Muv-Luv Alternative ーthe guardian of universeー   作:天秤座の暗黒聖闘士

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 丸々2カ月更新が遅れてしまい本当に申し訳ありません!まさか今年初めての更新がここまで遅くなるとは……。



第11話 Bizarreー猟奇ー

 冷戦によって母体である国家共々東西に分離したドイツ首都、ベルリン。

 その東ドイツ側、東ベルリンの一角にそのビルは存在している。

 まるで見るものを威圧するかのような威容を誇る高層ビル、そここそが東ドイツという国家を、そこに住まう国民を恐怖と密告で統制する秘密警察組織、国家保安省、通称シュタージの本部ビルであった。

 シュタージ、国家保安省とは東ドイツの秘密警察、諜報機関であり、徹底的な監視体制を敷いて東ドイツの言論を統制、さらに隣国の西ドイツにまで多数のスパイを送り込んでおり、東西両ドイツの国民から恐れられていた。

 実際史実に置いて、シュタージのスパイである夫婦二人が西ドイツへと亡命、当時の西ドイツ首相の秘書官にまで上り詰めると言う事件が起きており、さらに国内には多数の情報提供者を配置、その数は対人口比でいえばかつてのドイツ第三帝国のゲシュタポ、そしてソ連のKGBをも凌ぐものであったと言われている。

 この世界の国家保安省もまた、組織の内容については史実とほぼ同じといってもいい。

 違うのはこの国家保安省には国家人民軍とは別に直属の軍隊として、武装警察軍を所持しているという事である。その主な役割は亡命者狩り、政治犯への対処、さらには戦術機による対BETA戦もまた任務に含まれている。

 ソ連との間に結ばれた太いパイプを持つ国家保安省はMiG-23チボラシュカ等のソ連で生産される最新鋭の兵器、戦術機を部隊に配備する事が出来ている。結果的に第二次パレオロゴス作戦の戦力増強の意味合いもあってチボラシュカを始めとする戦術機、戦車は国家人民軍にも配備される事となったが、それでも配備数においては武装警察軍が圧倒的に多い。

 その諜報の目は国家人民軍内部にまで張り巡らされており、ほんの僅かでも自分の組織にとって不利益となり得るであろう情報であれば即座に伝わってしまう。それゆえ国家保安省は国家人民軍の兵士達にとっては恐怖と嫌悪の的であり、政治将校ですらも彼らを毛嫌いして敵視しているものは多い。

 本来の流れでいけば、パレオロゴス作戦の失敗とその後に起きるポーランド崩壊、それによる難民の流入により、難民統制の為に国家保安省の持つ権限はより強大なものになるはずであった。しかしガメラの乱入によるミンスクハイヴの一度目の崩壊、そして今回のロヴァニエミ、ミンスク、ヴェリスクの3つのハイヴの崩壊によるBETA戦線の後退、そしてポーランドの健在という結果により、東ドイツには殆ど難民が流れ込んでは来なかった。この為党上層部は国家保安省による国内監視強化は現状必要無しと判断、国家保安省の権限は今のところ特に強化はされていない。

 とはいえ未だに東ドイツのあちらこちらに情報提供者を送り込み、密告を推奨している国家保安省は国民にとっての恐怖の的であることはかわらず、東ドイツが恐怖と密告による統制である事は今もなお変わってはおらず、第二次パレオロゴス作戦の成功もまた、国家保安省の立場を揺るがす事は全くと言っていいほどにないであろう。

 ……そう、揺るがす事は無いのだ、外で何が起ころうとも。

 本当に国家保安省が揺らぎ、倒壊するとなれば、それは“外”ではなく“内”からとなるのである。

 

 そして、崩壊の序曲はもう既に、始まっていた。

 

 

 

 

 

 国家保安省本部ビル、その一室にて。

 薄暗く、過度な調度品が一切置かれていないそこに、黒を基調とした国家保安省の制服を纏った一人の職員が、同じく国家保安省の制服を纏った高圧的な雰囲気の女性、その背後にまるで彼女の護衛か何かのように控える国家保安省職員へと緊張の面持ちで手元の資料を見ながら何かを報告している。

 この女性の名前はベアトリクス・ブレーメ。国家保安省直属軍である武装警察軍に所属しており、階級は少佐。武装警察軍指揮下の戦術機大隊、『ヴェアヴォルフ』を指揮する大隊長であり、彼女自身も卓越した戦術機操縦技術を誇る衛士である。

 本来は戦術機大隊を率いて国境を越えようとする亡命者を狩る事を任務とする彼女が此処に居る理由、それは此処最近発生している猟奇殺人事件の捜査の為である。

 東ドイツと西ドイツとの境目、東から西への亡命者の警備の為に国家保安省が特に厳重に目を光らせているそこで猟奇殺人事件が発生したのである。

 最初は数人の亡命者が犠牲となった。死体は破損がひどく、腕や足が丸々欠損しているのもあれば、上半身が丸々無くなっているものも、果ては腕の一本、あるいは脚一本しか発見できない遺体もあった。

 遺体の異常さに唖然とする者も居たものの、どうせ野犬か何かに襲われたのだろうとその時は誰も気に留めなかった。

 だが、事件はそれで終わらなかった。その後も幾人もの亡命者が犠牲となり、ついには国境を警備する国家保安省の兵士達にまで犠牲者が出始めたのである。

 事此処に居たってようやく国家保安省は重い腰を上げた。亡命者が何人犠牲になろうとも知った事ではないが、自分達の組織の人間が殺されたのならば放置しておくわけにはいかない。何よりこのような事件が表ざたになろうものならば国家保安省の名に傷がつく可能性もあり得るのだ。

 国家保安省は直ちに国境付近に調査チームを極秘で派遣、現地での調査を開始した。

 しかし、無駄であった。まるで彼らのやり方をあざ笑うかのように犠牲者は段々と数を増やしていった。さらにどこから情報が漏れたのか一部の政治将校、兵士達の間で今回の事件に関連するであろう噂がささやかれ始めたのだ。犠牲者が少ないうちはある程度隠蔽する事も出来たであろうがこのまま増えていけばそれすらもままならなくなる。

 この事態を重く見た国家保安省上層部は虎の子である武装警察軍を調査に加える事を決定、代表として戦術機甲大隊『ヴェアヴォルフ』大隊長のベアトリクスが派遣される事となったわけである。

 兵士の報告に黙って耳を傾けるベアトリクス、その妖艶な美貌はまるで石像のように無表情であり普段浮かべている余裕に満ちた笑みは欠片も見いだせない。

 

 「………以上です。また国境付近で三名の警備兵が……、やはりというべきかいつもと同じ手口です。遺体の殆どが欠損、というより、もはや原型そのものを留めていないものも……」

 

 「……もういい、わかった。後はよく見ておく、下がっていい」

 

 「……ハイ」

 

 そう言って手を振るベアトリクスに兵士は一度敬礼するとそのままドアから出て行く。ドアがしまる音が部屋に響くと同時にベアトリクスは疲れたような溜息を吐きだしながら手元の資料を持ち上げる。

 

 「……これでもう被害者は50人を超えたわね…。我々の方の損害に限定すれば20人以上、か……」

 

 「由々しき問題です少佐。此方の犠牲者も増え続けている以上放置してはおけません。直ちに出撃を……」

 

 資料をパラパラとめくりながらぼやくベアトリクスに傍に立っていた女性兵士、ベアトリクスの副官である部下が興奮した様子で捲し立てる。己の同胞達がただ殺されるのみならずその遺体までも無残に辱められたのだ、完全に国家保安省を舐め切っている、あるいは歯牙にもかけていないとしか言いようがないこの犯行に彼女も怒りを隠し切れていないのだ。が、そんな副官の怒声に対してベアトリクスは落ち着いた様子で片手をあげながら副官を抑える。

 

 「……落ち着きなさいな。私だって同志が殺されて腸が煮えくり返る思いよ?とはいえ敵の正体がつかめない以上軽々しく動けないわ。まして、相手が人間かどうかも分からない以上、ね」

 

 「………少佐もやはり、この事件は人間が起こしたものではないと……?」

 

 副官は神妙な顔つきでベアトリクスに問いかけると、ベアトリクスは『さあね』と暈し気味に返事を返して、再度資料に視線を落とす。

 

 「……仮に人間だったとしても、幾らなんでも不自然すぎるわ。遺体の損壊は既に写真で見せて貰ったけど……あれは殺されたというより………」

 

 そこまで呟いたベアトリクスは不意に口を閉じる。まるでその先を言葉にする事をためらっているかのように。事実そうなのだろう。これはあくまで己の憶測、写真から見た遺体の状況から判断しただけの憶測にすぎないのだ。決めつけるのは早すぎる。

 ベアトリクスは椅子の背もたれに凭れかかりながら指で瞼越しに両目をマッサージする。此処までずっと書類やら何やらを読んだり眺めたりしていたせいかいい加減目に疲れがたまってきている。

 たかが猟奇殺人事件、精々一週間かそこらで片がつくだろうと軽く考えて調査を引き受けた結果がこの様だ。未だ犯人は手がかり一つ掴む事も出来ず、2週間近くも時を無駄にしている。本来の職務である大隊指揮と亡命者狩りは部下に一任しているものの、これ以上長引けば大隊の調練や士気にも影響が出る、早急に片付けねばならないというのに……。

 忌々しげに舌打ちするベアトリクス。どうにかこの鬱屈した気分を発散したいと頭を悩ませる。と、ふいに脳裏にある人間の、そして彼女が率いているとある中隊の名前が浮かび上がり、何気なく背後の副官へと言葉を投げかける。

 

 「……そう言えばポーランドに派遣された第666戦術機中隊について、何か変わった事でもあったかしら?確か巨大生物とやらの乱入のお陰で無事ハイヴは潰せたらしいけど」

 

 「特に今のところは何も。中隊は現在ポーランド首都ワルシャワに逗留しているらしいですが、どうやら向こうではハイヴを殲滅した巨大生物の話題で持ち切りらしく、それ以上の事に関しましては……」

 

 「……例の西からの亡命者に関しては?」

 

 「そちらも今のところは何も。特に変わったところは無いという話ですが此方も例の巨大生物の話題に紛れて……」

 

 「そう、まあいいわ。どの道このごたごたを始末しない限り尋問どころじゃないんだから。はあ……全く直ぐに片が付くかと思いきや思いのほか長引くわね……。これは本気で戦術機を出すことを提案するべきかしら……」

 

 副官の返答を聞きながらベアトリクスは重々しく溜息を吐きだす。

 実を言えば既に上層部に調査の為に戦術機を動かす事を打診していた。しかしながらその要請は既に却下されていたのだ。

 ベラルーシ派兵の為に予算をつぎ込んだ結果、そのしわ寄せで国家保安省の予算額は相対的に減らされていた、そんな中でただでさえ動かすだけでも費用のかかる戦術機等そう簡単に使えない、ましてやたかが殺人事件の捜査に使用する等正気の沙汰ではないと突っぱねられる羽目になったのだ。この決定にはさしものベアトリクスも内心舌打ちしていた。

 ここまで職員が、しかも厳重な警備体制にあるはずの国境線警備の人間が殺されているというのに予算も何もあったものでもないだろう。何処で誰が聞いているか分からない為口に出して文句は言うまいが。

 

 「……全く、少し喉が渇いてきたわ。悪いけど紅茶を淹れて貰えない?」

 

 「はい、ただ今………?」

 

 此処はティータイムでもして少し頭を整理でもしようとベアトリクスは副官に紅茶を準備するように命じる。副官は彼女の言葉に従ってティーセットを用意しようとする、と、突然扉の向こう側からバタバタと何者かが走って来る音が聞こえてくる。副官だけでなくベアトリクスも何事かと扉の方を眺めていると扉が勢いよく開かれてそこから一人の国家保安省職員が息を切らせながら部屋へと入って来る。余程急いでいたのか職員はゼエゼエと呼吸を乱しながらもどうにか背筋を伸ばして切れ切れながら言葉を紡いだ。

 

 「ど、同志少佐、き、き、緊急事態です!!また、また犠牲者が……」

 

 「……なんですって!!それで、犠牲者は!!どこで誰が襲われたというの!!」

 

 突然飛び込んできた兵士に唖然としていたベアトリクスであったが、兵士の口から飛び出してきた言葉に一瞬で表情が変わった。椅子から立ち上がると兵士に掴みかからんばかりの勢いで次々と質問を捲し立てる。兵士は一瞬唖然としたもののやがておずおずと、呼吸を落ち着かせながら口を開く。

 

 「……そ、その……国境、16号基地が……」

 

 「16番基地!!そこの人間が襲われたのか!!」

 

 鬼気迫る表情で叫ぶベアトリクスに、兵士は一瞬ためらうかのように口を閉ざすが、やがて覚悟を決めたかのように、されどまるで腫れ物に触るかのように恐る恐ると口を開く。

 

 「いえ……違います……。16番基地が、16番基地そのものが、壊滅しました……!!基地の人間は全滅、生存者0、です……!!」

 

 「………は、あ?」

 

 「……基地が、壊滅……?」

 

 兵士のまるで悲鳴のような絶叫にベアトリクスは思わずあっけにとられる。その背後で事の次第を見守っていた副官も、信じられないような顔つきで兵士へと視線を向けている。

 そして爆弾発言をした当の兵士はそんな彼女達の様子に逆に恐怖を覚えたのかガタガタと身体を震わせている。しかし、今やベアトリクスの意識はそんな小男には向けられていない。

 国家保安省所属の基地の壊滅……、にわかには信じがたい話だ。一瞬目の前の男の嘘ではないかと疑ってしまったが見たところ嘘をついている様子は無い。そもそもそんな理由がない。

 ならば彼の言っている事は事実だと考えてしかるべきだろう。しかしもし事実だとしたならばこれは由々しき事態だ。一人二人の犠牲どころか基地そのものに襲撃を仕掛けてくるなど、もはやこれは単なる猟奇殺人事件と片付けていい代物ではなくなった。

 もはやこんなところに引きこもっている場合ではない――!!ベアトリクスは壁にかかったコートを引っ掴むと空きっぱなしのドアへと歩いていく。

 

 「直ぐに現場に向かう!!案内しろ!!」

 

 「……!?しょ、少佐自らですか!?それは……」

 

 「ガタガタぬかすな!!もうこれ以上放置できる案件では無い!!このまま放っておいたら……」

 

 またさらなる犠牲者が産み出される、いや、それどころか国家保安省そのものが……。ベアトリクスは心のうちでそんな確信を抱きながら奥歯をギリリと噛み締めた。

 

 カティアSIDE

 

 夢を見ていた、あまりにも現実離れした夢を……。

 

 

 

 『……あれ?ここ、は……』

 

 唐突に目を覚ましたカティア、だがカティアが目を覚ました場所は己達中隊が逗留している宿泊施設の一室では無かった。

 そこは、一言で言うのならば煉獄、あるいは焦熱地獄。周囲に瓦礫が散らばり、あちらこちらから火の手が上がっている、さながら爆撃機の空襲の被害でも受けているかのような凄惨な光景であった。

 空は太陽どころか星すらも見えないほどに黒く、時折雲らしき黒い物体が蠢くような妙な動きを見せている。そして地上に散らばるのは人間の死体、死体、死体、死体……。

 

 『……なに、これ……』

 

 カティアは茫然と、無意識にそう呟く。この光景は何だ。まさかいつの間にかBETAがワルシャワに攻めてきたのか、いや、でも確かにミンスクのハイヴは殲滅されたはず……。

 無意識にカティアの右手が頬に伸び、その肉を思い切りつねり上げる。が、痛みは無い。本来痛みを感じるはずだというのにカティアはまったく痛みを感じないのだ。

 

 『……まさか、夢、なの……?』

 

 ポツリと呟く彼女の言葉に答えるものは誰も居ない。眼前に広がる光景は夢と呼ぶにはあまりにもリアルにすぎる光景、だが、カティアは段々と目の前に広がる破壊された町が、己の知っているものとまるでかけ離れているという事に気付き始めた。

 既に瓦礫と化しているものが大半だが、眼前の建物はどれも己の滞在しているワルシャワのものとは大きく異なっている。さらに言うなら己の記憶の中にあるどの建造物の形とも一致しない。あえて言うのならば以前本で観た事があるギリシャ、ローマといったかつての文明の古代遺跡の復元図、それに似ている。

 あまりにも現実感のない光景、今まで自分の居た街とは全くかけ離れたそこに何故自分がいるのか……。どう考えてもこれは夢だとしか思えない。

 

 『でも、何で私こんな夢を………』

 

 しかしそれでも疑問は残る。何故自分はこんな夢を見ているのか。

 自分はこんな場所など見たこともないし、来た事もない。夢に理由を求めるのはおかしいかもしれないが何故か気になって仕方がない。

 腕を組み、眉根を寄せて考え込むカティア、であったが…。

 

 『ギャオオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 『……!?』

 

 突如として頭上から響き渡る絶叫の様な鳴き声と突風、そして頭上にかかった巨大な黒い影にカティアはハッとして頭上を見上げた。

 頭上から自分めがけて降りてくるもの、それは巨大な、あまりにも巨大な翼を持った影であった。

 巨影の翼が羽ばたくたびに周囲に突風が吹き荒れる。本来ならば人間一人軽々と吹き飛ばせるであろう暴風であるが、幸い夢である為かカティアには影響は無い。

 だが、此方めがけて降りてくる巨大な影にカティアは反射的にその場から飛びのいて逃れる。次の瞬間、巨体が地面を踏みしめる轟音と共に周囲に揺れが発生する。

 立ち上る砂埃とガタガタと揺れる地面。だが、今のカティアにとってそんなことはどうでもよかった。元より揺れも風圧の影響も受けていないのもあるが、なによりも己のすぐ目の前に存在する、“それ”を見て目が離せなくなってしまったのだから。

 それはシルエットだけ見れば巨大な鳥のような姿をしていた、が、その姿は現実の鳥とは全くと言っていいほどにかけ離れた、あまりにも恐ろしく、おぞましい姿であった。

 全身には羽毛がなく、滑りのある赤黒い表皮で覆われており、翼はまるで蝙蝠のような皮膜が貼られている。翼に備わっている指と後ろ足には長く鋭い爪が生えており、触れただけでどんなものでも切り裂いてしまいそうな威圧感を醸し出している。

 そして、その頭部、まるで矢印のような形状をした頭部には本来鳥に備わっているはずのくちばしは無く、代わりに耳まで裂けた巨大な口には本来鳥類には無いはずのサメのような牙がずらりと並んでいる。

 その姿はまるで伝承や絵物語に出てくるワイバーン、あるいは有翼の悪魔の如きであり、カティアは眼前の化け物の姿に声も出ずに硬直するしかなかった。

 化け物は地面に降り立つと、地面に転がる人間の死体へと目を落とすと、一度ベロリと舌なめずりをした後に勢いよく喰らい付いた。

 

 『………!?』

 

 文字通り人間の死骸を喰らう化け物の姿にカティアは思わず口を抑える。幸いというべきか化け物にはカティアの姿が見えていないようであり、精々距離にして3メートル程度しか離れていないにも拘らず全く気付いた様子もなく人間の死骸を貪り食っている。

 ゴリッ、グチャッと肉を喰らい、骨を噛み砕く音がカティアの耳へと入って来る。かつて人であった者の血肉を啜り、満悦の唸り声を上げる化け物の姿が網膜に侵入してくる。

 カティアとて衛士、BETAに喰われた人間の死骸、兵士達がBETAに為すすべなく殺されていく姿は既に何度も目撃している。が、こんな真近で、人間が化け物に喰われていく様を見たことなど一度たりとてなかった。

 眼前の凄惨な場面にガタガタと身体を震わせるカティア、だが、この程度はまだ序の口であるという事を、次の瞬間思い知る事となった。

 

 『ギャア!ギャアアアアアア!!』

 

 『ギュオオ!!ギュアアア!!』

 

 『……え?』

 

 突如として頭上から響く目の前の化け物と同じ鳴き声に、カティアは恐る恐る頭上を見上げ、そして愕然とした。そこに居たのは目の前で人間を貪る化け物と同じモノ、それが一頭どころではない、二頭、三頭と次々と空に広がる黒雲から地上に向かって降りてくるのだ。見ると化け物たちは此処だけでは無い、この燃え上がる街全域に次々と降りてきているのだ。その数はもはや10頭20頭等というレベルでは無い。

 その瞬間、カティアは気がついた。あの黒い雲のようなものはあの化け物たちが群れをなして密集しているものであると。気付くと同時にカティアの全身に震えが走る。

 あれはもはや何万何十万とも言える膨大な数、いや、もはや数える事すら不可能なレベルであろう。目の前の化け物と同じモノが何万羽も居る……、もはや街一つ喰い尽してもまだ足りない規模であろう。

 そしてカティアは確信する、この街の惨状はあの化け物の群れが作り出したものだと。街を破壊し、人を喰らい、地上を火の海へと変貌させる……、まさにこの世の終わりとも言える光景にカティアはただただ戦慄する以外になかった。

 空に響き渡る甲高い化け物の鳴き声、もはや街に生きている人間など一人も残ってはいないであろう。ただ一人残されているのは夢の住人である己と、空を舞い、地上の屍を貪るこの化け物たちだけである。

 もはや見ていられないとカティアは瞳を閉じて耳を塞ぐ。こうなったらこのまま何も見ず、聞かずに夢がさめるまでやり過ごすしかない。仮にも東ドイツ最強の戦術機部隊の衛士にあらざる行動ではあるが、眼前に居るのはBETAとは異なる全く未知の怪物、故にカティアの心の奥底に眠る恐怖心が無意識にその行動をとらせてしまったのである。

 そして、カティアの目が覚めるその時まで、文字通りの悪夢は続く……そう思われた。

 だが次の瞬間、まるで化け物たちの喧騒を引き裂くかの如く、突如空から爆弾が炸裂したかのような轟音が響き渡った。突然の事にカティアは弾かれるように上空を見上げる。見ると先程まで食事していた化け物も何事かと言わんばかりに空を見上げていた。

 空が燃えている。否、厳密には次々と連鎖的に爆発を起こしている。

 化け物の群れである黒い雲が次々と爆ぜ、炎上し、大地へと墜落していく。

 炎を纏い、炎上しながら大地に落ちる化け物の肉片。遠目から見ればそれは炎の雨のような恐ろしくも幻想的な光景であっただろう。だがその真下に居るカティアはそんな事を気にしている余裕はない。

 

 『グギャアアアアア!?』

 

 カティアのすぐそばにいた化け物はすぐさま飛んで逃げようとしたが、その前に振ってきた同じ化け物の燃える死骸に押しつぶされる。生々しく響く肉が押し潰される音と断末魔の悲鳴、反射的に飛びあがったカティアはそそくさとその場から離脱する。

 

 『な、な、な、何なんですかこれ!?一体何がどうなって……』

 

 半泣きで燃える路地を駆けるカティア、だがふと何気なく空へと視線を向けた瞬間、空を見上げたまま身体を硬直させる事となった。

 赤と黒の二色に分かれた空、そこに翼のようなものを広げた巨大な何かが飛行している。

 その巨大な何かはぐんぐんと地上めがけて降下していき、やがて……。

 

 “ズウウウウウウウウウウウンンンンンンン……!!”

 

 巨大な地響きとともに地面へと落下した。同時に周囲には巨大な揺れが発生し、同時に倒壊寸前だった建物が轟音を立てて崩れていく。

 その中でカティアが立っていられたのは単に夢の中であったから。もしこれが現実だったならば激しい揺れの中で立つことすらままならないであろう。

 激しく揺れる大地と、立ち上がる土埃、その合間から彼女はそこに降りてきたモノの正体を目撃した。

 まるで長い年月を経た大木の如く太い脚、堅牢な岩盤の如く頑健で硬質な甲羅、そして……。

 

 『グルアアアアアアアアオオオオオオオオオオンンンンン!!!!』

 

 空に轟く猛々しい咆哮、それはあの時、ミンスクの地において自分達の窮地を救ったあの、巨大な怪獣のものであった……。

 

 

 

 

 

 「……あれ?」

 

 ふと眼を覚ましたカティア、そこはワルシャワに存在する国家人民軍用に宛がわれた宿泊施設、そこにある自分専用の部屋のベッドの上であった。

 燃える街並みも、転がる人間の死体も、そして空を舞う巨大な化け物の群れもそこには存在しない、夜の暗がりに覆われた静かな部屋のままであった。

 

 「なんで、あんな夢……」

 

 やはり夢であったという事に安堵すると同時に何故あんなにも鮮明な夢を見てしまったのか分からずに首を傾げるカティア、その指は無意識に首に下げられたペンダントに触れた、のだが……。

 

 「……?熱い?どうしたんだろう……」

 

 どういうわけかペンダントの石から熱を感じた。まるで石そのものから熱を発しているかのような……。

 

 「気のせい、ですよね」

 

 が、カティアはさほど気にも留めなかった。大方自分と布団の温度で暖かくなっていただけなのだろうと考えなおし、再びベッドへと潜り込んだ。

 だが、あの夢の光景は未だにまぶたに焼き付いており、目を閉じても眠る事は出来なかった。

 

 

 ベアトリクスSIDE

 

 東ドイツと西ドイツの国境付近、深い針葉樹林の森林地帯に覆い隠されたそこに国家保安省所属の国境警備隊専用基地は存在している。

 この基地の存在については公には伏せられており、国内外に出回っている地図にも載せられているものは殆どない。無論理由は亡命者に場所を知られない為であり、何も知らずにのこのこ国境を越えようとする亡命者を捉える為の罠でもある。

 それ故に基地は発見されにくい針葉樹林内に建設されている。周囲にはカムフラージュ用の樹木があちらこちらに設置され、さらに森林には見えないところに監視カメラや罠が設置されている。無論発見されたのならすぐさま基地から職員が出て、亡命者を捕縛、あるいは射殺するのは言うまでもないだろう。

 16番基地はその一つ、本来ならば同じ国家保安省職員以外誰もその所在を知らないであろう文字通りの秘密基地、万に一つも見つかる事のない場所、のはずであった……。

 その基地が無残にも破壊されていた。窓は割れ、天井のアンテナは破壊され、コンクリート製の建物の壁にはぽっかりと大穴が開けられている。

 そして基地に常駐していた職員は……、一人残らず殺され、物言わぬ肉片と化していた。

 その殺戮は徹底しており、飼育されている軍用犬にまで及んでいる。首が無いもの、上半身丸々喪失しているもの、あるいはその逆に下半身が抉られているかのように無くなっている者もおり、中には腕のみ、足のみしか残されていない遺体も多い。

 その惨劇の舞台であるそこへと、ベアトリクス率いる調査班は来訪した。ジープを降りるなり眼前に飛び込んでくる惨状に、さしもの泣く子も黙る国家保安省の人間、その中でも幾多の汚れ仕事を経験してきたベアトリクスでさえも表情を歪めざるを得ない。

 何の計画性もない、隠蔽する気などまるでないと言わんばかりの虐殺の現場に、彼女の部下達は凍りつき、ある者は地面に膝まづいて嘔吐してしまっている。が、ベアトリクスはすぐさま表情を引き締めると現場に足を踏み入れ、遺体と破壊された建物、物品の検分を開始する。部下達も上司が仕事をしている以上動かないわけにもいかず、しぶしぶと言わんばかりに現場の調査を開始した。

 そのまま現場の写真を撮影、どうにか原形をとどめている遺体の収容等を行う事約10分、ベアトリクスが突然声を上げて副官を呼ぶ。何事かと作業の手を止めて歩いていくと、ベアトリクスは地面にしゃがみ込んで遺体の腕をジッと眺めている。肘の半ばあたりから千切れて血塗れの腕、既に血は固まっているとはいえ見ていて気持ちのいいものではない。

 

 「…同志少佐、何か……」

 

 「ちょっと見なさい、これを」

 

 ベアトリクスが指で指し示す場所に視線を向けると、腕には何かが突き刺さったかのような傷跡が深々と刻まれている。それも一つだけでなく連続して幾つも存在している

 

 「これは……何かで刺した、痕、でしょうか……」

 

 「よく見なさい。これ、何かに噛みつかれた歯型に見えない?」

 

 ベアトリクスの言葉に副官は改めて遺体についた傷跡を観察する。確かに、この傷跡はよくよく見れば動物に噛みつかれた噛み傷のものとよく似てはいる。人間が刃物などで傷つけるにしてはあまりにも不自然すぎる傷ではあるが、噛み痕だとするのならば合点がいく。

 副官の反応にベアトリクスは険しい表情のままに頷いた。

 

 「……やっぱり私の予測は正しかったわ。此処の遺体は全部殺されたんじゃあない、何かに襲われて喰われたのよ」

 

 「く、喰われた!?……い、いえ、確かにその可能性は無きにしも非ずですが、では少佐は今回の事件の犯人は人間ではないと?」

 

 「人間にしては不自然、というよりありえない点しか存在しなかったわ。そもそも仮に遺恨による犯行であったとしても此処まで必要以上に遺体を損壊して、逃げられるという時点でおかしい。第一偽装工作をするにしてももっとまともな上手い手段を使うはずよ。

 これは何らかの人外による、そう、例えば猛獣か、あるいはBETAによる食害行為と見る方が自然よ?」

 

 BETAの名前に副官は背筋が凍る思いがした。確かにBETAならば種類にもよるが基地を破壊してこれだけの人間を殺害する事も造作もないだろう。だが、今現在国内にBETAが侵入した、あるいはBETAらしき存在を目撃したなどという報告は届いていない。そもそもBETAは既に第二次パレオロゴス作戦に置いてミンスクハイヴ諸共殲滅されているはずである。

 また、仮に猛獣だとしても東ドイツはおろかヨーロッパにこれほどの数の武装した人間を食い殺せる猛獣が生息しているとは考えられない。それ以前にたとえトラやライオンといった猛獣がいたとしても人間のみならまだしも此処まで基地を破壊する事が出来る筈がない。

 

 「で、ですがBETAは既にミンスクで殲滅されたはず、此処には存在するはずがありません!!仮に猛獣であったとしても基地を此処まで損壊させるほどの力を持つ獣など…」

 

 「そうね、それは私も気になっているところよ」

 

 副官の言葉に頷きながらベアトリクスは破壊された基地の、正確には切断された壁の巨大な破片へと歩いていく。基地の天井部のものと思われるコンクリートの巨大な塊、その切断面は何処までも滑らかであり、まるで元からそういう形状であったかのような錯覚さえも抱かせる。それを撫でながらベアトリクスは険しい顔を崩さない。

 

 「見なさいなこの切断面。仮にもコンクリートを此処まで滑らかに切断するなんて猛獣どころか人間の加工技術でも出来るかどうか……。これは絶対にただの獣害事件じゃない。もしかしたらBETAすらも上回るかもしれない脅威だと考えてもいいわね……」

 

 尊敬すべき上司の言葉に副官は黙っている事しかできない。

 その後の調査は何事もなく進み、ある程度の遺体の回収と現地の調査も終わり、調査班の人間達は本部帰還のための片付けに入ろうとしていた。が、ベアトリクスは逆に、車両から次々と資材を下ろしており、どう見ても帰還する準備をしているとは思えない。妙な行動を取る上司に部下達も首をかしげざるを得ない。

 

 「……あの、少佐……」

 

 「何をしてるの?遺体と現場の撮影、本部への報告が終わったのなら野営の準備をするわよ?」

 

 「は?野営?少佐、一体何を……」

 

 部下の困惑の言葉にベアトリクスは一度手を止めるとそちらへと振り向く。その顔には何を言ってるんだこいつらは、とでも言いたげな表情が浮かんでいる。

 

 「決まってるでしょう?張り込むのよ、此処に」

 




 ちなみにこの小説内でのシュタージの役目は……ぶっちゃけ餌枠です。サメ映画やらゾンビ映画やらでおなじみの。
 いやだって情け容赦なく餌役にできるキャラって柴犬じゃあシュタージくらいしかいませんし、ねえ?

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