呪術師は生きる   作:これは面白いのか

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第四話

 三歳になった朝、目を覚ますと、窓の外は白い霧に包まれていた。

 冬の終わりの柔らかい光がカーテン越しに差し込み、父の新聞をめくる音が静かに響く。

 母はキッチンで味噌汁をかき混ぜながら、俺に振り向いた。

 

「蓮、三本指できる?」

「みっつ」

 

 小さな指を一生懸命広げて見せると、二人は顔を見合わせて笑った。

 母の笑い声に釣られて、俺もつい口角が上がる。

 その足元の影で、黒い狼がじっとこちらを見上げていた。

 窓の桟では鴉が羽を整え、赤い目を細めている。

 

(狼、鴉……あれに続くのは何だろう。牙の次は翼。その次は、どんな“形”が来る?)

 

 胸の奥で呪力が微かに波打つ。

 まだ目に見えない“何か”が、生まれようとしているのがわかった。

 その予感に、心がざわつく。

 

⸻

 

 夜。

 父母が眠りにつき、時計の針が午前二時を指す頃。

 

 静寂の中で、床の影が揺れた。

 小さな波紋のように震え、やがて渦を巻くように膨らんでいく。

 

 音もなく影が割れた。

 黒い毛並み、盛り上がった肩、太く硬い腕。

 拳を地に叩きつけるたび、低い音が響いた。

 

 ――ゴリラ。

 

 その巨体が完全に姿を現すと、家全体がわずかに軋んだ。

 赤く光る双眸が、俺を真っ直ぐに見据える。

 

(……これが三体目……)

 

 狼が牙を剥き、鴉が一度羽を鳴らす。

 ゴリラは拳を鳴らし、低い唸り声をあげた。

 影の毛並みがわずかに逆立ち、床の線がひび割れるように見える。

 

 俺はゆっくりと手を上げ、深く息を吸った。

 

(狼は速さ。鴉は目。そしてゴリラは――力。地上を支える“手”だ)

 

 胸の奥が熱を帯び、呪力の流れが太くなる。

 

⸻

 

 翌日から、俺は三体を呼び出して訓練を始めた。

 もう、指で合図を出す必要はない。

 言葉もいらない。

 

 ただ、念じる。

 

(動け)

 

 狼が影を滑り、鴉が天井近くを旋回し、ゴリラが後ろに一歩退く。

 俺の意識の流れに、三体の反応が重なっていく。

 

(もっと速く。……そう、合わせろ)

 

 影が床を滑る音が、まるで呼吸のようにリズムを刻んだ。

 狼が右へ跳ねた瞬間、鴉が上から旋回して視界を補い、ゴリラが左から押し潰す。

 その連携はまだぎこちないが、確かに“意思”が通じていた。

 

(伝わる。考えるより、感じる方が速い)

 

 額から汗が流れ落ちた。

 呪力を三つの糸に分け、それぞれの影に送り続ける。

 切れそうになった瞬間、俺は強く念じた。

 

(止まれ)

 

 三体が同時に静止する。

 完璧だった。

 息が荒い。けれど、胸の奥は満たされている。

 

⸻

 

 昼、公園。

 父がベンチで新聞を読み、母が隣で水筒を抱えて笑っていた。

 

 俺は小さな足でボールを追いかける。

 父が転がしたそれを、足裏で止める瞬間に呪力を落とし、衝撃を殺した。

 

「じょうず!」

「じょうず」

 

 母が拍手をし、俺は同じ言葉を返す。

 ただの遊び。でも、俺には修行の一部だ。

 

(動きに“流れ”をつける。足に伝わる感覚は、呪力の波そのもの)

 

 公園の空を見上げると、遠くで黒い影が横切った。

 鴉だ。

 俺の意識はそこに届いている。

 離れていても、呪力の糸が切れない。

 

(これが、俺の世界の“広さ”だ)

 

⸻

 

 夕暮れ。

 鴉の視界に、四級の群れが三体。

 俺は目を閉じ、念じた。

 

(行け)

 

 狼が先行。地面を裂くように走り、喉を噛み切る。

 鴉が真上から影を落とし、動きを封じる。

 ゴリラがその隙に背後から両腕で掴み、地面へ叩きつけた。

 

 骨が砕けるような音が響く。

 最後の一体が逃げるより早く、狼が喉を断った。

 

 夜風が抜け、三体の影が静止する。

 

(言葉は要らない。想うだけで伝わる。……完璧だ)

 

 夜、家に戻る。

 問題は“同時強化”だった。

 

 狼だけなら十秒、ゴリラだけでも十秒。

 だが、二体に同時に流すと胸の奥が焼ける。

 

(……十秒。絶対に越えるな)

 

 呪力の糸を交互に切り替える。

 狼に速度、ゴリラに力。

 五秒ずつ。間を空けるのは三十秒。

 

 額から汗が滴り、喉が焼ける。

 だが成功した時、三体が見せた動きは圧倒的だった。

 流れが途切れず、互いの隙を補い合う。

 

(これが“隊”だ。数字じゃなく、呼吸で繋がる集団)

 

 体は限界に近く、吐き気をこらえながら布団に倒れた。

 母の足音が近づく。

 

「疲れちゃったのね。今日は早く寝ましょう」

「……うん」

 

(発動十秒、インターバル三十秒。それさえ守れば、俺は壊れない)

 

⸻

 

 秋の夜。

 鴉の視界に、三級が二体。

 片方は滑るように進み、もう片方は弾むように動く。

 

(滑りと跳ね。……違う動きだ)

 

 俺は念じる。

 

(分けろ)

 

 狼が滑る影を追い、喉を裂いた。

 同時に、ゴリラが跳ねる方を掴み上げ、地面へ叩きつける。

 骨が砕ける音とともに、黒い霧が上がる。

 

(同時決着。……もう、迷いはない)

 

 狼が鼻を鳴らし、鴉が静かに舞い降りる。

 ゴリラは拳を床に押しつけ、俺の方へ頭を下げた。

 

 胸の奥が静かに熱くなる。

 

(強くなっている。俺も、みんなも)

 

翌月、鴉の視界が空き地の奥を映した。

 五つの影が蠢いている。

 四級が四体。そして一体、境目にある強い個体。

 

(……やる。群れのまま、潰す)

 

 俺は目を閉じて念じた。

 

(鴉、索敵を。狼、正面。ゴリラ、左から包め)

 

 鴉が先行し、上空から影を落とす。

 狼が正面から走り、喉を裂いた。

 ゴリラが背から二体を掴み上げ、地面に叩きつける。

 粉砕音が響き、地面の砂が跳ねた。

 

 残りの二体が暴れ、黒い腕を振り回す。

 俺は意識を右へ傾けた。

 

(囲め)

 

 鴉が影を広げて視界を覆い、狼が足元を抜ける。

 ゴリラが正面から突進し、拳で影の胸を貫いた。

 

 一体が霧散し、もう一体が後ずさる。

 

(終わらせろ)

 

 念じた瞬間、狼とゴリラが同時に踏み込む。

 黒い霧が弾け、風が静かになった。

 

 体の奥で呪力がわずかにざわついたが、糸は切れない。

 

(十秒以内。完璧だ)

 

 息を吐く。胸の中にじんわりと熱が広がった。

 

⸻

 

 それからの日々、俺はより繊細な制御を試みた。

 目を閉じて呪力の流れを“線”ではなく“呼吸”のように感じる。

 強さを上下させながら、流れを微調整する。

 

 狼の速さを一瞬だけ上げる。

 鴉の視界を鮮明にする。

 ゴリラの腕に力を込め、拳の一撃を重くする。

 

 強化を切ると、呪力の糸が緩み、三体が安堵するのが分かる。

 

(命令じゃない。これは意思の“共有”だ)

 

 初めて式神を呼んだ時、俺はただ恐れていた。

 けれど今は違う。

 影の中にいる三体の存在が、確かに“仲間”として息づいている。

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