見たくないものをいつも見て、聞きたくないものをずっと聞いて。感じたくない事を飽きるほど感じ続けた。
もう疲れた。
だからもう、休んでもいいよね。
────────────────────
《次は、波瑠舞二丁目、波瑠舞二丁目でございます。
事故物件調査、霊障のお悩み相談をお気軽にどうぞ。伊冴美霊務院へは波璃舞二丁目停留所を降りて三分でございます》
いつもと変わらない夕焼けに照らされた町の風景をぼんやりと見ながら、手にしていたスマホの画面を見つめる。
一週間も前に送信した既読にならない親友へのメッセージを見つめて、今日もまた一日が終わろうとしていた。友達と少ない会話をして、一人でお昼を食べて勉強しただけの一日。
どこかぽっかりと穴が空いているような感じのまま停車ボタンを押した。
《次、停ります。危ないですので、バスが完全に停車してから席をお立ちください》
チャイムと共にアナウンスを聞きながらまた窓の外を見る。
今日の晩御飯は何をしよう。洗濯物を取り込まなきゃとぼんやりと考えていたらバスがゆっくりと停まった。
《波瑠舞二丁目、波瑠舞二丁目。ご乗車ありがとうございました》
ブザー音と扉の開く音を聞いて学生カバンを片手に立ち上がる。
誰もいないバスの車内はほんの少しだけ不気味だ。
停留所に降りれば、そよ風が出迎えてくれた。
夕暮れの町並みは静かに佇んで私を見下ろしている。まるで虚無な私を見下すように。
その町を家に向かってほんの少し重い足を動かした。
降りたバス停から少し歩いた時、広い駐車場のコンビニの前に辿り着いた。
今日の晩御飯を買っていかないといけない。今日も家には私だけなのだから。
入店音が鳴るもカウンターに店員はいない。店内も物静かで誰もいない。
この町に自分以外は誰もいないのかもしれない錯覚に陥ってしまう。
ラップに包まれたお弁当を一つと500mlペットボトルの冷えたお茶を買い物カゴに入れた。
そういえば、最後に誰かの手料理を食べたのは何時だったっけ。
カウンターに持って行っても店員は現れない。
少し待っても出てこないのを見ていると、本当に営業してるのかな。
そう思った時に、ようやくやる気の無さそうな店員がやってきた。
「いらっしゃーせー。弁当温めますかー?」
「あっ、いいえ、このままでお願いします…………」
気だるそうにレジを打ち、ビニール袋に弁当とお茶を詰める。
そのやる気の無さそうな見た目とは裏腹に、その手つきは手早く綺麗に詰め込まれていく。
「支払いはどうしますかー?」
ぼーっと見ていたらいつの間にか袋詰めが終わっていた。
私は慌てていつも使っている交通ICカードでと言いながらカバンからカードを取り出した。
ピッと機械にカードを当てて支払いを済ませる。
「ありがとうございましたー」
袋を手に取った時、店員はすぐにまた中へと消えていった、一体裏で何をやっているんだろう。
気にしても何かあるわけじゃない、もう帰った方が良い。この町で夜な夜な歩いていると親友のようにどこかに消えてしまうのだから。
「由紀ちゃん…………」
一緒に出掛けようと誘われて、返事したけどずっと返ってこない。既読無視なんて絶対にしない由紀なのに。
返ってこないと分かっていながら、チャット画面を開いて既読になってないか見てしまう。
「嫌われたのかな…………」
ありもしない事までも考えてしまう。そんなはずは無いと否定したくてもしきれない。
そんな考えを振り払うように頭を振って歩いた。早く帰らなきゃ。
─────────────────────
気が付けばもう日は落ちて街灯と自販機の明かりしかない。月明かりもあるはずなのに全く明るく感じないのはどうしてだろう。
それにずっと誰かに見られているような気がする。
ハッと振り返っても、後ろには誰もいない。
言い表せない恐ろしさが体の底からじわじわ這い上がってくるのを感じながら、家へと急いだ。
その時、目の前の街灯の下に誰かがいた。人の形をした黒い何かがいる。
あれは本当に人なのかな。
よく見ようとしても霧のような何かではっきりしない。だけど、アレに近付いてはいけないと本能的に告げているのか足が止まってしまう。
でも逃げたくても足がまるで棒のようになってしまって、全く言うことを聞いてくれない。
「あっ…………」
黒いモヤモヤがこっちに気付いたのか少しずつ近付いて来てる。逃げなきゃ。でも動けない、走れない。
近付いてくるにつれて身体の中の血の気が引いていく気がする。
呼吸が荒くなって、嫌な汗が止まらない。
「あっ、あぁ…………」
それがゆっくりとこっちを向いた。明らかにおかしい存在でありとても恐ろしい。
でも、これで死ねるのなら悪くないかも。楽になれると思った途端急に怖さが和らいだ。
近付いてくるモヤを見て、ゆっくりと目を閉じる。
もうすぐ死ねるんだと思ったその時、一つの声が私を現実に引き戻した。
「危ない!!」
女性の声が響いたと思った瞬間、モヤと私の間に何か紙垂の付いた黒い串みたいなものが打ち込まれる。
同時に間に割って入るように青い肩と脇を露出した巫女服のような装束を纏った若い女性が立っていた。
たぶん自分と同じ歳か少し上くらいに見える彼女は恐れること無く、御札のような紙と串を持ってモヤと対峙している。
思わずその後ろ姿に見とれてしまう。
「大丈夫? 怪我はない?」
こっちに横目で目線を向ける巫女さんの目は力強そうなのに何処か優しさがあったのがとても印象的だった。
「は、はい…………」
「アレは私が何とかするから。貴女はそこでじっとしていて!」
「あなたは?」
「質問は後!! 今はアレを何とかするのが先!!」
そう言って目の前の巫女さんは御札と串を手にモヤの元へと走り出してしまつ。
それを私はキョトンと見ているだけしか出来なかった。
─────────────────────
依頼された事故物件の調査は終わった帰り道、物件調査自体は空振り。
だがその帰りに民間祓魔師として見過ごせない事件を目にした時、考えるよりも先に身体が動いた。
女の子が界異に襲われている。
御札とペグを構え、女の子との間に割って入った。
「危ない!!」
着地と同時にペグを地面に突き刺す。更にワイヤーを張ればこの境界を越えられない。
さっとワイヤーを仕切る様に伸ばし、界異に対して御札を向けたまま更にもう一本。
「大丈夫? 怪我はない?」
界異から目を逸らさず、後ろの女の子に声を掛ける。
どうやら大丈夫なようで一安心だ。
あとはあのモヤモヤを何とかする事だけを考える。幸い、穢装もそれほど厚くない。
ピッと御札二枚に片手で構え直し、ペグを投げると同時に走る。
あれなら御札二枚あれば祓えるが、投擲するにはまだ遠い。確実に祓える距離まで詰め、モヤがこちらへ伸びてくるのを捉えた。だがそのモヤが自分を包むことはない。
左手に握っていた紙垂の付いたお祓い棒で切るように振り下ろしてモヤを切る。そして札を指に挟んで右手を添えながら更に上方へと切った。モヤが晴れたその一瞬を狙って突っ込む。
そしてもっとも近づいたタイミングで左足を踏み込んで人型モヤの心臓の辺りに勢い良く御札をねじ込んだ。すぐさま手を抜き左足にさらに力を込めて後ろへと飛び退く。
そして手結びしながら目を閉じる。
「我が命に従い、魔を清め祓い給え」
詠唱が終わると共に青い炎が燃えがるとモヤは夜空へと消えていった。
これで手当の上乗せは確実、給料日がまた楽しみ。
御札を腰のポーチに入れてペグとワイヤーを回収しようと振り返った時に、助けた女の子がぺこりとお辞儀していりが目に入る。
「あ、あの、ありがとうございます…………」
申し訳なさそうに少し目を伏せて言った。
暗がりかつ遠かったが、近くで見ると高校生くらいらしい。
夜に出歩くのは感心しないが、まあ家の事情やら急な買い物とか色々あるから仕方ないか。
「夜佐護町で夜な夜な歩くのは危険だからね?」
「その、学校の帰りで買い物して遅くなって…………
ごめんなさい…………」
責めている訳では無いが、こちらが申し訳なくなってしまう。
見れば彼女の足元には落としてしまったであろうコンビニ弁当の残骸が散乱していた。
「あー、なるほどね。帰りに襲われちゃったって感じだね」
「はい…………」
仕事は終わったが、流石に女子高校生一人を夜道を放置する訳にもいかない。
巫女は口を開いてある提案を申し出る。
「そうだ。家に帰るまで私が付き添ってあげろうか?
また変なのに遭遇しても面白くないでしょ?」
「えっ…………
そ、そんな…………」
モジモジと断ろうとしてるが、人の好意を断るかどうかで迷っているように見える。ここは押し切らせてもらおう。
「大丈夫。私は強いし、さっき言った通りこの町の夜は危ないからね」
「…………そ、それなら。お、お願いします」
─────────────────────
変なモヤを祓ってくれた青い巫女さんと一緒に来た道を戻っていた。
途中でまた変なモヤに遭遇したけど、その時もまた同じように御札を使って祓ってくれる。不思議とこの人といると心が落ち着く。
そういえばまだ名前も何も聞いてなかった。
「あの、すみません。お名前を聞いてなかったのですが…………」
「あっ、すっかり忘れてたね。私は坂月 静香。伊冴美霊務院で働いてる民間祓魔師って所かな」
「祓魔師さん………… なんですね」
「まぁね。環境庁のタクティカル祓魔師と似たようなことをしてる。ジャケットじゃなくて、巫女服だけど」
坂月さんがまるで衣装を見せるようにひらりと身を翻す。青と白を基調とした巫女服だけど、肩と脇が露出してる。そして衣装越しからでも分かったが、脇から女性としては大きなものが見えた。
同性としてもその大きさには目がいってしまう。
「そうだ。あなたの名前は?」
坂月さんに声を掛けられて私はハッと我に返った。
そうだ、まだ私も名乗っていなかったんだ。
「白鷺…………
白鷺舞と言います。夜佐護高校生の一年生です…………」
「白鷺舞ちゃん、いい名前だね」
ニッコリと微笑んだ坂月さんの笑顔を見ると、なんの偽りもなく本心で言っているんだなと思った。
強くて優しい女性。自分には無いものを沢山持っていて羨ましい。
色んなお話をしていくうちに、いつの間にかコンビニの買い物まで済んでしまっていた。人と一緒にいて心地良いと思ったのはいつぶりだっけ。
そうだ、この人ならさっきのモヤモヤについて何か知っているのかもしれない。
聞いたところで何も出来ないかもしれないけど。
「そういえばさっきの、界異って言ってましたけど…………」
「あぁ、あのモヤね。アレは言わば怨霊とかそういうのに穢れが混じって黒いガスみたいな集合体になるってわけ。
捕まったらおしまい。幸いにもそんなに強い部類じゃないし、アレは速くないから逃げられる」
坂月さんが言うにはさっきのは界異"怨霊"。夜佐護町ではよく見られるもので、珍しくはないって言ってたのは驚きを隠せなかった。
あんなのがこの町にいっぱい存在してるのはただただ恐ろしい。
そういえば、たまに家の窓から外を見ていた時にも見えたような気がする。
「そう………… なんですね。この町って私が知っている以上に恐ろしいんですね…………」
「確かに他の町に比べたらそうかもしれないね。でも、その為に私たちみたいな民間祓魔師や環境庁のタクティカル祓魔師がいるんだから」
朗らかに笑った坂月さんにつられて私も微笑んだ。
そんな会話をしているうちにもう住宅街の中を縫って、家の目の前まで来ていた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
「本当にありがとうございます坂月さん」
「あぁ気にしないで、こういうのも仕事なんだし。
そうだ! これを渡しておくね」
そう言って袖から二枚の名刺のうなもの取り出して渡してくれた。
一つは伊冴美霊務院の電話番号と住所、営業時間が書いてある名刺。もう一つは坂月さん個人の携帯番号の番号とSNSのアカウントのURLが書いてあった。
「また何か困った事があったら連絡してね。霊務院には遊びに来てもいいから!」
「…………ありがとうございます」
ぺこりと私は深くお辞儀をした。こんなにも良くしてくれる人は今までいなかったのだから。
それでも坂月さんはいいのいいのと手を振ってくれる。
本当に素敵な人だ。
「それじゃ私はもう行くね。おやすみなさい!」
「はい、本当にありがとうございました。おやすみなさい」
離れていく坂月さんに小さく手を振って、私は玄関の鍵を開けて真っ暗な家に入った。
相変わらず誰もいない静かで独りの家。
それでもいつもと違って寂しさが少しは和らいでいた。
リビングの電気を付けて、買ってきたお弁当を電子レンジで温めながらふと貰った名刺を見つめる。
そうだ、忘れないうちに登録しなきゃ。
今日も一日が終わった。
明日からまた嫌な一日が始まる。