Muv-Luv Alternative ーthe guardian of universeー   作:天秤座の暗黒聖闘士

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 一か月ぶりの更新となります…。もうすぐアニメ柴犬終わってしまうというのに…。
 できればPC版の後篇が出る前には片づけたいところ…。理想は連載中の漫画版オルタが終わる前にですが。
 暫くガメラの登場がないので少々退屈になってしまうかもしれませんがどうかご了承のほどを…。
 


第3話 Rettungー救出ー

 第666戦術機部隊が地底からの突然のBETA襲撃に窮地に陥っている頃その数㎞手前にて、ポーランド人民軍第401戦術機部隊、通称『蝙蝠(ニェトペーゼ)』中隊は迫りくるBETAの集団を捌きながら目的地へ向けて進んでいた。

 あまり時間はない。つい先程の連絡で第666戦術機中隊がレーザーヤークトに成功したという報告が入った。ならば程なく面制圧爆撃が行われるはずだ。その前に早急に中隊の退路を確保、自分達も戦域から脱出しなければならない。

 

 『ニェトペーゼ01より総員に伝達、どうやら東ドイツ第666戦術機中隊はレーザーヤークトに成功した模様、が、その後地中から出現したBETAの急襲を受けて難儀しているとのことだ。…これより連中の救出に向かう!雑魚共は放っておいて先に進むぞ!』

 

 第401戦術機部隊を率いる壮年の男性、ニェトペーゼ01ヤン・コシチュシュコ大尉の号令に中隊のメンバーは了解、と応答するとBETAの始末もそこそこに各々が操縦するバラライカをBETAの攻撃の届かない上空へと飛翔させる。

 その中の一人ニェトペーゼ05シルヴィア・クシャシンスカはバラライカを飛ばしながらも弾薬、跳躍ユニット内の推進剤残量を確認する。

 

 (36mmは…、まだ7割以上残っている。推進剤も十分、か…。…何事もなければどうにか無事帰還できそう、かしら…)

 

 先程のBETAとの交戦で大分弾薬を消費してしまってはいるものの、この後の“メインイベント”に使用するには十分な量が残っている。推進剤も往復するだけならば十分足りるだろう。

 最もそれでも楽観視できないのがBETA戦なのだが。BETAの行動パターンは単純なように見えて予想がつかない。一見戦況が有利に進んでいるように見えても予想外な行動でそれを覆してくるのがBETAなのである。そう、例えば…。

 

 『……総員傾注!諸君に少々悪い知らせだ。レーザーヤークト成功後に突如地中から突撃級相当数を含むBETAの大群が出現、第666戦術機中隊は分断されたらしい。これより退路確保と別任務でBETAの中で孤立している中隊隊員の救出任務の為にわが中隊から二名人員を送ることとする』

 

 (…これだものね)

 

 コシチュシュコ大尉の号令にシルヴィアは疲れた表情で深々と息を吐き出す。

 レーザーヤークトには成功したものの今度は地中から出現したBETAとの乱戦に突入、ベラルーシはミンスクハイヴが存在するからなのかハイヴ近辺のこの辺りではそのような突発的なBETAの襲撃がしばしば起きている。この為に本来ならば最前列に居る突撃級やら最後尾にいる要塞級が何の前触れもなく出現する事もあったり、挙句ようやく駆逐したはずの光線属種までもが再出現することだってありえるのだ。熱源探知を見たところどうやら光線属種はいないようであるがそれでも多数のBETAを捌きながらの救出任務は骨が折れる。

 

 『ニェトペーゼ04、05、そのBETAに喰われかかっている東ドイツの衛士の救出を頼む。東ドイツに貸しを作ってこい』

 

 『了解!』

 

 「了解。…全く、世話の焼ける東ドイツ最強さんね」

 

 コシチュシュコ大尉の命令にニェトペーゼ04は張りのある声で、シルヴィアは最後に小声で一言呟きながらも応答する。一体どれほどのBETAが地面から湧き出てきたかは知る由もないが最悪手持ちの弾薬では足りなくなる可能性がある。近接戦闘もできないわけではないが出来得る限り避けたいところだ。とんだ貧乏くじをひかされたとシルヴィアはばれないようにこっそり舌打ちをする

 

 「やれやれ、少し面倒だけれど、これも仕事かしらね」

 

 そう呟きながらシルヴィアは軽く溜息を吐いた。

 

 

 カティアSIDE

 

 「くっ、このっ!近寄るなぁ!!」

 

 雪崩のごとく押し寄せるBETAの群れの真っただ中、たった一人残されたカティアは次から次へと迫りくる戦車級へと弾丸を撃ち込んでいく。一頭一頭確実に排除できてはいる、が、BETAは次から次へと姿を現しきりがない。前後左右をBETAに囲まれた状況の中でカティアは額に冷や汗を流す。

 

 「…絶対、絶命でしょうか…」

 

 己の置かれた危機的状況にカティアは苦しげに表情を歪める。弾丸も残り少なく、推進剤の残量も心許ない。今は接近してくる戦車級に近接短刀を振るって排除しながらどうにか持ちこたえてはいるもののいずれ短刀も強度に限界が来てへし折れるだろう。そうなったらこの無数のBETA相手に持ちこたえられるか…。

 ふと己が無数のBETAに囲まれ、喰われるところを想像してしまうカティア。その瞬間、まるで背中に氷が押し付けられたかのように背筋に寒気が走り、操縦桿を握る掌には汗がにじみ出てくる。

 

 「……くっ!!」

 

 必死に恐怖を押し殺して迫りくるBETAへと弾丸を撃ち込み続けるカティア。こんなところで死ぬわけにはいかない…!自分には、自分にはまだ東ドイツでやるべき事があるんだから…!!心の奥底で叫びながらカティアは今にも恐怖で泣き出しそうな己を叱咤する。…が、現実は無常である。彼女の決意とは裏腹に、ついに突撃砲内の弾丸は底をついてしまう。

 

 「……そ、そんな!!」

 

 慌てて次弾を装填しようとするカティア、が、予備の弾丸は先程のレーザーヤークトで全て使い切ってしまっており、先程撃ち尽くしたものが正真正銘最後の弾装であったのだ。

 やむを得ず突撃砲を投げ捨てて短刀を構えるカティアのバラライカ、だが、数が多すぎる。闘士級や戦車級のような小型種だけではない。要撃級や突撃級といった大型種までいる。この群れのただ中を短刀一本で切り抜けられるのか…、カティアの表情に段々と絶望の色が浮かび上がってくる。

 

 「お父さん……、テオドール、さん……」

 

 自分から断った以上もはや味方からの救援は期待できない。此処までなのか、折角助けて貰った命も、父のやりたかった事を成し遂げるという誓いも、もうこれまでなのか…。

カティアは歯を震わせながら砂糖に群がる蟻のように己に襲いかかるBETAの大津波をただ茫然と眺めるしかなかった。

 脳裏に浮かぶのは最後に見た父の顔と己を助けてくれたテオドールの顔、それでもまだ抗おうとカティアは操縦桿を必死に握りしめる。

 と、その時、突然突撃砲の射撃音と共にカティアのバラライカに取りつこうとしていた戦車級が毒々しい血を撒き散らしながら吹き飛ばされる。目の前のBETAだけではない、カティアの周囲を取り巻いていたBETAが次々と血を撒き散らしながら唯の肉塊へと変貌していく。

 

 「…え?」

 

 もうお終いかと覚悟して居た瞬間に突如差しのべられた天の手にカティアは茫然と視線を真上に向ける。彼女の視線の先にあったもの、それは紛れもなく己が搭乗する機体と同じMig-21バラライカ。だが、よく見ると機体色が東ドイツのものと異なり、それに何より左肩には『黒の宣告』中隊のトレードマークである666の数字が無い。

 

 「テオドールさん達、じゃない…?」

 

 助かったということへの現実感のなさにカティアはただ一言それだけを呟く。と、突如網膜投射されたモニターに銀髪で無表情な女性の姿が映し出される。見覚えのない顔と東ドイツのものとは細部が異なる衛士強化装備からみて己を助けてくれたバラライカ二機の内どれか一機に搭乗する衛士なのであろうとカティアは茫然と思った。

 

 『こちらポーランド人民軍第401戦術機中隊、ニェトペーゼ所属のシルヴィア・クシャシンスカ。そこのバラライカの衛士、もしも生存しているなら応答を願いたい』

 

 若干棒読み気味で無機質な、まるで台本でも読んでいるかのような声がヘッドセットから響いてくる。それにハッと我に返ったカティアは慌てて返答を返す。

 

 「ひ、東ドイツ国家人民軍所属、第666戦術機中隊『黒の宣告』所属、カティア・ヴァルトハイムです!!」

 

 『…了解したわ。ならまた連中が来ないうちに脱出するわよ。推進剤は残り何割?』

 

 「残り三割です!」

 

 『…どうにか此処を突っ切れそう、か…。なら長居は無用ね。ニェトペーゼ04、遭難者の保護を完了した!直ちにこの場を脱出する!!』

 

 『了解!!』

 

 こうしてカティアはどうにかこの危機的な状況を脱することができたのだった。が、機体の損傷、推進剤の消耗具合から彼女は中隊と合流する事が出来ず、ポーランド人民軍へと一時的に保護される事となるのであった。

 

 第666戦術機中隊『黒の宣告』SIDE

 

 それから少し遡り、カティアと分断された他の黒の宣告中隊メンバーは残り少ない弾丸で迫りくるBETAを撃退していた。が、もはや弾丸も残り少なく、命綱である多目的追加装甲も既に光線級のレーザーで撃ち抜かれて使い物にならなくなって投棄している。

 グレーテルの言うとおりこのままここに居れば中隊は全滅しかねない。ここは分断されたカティアを見捨てて脱出するのが最善手だろう。だが…。

 

 『総員傾注!これより我等はBETAの群れを突破して撤退する!全員高度を取れ!!光線属種が居ない今狙い撃ちにされる心配はない!』

 

 「…な!?ど、同志大尉!!」

 

 アイリスディーナの号令に思わずテオドールは眼を剥いた。画面に映るアイリスディーナの表情はいつもと変わらない。彼女が任務遂行の為ならば自軍を見捨てるという主義であることは重々承知していたものの、これまで自軍の衛士をBETAの群れの中に置き去りにするという事も、見捨てるという事もなかった。無論既に死亡した者や大破した機体などは別ではあったが、少なくとも彼女は今日まで自軍の衛士が危機に陥ったならば可能な限り救出しようとしていた。彼女なりの仲間意識や良心か、あるいは貴重な衛士や戦術機を失いたくはないからなのか、その理由は不明ではあるが少なくともそれに関してはテオドールも認めてはいた。

 そのアイリスディーナがカティアを見捨てろという。確かにカティアは自分を置いて逃げろとは言ったがまさかその事を真に受けて…。

 そんなテオドールの心中を察したのか、アイリスディーナは表情を僅かに崩すと口元に微かな笑みを浮かべる。

 

 『そんな顔をするな。ヴァルトハイム少尉ならば大丈夫だエーベルバッハ少尉。少しは私を信じろ』

 

 「信じろだと!?BETAに囲まれたあの状況で一人で脱出できると本気でそう思っているのかアンタは!!唯でさえ弾丸や推進剤も枯渇しかけている状況で……」

 

 『そんなことは分かっている。だが心配するな。そろそろ彼らが来る頃だからな』

 

 逆上して己に食ってかかるテオドールをアイリスディーナはやんわりと宥めながら彼の怒鳴り声を遮る。明らかにその表情は救出を諦めて部下を見捨てようとしている色は見受けられない。

 

 「……彼ら?一体何処のどいつが……」

 

 『こちらポーランド人民軍所属第401戦術機中隊“ニェトペーゼ”!貴官らは東ドイツ国家人民軍所属第666戦術機中隊で間違いないか!』

 

 なおも口を開こうとするテオドールだったが、その言葉は最後まで紡がれなかった。突然彼の言葉を遮るかのように何者かの声が響き、同時に背後から耳慣れた轟音、明らかに戦術機の跳躍ユニットが発するものであるジェット音が複数聞こえてくる。弾かれたかのようにジェット音が聞こえる方向へと振り向くテオドールは、次の瞬間驚きのあまり目を剥く事となった。

 背後から聞こえたジェット音の正体、それは隊列を組み飛行する10機の戦術機部隊であった。機体は全てテオドール達が駆るものと同じバラライカ、だが、機体色が東ドイツのものと若干異なり、何より右肩の国旗のペイントが東ドイツのものではなく隣国のポーランドの国旗がペイントされている。

 突如乱入してきた10機のバラライカは群がるBETAへ次々と弾丸の雨を撃ち込んでいく。砂糖に群がる蟻の如く“黒の宣告”中隊へと群がっていたBETAは横合いからの攻撃に対処もできず、吹き荒れる36mm弾丸の豪雨にただ無防備に身をさらす事しかできなかった

 

 「ポーランド人民軍の、戦術機部隊…?な、何でこんなタイミングに…」

 

困惑のあまり茫然と目の前の光景を眺めるしかないテオドール。一方アイリスディーナは突如出現したポーランド人民軍に対して特に動揺した様子はなく、淀みなく何者かの問い掛けに対して返答を返す。

 

 『噂をすれば、か…。こちらドイツ民主共和国国家人民軍所属第666戦術機中隊“黒の宣告”中隊に間違いない。私が中隊長を務めるアイリスディーナ・ベルンハルトだ』

 

アイリスディーナはまるで肩の荷が下りたかのような安堵の表情を浮かべている。どうやら彼女はこの援軍が来るという事を事前に知っていたようであり、所属部隊名と己の名前を淀みなく答えている。彼女が返事を返すや否や、援軍の隊長と思われる人物の応答が再びヘッドセットから響いてくる。

 

 『了解した。既に退路は確保してある。貴官らはすぐさま脱出せよ。取り残された衛士に関しては既にわが隊の二機が救出に向かっているから心配しなくてもいい』

 

 『助かる。この借りはいつか必ず返させていただく』

 

 『気にするな、これも仕事だ』

 

 通信はそこで切られると、隊長機らしい一機のバラライカ、アイリスディーナの駆るものと同じく頭部に大型のセンサーマストが備えられたPF型もまた突撃砲を構えてBETAの群れへと向かっていく。それを見届けるや否やアイリスディーナは轟くような声で部下達に号令を出す。

 

 『総員傾注!!これより我等はこの戦域より撤退する!!同胞たるポーランドの援護を無駄にするな!!急げ!!』

 

 『『『『了解!!』』』』「りょ、了解!!」

 

 残った跳躍ユニットを吹かしてBETAの手が届かぬ高度へと飛翔する七機のバラライカは、そのまま飛行して戦域を離脱していく。光線属種を掃討した以上、飛行する戦術機を攻撃できるBETAは今のところ存在しない。無論増援でまた出現する可能性も無きにしも非ずだがそうなっても例のポーランドの連中が面倒を見てくれるだろう。気がかりなカティアもあの中隊のメンバーが救出してくれるとの事であり、手放しで喜ぶわけにもいかないもののどうにか危機的状況は回避できたといっていいのかもしれない。

 今日もどうにか生き延びた…、安堵のあまり全身に疲労がどっと圧し掛かり、背もたれへと体を横たえて深々と息を吐き出すテオドール。と、唐突にモニターにアイリスディーナの顔が表示される。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 

 『だから言っただろうテオドール、大丈夫だと』

 

 そう語る彼女の表情は、どことなく悪戯が成功した子供のようであった。

 

 

 

 

 

 ベラルーシ州ブレスト、ハンツァヴィチワルシャワ条約機構軍軍事基地。

 現在東ドイツ国家人民軍がミンスクハイヴ攻略の為の基地として利用しているそこに、レーザーヤークトの任務を無事終えて生還した“黒の宣告”中隊もまた帰投していた。

 衛士達が搭乗する戦術機の整備、修理を一手に担う専用格納庫、その一角に横一列に整列する“黒の宣告”中隊一同へと、アイリスディーナは視線を送っている。全員任務を終えた直後であるため衛士強化装備のままである。

 

 「全員揃ったか。ならば任務が終わって疲れているところを悪いが諸君らに知らせがある」

 

 “ただ一人を除いて”中隊全員がそろっている事を確認したアイリスディーナは口を開くや否やそう切り出した。彼女の声に中隊のメンバー数人は体を強張らせる。特にテオドールはこの場に居ない中隊メンバー、カティアの面倒を任されていたが為に内心では少なからず緊張を覚えていた。アイリスディーナは構わずに言葉を続ける。

 

 「たった今バラナヴィチワルシャワ条約機構軍軍事要塞より連絡が入った。カティア・ヴァルトハイム同志少尉は無事ポーランド人民軍の手によって保護されたとのことだ。主立った外傷は特に無いとのことらしい」

 

 アイリスディーナの言葉に隊員達の間から安堵の声が上がる。テオドールもまたその一人であった。如何に増援が来たとはいえ相手は千を超えるBETAの群れ、如何に万全の中隊であり光線属種もいないとはいえまともに相手をすれば押し潰されかねない。もしも中隊もろともカティアが押し潰されたら、否、それ以前に救出前に既にカティアが死んでいたとしたなら…、そんな予感が幾度も脳裏に浮かんでいたのである。

 

 「静粛に、同志の無事を喜びたい気持ちは分かるが落ち着け。さて、先程も言った通りカティア・ヴァルトハイム少尉は無事だ。本来ならすぐにでも迎えに行きたいところだが生憎と戦況がそれを許さない。折を見てバラナヴィチにまで迎えに行くとしよう。その時になったら再度連絡をする」

 

 アイリスディーナはそこまで語ると一度口を閉じ、目の前に並ぶ隊員達へと視線を巡らせる。

 

 「さて、何か質問はあるか?答えられる事、及び私が知っている事に関しては答えるが」

 

 アイリスディーナの言葉に一同に一瞬沈黙が走る。が、数秒後、列の中からおずおずと手を上げる者がいた。手の主はアネット・ホーゼンフェルト少尉。普段は明朗快活なそのの表情は現在は不安げに歪んでいた。

 

 「ホーゼンフェルト少尉か。いいだろう、言ってみろ」

 

 「はい、あ、あの……カティアは、カティアは本当に大丈夫なんですか?もし、もしもですよ、ポーランド人民軍の基地に、その、奴らの犬がいたら……」

 

 アイリスディーナに促されて発言したアネットの言葉に一瞬テオドールの背筋が凍りついた。アネットの言う奴ら、シュタージに対しての警戒が完全に頭から抜けていた。

 東ドイツとポーランドは同盟国、当然シュタージ専属の情報提供者がポーランドの基地内部に潜んでいたとしても可笑しくない。此処はベラルーシ、流石に不穏な事を話した瞬間にシュタージの連中が押し寄せてくる、等という事はまずあり得ないだろうが万一この戦争が終結して東ドイツに帰国した瞬間、後ろに手が回るなどという事になりかねないためこの場では不用意な事は話せない。

 だが、最近はそうではなくなったもののカティアはとにかくそういう“不用意な発言”が多い。中隊に編入した時などには何度グレーテルから政治的指導を受けた事か知れない。

 もしもポーランド基地にシュタージの犬、情報提供者がいたら?あるいは連中のスパイがいたなら?カティアどころか下手をしたら自分達にまでも連中の手が及びかねない。

 その事を認識した瞬間、テオドールの脳裏によみがえるのは、かつて己がシュタージによって連日連夜受けた拷問の数々、夢に出ずとも体に、心の奥底に刻み込まれたシュタージへの恐怖…。思わず床に崩れ落ちてしまいそうになる己自身を必死に抑えこむ。

 一方アネットの質問を聞いていたアイリスディーナは、まるでシュタージが恐ろしくもないかのように表情を変えず平然としている。

 

 「成程…、同志少尉の心配も分からないでもない。連中の手はどこに伸びているか分かったものではないからな。だが……シュタージに関しては問題ないだろう」

 

 何でもなさそうに返答を返すアイリスディーナ。そんな彼女に対して中隊のメンバー、副官のヴァルター、ファム、政治将校のグレーテルを除く三人は唖然としている。そんな彼女達の顔を面白そうに眺めながらアイリスディーナは話を続ける。

 

 「元来シュタージはポーランド、ソ連領内等のワルシャワ条約機構加盟国では原則主だって活動できない。地元の治安維持組織の連中ともめ事を起こすのは連中としても出来得る限り避けたい事案だからな。万が一他国との、特にソ連とポーランドとの関係に摩擦が生じようものなら連中も浅い傷では済まないだろうからな」

 

 「加えて連中はかつてポーランドで揉め事を起こしたせいで痛い目を見ている。あの時には危うく外交問題になりかけた事もあったからな…。そう簡単にポーランドの、ましてや戦場のど真ん中にある基地にスパイを潜り込ませることなどできまい」

 

 アイリスディーナの言葉を引き継ぐかのようにグレーテルも眼鏡のブリッジを押さえながらそう語る。

 

 東ドイツの秘密警察、諜報組織である国家保安省、通称シュタージは最大で190万人、大よそ国民の10人に一人というレベルの膨大な数の情報提供者を抱えており、その監視網はかのドイツ第三帝国のゲシュタポ、ソ連のKGBすらも凌駕しているとされている。

 実際史実においてベルリンの壁崩壊に端を発する東ドイツ崩壊後、シュタージが記録、保管していた反体制分子とされた詳細な個人情報記録が一般市民にも閲覧可能になったのだが、その結果己の親、兄弟、親友がシュタージの情報提供者であったという事実を知り、その結果として家庭崩壊、極度の人間不信に陥り、挙句精神病を患う者も居たという。

 彼らの監視の目は隣国の西ドイツにも伸びており、多くのスパイが“亡命”を装い西ドイツ国内へと送りこまれていたという。

 このように国内、及び西側諸国へと様々な監視の目を張り巡らせているシュタージであるが、流石に同じワルシャワ条約機構加盟国にしてその主要国であるソ連、そして実質ソ連の属国とも言えるポーランドへの監視は相応に甘いものとなっている。

 二国との信頼だの友情だのといったようなモノなどでは無い。現在の東ドイツは西側からの物流は表向きシャットアウトしており、東側諸国、特にソ連からの援助によって成り立っている。バラライカを始め戦術機、兵器の殆どがソ連製であるのもこれが理由である。

 万が一にも外交問題を起こしてソ連、あるいはポーランドを怒らせてこれらの物流、援助が絶たれた場合、東ドイツは崩壊する事は無いにしても経済、軍事面において手痛い打撃を受ける事となる。そしてそれはソ連のKGB、ポーランドの諜報機関との繋がりのあるシュタージもまた同じである。故にシュタージもそう簡単には両国に手を出せない。万が一亡命者がポーランドに逃げ込んだ場合でも相応の手続きを取らなければ捜査、尋問は行ってはならないという協定が両国間には結ばれている。最もそれは表向きで裏ではスパイを少なからず送り込んでいるというのが暗黙の了解であるのだが…。

 ここはベラルーシ、東ドイツからかなり距離があるうえにBETAとの戦場真っただ中。シュタージのスパイも潜んでいる可能性はあるだろうが少なくとも即捕縛される事は無い。国内専用のシュタージ専属部隊、武装警察軍も今回は動くに動けないだろう。

 

 「他に質問は?……なさそうだな。今回の出撃ご苦労だった。またいつ出撃があってもいいように体をよく休めておくように。以上、解散!」

 

 アイリスディーナの号令と共に、その日のミーティングは終わりを告げた。

 

 

 カティアSIDE

 

 

 一方その頃、バラナビチにあるポーランド軍専用軍事基地では。

 

 「…名前、カティア・ヴァルトハイム。階級は少尉。現在東ドイツ国家人民軍所属第666戦術機中隊に所属。元は西ドイツ出身かつ国連軍から派遣された部隊に所属していたが部隊は全滅、貴官もBETAによって殺害されそうになったところを第666戦術機中隊に救出され、その後東ドイツに亡命申請をした、と…。此処まではいいか?」

 

 「は、はい、間違いありません」

 

 基地内の医務室にてカティアは、ベッドに横たわったまま傍らの椅子に座るポーランド人民軍所属の政治将校が次々と出す質問に答えていた。内容は東ドイツの時と殆ど変らない。名前、所属、出身地、階級等々…、出される質問に素直に答えていくだけでいい。

 全ての質問を終えた政治将校は役目は終わったとばかりに黙りこむ。と、壁にもたれかかり黙りこくっていた壮年の男、東ドイツ軍を救出した部隊である第401戦術機部隊中隊長、ヤン・コシチュシュコ大尉が初めて口を開く。

 

 「それにしてもよくもまあ…、西ドイツから東ドイツに亡命したいなどと考えたものだ。同じ社会主義国家の同胞を悪く言うつもりはないのだがあの国は西ドイツからの亡命者は即スパイと疑ってかかる風潮でな……知らないわけじゃないだろう?」

 

 「………」

 

 コシチュシュコ大尉の呆れたような口調にカティアは俯いて口を閉ざしていた。彼の言う事は事実だった。戦場で救出され、第666戦術機中隊に編入された当初、否、今になっても自分が東ドイツの人間に信頼されていないという事が嫌というほど理解していた。

 東ドイツの人間にとって資本主義陣営の西ドイツはBETAと同様の仇敵と見做されているのだ。無論国家の印象操作、プロパガンダによるものであるのだが自分のような西ドイツからの亡命者は即座に密告され、シュタージに連行されても文句の言えない立場であるのは間違いないのだ。亡命した当初の己は、そんなことも碌に理解せずに自分勝手なことばかり言って…。カティアの表情が段々と沈んだものへと変わっていく。

 カティアの様子の変化に気がついたのかコシチュシュコ大尉はばつの悪い表情でチラリと政治将校へと視線を向ける。が、政治将校はまるで自分でどうにかしろ、と言わんばかりに軽く肩をすくめるのみで一言も口を開かない。薄情な“同志”の態度にコシチュシュコ大尉は重々しく溜息を吐きだした。

 

 「……ま、いい。貴官の事に関しては既にハンツァヴィチ基地に連絡を送っている。いずれ迎えが来てくれるだろうからそれまではわが軍の保護下に入ってもらう。……ああちなみに心配しなくてもシュタージの連中は此処には居ない。よしんば居ても引き渡すような事はしないから安心していい」

 

 「…はい、ありがとうございます」

 

 「もし動けるようになったのなら我が軍の作業の手伝いをしてもらえれば有難い。生憎此方も人手不足でな、ただ飯食らいを置いておく余裕はないんだ」

 

 「も、勿論です!よろしくお願いします!」

 

 カティアはコシチュシュコ大尉と政治将校に向けて頭を下げる。彼女の返答にコシチュシュコ大尉と政治将校は一度顔を見合わせるとたがいに頷いた。

 

 「よし、なら暫くは此処で休んでいるといい。俺達はこれからミーティングがあるから席を外させてもらうから貴官の世話は別の奴に任せることにする。…入っていいぞ」

 

 コシチュシュコ大尉が背後のドアに向かって声をかけるとドアがゆっくり開き、ポーランド人民軍専用のBDUを纏った男性の兵士が姿を現す。見たところ年齢はまだ20代程であろうがその茶色い頭髪には所々に白髪が目立っている。見た眼よりも大分年齢が上なのだろうか、とカティアは頭の隅で考える。

 だが、彼女の眼が兵士の身につけているあるものを見た瞬間、カティアの目はそれに釘付けなった。それは彼の首から下げられている黒い紐のネックレス、その先端に付けられている鉤状の赤い小さな石であった。その石を見た瞬間、何故かカティアはその石から目が離せなくなっていた。何故なのかは自分でも分からない。だが、どうしてもその赤い石が無意識に気になって仕方が無いのだ

兵士はドアを閉めると姿勢を正して敬礼をする。

 

 「戦車大隊第400野戦猟兵中隊所属、フレデリック・コルベであります!」

 

 兵士の名乗り声を聞いた瞬間、カティアはハッと我に返る。が、誰もその事を見咎める者はいない。実際赤い石に釘づけになっていたのはほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。ならば目の前の政治将校やコシチュシュコ大尉に怪しまれないというのも分からないでもないが…。カティアは心の中で首をかしげる。

 

 「うむ、忙しい中すまないな。ヴァルトハイム少尉、彼の名前はフレデリック・コルベ軍曹。当基地の戦車部隊に所属している者だ。同志軍曹、彼女は東ドイツのヴァルトハイム少尉。暫く彼女の面倒を見て貰いたい」

 

 「…へ?い、いやですけれど俺には戦車の点検や整備が…」

 

 コシチュシュコ大尉の突然のセリフに兵士、フレデリックは困惑を隠せない。確かに戦術機部隊に比べれば戦車大隊はまだ手が空いていると言えなくもないのだがそれでも此方には此方のやるべき仕事があるのだ。が、そんな彼の反論に対して政治将校は有無を言わせぬ視線を向ける。

 

 「他の人間にやらせる。問題無い。……何か問題でも?」

 

 「………いえ、特にありません。喜んでやらせていただきます同志大尉、同志中尉」

 

 上の命令、特に政治将校からの命令に逆らえば冗談抜きで首が飛びかねない。フレデリックは顔を引き攣らせながら再度敬礼する。彼の返事に政治将校は黙って頷くと椅子から立ち上がって廊下へと出ていく。彼の背中を目で追いながらコシチュシュコ大尉はフレデリックの肩を軽く叩き、「ま、頑張ってくれ」とまるで他人事のように声をかけると政治将校の後に続いて出て行った。彼らの背中を追いながら、フレデリックは重々しく溜息を吐きだした。

 

 「…はあ、ったくまた面倒な仕事押しつけやがって…。こういうのは衛生兵の仕事だろうが…」

 

 「……あ、あの…」

 

 白髪交じりの髪を掻きながらぼやくフレデリックにカティアは恐る恐るといった風に声をかける。そこでカティアの存在に気がついたフレデリックは彼女へと視線を向ける。そこに居たのは己を不安げに眺める何処となく小動物染みた雰囲気のまだ年端もいかない少女の姿。東ドイツとポーランドという国の違いはあれど、目の前の少女は己よりも階級が上、ならば此処は敬語で話した方がよかろうか、とフレデリックは考える。

 

 「えーと…、ヴァルトハイム少尉、でよろしいでしょうか?」

 

 「あ、あの、敬語はいいです…。私、どう見ても軍曹より年下ですので、敬語を使われてもどうにも違和感が…」

 

 「へ?…あー、まあ、それもそうか…」

 

 フレデリックはフム、と顎に手を当てながら少し考えると何を思ったのか左手をカティアに差し出した。突然のフレデリックの行為にカティアは思わず唖然としてしまい、とっさに反応を返せない。

 

 「…えっと……」

 

 「何ポカンとしてるんだよ、握手だ握手。まあ、お仲間が迎えに繰る短い間の付き合いになるだろうけど、とりあえずよろしく頼むわ」

 

 「………はい!」

 

 フレデリックの言葉にカティアは顔を綻ばせて彼の手を握り返す。先程と打って変わって元気のいい反応にフレデリックも苦笑するしかなかった。

 

 その時、フレデリックのペンダントの石が何かに反応するかのように赤く輝いたのだが、両者共にそれに気がつく事はなかった。

 




 正直一番苦労したのはポーランド語の発音なんですよね…。ネット探しても中々載ってないしこのニェトペーゼというのも合っているかどうかは正直自身持てませんが…。
 え?じゃあなんで蝙蝠にしたのかって?…それは自分なりの遊び心、と言ったところでしょうか…。

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