『治療費:\10,000』
『ゆっくり休んで:\100』
『無理しないで:\2,000』
『う~ん、責任感が強いのは藍ちゃんの良い所なんだけどそんな怪我までしちゃうと心配だなぁ。
女の子なんだからもっと身体を労わってね。
藍ちゃんに何かあったらみんなが悲しむからね。
いつもお淑やかで可愛い藍ちゃんが大好きだよ。:\10,000』
配信コメント欄に課金制のスーパーチャットがずらりと並ぶ。
『あ、あの、みなさん!
私は大丈夫ですから!
ありがとうございます!
えっと、えっと、お金は大切にしてください!』
続々と並ぶスーパーチャットを止めようと藍は慌てて呼びかけるが、逆効果となってコメント欄はスーパーチャットで埋め尽くされる。
『ふむふむ、みなさんは藍さんで遊びたいのです。』
『私とではなく私で!?』
珍しい藍のツッコミにコメント欄が盛り上がる。
自分達のアイドル活動と退魔師協会からの情報を発信するため定期配信を始めたものの、交代制と言いつつお喋り好きの凛がほとんど一人で配信していたのが実情だ。
ファンが喜ぶからと凛が悔しそうな顔をしながら稀に藍や杏樹を連れ出してはひたすら喋り続け、藍と杏樹は相槌を打つばかりだった。
たまに那由多がアニメの同時視聴やゲームをしながらオタトークをしていたようだが、ここは凛のチャンネルと言っても過言ではなかっただろう。
先日のキバとの戦いで負傷したため退魔師としての活動が出来ず、少しでも貢献しようと藍がタマキを連れて配信を始めたらこの有り様なのである。
ちなみに視聴者には怪異と戦って骨折したと伝えてある。
『アンタみたいな子が化け物と戦って腕を骨折したなんて言ったらそうなるに決まってるわよ。』
後で凛にそう叱られるのだが、ともかく藍は心配してくれる視聴者に感謝しつつも振り回されているのだった。
『ドゥ、ストップなのです!』
タマキ製の英語で視聴者の勢いを止める。
コメント欄に「stop to superchatだよ。」と書き込まれる。
『ストップ、トォ、スペアキャットとはなんぞやですか。』
タマキを連れてきたのは正解だった。
話の流れが変わり藍はホッと胸を撫で下ろす。
しばらくはタマキと視聴者の漫才が続き、その後は退魔師協会の情報を発信する。
『退魔師配信してた那由多ちゃんがずぶ濡れになった。』
『下着が透けてる。』
コメント欄に那由多に関する報告が並ぶ。
どうやら配信しながら任務を行っていた那由多にトラブルがあったらしい。
『大変!
ちょっとタオルを用意してきます。』
藍は立ち上がるとずぶ濡れで帰宅する那由多のために玄関にタオルとメモを残しておく。
配信の邪魔をしないようにゆっくりと音を立てずに部屋へと戻り、横から画面に近づいていく途中でコメント欄に目を止めてしまう。
『女の子がする仕事じゃないかな。』
『出来る事なら代わってあげたいくらい。』
話の流れは自分達が退魔師として活動する事への心配に変わったらしい。
『ふむふむ、みなさんは藍さんの事が心配なのですね。
あっ、藍さんが戻ってきたのです。』
タマキに促され、藍は気持ちを切り替えると笑顔で配信席へと戻る。
『ご心配いただきありがとうございます。
ですが私達が戦う事は、皆様に支えられて強くなった事への恩返しであり当然の務めでもあると思ってます。』
日頃の感謝の気持ちを込めて丁寧に答える。
『いい子すぎるんだよなぁ。』
『こんなにいい子がどうしてこんな酷い目に遭うんだ。』
変わらずコメント欄は藍を心配するコメントで溢れる。
『では私が今まで通り退魔師として活動するのと、退魔師業務は安全な依頼だけにして退魔師協会の広報活動をメインとするのと、みなさんはどちらがいいと思いますか?』
少しだけ踏み込んで投票システムを利用する。
結果は圧倒的に「広報活動をメインとする」だった。
『協会も君達の安全に気を使ってるだろうし、広報だけの方がむしろありがたいと思う。』
『女の子が最前線にいなくたって誰も怒らない。』
『未成年が無理をする必要はない。』
視聴者が心配する様子は悪ふざけや突飛な発想ではなく正論なのだと感じる。
やはり一般論で言えば自分は戦うべきではないのだ。
『みなさまありがとうございます。
参考にさせていただきますね。』
藍は胸に痛みを残しつつ微笑むと、再び通常配信へと戻るのだった。
『そりゃ止めた方が良いに決まってるよ。
子供である藍ちゃんが戦う必要なんてない。
…現代における地球人の一般的な思想に沿うならね。』
地球人の思想という言い回しがいかにもアフロダイBらしい答えだ。
その日の夜、配信を終えて自室に戻った藍はアフロダイBにも相談してみた。
一般的な式神は呼び出されるまでは異界にいるのだが、外宇宙生命体であるアフロダイBは異界を嫌がったので太刀花家で暮らしている。
藍が呼び出した式神なので藍は自室で面倒を見て寝泊まりさせているのだ。
アフロダイBが戻ってから眠るまでのわずかな時間だが、藍にとってアフロダイBとの会話は気を使う事なく話せる大切な時間となっていた。
いつも清廉でお淑やかな藍もこの時間だけは普通の少女らしくなる。
『アフロ星だと違うの?』
『アフロ星なら命の使い方は君自身が決めるべきだって考えるのが一般的じゃないかな。
少なくともアフロはそう考えてるから藍ちゃんを止めないんだ。
ただしアフロは藍ちゃんが大好きだから全力で守り切ってみせるよ。』
アフロは鼻息を荒くして意気込む。
戦いの役には立たないくせに意気込む。
『君を縛り付けてでも絶対に戦わせないのがメジャーな日本人の言う善良な大人だろうね。
霊や妖怪がよくわからないからギリギリ炎上しないんだろうけど、SNSでも君達に対してそういった意見は多いよ。』
地球より文明が進んだ星の出身だからなのか、アフロダイBは藍達以上に情報収集に熱心でネットに入り浸っている。
アフロダイBの言葉は事実なのだろう。
『うーん、やっぱり他の宇宙人さんでも同じ事を言うのかなー。』
アフロダイBの背中にもたれかかりながら天井を見上げて藍が呟く。
『宇宙人にもよる。
例えば発展効率を重視する文明では子供の価値が低い。
子供が立派に成長する保証なんてないから、既に社会貢献できている大人の生命が子供より優先されるんだ。
そういう文化ならば藍ちゃんみたいな子を妖怪と戦わせるかもしれない。』
『そっかー、宇宙は広いんだねー。』
広い宇宙のどこかにある文明ならば自分の考え方も当たり前になるようだ。
退魔師として育てられた自分は命懸けで人に尽くすのが当然であると藍は考えている。
『どんな選択であれアフロは大好きな藍ちゃんについていくよ。』
『えへへー、ありがと。』
アフロダイB以外には誰もいない自室、油断した締まりのない顔で藍は微笑む。
その後はいつものようにゆったりとした会話を心行くまで交わしてから眠りについた。
その頃、八蛇家では輝刃(キバ)が藍と引き分けた事への対策が進められていた。
『忌々しい奴らだよ。
まさか屍棄の一撃を防ぐとはね。
おかげで屍棄の使用回数を2回に増やす羽目になっちまったよ。』
母である八蛇 姫吾羅(やだ きあら)の言葉を半分は聞き流しながらキバは刀を握りしめる。
藍を倒せなかった事について遠回しに責められているのが理解できるのでキバは母を睨みつけた。
『で、今回は何を犠牲にしたんだよ。
屍棄を使うために紅璃栖(クリス)の猫を殺したんだろ?』
クリスとは八蛇家最年少の少女であり、杏樹の家出の際に別れの挨拶にクロスと共に現れた双子の妹である。
『あぁ、そうだよ。
クリスはあの猫を家族同然に思っていたから生贄にする事が出来た。
今回はクリスの嗅覚を捧げたよ。
…それもこれも全部アイツら太刀花家のせいだ、くそがっ!』
情緒が安定していないのだろう。
キアラはいきなり怒り出して自ら実行した非道を太刀花家に責任転嫁する。
『鼻が利かなくなってクリスはやっていけるのかよ。』
どんな悪人でも仲間には優しい様に、輝刃も妹の身を案じる。
他の五感に比べれば失っても困らないかもしれないが、匂いが感じられないというのは想像以上にストレスが溜まるだろう。
『あの子は他の器官を強化してるから鼻が利かなくたって問題はないよ。
アタシだって鬼じゃない。
娘のためにそのくらいは考えてるさ。
アタシたちは家族なんだからね。』
子供の嗅覚を奪うという選択をしながら優しさを語る。
やはり母は狂っているのだとキバは溜め息をつく。
『アンタだけじゃない。
クロスも杏樹に勝てなかったって言うじゃないか。
あの子も強化してやらなきゃ可哀想だね。』
八蛇家の強化は禁忌を犯す行為であり、代償を支払う事になる。
小学生のクロスがそのような強化を望むとは思えないが、キアラはそれを優しさなどと偽って実行する。
キアラにとって家族とは己の欲望を満たすための大切な道具なのだろう。
家族の為にもこんな戦いは自分が終わらせてやらねばならないとキバは覚悟を決める。
キバはキバなりに家族を守るために戦っているのだ。
『俺の怪我が治ったら今度はこっちから決闘を申し込んでやる。
だからクロスの事は待ってやれ。』
『わかったよ。
アンタはアタシに似て誤解されやすいけど本当は優しい子だねぇ。』
先ほどは善意で強化すると言い、今度は強化を止める事を優しいという。
早くも矛盾が生じているキアラの言葉を無視してキバは刀を見つめる。
掛けられた言葉も本来ならば嬉しい言葉なのだろうが狂った母に言われると苛立ちが勝った。
(…藍、今度こそお前をうちに連れて帰る。
それでこんなバカげた戦いは終わりなんだ。)
連れ帰れば太刀花家の男達が乗り込んできて両家の決戦が始まる。
そうなれば恐らく八蛇家が負けるだろうがその前に藍の精神を破壊する事が出来れば上等なのだろう。
何より八蛇家も退魔師として世に必要な一族なので、世の安定を第一とする太刀花家に滅ぼされるようなことはないだろう。
ともかく自分が負ければ幼い兄弟達が悲劇に見舞われるかもしれない。
キバは己の牙を研ぐように必勝の決意を固めるのだった。
『悩んでるって事は藍も頭では戦うべきじゃないって理解してるのよ。』
翌朝、悩める藍は登校時間を少し遅らせて凛達にも相談してみた。
悩む藍に対し凛はあっさりと言ってのける。
『確かに私達は太刀花の人間だけどさ。
そもそもお母さんの代までは女性は戦ってなかったんでしょ?
おまけに藍には戦う必要はないってみんなが言ってる。
だったら戦う必要はマジでないわけよ。』
『ですが私には戦う力があります。
戦える者が戦えない人々のために戦うのは当然の事のはずです。』
藍の言葉は美しいと思いつつも、凛は頭をかきながら困ったように答える。
『才能があるからって無理やり戦わされてるアタシからしたら、戦う必要のない藍の立場なんて羨ましすぎるくらいよ。』
藍は凛の退魔師としての才能をうらやみ、凛は藍の可憐さと待遇をうらやむ。
姉妹でありながらお互いに憧れてすれ違っているのだ。
『正しい事を選ぶだけが人生ではないのです。
自分で選んだのならばベストでなくとも後悔はしないはずなのですよ。』
タマキが手をぶんぶん振って熱弁する。
老人達に囲まれて特殊な育ち方をしてきたせいか幼いながらも稀に真理を突いたような事を言うので侮れない。
『私は辞めてもいいと思うわ。
藍が傷付くのは嫌だもの。』
『姉として人として、君を縛り付けてでも止めるべきなんだろうね。』
杏樹に続いて那由多も意見を述べる。
『常勝不敗の看板を掲げる伝統的な武術一派の娘さんがいたとして、その武術を学ぶ娘さんが他流派の人間に命を狙われてる。
それで警察や家族に守ってもらったとしても絶対に炎上しないと思う。
藍ちゃんがやろうとしてる事はそのくらい険しい選択だよ。』
那由多の言葉に何も言い返せない。
少なくとも那由多は藍の進む道を止めるべきだと思っている。
それを実行しない那由多がどんな気持ちなのか藍にはわからない。
ともかく藍がどんな道を選んでも、それが悪事でないならば那由多は肯定してくれるのだろう。
『どのみち今は怪我で戦えないのです。
ならば皆さんの言う普通の暮らしとやらを試しながら考えてみるといいと思うのです。』
タマキの言葉でひとまずの方針は決まり、そこからは賑やかな登校となる、
(普通の暮らしかぁ…。)
退魔師としてデビューする前までは日常だったはずの事に今は違和感を感じてしまうのだった。
『それならみんなで遊びに行こうよ!』
教室に入った藍が日常についてクラスメイトの小春に相談すると、小春は顔をパーッと明るくして大声で提案する。
『そうだね。
女子だけじゃなく男子も誘って遊ぼうよ。』
レナも少し大人びた色気を醸し出しながら提案に乗る。
『話題のアイドルと遊びに行けるって知ったらみんな来るでしょ。』
『アイドルって言ってもこの歳で退魔師してる事が珍しがられただけで私は何も変わってないよ。』
アイドルとして活動をしている今でも藍は普通の女の子でいるつもりだが周囲はそうは見ていない。
元より良家のお嬢様で容姿が整っていたお淑やかな藍は男子達の密かな憧れだったが、今は手の届かない高嶺の花になったと言える。
変化に気付かないのは藍が他人の良さにばかり目ざといのと、いつも兄や姉の修行で力の差を見せつけられているが故の自己肯定感の低さが原因である。
『藍ちゃんが行くなら俺も行く!』
『俺も俺も!!』
『俺も行く!!』
いきなり男子達が立ち上がり話に混ざってくる。
『わわっ、そんなに大人数だと困るよー。』
突然の状況に慌てた小春の一言が男子達を言い争いに発展させる。
収集が付かないかと思われたが藍の一言が彼らを鎮静させる。
『部活をサボっちゃダメだよー。』
話題のアイドルとお近づきになるチャンスだが、不真面目な行動で嫌われては意味がない。
部活動がある男子は肩を落として立ち去っていく。
結果的に残ったのは部活動をしていない大人しめの男子達なのでガツガツせずにちょうどいいと言える。
ちなみに太刀花町は田舎町であり、若者が遊ぶような施設はほとんどない。
メンバーは必然的に1駅分ほど移動する必要がある。
ちなみに田舎の1駅分とは車で20分ほどかかる。
電車賃は200円ほどでいつもなら自転車で移動するのだが、メンバーは腕を骨折している藍のために電車を利用する。
電車を降りると気心の知れた集団は街へと繰り出す。
日差しは心地よくて周りを見渡せば友達がたくさんいる当たり前で幸せな光景。
思えばこんなのんびりとした時間は久しぶりだった。
(こういうのが幸せなのかな…。)
幸せを感じつつも藍は胸に僅かな痛みを感じる。
自分が幸せを享受している間に、どこかで誰かが苦しんでいるのだ。
3F建て程度のビルが立ち並ぶ少し栄えた駅前の道を藍達は歩いていく。
目的はカラオケだったが予約の時間まで少し空いたためゲームセンターで時間を潰す。
この時間は大人もほとんどおらず学生達の空間である。
すなわち大人の目がないという事でもあり、学生間のトラブルも起きるのだ。
『おおおおお!太刀花藍じゃん!!』
『うぉっ!マジだ!!
画面越しで見るよりずっと可愛いじゃん!!』
遊び慣れてそうな高校生達が藍達に絡んでくる。
高校生が声を掛けてくるのは真面目な中学生達にとっては恐怖でしかない。
藍以外のメンバーは委縮してしまう。
『配信みてるよー。
骨折しちゃったんだよね、大丈夫?』
『はい。
もう痛くありませんし生活も慣れてきました。』
藍は平然と返事をしているが、高校生達は藍を取り囲んで髪や肩を触っている。
『あの、僕らは今日は仲間同士で遊ぶって決めてるんで。
ごめんなさい。』
男子の一人が申し訳なさそうに話しかけて高校生達から藍を引き離す。
いつもは大人しい少年なのだが、珍しく勇気を出した事が高校生達の怒りを買った。
格下と感じる弱そうな少年に反抗されて苛立ちを覚えたのだ。
『おい、邪魔すんなよ!
別に何もしてねーだろうが!』
『俺らが悪いみたいに言うんじゃねーよ!』
高校生達が近寄ってくるが少年は下がることなく勇気を出して踏みとどまる。
すると高校生のリーダー格らしい少年がクラスメイトの少年の肩を叩く。
『お前弱そうだな。
あっちで護身術を教えてやるよ。』
高校生が少年の手を引いて連れて行こうとする。
レナが駆け出して止めようとしたが、その前に藍が話しかけた。
『あの、護身術でしたら私も少し教えられますよ。
片腕ですが十分です。』
藍の一言で高校生達から苛立ちの表情が消える。
代わりに浮かんだのはニヤけたスケベ心の顔だ。
『マジで!?
マジで教えてくれんの!』
『よし、あっちでじっくりと教えてよ!』
美少女アイドルの身体に触り放題。
少し悪戯をして困らせた顔や照れた顔をさせてトロフィー代わりに語りたい。
この時の高校生達はその程度に考えていたのだろう。
彼らは安易な選択を後悔する事になる。
『こういう時は相手の身体をクルリと回ってこうです。』
片腕を掴みながら相手の裏に回る。
路地裏で片腕の藍が複数の高校生達に次々と関節技をキメながら攻撃を回避し続けている。
高校生達は身体に触れるどころかひたすら翻弄されて息を切らすばかりだ。
『後ろから来た時はこうです。』
礼をするように藍が身を屈め、後ろから掴もうとした高校生は藍の身体を軸にしてクルリと回ってしまう。
藍は転倒した高校生の裾を掴み、高校生が足から落ちるように調整する。
何をしても翻弄されるので高校生達は疲弊しており、気付けば周りにはギャラリーが沸いていた。
『おいおい、情けねーぞお前らー!』
『もうちょっと上手くやってみろよー!』
周囲からヤジが飛び、スケベ心を打ち砕かれた高校生達の情けない姿が見世物と化している。
『悪い人はこういう時はプライドを捨ててます。
狡いので私のような女子供にも今みたいに容赦なく横や後ろから襲ってきます。
常に周囲確認を怠らないでくださいね。』
『いやーこの人達、狡い人の演技が上手だわー!』
高校生達の思惑を藍は理解していないがレナは理解している。
大声で発したレナの言葉は周囲のギャラリーを嘲笑させる。
赤っ恥をかいた高校生達はこれ以上続けても良い事がないと判断して降参するのだった。
『わかったわかった、教えてくれてありがとう。
もういいよ。』
『そうですか。
こちらこそみなさんに教える事でいい練習になりました。
お付き合いいただきありがとうございます。』
リーダー格の高校生が片手で礼を言ったので藍は笑顔で頭を下げて礼をすると後ろを振り向いた。
その姿があまりにも隙だらけだったので高校生達に反撃の火が灯る。
せめて一矢を報いようとリーダー格の高校生が後ろから襲い掛かったが、藍は横に避けると足を絡ませ後頭部を軽く押す。
本来なら顔から落ちるのだが藍が片手と足で強く回転させたのでリーダー格の高校生は一回転して足から地面に落下する。
リーダー格の高校生が後頭部をぶつけないように藍は片手で支えた。
『はい、その通りです。
悪い人は降参したフリをして背後から襲い掛かってきます。
そういう時は相手の勢いを利用して今みたいに投げちゃってください。』
『狡い人の解像度が高い!』
藍と小春から悪気なく出た言葉が周囲を爆笑させる。
場の空気に耐えられず高校生達は走り去っていき、藍の元にクラスメイト達が駆け寄ってくる。
『さっすが藍!
アンタやっぱり凄いよ!』
レナが藍の髪をクシャクシャと撫で、藍は髪を整えながら笑う。
いつもはもっと恐ろしい相手と命のやり取りをしている。
クラスメイト達にとっては重大事件だったが藍にとっては遊びでしかない。
後でレナから真相を聞き、藍は先ほどの顛末をそのように感じた。
自分は普通の少女ではないと思い知らされたのだ。
そんな幸せでどこか物足りない日々が続くある日の事だった。
いつものように商店街を歩いて帰宅していると聞きなれた声に呼び止められる。
『あらー、藍ちゃん。
ちょうどよかったですわ。
和菓子が余ってるので食べておいきなさいな。』
菓子処【緑川】の緑川華麗(みどりかわ かれん)である。
カレンは藍の母である嵐と同級生であり、嵐や小夜と共に退魔師として活動していたらしい。
本人が言うには嵐とカレンは永遠のライバルだそうだ。
『緑川の和菓子が余る事なんてあるんですか?』
緑川は古くから太刀花町で和菓子屋を営んでいる老舗であり予約なしでは味わう事が出来ない名店である。
かつては太刀花町に来る人は親族がいるかガソリンスタンドに寄るか緑川を訪れる者だと言われていたほどだ。
藍の当然の疑問にカレンは笑いながら答える。
『若い職人達に練習で作らせたんですわ。
見た目は少し不格好ですが味は変わりませんわよ。
だから遠慮はいりませんわ!』
遠慮はいらないと言いつつカレンの方が逃がす気がないという圧を感じる。
恐らくカレンは自分の悩みに気付いているのだろう。
心を見透かされるのは良い気分ではないし、自分だけで考えたいのだがカレンの前ではそうも行かないらしい。
藍は観念したようにカレンの誘いを受けるのだった。
少し薄暗い趣のある木造の店内を抜けて応接間へと案内される。
暖かいお茶と和菓子が用意されると、カレンはコホンと咳をして佇まいを正す。
『さて藍ちゃん。
何を悩んでおいでかしら?』
『アハハ、カレンさんに隠し事は出来ませんね。』
想定通りにお節介を焼かれたので苦笑気味に笑う。
なおカレンの事をカレンおば様などと呼べば藍であっても危険だ。
過去にそう呼んでしまった男の子はカレンのプレッシャーを受けて心に傷を負い、今ではカレンを見るたびに直立姿勢になって震えながらカレンさんと呼ぶようになった。
『もちろんですわ。
わたくしに隠し事なんて百年早いですわよ。』
片手を頬に当てて高笑いをする。
カレンの傍にいればマンガで見たようなお嬢様仕草が現実でも見る事が出来る。
『でも、本当に大したことじゃないんですよ。』
前置きをしてから藍はゆっくりと語り出す。
八蛇家の人間が屍棄を使ってきた事、藍花が屍棄を求めている事、双方の為にも戦うべきではないと結論付けざるを得ない事。
カレンは藍の言葉に相槌を打ちながら静かに聞いていた。
『あのクソアマ…!
屍棄まで持ち出してきやがったとは恥知らずにも程がありますわ!
おまけに愛しい藍ちゃんに屍棄をぶちかましやがるとは!
次に会ったら骨の1本や2本では済ましませんわ!』
カレンは藍以上に怒りを露にして物騒な事を口にする。
カレンを宥めつつも藍は気になった事を尋ねる。
『カレンさんは八蛇家の…杏樹お姉様の生みの母をご存じなんですか?』
クソアマという呼び方から両者には何かしらの縁があるのだと藍は考えたのだ。
『よぉく知ってますわよ。
あのクソアマとは殺し合った事も共闘した事もありますわ。』
共闘と聞いて藍は大きく目を開いてしまう。
母である嵐とキアラは一族同士の因縁もあって宿敵であると聞かされてきた。
『八蛇家の方と共闘だなんて。
宿敵だと伺っていたので驚きました。』
『基本的には敵ですわよ。
あのクソアマには散々邪魔をされましたし、思い出すだけでムカつく事ばっかりですわ。』
カレンは眉間に皺を寄せながら目を閉じて過去を思い出す。
『それでも嵐はクソアマの事を信頼してましたし、クソアマも態度は最悪でも少しは心を開いていたように見えましたわ。
だからこそあんな事をするなんて思いもよらなかったのですわ。』
藍の生まれた日にして嵐の最期となった日を思い出しているのだろう。
言葉はトーンを落として寂しげな声へと変化していった。
『っと、話が逸れてしまいましたわ。
今は藍ちゃんを美しく導かねばなりませんわね。』
落ち込んだ気分を振り払うようにカレンは気合を入れてハツラツと喋り出す。
藍も姿勢を正してカレンの話に集中する。
『まずは藍ちゃんが戦うべきかについてですわね。
そんなの藍ちゃんの好きになさいな。』
『それは…仰ることはわかるのですが…。』
本当にその通りなのだが、その判断がつかないから困っているのだ。
困惑する藍にカレンは畳みかける。
『わかるのならやりなさいな。
どうせ慈玄さんや小夜さんは死んでほしくないとか幸せを掴んで欲しいと言ったのでしょう。
でも私から言わせればそんな言葉に従う生き方こそせっかくの藍ちゃんが台無しですわ!』
カレンの言葉が理解できず藍の頭の上に「?」が浮かぶ。
『あの、私が戦う道を選ぶ方が人生を台無しにしてしまうのでは…?』
戦えば常勝無敗とはいかず、命を落とす危険性が高い。
戦いの道を選ばなければ自分は人並みに穏やかな日々を送る事が出来るだろう。
『人並みだなんてそんなのありえません。
藍ちゃんの可愛さなら間違いなく華やかで幸せな人生を送りますわよ。
戦う道を選ぶという事は、他人がうらやむ藍ちゃんの輝かしい人生を棒に振るという事ですわ。』
ますます困惑する藍にカレンは熱弁する。
『でも人生とは一度っきりですわ。
本人が望まない人生を送らせるなんて私から言わせれば藍ちゃんを殺すのと同じですわ。』
殺すという物騒な単語に少しだけ身を強張らせてしまう。
実際に死にかけた後だから身体に恐怖が染みついているようだ。
そんな藍に喝を入れるようにカレンは藍の両頬に手を添えてマジマジと顔を見つめる。
『確かにこれだけ可愛ければしっかりと育てて鑑賞用にしたいという気持ちもよくわかりますわ。
でもそんなのは藍ちゃんではなくただのドライフラワーですわ。
私も嵐もドライフラワーには興味ございませんの。』
今まで藍は周囲の人々の意見をしっかりと聞いてきたつもりだ。
自分は未成年の未熟者なのでそれが当然だと思っていた。
そんな自分が退魔師と言う道を選んだだけでなく、下手をすれば八蛇家の誰かの命を奪うかもしれない選択をする。
そんなのが許されるのだろうか。
『貴女と言う人間をもう一度見つめなおしなさい。
正しくお利口な選択ではなく、藍ちゃんである以上は選ばざるを得ない選択をしなさいな。』
自分である以上は選ばざるを得ない選択。
誰かの為に平穏に生きるのか、それとも自分の為すべき事のために生きるのか。
きっとどちらも正解で不正解なのだろう。
『それで嫌われるなら嫌われなさい。
それで誰かが死ぬのならその罪を背負いなさい。
それで貴女が死ぬのならそれが正しい藍ちゃんの生涯ですわ。』
カレンはここで一度話を打ち切る。
藍にとっては衝撃的な言葉だったので少し考える時間が欲しかったが、カレンは畳みかけるように次の話題に移る。
『次に藍花に屍棄を入れるかの話ですわね。
結論から言うと私は賛成ですわ。』
自惚れではないが、カレンは藍を過剰に可愛がるので屍棄の使用は断固反対すると思っていた。
そんな疑問を口にする前にカレンが話を続ける。
『あのひねくれ爺が打った刀が貴女を犠牲にするはずがありません。
藍花には何か考えがあるのですわ。』
それはそうだと藍も思う。
藍花が藍を滅ぼすように仕向けるとは思えないのだ。
だが屍棄を使用する事にはもう1つ問題がある。
その点についてもカレンは畳みかけるように自論を展開する。
『藍ちゃんが戦えば八蛇に屍棄を使わせてしまう問題ですが、そんなもん殺さないようにすればいいだけですわ。』
カレンは簡単に言ってのける。
もちろんそれが出来れば苦労はないが、向こうは確実に屍棄を使うだろう。
追いつめられた果てに捨て身となってキバのように己の身を犠牲にして使用する可能性は高い。
そうなれば相手が消滅する可能性があるのだ。
己の選択と行動が人を消滅させてしまう。
言葉を失う藍にカレンが顔を近づけて畳みかける。
『藍ちゃんは一生できる事だけをやるつもりですの?
人は出来ない事に挑戦して、どうにか帳尻を合わせて成長していくもんですわ。』
他人の命を背負うには無責任な言葉だが真理でもある。
出来る事だけ繰り返していても大きく成長する事はないだろう。
『挑戦なさいな!
そして慌てふためきながらどうにかやりとげなさい!
その先に最高のハッピーエンドがあるなら尚更やるべきですわ!』
叩きつけるように勢いよく語ると、カレンは急にお淑やかな空気を纏い優しく語る。
『少なくとも無謀で出来ない事ではないはずですわ。
だからこそ藍花は屍棄を使えと言ったのでしょう。
それに嵐だって可能だと考えたからこそ貴女達の為にノートを残したのよ。
だからきっと藍ちゃん達には出来るはずですわ。』
『…ですが私には母や姉のような才能はありません…。』
何度も言われてきた事だ。
藍には嵐や凛のような才能がない。
だからこそ幼い頃は退魔師としての修業をつけられなかったのだ。
藍は目を背けるがカレンは顔を掴んで引き戻す。
『いいえ、ありますわ。
嵐や凛ちゃんに比べて退魔師の素養が劣っても藍ちゃんには別の強さがありますわ。
藍ちゃんは色々な事が出来るとっても良い子ですが、嵐なんて出来ない事ばっかりで人としては終わってましたわ。』
優しく微笑むとカレンは藍を優しく抱擁する。
『藍ちゃんはあのヘタレ野郎に似ましたわ。
私は大っ嫌いでしたが、それでも嵐はヘタレ野郎を選んだ。
認めたくありませんがヘタレ野郎は私や嵐とは違う強さがありましたわ。
それは藍ちゃんにもあるんですのよ。』
ヘタレ野郎とは顔も声も知らない藍の父親の事なのだろう。
父の名は太刀花 勇気(たちばな ゆうき)。
ごく普通の家庭で育ったが幼い頃から嵐と共にいて退魔師となったらしい。
勇気も嵐達と共に退魔師として戦っていたと聞いている。
嵐が亡くなった翌日に勇気はいずこかへと消え去ったらしいが、少なくともカレンは勇気がいつか戻ってくると信じているのだろう。
口汚く罵っているがカレンの言葉からは勇気への親しみが感じられる。
『顔と生きざまは嵐で心はあのヘタレ野郎。
トータルで言えば藍ちゃんはいいとこ取りの最強ですわ。
貴女の母の永遠のライバルである緑川カレンが断言します。』
藍は何も言えなかった。
何を口にしても軽く感じられる気がしたからだ。
そんな藍にカレンは自身の決め台詞を叩き込む。
『華ならば栄養満点でダラダラと生き長らえるよりも思いっきり咲き誇りなさい!』
結局は自分で選べと言うだけの話なのだが、カレンの力強さは藍に勇気を与える。
叔父には申し訳ない話だが、両親のいない藍にとっては小夜が母であり父親はカレンなのかもしれない。
そんな風に考える藍の沈黙を打ち破るようにカレンが手を叩く。
『結論の決まりきったつまらないお話はおしまいです。
さぁ緑川自慢の菓子を召し上がれ。』
この後のカレンは拍子抜けするくらい甘くなり、藍は犬や猫のように可愛がられる。
だが藍の胸中には確かな鼓動が芽生えていた。
その日の夜、藍は夢を見た。
八蛇家に関わるのをやめた藍は退魔師の広報活動を中心にして暮らしている。
藍が配信すればたくさんのコメントが溢れ、藍がステージに立てばたくさんの人達が集まる。
TVや映画の撮影では一流の芸能人達に囲まれ、芸能界にいる同年代の素敵な男の子と親交を深め、たくさんのファンが藍に笑顔を向け、とても輝かしく華やかな空間であった。
だが、その影で多くの血が流されていた。
藍の身を狙って襲い掛かってきた八蛇家の者達を兄達が確実に始末していく。
殺さなければキリがない。
兄達は藍の幸せを守るために躊躇なく手を汚す。
血を流して絶命するキバがこちらに手を伸ばして必死に何かを叫ぼうとする。
助けを求めているようにも見えるし、自分と戦えと言っているようにも見える。
藍は兄の背に隠れて怯えると、その後は笑顔で明るく華やかな空間へと向かっていくのだった。
兄達は優しい瞳で藍を見送り、どことなく暗い表情で次の戦いに赴いていく。
深夜に目を覚ました藍は息を切らせながら必死に拒絶する。
私はそんな笑顔を望まない。
それが正しい生き方だとしても、それは太刀花藍の望む未来ではないと。
少し身体を動かしたくなった藍は庭に出てみる事にした。
寝ているアフロダイBを起こさないように静かに部屋を出ると外履きを履いて庭に出る。
空気はひんやりと冷たくて周囲にはほとんど音がなく、月明かりが庭を優しく照らしていて心地よい。
だが屋敷の周囲を歩く藍の視線の先に先客の姿が映る。
それは杏樹だった。
杏樹は遠くで走る車のヘッドライトを眺めている。
なんとなくの直観だが、表情は真顔でも杏樹が泣いているように感じられた。
杏樹は藍の存在に気付くといつものように真顔のまま冷淡に話しかけてくる。
『珍しいわね。
2人で深夜に目が覚めるなんて。』
『はい、そうですね。』
悪夢の内容を杏樹に言うわけにはいかない。
藍は言葉を止めて相槌だけ打つが、賢しい杏樹はそれを察してしまう。
『どんな嫌な夢を見たの?』
杏樹はまっすぐに藍を見つめる。
どんな内容でも構わないから言えと瞳が物語っている。
月明かりに照らされた杏樹の顔はとても綺麗で、藍はなんとなく逆らえない気分になる。
何より藍の方も心が疲弊していたので、ついつい本音を漏らしてしまうのだった。
藍は先ほどの夢の内容を杏樹に伝えた。
『そうね。
藍は可愛いしきっと人気者になるわ。』
貴女の方が小さくて可愛いでしょうとツッコミたくなるのを抑える。
杏樹は小さくとも姉なのだから。
『私と凛と那由多とタマキで広報活動に徹するのが退魔師協会としても一番望ましいでしょうね。
それが上手くいっちゃったら私達は誰もが羨む幸せを手にするわ。
そうでなくても人として真っ当な幸せは手に入る。
自惚れじゃなくて、それはきっとかなり上等な幸せなのよ。』
自惚れではないという杏樹の言葉は正しいと思う。
女の人生は見た目で決まるという話ではなく、様々な状況や能力を考慮しても5人とも幸せな道を歩めると思う。
それぞれに家庭を持ち、久しぶりに再会した私達は笑顔で言うのだろう。
どうしてあの時はあんな事にこだわったのかな。
あの時は若かったねって。
『…キバってね。
あぁ見えて家族思いで筋の通ったいい男なのよ。』
杏樹が急にキバの事を語り出したので藍は驚いたが、すぐに様子がおかしい事に気付いた。
『ムトはキモいけど私の事を気遣ってくれたし、シュンカは変態だけど私の事を可愛いって甘えさせてくれたし、カンウは陰キャだけど色々と助けてくれたし、シリュウは頭良くて気が合ったし、クロスは生意気だけど可愛い所あったし、クリスは明るくて可愛い妹だったの。』
杏樹は平坦で抑揚のない声で息つく間もなく捲し立てるように語り続ける。
誰が誰の事か完全には把握できないが八蛇家の兄弟達の事を言っているのはわかる。
藍は口を挟むことが出来ずにただ頷く事しかできなかった。
『それにお母さんも…優しい時もあったのよ…。』
杏樹の声は涙ぐんでいた。
藍は全てを察しながら杏樹の言葉を静かに待つ。
それからどれくらいの時間が流れたのだろう。
杏樹は小さくか細い声で訴える。
『…お願い。
みんなを…助けて…。』
思えば先ほどの杏樹は家族の事を考えて遠くを眺めていたのだろう。
杏樹は絞り出すように少しずつ言葉を吐き出す。
『…本当にごめんなんだけど…全員なんて言わないから。
…必要なら私も一緒に殺すから…だから…。』
杏樹は必死に言葉を絞り出す。
いつも冷淡な杏樹だが、その精神は優しく年相応の少女なのだ。
『…一人でも多く助けて。』
最後の一言は言葉にならないような掠れた声だった。
『…はい。』
これ以上の言葉はいらない。
藍は優しく答える。
杏樹の涙で藍は己の選ぶべき道を確信する。
みんなには申し訳ないが、これが太刀花藍なのだ。
それから数日後、藍の腕が完治してギブスも外され、勘を取り戻すために兄から厳しい稽古を受けていたある日の事だった。
藍花の修理が終わったと聞かされ、藍だけでなく凛、那由多、杏樹、タマキも祖父の部屋に呼ばれる。
部屋に入ると祖父の龍磨と刀匠の鉄匠が鎮座していた。
『あれ?叔父さんは?』
『アイツは外せん用事があっておらん。』
凛の質問に祖父が答える。
5人は藍の決意表明を聞くためにだけ集められたと思っていたのだが、鉄匠の一言でそれが覆された。
『ほれ、預かっておいたもんを返す。
全員の武器に屍棄を入れといたぞ。』
『えっ、僕らの武器にも!?』
屍棄を入れるかどうかを決める話かと思い来た、既に投入済みである事を告げられる。
まさかの展開に一同が驚き那由多が声を挙げるが鉄匠はどうでもいい事のように続ける。
『何か問題があるか?』
『ない!』
即答すると凛は藍の顔を覗き込む。
周囲を見渡すと凛だけでなく全員が笑顔で藍を見ていた。
みんな藍の回答を予測していららしい。
『はい、何も問題ないみたいです。』
この場で屍棄の使用をハッキリと宣言する。
『元より一人だけ危険な目になんて遭わせない…。』
『そうだね。
僕らも覚悟を決めようじゃないか。』
『家族なのですから当然なのです。』
仲間達も付き合ってくれるらしく、頼もしい事この上ない。
藍の顔から自然と笑みが零れる。
『申し訳ございません。
太刀花藍とはこういう娘です。』
藍が深々と頭を下げ、顔を挙げてニッコリと微笑む。
鉄匠はドヤ顔で龍磨の顔を見て、龍磨は苦々しい表情を見せる。
2人とも藍が何を選ぶかはわかりきっていたらしい。
『屍棄が流行らんかったのは使用者が自滅して屍も残らんからだけではない。
強制的に屍棄を使わされるような手段もあるし、その力を敵に利用される事もある。
ハッキリ言えば屍棄を入れるのは弱点を増やすようなもんじゃ。
総合的にはパワーダウンしたのだと思っとけ。』
鉄匠が刀匠としての見解を述べる。
その言葉に嘘はないのだろう。
全員は自分達が危険かつ弱くなったことを受け入れてそれぞれの刀を受け取る。
『ふむむ、私のDoタヌキは弱くなったのですね。
そういえばいつもよりフニャフニャして柔らかい気がするのです。』
『柔らかくなるわけあるか。
それに胴田貫(どうたぬき)だ。
名刀なんじゃからちゃんと覚えとけ。』
タマキのボケと鉄匠のツッコミで少し空気が緩む。
少しだけ緩んだ笑みを正すと鉄匠は腕を組んで話を続ける。
『人間を殺すだけなら銃を使う方が楽だしな。』
鉄匠が身も蓋もない事を言う。
銃弾を防ぐ方法はあるが人間相手なら銃が有利な事に変わりはない。
だが藍としては確実に命を奪うような方法は取りたくないので選ぶ事はない。
『退魔師としてはやめたほうがいいがね。
銃を使うと怪異に嫌われてほとんどの力が使えなくなる。
西洋にはそういうハンターもいるが、あらゆる存在から対話を拒否されて抹殺しか出来なくなる。』
『術も使えんし加護で身体能力も向上させられんから修羅の道だわな。
言うなれば攻撃一辺倒の存在じゃ。
っとすまん、話が逸れたな。』
長く親友関係が続くと孫を前にしても気を抜いてしまうのだろう。
龍磨と鉄匠が姿勢を正すと鉄匠が重々しく口を開く。
『だが悲観する事ばかりでもない。
やはり藍花と太刀花家を見守る霊達は君達の命を平和の礎にするために屍棄の使用を進言したわけではなかった。』
『それってどういう意味?』
感心するように下を向いて腕を組む鉄匠に凛が顔を近づけて尋ねる。
鉄匠は凛の顔を見ると、顔を挙げてゆっくりと告げる。
『屍棄、1日に2回までは何とか使えるぞ。』
全員が驚いたが特に実際に屍棄を見た藍の驚きが大きい。
あれほどの力が2回も使えるとなると、それは良い意味でも大きな力となる。
『1回目は太刀花家を見守る霊達が代わりに受け持ってくれる。
もちろん彼らも気楽ではないのだから簡単に使っていい物ではないがな。』
鉄匠がしっかりと念を押す。
使えるからと言ってヒーローの必殺技のように安易に使ってはならないのだと全員が認識を改める。
『2回目は君達の武器がダメージを受けてくれる。
2回目を使ったら打ち直しが必要だから絶対にワシの所に持ってこい。
要するに2回目を使ったら君達は2、3週間は戦えないと思え。』
その間に身の危険が迫ったら代用武器で戦うしかない。
確かに大きなデメリットだ。
何よりも2回目を使えば壊れかけた武器で戦うしかなくなるのだから、2回目で決着が付かなかったら負けると考えていいだろう。
『屍棄は使うもんじゃない。
命の代償として使わされてしまう物だと思え。』
『オッケー、ゲームの残機みたいなもんね。』
『はは、僕らはゲームじゃないけど言い得て妙だね。』
龍磨の言葉を凛が噛み砕いて那由多が苦笑いを浮かべる。
ゲームならばリトライできるが人生はリトライ出来ない。
本来なら即死するところを屍棄が救ってくれるが、それでも2回までだ。
攻撃の為に自分から使用するにはあまりにもリスキーな能力だと認識する。
『次は悲報じゃ。
2回使えるようになったのは恐らく八蛇も2回まで使うようになったからじゃぞ。』
鉄匠が藍達に指を差して告げる。
引き締まった気持ちが今度は恐怖で引き攣る。
恐ろしい力を向こうは捨て身で使ってくる可能性があるのだ。
屍棄を攻撃の為に使うのは自爆に等しいが、それでも回避や防御の為の屍棄が間に合わなければこちらが消滅する。
今後の戦いは一瞬の油断もならない。
『ワシも同感だ。
お前達に楽をさせるためにこうなったわけではないだろうな。』
鉄匠に続いて龍磨も念を押す。
屍棄に対抗する手段を得たが状況は前よりも悪化したと言ってもいいだろう。
『これは太刀花家の総意なのだろうな。』
『…総意…ですか?』
諦めたように呟く龍磨の言葉に藍が意図を尋ねる。
龍磨はやはり諦めたように、そして覚悟を決めたように呟く。
『ここで決着を付けろと言う意味だろう。』
静かな室内に龍磨の言葉が響き、その声が5人の身体に振動する。
一族の長き因縁に、藍と凛にとっては母の無念に、退魔師界隈に残り続けた問題に自分達が決着をつけるのだ。
『もしかしたら嵐が霊達を説得したのかもしれんな。』
『そうかもしれんな。
あの娘はそういう勢いがあった。』
『…お母様が…。』
龍磨の言葉に鉄匠も納得し、藍は静かに呟く。
自分には才能がない、力もない。
ずっとそう思ってきたが、先日カレンがそれを否定して今度は母が霊達を納得させた。
みんなが信じてくれた。
これで負けてしまったら自分は大バカ者だと藍は自嘲する。
『嵐のような才能はないが、藍は藍だ。
何も退魔師としての個人の力だけが解決の全てではないだろう。』
龍磨は静かに語ると顔を挙げて目を開き、藍を睨んで語気を強める。
『…ワシも腹を括った。
やってみせろ。』
その言葉は愛する孫娘に向ける者ではない。
孫が死ぬ事を心配する言葉ではない。
一人の退魔師として、太刀花家の当主として、やり遂げて見せろと命令する気持ちだけが込められた言葉だった。
孫を心配するお爺ちゃんではなく、一人前の退魔師に向けた言葉なのだ。
『かしこまりました。
謹んでお引き受けいたします。』
藍は両手を畳につけて静かに頭を下げる。
続いて4人も同じように頭を下げた。
全員が覚悟を決めたのだ。
少しだけ間を置くと、その緊張を緩めるように鉄匠が明るく口を開く。
『ちなみにワシは【屍棄】を改め、この仕組みを【散華(さんげ)】と名付けた。
もはや屍棄とは別のもんじゃし【散る】と数字の【三】がかかっておる。』
これは屍棄のように捨て鉢の特攻ではなく太刀花家を見守る霊達の加護なのだ。
5人が頷くと鉄匠が笑顔で続ける。
『それに屍を棄てるよりも華が散る方がいやぁ~んな感じがして女として嫌じゃろ?
負けていやぁ~んな目に遭いたくなければ迂闊に使うなよ。』
『うーわエロジジイ。』
『効果抜群じゃないか。』
両腕で身体を抱きしめて艶めかしいポーズを取る鉄匠に凛が冷ややかな視線を送り龍磨が笑みを零す。
『わかりました。
散華と名付けられた意味を身体に沁み込ませておきます。』
『うむ。
では話はこれで終わりだ。』
龍磨の言葉を合図に5人は頭を下げると順に部屋を出ていく。
5人が声が遠ざかるのを確認すると龍磨は肩を落とした。
『はぁ、せっかく楽な道を用意したのになぁ。』
退魔師になって欲しくなかった。
危険な道を選んでほしくなかった。
祖父として心配する気持ちは察するに余りあるものがある。
『龍磨と風花が結ばれて生まれた嵐の娘じゃからな。
いくらお淑やかな娘に育てても根が武人なんじゃ。』
納得するしかない言葉を浴びせられて祖父は天を仰ぐのだった。
それから数日後の事だった。
クラスメイトの小春を誘拐したとキバの式神から言伝を受けた。
小春を引き取る時間と場所を伝えると式神は消え去っていく。
『普通に考えたら罠だよねぇ。』
『そうよね。
キバってヤツが1対1で決着を付けたがっていても指揮するオバさんはそうじゃないんだから。
キバに黙って伏兵とか潜ませるんじゃない?
キバが負けても藍1人くらいならどうにか出来るように。』
那由多の言葉に凛が同意する。
凛の言う事はもっともで、向こうの性格を考えれば確実に罠だろう。
『それにしてもまさか小春ちゃんを誘拐するなんて。
急いで助けに行かないと。』
親友が巻き込まれてしまい焦る藍の手に優しく触れて杏樹が宥める。
『キバがいる限りは大丈夫。
もし小春ちゃんに酷い事をしたら当のキバが怒って台無しになるから。』
杏樹の言葉で藍は落ち着きを取り戻す。
太刀花も八蛇も法的な問題は無視できる立場とは言え、一般人を誘拐までするとは思わなかった。
小春の家族が心配しているはずなので、ひとまず小春は太刀花家に泊まっていると連絡をする。
『キバは藍が目的だから人質で脅す事はないんだろうけど、伏兵達はそうじゃない。
まずは人質を救うべきだね。』
『じゃあワシが付いてってやるわ!
どんな奴が何人おっても一撃で片づけてやるから人質は凛が助け出せばいい!
凛はデカい胸の割に斥候や隠密が得意だからな!』
五男の旬の言葉に次男の鉄が大笑いで提案するが、三男の賢がそれを引き留める。
『鉄兄さんがいたら圧が強すぎて向こうにバレる。
凛と僕と那由多で行こう。
2人の決闘の邪魔はさせないさ。』
冷静沈着で腕の立つ賢がいればミスはなくどれほどの達人がいても遅れは取らない。
凛は伏兵や罠の察知にめざとく、隠密行動では負ける事はない。
その上で那由多の支援があれば隙は無いと言える。
『私も行く。
私が姿を現せばキバは私に注意を向けるはずよ。』
杏樹を連れ帰る事もキバにとって重要事項だ。
必ず注意を引けるだろう。
『わかりました。
ではよろしくお願い致します。』
八蛇家の事は藍達が託された問題なのだから当人達が承諾したのなら口を挟む理由はない。
家族全員が納得し、5人は車に乗って指定された場所へと向かうのだった。
キバに指定された場所は辺りに民家のない草原のような場所だった。
一応は近くに車道があるがこの時間に車が通過する事はないだろう。
藍は少し時間を待ってからゆっくりと指定された場所に向かう。
別行動をとった4人が仕掛ける時間が必要だからだ。
『おう、来たか。』
スマホを眺めていたキバはスマホを足元の鞄に入れると藍に視線を向ける。
『藍ちゃん!
危ないから逃げて!』
いつもニコニコしている小春らしからぬ悲痛な声で叫ぶ。
『小春ちゃん、巻き込んじゃてごめんね。
すぐに助けるから待ってて。』
『よし、じゃあ始めるか。』
キバはゆっくりと武器を構えたが藍は武器を構えずに話を続ける。
『その前に小春ちゃんを解放してください。
小春ちゃんは関係ありません。
そのままでは気になって全力で戦えません。』
全力で戦えないという言葉を聞いてキバが少しだけ悩むが、すぐにそれを拒否する。
『ダメだ。
人質を解放したらお前に逃げられるかもしれない。
どうにかして全力で戦え。』
『…わかりました。
では…。』
藍が武器を構えるとキバは藍に意識を集中させる。
だが、その背後の草むらから杏樹が姿を現したのでキバは動揺する。
『また会ったわね、キバ。』
『杏樹!?
なんでここに!?』
何故ここにというよりは何の為にここに来たという方が正しいだろう。
藍だけでなく杏樹も連れ帰るつもりのキバにとっては鴨が葱を背負ってきたに等しく、杏樹が姿を現した意図が読めなかったのだ。
その隙を凛が見逃す事はなかった。
『残念、動くと容赦なく殺すわよ。』
背後から音もなく近づいた凛は小春を縛る縄を切るとキバの顔のすぐ横に刀を向ける。
解放された小春は藍の元へと駆け寄っていく。
藍は駆け寄ってきた小春を抱きしめる。
『ごめんね、小春ちゃん。
怖かったよね。』
『ううん、怖くはなかったよ。
でもこれから藍ちゃんが戦う方が心配だよ。』
小春を抱きしめながら藍は事情を説明する。
それを眺めながら凛もキバと話をつける。
『見損なったぞ藍!
仲間なんか連れやがって卑怯だぞ!!』
裏切られたと勘違いしてキバは声を荒げる。
その声質から藍への武人としての信頼が感じられる。
『タイマンの邪魔はしないわよ。
人質を解放するだけだっての。』
荒れるキバを凛がやる気のない呑気な声で落ち着かせる。
凛はキバを解放してゆっくりと歩いていくと藍から小春を引き離す。
『小春ちゃんは私らが見ておくから思いっきりやりなさいな。
ちなみにアンタらの方が数が多かったみたいよ。』
『あ?』
凛の言葉の意味が理解できず怪訝な顔をするキバの背後から今度は賢と那由多が姿を現す。
その両手には見知らぬ男達が引きずられていた。
『凛の言う通り10人いたな。
コイツらにはおかえり願うとしよう。』
『音も消してたから戦闘音に全く気付かなかったでしょ。』
冷たい視線を向ける賢に続いて那由多が笑顔を見せで誇らしげに語る。
連れてこられた2人の顔を見てキバは全てを察する。
2人は八蛇家に出入りしている見慣れた退魔師だ。
『お袋の差し金か…!』
『そういうこと。
正々堂々と戦える1対1の場を作ってやったんだから感謝しなさい。』
ここまで証拠が揃えばキバも納得するしかない。
キバは感謝の言葉こそ延べなかったが、代わりに睨みつけるように見つめて返答する。
『伏兵の全員が立ち去るのを見届けたら僕らは車で待機するよ。
君が勝利して戻ってくるのを信じているよ。』
姉として人として絶対に止めなければならないと語っていた那由多が藍にそう告げて立ち去っていく。
那由多の心中は穏やかではないだろう。
藍は心の中で那由多に礼を言う。
『藍、こないだはああ言ったけど無理しないで。
まずは藍の安全が最優先よ。
お願いね。』
杏樹が念を押して藍を見つめる。
藍が静かに頷くと杏樹は少し名残惜しそうにゆっくりと立ち去っていく。
杏樹達を見送ると、藍は刀を抜いてキバに向き合う。
『では、始めましょう。』
『おう。』
明確な開始の合図はない。
強いて言うならどちらかに隙が出来た時が開始の合図だった。
間合いを調整しようと藍が足を動かした瞬間、キバが飛び込んできた。
キバの小手切りを防ぎながら藍は後退していく。
力で勝負すれば藍が負けるためどうしても後退せざるを得ない。
キバは追撃を重ねて押し切ろうとするが、藍が反撃の兆しを見せるとすぐに足を止める。
その間合いはキバが選んだ有利な間合いであり、一見すると藍の劣勢は続いている。
しかしキバの心中は焦りがあった。
結局のところ攻撃が当たっていないのだから有利が続いても意味がないのだ。
むしろ激しく攻めている分だけ自分の方が体力を消費しているとさえ言える。
有利な状況で勝てないのだからいつか覆されると恐れていた。
先日の相打ちはキバの心にも傷を負わせていた。
周囲の人々と語り合って悩みを乗り越えた藍と相談する相手のいないキバで差が生じていたのだ。
焦りは攻撃性となりキバは恐怖を振り払うように刀を振る。
藍は確実に攻撃を防ぎながらキバの目を見つめる。
やがて深く切り込んできたキバの一撃に敢えて合わせて鍔競り合いの形に持ち込む。
鍔競り合いの中で藍はハッキリとキバの目を見つめる。
(…鬼気迫るものがありますね。
でもそれが力にならず足かせになってる。)
負けじとキバも藍を睨みつけるが、藍は塩対応で刀を後ろに流して鍔競り合いを終わらせる。
藍を睨む事に集中しすぎて力みすぎていたキバは躓きながら藍の横を通り抜ける。
信じてくれた家族の為にも必ず勝つと意気込む藍と、家族が犠牲になるかもしれないと言う不安が重荷となっているキバ。
家族を想う気持ちは同じなのだが、2人が与えられる影響は真逆だった。
だが、それでもキバには勝算があった。
負けるはずがないとすら奢っていた。
(どうせ屍棄が決まれば一発でおしまいだ!)
キバは一気に踏み込んで強引に攻め込む。
(…屍棄が来る…!)
強引に攻め込んできたキバの意図を藍は察する。
多少の隙が生まれても、そこに藍が反撃してきたならば屍棄で吹き飛ばせばいい。
あるいはこのまま攻め込んで藍がバランスを崩したところに屍棄を叩き込めばいい。
要するにこれで詰みだとキバは油断しているのだ。
藍に対抗手段があるとは考えていない。
あえて反撃する事もなく藍は攻撃を防ぎ続ける。
反撃する事もなく防ぎ続ける藍はやがて劣勢に陥っていくが、藍がそのような選択をした意図をキバは考えない。
藍が何をしようとも屍棄を放てば必ず勝てるはずだからだ。
前回のような不思議な能力を藍は発動していない。
まして今のキバは2連続で屍棄を放てるのだ。
『おらぁああ!!』
キバが体当たりのように刀をぶつけ、藍は後ろへ弾き飛ばされる。
『もらったぁ!!』
キバは刀を立てると柄の先端を叩く。
『屍棄!!』
キバの刀が瞬く間に赤く染まり漆黒の霊気が湯気のように吹き上がる。
勝利を確信するとキバは全速力で踏み込んでくる。
『これで終わりだぁ!!』
(…やっぱり来た!!)
藍は体勢を崩しながらも刀を下に向けて柄の先端に手を当てる。
『散華!!』
その瞬間、藍の刀が青白く輝き白い霊気が湯気のように吹き上がる。
『なにぃ!!?』
『やぁぁっ!!』
双方の刀が激しくぶつかり合う。
衝撃に耐え切れず2人とも激しく吹き飛ばされ、互いに空中で姿勢を制御して地面に着地する。
散華の存在を知らなかったキバは激しく動揺しており、藍はこれを好機を考えてすぐさま反撃に打って出る。
『はぁぁぁあ!!』
『まずい!!』
藍の不思議な能力は屍棄と同等であると判断し、焦ったキバは屍棄を使うと言う安易な防御手段を選択する。
藍が散華で反撃してくると考えたのだ。
屍棄はデメリットの多い危険な物であると教えられた藍と、一撃必殺の技であると教えられたキバで決定的な差が生じた。
『屍棄!!』
『えっ!!?』
キバが屍棄を発動したので藍はすぐさま足を止める。
『なっ!!?』
藍が足を止めた。
すなわちこのままではキバの屍棄は無駄打ちとなる。
『くっそがぁああっ!!』
キバは慌てて踏み込み刀を横に振ったが、藍はバック宙返りで攻撃を回避する。
藍の立っていた背後の樹々が次々と切り倒される。
その破壊力に怯えながらも藍は勝利を確信する。
キバにはもはや屍棄がない。
(後は通常通りに戦って…)
散華は迂闊に使うべきではないという教え通りに散華を使わない選択を藍は選ぶ。
だが、藍花が青白く輝きだし散華の発動を促す。
(!?
…うん、貴方を信じる!)
藍花が散華を希望した事に驚いたが、藍は愛刀の判断を信じる事にする。
藍は宙返りをしたまま刀を鞘に納める。
太刀花の剣士として藍は未熟であり、数ある型の中で一人前と認められているのは居合の型だけである。
つまり藍にとって最も強力な一撃は居合斬りなのだ。
本来であれば一度抜いた刀を戦闘中に納める必要はないが、散華と言うシステムを活かすためには正しい判断と言える。
『散華!』
宙返りのまま刀の柄を叩いて散華を発動させる。
そのまま地上に足を付けると同時に顔を挙げてキバを見据える。
キバはいまだ攻撃の姿勢のままだ。
『駆け風凛(かけふうりん)!』
藍は大地を蹴って一気に間合いを詰める。
嵐が考案した居合の型の奥義、姿勢を低くして全速力で敵に突撃しながら斬り裂く大技だ。
だが藍は自分の速さに驚いてしまう。
散華の効果による影響なのだろう。
たった一歩踏み込んだだけで自分が風にでもなったのかと錯覚するほどの長距離を一瞬で移動をしている。
速すぎる速度のまま斬り裂いた一撃は鋭い風を起こし周囲数十メートルの空間を斬り裂く。
自分が移動した軌跡は突風を巻き起こし周囲を揺らしている。
キバは散華を屍棄で防ごうとしたようだがあまりの速さに発動どころか防御も間に合っていない。
藍はキバを斬るつもりはなく霊気をぶつけてキバの霊気だけにダメージを与えるつもりだったが散華の破壊力に最悪の事態を想像してしまい青ざめる。
キバを殺してしまったかもしれない。
まだ勢いの止まらぬ藍が後ろ振り返って確認すると、キバは血を吹き出す事なく前のめりに倒れる。
肉体に損傷があれば血液が飛び散るはずだ。
キバは霊気を失って気絶した。
上手く霊気だけを斬れた事に藍は安堵すると藍花を鞘に納める。
藍花は最後に一度だけ優しく光るといつもの姿へと戻るのだった。
(私に散華の凄さと恐ろしさを教えるためだったのかな…。)
藍花の選択を好意的に受け取る。
少なくとも藍花は散華の反動で自分が傷つく事をいとわなかったのだ。
周囲には静寂が訪れる。
考えるべき事は山ほどあるのだが、今はそんな気分にはなれない。
キバをこのまま山に放置するわけにはいかないので、藍は車内で待つ兄達に連絡を取る。
大きく息を吐くと腕の力を抜いて空を見上げる。
周囲に灯りがほとんどなく、夜空には数多くの星が瞬いている。
このような美しい夜空を見上げる事は出来ているのは幸運だと言っても過言ではない。
最初に屍棄を見た時、負ける確率の方が圧倒的に高かったのだから。
これからもこのような戦いが続くと思うと流石に分が悪いと感じる。
それでも自分で決めたのだから覚悟を決めるしかない。
幸いにして自分1人だけで戦うわけではない。
仲間で分担すれば何とかなる気もするのだった。
(…うん、みんなが見守ってくれて…私には仲間もいる…。)
藍は自分を鼓舞するように言い聞かせる。
今までは太刀花家と八蛇家の戦いだった。
これからは私達と八蛇家の戦いが始まるのだ。