Muv-Luv Alternative ーthe guardian of universeー   作:天秤座の暗黒聖闘士

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 読者の皆さま、3ヶ月間更新できなかったことお詫び申し上げます。
 仕事もこともあったのですがやれネトゲだの動画だのと色々遊んでいた結果投稿が非常に遅れてしまい、言い訳しようもございません。
 ようやく”アレ”が登場いたします。最も、出会うのはテオドール達ではありませんが。


第12話 Alptraumー悪夢ー

 

 『……て、……けて…』

 

 『お……い、だ……か』

 

 「……え?」

 

 “彼女”は不意に目を覚ました。そこは辺り一面黒く塗りつぶされた空間、何も見えない、光らしきものは何もない。だが、不思議な事に自分の姿だけははっきりと見えている。手、足、身体、全てが日光の下にいるかのようにはっきりと目視出来ている。だというのに周囲はまるでインクをぶちまけたかのような漆黒の空間。

 何も見えない、だが何故だろうか、微かな声が、誰かが呼んでいるかのような声が聞こえてくる。それはこの黒い世界の奥の奥から……。

 

 「………」

 

 意を決して“彼女”は暗闇の奥へと足を踏み出す。一寸先も見通せない中、聞こえてくる声に従って奥へ奥へと進んでいく。一歩一歩進んでいくたびに、声はだんだんと大きく、そしてよりはっきりとしたものとなっていく。

 

 『たすけて……、たすけて……』

 

 『お願い……、誰か……』

 

 微かに此方に聞こえる声、それは声の質から女性、それも助けを求める声である事が分かった。何故かその声に胸騒ぎを覚えた“彼女”は暗闇の中をゆっくりゆっくりと歩いていく。

 歩いても歩いても暗闇しか存在しない世界の中、ふと真っ黒な世界以外の“何か”を見つけた。黒一色の世界で光などないはずなのに、何故かそれははっきりと見えた。そう、まるで自分の身体と同じように……。

 そして何より……先程から聞こえてくる声の元は地面に転がっている“それ”から聞こえるようであったのだ。

 

 「………!!」

 

 意を決して“彼女”は早歩きでそれへと向かっていく。なんにせよこの声の正体を確かめるのが先だ。此処が何処だか分からない以上何か手掛かりを得るためにも先に進む以外にない。一歩一歩、“彼女”は地面に転がるそれへと近づいていく。

 そして、地面に転がる“それ”のすぐ近くに辿り着くと……。

 

 「ヒッ!?」

 

 “彼女”は表情を引き攣らせて思わず悲鳴を上げてしまう。それも当然、何故なら地面に転がっていたのは一人の女性の首と胴体であったのだ。首は胴体から切り離されて切断部からは真っ赤な血がまるで沸き水のように次々と噴き出している。

 だが、その首は眼を見開き、口をパクパクと動かしながら“彼女”をジッと凝視している。あり得ない、生きていられるはずがない。首を切られて生きられる人間などいるはずがない。

 だが、それ以上に“彼女”が驚愕した事、それはその生首の顔が己の知っているものの顔であった事だった。

 

 「カー、ヤ……」

 

 『シル、ヴィ……、いたい、いた、いよ……、たすけて……たすけて……』

 

 目の前の光景にただ身体を震わせる“彼女”に、生首は涙を流しながら、此方に向かって哀願してくる。か細い声で此方に訴えてくる生首に、“彼女”は怯えながら一歩一歩後ずさっていく。が、突如として背中が何か壁のようなものにぶつかり、それ以上背後に下がれなくなる。

 “彼女”は上へと顔を持ち上げる。恐る恐るといった感じて己の頭の上を見上げた、見上げてしまった。

 

 「ヒイッ!?」

 

 瞬間“彼女”は両目を見開き地べたに尻もちをついた。身体をガタガタと震わせながら上を見上げ、涙をボロボロとこぼし始める。

 何かがいる、己の目の前に何かがいる。暗い影に包まれてその全貌は全く分からない。

 だが、その影が何かを口にくわえているのは分かる。口からは赤い液体がポタポタと地面に滴り落ち、赤い水たまりを作り出している。それは、まぎれもなく血……。

 

 その血が滴り落ちているのは………。

 

 『し、る、ヴィ……』

 

 影に喰われ、貪られながら此方へと手を伸ばしてくる、『自分』の、よく知った……。

 

 「あ、い、いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 光のない暗闇の中、ついに耐えきれなくなった“彼女”の甲高い絶叫がむなしく響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「………!!」

 

 目を見開いて地面からとび起きたシルヴィア、だったがそこは先程までいた暗黒の世界ではなく、己が現在居住するポーランド人民軍専用宿舎の一室であった。

 全身冷や汗で濡らして肩で大きく息をしながら、シルヴィアは恐る恐るといった様子で己の周囲に視線を巡らせる。だが、部屋には自分以外何もない。あの無残な死体も、生首も、そして血肉を喰らう化け物も、何もいなかった。

 

 「夢、か………」

 

 シルヴィアは安堵の息を吐き出しながらのろのろとベッドから這い出る。壁に掛けられた時計を見るとまだ夜の2時、外も未だに暗闇に包まれており星星と月の僅かな明かりのみが部屋を照らしている。それでもシルヴィアはもうベッドに戻る気持ちがうせていた。先程の夢で眠気が完全に吹き飛んだ事もあるが、何よりももう一度眼を閉じれば再びあの光景を目撃するのではという恐れもあった。

 

 「………」

 

 部屋備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一息に煽るシルヴィア。思い返すのは先程まで見ていたあの悪夢の事。

 実を言うならばあの悪夢を見たのはこれが初めてではない。そう、今から四年前、“あの事件”以来似たような夢を何度も見ていた。

 だが、最近ではぱったりとそれらを見なくなっていた。原因はやはりミンスクでのBETAとの殺し合いであろうか。一瞬でも気が抜けない戦場、津波の如く襲い来るBETAとの死闘、それは肉体だけではなく精神、心にも多大な負担と疲労を強いるものであり、たとえベテラン級の衛士であったとしてもベッドに倒れ込むと同時に瞬時に爆睡してしまう。

 それはシルヴィアもまた同じであり、連日続くBETAとの戦いで、悪夢すらも見る余裕がないほど精神は擦り減らされていたのだ。逆にいえばBETAとの生きるか死ぬかの戦争のお陰で悪夢を見ずに済んだ、とも言えるのだが……。

 それでもBETAとの戦闘が終わってここ数日は夢すらも見る事がなかった。それが今日また見るようになったのは……。

 

 「……あの異動の件、かしらね……」

 

 とっさに脳裏に浮かぶ一つの可能性にシルヴィアは皮肉気な笑みを浮かべる。流石にあり得ない、馬鹿馬鹿しいと内心呟きながら。

 だが、その笑顔もすぐ消えて元の能面のような無表情へと戻る。シルヴィアはふと壁に掛けられた写真の入った小さな額へと手を伸ばす。その写真に写っているのは三人のまだ少女といってもいい笑顔を浮かべた女性達、その中にいる照れ顔で、されど楽しそうな笑顔を浮かべる銀髪の少女……。

 

 「………」

 

 あの頃から随分自分も変わり果てたものだ、と内心思いながら彼女は写真の中の少女を、正確には銀髪の少女、5年前のシルヴィア以外の二人の少女の顔をジッと見つめる。

 

 「イレナ、カーヤ、待っていて……」

 

 必ず約束は果たして見せるから……。

 

 額を握りつぶさんばかりに強く握りしめながら、シルヴィアは心の中でそう誓った。

 

 

 国家保安省SIDE

 

 

 西ドイツ国境付近に存在する国家保安省所属の監視基地のひとつ、否、もはや跡地というべきであろうか。何者かの襲撃によって廃墟同然となったそこから10メートルほど離れた地点に、ベアトリクス達は野営の準備をしていた。無論、今回の事件の“犯人”を捉える為である。

 野営地を設置した頃には既に日は傾き、同時に気温も段々と下がり冷たい風が流れ始めている。

 寒々しい大気の中で、ベアトリクスは身体を僅かに震わせながら白い息を吐きだす。

 未だに犯人が何者なのか、犯行の動機が何なのか、そもそも犯人とは言うものの人間の手による犯行なのかはベアトリクスにも分からない。

 こうして犯行現場に貼りこんではいるものの、此処に再び犯人が現れるかは全くもって分からないのだ。精々本部の一室に引きこもっているよりかはマシ程度の事であり、下手をすれば無駄足に終わる可能性もある。

 それでも、僅かでもかまわないからこの事件の手がかりを掴まなければならない、ベアトリクスの心にはそんな思いがあった。何故かはわからない、だがこの基地に来てからというもののとてつもない胸騒ぎがベアトリクスの心に沸き起こっていたのだ。

 それは長年国家保安省に置いて汚れ仕事を請け負ってきたが故の勘か、あるいは単なる気のせいか、それは彼女自身も分からない。分からないが……それを差し引いても仕事である以上やらざるをえまい。

 

 「同志少佐」

 

 己の背後から一緒に連れてきた部下の声が聞こえてきたのでそちらへと視線を向ける。そこには基地に設置させた監視カメラ等の映像の分析を命じておいた己の部下が此方に敬礼しながら立っている。

 

 「基地内監視カメラの映像分析ですが、一部破損が見られるものもあってまだ時間がかかりそうです。ですが、どうやら何かに襲われたという事は確かなようです」

 

 「何か、ね……。その何かというのは一体何なのかしら?」

 

 「そ、それは……、その……」

 

 ベアトリクスから逆に問われて言葉に詰まる部下、だが、それは返答する答えが無いというよりもどう返答したらいいのか分からないといった風情であった。ベアトリクスはそんな部下の真意に気付いて眉をひそめる。

 

 「どうしたの?言いたい事があるのなら言いなさいな」

 

 「は……、音声越しに、はっきりとは聞こえなかったのですが……『鳥』という声が最後に入っていまして……」

 

 「鳥?鳥って言うとあの空を飛ぶ……」

 

 「その鳥で間違いないかと」

 

 部下の言葉にベアトリクスは顎に手を当てて考える。

 現在確認されているBETAには鳥の姿をしたBETAは確認されていない。そもそもBETAに飛行可能な能力を持つものは現状存在しないのだ。万が一そんなものが出てこようものならそれこそ現在の防衛政策を一から練り直さなくてはならなくなる。

 ならば普通の鳥か、とも考えたがそれもすぐさま否定される。この東ドイツに生息している鳥類に、というかこの世界に現在存在しているであろう鳥類に人間を好き好んで襲うような代物は存在しない。死肉を貪るようなものはいるだろうが生きている人間を餌と見做して襲いかかるものは皆無といってもいいだろう。

 ならばこの言葉の意味は?ただの妄想か、あるいは虚言か。いずれにせよ情報が足りなさすぎる。

 

 「……ならそれに関しては本部に帰るまでお預けといったところかしら」

 

 「そうなります、ね」

 

 返事を返した部下はベアトリクスのすぐ後ろから、同じく廃墟同然の基地を見上げる。

 壁には大きく穴が開けられ、窓ガラスも無残に割れている。内部から火の手が上がったことを裏付けるかのように壁面は焦げて黒く染まっている。

 

 「……にしてもまあ、派手にぶっ壊してくれたものねえ……」

 

 「はい、これだけの規模の破壊、人的被害共に単独犯とは考えられません。間違いなく複数犯、それも相当な武装をした組織的犯罪に違いないと……」

 

 「人間じゃないかもしれないわよ?犯人は」

 

 言葉を遮るように放たれたベアトリクスの台詞に部下も思わず閉口する。その声色と此方に向けた表情には、欠片も冗談は込められておらず、あくまで真剣であった。

 

 「……人間じゃないと言いましても……、此処までの大破壊を行える生物は東ドイツを含めてヨーロッパには生息していませんし、可能性のあるBETAもまた此処まで進出してきてはいません。それこそ幽霊や化け物でもないと……」

 

 「ありえるわよ?私達は職業柄人に恨みを幾つ買っているか分かったものじゃあないし、仮に怨霊がいたとすれば私なんてどれだけとり憑かれている事やら……。案外犯人は幽霊だったりするかもしれないわよ?」

 

 「やめてくださいよ少佐…、冗談が過ぎます」

 

 ベアトリクスの放つ皮肉に部下は寒気を覚えたかのように身体を震わせる。そんな彼女の姿にベアトリクスは薄い笑みを浮かべる。

 幽霊など単なる冗談に過ぎない、もしそんなものがいるならばベアトリクスなど何千回呪い殺されているか知れたものではない。最も呪われようが何をされようが己のしてきたことを悔いるつもりはベアトリクスには無いのだが……。

 

 「……犯人は、現れるでしょうか?」

 

 「さあ?下手をすれば骨折り損のくたびれ儲けかもしれないわよ?まあ部屋に引きこもって上層部からの叱責を受けるよりはマシだとは思うけど?」

 

 「……確かに」

 

 ベアトリクスの言葉に部下は肩を竦める。

 今回の事件に関しては国家保安省の上層部も相当に慌ただしくなっている。何しろ東ドイツの治安維持の要、それも東ドイツと西ドイツとの国境を警備している国家保安省の職員が軒並み殺されているのだ。東ドイツには国家保安省以外にも警察機構は存在するが、身内で起きた事件の解決と犯人の捕縛を他の部署の人間にやられたとあっては評判と面子を重んじる国家保安省にとっては沽券にかかわる。だからこそなんとしてでも自分達の手で事件を解決しようと躍起になっているのだ。

 正直ベアトリクスから見れば下らない見栄の張り合いとしか思えず、心の内では馬鹿馬鹿しいと失笑している。決して口には出したりはしないが。

 

 「……そろそろ冷えてきたわね、テントに戻るわよ」

 

 「はい、了解しまし……」

 

 日も段々と沈み、いい加減に寒さも増してきたためにベアトリクスは部下に呼び掛けてテントに戻ろうとする。上官の命に従い部下も一緒にテントへと向かおうとした。…が、その時……。

 

 『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!』

 

 突如として周囲にまるで金属同士を擦り合わせるかのような音が響き渡る。何の前触れもなく鳴り響くその奇怪な音に部下はびくりと体を震わせながら静止し、ベアトリクスは聞いた次の瞬間に腰のホルスターから拳銃を抜き放ち、周囲を警戒する。

 その音はどことなく生物の鳴き声のようにも思えた、だが、こんな音質の鳴き声を上げる生き物等二人は知らない。二人は辺りを警戒して視線を巡らせる。

 と、テントの設置してある場所から同行してきた国家保安省職員二名が此方に向けて走って来る。あの鳴き声とも何ともつかぬ絶叫を此方も聞いたのだろう。

 

 「しょ、少佐!先程の音は一体……!!」

 

 「分からない……周囲の警戒を!!何かがおかし………!!?」

 

 瞬間、猛烈な突風が吹き荒れて反射的にベアトリクスは腕で顔を覆う、が、その時彼女は確かに、ほんの一瞬だが目撃した。

 

 己の頭上を悠々と飛行していく巨大な影、翼長3メートルはあるであろう巨大な翼をはばたかせ、彼方へと飛び去っていく鳥のような姿をした何かを……。

 

 その“何か”はベアトリクス達に気がついた様子もなくそのまま何処かへと飛び去っていく、そしてあまりにも予想外な出来事にさしものベアトリクスも硬直して暫く動けずにいた。

 が、直ぐに我に返ると直ぐに周囲に集まっていた部下達へと号令を飛ばす。

 

 「……!!総員、直ちに準備しろ!!私はあの正体不明の影を追跡する!!」

 

 「………!?は、ハッ!!」

 

 ベアトリクスと同じく呆けていた部下は彼女の怒号に一瞬で我に返り、急いで車へと向かって装備を整える。それを待つ間もなくベアトリクスは空を飛び去って行った影を追って鬱蒼と広がる森林の中へと飛び込んでいく。

ベアトリクス達の搭乗してきた黒塗りの軍用ジープは、平地での追跡には向いているもののこうも木々の密集している森林地帯では思うように速度を出す事が出来ない。さらに車の場合エンジン音などで標的に気付かれる可能性とてあり得る。故に速度が遅くなるとはいえベアトリクス達は徒歩で移動する以外にはない。

 ジープに積まれていたライフル、閃光弾等の武器を手にした国家保安省職員達は急いでベアトリクスの後を追って走り始めた。

 既に空にはあの巨大な翼を広げた何かの姿は何処にもない。一足先に追跡しているベアトリクスの後姿を焦りながら探索する職員達。もしも上官を先行させた揚句に見失ったなどという事になろうものならば減棒や始末書どころの騒ぎでは無い。下手をすれば不要と判断されて国家保安省から叩きだされるか、あるいは適当な罪をかぶせられて銃殺か……、国家保安省は無能と見做した者は同志であったとしても容赦しないのだ。

 幸いベアトリクスの姿は直ぐに発見できた。木々の間から見える曇天を見上げながら、悔しげに表情を歪めている。如何にも不機嫌としか言いようのない様子の彼女であったが、とりあえず発見できたことの安堵の息を吐き、部下達は彼女へと駆け寄った。

 

 「同志少佐、勝手に先行しないでください。幾ら同志少佐でも一人では危険すぎます。まして殺人犯が潜んでいるかもしれないというのに……」

 

 「……その殺人犯の姿はさっき見えただろう?貴様も、はっきりと」

 

 「あ、まあ、あれが殺人犯、いえ、この場合犯人と呼ぶべきなのでしょうか……。そ、そもそもなにかの見間違いという事も……」

 

 「ならあの鳴き声はどうだ?あれも単なる幻聴とでも言うのか?私だけでなく貴様らも幻覚をみて幻聴を聞いたと?それは大変だ、すぐさま精神科に受診しなくてはな!?」

 

 部下のしどろもどろな反応にいら立った様子のベアトリクスは唇を釣り上げて不気味な笑顔を浮かべながら部下を鋭い眼光で睨みつける。殺気すらも籠ったその視線に流石に部下も黙らざるを得ない。だが、今はそんな事はどうでもいい。

 先程の影は頭上の何処にも見当たらない。高速で飛行していた以上追いつけるはずはないと分かってはいた、が、ようやく見つけた事件の手がかりという事で思わず冷静さを失ってしまった。

 遅々として進まない捜査のあまりストレスでも溜まっていたのか、ベアトリクスは自己嫌悪も混じった溜息を深々と吐き出した。

 

 「……とにかく、一度戻りましょう。こんなところにいつまでも居るわけにもいかないし、一度情報を整理して……」

 

 再び探索にあたろう、と部下達に命令を下そうとした、が、その瞬間、

 

 『ひ、ひぎゃああああああああああああああああああ!!!??だ、誰か、誰かたす……』

 

 『グギョオオオオオオオオオオオ!!!グギャルアアアアアアアアアアア!!!!』

 

 突如として何者かの絶叫が響き渡る。それと同じく聞こえてくるのは先程聞こえた音と同じ、否、これはもはや音ではない。何物かの鳴き声、何らかの動物の吼え叫ぶ声であった。その怪現象にベアトリクスの表情は強張り、彼女の周囲の兵士達もギョッとした表情で悲鳴と鳴き声の聞こえた方向へと視線を向けた。

 

 もはや疑いようはない、先程の影も鳴き声も幻覚や幻聴では無い。それだけではない、奴は、奴は間違いなく人を襲っている。

 

 「……いくぞ!!もたもたするな!!」

 

 「「「「りょ、了解!!」」」」

 

 脱兎のごとく駆けだすベアトリクスに続いて部下達も急いで走りだす。

 先程絶叫の聞こえた方角へと雪を踏みしめて走るベアトリクス。だが、一歩一歩と近づくにつれ、まるで錆びた鉄のような匂いが鼻孔に漂ってくる。

 ベアトリクスは頬を歪める。この匂いは幾度となく嗅いだ。戦場で、拷問で、尋問で。

 間違いなく血の匂い、それも、ベアトリクスの想像が正しければ……。

 やがて、森の中を走っていた彼女達は、開けた広場へと到着する。が、その瞬間彼女達の足が止まった。まるで彼女達自身の身体が凍りついてしまったかのように動かない、いや、動けなかったのだ、眼前の光景を見たあまりの衝撃に…。

 

 雪が降り積もり白銀にきらめく広場、だが、その中央の部分はまるで赤い万階の花々が咲き誇っているかのように深紅に染まっている。その中央には地面に横たわる人影とそれに圧し掛かるように覆いかぶさる“ナニカ”が居た。

 

 それは、シルエットだけで観るならばまるで鳥のような形態をしている。だが、それ以外は現実に存在するありとあらゆる鳥とは全く持って似ても似つかない姿をしていた。

 まず全身に羽毛がない。血が冷えて固まったかのような赤黒い表皮が全身を覆っており、翼の形状に進化した前脚にはまるで蝙蝠の翼のような皮膜で巨大な翼が形成されている。

 その頭部もまた完全に鳥とはかけ離れている、頭頂部は平べったい矢印のような形状をしており、鳥ならば本来保有するはずのくちばしがない。代りに耳まで大きく裂けた口にはまるでサメのように鋭い牙が隙間なく備わっている。

 その姿はまるで伝承に出てくるワイバーン、あるいは悪魔といってもいいおぞましい姿であった。

 そいつは地面に転がっている人間を後ろ足で押さえつけながら、その大きく裂けた顎を開いて人間の腕へと齧り付き、力任せに引きちぎった、その瞬間、死体だと思っていたそれが僅かに呻き声をあげた。どうやらまだ息があったようである。が、それもあと数分、いやこれほどの出血量ではあと数秒も持たないだろう。

 化け物は喰いちぎった腕を口内に放り込み、まるで味わうかのように咀嚼する。バキッ、グチャッ、と肉を食み、骨を噛み砕く音が辺りへと木霊する。

 木陰に隠れ、その“食事”の光景を凝視するベアトリクス達、“それ”は木陰に隠れる彼女達に気がついていないのか、あるいは目の前のごちそうに夢中になっているのか一心不乱に哀れな犠牲者へと喰らい付いていく。

 

 「しょ、少佐……、あ、あの制服、は……」

 

 「……我慢なさい。あれじゃあもうどの道助からないわ。もし気付かれたら次は私達よ」

 

 後ろから聞こえる部下の震える声をベアトリクスはそう言って切り捨てる。

 ベアトリクスとて気が付いている、あの服装はまぎれもなく自分達の同志である国家保安省専用のもの、それもこの国境警備を任されている職員に支給されているものだ。

 とはいえもう救出するには遅すぎる。かろうじて息はあるのだろうがもう助からない。精々その苦しみが早く終わる事を祈る事しかできない。

 

 「……少佐、あれは一体……」

 

 「……知るわけ無いでしょう?見てくれは鳥、というより翼竜のプテラノドンかしらね、それによく似てはいるけど……。どうやらあれが今回の事件の“犯人”で間違いないようね……」

 

 「BETA、でしょうか……」

 

 「それも分からない。BETAかもしれないし別の何かかもしれない。いずれにしろ人を喰う以上我々にとって益をもたらす存在でない事は確かよ」

 

 目の前の光景に怯える部下に対してベアトリクスは冷静に返答する。最も冷静なのは外面のみ、内面はこれ以上ないほどに緊張しきっていた。

視線はかつての同志だったものを貪り食う化け物から一瞬たりとも離さず、両手に抱えられたライフルの引き金には人差し指がかけられている。額からは冷や汗が流れ落ち、心臓の鼓動も早鐘を打っている。

もしも万が一見つかろうものならば次は確実に自分達が餌食となる。化け物の大きさは2m近く、そして何より空を飛べる。己の今所持している武器はこのアサルトライフルと拳銃、ナイフ程度しかない。対人戦ならばともかくとして猛獣、それも人を喰らう未知の生物相手にはかなり心もとないともいえるだろう。

 

「……カトリーヌ、直ちに車まで戻って本部に連絡を。これは此処にいる人間だけじゃあ手に負えないわ」

 

「少佐は、少佐はどうなされるのです?」

 

「此処であれを見張る。心配しなくてもあと二人いるのだから問題ない。急ぎなさい!」

 

「は、はっ!」

 

 ベアトリクスの命を受けて彼女の副官は急いでその場から立ち去ろうとした、が、唐突に彼女の身体は硬直した。その視線はあの化け物の方を向いており、表情は恐怖で歪んでいる。己の部下の異変にベアトリクスは訝しげな表情を浮かべながら視線を食事をする化け物へと戻した。

 

「……!!」

 

瞬間、彼女の表情も凍りついた。何故なら今化け物の餌にされている兵士が此方を向いてまるで助けを求めるかのように手を伸ばしてきているのだ。

両目は飛び出さんばかりに開かれ、口は血反吐を零しながらもパクパクと動き、此方に何かを訴えかけようとしているかのようだ。

助けてほしい、楽にしてほしい、どちらかは分からない。だが、いずれにしろ今この状況ではまずい。

これで万に一つ化け物が自分達に気がつこうものならば今度は自分達が標的になる。あの大きさだ、弾丸の一発や二発では怯むまい。殺傷どころか逆上させて己達にまで犠牲が出かねない。一同に緊張が走る。

が、彼女達の不安は一瞬で消えうせた。何故ならあの化け物が、此方を向く兵士の頭へと齧り付き、たった一噛みで頭蓋骨ごと噛み砕いてしまったからである。

此方に視線を向けたまま、鮮血、脳漿、骨片を撒き散らしながら砕け散る男の頭部、間近で目撃したその光景に流石のベアトリクスも気色悪そうに眉を顰める。

化け物は気がついた様子はない。ただ目の前のご馳走で腹を満たしながらご満悦の様子である。

安堵の息を吐きだし、されども一瞬の警戒も解かずにベアトリクスは背後の部下に視線を向ける。

 

「……急ぐぞ、此処でもたもたしていたら私達もあの死体と同じになる。早く本部、あるいは周辺基地から増援を……」

 

そこまで口にした瞬間、ベアトリクスの背筋に何か薄ら寒いものが、まるで何者かに見られているかのような感覚を覚えた。反射的に背後を向くベアトリクスであったが、振り向いた瞬間、彼女の表情が一瞬で青ざめる。

 

あの化け物が此方に視線を向けている。血で赤く染まった口を動かし肉を咀嚼しながら、口元から鮮血を滴らせながら此方を凝視している。まるでガラス玉のように無機質で、感情を窺わせない瞳でベアトリクス達へと視線を合わせている。

ベアトリクスは困惑する。何故、何故あいつはこっちを見ている!?餌に夢中になっていたはずじゃあ……!!何の前触れもなく化け物が此方の存在に気がついた事に困惑するベアトリクス、しかし、今はそんな事を気にしている暇はない。

化け物は自分達を眺めながら舌なめずりをしている。その姿にベアトリクスは背筋に怖気が走る。

職業柄幾多の修羅場を潜り抜けているベアトリクスは、相手の殺気、敵意、憎悪というものには慣れ切っている。元より国家保安省というものは他者から憎悪され、嫌悪される職業である。そう言うものに慣れなければとてもではないが務まらない。

だが、こいつは違う。この化け物は自分達を敵と見做していない。敵意も、憎悪も感じない。

その血塗られた口がゆっくりと開かれ、化け物の喉から低いうなり声が響いてくる。それは大きく裂けた口も相まって、まるで笑っているかのようであった。

それは恐らく間違いないだろう。何せ目の前の化け物からすれば、ごちそうを貪り食っていたところにさらに4つも新鮮で美味そうな餌が出てきたのであるから。

 

そう、奴が抱いているのは殺意では無い、新たな餌を見つけた歓喜、新鮮な肉を腹に詰め込めることが出来る事への狂的な喜びだったのだ。

 

『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

「……!!総員引け!!基地跡にまで後退するぞ!!

 

「……!?で、ですが……」

 

「喰われたくなければ言うとおりにしろ!!」

 

「!?りょ、了解!!」

 

歓喜の滲む化け物の絶叫、それを聞いた瞬間ベアトリクスの背筋に電流が走る。長年修羅場で生きている間に磨かれた直観とも言うべきもの、第六感とでも言うべきものが彼女へと告げていた。

 

こいつは危険だ、急いで逃げるべきだ、と……。

 

渋る部下を怒鳴り飛ばして反転して森の奥へと走るベアトリクス。背後から聞こえる息遣いと足音、それだけで部下達が付いてきていると判断して必死に駆ける。そして、そのさらに背後で絶叫と共に何かが羽ばたくような音と、背中へと押し付けてくるかのような強風を感じる…。

それでも必死に走る。万に一つ足を止めたのならば直ぐにでもあの場開けものの餌食になる事が目に見えている。

眼前の木々が入り組んだ森林、そこならばあの化け物は飛んで此方を追っては来れないはず……。

ベアトリクスは息も絶え絶えに木と木の間に飛び込んだ。部下達もその後に続き……、

 

『ギャアアアアアア!!!ギュオオオオオオオオオオオ!!!ギュアアアアアアアアアアアア!!!!』

 

あの化け物のけたたましい絶叫が聞こえるや否や先程よりも一際強烈な暴風が背中に叩きつけられる。前方によろめき倒れそうになりながら、ベアトリクスは背後を恐る恐る振り返る。

そこにはあの化け物の姿はない。どうやら木に激突する事を避けて上空へと上昇したらしい。この場はどうにか逃れられたものの、それでも危機はまだ完全に去っていない事に嘆息せざるを得ない。

 

「……総員、欠員は無いな。何よりだ」

 

「ど、同志少佐も……。あの、少佐、これからどうすれば……」

 

「一旦基地に留めてある車に戻り、付近の基地に連絡を取る。あれを捕獲するにしろ射殺するにしろ数も武器も足りない。……気は進まんがまずは体勢を立て直さない事にはどうしようもない。いいか、移動中は一つに固まって移動する。空を飛んでいる以上奴は何処から襲ってくるか分からん、死にたくなければ離れるなよ!!」

 

「りょ、りょうか………あ、あああああああああああああ!!!!!!」

 

瞬間、部下の一人が喉も張り裂けんばかりの絶叫を張り上げた。そして、絶叫と共に周囲に突風が吹き荒れる。

もはや確かめるまでもない、ベアトリクス達は己の頭上を見上げた。

そこにはあの化け物が居た。巨大な蝙蝠のような翼を広げ、鋭い爪を広げた前足を構えて此方へと降りてきている。

予期せぬ襲撃にベアトリクス達は咄嗟に動けない。羽ばたきと共に発生する暴風が彼女達の身体の自由を奪いとってしまっている。

そしてそれが、新たな犠牲者を生む事となった。

 

「あ、い、いやああああああああああ!!!!た、助けて!!誰か、誰かアアアアア!!!」

 

「!?ヘルガ!!ヘルガァァァ!!!!」

 

「ど、同志少佐!!!!ヘルガが!!ヘルガが化け物に!!」

 

「同志中尉……!!クッ!!あの化け物を撃ち落とすぞ!!急げ!!」

 

 その巨大な爪に掴まれ、部下の一人が空へと連れ去られる。その様にベアトリクスは焦りと驚愕を抑えながら再び空へと舞い上がっていこうとする化け物へとライフルの銃口を向け、即座に発砲する。

だが、化け物は部下を離そうともせず空高くへと上昇していく。狙いが定まっていないのか、化け物の皮膚が弾丸を通していないのかは分からないが、ダメージを受けている様子はない。化け物はあざ笑うように鳴きながら空高く舞い上がり飛び去って行った。同時に連れ去られていく女性兵士の泣き叫ぶ声も……。

 

「……くっ!!追うぞ!!もう間に合わんかもしれんが……」

 

 「「「りょ、了解!!!」」」

 

 化け物が飛び去っていく方角へ向かって走るベアトリクス達。だが、空を飛ぶ化け物の速度には追いつけない。息を切らしながら追うものの、見る見るうちに距離を離されていく。

追走劇は10分ほど続いただろうか、突如として化け物が降下を始める。それを目撃したベアトリクス達は息も絶え絶えながら全力で走りだす。

如何に鍛えているとはいえ銃器を背負った状態で全力疾走するのは相当に体力を消耗する。それでもどうにか体力を振り絞って駆ける。

同じ国家保安省の職員としての情も多少はあるが、彼女は仮にも事件の捜査チームの一人だ、万に一つあの化け物に殺されようものならば上から何を言われ、どう責任を取らされるか分かったものではない。

やがて森を抜け、到着した場所は……。

 

「……ここは、なんとまあ偶然というべきか……」

 

そこは己達が調査の為に来た基地の跡地であった。事実そこにはジープと自分達が組み立てていたテントや機材が放置されている。

 運がいいのか悪いのか全く分からない偶然に舌打ちしながらベアトリクスはあの化け物と部下を探して視線を巡らせる。と、突如頭上より……。

 

 グチャッ、ボリッ……。

 

 ギャアッ、ギャアッ……!!

 

 「……え」

 

 頭上から響く音と鳴き声に思わず上を向くベアトリクスと部下達、そして、それを見た瞬間に凍りついた。

 基地の屋上、一部崩壊し崩れたそこにあの化け物が居た。それも一羽だけでは無い。

 三羽、三羽いる。先程森で発見した化け物とは別の化け物が、先程の化け物と一緒に何かを貪り食っている。

 まるで死骸を貪るハイエナのように、屋上にある何か、それを奪い合い、喰いちぎり、果ては虫の脚を引きちぎるがことく足やら腕やらを食いちぎっていく。

 

 ……もう確かめるまでもない、あれは………。

 

 「ヘル、ガ……」

 

 「………」

 

 「そ、んな……」

 

 部下達は一様にショックを受けた様子である者は口を抑え、ある者は地面へと崩れ落ち、またある者は恐怖で目を見開き身体を震わせている。

 無理もない、あの化け物たちが喰っている者は……まぎれもなく自分達部隊の一人であったのだから……。

 彼女のあまりにも酷い死に様に、国家保安省職員である彼女達は恐怖と旋律を隠せない。

 一方のベアトリクスも少なからずショックは受けていた。が、彼女の視線は既に屋上とは別の方向を向いている。

 

 「……笑えないわよ、これは流石に」

 

 ベアトリクスは眉を顰めてギリリと歯を食いしばる。

 

 「……一羽だけじゃあ、無いと思っていたけど……」

 

 ベアトリクスは震えながら茫然と呟く。目の前に広がるあまりにもおぞましい悪夢のような光景に……。

 沈みゆく赤い夕陽、そのまるで血のように赤く染められた空を……

 空を飛ぶ影が9つ、我が物顔で舞っていたのだから…。

 

 


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