放課後は退魔師   作:アフロダイB

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杏樹の初恋

 

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陽射しは暖かく空気は涼しく、小鳥さえずる穏やかな朝。

太刀花家はいつものように早朝稽古のため全員が庭に集まる。

 

『おはよう杏樹!

今日も元気か!』

 

『…あ、おはようございます。』

 

兄達が元気よく声を掛けるが、杏樹は返事だけを済ませるとすぐに藍の背中に隠れてしまう。

八蛇杏樹が家出を決行し、藍との大立ち回りの後に太刀花杏樹と改名してから一か月が過ぎたが、彼女はいまだに藍以外には心を開いてはいなかった。

 

『学校でもこんな感じか?』

 

腰をかがめて叔父が藍にこっそり耳打ちする。

 

『そうですね。

私と私の友達が間に入っていますがクラスには馴染めていないと思います。』

 

藍の姉と言う事もあり最初こそはクラスメイトが声を掛けてきたが

杏樹のとっつきの悪さにみんな諦めて声を掛けなくなってしまったのだ。

 

『お姉様にその気が無い事が問題ですのでこればっかりは…』

 

友人を作るも作らないも本人の自由なのだとフォローしたが叔父は首を振った。

 

『杏樹も一人が好きというわけではなかろう。

恐らく他人との接し方がわからんのだ。』

 

言われてみれば友人に会いに行く私の後ろには付いてくるのだから本人も変わろうと努力はしているのだ。

杏樹は親の方針でこれまで友人を作ってこなかったと聞いている。

叔父の言うように他人との接し方がわからないのだろう。

 

『父上、やはりあの件を考えておくべきでは?』

 

『そうだな、その話は後にしよう。…稽古に入るぞ。』

 

兄が叔父に告げた件が気になるが、教えてくれなかったのだから自分に出来る事はないのだろう。

藍は杏樹の事を切り替えて稽古に集中する事にした。

 

 

 

稽古を終えると藍と杏樹はすぐにシャワーを浴びて朝食を済ませる。

そのまま制服に着替えると藍は学校周りの掃除のため一足早く登校する。

委員会活動というわけではなく藍が自主的に行っている事である。

 

従って遅れて家を出る私こと杏樹は一人で登校する事になる。

太刀花町は小さな街であり必然的にご近所付き合いも深いため、一人で登校している者はほとんど見当たらない。

私も最初は少しだけ惨めにも感じたが今となっては慣れたものである。

元より私には地元でも友達はいなかったのだから。

 

私が教室に入っても話しかけてくる者はいない。

いじめられているわけではなく、お互いに用事がないだけなのだから気にする必要はない。

私は無言で自席に座り授業の開始を待つ。

 

しばらくすると担任教師が教室に入ってくる。

いつも通りの光景だが今日は少しだけ様子が違った。

 

『今日からこのクラスに通う転入生を紹介する。』

 

教師の号令に合わせて男子が入室してくる。

転入生ではあるが、私はその顔に見覚えがあった。

向こうも私の存在に気付いたようだが特に挨拶もしない。

彼は前の学校では同じクラスだった少年だ。

だが、さっきも言ったが私は友達がいない。

目の前にいる転入生も顔見知りなだけでロクに話をした事もないのだ。

 

『安藤 猛(あんどう たける)です。

宜しくお願いします。』

 

休憩時間になると転入生は早速クラスメイト達の質問責めに合っていた。

 

『前の学校でのクラスメイトですか。

また同じ学校に通うなんて凄い偶然ですね。』

 

特に意味はないが藍にだけは話しておいた。

何かを期待していたわけではなく、本当に何となくの世間話だ。

 

『安藤さんはどういう方なんですか?』

 

『見ての通りよ。

見た目が良くてサッカー部のエース。

人気者で女子からも好かれてたわ。』

 

要するに私とは真逆の存在だ。

彼はきっとここでも同じ位置に収まるだろう。

私がここでも同じ位置に収まったように。

 

『…人気者…ですか?』

 

藍が不思議そうな顔をして安藤を眺めている。

その意味に私は気付く事なく、気だるげに机に頭を預けるのだった。

その日、クラスメイト達は安藤の歓迎会と称して街に繰り出したらしい。

らしいと言うのは、当然の如く私は参加しなかったからだ。

 

 

それから数日後。

この日の私は養父の指示で放課後にすぐ家に戻った。

友人を気にする事なく直帰できるのはぼっちの特権である。

私は割と好きでぼっちでいるのだ。

 

『今日はお前に友達を作ってやろうと思ってな!』

 

豪快な養父が豪快に嫌われるように豪快に余計なお世話を焼いてきた。

藍にアフロダイBがいるように私にも式神というお目付け役が付けられるらしい。

これは単純に娘たちの身を案じての措置なのだが、私の場合はぼっちである事を案じられて式神を与えるようだ。

自分で召喚した式神を友達にするのは引き籠り感が倍増する気がしないでもないが私に拒否権は無さそうだった。

ちなみにどんな式神が来るかはわからない。

友達と言われても、召喚された式神が意思疎通が取れる相手かもわからないのだ。

 

養父に召喚の儀式について説明を受ける。

式神も無限に喚べるわけでもなく、貴重なリソースを私に使ってくれるのだから雑には扱えない。

正直あまり気は進まないが言われるままに儀式を進めていく。

長々とした難しい詠唱を終えると召喚の陣から光が放たれる。

やがて光が収まりゆっくりと目を開くと、目の前には私よりもさらに幼い印象を受ける小さな女の子がいた。

とはいえ、式神なのだから女の子と言っていいのかはわからない。

狐のような耳と尻尾も付いているし少なくとも人間ではないだろう。

 

『召喚に応じてくれてありがとう。

私は太刀花杏樹。

アナタのお名前は?』

 

主人の務めとして私から声を掛ける。

 

『…翠(スイ)』

 

狐耳の小さな少女はボソッと小さな声で答えた。

彼女からは私以上の陰キャを感じる。

 

『おお、妖狐の女の子が来たかー!

これはちょうど良かったわ!』

 

妖狐(ようこ)

長く生きた狐が妖力を手にして妖怪化した存在。

人間をたぶらかしたり、人間の姿に化けたりすると考えられている。

特に強大な力を持つものは一国を傾けた事もある。

個体差による妖力の幅が広く、個体によっては妖怪の中でも最強クラスとなる。

 

養父が翠を見て嬉しそうに大声を挙げる。

私に友達を作ると言う本来の目的にピッタリの式神が現れたからだ。

私としてもこれから一緒に暮らすのだからどこかのアフロみたいな珍妙な動物が現れるよりはよっぽど良いと思う。

 

(…まぁ可愛い子だし、私も仲良くしたいな。)

 

ともかく悪くない結果だ。

別に寂しいわけじゃないがこれから一緒に暮らすのだから円満な関係を築きたいと思う。

 

『…(ぺこり』

 

などと考えていると、そんな私の考えを読んだかのように翠が小さく頷く。

?何の頷きだろう?

前後の会話を思い返してみるが、私に頷いた理由が思い当たらない。

…まさかとは思うが私の考えている事に返事をしたのだろうか。

 

『…(コクコク』

 

無表情のまま翠が首を2回縦に振った。

あてずっぽうで導いた答えではあったが間違いないようだ。

 

『…凄い、心が読める式神なのね…』

 

『なっ!?心を!?』

 

無表情な翠とは裏腹に養父達は何故か慌てている。

何かやましい事があるのかな、あるよね大人だし。

 

『凄いな杏樹!

敵の心を読める式神なんてほとんど無敵に近いぞ!』

 

兄の一人が嬉しそうに私の両肩に手を置く。

嫌なわけではないのだが少し恥ずかしいので軽く振り払う。

 

『…(ふるふる』

 

翠が首を横に振る。

どうやらなんでもかんでも読めるわけではないと言いたいらしい。

それにしても無口な子だ。

 

『なるほど。

読心に抵抗力のある敵からは読めんのだろう。』

 

『でも主人と以心伝心できるだけでも戦闘時に非常に有効な能力では?』

 

『どこまで読めるか次第だな。

翠、試しに今の杏樹の気持ちを言い当ててみてくれんか?』

 

兄の一人が厄介な指示を出すと、翠は大きな眼で私の目を見つめる。

あまりにマジマジを見つめられるので、全てを見透かされているかのように錯覚してしまう。

とはいえ心を読むだけなら適当な事を考えていればいいだけだ。

私は今夜の夕飯について考える事にしたのだが…

 

『兄さんごめんなさい。

嫌じゃないけど子ども扱いされるのが恥ずかしい。

もっと大人の女性みたいに扱って。』

 

『ちょっ!』

 

変な声が出てしまった。

いきなり何を言い出すのこの子!?

私は夕飯の献立を考えていたのに、彼女は私の心理状況を私以上に的確に説明し始めた。

慌てて止めようとしたが彼女は止まらない。

 

『いつも話しかけてくれるのは嬉しい。

でもまだ怖くて上手に話せない。

本当は優しいお兄さんがいっぱいできて嬉しい。』

 

叔父と兄達がこっちを慈しむ目で見てきていたたまれない。

 

『いつもそっけない態度だったが本当はそんな風に思っていたのか。』

 

『安心しろ、兄ちゃんがこれからも優しくしてやるからな。』

 

案の定、余計な事を言い始めた。

 

『ちょっとあなた!こっち来なさい!』

 

いよいよ居心地が悪くなったので、私は翠の手を引っ張って屋敷を飛び出していく。

 

『あ、お姉様どちらへ…』

 

『付いてこないで!』

 

察して付いてこようとする藍を怒鳴りつけ、私は翠の手を引いて2人だけで外へ飛び出していく。

 

 

 

 

 

『あなた何なの!?

他人の気持ちを勝手に代弁して…!

私に恨みでもあるの!?』

 

『…聞かれたから答えた。』

 

胸ぐらを掴む私を翠は興味なさげな瞳で真っ直ぐとこちらを見つめる。

 

『聞かれたからって私の気持ちを勝手に喋らないで…!』

 

私の訴えに翠は無感情に頷く。

その反応で気付いてしまう。

翠には悪気も何もなく、ただただわからなかったのだろう。

主達の言う事を聞いたら怒られたので、とりあえず私の気持ちは言わないようにする。

そんな感じの返事だ。

 

(…私と同じよね。)

 

自虐してしまう。

私も普通に育てられていないから普通の人の気持ちがわからない。

だから心を閉ざしてしまう。

翠もそうなのだと思う。

人間じゃないのだから人間の気持ちや考えがわからないのだ。

これからは人の世界で暮らすのだから私が教えなければならないが、人の気持ちがわからない私がどこまで教えてあげられるのだろうか。

 

『…ちょっと散歩してくるわ。』

 

翠の胸ぐらから手を離すと私は背を向けてゆっくりと歩きだす。

一人になりたいが行く当てがない。

それはまるで私の心のように、行く当てがないからいまいち前に進まない。

 

特に落ち込んでいるわけでもないのにトボトボと歩を進める私の前に川沿いでボーッと立ち尽くす少年の姿が目に映る。

それは安藤だった。

話しかけないように立ち去ろうとしたが、向こうが私に気付いたので無視するわけにはいかない。

私は仕方なく挨拶だけ済ますことにした。

 

『こんにちは。

珍しいわね、アナタが一人だなんて。』

 

彼はいつも人に囲まれていたので、特に悪気もなくそう話しかける。

恐らくはこっちでもすぐに人気者になって今日もクラスメイトと行動しているものと思っていたのだ。

 

『…こっちには誰もいねーからな。』

 

不貞腐れたように、そしてすがるように私にそう呟く。

 

『?誰も?』

 

『山下も、杉浦も田村も青野も立松も。

俺の好きなやつらみんなみんなここにはいねーもん。』

 

安藤は苛立った声で捲し立てるように言い切る。

 

『アナタ向こうでは人気者だったでしょ。

こっちでも友達を作ればいいじゃない。』

 

『無理。

俺のダチは向こうにいる。』

 

置いてきた友人への想いが強すぎて本当に不貞腐れていたらしい。

そのまま彼は不平不満を勝手に語り出し、私も暇だったので話に付き合う事にした。

父の浮気がきっかけで両親が離婚し、母が親権を獲得したため母に付いてきた。

離婚を期に母は都会にいる必要が無いと判断して地元に戻ってきたらしい。

だが彼は太刀花町に引っ越してきたことが不満らしく、その態度が表に出てしまいクラスメイトとケンカになってしまった。

サッカー部も入部だけはしたが、部内にクラスメイトもいるため上手く行かないらしい。

 

『どうして私にそんな事を話すの?』

 

『だって杏樹は仲間じゃん。』

 

彼が孤独に陥った事で、私は同じ土地に住んでいたと言うだけで彼の仲間に昇格したらしい。

向こうでは話をした事がなかったのに。

 

(…まぁ嫌じゃないけど…。)

 

正直な所、ぼっち仲間が出来た事が少し嬉しい。

 

『ここに住む人たちは郷土愛が強いからね。』

 

『…こんなとこ最悪じゃん。

遊ぶ場所もねーし、店は小さいし設備は最低限だし。』

 

私としては元々引き籠りだったので向こうもこっちも暮らしはほとんど変わらないが、彼の不満はかなりの物のようだ。

 

(…親の都合に振り回されるところは同じかな…。)

 

そう思う事で少しだけ親近感が湧く。

彼のような人気者でも状況が変わればこのようになるのだ。

自分で周囲に壁を作っていただけで、自分はそんなに変わり者じゃないのかもしれない。

 

 

 

この日を境に、私と安藤はよく話すようになった。

どこかに遊びに行くわけでもなく、学校で会って休憩時間に話して放課後に一緒にゲームをしたりする程度だが私にとって初めての友達かも知れない。

私達の仲についてクラスメイト達があれこれ噂している事に少し苛立ったが、それ以上に楽しい気持ちが勝っていた。

 

『よぅし、勝てたぁ!ナイスゥ!!』

 

『ないすー』

 

スマホゲームの強力プレイで強敵を倒しハイタッチする。

彼のこういうノリも最初は照れ臭かったが今では慣れたものである。

何よりもハイタッチした後の彼の笑顔を見るのが楽しみでもあった。

人を不幸にするしか能がないと思ってた私が誰かを笑顔にさせている。

更に言えば、今この街で彼を笑顔にさせられるのは私しかいない事が誇りになっていた。

気付けば私はプレゼントを用意したりゲームの練習しておいたり、彼が喜びそうなことをするのが楽しみになっていた。

 

『お姉様、それは恋では?』

 

恋をしたいお年頃の藍がそんな事を言う。

 

『ううん、そういうのじゃないよ。』

 

照れ隠しではなく本心だ。

私は彼を喜ばせたいだけであって恋人になりたいわけではない。

私の中の善性がそうさせるのか、あるいは同情心か仲間意識か。

彼を救う事で自分を好きになろうとしているのかもしれないが、結局は自分でもわからないのが本音だ。

 

『恋ってもっと…顔を赤らめたりキスしたくなったり、そういうのでしょ?』

 

『それはまぁそうなんですが、恋には色々な形があると思うんです。』

 

とにかく恋と繋げたいのか藍が食いついてくる。

クラスメイトと言い妹と言い、同じ年頃の女子のこういう所は苦手だ。

そんなんじゃないってば。

 

その日の夜、何故か眠れなくて深夜に起きてしまった。

昼間の藍の言葉を何度も考え直してみたがやはり結論は同じだった。

私は彼に特別な好意は持っていない。

じゃあ彼への原動力は何だろうと言われると…わからないのだ。

夜風にでも当たろうと暗い廊下を通り抜けて庭に出ると、月明かりで先客がいた事に気付く。

 

『…』

 

翠は何も言わずこちらを見ている。

 

『あなたも眠れないの?』

 

私の問いかけに翠は首を横に振る。

じゃあどうしてここにいるのだろう。

多少は気にはなるが、どうしてもというほどでもないので聞かない事にした。

 

『私は少し気になる事があってなんだか寝付けないの。』

 

人と思考回路が違う翠に話しても仕方ない事かも知れないが、式神とのコミュニケーションは大切だと養父にも言われている。

私は今の素直な気持ちを翠に話してみる事にした。

 

『というわけで私は恋をしてるわけじゃないのよ。』

 

私の言葉に翠は小さく頷く。

 

『妖狐も一緒。』

 

珍しく翠が言葉を発する。

 

『一緒ってどこが?』

 

『気持ちがいっぱいあるとこ。』

 

要領を得ないが翠なりに一生懸命に伝えようとしているので待つ事にする。

 

『怒るのも愛、守るのも愛、教えるのも愛、愛ってたくさんで形もそれぞれ。』

 

例えば太刀花家の兄達は藍を愛しているが、女性としてではない。

翠が言いたいのはそう言う事だろう。

 

『愛と言う言葉に踊らされないで、素直な気持ちで接すべき。』

 

『素直な気持ち…』

 

胸に響いたせいか思わずオウム返ししてしまう。

今にして思えば私の兄弟達にも愛はあったのだろうか。

長男は私をいやらしい目で見る気持ちの悪い兄だったが、なんだかんだで気を掛けてくれていたと思う。

下の弟と妹は最後に私に会いに来てくれた。

母も親としては最悪だったが本人なりに自分の感情に折り合いを付けながら最善を尽くしていただろう。

 

『愛って言葉は曖昧もこ。

翠も勉強中。』

 

そう言うと翠は屋敷内へと戻っていく。

 

(愛ってたくさん…かぁ…)

 

星明りと虫が鳴くだけの静かな世界に残された私は、一人で夜空を見上げながら考える。

彼への想いは愛の一種なのだろうか。

そもそも私は楽しいから一緒にいるだけで、本当は彼の事をどうとも思っていないのではないか。

そんな風に様々な考えがグルグルと回る。

ふと、私は麓にある街を見下ろす。

家の灯りはほとんど消え、街灯だけが街を照らしている。

たくさんある家の中では、誰かがこんな風に誰かの事を考えて眠りに付いているのだろうか。

 

(私がこんな…普通の人らしい事するなんて…)

 

私達は普通じゃない。

壊れている事を受け入れている。

そんな風に言った弟たちの事を想う。

 

(お姉ちゃんは普通の事が出来るようになったよ。)

 

…別れを告げた家族達への想いも愛と呼べるのだろうか。

そんな事を考え続け、やがて疲れた私は自室に戻り静かに眠りにつくのだった。

 

 

 

それからしばらくの月日が流れた。

私と安藤の仲は深まっていき、放課後だけでなく家に帰ってからも通話で色々と話すようになった。

これはもう、私はぼっちではなくなったと言ってもいいだろう。

彼と過ごす時間は楽しかった。

だがそんな私とは裏腹に彼の方はストレスが溜まり続けているようだった。

彼の言葉からは不満も多く、相変わらずクラスメイト達とも折り合いがつかない。

当然だが私一人だけでは彼の不満を解消しきれないようだ。

 

そんなある日、スーパーで買い物をしていた私は思わぬ人物から声を掛けられる。

 

『八蛇杏樹ちゃん?』

 

捨てたはずの旧姓で呼ばれ、驚いて振り返るとそこには機嫌の良さそうなおばさんがいた。

ニコニコしながら手を振っている。

ごくごく普通の主婦だ。

どうやら敵ではないらしい。

が、人見知りの私にとって覚えのない大人は脅威である事に変わりはない。

 

『…あの、どこかでお会いしましたか?』

 

買い物かごを両手で持ち上げ、なんとなく防御のような形を取って質問するとおばさんはさらに上機嫌になる。

 

『やっぱり八蛇杏樹ちゃんね!

とっても可愛い子だったから覚えてるわ。

引っ越したって聞いてたけどこんな所で会うなんて偶然ね。

私は安藤猛のお母さん、思い出した?』

 

矢継ぎ早に語り掛けられた。

どうやらおばさんは安藤の母らしい。

言われてみれば自分にも見覚えがある。

確かPTAの偉い人で運動会とかで見た覚えがある。

 

『猛君にはいつもお世話になってます。』

 

今までは社交辞令でしか言わなかった言葉だが、今は正しく使えた気がする。

もっともお世話をしているのは自分の方だと思うが。

 

『私が言うのも何だけど、この街に引っ越すなんて珍しいわね。

親戚でもいたの?』

 

挨拶だけして立ち去りたかったがそうはいかないらしい。

世間話が始まってしまったので私は観念して質問に答える事にした。

 

『そんな所です。

向こうは居づらかったから、今はその親戚の家で暮らしています。』

 

『そうなの。

でもこっちに引っ越してきて良かったわね。

ここは良い街だもの。』

 

おばさんは上機嫌に語る。

なんだか太刀花町に詳しいような語り草だ。

息子の心労も知らずニコニコ笑っているおばさんに少し苛立ちを覚えた私は踏み込んだ質問をする。

 

『おばさんはどうしてこの街に来たんですか?』

 

私の質問におばさんは少しだけ困ったする。

離婚だとは子供には言えないから言い回しに苦労しているようだ。

 

『おばさんは太刀花町で生まれ育った人間なの。

高校を卒業してから都会に行ってたんだけど地元が懐かしくて帰ってきちゃった。』

 

そう言うとおばさんは私ではなく通りすがりの違う人に手を振る。

なるほど、ここには見知った顔も多くおばさんにとっては楽園らしい。

先程からひっきりなしに通行人に挨拶をしている。

 

『やっぱり太刀花町はいいわね。

みんな優しくて暮らしやすいわ。

杏樹ちゃんもそうでしょ?』

 

屈託のない笑顔でそう言われる。

まぁ少なくとも私にとってもそうではあるのだが…

 

『はい。

杏樹はここに引っ越してきて暖かい家族に囲まれて幸せです。』

 

対大人ウケモードを発動させる。

イザと言う時は周囲を味方に付けて戦うように仕込まれたのが私だ。

大人に取り入るのは得意中の得意である。

 

案の定わたしの素直な子供らしい態度におばさんは上機嫌になる。

どうだ、可愛いだろう。

 

『あ、でも一つだけ悩んでる事があるんです。』

 

『あら、悩みって何かしら?

おばさんで良ければ聞いてあげるわよ。』

 

おばさんは少し屈んで私に目線を合わせる。

さぁ私のターンだ。

私は強烈なカウンターを喰らわせてやることにした。

 

『猛君が全然笑ってくれないんです。

杏樹、一生懸命お喋りしてるんですけどいつも不機嫌で。

学校でも誰とも遊んでないんです。』

 

おばさんが真顔になるが、この程度で許す気はない。

私はさらに畳みかける。

 

『それで杏樹は思っちゃったんです。

杏樹じゃ猛君の向こうのお友達の代わりは出来ないのかもって。

友達ってとっても大切ですもんね。』

 

『…え、あ…?えっと…』

 

住み慣れた故郷を離れていたあなたなら猛の気持ちがわかるでしょ。と、遠回しに言ってやる。

先程まで上機嫌だったおばさんが狼狽えている。

理解しろ。

あなたは子供の気持ちを考えず自分の都合だけを考えた母親失格の女だ。

 

(親の気持ちを優先して子供を見失った罰よ。)

 

自分の母に出来なかった分をおばさんにぶつけているのだろうか。

苛立ちの根本的な原因が自分でもわからないが、私は無邪気を装って立て続けに追い詰める。

 

『おばさんなら猛君の気持ちもしっかり理解できて、お家で支えてあげてるんだろうなぁ。

杏樹もおばさんみたいな立派な大人になりたいです。』

 

おばさんは思い出しているのだろう。

猛が家でも笑っていない事に。

息子が最後に笑っていたのはいつだったかを。

 

『きっとおばさんの前では猛君はいつも笑ってるんですよね?

おばさん教えてください。

猛君ってどうやったら笑ってくれるんですか?』

 

無邪気な笑顔で、頭の中では怪異に超必殺技を叩き込むほどの勢いでおばさんにとどめを刺す。

とどめを刺されたおばさんは青ざめながらもかろうじて体裁の整った挨拶を済ませて立ち去っていく。

 

(いい気味だわ。)

 

この出来事が私にとっての大きな分岐になる事をこの時は気付く由もなかった。

 

 

 

ある日の夜、藍と凜と私は3人で夜の町を歩いていた。

 

『いました。憑依体です!』

 

憑依体(ひょういたい)。

なんらかの霊が取り憑いて人の体を動かしている状態を指す。

目的意識を持っている事はほとんどなく、久しぶりに取り戻した肉体の感覚を存分に味わうかのように暴れまわる。

 

天を仰ぎ見るようにフラフラと歩いていた男は、こちらを認識するとすぐさま襲い掛かってきた。

そう、これは退魔師としての活動の一環である。

 

『…やぁっ!』

 

敵の攻撃を刀で横に弾く。

憑依体は脳のリミッターが解除されており尋常じゃない腕力を発揮するので、攻撃を横に弾いただけでも強い衝撃が加わる。

持ち主の身体もタダでは済まないだろうから手早く終わらせなければならない。

 

『お姉様、お願いします!』

 

藍が裏に回り込んで斬りかかる振りをする。

藍は囮で本命は凛だ。

凛は静かに、されど素早く詠唱を唱えながら無手で敵に側面から近づいていく。

 

憑依体とは人間の身体に悪しき災いが憑りついたものなのだから、身体は被害者の人間なのだ。

つまり倒すべきは身体ではなく災い本体である。

 

『出ていけぇっ!!』

 

凛の両手での掌打が決まると憑依体から黒いモヤモヤが飛び出してくる。

詠唱にも今の一撃にも何か特別な効果があるわけではない。

詠唱で自分と被害者を鼓舞しつつ憑依体を脅し、そして憑り付かれた人間に衝撃を加えて意識に呼びかけたに過ぎない。

要するに凛と被害者の気合で敵を追い出したのである。

便利な特殊能力のない私たち人間が編み出した憑依体の攻略方法の1つがこれなのである。

 

『ほい、おしまい!』

 

飛び出したモヤモヤに札を投げつけ、刀で札ごと壁に突き刺す。

モヤモヤは札に吸い込まれるように消え去った。

 

『凜お姉様、お見事です。』

 

納刀して藍が駆け寄る。

 

『まぁね。

でもこのくらいそろそろアンタらも出来なきゃダメよ。』

 

憑依体ごと斬り裂くのならば自分達にも出来る。

ただし今のように人間を傷つけずに憑依体だけを倒すとなると難しい。

私達程度の気合じゃ憑依体にドスが効かないのだ。

憑依体が出て行ってくれないし、被害者も私達のような小娘の呼びかけでは勇気が湧かず立ち向かおうという気にならない。

これは凛の実力によって裏打ちされた確固たる自信あっての技である。

なんだかんだ言って凜は凄い。

3歳差ではあるが彼女はもう一人前で大人なのだと改めて思い知らされる。

その差はやっぱり…

 

『…愛を知ってるから?』

 

『はいぃ?』

 

思わず口に出てしまった言葉に凜がひどく間の抜けた声で聞き返す。

 

『杏樹、アンタまさか恋をしてるの?』

 

面倒な事になりそうなので逆に聞き返す。

 

『聞いたのはこっち。

凛は誰かに恋をしているの?』

 

『うっ…そ、それはぁ…』

 

凛が目を逸らし人差し指を突き合う。

これは好きなやつがいるわ。

そんな凜に助け船を出すかのように藍が話を割ってくる。

 

『それよりもお姉さま方、憑依体は今ので最後だと思いますか?』

 

退魔師組合からは憑依体の出現を確認したとしか報告されていない。

それが何体であるかはわからないのだ。

 

『んー…コイツらって誰かに憑りつくまではわかりづらいからねー…。』

 

凛がそう言うなら私達にはどうしようもないだろう。

今のが最後であったことを祈るしかない。

 

『現実に嫌気が差してたり強いストレスを抱えてる人間。

要するに心に隙のある人間に憑依体は憑りつきやすいからそう言う人がいたら注意して。』

 

凛がそう言い終えると私達は軽く身支度をしてこの場を後にするのだった。

 

 

 

それから数日後。

安藤とクラスメイト達との確執はかなり深くなってきていた。

藍や友人達がフォローする事でかろうじて争いになっていないが、時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。

 

『別に彼を無視してるわけじゃないよ。

ただ用事がないだけ。』

 

先日、藍の説得にクラスメイト達がそう返していた。

ハッキリ言えば無関心を装うのが最善と言う最悪の状況なのである。

だが同じ教室にいればそういうわけにもいかない。

そして、ついに決定的な事件が起きてしまった。

 

この日の朝、藍は学校の制服に袖を通さず仕事着に着替えていた。

理由については私が聞く前に藍の方から事情を説明してくれた。

 

『今日は叔父様のお仕事をお手伝いしますから、私は学校をお休みしますね。』

 

『私は手伝わなくていいの?』

 

養子になったとはいえ居候のような居心地の悪さは抜けきっていないので自ら手伝いを申し出る。

 

『結界を維持するだけだそうですから大丈夫です。

太刀花式の結界はお姉様は知らないでしょうし。』

 

結界を維持するだけなら私でも出来るが、太刀花式の結界を藍よりも慣れてると言う事はないだろう。

妥当な判断なので大人しく納得する事にする。

 

『ですので今日はお姉様一人で学校に行ってください。

大丈夫ですか?』

 

『大丈夫に決まってるじゃない。

子供じゃないんだから。』

 

嘘です子供です気を使ってアンタの友達が話しかけて来たら一人で受け答えなんて間が持ちません。

などとは言えないので優雅に2人を見送る。

 

とは言え、登校してみれば意外と大丈夫だった。

そう、今の私には安藤がいるのだ。

彼と喋っていれば誰も話しかけてこない。

一日平穏に過ごせるかと思ったが、事件は午後の文化祭の準備時間中に起きた。

 

『俺、文化祭に参加しねーから。』

 

気を使って文化祭の準備に誘った級長に対し、安藤が言い放った言葉だった。

この言葉がきっかけとなってクラスメイトの不満が爆発する。

 

『ちゃんとやれ!

学校行事だろーが!』

 

『授業じゃねーだろーが!

そもそも休んで何が悪いんだよ!

そういう田舎特有の同調圧力が鬱陶しいんだよ!』

 

特に安藤と仲の悪い男子が声を荒げ、安藤も言ってはいけない言葉を言い放つ。

 

『あの、ちょっとお互い落ち着いて…!』

 

『ごめんあたしらも無理。

級長がずっと気を使ってるのに何の感謝もないじゃんコイツ。』

 

級長が必死に引き留めるが女子も参戦してくる。

これはもうダメだと私は小さく溜め息をつく。

 

『はぁ?頼んでねーし!』

 

『人としてどうかって話してんのよ!』

 

安藤も負けじと応戦するが女子も加わりクラスメイトのほとんどから責め立てられ安藤は言葉に詰まっていく。

 

(もうその辺で…)

 

と、仲裁してやりたいがコミュ障の私には無理というもの。

安藤がだんだんと追い詰められ行くのを見守っていると、クラスメイト達の言葉はどんどんエスカレートしていく。

日頃の鬱憤が暴言を加速させていく。

明らかにライン超えの発言が飛び交い安藤は青ざめたまま震えているが言葉が止む事はない。

気付けば安藤の上空に黒いモヤのような物が見えているが、マヌケな事に私はそれが憑依体だと認識するのが大きく遅れてしまった。

黒いモヤは安藤に吸い込まれていく…。

 

『ああああああああああ!!』

 

安藤の顔つきが急変する。

困惑するクラスメイトを気にも留めず、安藤は周囲を揺らさんばかりの雄叫びを上げると腕を大きく振り降ろした。

 

『離れて!』

 

叫びながら安藤の傍にいたクラスメイトを手前に引き戻す。

安藤の腕は先程までクラスメイトのいた場所を通過し自分の机に真っ二つに叩き割った。

安藤の腕も折れているようだが、彼は痛みなど感じていないかのように暴れ回る。

その様子が正気ではない事は誰の目にも明らかだった。

私は急いでロッカーに向かうと刀を取り出し鞘から抜き取る。

 

『八蛇…じゃなくて太刀花です!

全員外へ出なさい!!』

 

八蛇と太刀花の住む地域は怪異の発生率が比較的高い。

正確に言えば怪異の発生率が高い地域に私達が住んでいるのだ。

それでも人前で怪異と戦うのは非常に稀であり、私達はほとんどの人にはただの儀式屋と思われているのが現実だ。

 

ともかく、そんな地域性ゆえに前にいた学校では八蛇の名を出せば全員がすぐに外へと出るように通達が行き渡っていた。

同じように太刀花の名前を出してみたが、どうやら当たりだったらしく騒ぎを聞きつけた先生が即座に生徒達を外へと誘導する。

 

『杏樹ちゃん頑張って!』

 

藍の友人の一人がそう叫びながら教室を出ていく。

 

(…ありがとう。)

 

私は心の中で小さく頷くと、刀を振り降ろして身構える。

中段の型で迎え撃つが、安藤の身体を斬りつけるわけにはいかない。

攻撃できないという弱みがバレないために構えただけである。

 

『AHAAAAAAAAA!!』

 

憑依体の攻撃を躱しながら教室を飛び出し廊下を駆けて行く。

教室は戦いづらいので、机が片付けられている空き教室へと敵を誘い出すためだ。

しかし途中で何度も追いつかれ、その度に何度も振り向いて応戦する羽目になる。

そのせいで一切攻撃しない不自然な動きを相手に気付かれてしまったらしい。

憑依体は薄ら笑いを浮かべてノーガードで勢いよく攻撃を仕掛けてくるようになった。

 

(…っ、調子に乗って…!)

 

私にも勝機が無かったわけではない。

昨夜に凜が憑依体を追い出したアレである。

一か八かで挑戦してみるつもりだったのだが、もうそれも難しくなった。

もう向こうに恐れはない。

完全に私を侮っているのだ。

今さらいくら脅しても、どれだけ気迫を入れても向こうは怯まないだろう。

この状態ならば養父や凛、私の血縁達でさえも同じことを言うであろう。

 

もう無理だ。

覚悟を決めて務めを果たせ。と。

 

(そんなの嫌…!

私も頑張るから…帰ってきて!!)

 

自分でも愚かな判断だと思う。

アッサリと死んでしまう退魔師の典型パターンだ。

それらの結末を知っていてもなお、私は彼を諦めきれなかった。

 

(…元から敵の弱さなんてアテにしてない!

私は…私と安藤の絆を信じる!!)

 

空き教室の扉を思いっきり開けると転がり込むように部屋へと飛び込む。

薄ら笑いを浮かべて入ってくる憑依体を睨みつけると私は大きく息を吸った。

 

『帰ってきなさい!!

こんな場所で死んでいいのか!!』

 

私は憑依体に。

否、安藤に大声で呼びかける。

私の大声など意にも介さず憑依体が襲い掛かってくるが、私は攻撃を躱しながら詠唱代わりに言葉を投げかけ続ける。

 

『私だって居場所なんかなかった!

家でもずっと怖くて、学校でもずっと一人で、ホント最悪だった!

でも今は少しだけ楽しい。

アンタが教えてくれた!』

 

ハッキリ言って余裕が無いので美しい言葉を選べていない。

とにかく奇跡を信じて言葉を投げかけるのみだ。

 

『アンタはもっと楽しかったでしょ!

山下も杉浦も田村も青野も立松もいた!

それと知ってた?

清水さんアンタの事が好きらしいわよ!!』

 

凛は敵を怯ませ己の気迫で憑依体を追い出したが、私は気持ちをぶつけて安藤本人を覚醒させて憑依体を追い出させる方針だ。

理論上は行けるはずである。

 

『とにかくアンタはここで死んじゃダメ!

アンタの居場所はここじゃない!』

 

憑依体の大振りを躱して裏に回ると、私は両の手に力と気持ちを込める。

後は…私たち次第だ。

…勝負!

 

『…ここから出ていけぇ!!』

 

憑依体の振り向きざまに両手の掌打を胸部に思いっきり叩き込む。

 

(…起きろ!)

 

これでダメなら私も頭を叩き割られて死ぬ。

文字通り命懸けの一撃だ。

祈るように安藤を見上げる。

 

『ゴホッ…!』

 

一瞬が数分のようにも思える空間の中、安藤の咳が室内に響き渡る。

直後、安藤の頭上に黒いモヤが現れた。

後は訓練通り、考えるよりも先に身体を動かして憑依体に札を投げると刀で貫き壁に突き立てる。

やがて憑依体は霧のような姿になり消滅していった。

 

その直後、窓側から大きな歓声が沸いた。

驚いて窓を見ると、そこには校庭に集まっていた生徒達が大勢いた。

…空き教室のカーテンは空いていた。

一部始終が丸見えだったようだ。

 

 

『いやー…危ない所だったねぇ。

私の到着を待ってたら手遅れだったよ。』

 

高校の授業を抜け出して駆けつけてくれた凜が周辺に漂う気配を調査しながら感心した声を挙げる。

感染源となった安藤はとっくに保健室に運び終わっているが、仕事の後始末も読み取れる情報も意外と残っているのだ。

 

『博打もいいとこで退魔師としては褒められた行為じゃないけどアンタは一人の命を救った。』

 

凜がニコニコしながら私の頭を撫でる。

 

『叔父さんには怒られるだろうから代わりにアタシが褒めてあげる。

えらいえらい。』

 

そして凜がクラスメイト達に向き直る。

 

『それとアンタ達ぃ!』

 

今度は一転して凜の顔つきが険しくなった。

 

『アンタ達だけのせいじゃないけどさ。

人をあんまり追い詰めるとこう言う事になるの。

特に少年は向こうじゃ人気者だったみたいだし、なおさら落差に耐えられなかったんだろうね。』

 

しばらくの沈黙の後、クラスメイト達から少しずつ謝罪の声が挙がる。

凛はニッコリ笑うと慣れた手つきで後始末をするのだった。

さて、私は私に出来る後始末をしなければならない。

ガラじゃないと思うのだけど、私は大きく息を吸ってクラスメイト達に話しかける。

 

『…本当の安藤はいいヤツだから…。

うん、少なくともひねくれ者の私とも問題なく付き合えるくらいいいヤツよ。』

 

転入依頼ほとんど口を開かなかった私が自発的に喋るものだから、生徒達がなおさら静かに聞き入ってしまい余計に緊張するが失敗するわけにはいかない。

とにかく私は自分の素直な気持ちを言う事にした。

 

『誰だって調子の悪い時はあって…そこは転入生の安藤をみんなで支えてあげて欲しい。

…そうすればきっと安藤は友達になってくれるから…。』

 

残念ながら口下手な私にはこれが精いっぱいだ。

下を向いて絞り出すような声で語り掛けた落第点の語りだった。

 

『うん、いいよ!』

 

我ながら最悪の語りだったと思うが、その失敗を吹き飛ばすように藍の友達が明るく真っ直ぐな声でフォローしてくれた。

 

『杏樹ちゃんがこんなに小さな身体で頑張って、私達がやり直せるようにしてくれたんだから次は私達が頑張る番だよ!

ね、みんな!』

 

今度は後ろを向いてクラスメイト達に訴えかけると私に小さく目配せしてくれる。

こんなに良い子をないがしろにしてたんだなと自分を恥じてしまう。

安藤だけじゃない。

私も、安藤と一緒にもう一度クラスのみんなとやり直してみようと思う。

2人でならきっとやれるはずだから。

 

ところが世の中と言うヤツはそう上手く行かない。

清々しい気持ちで誓った私の決意はアッサリと打ち砕かれるのであった。

 

この事件から安藤は一度も登校する事がなかった。

そして数日後、安藤が転校する知らせが私達の元へ届いたのだった。

 

 

それから数日後の土曜日。

私と藍は早朝から安藤の家を訪れていた。

 

『杏樹ちゃんに言われてずっと悩んでたのよ。

それでこないだの事件で引っ越しを決心したの。

私にとってはここが住み慣れた土地でも、猛にとってはあっちが故郷なのよね。』

 

安藤の母が名残惜しそうに太刀花町を見渡して語り掛ける。

私が嫌がらせの為に放った言葉は奇しくも彼女の心を動かし安藤を救う事になったらしい。

そしてそれは私と安藤の別れを意味する。

私はとんだ自爆である。

 

『動画を見せられるまでは信じてなかったけど、本当に怪異っているのね。』

 

暴れ狂う安藤を見れば誰もが同じ感想を抱くだろう。

あれは人間ではない。

いや、この世のモノではないのだから。

 

『ここに帰ってくるのは息子が成人してからにするわ。

杏樹ちゃんともそれまでお別れね。』

 

そこまで言うと安藤の母は急に姿勢を正す。

私達も慣れたものですぐに察して姿勢を正した。

 

『太刀花様。

この度は息子を救ってくださり誠にありがとうございました。』

 

安藤の母は私達を敬うように頭を下げる。

今この瞬間は私達は息子のお友達ではなく地元民に神のように信仰されてきた太刀花様なのだ。

私達も静かに頭を下げる。

これでようやく事件は終わったのだ。

 

『母さん、まだ台所に荷物残ってる。』

 

ギブスで包まれた片手を吊るし、もう片方の手に小さな荷物を乗せて安藤が現れる。

息子に言われて母は慌てて家へと駆け込んでいく。

 

『2人共、見送りありがとな。』

 

荷物を載せ終えると安藤はまっすぐな瞳と爽やかな笑顔で私達に礼を言う。

そうそう、こういうまっすぐなヤツだった。

本来の安藤は私とは全く気が合わない男だ。

卑屈で捻じ曲がってて口を開けば愚痴だらけだった少年はもういない。

 

『アンタは…』

 

思わず呟いたが上手く言葉が続かない。

それでも私なりに頑張って言葉をつづける事にした。

口下手な私の事だからおかしな言葉になるかもしれないけれど、それでも気持ちは通じると信じて。

 

『アンタは…少し迷っただけなのよ。

向こうでもずっと頑張ってたから、いつか爆発したかも知れないわ。

アンタを導こうとする善き存在が、私達に助けを求めてここに連れて来たのよ。

…まぁこんな別れも退魔師してればよくある事よ。』

 

本当に、退魔師をやってるとよくあることだ。

依頼人と少し仲良くなって、事件を解決してそれっきり。

ここは普通の人が来るべき世界じゃない。

私達との関わりは一瞬であることが正しいのだ。

 

『そっか、じゃあまた困ったら会いに来るよ。』

 

『バカ、困る事がないようにして。』

 

彼の爽やかな笑顔に応えるように少しだけ笑う。

一緒に悩んで、戦って、最後に少しだけ笑ってはいお終い。

私と普通の人はこのくらいの距離が適切だ。

 

『そりゃそうだ。

でも俺は忘れないよ。

絶対に自慢すっから。』

 

『何を自慢するのよ。

こんな事件さっさと忘れちゃいなさいな。』

 

自分が学校で大暴れした事件なんて人に言わない方がいい。

まして霊だの怪異だの、頭がおかしいと思われるのが普通だ。

 

『杏樹と仲良くなれた事だよ。

杏樹が本当はすっげぇ可愛くて、後ちょっとで付き合えたこと!』

 

一気に心拍数が上がる。

顔は平静を装ったつもりだったが藍が驚いてこちらを見たので多分私の肩か何かが動いていたのだろう。

それだけ私にとって衝撃的だった。

それってつまり…

 

『あぁでも顔がいいのはみんなわかってたんだよなぁ。

どう可愛いか上手く言わないとなぁ。』

 

私の心中を知ってか知らずか彼は話を続ける。

いつものように軽口で相槌を打たねばならない。

私と彼はほんの少し混ざり合っただけなのだから。

 

『付き合う事はなかったわ。

住む世界が違いすぎるもん。』

 

『ちぇー、なんだよ。

盛り上がってたの俺だけか。』

 

そう言って彼は笑う。

その表情からは名残惜しさは感じない。

 

『はいはい。

これで最後っと。』

 

おばさんが荷物を持って現れる。

彼がそれを片手で支えて荷台に乗せた。

うん、これで本当に最後だ。

 

『じゃあな杏樹。

杏樹にとっちゃいつもの事かも知れないけど、俺にとっては命を救われた一生忘れられない大事件なんだ。

だから俺の事を忘れないでくれよ。』

 

『うん、忘れないようにする。

また何かあったらうちを頼って。

うちの誰かが助けてくれるわ。』

 

車のドアが音を立てて閉められる。

まるで混ざり合っていた世界を断絶するかのように。

車が発進すると、視界から消え去るまで彼は手を振ってくれていたと思う。

ともかく私と彼はこれで本当に終わりなのだ。

 

『お姉さま!?』

 

うっすらと涙を流す私を見て藍が大声を挙げる。

 

『わかります。

お辛いですよね。

両思いになっていたのに。』

 

藍が私を抱きしめながら優しく背中を叩く。

まったく、どっちが姉なんだかわからない。

それに藍の言葉は少しピントがずれている。

 

『…恋にならなかった事が悲しいのよ。』

 

初めから住む世界が違うとどこかで線を引いていた。

どっちにしても幸せな結末は訪れなかったと思う。

それでも、こう思ってしまうのだ。

 

ちゃんと恋をしておけばよかった、と。

私の初恋は始まる前に終わってしまったのだ。

 

安藤と別れを告げて自宅に戻ると翠が門で待ち構えていた。

 

『どうしたの翠?』

 

私の呼びかけに応えず翠は私の周りをクルクルと回りながら匂いを嗅ぎ始める。

 

『ご主人、恋をした?』

 

ようやく自分から話しかけてきた第一声がこれである。

その瞳は珍しく好奇心に満ち溢れ輝いていた。

 

『コイバナ、しよ』

 

瞳をキラキラさせ尻尾を振りながら私に顔を近づけてくる。

 

『アナタ、そういうのが好きなキャラなの?』

 

うんうんと何度も頷く。

何事にも無関心なタイプだと思っていたが意外な一面があるらしい。

 

『私も、たくさんした。

人よりも長生きだから、たくさんして、たくさん生き別れた。

辛いこともあるけど、全部宝物。』

 

こんなにたくさん自分を語る翠は初めてだ。

今までに数多くの出会いと別れを繰り返してきたであろう彼女だからこその重みを感じる。

私の視線にようやく気付くと翠は言葉をまとめた。

 

『だから、ご主人の恋、知りたい。

思い出、宝物にするから。』

 

『…宝物…』

 

途方もなく長く生きてきて、大抵の物よりも長生きする彼女にとってもっとも価値ある宝物は記憶なのだろう。

そんな風に言われれば私を苦しませる思い出も愛おしい物のように思えてきた。

 

『いいよ、後で話してあげる…』

 

私は翠の頭を撫でて優しく微笑んだ。

恋にならなかった初恋が、いつか宝物のように大切に思い出されることを願いながら。

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