今日も、いつも通り二道への出勤日。
モーニングから入る日だった。
お客さんがそこそこ多く入ってきて、少し対応に追われながらテキパキこなして。
その波が終わると、嘘みたいに人が来なくなる。
そうしたら勉強とか、適当なことができる時間がやってくる。
マスターはいい顔しないけど、それもちょっと面白い。
そうして時間が過ぎて、お昼になったら。
「よ」
デンジくんが、やってくる。
「あ〜!デンジ君!」
「いらっしゃい」
私は明るくニコニコと、マスターは少し笑みを湛えて彼を出迎えた。
そしてデンジ君はいつも、私が座っている席の一つ隣のテーブルで、メニューをめくって食べるものを決める。
デンジ君がこの店に初めて来てから、1週間経って。
この流れが、すっかり当たり前になった。
「今日でデンジ君1週間連続だね、新記録樹立でーす!」
「んぇ、そーなの?」
私が軽く拍手して囃し立てると、特にそんな意識はしてなかったであろうデンジ君は、メニューを見るのを一瞬やめて腑抜けた返事をした。
「ふふ、こんなずっと来てくれるお客様、デンジ君ぐらいだよ。ね?マスター」
「流石にそんなことないよ……」
マスターにその話題を振ってみると、残念ながら今回はこの前のように乗ってきてはくれなかった。
「もー、そこは乗ってくださいよ〜。お祝いムードだったのに」
私がマスターに文句をつけていると、デンジ君は注文が決まったようで、メニューを置きながらマスターに声をかけた。
「えーと、今日は……カレーと、アイス……あ、ちっこいチャーハンも」
「はい、カレーとアイス、半チャーハンね」
マスターは彼の注文を聞くと、すぐに料理を作り始めた。
「デンジ君、今日はいつもよりお腹空いてるの?」
「あ~……うん。それにここ、ウマいし」
いつもより頼む量が多かったので私が聞くと、デンジ君は少しだけ考えて、そう返事した。
「いいね〜。いっぱい食べて大きくなりなよ」
私は軽く冗談を言って、彼の頭を撫でる。
デンジ君は一瞬だけ両目を閉じ、無言で満更でもなさそうな顔をしていた。
当然だ、まだまだ甘やかされたい年頃だろう。
……私は彼の頭を撫で終えるとテーブルに向き直り、止めていた勉強の手を動かし始めた。
教科書を見て、内容を纏める。
その内容に基づいて問題を解き、ノートに書き込む。
そしてデンジ君は、そうやって私が勉強している姿を、しばらく眺めている。
別に適当に書いてたってデンジ君には分からないだろうけど、何となく真面目に解いている自分がいる。
……こんなこと言ったら、マスターに「店員の役目は全然真面目に果たしてないけどね」とか言われてしまいそうだけれど。
「…やっぱ、何回みてもぜんぜんわかんね〜」
「ふふ、ちゃんと分かりたいなら基礎から始めないとね」
しばらく見ていたデンジ君が話しかけてきたので、私は一旦書く手を止めて、ペン回しをしながら彼の方を見る。
事実、そうだ。
初歩的な所が分からないと、高校レベルの勉強なんて分かるはずもない。
……本当に分かりたかったら、デビルハンターなんてやめて、学校に通わないと。
でも……そんなこと、きっと彼には叶わない。
仮にそうしたいと思ってたとしたって、こんな年齢のデンジ君にデビルハンターをさせると判断した公安が、今更辞めるのを許さないだろう。
まぁそもそもここ数日話を聞いていて、デンジ君自身がそこまでデビルハンターとして働くのを嫌がっているフシがなさそうだったのは、驚いたけど。
昨日は、「なんかこの前ムズカしい名前のアクマをたおした」とか自慢話をヒソヒソ声で私に聞かせてくれたし。
……その年齢で、それが平気でむしろ楽しそうに話せるって、私よりもスゴい環境で生きてきたんじゃないだろうか。
どうしてもそんなことを、考えてしまう。
「……」
……今日は、デンジ君に勉強でも、教えてあげようか。
「ねぇ、デンジ君」
「デンジ君ってさ、勉強して分かるようになりたいこととかある?」
私はデンジ君の顔を見て、あくまで自然な雰囲気に見えるよう、そう聞いた。
「わかるようになりたいこと?……あ~、漢字はもっとわかるようになりてーな」
すると、デンジ君はさらっとそう答える。
漢字か、なるほど。
基本的なところだし、デンジ君の年齢で習う漢字なら「こう読むんだよ」「こう書くんだよ」と教えればいいから、丁度いい。
「へ〜、漢字!いいねー、基本だし!」
「それはよくわかんねぇけど……漢字よめたら、もっとマンガとかもよめるじゃん」
「あっはは!そりゃ現金ですねぇ」
私は勢いよく笑った後、自分の勉強のために使っていたノートをデンジ君の方へ持っていった。
「ではでは……特別にレゼ先生が授業してあげましょう!」
そしてそのまま、ペンを教鞭のように掲げて宣言する。
「お、おう。よろしく、おねがいします」
デンジ君は微妙に乗っているような乗っていないような返事をしながら、座ったままお辞儀した。
「いいお返事です!じゃあまずはね〜……デンジ君、漢数字って分かるかな?」
「カン、スージ…?なんだっけ、それ……」
「漢数字っていうのはね、書いて字のごとく、『漢字の数字』だよ。ほら例えば、『1』なら『一』とか……」
「……あ!それか!わかったぜ〜、レゼせんせー、それならオレも知ってるぜ!」
「え、ほんとに!?じゃあ〜、これの次は?書いてみて!」
私はデンジ君にペンを渡して、書きやすいよう更に彼の方にノートを寄せた。
「えーと、次は2、だから…『二』だろ!」
「すごい!正解!じゃあ、その次からも分かる?」
「えーと、次は……『三』、その次は『四』、『五』……」
そうやって、デンジ君は次々と漢数字をノートに書いていった。
字は少し歪んでいたけど、充分読めるし間違っている漢字はなかった。
「……『十』!どーよ!」
「すごーい!!デンジ君天才!」
ドヤ顔するデンジ君に、私は満面の笑みを作って拍手した。
勉強する時間なんてほぼないだろうに、よく知っているものだ。
「え、デンジ君、ホントにすごいよ!自分で勉強したりしたの?」
「あ~……いや、おしえてもらったんだ」
すると、デンジ君は少し照れくさそうにしながら、頭を軽く掻いた。
教えて、もらった?
……ああ、そういうことか。
一瞬混乱したが、私はすぐに理解した。
昔の私と、同じだ。
恐らくデビルハンターとして活動しない時間は、知識を叩き込まれているのだろう。
まず最低限の漢字を覚えれば、報告書などの雑務がやりやすくなる。
そう考えれば、算数や英語辺りも学ばされていたりするかもしれない。
納得した私は、そのまま会話を続けることにした。
「そっかそっか……教えてもらったんだ、ちゃんと覚えててえらいぞ」
……私は彼を褒めて、笑顔のまま次の問題のためにさらさらと1文字を書く。
「じゃあ〜、次はもうちょっと難しくしてみよっか!これとか〜…どうかな?」
私が書いたのは、『森』。
別にチョイスに意味はなく、何となく「画数は多めだけど簡単だから」という理由で選んだ漢字だった。
「あ、それも分かるぜ。『もり』だろ」
「おお〜、大正解!これも教えてもらったの?」
「ああ、……まぁ、おしえてももらったけど、その前から見たことはあったぜ」
「オレ、シャッキンかえすために少しだけ木ィ切るシゴトしてたからさ。そんときによく見た」
デビルハンターの前は木こり?しかも借金って……
……ほんと、デンジ君、どんな生活送ってたんだろう。
「……そっか。大変だったんだね」
からかうのも、同情的な態度を取るのも違う気がした私は、感情を殺した軽めの返事で済ませることにした。
……このままだと、気まずいかな。
ちょっと、不真面目なこともしてみようか。
「あ、デンジ君、ちなみにこれ読める?」
私はさらっと、ノートにこう書いた。
『金玉』
「んブッ」
あ、デンジ君吹いた。
やっぱりこういうの、子供は好きなんだ。
「……え、何?どうしたのデンジ君」
私はわざとらしくすっとぼけた態度をとってみると、デンジ君は見るからに笑いをこらえる顔になっていた。
「レゼ…ふざけんなよ〜……知ってるよ、『キンタマ』だろ?」
「お〜、さすが、読めてるね」
私はデンジ君からもうひと笑いぐらい引き出してやろうと、あえて「普通の問題出しましたけど何か?」みたいな雰囲気を醸し出す。
「キンタマはっ……フフッ、よめるよ」
「ホントに?2つも漢字使うから難しいと思ったんだけどな〜」
「んなことねぇだろ……ふへっ……多分、ギムキョーイク以下だぜ」
デンジ君は格好を保つためか、笑いを堪えながらそう言った。
……義務教育以下、か。
知ってて当たり前、ね。
……私から出題しといてなんだけど、それはヘンじゃない?
あー、なんだろ。
こういうのって一回考え出すと、なんか無駄に面白くなって……
くだんない、くだんないんだけどなぁ……
「……ふぅ~ん?義務教育以下?」
「お…おう、そだろ」
「え、金玉が?」
「キンタマが」
「常識?」
「なんじゃね?」
「……」
「……」
「んふっ」
「ブフッ」
「「あっははははは……!!」」
私達は、堰を切ったように笑った。
あまりにくだらなくて。
本当に、バカみたい。
というか、バカだ。
「もー!やめてよデンジ君!笑うつもりなかったのに〜!」
「レゼがはじめたんだろ!下ネタセンセーがよォ〜!」
「あ〜!生徒のクセにナマイキなこと言っちゃって〜!」
私達は尚更ふざけあって、笑い合った。
ホントに、くだんない。
必要のないやり取りだ。
でも、何でかな。
そんなやり取りが、時間が、私……
……そうして、ひとしきり笑い終わった所で。
マスターがこちらのテーブルへとやってきた。
流石にアレだけ騒げば聞こえていたのか、マスターは一つ咳払いをしてから話し始めた。
「……デンジ君、お待たせしたね。カレーとチャーハンだよ。アイスは溶けるから、後で持ってくるね」
マスターは料理を置きながらそう告げて、カウンターの方へと戻っていった。
「……あ〜〜…デンジ君、マスターがご飯持ってきてくれたよ。授業は終わりにしよっか」
「……はー……ジュギョー、おわり?さいごフザケてただけな気がするけど」
デンジ君は笑いを一息分吐き出してから、少しマトモなツッコミを入れてきた。。
「いーの、先生権限です!今日のジュギョーは終わり!お疲れ様でした!」
「…ありがとーございました?」
私が調子よくデンジ君を労うと、彼はぺこりと私に軽くお辞儀をした。
……まぁ、締めくくるなら、らしいこともしていいか。
「それじゃあ、授業を頑張ったデンジ君には〜……」
そう考えた私は、大げさに筆箱から赤ペンを取り出してキャップを外して。
「先生が花丸をあげましょう!」
デンジ君が書いた全ての文字達に、まとめて花丸をつけた。
すると、それを見たデンジ君は鼻の下を軽く指で擦り、嬉しそうに笑った。
「……へへ、やった〜」
彼はしばらく、そのまま花丸のついたノートを眺めていた。
私も何となく、悪い気はしなかった。
「よし、食おーかな」
見るのに満足したのか、彼はノートを置いて、手を合わせて「いただきます」と言いカレーに手を付けた。
一口食べ始めると、デンジ君はそっちに夢中になり始める。
「……めちゃアタマつかって、ハナマルもらったあとのメシってサイコーにうめーな」
しばらく食べ進めたあたりで、ふとデンジ君がそんな独り言を呟いた。
「あはは、そんなに集中してくれてたんだ。ホントの授業じゃないんだから、もっと力抜いてやってくれてよかったのに」
がっつきなおすデンジ君を見て、私はケラケラと笑う。
「いや、レゼのジュギョーがたのしかっただけだよ」
「レゼがホントにセンセーなら、ガッコウも行ってみたかったかな」
屈託のない、笑顔だった。
その言葉で、私の視界が一瞬揺れた。
……私が先生なら、学校行ってみたかった、か。
デンジ君、私……
デンジ君、相当私に入れ込んでいるみたいだ。
好感度としたら、もうこれ以上はないんじゃないだろうか。
今が、最高の……チャンスかもしれない。
「デンジ君の心臓を奪え」という指令を果たすための時間は、無限というわけではない。
多少時間はかけても問題ないが、長引かせすぎると私の国がどう出るのか、分からない。
1週間の間、私達は色々とやった。
電話ボックスで偶然出会って、ここに連れ込んで、仲良くなって……
楽しかったなぁ。
こんなことまで言われるようになってしまった。
誑し込みはもう、充分なんじゃないだろうか。
これで終わらなきゃ、ダメなのかな。
それが、暗殺者としての感覚なのか何なのかは分からないけれど、さっきの彼の言葉を聞いて、はっきりとそう感じている。
……でも、もしそれをするなら、あまり民間人を巻き込む可能性のある所でやりたくない。
人が寄り付かない所がいい。
かといって、流石に今から人気のない場所に連れ込むのも怪しい。
その怪しさを上手く誤魔化せて、かつ人が入らない所……
『レゼがホントにセンセーなら、ガッコウも行ってみたかったかな』
……学、校。
……そうだ。
私達の最後に、ふさわしい場所。
学校だ。
それも、夜の学校。
夜なら、人は寄り付かない。
……いや……いや。
それは、冷静じゃない。
デンジ君は、子供だ。
そして、公安にデビルハンターとして働かされている。
今はお昼時である程度自由が与えられてるとして、夜中はそうはいかないはず。
デンジ君と同じ年齢の普通の子供だって、親の目があるのに夜にこっそり家を出るのは難しいだろう。
デンジ君の場合、それ以上のはずだ。
収容されている場所から出ようとしてバレたら、そこからこんなことをさせようとした私にも、ほぼ確実に疑いの目が向く。
……そう、リスクがあるのは、分かっている。
安全に、静かに殺すために誘うはずなのに、その誘いには結局リスクがある。
けど。それでも。
被害を最小限にしたいからか。
それとも、他の理由だろうか。
私の頭は「デンジ君を学校に連れていきたい」と、頑なに言い続けている。
「……ねぇ、デンジ君」
「私と学校、行ってみる?夜にさ」
「特別授業、してあげる」
戦士としての合理性と、デンジ君と出会ってから芽生えた謎の感情が混じって、私の口をそう動かさせた。
それがもたらす結末が、自分にとって望ましいものでない可能性があると分かっていながら。
「い〜な、それ」
デンジ君は、そんな事はつゆ知らず、ただ楽しそうに笑う。
……デンジ君がどうやって来るつもりなのかとか、そういう事は聞く気がしなかった。
これで私達の関係は、今日の夜が終わるまでにきっと大きく変わる。
彼が来なければ、公安との敵対で。
彼が来れば………彼の、死で。
……じゃあ、せめて。
今日、もしデンジ君が来たら、楽しく過ごそう。
その、最期の時を。
……私は、同意を示したデンジ君に笑顔を作って、こう言った。
「やった!じゃあデンジ君、夜また二道に来て?私、ここの前で待ってるから」
そして私は、もう一度。
料理を食べながら私と話す、デンジ君の頭を撫でた。
そうやってデンジ君を撫でる私の手が、妙に彼の温度を感じたのは、私の手が冷たいからだろうか───
───そこからの夜になるまでのことは、ぼんやりとしか覚えていない。
デンジ君と話をして。
デンジ君が店を出て。
マスターと店の片付けをして。
いつの間にか、夜になっていた。
……私は1人、二道の前で立っていた。
そしてただ、ぼうっとしていた。
閉められて、本来誰も来ないはずの店の前で。
私はデンジ君が来ることも、来ないことも、どちらも願っていたような気がする。
……叶った願いは、前者だった。
デンジ君は小さな手足を全力で振って、私の前まで駆けてきた。
「……デンジ、君」
今、私の目の前まで駆け寄ってきたデンジ君は肩を上下させて息を切らしながら、どうにか格好つけようとしていた。
「……へ、へへ、まった?ちょっと、だけ、走った、からさ……」
……どう見ても、走ったのはちょっとだけではない。
多分、彼は居住地を抜け出してから、全力でここまで走ってきたのだろう。
……何だか、それが妙におかしくて。
デンジ君が無駄に格好つけようとしていることも。
私が今、ここにいることも。
私は思わず、笑ってしまった。
「ふふっ……あははっ!デンジ君、ちょっと走っただけの割には、ずいぶん息が切れてるね?」
「……ちょ……っと、だけ、ゼンリョクだしたんだよ…」
デンジ君は、息を整えながら不満そうな声で私に抗議する。
「あはは、なんじゃそりゃ!」
私はその強がりにまた笑ったあと、デンジ君の目線に合うように屈んだ。
「じゃあ……」
「息が整ったら行こっか、デンジ君」
私がそう言うと、彼は息をあげつつ無言のまま、私にピースサインを向けた。
デンジ君が肩を上下させなくても呼吸ができるようになったあたりで、私はデンジ君を連れて、学校へと歩み始めた。
私達の関係が、終わるはずの場所へ。