いつか、善き人として生まれ変われる様に 作:万年赤字一般傭兵
戦闘訓練の翌日、疲れを残しながらも登校してきたヒーロー科生徒を出迎えたのは労いの言葉ではなく大量のマスコミだった。
オールマイトに焦点を当てた彼らの質問は特に、彼が副担任を務めるA組に集中しており、その中には当然蜘蛛蠍も入っている。
だが巫子であった彼にとって、話が通じる人の集団など大した問題ではない。
『オールマイトの授業はどんな感じです? 』
『とっても面白いですよ!じゃあ僕急いですのでサヨナラ!』
押し合いながらもある程度の余裕を持っていたマスコミの間をスルスルと抜け出し、彼はいつも通りに雄英内への登校を成功させていたのだ。
とは言え彼以外のクラスメイトは足止めをくらったがために、教室で誰かと話すこともできない。
「……あっ、雄英バリアー」
(タルタロスにあった青銅の門を思い出させますね…)
結局のところ、大半のクラスメイトは始業時刻ギリギリに教室へと入る事となり、せっかく早く来た蜘蛛蠍は外の様子を見て暇を潰すことしかできなかったようだ。
マスコミ騒動は無事になりをひそめ、今日もいつもと変わらぬHRが始まった。
勿論。昨日の戦闘訓練について端的な批評を述べる相澤教諭もまたいつも通りである。
「急で悪いが今日は君らに…」
(!!何考えてるか分かんないのは、この人相手だとかなり怖い…!)
もっとも今の心を読めない蜘蛛蠍にとって、相澤教諭は何とも怖い存在に思えていたが。
そして彼ほどにないにしても、他のクラスメイト達がすわ臨時テストなとざわつき始める。
「学級委員長を決めてもらう」
「学校ぽいの来たー!!!」
「学級委員長…?」
だが、彼らの心配は全て杞憂と終わることとなった。
学級委員長、つまりはクラスのリーダーとして皆を引っ張るその役は、個性豊かなA組生徒にとってとても魅力的であり彼方此方で手が真っ直ぐ聳え立って行く。
「あら、蜘蛛蠍ちゃんは立候補しないの?」
「えっ、お前委員長になる気ねぇの?」
「まぁ…はい」
(リーダー、リーダーはなぁ…)
蛙吹に学級委員長が何かを聞いても気が向かない、そんな蜘蛛蠍ただ一人を除いて。
その後は飯田の提案で多数決で委員長を決めることとなり、委員長に緑谷出久、副委員長に八百万という形に収まった。
「お前に入れようと思ったのにな…」
結局、蜘蛛蠍は飯田に唯一の一票を入れるだけで、それ以上の何かをする事はなかったが。
HR後、時計の短針が真上をさして雄英の食堂に生徒がごった返し始める。
そして、そんな生徒達の例に漏れず蜘蛛蠍もまた切島や上鳴と共に昼食をとっていた。
初めは、いつも通りの雑談混じりの楽しい昼食であった。
「そういや蜘蛛蠍、結局何であの時立候補しなかったんだ?」」
「まだ日も浅いけどさ、お前がこんな事で日和る様な奴じゃあ無いと思ってたんだが…」
「それマジ?全員手を挙げてたもんだと思ってた。…確かに気になんな、何か特別な理由でもあんのか?」
だが彼らの話題の矛先が蜘蛛蠍の触れるべきでは無い部分へと向いた瞬間に、その流れは変わった。
「…まぁ、昔似たような事をやった事がありまして」
「あっ、そうなんだ…ってなら尚更、何でやろうとしないんだ?」
肉の中でざざ虫が蠢き、飛び出しそうな感覚が蜘蛛蠍に走る。
それと同時に今の状況に昨日の行いの応報を感じながらも、オールマイトとの対話で少しは過去を過去のものと割り切ってぼかせると結論づけた彼は、その理由を伝えることを決めた。
そんなぼかしの意図とは異なって、彼の心はどこか遠い過去へと行き始めていたが。
「リーダーであり続ける事に疲れたんです、ただそれだけです」
「リーダーと言うのは一番強くなくてはいけないのに、それでいて誰かの弱さと醜さを受け入れないといけないでしょう?」
(…そして、一度始めれば逃げられない)
「だって共同体の維持には圧倒的な力だけではなく、どうしようも無い弱さと罪を捨てるべき場所も必要なのですから」
(あの時だって、そうだった)
最低限のオブラートに包むことはできても、しかし一度悍ましい物を思い出せば、それを無視することなど到底できなかった。
語り続ける彼の目に映るのは、かつて巫子の務めから逃げ出そうとした時の記憶。
鞭の痛みと積もり続ける罪に耐えかねて凍える地下を抜け出し、しかし伊織古老の言葉によって連れ戻された日だ。
それは母児村という吹き溜まりを維持する為、ただそれだけの為に百年以上続く苦痛の提案を受け入れてしまった瞬間である。
そんな物を浮かべ始めた彼の語りには先までの陽気な雰囲気など無く、どこか陰鬱であり、その顔はだんだんと翳り始めていた。
「見たくも聞きたくも無い様な事が雪崩れ込んでくる。そんな事が何年も続いたものですから…」
「蜘蛛蠍!もう大丈夫だ!!それ以上話さなくていい!」
「…だよな、上鳴!」
「お、おう!変な事聞いてごめんな!」
「いえいえ、所詮は過ぎたことです」
「今は全然、気にしてませんよ。…そう、全然…」
((どう考えても、めちゃくちゃ引きずってんじゃねーか!!))
やがてこの話を始めた瀬呂達が打ち切りたくなるほどに、彼の顔にさす影は深くなっていた。明らかな地雷を踏んだことを察した彼らが何とか話の方向を切り替えようとした時。
「な、なんだぁ!!」
「警報!?」
[セキュリティ3が突破されました]
[生徒の皆さんはすみやかに屋外へ避難して下さい]
騒がしかった食堂全体がけたたましい警報音によって一瞬静まり返る。
だがそれも束の間、普段ならば授業の愚痴などを話しながら食堂を去っていく生徒達が、混乱という騒がしさをもって一斉に避難し始めた。
「セキュリティ3ってことは不法侵入ですね」
「ズズッ……」
「いや何呑気に茶飲んでんだ!?俺たちも避難すっぞ!」
「まぁ、待ってください。オールマイトを抜きにしても雄英の教師陣は誰もが粒揃いのプロヒーローです、侵入者が誰でも大した事にはならないでしょうから」
「それに…」
「アレに巻き込まれれば、侵入者関係なく死にかねませんよ。群集事故というやつですね」
「アレって…」
平穏な日常を完全に破壊した警告音に加え、避難誘導も無いこの状況。
「押すなって!!「ちょっと待って倒れる!「いてえいてえ!!」
蜘蛛蠍が指差す先の出口には、混乱のあまり我先に避難せんとですし詰め状態になった生徒達の波があった。
幸いにも巻き込まれなかった彼らではあるものの、しかしそのままではいられない。
「なら!今冷静な俺たちが呼びかけて落ち着かせねぇと!」
「…!その通りだな、切島!ほら、蜘蛛蠍もさっさと来いよ!!」
「……」
(……僕達の声なんかが届く訳…)
ヒーローの卵とはいえども、その心は確かに誰かを助けようとするのだから。
そうして切島達と共に呼びかけを始めた蜘蛛蠍だったが、彼は半ば諦めていた。
何故ならば恐怖によってパニックになった群衆、それがいかに弱くて恐ろしいものかを彼は理解しているからだ。
母児村に逃げてきた者たちの記憶や経験が、彼に身をもって教えていたのだ。
どれだけ声を張り上げようとも、どれだけ慈悲を乞おうとも、決して止まる事は無い迫害を。
だから彼はこの混乱に何かの手を加えようとはしないが、しかし誰かを見捨てたい訳でも無い。
「みんな!!冷静になって…あっ、峰田君!!」
「峰田!?」
「やべえじゃん!潰されかけてんぞ!!」
「畜生…!!最期は、美女のボインで窒息死したかっ……」
その身長ゆえに特段まずい状況に陥っている峰田を見つけると、蜘蛛蠍は群衆の合間を縫う様に糸を放って彼を縛り付ける。、
「……え?」
途端その体は群衆から一本釣りに引き抜かれ、彼は驚く間も無く蜘蛛蠍の体に抱き寄せられた。
「一体何が…って、ここ何処!?」
「峰田、無事か!?」
「蜘蛛蠍、どうだ!まさか死んでねぇよな!?」
「普通に生きてますよ…峰田君、大丈夫ですか?」
「は!?蜘蛛蠍!?いやまぁ、怪我はねぇけど」
「これは一体どう言う状 きょう………」
「………無い……?」
猫の様に蜘蛛蠍の腕で抱き抱えられ、突然の変化に困惑していた峰田が急に静かになった。
まるで処理しきれない情報を頭に叩き込まれたかの様にフリーズした彼を不安に思い、切島達が再び声をかけようとした時
「大丈ー夫!!」
いつのまにか出口直上の壁に張り付いていた飯田が、食堂全体に響くほどの大声をあげていた。
その声は混乱していた群衆へと確かに届いており、騒がしかった彼らを一瞬静かにさせた。
それを好機に彼は言葉を続ける。
「ただのマスコミです!」
「なにもパニックになることなありません。大丈ー夫!!」
飯田が言葉を発し、状況の理解を広めるたびに混乱は収まっていく。
先の蜘蛛蠍の考えとは違って、確かに冷静な言葉が届いているのだ。
「…凄えな」
「ええ……」
理性すらも捨てて、ただ恐怖に狂った群衆は決して止まることは無い…そんな蜘蛛蠍の常識は目の前でたち消えている。
だからこの光景は蜘蛛蠍とって理解し難く、それ故に彼へ新たな気づきを与える事になった。
(飯田君が最善の手段をとった、それは間違いない)
(けど、これはきっと…)
(彼の言葉を聞いた人たち、彼ら自身が昔とは違うんだ)
それは単一の強大な存在だけでは無く、それに付き従う存在たる群衆の変化。
永遠に変わらない筈の人間性の、微かな変遷である。
そして、そんな変遷は彼にとあるものを見せ始めた。
(…確かに、変わったんだ)
(これならオールマイトの言った事、いやそれ以上の何かが…)
やがて誰もが流されずに自分で考え、理不尽に誰かを拒絶する事がない社会を。
遂には己すら真に受け入れてくれる、そんな社会を。
それらが今はまだ時期尚早にすぎるイメージだとしても、長い時間をかけて見える形となった変遷こそが、彼に一抹の希望を感じさせたのだ。
文明の光がとうの昔から恐怖の象徴たる夜を消しているが、決して恐怖がなくなった訳では無い。
そんな夜の暗さが逃げ込んだかの様なバーで、敵達が悪意を渦巻かせているのだ。
「…先生、何でコイツも目標なんだ?」
「角生えてるだけの、ただのガキじゃねぇか」
[あまり気にしないでも大丈夫だよ、弔。その子はただの指標に過ぎないからね]
[オールマイトのついでに、最低限殺しておくべき生徒の一人というだけさ]
「あっそ……ああ、でもいいな」
「このガキって生徒だろ?…黒霧、もしコイツをオールマイトの前で殺したらどうなるかな…!!」
「平和の象徴が、教師として生徒も守れずに死ぬ…!最高じゃあないか…!!」
しゃがれ声で邪悪な思考を巡らす青髪の男、そんな彼を通信機の向こう側から見守る謎の存在、名前通りの見た目をしている黒霧と呼ばれたバーテンダー。
「GRRRRR…」
「…殺せれば、の話だが」
そして脳と歯をむき出しにした朱混じりの黒い巨人に、純白のフードとローブで姿を隠しながら小声で皮肉を言う客人…
敵であろうとも、或いはそれ故に。
ここにいる彼らもまた変遷を待ち望み、そして齎す存在だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。