その夜、影が静かに波打った。
床の黒がふくらみ、形を取る。
丸い体、紅い目、ぬめる皮膚。
(……蛙)
黒い蛙が現れた。
舌がぴたりと空気を切り、影がわずかに震えた。
(拘束型……四体目は、お前か)
蛙の喉が低く鳴る。
その声は静かで、しかし底の方で呪力が響いていた。
(明日、性能を確かめる)
⸻
母が出かけた隙に、公園へ向かった。
昼下がり、人影はない。
影の中に手を入れ、念じる。
(出てこい)
黒い蛙が地面から現れる。
舌がゆっくりと伸び、風を切った。
(目標、ベンチの脚。十メートル)
舌が伸びる。
空気が鳴り、舌先がベンチの脚を絡め取る。
吸着。
ぐいと引くと、木の脚がひしゃげた。
(力もある。拘束力は上級呪霊にも通るかもしれない)
蛙が喉を鳴らす。
(よし。これで連携の形ができた)
⸻
夜、母が言った。
「パパ、今日は会社で残業みたい。最近あの辺、事故が多いのよね」
その瞬間、胸の奥がざらついた。
根拠はない。
けれど、嫌な予感が離れない。
(鴉、見てこい)
影が揺れ、鴉が飛び立つ。
意識が切り替わり、上空の映像が流れ込む。
街灯の光が途切れる暗い通り。
油の匂い。
古い工場群の向こうに、黒い影が立っていた。
(……あれか)
人型。だが形が歪み、影と同化している。
鴉が距離を詰めた瞬間、体が硬直した。
圧が重い。
息が詰まるほどの呪力の濃度。
(やっぱり……普通じゃない)
(行く。全員出ろ)
⸻
影が広がる。
狼が先頭、鴉が空を舞い、ゴリラと蛙が後方で構える。
(鴉は視界。蛙は拘束。ゴリラ、防御。狼、切り込み)
工場街の風が止む。
敵がゆっくりと顔を上げた。
目が赤く光り、口が裂けた。
次の瞬間、
黒い影が足元から飛び出し、刃のように地面を裂いた。
(うわっ……速い!)
狼がギリギリで避ける。
その動きに反応し、敵がもう一歩踏み込んできた。
(先ほどの攻撃は術式…一級!)
鴉の視界で、敵の動きが残像になる。
それを見た瞬間、背中が粟立った。
⸻
狼が滑り込む。
牙を閃かせ、敵の腕を狙う。
だが、腕が影に溶けた。
そのまま背後から、同じ腕が生えてくる。
黒い刃が狼の肩を裂いた。
反転。
影を媒介に腕を移動させている。
(攻撃位置を変えられる……!?)
(蛙、拘束!)
舌が地を走り、敵の脚を捕らえる。
吸着。
動きを止める――
が、敵の影が逆流し、舌が弾かれた。
空気が爆ぜ、蛙が一歩後ろへ跳ぶ。
(拘束を“返された”……! 防御にも応用してる!?)
敵が低く唸る。
影が地を這い、次々と刃を生み出す。
ゴリラが前に出て受け止める。
呪力と衝撃がぶつかり、地面がひび割れた。
(押し負ける……! ゴリラ、右回避! 狼、側面!)
狼が影の間を抜け、敵の背後を取る。
牙が赤い光を反射した。
(今だ!)
狼が飛びかかる。
敵の首筋へ――
だが、その瞬間、敵の影が背後から槍のように伸び、狼を貫いた。
⸻
黒い光が走った。
音が消え、鴉の視界が真っ白になる。
狼の牙が敵の喉を噛み砕くのと同時に、黒い刃が狼の腹を貫いた。
双方の体が崩れる。
呪力の波が弾け、工場街が揺れた。
(狼っ!)
影が薄れていく。
敵の体も同時に崩壊し、霧となって消えた。
残ったのは――
地面に転がる、小さな黒い珠。
淡く脈打ち、影の中でも光を放っている。
(……核?)
念を飛ばす。
(ゴリラ、拾え)
ゴリラが歩み寄り、珠を掴む。
手のひらの上で、光がかすかに震えた。
⸻
鴉の視界が切れ、部屋の中に戻る。
空気が冷たい。
三体の式神が影から現れる。
ゴリラの掌には、黒く光る珠。
俺はそれを受け取る。
温かい。
脈を打っている。
(蛙、触れてみろ)
蛙が舌を伸ばし、珠に触れる。
光が吸い込まれ、蛙の体が震えた。
呪力が強くなるのが分かる。
(……狼の力が流れた)
蛙が低く喉を鳴らした。
その音が、狼の唸りに似ていた。
⸻
布団の中。
目を閉じる。
三体の気配――鴉、ゴリラ、蛙。
狼の場所は空いている。
(でも、消えてはいない)
蛙の中に、確かに狼の“欠片”がいる。
その喉の音が、どこか温かく聞こえた。
(次は、絶対に失わない)
影が静かに揺れ、夜が深く沈んでいった。