いつか、善き人として生まれ変われる様に   作:万年赤字一般傭兵

23 / 25
祭後

 

 体育祭が終わり、疲れ果てた生徒達が今日ばかりは素直に各々の帰路につき始めた。

 それはヒーロー科といえども例外では無く、体育祭の反省をしている者もいない事はなかったが少なくともこれ以上体を動かす気にはなれない様だ。

 

 そんな中、蜘蛛蠍はとある人物と一対一で向かい合っていた。

 その相手は瀬呂でも、切島でも、まして爆豪でもない。

 

 

「えーっと、一体何の用?」

 

 

 今彼の目の前にいるのは尾白、先の体育祭で最終トーナメントに進めたにも関わらず自ら辞退したA組の選手だ。

 尾白にとって蜘蛛蠍との間に繋がりなどほぼ無い故に半ば困惑しているが、それでも蜘蛛蠍にとっては今すぐにでも話さねばならない訳があった。

 

 

「今日の体育祭についてです。その、騎馬戦について覚えていますか?」

 

「ああ、あの心操に操られちまったあの時か……そういや蜘蛛蠍は大丈夫だったのか?」

 

「ぅっ…」

 

 

 それは心操と結託してヒーローらしからぬ行為をした事への咎、体育祭が終わり遂に罪に向き合う時が来た蜘蛛蠍にとって尾白からの心配は毒に等しかった。

 だが、ここで話せなくなる心持ちなら最初からこの様なことなどしない。

 胸に刺さった罪悪感が痛みながらも、蜘蛛蠍はゆっくりと己の罪を話し始めた。

 

 

「実はあの時、僕は正気だったんです」

「それで尾白君達が心操君に洗脳されている事も知っていたのですが…」

「…起こすと不都合だと思い、尾白君達の洗脳を見て見ぬふりしていたのです!」

「本当に、すみませんでした!!」

 

 

 謝罪の言葉と共に蜘蛛蠍の頭が思い切り下げられ、沈黙が流れた。

 蜘蛛蠍も、尾白も、何も言わずにただそこにいた…が、しばらくの間を置いて尾白が口を開いた。

 

 

「いやぁ、何と言うか…うん、別にそれを伝えられても…怒る気にはならないって言うか、寧ろ困ると言うか……」

 

「…えぇ?」

 

 しかし、その言葉は蜘蛛蠍が予想していた様なものとは違っていた。

 尾白の言葉に込められているのは、変わらず困惑のまま。

 

 

「しかし…尾白君は実質僕のせいでトーナメントに出れなかった様なものじゃないですか」

 

「いや、第一に出なかったのは俺の判断だろ?」

「騎馬戦で負けたと言うならまだしも、蜘蛛蠍が心操と組んで勝ったのなら…あの時言ったみたいに、寧ろ俺の方が何もせずに勝ち馬に乗った卑怯者じゃないか」

「それに、青山の奴は気にもしてなかっただろ?別に全肯定するわけでも無いが、少なくとも蜘蛛蠍がやった事は頭を下げて謝るほどのものでも無いだろ」

 

「そう、ですか…?」

 

 

 尾白としては蜘蛛蠍を責める理由など特段無かった。

 そもそも騎馬戦では誰もが敵対しており、全ての結果が自己責任に帰結する状況であった故に、彼が感じていたのは心操の個性に引っ掛かった己の未熟さだけ。

 だが、今のこの状況に関しては思う事があった。

 

 

「だから騎馬戦に関して話す事なんてもう無い、無いんだけどさ…一つだけ良いか?」

「いやさ悪気がない事は分かっているんだ、さっきみたいに頭下げるあたり本当に申し訳ないって思っていた事も」

「……だけどさ、正直言ってコレは余り良くないかな…って」

 

「コレ、とは…?」

 

 

 なまじ蜘蛛蠍が善意と罪悪感で行なっているのが丸分かりであるが故に、尾白がその思いを口にするまでには少々の躊躇いがあった。

 だが、ここまでの話で決して蜘蛛蠍が悪い奴では無いとわかっているが故に、彼は意を決して口を開く。

 

 

「俺も、そして蜘蛛蠍も、というか全員が体育祭には全力で挑んでいただろ?」

「だからさ、皆んな試合外の行為にはまだしも試合内の行為に関してはルールにさえ則っていれば何でもするつもりだったし、仮に負けたとしても相手を恨んだりなんかは絶対にしないよな」

「仮に蜘蛛蠍が俺と逆の立場だとして、洗脳を解かなかったからって怒ったりなんか絶対にしないだろ?」

 

「それは、そうですね」

 

 

 尾白は一見すれば普通の人間だ。

 魑魅魍魎が当たり前の超人社会では、個性といえどもその背に生やした尾は目を引く程に特徴的とはあまりいえない。

 しかし、そんな地味な個性の彼がこの雄英にまで至ったのには、それを補ってあまりあるほどの別の"個性"があるからなのだろう。

 

 

「じゃあ何と無くこれもわかりそうだな……蜘蛛蠍はさ、戦って負けた相手から"勝たせてやれなくて、ごめん"って言われたらどう思う?」

 

「それは……何というべきか、少し嫌ですね」

 

「だろ?……まあ、少し例えが悪かったけどそう言う事だ」

「お前にとっちゃ2位は爆豪に負けた証なのかもしれないが、俺にとっては十分過ぎるほどの称号に見えるし、そんなお前からさっきの的外れな事で謝られるのはハッキリ言って嫌味に聞こえる」

 

 

 彼がその個性を強力な個性にまで昇華させた訳は、幼き時から修め続けてきた武道。

 それは決して力と技のみならず、彼の心までも確かに鍛え上げていた。

 もっとも、厳しい鍛錬で公明正大かつ強靭な心を身につけただけでは無い。

 時に自身を上回る相手とも戦い負ける、そんな経験を積んできた彼にとっては強者だけで無く弱者の気持ちもまた理解の対象であり、時には憐れみをかける事が相手の心を一番傷つける残酷な行為だと知っていたのだ。

 

 

「だってさ"トーナメントに出られなくしてしまって申し訳ない"って…そんなの俺が出場しようがしまいが、お前にとっては何の関係も無いみたいじゃ無いか」

「キツイ言い方すれば、俺相手なら余裕で勝てるからせめてもの憐れみで出場させたかった、と……如何にも相手を舐め腐っているように聞こえかねないからな」

 

「それは……」

 

 

 それは蜘蛛蠍の紛れもない善意であり、同時に無意識の傲慢でもあった。

 少なくとも同級生に、ましてや互いに一位を争うようなライバルには決して言わぬ言葉であるのだから。

 

 

「すまん、少し言い過ぎた」

「………今日初めて話したような仲だけどさ、何だかんだ言って蜘蛛蠍は本当にいい奴って事は分かる」

「でも、いい奴ならこんな詰まらない事で誰かと喧嘩しているところは見たくない」

 

「まぁ、それだけだ」

「……あまり気にし過ぎるなよ?ただ少し言葉が癪に触ったってだけだから、な?互いに今日の嫌な事は忘れて明日に備えようぜ」

 

 

 それ以上の言葉は、最早不要だった。

 半ば強引ではあるものの、それでもこれ以上話を続けるよりは良いと尾白は部屋の扉に手をかける。

 

 

「少し、待ってください」

 

 

 だが、その扉が開けられる前に蜘蛛蠍が彼を呼び止めた。

 何かと思って尾白が振り返るが、そこには先までのように申し訳なさで頭を垂れていた蜘蛛蠍はいなかった。

 

 

「きっと、僕の言葉では何を言っても弁解はできないと思います」

「どうであれ、この申し訳なさを消す為の自己満足にしかならず尾白君に迷惑をかけてしまうでしょうから」

「だから、もう言葉は使いません」

 

「代わりに…尾白君、僕と立ち合ってください」

 

 

 そこに居たのは、試合を申し込まんと頭を下げる相手であったのだから。

 

 

 互いに言葉を交わす事もなく、彼らは事前に示し合わせたかのように許可をとりグラウンドβへと移った。

 そして先の体育祭でそうしたように、ジャージを着けて静かに向かい合っていた。

 

 

「「お願いします!!」」

 

 

 審判も前触れもなく、その試合は始まっていた。

 要らぬ誤解を引き起こす言葉を捨て、嘘をつかない拳と脚で互いのプライドを賭けた純粋な闘争たる試合が。

 

 

(この至近距離じゃ糸は無理!格闘戦を制する!!)

(こんなに近けりゃ糸は出せねぇだろ!このまま仕留める!!)

 

 

 互いの意は同じ。

 片や脚を、片や尾を振るい、高速でぶつかり合った筋肉が空気を爆ぜさせる。

 それが幾度も続き、拮抗してきた頃に両者の攻め手は変わっていた。

 

 

(これ以上は不毛!体幹を削る!!)

(攻め手が緩んだ…ならば、今の隙に!!)

 

 

 次の意は真逆。

 片や受け流しに徹し、片や更に攻めを激化させた。

 尾だけではなく更に徒手空拳を交えたそれは正しく尾白の"個性"と呼ぶに相応しい猛攻となり、その一つ一つの力を回転に変えて受け流す蜘蛛蠍の技もまた確かな強みだった。

 

 だが、守りにも攻めにも限界はある。

 意図せずとも互いの全力を出している彼らは、この先に待つであろう結末を予測し始めた。

 受け流し、受け流される度にバランスが崩れる感覚が、彼ら二人の中で確かに感じ取れたのだ。

 

 

 終わりが迫る攻防の中、遂に片方が膝をつく。

 

 

(今っ!!)

 

 

 先に膝をついたのは、尾白。

 その隙を逃さんと、蜘蛛蠍は右の手刀を彼の首へと思い切り突き出した。

 瞬間、尾白の体がブレる。

 

 

「なっ!」

 

(尻尾を忘れていたな!!蜘蛛蠍!!!)

 

 崩れた尾白の背に隠れて十分に力を溜めていた尾が、バネのように彼の体を押し出したのだ。

 蜘蛛蠍も、そして今や尾白さえも、狙う先は同じ首元。

 僅かにズレた向きの修正は蜘蛛蠍から時間的優位を奪い、一方で崩れているが故に不安定となったバランスは尾白に全ての速度を活かすことを許さない。

 

 あと少しだというのに、勝ち負けを予測させない勝負の一瞬。

 

 

「「…………」」

 

 

 その結果は、互いの喉元に突きつけられた手刀となった。

 僅かに喉仏を押す中指は、即ち相手の命をいつでも奪い取れる証であり、故に試合の終わりを告げる証でもある。

 勝負は終わったのだ、どちらの勝ちにもならぬ形で。

 

 しばし残心を続けていた二人だったが、やがてどちらともなく構えを解いた。

 

 

「「ありがとうございました!!」」

 

 

 そして最後の礼が交わされれば、先までの緊迫した雰囲気などとうに無くなっていた。

 勝った訳では無いというのに、体育祭に加えて全力で立ち合った疲れがあるというのに、彼ら二人の顔に負の感情や疲れの現れは不思議と無い。

 

 

「はぁ、はぁ……強いですね、尾白君は」

 

「……そっちこそ…まさか俺の得意でこうなるとは、思わなかった」

 

「でも、これでハッキリしました」

「僕は、尾白君を侮れない。それどころか、このままじゃ追い抜かれそうですよ」

 

「それはこっちのセリフだよ…個性の糸を使ってないのに、格闘戦でここまで強いのは末恐ろしい…」

 

 

 ただ二人の顔にあるのは、闘争を終え心に残っていた支えが取れた安堵感に解放感だ。

 そして汗を流し息を切らしながらも互いの健闘を称えていた2人は、自然と笑みさえ浮かべていた。

 

「しかし、まさかこんな事になるとはな…あぁ、悪い意味じゃないぞ」

「お前が俺を舐め腐ってなんていない事は十分に分かったのもそうだが…こうしてお前と手合わせしたら、少しだけ体育祭でやり残した事への後悔が晴れた気がしたんだ」

「……ありがとな、蜘蛛蠍」

 

「!それなら、良かったです……よし、尾白君、今度は僕から少しいいですか?」

 

 

 もう十分な程に先までの蟠りは解けている、されど蜘蛛蠍はそれだけでは満足しない。

 ただの友達ではなく、確かな好敵手として尾白と付き合っていくために、思い切って立ち上がった彼は目の前の友を見据えてハッキリと宣言し始めた。

 

 

「尾白君、僕は君に絶対勝てるとは決して思っていません」

「先の試合も何かが違えば僕が負けていたでしょうし、その逆も有り得たのだと思います」

「だけど…」

 

「負けるつもりも、また決してありません」

「来年からの体育祭だけじゃ無い。これからあるであろう全ての戦いにおいて僕は尾白君に負けるつもりも、負ける様な甘たれた修練を積むつもりもありません」

 

「……以上です」

 

 

 その言葉は、先の戦いを経た故に何よりも力を持って尾白の心へと響いていた。

 そしてここまで言葉を尽くした以上、これ以上の御託は不要であり…

 

 

「なら、俺も油断なんて到底できないな」

「勿論ですよ」

 

 

 彼ら2人は短い言葉と共に拳を突き合わせ、ただその友情と意思を確かめ合った。

 

 

 

 

「んー!!好み!!!!」

「許可を出した甲斐が大ありね!!!」

 

 


 

 

 蜘蛛蠍が家に戻ったのは、すっかり日が落ちた後。

 そんな彼と時を同じくして家に戻ったのはレディ・ナガン、決勝戦にて我慢できずに声を大にしたせいでファン達に囲まれていた彼女は蜘蛛蠍よりも疲れている様子だ。

 

 

「お疲れ様ですレディ・ナガンさん…っ!!」

 

「蜘蛛蠍〜!!!よく頑張ったなお前ー!!!」

 

 

 だが一度玄関のドアが閉じれば疲れはどこにやら、彼女は蜘蛛蠍を抱きしめてこれでもかと頭を撫でまわし始めた。

 

 

「ん!んー!!」

 

「そりゃあ優勝出来なかったのは残念……だけど!!2位だぞ2位!!!」

「それもただの2位じゃねぇ!!あのエンデヴァーの虎の子に勝っての2位だぞぉ、ええ!?」

 

 

 確かな筋肉がついた腕が蜘蛛蠍を隙間なく抱き上げ、彼女が歩みを進める度にその声と頭を撫でる手の動きは更に強さを増していく。

 人一人抱えているというのにその歩みに一切のブレはなく、やがて彼らはリビングのソファへと至った。

 

 

「いやもうほんと、何て言えばいいんだコレ………」

 

「む〜、はっ!!…レディ・ナガンさん、少しいいですか?」

 

 

 ソファに座り込む一瞬、僅かに抱きしめる力が緩まったその間隙をついて蜘蛛蠍はレディ・ナガンの腕から逃れ、真正面から彼女と向き合った。

 その眼に映るはただの申し訳なさでは無く、固い決意を秘めた様な眼光。

 先までは酔っていたかのように興奮していた彼女であったが、彼のこうした初めて見る表情には思わず口を閉ざし聞く姿勢に入るしか無かった。

 

 

「色々と言いたいことは沢山ありますが…まずは、お礼を言わせてください」

「レディ・ナガンさん、今まで本当にありがとうございました」

 

「一体、どうしたんだ?そんな急に改まって…」

 

「今日の体育祭、本当に楽しかったんです」

 

 

 真剣に顔に反し、蜘蛛蠍が語るは体育祭の幸せな記憶。友と切磋琢磨し、そして競い合い、時にはレクリエーションで気軽な勝負をし…彼にとってはこれ以上を想像できないほどの幸せだった。

 

 

「オールマイト、根津校長、相澤先生…そして何よりもレディ・ナガン、貴女の助けが無ければこんな幸せなど想像すらできませんでした」

「だから、どうしても礼を言わなくては気が済まないのです」

 

「…そうか」

 

 

 礼の言葉など無くとも、"楽しかった"その一言だけで彼女にとっては十分過ぎるほどの報いだった。

 蜘蛛蠍とレディ・ナガンの付き合いは今年でおおよそ10年間もの長さ…それは若い女性にとって何よりも大切な期間であったが、されど費やした事を後悔するばかりか良かったと思えるほどに目の前の彼は幸せそうに見えたのだ。

 

 そうして感慨深そうに目を閉じた彼女だが、まだ蜘蛛蠍の話は終わっていない。

 

 

「そして、楽しかっただけでは無いです」

「決勝戦で爆豪君に負けた後、悔しいって思ったのです」

「ここまで世話になった貴女に申し訳無いという気持ちもあったけれど、それ以上にただ負けたく無いって思ったのです」

 

「…!」

 

 これまでレディ・ナガンが蜘蛛蠍に願っていたのは、ただ幸せになることだけであった。

 そこにヒーローという条件はなく、単に市井のありきたりな幸せを享受してくれればそれで良かった。

 蜘蛛蠍が相応に社会の裏側を知った上でヒーローを目指しているといえども、仄暗い処理を受け持つ彼女としては表に出さなくとも少しだけ気がかりな部分があっただから。

 社会のため、顔も知らない誰かのため、そう言って我慢を続けた先に起こる事を彼女はいやと言うほどに理解し苦しんだのだから。

 

 

「今回は負けました、でも僕はこれからずっと勝ち続けます」

「お世話になった貴女の為に、そして僕自身の悔しさの為に」

「身勝手だと思われたのなら、すみません」

「だけど、これもまた初めての思いだから伝えたかったのです」

 

「……あぁ…」

 

 

 だが、その気がかりは目の前で確かな意志を示した蜘蛛蠍によってかき消されていた。

 あらゆる情を心の奥底にしまい込んだ巫子から、感情の枷を外されて人相応に不安定となった子供へ、それだけでも十分な進歩と思えていたのに彼は決してそこに長くは留まらなかった。

 他ではなく己の利のために人生を掛けて進むべき道を心から決し、一人で歩いていかんとするその姿は、彼女にとって最早子供になど到底見えなかったのだ。

 

 

(ほんの少し前は、あれだけ泣いていた子供だったが…)

「…お前は、…あぁ本当に…ぅっ…!」

 

「レ、レディ・ナガンさん…?一体どうして…」

 

「違ぇよ、ただ…ただ少し眼にゴミが入っただけだ」

 

 

 レディ・ナガンの、大人としての体裁が崩れ始める。

 これまでの彼女は蜘蛛蠍を"子供"として見てきたが故に、決して彼の前で表情を崩す事は無かったが、何故か今ばかりは溢れ出る感情を眼の中に閉じ込めておくことができなかったのだ。

 

 

「……すまねぇ、見苦しいところ見せちまったな」

「蜘蛛蠍、何も心配する事はねぇ。…ああ、それでいい」

「その思い、絶対に忘れるなよ」

 

 

 だが、かつてそうであったように門出を祝うならば涙は不要だった。

 気合いで溢れた涙を無理矢理抑えながらも、彼女は新たな道へ進まんとする彼の背を言葉で力強く押し出した。

 

 他者からの望みなど全く意に介させず、ただ私的な欲求のみで歩まんと蜘蛛蠍が決めた道。

 もっとも彼は未だに成長の途中にあり、時にその歩みを躊躇うことがあるやもしれない。

 だが、それでも彼の行く先を案じる必要はない。

 レディナガン、相澤教諭、オールマイト、根津校長…各々が違う人生を送り、相応の後悔と教訓を積んできた大人達がいるのだから。

 

 

「!はい!!」

 

 

 最も難しき第一歩は、レディナガンによって既に果たされた。

 故に道理が通るのであれば、この先の歩みを不安に思う必要など何一つ無いのだろう。

 

 

 


 

 

 体育祭が終われども、教員たちの仕事は終わらない。

 そのうちの一人、リカバリーガールが務めるは雄英高校保健室。

 高齢であろうとも衰えぬ仕事の手腕を十分にふるい、どうにか仕事を終わらせた彼女はある電子書類を読み始めた。

 

 

「はぁ…流石に載ってないかねぇ」

 

 

 彼女がため息混じりに読み始めたのは蜘蛛蠍の特異性、もとい彼が巫子としてあり続けた一因たる再生能力について記載された書類だ。

 頭を潰そうとも、心臓を貫こうとも、焼かれようとも、彼の体は一時の休息を取るばかりでやがては再生する。

 これまでの長い人生で彼女が治癒してきた患者は数多といるが、その中で蜘蛛蠍の如き再生能力に比類するものはいなかった。

 

 故に、彼女にとって蜘蛛蠍の再生能力は今の今まで半信半疑であったが…体育祭で傷ついた彼を見れば信じずにはいられなかったのだ。

 だが、ここまで彼女が頭を悩ませる訳は別にある。

 

 それは、蜘蛛蠍の体の脆さだ。

 もっとも病気に対する耐性などでは無く、より物理的な骨の固さや筋肉の強靭さなどであるが。

 

 

(あれだけ動けるなら、普通は体そのものも十分に頑丈なはず)

(体育祭での骨折に内出血…あの程度ならここまで酷い怪我にはならない)

(まして幾らかは再生された後という事を考えれば、尚更さね)

 

 

 彼女はその顔に刻まれた皺よりも多くの雄英生徒を治癒してきたが、その一つ一つの傷は今なお頭に残っている。

 だが思い返せども蜘蛛蠍程に酷い怪我をした生徒など片手に収まるほどであり、まして異形系個性によるものでもないのに単なる殴打と蹴りで骨を折るものなどいなかった。

 

 故に数値には出来ないものの、彼女の長年の経験は蜘蛛蠍の体に潜む別の異常を気づかせ、更にはその解であろうものへと導いた。

 

 

(個性適応説…個性黎明期を境とした身体能力の変化に対する一つの答え)

(昔はともかく、今や無用となって廃れた考えだと思っていたんだけどねぇ)

(根津からの話が確かなら蜘蛛蠍は私達よりも昔の人間、個性こそあるがオールマイトみたいに後付けの個性と考えれば…可能性としてはあり得るね)

 

 

 人体が生来の個性に適応しようと異常な変化を遂げるとされる仮説。これ自体は個性関連の分野では基礎となる仮説だが、彼女の考えはその始まりとなった個性適応説へと至った。

 

 もっとも、その説だけでは足りない。されど彼女が別の書類に手をつけた際に目的の情報を見つける目印となった。

 

 

(これは)

 

 

 膨大な量の情報の中で彼女が見つけたのは、一つの論文。

 決してそれが黄金色に輝いているわけではないが、一度見つければ目を離す事は出来なかった。

 

 

(この著者は……)

(金仮面(GoldMask)卿…?)

 

 





ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。