない光景は、自信の表れか油断による気の緩みか。
藍、凛、杏樹、那由多、タマキ、アフロダイB。
山道の途中にある寂れたバス停を通り越して、兄である仁が運転する大型車は5人と1匹を乗せて山道を進んでいく。
『5人でお仕事するのですから今回はラクチンなのではないでしょうか。』
『いやいや、5人で行けと言われたって事は今回の事件はそれだけ大変だって事だよ。
油断禁物。』
『その通りですよ、凛お姉様にタマキ様。
私達のお仕事は一瞬の油断は命取りなんですから。』
凛とタマキを諭すように語る那由多の言葉に頷きながら藍が話す。
一人前である凛と半神であるタマキを諭すのは釈迦に説法かもしれないが、己を律するためにも厳しい意見を口にする。
そんな藍に凛は頭をかきながら振り向く。
面倒くさがったり呆れてるというよりは、藍の気持ちを汲み取って話を合わせている様子だ。
『わかってるわよ。
ただ到着する前からそんなのじゃ持たないわよ。
気は抜ける時に抜いておきなさいな。』
そう言うと凛は両手を頭の後ろにつけてリラックスする。
日常生活では怠惰な態度を見せてはいるものの、それらが原因で凛が実戦でミスをしたという話を聞いた事がない。
『凛の言う事も一理あるが、那由多の言葉も忘れるな。
そもそも人間は霊や妖怪よりも弱い。
我々はそれを様々な手段を用いてなんとか誤魔化しているに過ぎん。
油断できるような仕事はないと思え。』
仁の一言でただ一人を除いて車内の空気が引き締まる。
『なるほどなのです。
では休めるうちにリラックスするのですー。』
タマキは口をポカンと開けてよだれを垂らしながら天井を見つめる。
『…いや、いくらなんでもリラックスしすぎでしょ…』
『女としてそんな姿だけは晒したくない』
そんなたわいもない会話を交わしながら車は目的地へと向かうのだった。
目的地にたどり着くと、仁だけを残して全員が車を降りる。
『じゃあ帰る時は迎えに来てやるから連絡するんだぞ。
アフロ君、5人を頼んだよ。』
『やれるだけやってみるよ。』
車の窓を開けて中から仁がアフロに声を掛ける。
『ちょっと兄さん!
なんでアフロに言うのよー。』
『アフロ君は大人だからだ。
5人とも無理はするなよ。』
そう言い残すと仁は5人と1匹を置いて車を発進させ来た道を戻っていく。
目的地の旅館前でそれぞれが仕事道具の荷物を分担して持ち運ぶ。
ガラガラと音を鳴らしながら玄関の戸を横に開くと、若い女将さんが小走りで現れる。
現れたのは和服に割烹着を組み合わせた高校生くらいの少女だった。
『やーん可愛いー!
え?えっ?本当に店員さんなの?』
可愛いもの好きの凛が黄色い声を挙げる。
『はい、月見亭の女将を務めさせていただいている満月(みつき)と申します。
太刀花様、遠方からご足労頂きありがとうございます。』
ニッコリ微笑んで頭を下げる仕草が可愛くて凛は満月の手を握ろうとする。
『お姉さま失礼ですよ。』
凛を止めようと藍が手を伸ばすと、藍の後ろから伸びてきた手が凛の手を掴んだ。
『満月に触れないでください。』
それまで全く気配を感じなかったので藍が驚いて振り向くと、そこには銀色の髪をした長身の男が立っていた。
『失礼よ、エクリッシ。
ごめんなさい太刀花様、この子に代わって私が謝ります。』
満月が頭を下げるがエクリッシと呼ばれた青年はジッと無機質な目をこちらに向けている。
興味があるというよりはこちらを観察している印象だ。
『え、いいよいいよ。
いきなり近づきすぎてごめんね。
それより可愛い女将さんに長身のイケメンって最高の組み合わせじゃん!
よろしくねー!』
場の空気を改めた凛は今度は満月に触れず、小さく両手を振って応える。
『早速だけど依頼のお話してもらっていい?』
藍と同じように気配が察知できなかった事に杏樹も驚いたのだろうか。
こちらを観察するエクリッシを負けじと観察していた杏樹が前に出る。
『あっ、はい。
えっと、実はここ数週間ですが宿泊されたお客様があるお部屋の近くで空中を漂う霊を見たと言うんです。』
『漂う、かぁ…』
『なるほどねぇ。
それは1体が漂ってるだけかい?』
その一言だけで凛と那由多はある程度の考察が進んだらしい。
『いえ、それがお客様によって様々で。
男女を問わずお年寄りから子供まで色々な霊がいるらしいんです。
一応はお札を貼ったりしてみたんですが、私達では手に負えないみたいで…。』
『おっけー!
じゃとりあえず見てみましょうか!
場所を教えてくれる?』
『は、はい。
この先にあるユズリハの間です。』
不安そうに話す満月を安心させるように凛が明るく答えるが、那由多は明るく振る舞いつつも退魔師にだけ伝わるように警戒を促す。
『なんだ。
そんな簡単ならこんな人数はいらなかったね。』
那由多の言葉は満月やエクリッシには気楽な言葉に聞こえただろうが、退魔師達には緊張が走る。
大人数で向かうように指示されたのだから只事の依頼じゃないぞと訴えているのだ。
緊張した面持ちで向かう退魔師達を残し、アフロダイBだけはエクリッシと何かしら対話をしていた。
『ペケペケペケですか?』
『はい』
『こっち見てー』
『いえ』
妙なリズム感でよくわからない事をしているが、アフロダイBがおかしいのはいつもの事なので5人はアフロダイBを置いてユズリハの間へと向かった。
大きな旅館であれば霊が現れて一部区間を使用禁止にする事はあるが、2人で切り盛りしている月見亭は小規模のため旅館としてはほとんど機能しなくなる。
宿泊客が1人もおらず町の喧騒も届かぬ山奥の月見亭で、不気味な静けさに包まれながら5人は調査を開始する。
『今回の件は普通に考えたら細道なんだろうけどさ。
その程度なら僕が一人で結界を張っちゃえば済む話なんだよ。』
那由多の言う細道とは、わらべ唄である通りゃんせの歌詞にある「天神様の細道じゃ」という神や霊の通り道の事である。
霊が霊界へ向かう時の通り道がユズリハの間にあれば、そこに霊が現れるのは当然と言える。
その場合は那由多が言うように結界を張って霊を別の通路へと迂回させてやればいいだけなのだ。
『そうよねぇ。
杏樹はどう思う?』
優等生の藍に聞いても那由多と同じ回答しか出ないだろう。
凛は杏樹に尋ねる事にした。
『…さっきから私の中にいる邪神が警戒してる。』
杏樹の一言で退魔師達に緊張が走る。
杏樹は生みの親によって幼い頃に邪神に貢物として捧げられている。
すなわち杏樹は邪神の所有物であり、大人になるまで邪神は杏樹を大切に守り続ける。
そんな邪神が警戒を促すという事は、人間では及ばない存在である可能性が高い。
『か、神様でも怖いって事ですか?』
『ううん、正体がわからないって感じ。
恐れているというよりは不思議に思ってるみたい。』
相手が神も恐れる存在とは限らないが、神が理解できない存在というだけで藍達にとっては十分に恐ろしい。
『タ、タマキ様はどう思いますか?』
タマキは故郷の村の人々によって儀式を受け、神と崇められて育った現世に存在する半神という存在である。
半神であるタマキに藍が恐る恐る尋ねると、タマキは部屋の隅を指差した。
『そこに物凄い霊力がつっかえているのです。』
杏樹とタマキの情報と統合して那由多が考察する。
『恐らくそこに細道があるんだ。
だから色々な霊が現れるんだろう。』
『じゃあ物凄い霊力と正体不明の存在は何なのかしら?』
凛の質問に藍が答える。
『細道があって霊が現れたのが今回の依頼なんですが、それとは別に危険な存在が細道につっかえてるって事でしょうか。』
藍の言葉に全員が感嘆の声を挙げる。
その考察は謎の条件に一致する。
『もしかしたら霊は物凄い霊力から逃げようとして現世に出てきてるのでしょうか。』
『どうする?
今すぐ細道を変えちゃう?』
『いや、一晩おいて考えてみようよ。
少なくとも正体不明の何かがいるのは間違いないんだから、こういう時こそ冷静に調べて行動すべきだよ。』
那由多の判断に従い、今日の調査はここまでにして5人は部屋に戻る事にした。
5人が部屋に戻って身体を休めていると満月が現れて食事の時間を告げる。
『わぁ!
凄いお料理ですね。
これは満月さんが作ったんですか?』
並べられた料理があまりにも素晴らしいので藍は目を輝かせて質問する。
藍は普段から花嫁修業と称して料理を学んでいるので、美味しそうな料理だと喜んでいると言うより技術に感心しての行いだ。
『ええ、作っているのはエクリッシで私はお手伝いですけど。』
満月は恐れ多いかのように両手を振って困ったような笑顔で答える。
そのエクリッシはと言うと…
『いきます。
バンジー白刃取り。』
『今だぁ!(ザシュッ)』
バンジージャンプの紐を身体に括り付けたエクリッシが刀を構えたまま屋根から飛び降り、その刀をアフロダイBが耳で白刃取りしようとして見事に失敗している。
『…せっかくのハイスペ長身イケメンなのに変人なんてねー…』
『でもとってもいい子なんですよ。
アフロさんと気が合うみたいですね。』
呆れ顔で見つめる凛に満月は笑顔でフォローする。
その様子は年上の男性というよりは幼い我が子を庇う母のようだった。
食事の後は全員で温泉に入浴する。
別々でも良かったのだが凛がせっかくだからと譲らないので満月も含めて温泉へと向かうのだった。
『うへへへ、我が妹ながらスレンダーで綺麗じゃのう。
どれ、お姉ちゃんに触らせてみぃ。』
『いーやーでーすっ!』
エロ親父と化した凛が脱衣所で藍の身体を触ろうとする。
女好きというわけではないが、可愛いものが好きな凛にとって妹達の身体は好物なのである。
藍も慣れたもので凛の奇行から即座に距離を空けて着替える。
藍の身軽さの秘訣は身体が軽い事にあり、スレンダーで整った藍の身体は美しさと健康美を兼ね備えている。
あと数年もすれば凛のように胸が大きく成長するのだろうが、年相応に成長中の胸はスレンダーなシルエットを損なわなくて逆にいいとさえ思う。
『セクシーダイナマーイ』
恐らくは藍を救おうとして杏樹が謎のポーズをとる。
『いや、そんな真っ平で何やってんのよ。』
『うっふん。』
杏樹は背が低いが顔も小さくスラリとしていて、膨らむべき部分が無いがそれ以外は女優やモデルをそのまま縮小したように整っている。
子供モデルとしては理想的なスタイルではあるが、完全に子供の身体なのにどこからそんな自信が出てくるのか凛には理解できない。
そもそも肉がたくさん食べたい気分の時に美味しいサラダを差し出されても困る。
『はいはい、遊んでないでさっさと入ろう。』
那由多は視線を背けながら手を叩く。
入浴中の那由多はなぜかいつも女性を直視しようとしない。
女嫌いと言うわけではなさそうだし、これも凛にとっては謎であった。
ちなみに那由多は華奢な割にはかなり育っていて柔らかそうでじっくり触ってみたいのだが、やはり触ろうとすると逃げてしまう。
『ふむむ、いつ見ても凛さんの身体はご立派なのです。』
タマキがマジマジと凛を見つめる。
流石に少し恥ずかしいが褒められているので嬉しい。
『でしょー!
もっと褒めていいわよー!』
凛の体つきは出るところが出ていながらスリム、いわばボンキュッボンである。
大きいのは胸だけでなく尻も突き出している。
『南米でサンバ踊ってそうなお尻をしてる。』
『お、おぅ…ありがとう。』
杏樹が微妙に判断しづらい誉め言葉を贈る。
『色々と大きくて凄いのです。
特に足が太いのでハムにしたら食べ応えがあると思うのです。』
『誰がハムだぁー!』
凛のチョップがタマキの頭にさく裂する。
『褒めたのに何で叩くのですか!』
タマキはポカポカ叩いて反撃する。
なおタマキの身体は言うまでもなく幼児体系であり、足が短くてちょっと不格好なのが可愛いらしい。
同じ幼児体系でも杏樹が白鳥ならタマキはペンギンだ。
『さてと、満月ちゃんはどうかなぁー?』
凛が手をワキワキさせながら振り向くと、そこには恥ずかしそうに脱いだ服で体を隠す満月がいた。
満月に触ろうとしていたはずの凛はなぜか固まってしまい、どういうわけか藍も満月を凝視している。
『あの、どうかしましたか?』
不思議に思って満月から声を掛けると、凛は我に返ったように饒舌に喋り始めた。
『へ?あー、いやいや。
あんまりにも可愛かったから言葉を無くしちゃったっていうかー!アハハハ!』
凛は何かを誤魔化すように笑いながら浴場へと向かった。
月見亭の浴場は露天風呂になっており、月明かりが優しく照らす空間は神秘的な雰囲気を作り上げていた。
『はぁー、生き返るよー。』
『…那由多がまたおじさんみたいになってる。』
露天風呂を満喫する那由多に杏樹が呆れるように呟く。
『ジャパニーズ温泉なのです!』
『こらー!
危ないから走るなっつってんでしょーが!』
温泉ではなく露天風呂である。
身体を洗い終えるやいなや、露天風呂に走り出すタマキを凛が りつける。
藍は半神であるタマキに強く言えず、杏樹は関わろうとせず、那由多はタマキに振り回されるばかりなので必然的にタマキの面倒は凛が見ている。
藍も満月も身体を洗い終えると談笑しながら露天風呂に浸かり、6人は寄り添って入浴する。
『いい露天風呂ですねー。
風情があって景色も綺麗で最高です。』
『ふふ、ありがとうございます。
この露天風呂は月見亭の自慢なんです。』
『太刀花家のお風呂は住み込みの従業員も使うから広いけど室内だからねぇ。
こういうのは本当に新鮮だよ。』
『ゴリラは!
ゴリラはいないのでしょうか!』
『野猿でしょ。
温泉にゴリラがいてたまるか。』
『凛がいるじゃない。』
凛と杏樹が互いの頬を引っ張り合う。
その時、いきなり脱衣所への扉が開いた。
自分達以外に女風呂に入る人間はいないはずなのだが…。
全員が驚いて顔を向けると、そこにはタオルを腰に巻いたエクリッシの姿があった。
『ぬゎっ!なっ…?なぁーーっ!?』
凛は身体を隠しながら後ずさると、妹達の様子が気になりすぐさま周囲を確認する。
藍は身体を隠したまま固まってエクリッシを凝視している。
タマキはのんきに手を振って歓迎している。
那由多はタマキと藍を隠すように前に出ている。
杏樹はと言うと、意外な事に凛の背後に隠れて震えていた。
(あらー意外な反応。
うんうん、突然男の人が入ってきたら怖いわよねぇ。
よしよし、お姉ちゃんが守ってやろう。)
怯える杏樹の姿を見て凛はお姉ちゃんパワーを発揮していつもの勢いを取り戻す。
『ちょっとアンタ!
ここ女湯なんだけど何考えてるのよ!!』
『私は満月をあらゆる存在から守ります。
貴女方が満月にとって無害である確証が無い以上、私は常に満月と共に行動する必要があります。』
凛の抗議などどうでもいい事かのようにエクリッシは抑揚のない声で答える。
『アンタの事情なんかどうでもいい!
見られてるとこっちが恥ずかしいって話してんのよ!』
イケメンなので大体の事は許すつもりだったが妹達を怯えさせるのは許せない。
『「恥ずかしい」のはそちらの問題であり、私には関係の無い事です。』
『みなさんごめんなさい。』
互いに睨み合う凛とエクリッシを宥めるように満月が割って入る。
『エクリッシ、私は大丈夫。
それよりも、アフロさんと一緒にいてくれると嬉しいな。』
『ですが満月。』
『お願い、ね?』
『……分かりました。
アフロダイBとの対話を続けます。何かあればお呼びください。』
そう言い残すとエクリッシは再び脱衣所へと戻っていった。
『はぁ!?はぁ!?
何なのよアイツ!!』
『エクリッシが失礼しました。
代わりに私が謝ります。
本当に申し訳ありませんでした。』
『お、お姉さま落ち着いて。
ビックリしましたけど私達は大丈夫ですから。』
怒りが収まらない凛を宥めながら藍は話題を変える。
『そ、そういえば満月さん。
さっきうちのアフロの事をアフロって呼びましたよね。』
アフロダイBが自分をアフロと呼ぶので、親しい者はアフロダイBをアフロと呼ぶが満月は今日会ったばかりだ。
慌てて振った話題ではあるが、藍には何か引っかかるものが感じられた。
『え?……もしかして、アフロウサギ界隈では良くない事だったのでしょうか。』
すっとぼけるかのように満月は話題を変えるが、そう言われては返事をするしかない。
『い、いえダメではないんですけど。』
『よかった。
失礼な事をしてしまったかとドキドキしました。』
そう言って満月が微笑むので藍も仕方なく話を終える。
(なんだか話を逸らされたような…?)
モヤモヤを残す藍に代わって、今度は杏樹が満月に話しかける。
『エクリッシさんってここに来る前は何をしていたの?』
『そうよ!
女風呂に入ってくるなんてアイツどこの国の出身なのよ!
大抵の国では男は女湯には入ってこないでしょ普通!』
杏樹の問いかけに合わせて怒りの収まらない凛が捲し立てる。
満月は少し考えるように夜空を見上げた後にゆっくりと答える。
『そうですね。
あまりうまく説明できるかはわかりませんがお答えします。
エクリッシは…私の子供みたいなものです。』
『…へ?』
あまりにも突拍子もない答えに一同は黙り込んでしまうが、満月は動じる事もなく続けていく。
『あのエクリッシがどこで生まれたのかはわかりません。
ただあの子には私が必要で、私にもあの子が必要だなって出会ってすぐに理解できたんです。』
『ちょっ、ちょっと待って。
こ、子供?』
凛が両手を顔の前に出し、満月は微笑みながら話を止める。
パニックになっている凛に代わって那由多が状況を説明するかのように確認する。
『つまり彼は血縁とか誰かの知り合いとかじゃなく
どこの誰かわからないのに傍に置いてるって事なのかい?』
『はい』
那由多の確認に満月は微笑んで答える。
『わかる気がします。
満月さんからはママみを感じるのです。』
タマキ一人だけが納得して頷く中、凛が真っ当な心配をする。
『満月ちゃん、いくら何でも危なくない?』
『その点は大丈夫でしょ。
危害を加える気ならいくらでも出来たんだから。』
『そ、それもそうね。』
那由多の説明を聞いて凛はとりあえずは安心する。
『きっとエクリッシさんの瞳があまりにも真っ直ぐだから
満月さんもすぐに受け入れられたんだと思います。』
『うふふ、ご想像にお任せします。』
変人扱いされそうな満月をフォローするかのように藍がまとめると、満月は湯船から立ち上がって脱衣所へと戻っていく。
気付けば随分と身体が温かくなっている。
『私達も行きましょうか。』
『そ、そうね。
それにしてもあんな大男が子供ねぇ…。』
『本質とは体の大きさとは異なるものなのです。』
一同は部屋に戻り、タマキ以外はそれぞれに抱えた謎を整理しながら眠りにつく。
翌日、目を覚ました5人は宿から提供された朝食を食べ終わるとユズリハの間へと向かうのだった。
『さて除霊方法だけど、タマキちゃんが言ってた物凄い霊力って言うのが気になる。
そこでまずは私が向こうの様子を調べてみようと思うんだ。』
『そうですね。
まずは落ち着いて情報を集めるべきです。』
那由多の提案に藍が頷き、全員がそれに従う。
周囲が急に静かになり、那由多がゆっくりと目を閉じる。
再び瞳を開いた時、那由多の視界はこの世ならざる世界を映していた。
那由多はタマキが指を差した空間を凝視したまま動かない。
『…なんだこれ…。』
那由多は顔を青ざめながら震えている。
『お姉さま失礼します!』
異常な事態にいち早く気付いた藍が那由多を強く引っ張ると、我に返った那由多は再び瞳を閉じて現世を映す瞳へと戻した。
『え、どうだったの?』
那由多は呼吸を整えると、大きく息を吐いてから答える。
『…あそこには霊力の強い存在なんていない。
ただただ霊の数が多すぎて物凄い霊力になってるんだ。』
那由多は唇を震わせながら呟いた。
冷静さを取り戻しつつもまだ顔は青ざめたままだ。
『霊が細道にたくさんつっかえてるって事?
多すぎるってどのくらい?』
凛の問いかけに那由多は自分でも信じられない事を口にするように大きく目を開いたまま答える。
『…わからない。
千とか万とかそんな数字なんかじゃない。
億とかかな…とにかくあまりにも多くて目で見ても大体の目算すらできないんだ。』
『え、ええぇっ!?』
全員が声を挙げる。
いくら何でもそこまでの霊の数が偶然で細道に集まる事はない。
『ここ最近で数億人の命が失われたはずはありませんから、単に死者が現世から霊界に向かってるわけではありません。
つまり数億の霊が何かしらの目的でここを通ろうとしているという事ですよね?』
『数億の霊が一目散に何かに向かうなんてあり得ないわよ。
何をしたらそんな事になるのよ。』
藍の考察は正しいのだが、現実的にあり得ない事態に凛も那由多も頭を悩ませていると杏樹が小さく手を挙げて前に出る。
『…私の神様が理解不能だった存在がわかっちゃった。
細道にいるっていう強い霊力の可能性もあったから黙ってたんだけど、そこに何もいないなら確定だと思う。』
一同は何も口を挟めず杏樹をじっと見つめる。
杏樹は少しだけ間をおいて静かに語り始めた。
『昨日お風呂に入ってきた時も神様が驚いてたから間違いない。
…エクリッシさんはただの人間じゃない。』
杏樹が柄にもなく凛の背中に隠れていたのは異性に対する恐怖ではなかったらしい。
エクリッシを恐れていたのだとすると、目の前で詰まっている霊についても少しは考察が進む。
『じゃあこの数億の霊はエクリッシさんに向かってる?』
『他にアテはない。
そもそも高校生か大学生くらいの満月ちゃんが旅館を経営してる事を誰も疑問に思わなかった。
私達の思考とか認識力が阻害されてる。』
凛の言葉に杏樹が頷いて持論を述べる。
他にアテがないのは事実だが、そうなるとエクリッシは数億の霊を動かし他人の思考を容易く支配できる恐ろしい何かと言う事になる。
『それにしてもこの数は、いくら何でも人気者すぎるのですよ。』
人気者ではないが言いたい事はわかるので誰も突っ込まない。
『例えばかつて大戦争を起こした指導者とかなら、それだけの霊に恨まれる事もあるかもしれない。』
『そういう感じの方には見えませんでしたが…。』
エクリッシは少なくとも政治家や軍事関係者という印象ではない。
5人が頭を悩ませていると、昨日からずっとエクリッシと何かやっていたアフロダイBが姿を現した。
『やぁやぁ、そこからはアフロが説明するよ。
昨日から色々とコンタクトを取り続けてようやくエクリッシ君の事が理解できたんだ。』
呑気な声を挙げながらノシノシとアフロダイBが入室してくる。
昨日からの奇行はアフロなりにエクリッシを理解するための行為だったらしい。
アフロは5人に囲まれるような位置に立つ。
『アンタに怪異の何がわかるって言うのよ。』
『アフロは幽霊とかそういうのはわからない。
でも君たち以上に色々な物を見てきた。
アフロは君達にとっては未知で理解不能な存在をたくさん知っている。』
淡々と語る姿はいつも少しマヌケなアフロの顔を恐ろしく感じさせる。
一同は静かに座ってアフロの言葉に耳を傾けた。
『かつてアフロは宇宙を旅して様々な生物に出会った。
例えば君達の言う霊のような存在、僕らは意志を持つガスだと認識していたけどね。
それとどう見ても形の成り立たない存在や概念の全く異なる生き物。』
いつも呑気な生き物なので忘れがちだが、藍の式神であるアフロダイBはいわゆるエイリアンなのだ。
今のアフロはエイリアンとして地球人に語っている。
一緒に暮らしているアフロが今だけは得体の知れない恐ろしい存在のように感じられた。
『昨日のアフロはエクリッシ君を見極めるために色々な事をしていたんだよ。
それはエクリッシ君も同じさ。
地球に存在しないはずのアフロを見極めるために互いに確認しあってたんだ。』
あの奇行がそのような壮大なスケールの話だと誰が理解できただろうか。
5人が別の意味で黙り込むのを見つめ、アフロは少し溜めてから言葉を続ける。
『アフロが見た中には別の世界から現れた存在もいたんだ。
エクリッシ君と満月ちゃんは異世界とか平衡世界から来た存在だろう。』
『満月ちゃんも!?』
いきなり出てきた満月の名に那由多が驚くが、凛と藍はどこか納得したかのように互いに顔を見合わせていた。
『昨日満月ちゃんの身体を見た時にアタシと藍は気付いたんだけどさ。
あの子の身体は間違いなく実戦で作られた身体なのよ。』
単に鍛えているだけならば特定の状況を想定した身体つきになるのだが、満月はあらゆる状況を潜り抜けた実戦向きの身体つきになっていた。
『ふむむ、つまり満月さんとエクリッシさんは異世界で数億の敵を倒してきた存在と言う事でしょうか。
そして殺された敵さんが成仏しないまま彷徨い続け、私達の世界にお2人がいると知って向かっているのですね。』
タマキがあっさりと言ってのけたが、そんなのは藍達に対処できるような存在ではない。
背筋が凍り付き、冷や汗が落ちる。
未知の存在を聞かされて凍り付いた藍達を解凍するようにアフロが提案する。
『幸いなことにエクリッシ君は満月ちゃんにしか興味がなく、満月ちゃんは君達に好意的だ。
つまり君達はこれ以上は何も知らないまま仕事を終えてしまえば安心だよ。』
アフロの提案に一同はホッとしてしまうが、凛がすぐに首を振る。
『冗談じゃないわよ!
そんなのほっといて、向こうの気が変わっちゃったらどうすんのよ!
私達の世界が終わるかもしれないじゃん!』
凛の退魔師としての使命感は正しいが、宥めるように那由多が反論する。
『いや、アフロ君の言う事が正しいよ。
どのみち僕らにどうにか出来る規模の問題じゃない。
触らぬ神に祟りなしだ。』
『うん、お爺様達に報告するだけにした方がいい。』
迂闊に手出しをして最悪の事態を招くわけには行かない。
那由多だけではなく杏樹にも諭されて、凛もクールダウンして納得する。
『…ですが、私には満月さんもエクリッシさんも、そのような大悪人には見えません。』
藍の絞り出すような言葉にアフロは寄り添って優しく答える。
『アフロもそう思う。
深い事情があったのかもしれないね。
わかるのはどうしようもない悪人じゃないって事さ。
本当に悪人だったならこの世界はとっくにおかしな事になっているよ。』
『…うん、そうだね。』
藍が納得すると、一同は細道だけを封じて速やかに依頼を終わらせる事にした。
『でもでも、人の都合だけで細道を勝手に塞いでしまうと霊や妖怪さんに怒られてしまうのでは。』
タマキの疑問はもっともだが、今だけは状況が違う。
『数億の霊がこっちの世界に流れ込んでくるのよ。
私達の世界の霊や妖怪だって困るわよ。
むしろよくやったって褒められるわ。』
『その通り。
じゃあ閉じちゃうよ。』
那由多が言霊を紡いで細道を塞ぐ。
これで月見亭に霊が現れる事はなくなり、依頼は完了だ。
二度と霊が現れなくなったことを報告すると、満月は藍の手を握って笑顔で感謝の言葉を述べる。
『ありがとうございます。
私達には打つ手がなくて困ってたんです。
霊の事はやっぱり太刀花さんが頼りになりますね。』
『…私達は昨日が初対面ですよね?』
『あっ…』
満月が罰の悪そうな顔を見せる。
「やっぱり」という言葉は、初対面の藍達に向ける言葉としては適切ではない。
『それにアフロダイBをアフロと呼ぶ事も…』
藍が追及すると少しだけ緊迫した空気が流れる。
余計な詮索をするなとアフロがジェスチャーするが、藍は笑顔で空気を元に戻す。
『アフロには詮索するなって言われたんですが、
これだけは伝えなきゃいけないって思ったから言いますね。』
藍が一呼吸を置くと緊迫した空気が張り詰める。
エクリッシが身構えたが満月が手で制止する。
『過去に何があったかはわかりませんが、私には満月さんもエクリッシさんも優しい方にしか見えません。
美味しい料理と楽しいひとときをありがとうございました。』
丁寧に頭を下げて藍が微笑む。
満月は少しの間だけ目を瞑っていたが、やがてゆっくりと藍の両手を胸の辺りまで持ち上げる。
『やっぱり藍さんは優しいですね。』
満月は藍の手を握ったまま祈るように目を瞑る。
その仕草が物語の聖女のような美しさを醸し出していたので、藍達は息を呑んでしまう。
『少しだけ私達の事をお話します。
黙ったままお別れというのも寂しいですし、みなさんに余計な心配をかけさせたくないんです。』
エクリッシは藍達を消すつもりだったらしいが、満月の笑顔を見て警戒を解いた。
どうやら戦闘は避けられたらしい。
『私はこの世界の人間ではありません。
世界っていくつもあって、この世界の宇宙のように広い世界もあれば小さな島だけで閉じている世界もあるんです。』
異世界なんてのはアニメや小説でしか知らなかったが、自分達が知らなかっただけでいくつも存在するらしい。
途方もない話に藍達は静かに耳を傾ける。
『別の世界で生まれた私は自分の住む世界を終わらせたみたいなんです。
その世界に住む人々は私と言う存在そのものを憎んでいて、彼らから見れば別の世界の私さえも許せないみたいです。』
数億の霊は目の前にいる満月とは別の満月によって世界を終わらされて殺されたらしい。
霊は最期に抱いていた単純な思考だけで動くので、満月を見つければ本人かどうかに関わらず襲い掛かるのだろう。
『それであんなにも大量の霊がいたのかー…』
『あの霊は異世界から来た霊だったのね。』
あり得なかった現象について那由多と凛が納得すると、満月は再び語り始める。
『私達がこの世界からいなくなったとしても、霊達は残倖に引き寄せられて押し寄せたでしょう。
そうなるとこの世界に迷惑をかけてしまいますから皆さんをお呼びしたんです。』
あれだけの霊が押し寄せて暴れたら、この世界は本当に生物1匹残らず死に絶えたかもしれない。
満月は今いる世界を壊そうという気はなく、むしろ守ろうとしていたようだ。
2人が敵ではないとわかり、藍達から安堵の息が漏れると満月も笑いながら話を続ける。
『エクリッシも私とは別の世界から来たエクリッシなんですよ。』
『ふむむむむ、なんだか話がややこしくなってきたのです。
異世界が異世界で異世界なのです。』
タマキが処理能力を超えたらしく頭から煙を出す。
『どのような世界であれ、満月が満月であるならば、私にとって守るべき存在です。
私と満月は「ずっと一緒」ですので。』
このエクリッシは何らかの理由で元々仕えていた満月を見失い、様々な世界を渡り歩いて目の前の満月の元に流れ着いたらしい。
エクリッシの言葉が正しいならば目の前にいる満月を本来守るはずのエクリッシはどこにいるのか?
彼が見失った満月には別のエクリッシがいるのか。
考えても答えは出ないのだろう。
『私の知っている藍さんも、とっても綺麗でお淑やかで優しくて、それにとっても強いんです。』
異世界にも自分達はいるらしい。
満月の言葉で藍は確信めいた言葉を口にする。
『もしかして私達は友達なんですか?』
藍の問いかけに満月は微笑みながら答える。
『ええ、そして目の前の藍さんももうお友達ですよね?』
満月の笑顔に答えるように藍は笑顔で頷いた。
『はい、もちろんです。』
満月の話では、この世界に来たのは保養のようなもので特に用はないらしい。
満月達が何を目的に世界を渡り歩いているのかはわからないが、それは藍達にとっては関係のない事である。
ともかくこの世界を終わらせるつもりもなければ、自分の能力だけでは出来ないそうだ。
月見亭と言う旅館を経営していたのは、ちょっとした遊び心だと笑った。
『問題も解決しましたし、私達はそろそろ別の世界に向かいます。
私が皆さんに会う事はないかもしれませんが、もしどこかで別の私に出会ったなら仲良くしてあげてくださいね。』
出会いもあれば別れもある。
別の世界の藍に会えるとしても、それは目の前にいる友達の藍ではないし、藍達が出会う満月も今の自分ではない。
幾度となく繰り返してきた今生の別れだが、満月は少しだけ寂しそうに笑うのだった。
翌朝、藍達を見送るため満月とエクリッシが立ち会っていた。
『皆さん、本当にありがとうございました。
離れましても、陰ながら、皆さんのご活躍とご多幸を祈っておりますね。』
『アフロダイB。
あなたとの対話は有意義な物でした。
私は貴方に教わったアフロを満月のために活用するでしょう。』
藍達は笑顔で答えて手を振ると、到着した仁の車に乗り込む。
『エクリッシ…マイフレンド…』
アフロも名残惜しいようだが、凛が無理やり荷台に押し込んだ。
窓から顔を出して後ろを振り向くと、満月は自分達を乗せた車がみえなくなるまで手を振り続けていた
『異世界の私のお友達とお友達になるなんて、不思議な事件でしたね。』
藍の言葉に全員が頷く。
ある意味では神よりも恐ろしい未知の存在に出会ったのだから、今にして思えばとてつもない大事件だ。
『ねぇねぇ。
来た時の別れ際に兄さんが思わせぶりな事を言ってたけど、兄さんはあの2人が異世界人だって事を知ってたの?』
凛が後部座席から身を乗り出して尋ねると、仁は前を向きながら答える。
『ああ、報告書を読んでなんとなくな。
だからこの手の事に慣れてそうなアフロダイB君に任せたんだ。
いい意味で背負いすぎないから、最悪の場合は逃げろと助言してくれただろうし。』
アフロは宇宙を旅して様々な存在に遭遇した事を何度も家族に話している。
月見亭の到着時に仁がアフロダイBにだけ声を掛けていた謎が解けた。
『我々はこの世ならざる存在の事を一括りに怪異と呼んでいるだけだからな。
太刀花家が討伐してきた怪異の中には異世界や宇宙から来た存在もいたのだろう。』
『じゃあ私が倒してきた怪異にも宇宙人とかいたのかな。』
『いたのかもしれないね。
僕らには宇宙人も妖怪も見分けがつかないんだろうから。』
凛の言葉に那由多が笑いながら答える。
妖怪や霊の専門家のつもりだったが、気付けばファンタジーやSFにも対応していたらしい。
そんな風に笑いながら、藍は窓の外の景色に目を向ける。
(…きっとまたどこかで会えますよね?
その時は満月さんの見てきた世界のお話を聞かせてください。)
どこかの世界にいる別世界の私が、満月さんと並び立って様々な世界の悪しき存在と戦う。
そんな物語のような姿を思い浮かべながら、藍は静かに微笑むのだった。