放課後は退魔師   作:アフロダイB

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旅太刀の日

 

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これは今から一年前。

藍が退魔師になる前の話である。

 

『大丈夫、お姉ちゃんは勝つよ。

だから約束通りアンタも手術を受けて必ず勝ちなさい。』

 

全国中学校剣道大会女子の部の夏の決勝戦を前にして太刀花藍は対戦相手の事情を知ってしまう。

対戦相手である彼女は病院で寝たきりの弟と通話をしている。

命が懸かった手術に踏み出せない弟を勇気づけるために彼女は優勝を約束しているようだ。

これまでの試合、彼女が気迫勝ちと言った試合内容で勝ち上がってきたのが頷ける事実だ。

 

一方で自分は優勝に興味がない。

武門の名家に生まれ類稀なる才能でここまで難なく勝ち上がってきた。

当然のように彼女にも勝つだろう。

 

だが、本当にそれでいいのだろうか。

強い者が勝つだけが大会の意義なのだろうか。

努力を重ねて強くなろうとした者こそが讃えられるべきではないか。

 

今からやろうとしている事は八百長と呼ばれる行為かもしれない。

しかしモラルは人命より優先すべき物がだろうか。

彼女と彼女の弟にとってこの勝負は夢ではなく生きるために必要なものなのだ。

誰にどう罵られても彼らを救うべきだと藍は考える。

 

それに自分が勝つ事を望まない人も多い。

名家の娘が1年で容易く優勝したとして、同世代の少女たちは果たして奮起するだろうか。

恐らくは剣道を辞めてしまう者が何人か現れるだろう。

 

では自分を応援してくださった皆様に対してはどうだろう。

1年で準優勝、十分な結果だと思う。

顔は十分に立てたはずだ。

 

(申し訳ありません。

藍は己が勝つ事よりも世の為になる事を選びます。)

 

12歳の太刀花藍はそのように考えた。

 

 

 

それから3週間後、とあるニュース番組で数分ではあるが藍の特集が組まれていた。

 

天才美少女剣士が怒涛の快進撃。

惜しくも優勝を逃すも天才と語るにふさわしい圧倒的な才覚。

 

派手な見出しの後に専門家を名乗るコメンテーターが語る。

 

『決勝の彼女はどこか精彩を欠いていましたが、彼女の太刀筋からは優しさのような暖かい物を感じた。

私は勝つ事よりも優先すべき物があると彼女から改めて教えられたように思う。』

 

ベタ褒めするコメンテーターを見つめながら藍は誇らしげに笑みを浮かべる。

毎月購読している剣道雑誌にも自分の事が特集されている。

同じく剣道を志す人々からファンレターのような物も届いてちょっとしたアイドルだ。

 

やはりあの勝負は負けてよかったと思う。

こうして分かってくれる人はいるのだ。

 

(太刀花藍、中学生。

もう子供ではありません。)

 

自分は勝利以上に大切な物を得た。

そう確信した藍は軽い足取りで祖父の元へ向かう。

目的は1つ、ずっと渋られ続けていた太刀花流剣術を教わるためだ。

 

祖父の書斎に声を掛けると静かな声で『入りなさい』と返ってくる。

祖父はいつだって自分に優しい。

室内に入ると藍は畳に膝を付き三つ指を立てると静かに頭を下げた。

 

修行開始の大前提として改めて自分の口から大会に準優勝した事を伝えると祖父は優しい声で答えてくれた。

 

『惜しかったが準優勝でも立派な成績だ。

よく頑張った。』

 

好感触だ。

藍は顔を上げると祖父の目を真っ直ぐと見つめた。

 

『つきましては、そろそろ太刀花流剣術を教わりたいと思いお願いに参りました。』

 

自分の言葉を反芻するように祖父が静かに唸る。

十分な結果は出したはずだが何が足りないのだろう。

不安げな藍の視線に気が付いた祖父が意を決したように姿勢を正した。

 

『よかろう。

では太刀花の当主としてお前に教えてやろう。』

 

祖父の言葉を聞いて藍は胸を撫でおろす。

ようやく自分も半人前と認められ修行を始める事が出来るのだと喜んだ。

だが祖父の言葉は藍の期待を裏切るものであった。

 

『お前は戦いに向いておらん。』

 

何故ですか?

その言葉を吐き出す前に言葉が続けられる。

 

『決勝戦、お前は手を抜いたな。』

 

やはり祖父も見抜いていたらしい。

でもそれには事情がある。

藍は祖父に全てを語った。

八百長と罵られるのも覚悟の上での行為だ。

 

『選択の善悪を語るつもりはない。

お前がそうした以上はそれなりの理由があったと信じていた。』

 

『では何故でしょうか?』

 

そう問いかけると祖父は少し興奮したように語り出す。

 

『お前は同情して格下の敵に負ける。』

 

語るにつれ祖父の言葉がだんだんと荒くなる。

 

『実戦に赴いたお前は。

格下の敵を哀れに思い。

手を抜く!

そして格下に執念の一撃または切り札を切られてあっさりと死ぬ!!』

 

祖父が声を荒げる。

 

『わかるか!?

全部台無しだ!!

ワシらが教えた技も!時間も!

愛情も!!

家族で過ごした思い出も!!

喜びも!!

全部!全部っ!全部台無しになるのだっ!!』

 

いつもは冷静沈着な祖父だが、自分の死に様を想像してしまい興奮したのだろう。

今までに聞いた事のない大声に思わず身体を竦めてしまう。

祖父は息を整えると今度は静かに語り出す。

 

『決勝で負けたのは八百長ではなく気迫負けだ。

技、体で勝ったが心で負けたのだ。

事情があったにせよ他にやりようはいくらでもあったはずだ。』

 

祖父の言葉を聞いて言葉が詰まる。

自分はあっさりと自己犠牲の道を選んだと言える。

言われてみれば他にやり方はあったはずだ。

 

『もう剣は捨てなさい。

お前は剣では幸せになれん。』

 

祖父の口調は優しく自分を真に案じての言葉だと思う。

だが自分にも積み重ねてきた修練と部活の仲間達がいる。

簡単に捨てるわけには行かない。

 

『ですが剣の才はあります。

それに心は入れ替えれば済む話です。』

 

藍の言葉に祖父は少しため息を付いて返す。

 

『無理に入れ替える必要はない。

ワシはそんなお前を愛おしくさえ思うからな。

そして剣の才は、何度も言うが足りぬ。』

 

その言葉を少しだけ不満に思う。

自分に才が無ければこの世の誰に才があると言うのか。

そんな藍の不満を見抜くように祖父は言葉を続ける。

 

『お前は兄達の足元にも及ばん。

お前に身の程を教えてやろう。旬!!』

 

祖父は兄の名を呼んだ。

太刀花 旬(たちばな じゅん)、高校に通う16歳の兄だ。

 

『お爺様、お呼びですか?』

 

旬が廊下から話しかける。

祖父の返事を聞いて入室すると旬は座布団も敷かずに畳に座る。

 

『藍に剣を諦めさせたい。

一分の間に藍から一本を50回ほど取ってみせよ。片手でな。

剣に対する情熱をへし折ってやれ。』

 

片手ではまともな打ち込みなど出来るはずがない。

まして1秒に約1本のペースで打ち込むなどあり得ない事だ。

 

『出来たら藍にこないだ通販で買った猫耳付きメイド風水着を着せても良いですか?』

 

『…お前そんなもん太刀花の住所を書いて届けさせたんか…』

 

旬は重度のシスコンであり、藍を溺愛している。

祖父が呆れかえりながらもこちらを挑発的な目で見る。

 

『私は構いません。

そんなの出来るはずありませんから。』

 

少しだけある苛立ちを隠すように平静な口調で答えてみせる。

 

自分だって剣のいろはくらい理解してる。

祖父の提示した条件は絶対に起こりえない。

まして自分はカカシではない。

片手の剣など容易く防げる自信があった。

 

『よしじゃあやろう!すぐやろう!さぁ行くぞ!』

 

旬は尊敬できる兄だが、こういう時は気持ち悪い。

藍は興奮気味に逸る兄に手を引っ張られて道場へと向かった。

 

防具一式を付ける自分に対し、兄は部屋着のままで向き合っている。

自分が打たれるとは考えていないらしい。

 

『では行くぞ。』

 

自分が身構えるのを待ってから兄が片手でゆっくりと竹刀を上にあげる。

兄の初太刀に合わせて竹刀を置くが、太刀筋が変化して竹刀を擦り抜ける。

 

(片手なのに変化!?)

 

そもそも片手とは思えないほど鋭い振りなのだが、片手だけで軌道を変化させている。

本気で打ち込むときはブレる事なく真っ直ぐに打ち下ろす。

要するにこれは兄にとって手抜きの振りなのだ。

その上で打ち込む瞬間だけは竹刀がブレないように手首の力だけしっかりと反動が抑えこまれている。

これは間違いなく一本だ。

 

考えてる間に次々と打ち込まれていく。

必死になって守りを固めるが旬の竹刀には掠りもしなかった。

 

(どうせ打たれるならせめて一本を…!)

 

50回打たれるまでに1回当てればいい。

そう考えて藍は攻撃に出るが、旬は打ち込み動作のついでで藍の攻撃を外していく。

藍の攻撃は旬の攻撃の手を緩める効果すらなかった。

藍は勝つ事を諦めた。

 

やがて50回目の一本を打ち込まれて放心する藍に対し祖父が厳しく言い放つ。

 

『ほれ見ろ、市井で敵無しだからと天狗になってこの有様だ。

実戦ならばお前は50回死んだ。

自分が如何に世間知らずであったか思い知ったであろう。』

 

返す言葉がない。

勝てると思っていなかったがここまで差があるとは思っていなかった。

 

『おまけに途中で防御を捨てて打ち込みにいったな。

真剣であれば死ぬと言うのに打たれながら攻撃するとは片腹痛い。

あれだけ好き放題に打たれておきながら意表をついて打ち込めばお前は勝ち誇れたのか?』

 

剣の腕だけでなく心構えの未熟さ、情けなさも徹底的に洗い出される。

 

『剣を学んだお前は、その力を他人の為に活かすなどと図に乗って剣を振るい、

なまじ力があり目立つばかりに強敵を呼び寄せてやられるのが関の山だ。』

 

実際そのように生きるつもりだった。

何が来ようと自分は負けないと思っていたからだ。

 

『お前には剣を活かす才能がない。

ただちに剣を捨てて別の道を探せ。』

 

ここまでの結果を見せつけられて反論など出来るはずもない。

それはもう子供の駄々だ。

押し黙る自分を見て、祖父が悲しそうに呟いた。

 

『お前の母と同じ道を歩んで欲しくない。

…もうワシにあんな辛い思いをさせんでくれ…頼む…』

 

最後の一言が余りにも弱々しかったので、藍は声を抑えきれず涙をこぼしながら静かに頷いた。

 

 

 

それから一か月後

藍は約束通りに剣を捨てて生きていた。

部活の仲間には引き止められたが家庭の事情だとどうにか納得してもらう事が出来た。

防具一式は近所の子供に譲った。

 

されど日頃の習慣はなかなか抜けず、藍は休日にも関わらず特に目的もないまま河川敷を走っていた。

体を動かしてる間だけは嫌な事を忘れる事が出来るが限度がある。

昼からずっと走り続けていたが、気付けば空は赤く染まり陽は沈もうとしていた。

 

速度を少しずつ緩めて足を止めると、藍は腰を曲げ手を膝に置いて息を整える。

なんとなく誰かの視線を感じるが気のせいだと思い、ウエストポーチに入れた水筒を取り出し水分を補給する。

 

『お疲れさま。

随分と長く走っていたね。』

 

背後から少し独特な粘ついたような声で誰かに話しかけられる。

視線は気のせいではなかったと気付き、藍は慌てて声の主に振り返る。

 

『ボク、君のファンなんだよ。

よろしくね。』

 

背はそこそこあるが少し丸々とした印象を受ける。

少しヨレたシャツを着ていて身だしなみに気を使っているとは言えない。

歳はまだ20代くらいだろう。

自分には見覚えのない男性だった。

 

ファンと言うのも少し変な言葉だが、TVに映ったからそういう言い回しの世辞を言ったのかも知れない。

ともかく敵意はないように感じたので藍は笑顔で挨拶を交わした。

 

『ありがとうございます。そちらはお散歩ですか?』

 

『TVで見るよりもずっと綺麗だなぁ。

嬉しいよ。』

 

会話が噛み合わない。

好意的な発言ではあるが一方的に褒められると少しだけ怖い。

そもそも目線が合っていないのが気になる。

さっきからどこを見てるのだろう。

 

そんな藍の思いを知ってか知らずか男は少しずつ距離を詰めて来る。

不思議には思ったが後ろに下がるのもおかしいのでそのままの位置に立ち続ける。

 

『本当に嬉しいんだよ。

こんなに綺麗な子が僕の妹だなんて。』

 

聞き捨てならない言葉を聞かされる。

妹とはどういう意味だろうか?

 

『あの、どなたかとお間違えではないでしょうか?』

 

このまま近づかれてはいけない。

そんな気がして少しだけ後ずさるが、男は構わず近づいてくる。

 

『母さんが言ってたんだ。

ボクに妹がいるから取り戻せって。

でもボクはずっと母さんの言う事なんかどうでも良かった。』

 

男がどこを見てるのかわかった。

全部だ。

上から下まで全てを舐めまわすような目付きで自分を見ている。

気持ちが悪い。

誰かからの好意に悪寒を感じたのは初めての体験だった。

 

『だからTVで君を見た時は驚いたよ。

ボクがずっと頭に思い描いていたような女の子がいたんだ。

しかもそれが母さんの言う妹だったんだよ。

運命を感じたんだ。』

 

一気に間合いを詰め寄られて右腕と左肩を掴まれる。

 

『母さんは君のお母さんの命を奪った。

だから君は戦利品で僕らの家族なんだ。』

 

君のお母さんの命を奪った?

母の死因を聞かされていない藍は動揺する。

会ったばかりの怪しい男の言葉を鵜呑みにするのもどうかと思うが言葉に嘘があるようには感じられない。

 

『離してください!』

 

そう言って手を振り払おうとした瞬間、恐るべき圧を浴びせられる。

その圧で藍はようやく理解できた。

一見すると普通に見えるが、男は自分よりもずっと手練れなのだ。

 

『ボクは八蛇。八蛇夢獲(やだ むと)だよ。

もしかしてまだ聞かされてないかな?』

 

振りほどけない。

それどころか蛇に睨まれたカエルのように身動き一つとることが出来なかった。

藍は大声を挙げて助けを求めようとしたが、素早く後ろに回り込まれて口を塞がれた。

 

『さぁ帰ろうか。

今日からボクらは家族だよ。』

 

左手で口を塞がれ右腕で首を絞められる。

向かわされる先には男の物と思われる車が見える。

あれに乗せられたらもう助からない気がする。

 

嘘だよね?

これで終わり?

さっきまでいつも通りの一日だったのに?

今日までずっと真面目に頑張ってきたのに?

 

心で叫んでもどうしようもなく、悔しくて涙が流れ落ちる。

けれども身体は全く言う事を聞かない。

 

藍の意識が遠のき始めたその時だった。

一筋の剣閃が藍と夢獲を引き離した。

藍がそのまま少し走ってから後ろを振り向くと、そこには鍔競りで夢獲を押し返そうとする凜の姿があった。

 

『藍から離れろドへんたい!!』

 

男は凜の渾身の一撃を腰の引けた不利な体勢のまま受け止め、なおかつ鍔競りも押し留めたようだ。

凜が女性である事を差し引いても夢獲は凄まじいまでの体幹である。

 

むしろ押し出せると踏んだはずの凜が少しずつ押され始めたので、凜は慌てて距離を取った。

その間に夢獲が刀を抜いて中段の構えを取ると凜の顔に焦りが見えた。

 

『藍!

逃げて兄さんを呼びなさい!』

 

姉が言ってはならない言葉を叫んだ。

自分が勝てない事が相手にバレてしまう一言だ。

それでも叫んだという事は、凜の実力では勝負にならないと判断したという事だ。

 

『なるほど、勝算のないまま仕掛けてきたんだね。』

 

やはり粘ついた声で男はニヤけた笑みを浮かべる。

もはや事態は一刻を争う。

藍は即座に駆け出しながら兄に電話を掛けた。

 

何もできなかった。

もうおしまいかと思った。

そして今、姉の為にも何もすることが出来ない。

ただただ泣いて兄にすがるだけの自分が情けなくて仕方がなかった。

 

連絡を受けて駆け付けた旬を連れて河川敷に戻ると、そこには全身を打ち付けられ倒れ込む凜の姿があった。

 

『まぁいいや。

今日は独断だったし挨拶だけで十分さ。

また来るよ藍ちゃん。』

 

男は旬の姿を見るなりそう言い残すと車に乗り込んで逃げ出した。

 

 

 

『凜お姉さまは大丈夫ですか?』

 

2人は凛を屋敷まで運ぶと、太刀花家お抱えの医者に凜の容態を尋ねる。

 

『刀による傷はありません。

内側を揺さぶるような衝撃のみで全身を痛めつけられてます。』

 

出来るだけ綺麗な状態で自分も姉も連れ帰るつもりだったのだろうか。

そんな品のない男は架空の世界の人物と思っていたが、夢獲に会った今なら実在するのだと理解できる。

 

『凜がここまでやられるか…』

 

凜は勝てない相手からは即座に逃げ出す。

その勘の良さと判断力を買われて戦場に立つことを許されているのだ。

 

(逃げなかったのは私を守るため…)

 

目を伏して自分を責める藍を気遣うように凜が明るく振る舞おうとする。

 

『アイツきもくて弱そうだったしちょっと読み違えたのよ。

あ、あんなのが強いなんて思わないじゃん?』

 

『…そ、そうですね。えへへ…』

 

内に秘めるは劣等感、自己嫌悪、屈辱、怒り、悲しみ。

それらを嘘で塗りたくった愛想笑いで目を泳がせて誤魔化している。

そんな孫娘の余りの変わりように祖父は思わず目を大きく開く。

 

(…これがあの藍か…?)

 

藍の母の死に負い目を感じ、藍という華だけは美しく咲かせたかった。

だが目の前にあるのはさしずめドライフラワー。

見た目だけは美しくとも心が死んでいる。

 

『逃げ出したという事は、その男は旬ほどの腕前はないと考えていいか?』

 

『いや、勝てる自信はあるが負ける可能性が僅かにあるから逃げ出したのだと感じました。』

 

兄の言葉に旬が正直に答える。

旬も負ける気はないようだが、戦えば分は悪いと感じたようだ。

兄が誰か一人でもいれば安全だと思い込んでいた藍の淡い希望はすぐに打ち砕かれた。

 

『それで藍よ。

その男は確かに八蛇と名乗ったのだな?』

 

祖父の問いに藍は静かに頷いて答えると、か細い声で尋ねた。

 

『教えてください。

八蛇とは何ですか?』

 

藍の質問に答えようとする叔父を制して祖父がゆっくりと語り出す。

 

『八蛇はワシらと同じ怪異と戦う一族じゃ。

ワシらは基本的には味方同士だったのだが…お前の母の台頭が全てを変えた。』

 

祖父は少し悲しげに語る。

 

己を律する武士道とは真逆、八蛇は欲望を力に変えた一族である。

故に太刀花のように民を守るのではなく、己以外の何を犠牲にしてでも怪異を滅ぼし対価を得る事を最優先とする。

当然人々は太刀花を頼るようになった。

 

彼らは人々から疎まれ遠ざけられる事を不満に感じてはいたが

実力は太刀花より八蛇にあると考える事でかろうじて怒りを堪えていた。

 

『八蛇は太刀花と違い女も戦った。

交流試合で一時的に勝敗が傾く事があってもそこが彼らの誇りだったのだろうな。

八蛇家は女であっても強いのだと。』

 

だが藍の母である嵐の台頭が均衡を崩した。

 

嵐は紛れもなく天才であった。

誰に教わるでもなく独学で剣を振るい技を習得し、それが太刀花流剣術とそっくりそのままだったのだ。

力と技を受け継ぎ続けてきた太刀花家の集大成と言える女であった。

 

『誓って、ワシらは嵐に技を教えておらんかった。

だが八蛇はそうは思わなかった。

嵐の存在を自分達への挑戦状と受け取ったのだ。』

 

嵐は独学の技で困ってる人々を次々と助けていった。

嵐の周りには次第に人が集まり、やがて嵐達は大きな力となり世界の命運を懸けた事件をも解決した。

その噂を聞きつけた人々が囁いたのだ。

 

『天下無双の女剣士、太刀花嵐とな』

 

それが八蛇の女の怒りをますます買った。

彼女は八蛇の名に相応しい、貪欲なまでにあらゆるものを求める女だった。

 

『あの女に奪われた。

あの女から誇りを取り戻す。

自分はこんなにも不公平なのだと泣き叫び、無差別に人を傷つけるような危険な女であった。』

 

八蛇の女は様々な状況で嵐の前に現れ勝負を挑んだが一度も勝てなかった。

しかし八蛇に武士道はない。

生きている限り負けでなく、どんな手を使ってでも勝利を求める一族なのだ。

 

『お前の出産直後に八蛇の女は現れた。』

 

母は産後の疲弊しきった体で、生まれたばかりの藍を抱えたまま刀を振るって応戦したが八蛇の女は赤子に石つぶてを投げつけた。

子供を庇った隙を突かれ母は命を落としたそうだ。

 

母の機転でどうにか自分だけは叔父の元に託され八蛇が逃げ出したことで全ては終わったと思われていた。

 

『八蛇は必ず戦利品を求める。

そして奪われた物は必ず取り返す。

彼らはお前を戦利品と見なし、一族の誇りに欠けて取り返すつもりなのだろう。』

 

八蛇も嫌われ者とはいえ怪異と戦う力を持った貴重な一族であり、一般には知られていないが太刀花同様に高名な一族である。

祖父は政府に頼まれたこともあり、八蛇とは一切関わらない方針を選んだ。

個人的な怒りよりも人々の平和を選んだのだ。

 

話を聞いて藍はようやく理解した。

祖父は自分が剣を学ぶ事で八蛇のような存在を呼び寄せる事を恐れていたのだ。

だが、結局は八蛇は現れた、

まだ何も終わっていなかったのだ。

 

『藍、お前は学んだ剣で何をする?』

 

祖父が自分に問いかける。

八蛇が現れ事情が変わりつつある。

この問い次第で自分に剣を教えるという事だろう。

 

人々の為に剣を振る。

それが模範解答であり、先程まではそう思っていたが藍は今の正直な気持ちを語る事にした。

 

『…自分の大切な物を守るために使います…』

 

祖父が興奮気味に声を荒げた事を覚えてる。

姉が身を挺して守ってくれた。

 

それだけじゃない。

家族、友人、先生、優しい街の人々。

ずっと多くの人に見守られて生きてきたのだ。

 

私は天才なんかじゃないし、私の命は私だけの物ではない。

 

『私は私を愛してくださった方々に報いるためにも幸せにならなければいけません。

ですから私は私のためにも剣を振ります。

己のために剣を振るうのは卑しい事でしょうか?』

 

夢獲に連れ去られそうになった時、本当に恐ろしかった。

今まで磨き上げてきた物がいとも容易く汚される恐怖を感じた。

 

自分の人生は常人よりも障害が多い。

きっと自分はこれからも多くの人に助けられる人生だろう。

 

助けられている分だけ助けてあげたい。

救われている分だけ救ってあげたい。

誰かの為にと正義の剣を振るつもりはない。

私が私らしく笑って生きるための剣が欲しいのだ。

 

そんな思いを吐き出すように語ると祖父が低い声で語り始めた。

 

『剣には神が宿っている。

肉体と精神を研ぎ澄まし、剣に人生の全てを注ぎ込んだ先に見えるもの。

それは恐らく神へと至る道であろう。

剣術とは神聖な物なのだ。』

 

祖父が剣の神聖さを語る。

自分勝手な気持ちで剣を学ぶなという事だろう。

 

だが素直な気持ちを吐き出した今、不思議と後悔はない。

母がそうしたように、教えて頂けないなら自分で勝手にやってみせます。

そう決心した藍の決心をいなすように祖父が勢いよく言葉を放つ。

 

『などとワシは思わん。

こんなもん道具だ。

剣に何かがあると信じてこの歳まで振り続けてみたが神など見た事ない。

感覚が鋭くなるにつれて妙な思い込みをするようになったこともあったがしょせんワシは剣が達者なだけの爺じゃ。

道具はしょせんどこまで行っても道具にすぎんかった。』

 

藍はきょとんとした目で祖父を見つめる。

祖父の、太刀花家当主の言葉とは到底思えない。

激しい言葉の後に訪れた静寂をかき分ける様に叔父が言葉を繋いだ。

 

『その通りですな。

もっともここにいるのはそんな事を生涯理解しようとしないアホゥばかりですがな!』

 

皆が苦笑する中で、藍は脱力して頭を横に倒す。

多分マヌケな顔をしていたと思う。

 

『こんなもん誰がどう使おうがそいつの勝手じゃ。

藍、お前は間違っておらん。

ワシはお前が幸せになるために剣が必要と言うなら全力で加勢するぞ。』

 

祖父は藍の肩を叩くと、叔父達の方に向き直り頭を下げる。

 

『皆、すまぬ。

ワシは呆けておった。

藍を剣から遠ざけようとも八蛇は現れた。』

 

叔父達が一斉に頷く。

兄達の誰かが『まことにアホゥだ』と漏らした。

こんなに遠慮のない家族は久しぶりだ。

 

『藍を剣から遠ざけて危うく藍の成長を捻じ曲げてしまう所でもあった。

やはり藍はあやつの娘だ。

凛と同じく剣を握るのが自然な娘である。』

 

『アタシはやりたくないけどねー。』

 

凜が祖父を嘲笑うかのようにこちらに笑顔を向ける。

 

『降りかかる火の粉を払うなどと言う気はない。

そもそも我が娘を失った時にそうすべきであった。』

 

祖父が一呼吸だけ溜めて、静かに怒りを込めた声を出す。

 

『藍を守るため、八蛇家と決着をつけるぞ。』

 

自分に向けられた殺気でもないのに背筋が凍る。

娘を失くして早12年。

溜め続けた怒りが垣間見えた言葉だった。

 

『ですが政府からは八蛇家とは穏便にと言われているのでは?』

 

叔父の言葉は合いの手に過ぎないのだろう。

おどけたような言葉を祖父が一蹴する。

 

『知らぬ!

太刀花か八蛇、好きな方をつけばよい!』

 

祖父の言葉に叔父達が拍手喝采を浴びせる。

 

事はそれほど単純でもない。

八蛇家を潰せば怪異に立ち向かう人類の戦力が大幅に減少する。

普通ならば人々の平和な暮らしを守るために争いを回避するのが常識だろう。

娘の私には八蛇の影に怯えひっそりと生きろと言うのが普通だ。

 

だが家族は自分が自分らしく生きるための戦いを選んでくれた。

藍は己が愛され守られている事を改めて思い知った。

 

『藍の修行は明日からじゃ。

交代で当たるが基本的には旬が藍の師となれ。

まずは居合いから学ばせよ。』

 

『居合いですか?何故でしょう?』

 

構えはそれぞれ一長一短だが、常であれば中段の構えが最初だ。

旬の疑問はもっともだったろう。

 

『今の藍では八蛇に勝てぬ。

敵に斬りかかってもどうにもならん。

なれば先に身に着けるべきは守りだ。

八蛇に襲われた時、藍に居合の心得があれば敵は腕を掴めなかったはず』

 

その通りだと思う。

自分が居合の構えを取ればそれだけで敵は間合いに踏み込めなかった。

そのまま大声で叫ぶことが出来ただろう。

逆に刀を抜こうとしていれば間合いを詰められたと思う。

 

『ただし藍が付いてこれるかは別問題じゃ。

付いてこれぬ時は容赦なく置き捨てろ。

その時は藍も大人しくワシらに守られる道を歩め。』

 

『…はい!よろしくお願いします!』

 

藍は力強く答える。

こんな声を出したのはいつぶりだろう?

心が高揚している。

身体中がやる気に満ちている。

今ならなんだって出来る、そんな気分だ。

 

そんな藍のやる気を試すかのように旬が声を挙げる。

 

『では藍、明日は猫耳付きメイド風水着で撮影会だ。』

 

『はい!…え?はい?』

 

思わず返事してしまったが慌てて聞き直す。

何の話だろう。

 

『1か月前に片手の私から50本取られたのに約束を果たさなかっただろう?

お前が沈んでいたから私も何も言えなかったんだ。』

 

『え…でも、その…えっと…』

 

そういえばそんな約束をしていたのを思い出す。

せっかくの修行初日がそんなのってない。

藍は祖父に助けを求めるが、祖父は目を逸らして一言だけ呟いた。

 

『お前が悪い。

務めを果たせ。』

 

私の厳しい修行は猫耳付きメイド風水着で撮影会から始まりました。

情けなくて涙が出ました。

 

 

 

 

それから半年後。

冬の全国中学校剣道大会女子の部は藍の優勝で幕を閉じた。

こちらは選抜式のため規模は小さく、全国制覇を語るならばやはり夏を勝たねばならないが、既に中学の部に於いて藍に敵がいない事は明らかであった。

優勝者としてのコメントを求められた藍は少し恥ずかしそうに語り掛ける。

 

『わたしは一度剣を捨てました。

私が剣を振ると辛い目に合うばかりだと祖父に思い知らされたからです。』

 

部活に打ち込む少女らしい幸せなコメントを期待した人々からどよめきが起きるが藍は構う事なく語り続ける。

 

『でも再び剣を取りました。

辛い目に合うかもしれませんが、それを乗り越えなければ幸せになれないと気付いたからです。

もしかしたら私は最悪の結末へと至る選択をしたのかも知れません。』

 

会場が静まり返っている。

静寂に負けてしまいそうになるが藍はハッキリと言葉を放つ。

 

『だから私は…望んだ未来を掴むために私は強くなっていきます。

きっと皆さんも同じですよね?』

 

会場の選手たちに問いかける。

返事は来ないかも知れない。

心臓が飛び出しそうなほど動いている。

時間にして2,3秒は体感にしてどれほどだっただろうか。

静寂が続きダメかと思われたその時、一人の選手が大声で答えてくれた。

 

『私もそうだよー!』

 

その言葉に続いて次々と返事が返ってくる。

 

『ありがとうございます。』

 

お礼を言ってもなお返事は続けられる。

返事が収まるまで待ってから藍はコメントを再開する。

 

『皆さんありがとうございます。

私達は敵同士ではなくて剣で未来を掴もうとする同志だと私は思ってます。

今日の勝負はお互いの成果を見せ合ったに過ぎません。

輝かしい未来を掴むためにもこれからもお互い励まし合い精進していきましょう。』

 

藍が深々と頭を下げると会場から拍手が起きる。

やらかしてしまったかと思ったがどうにか受け入れて貰えたようだ。

もちろん全員ではないだろう、大会に勝つ事が目的の選手からは反感を買ったかもしれない。

それでも私は前大会の様子を見て、やる気を失くしたと言う選手たちに問いたかったのだ。

貴方の剣は何の為ですか?と。

 

『松山さん!』

 

表彰を終えると藍は一人の選手に声を掛ける。

夏の大会で決勝戦をしたあの選手だ。

先ほどの決勝戦もこの人が相手だった。

 

『入院している弟さんに会わせていただけませんか?』

 

『えっ、どうして弟の事を太刀花さんが…?あっ!』

 

夏の決勝戦で思ったより手応えが無かった事のピースがようやく埋まる。

 

(弟の事をどこかで聞いて、それで手応えがなかったんだ…)

 

だが藍は迷いなく己の未熟さを語った。

 

『いいえ、あれは私の心が松山さんの背負う物に及ばなかっただけです。

ですから鍛えなおした私の心をお見せしたいんです。

弟さんに会わせていただけませんか?』

 

松山選手の弟は前大会の後に約束通り手術を受けた。

無事に戻ってくることは出来たのだが、1回の手術では完治することが出来なかった事を藍は事前に調べていた。

もう一度手術をすれば今度こそ戻ってこられないかも知れない。

怯える弟を勇気づけるため松山選手は今回も優勝の約束をしていたらしい。

 

そんな弟に勝者である藍が会いに行く事は無謀な試みであった。

松山選手には友人だと紹介されたが、藍が優勝した事を正直に話すと枕元に置いていたおもちゃを投げつけられた。

怒鳴りつけようとする松山選手を制止すると藍は弟さんの手を握って語り掛ける。

 

『お姉さんは負けてないよ。』

 

『負けただろ!

お前のせいで!』

 

藍の手を振り払うと弟さんは暴れて藍の身体をあちこち叩くが、藍も負けじと弟さんの両頬を押さえつけて顔を近づける。

 

『お姉さんにとっての勝利は君が勝つ事です!

これは2人で戦う勝負なんだよ?』

 

『うるせぇ!俺の気持ちなんかわからないくせに!』

 

それでもなお暴れる少年のおでこに頭をぶつけて黙らせる。

 

『お姉さんは戦ってきました!

今度は君が戦う番です!』

 

弟さんの目を真っ直ぐに見つめる。

 

『…私も戦ってます。

みんな望んだ未来のためにずっと戦ってるんです。』

 

よく見ると鼻の所が少し赤い。

さっき投げたおもちゃの角が当たったのだろう。

 

流石に申し訳なく思い目を逸らそうとしたが、顔の向きを正面に戻されてしまう。

真剣な表情で見つめる藍の瞳に吸い込まれるように見入ってしまう。

やがて藍が顔を離すと少年は照れたようにそっぽを向いて一言だけ喋った。

 

『…俺ももう一度戦う。』

 

 

 

夕暮れ時、駅を降りて真っ直ぐ屋敷に向かうと祖父が庭先で待ってくれていた。

 

『勝ったか?』

 

祖父の問いに笑顔で答える。

 

『はい、今度は勝ちました。』

 

迷いは感じられない。

祖父は静かに微笑むと藍に一通の紙を差し出した。

 

『世の中には怪異が溢れ、もはや市井にも被害が出るようになってきた。

そこで我々が退魔師組合を発足する事になった。

藍、お前も退魔師として登録してみるか?』

 

その言葉にハッとする。

つまりいよいよ自分が一人前として太刀花の名を語り活動するという事だ。

力強く答えるべき場面だが、やはり藍は正直に答える事にした。

祖父が求めているのはやる気ではなく私の本音だからだ。

 

『…本音を言うと少し怖いです。

私の選択が正しいと証明できる自信はありません。』

 

居合の型だけは褒められるようになったが実戦の経験はない。

このまま運悪く強敵と出くわせばすぐにやられてしまうだけだろう。

だが祖父は藍の頭を優しく撫でて語り掛ける。

 

『お前は良い子だ。

お前の進んだ道には多くの人の幸せが生まれると信じている。

その人々がお前を絶望から救い、障害から守ってくれるだろう。

…お前の母もそうだった。』

 

聞けば母も戦いの中で数多くの仲間と出会い様々な事件を解決したそうだ。

 

『ワシの娘も孫も蝶よ花よと愛でられるだけの器ではないらしい。

どうだ?』

 

正直不安な気持ちは多い。

だが、まだ見ぬ出会いを想うと期待の方が勝った。

命懸けの仕事に赴くのに、こんな気持ちは不謹慎かも知れない。

 

しかし藍はこれからの出会いに運命めいたものを感じていた。

 

『太刀花藍。

謹んでお受けいたします。』

 

静かな夕日に見つめられ

この日、太刀花藍は退魔師となった。

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