いつか、善き人として生まれ変われる様に   作:万年赤字一般傭兵

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親子の追憶

 

 あまりに短い社会との隔絶に反し、母児村の慣習は何かもが非常に独特だ。

 その中でも巫子との関わりが深い、特に罪人に対する扱いたるや類を見ない程に独特なものだと言えるだろう。

 

 母児村における重罪人は例外なく冷たい牢獄へ、凍り付いた蛆虫が真っ当な食糧となるほどの地獄へと送られる。

 だが現世に存在する多くの地獄と違い、そこには確かな救いがあった。

 やがては巫子が訪れ、共に壺へと詰められる事で全ての罪が清算されるのだ。

 故に罪人は牢獄にて絶望する事なく必死にもがき、いつか訪れるその"救済"を希望として生き永らえんとするのだ。

 

 

 ある日、巫子はそうした牢獄の一つである母児牢獄を訪れていた。

 そこで救うべき者は二人。

 巫子を殺す毒薬を作ろうとし、目を潰された後に投獄された呪剣士の二人だ。

 だが巫子が訪れた時、救うべき者は二人では無かった。

 

 

『これ…いや、この子は…』

 

 

 静かに凍りついた牢獄に、一段と響き渡る泣き声。

 救うべき者は、もう一人いた。

 それは冷たい牢獄にて産まれた罪人の赤子。凍り付いた血の匂いと腐臭が充満する牢の中で、それでも生を繋いでいた小さな命が物を言わぬ母の手に抱かれていたのだ。

 

 

『……安心しろ、この子だけなら出してやれる』

 

『…、りが…い、ます……』

 

 

 "救済"は、予定通りに成された。

 そして巫子が去った後の牢には、誰一人として残っていなかった。

 罪人も、そして赤子も。

 

 

「今まで、さぞ冷たかったろう。でも、もう大丈夫だよ」

「ん…さぁ、幾らでも飲みなさい。これまでの分、沢山飲んで元気になるんだ」

 

 

 母児村の端にある屋敷の一室、そこでは牢より戻ってきた巫子が一人の赤子を優しく抱いていた。

 だが、ただ抱いている訳では無い。

 これ以上寒くならぬ様にと赤子を真白の布で包んだ巫子は、胸に赤子の口をあてがわせ乳を与える事さえしていたのだ。

 

 必死に生きようとその乳を吸う赤子に、一切の悪事が許されると思わせるような慈しみの表情を浮かべた巫子。

 二人を包む空気は、とても先まで地獄にいたとは思えぬ程に暖かく穏やかだった。

 

 だが二人だけの空間に、入ってくる者が一人。

 それは身の丈を超える大槍を携え顔の全てを分厚い面布で覆っている、巫子の如き混じり角を生やした長身の女性。

 

 

「巫子様」

 

「少し待て…仔細はどうだ、伊織?この子を村の外に逃がせそうか?」

 

「厳しいかと存じます。単に連れ出すならまだしも、こうも迫害が強くては…その子を真っ当な意味で引き取る者はいないでしょう」

 

 

 彼女こそ母児村の古老、伊織だ。

 古老は先の牢獄で巫子へと鞭を振ってこそいたものの、その忠誠心は確かであるが故に巫子からの命に従っていた。

 だが結果は無情。母児村に住む多くの人々と同じ様に、親から引き継いだ角を持つその赤子が外での幸せを見つける事は未だ難しかったのだ。

 

 もっとも、かつての説得やこれまでの経験からそうである事は巫子自身も薄々わかっていた。

 

 

「なら、ここで育てようか」

「蝶よ花よとは行かぬだろうが、一人で生きていくのに十分な力くらいは与えてやらねばな」

 

「…何も巫子様が育てる事は無いでしょう」

 

「とぼけるつもりか」

「罪人の子ともなれば、お前の部下の責問官達が許す訳もあるまいに」

「母児村でこの子が何の憂いもなく育てる場所は、私の側以外にないだろう?」

 

「しかし……」

 

「伊織、お前は随分と偉くなったものだな」

「巫子としての領分に口出しするとは」

 

「そのようなつもりは、決して」

 

「…分かっている、心配してくれたのだろう?」

「だが…すまないな、伊織」

「こればかりは譲れないんだ」

 

 

 何と無しに巫子が言い放ったその言葉は、決して軽い考えで出して良いものではなかった。

 建前の上では巫子が最上位に立つと言えども、付き従うはあくまでも人。人間性の殆どを失った戦士達ならばともかく、自意識を残す責問官ならば巫子の理不尽に相応の不満を持ってもおかしくは無いのだから。

 

 

「時に伊織古老。今では建前でしか無いが…もとより母児村は異形によって、罪なき生まれの不遇によって虐げられた人々が集う場所だったな」

「その異形を捨てるにせよ、異形と共に村に留まるにせよ、彼らは母児村の巫子に救いを求めていた」

 

「だからこそ、私は巫子たるを務めようとしたのだ」

 

 

 されど、人間性を残すのは巫子もまた同じ。

 たとえ鞭で打たれようとも、罪人達の苦痛と記憶を刻まれようとも、それでも人としてあり続けた巫子には、巫子なりの矜持があった。

 

 

「無論、時を経れば現実を知ったさ」

「全てを救えぬ事も、永遠の務めには耐えられないであろう事も…そして、今の村に昔の様な大義がない事も」

「だが、そういった現実が巫子から逃げる理由にはならないだろう?」

「………逃げ出したところで、幸せになぞなれんからな」

 

 

 それは、右も左も分からぬ頃に首を縦に振って受け入れた務めへの責任感と、無為に終わった巫子からの逃亡に対する諦観が相まざった矜持。

 どう足掻こうとも幸せになれぬなら、せめて他だけでも幸せにせんとする。

 そんな巫子なりの矜持であり、意地だ。

 

 

「いかなる苦難があろうとも、目の前の救いを求める者を救ける」

「それこそが、皆が望む巫子のあるべき姿なのだから」

「唯一の例外は罪人だけ、お前達の胡散臭いあれこれなぞ関係ない」

 

「私は巫子であるが故に罪無きこの子を救ける、ただそれだけで…そうあるべきだからこそ、誰にも邪魔されてはいけないんだ」

 

 

 そんな矜持を思い浮かべながら語りつつ、しかし伊織の分厚い面布を貫く巫子の眼光に潜むは隠しきれない慈悲の心。

 そんな眼に見つめられた古老は懐かしさを感じたのだろうか、目を閉じて遠くに思いを馳せ始め…やがて解を得た彼女は、その口をゆっくりと開いた。

 

 

「……ふむ、とても…良きお考えでございますね」

「赤子を育てるとなれば入用となるものも多いでしょう、早速手配いたします」

 

「伊織、ありがとう…苦労をかけるな」

 

「巫子様の責務に比べればこの程度は何の苦でもありませぬ」

「…これもまた巫子様の為となりましょう」

 

 

 古老を突き動かしたのは打算か、情か、それ以外の何かか。

 彼女の心は分厚い面布に遮られていたものの、巫子にとってはこの赤子を育てられる事だけが第一であり、敢えて聞く必要もまた無かった。

 

 


 

 

 例え柔らかく暖かいおくるみに包まれようとも、赤子の性は変わらない。

 昼夜の分別もなく腹が減れば泣き、おむつが汚れれば泣き、理由が無くとも機嫌が悪ければ取り敢えず泣く。

 それ故に、赤子が親にとっての小さな天使である事は間違いないが、また同時に赤子とは親を最も追い詰める悪魔にもなりうるのだ。

 

 だが巫子にとってはその限りでは無かった。

 巫子ならば精神も肉体も病む事は無く、休息など必要ないのだから。

 赤子は如何なる時であろうとも、巫子にとっての寵児であり続けていた。

 

 

「巫子様、少しはお休みを」

「四六時中とはいきませんが、私も子の世話を」

 

「結構だ。無理を通した私が言う事では無いが…それより自分の心配をしてくれ、伊織」

「ただでさえ村の運営で忙しいだろうに、疲労を私に移さぬのであればこれ以上は厳しいだろう?」

「やがてこの子が巣立つ時には絶対にお前の助けが必要となる」

「だから、その時まで無理を重ねすぎないでほしい」

 

 

 もっとも、赤子の世話自体が楽になる訳では無い。

 寝る間も無く乳をやり、体調を確認し、寝かしつけ、おしめを替え、時にはあやして刺激を与え…巫子たる務めに加え、そうした一切の気が抜けぬ物事の連続こそが彼の日常になったのだから。

 

 されど、赤子もただ世話をされるばかりでは無い。

 流れ行く時の中で赤子は首を据わらせ、手を空では無く地につけ、バランスを取り始め、遂には誰かの手を借りずとも一人で立ち始めた。

 巫子にとって最も忙しかった筈の一年は正しく瞬きの様に過ぎ去り、いつしか赤子は幼子になっていたのだ。

 

 

「だっこ」

「はは、歩き疲れたのかい?いいよ、おいで」

 

「……ねむい」

「うん、布団へいこうか」

 

 

 幼子は足だけで無く口さえも達者に使い始め、知った言葉に追いやられるかの様に巫子の耳に響いていた泣き声は段々と鳴りを潜める。

 されど苦労の絶対量は変わらない。

 言葉を知るよりも早く心を成長させる幼子の精神は、時に大人よりも難解なものであるが故に。

 

 

「はい、あーん…」

 

「いや!!」

 

「……そうだね、一人で食べたいよね」

「うん!」

「なら、はい。こうやって、もって…」

 

「そうそう、ゆっくり……よく出来ました!!」

 

 

 特に"イヤイヤ期"と称される幼子の心の難解さたるや、巫子が心を読まねばならぬほど。

 それでも己が意志を持って何かを欲する事は、間違いない成長の証。

 巫子はその変化を尊んで喜び、幼子はその喜びに応える様にして更に育って行った。

 

 

「ただいま!!!」

 

「おかえり…伊織古老、例の計画は…」

 

「かなり順「おとーさん!!きょうね、きょうね!!」

「かけっこしてね、いちばんだったんだよ!!」

 

仔細は後にしよう…そうか!娘、新しいお友達はできたかい?」

「うんうん!!えっとね…」

 

 

 また暫くの時を経て幼子は己が心を他へと伝えられるほどに成長し、巫子が付き添うことは出来ずとも信頼できる者を付けられて屋敷の外へと遊びに行く様になっていた。

 

 古老による長年の根回しをされてまで、隠し育てられていた幼子が外に出る様になったのは、"子供は子供と関わりあってこそ最も成長する"そんな巫子の考えあってのもの。

 そして、これはただの遊びでは無く、狭い世界から広い世界へと飛び出す為の第一歩でもあった。

 

 

「学校はどうだった?」

 

「えっとね、けんかしちゃったんだけど」

「お父さんは少し待ったほうがいいって言ったけど、けれどすぐになかなおりしてあそびたかったから」

「だからごめんねしたらね、すぐになかなおりできたの!!」

 

「もう仲直りできたのかい?…それは良かった」

 

「ふふーんすごいでしょ!!だからね、お父さんに一つおしえてあげる!」

「なかなおりは、早ければ早いほどいいんだよ!!」

 

「はは、どうやら私の方が間違っていたみたいだ……ああ、本当にそうだな」

 

 

 幼子の背が巫子を追い越し少女の齢になった頃、少女の一日の大半は公園では無く小学校の教室に占められていた。

 クラスメイトと共に学び、遊び、話し合い…そうして経験した一つ一つの楽しみと悲しみを家族と共有し、時に教え以上の何かを見つけ出す。

 その生まれにも関わらず、少女が過ごす日々は普通でしかし最も幸せな時間だった。

 されど、決して周りと変わらぬ日常を過ごしていた訳では無かった。

 

 

「今日はここまで…最後は惜しかったな」

 

「お父さん!!石はひきょうだよ!」

 

「…娘、戦いに卑怯も何も無い。負けたらそれで終わりなのだからな」

「常に備えを怠らず、使える物はなんでも使え。死んだら言い訳はできないぞ」

 

「う、うん…」

 

 

 少女の日常には、たとえ巫子の助けがあろうとも酷と言える程に厳しい鍛錬があった。

 純粋な身体能力の向上だけでなく戦う術の習得を目指したそれは、個性を使わずとも身を護る為の訓練であり、即ち村の外で生きていく為に必要な過程だ。

 

 だが巫子の背丈を越したとしても、少女は未だに子供。

 日々の勉強がそうである様に、将来の為になるからと言って厳しい訓練を子供が続ける事はできない。

 

 

「……そうだな、いつものご褒美とは別に…」

「もし私を倒せたら、何でもお願いを聞いてあげよう」

 

「!ほんとう!?」

 

「本当だ。好きな食べ物でも、お洋服でも、漫画でも、オモチャでも…何でもだ」

 

 

 それ故に巫子は、容易に想像できる報酬を少女の前にぶら下げた。

 何を望まれようとも、所詮子供の頼みであるのなら例外なく叶えられると思い込んでいたのだ。

 

 

「ううん、そんなのいらない」

「そんなのより、わたしお父さんとずっと一緒にいたい!」

 

「…どうして、そう思うんだい?」

 

「だって、お菓子とかオモチャとかは無くなってもいいけど…お父さんだけは、ぜったいにいなくなっちゃダメだから」

「ねえ、お父さん…ただ勝つだけで、ずっと一緒にいてくれるんだよね?」

 

 

 そんな巫子の言葉に対し、少女が願うは何があろうとも決して手放したくない宝物。

 少女は、これまでで最も辛く難しい課題の先にこそ一番の褒美があるべきだと考えたのだ。

 

 

「…あぁ、そうだな」

 

「やった!!約束だよ!本当の本当に破っちゃダメなんだからね!!!」

「もし、破ったら……」

 

 

 それに対する答えがどうであれ、少女にとっては否定されなかっただけで十分だった。

 だからこそ少女は鍛錬に耐えるばかりか、巫子達の想像を超える程の成果と強さを示し続けた。

 

 故に、少女が巫子を下す日はそう遠く無かった。

 故に、巫子が少女を放す日はそう遠く無かった。

 約束は、守られなかった。

 

 


 

 

 窓から望む鉄橋の際が白み始めた頃、蜘蛛蠍は日よりも先に毛布から顔を覗かせた。

 普段から早起きではあるが、彼がここまで早くに目を覚ましたのは懐かしき追憶を夢に見たからだ。

 それは、今の蜘蛛蠍のように村の外に出て生きる道を進んだ子供の追憶。

 

 

美羅(うつら)…そう言えば、あの娘もまた村から出た一人)

(今になって思い出すとは、少し不思議だな)

 

 

 今の今まで忘れていたか、他者のものだと思い込んでいた記憶。それをこうして思い出せたのは、かつて蜘蛛蠍が少女に望んだように彼自身が村の外で自分の道を見つけたからだ。

 血が繋がっていなくとも親子は似た者となるが故に、子と同じ道を進まば自身が親である事を思い出す事は道理であろう。

 

 

(娘は今、何をしているのだろうか)

(十分な力は与えた、私と村に関する記憶は薬で消した、善良な夫婦のもとに送った……何も、憂いは無い筈だ)

(あぁ杞憂か、少なくとも不幸になる訳がない)

 

「……馬鹿だな。親擬きが、一丁前に心配なぞするものではない」

「本当にあの子の為を思うなら、あの牢獄で二人を…」

 

 

 もっとも、思い出したとて意味はない。

 どれだけ幸せな記憶であろうとも、どれだけ大切な記憶であろうとも、その記憶は巫子のものであり、蜘蛛蠍としては不要のものなのだから。

 

 

(!…いけませんね、こんな言葉遣いでは)

「蜘蛛蠍なら、もっと丁寧な言葉にしなければ」

「それに、こんなことを気にしている場合じゃないですね」

 

 

 不要なのは記憶だけではない。

 口調も心残りも何もかもが、蜘蛛蠍にとっては切り捨てるべき過去だった。

 "今に励む事こそが善であり、過去に囚われる事は悪である"

 かつての伊織古老とレディナガンから、そう伝えられた様に。

 

 

(体育祭で終わりじゃない)

(次はプロからの指名に職場体験だ、余裕がある内に備えておかないと)

(……敵連合が来ようとも、無様な様を晒さないように)

 

 

 もはや彼の脳内に夢見た記憶はなく、その思考は未来へと向いていた。

 体育祭の反省、鍛錬の方針転換、敵連合の情報収集、武器の調達…考えることもするべき事も大量にあるのだから。

 

 

(だから、過去なんて気にしている余裕はもうない)

 

 

 そうだからと言い聞かせて、過去とは向き合わなかった。

 

 


 

 

親子の追憶

 

子の代わりに巫子が忘れていた、親子の追憶

 

母児村を去る者は、関する記憶を薬で奪われる

それ故に、この追憶は本来あるべきでは無いものだ

巫子さえいなければ、そうなる筈だった

 

 

忘却の秘薬

 

銅の小瓶に入った秘薬

辛い苦悩を、全て忘れさせる

かつて呪剣士達が、巫子の為に作った薬の一つ

 

人の過去とは、即ち生きてきた証

なれば全てを忘れる事とは、生まれ変わりにも等しき奇跡だろう

 

 

巫子のお包み

 

巫子の糸で織られた、柔らかい聖布

免疫耐性を高めるが、正気耐性は下がってしまう

 

かつて母児村から古遺跡を望めていた頃

巫子によって育てられていた

あらゆる愛を父からもらった

ただ一つ、名前ばかりは、もらえなかった

 

 




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