今日は恐らく、デンジ君の家へ行くことになる日。
多分、今日で、私は……
……私は、洗面台へと向かい、蛇口を目一杯まで開く。
バシャバシャと、大きな音を立てて水が落ち、流れていく。
そのまま洗面台に突っ込む勢いで、顔を近づける。
……そして、小さく口を開いた。
「………風」
「………台風、そのまま一言も返事しないで、聞いて」
私の顔の真下にある排水口……もとい、そこに渦として現れた台風の悪魔の耳以外には、水の音に掻き消されるように出せる限り1番のか細い声で囁いた。
「私が、家を出………………」
話をしている間、何もしていないのは不自然だ。
時折流れる水に手を差し込んだりして水の音を変え、洗面台で作業をしているようなフリをする。
「……して。…分かったら、消えて」
物言わぬ排水口の渦が、少し小さくなった。
……私は、勢いよく顔を洗い、一息ついて蛇口を閉めた。
これで、マキマが借りている小動物の耳には聞こえなかったはず。
私が少し長い時間、顔を洗っていたようにしか思わないはずだ。
仕込みは完了した。
あとは二道で、デンジ君を待つだけ。
そうして家に行くことになり、あの人と2人で話せる機会が、できれば……
……いや、思い詰めすぎても良くない。
その決行の時が来るまでは、普通でいよう。
むしろ、気を抜いておくぐらいでちょうどいいだろう。
あくまで私は、表向きには「普通に遊びに行く」のだから。
……普通に遊びに行く、か。
私にとって、そっちの方が普通じゃないんだけどな。
普通じゃないことが、私の日常。
国に従い、戦士として使われる日々こそが、私の当たり前。
……今日は。
私にとって、最後の普通の日かもしれない。
目一杯遊ぼうね、デンジ君。
そうしたら、きっと……
デンジ君との出会ってからの日々に、悔いを残さず別れを告げられる。
……デンジ君が、店に来た。
小さなメモを、握りしめて。
店に入って私を見るなり、関節が今にも固まりそうなのかな、みたいなカチコチの動きで、近づいてきて。
しばらくしたら、棒読みで、スピーチするみたいに、それを読み始めた。
「……えーと……『メーワクじゃなければ、ユーハンをヨウイしますので……』」
……すっごい笑っちゃった。
手叩いて、お腹抱えて。
ごめんね、デンジ君。
私のリアクションにすっごい恥ずかしがってたから、キミは真剣にやったことだったんだろうけど。
こんな風に笑えるのもあと何回あるか分からないから、許してほしいな。
……私は、裏に回りエプロンを外した。
そして、自分用のロッカーにそれを仕舞う。
そのまま荷物を背負い、挨拶に渡す予定のお菓子が入った袋を手に持った。
……本当は。
エプロンは記念に持って帰りたかったし、マスターにもそれなりにお世話になったから、何か言い残したいけど。
そうもいかない。これも全部聞かれている。
「これでバイトも最後かも」なんて趣旨の言葉を言い残したりそれらしい行動をしたら、私が何かしようとしてるのがあの悪魔にバレてしまう。
私は、マスターに普段と変わらぬテンションで告げた。
「マスター!先上がりまーす!お疲れ様でしたー!」
「はい、お疲れ様。また明日ね」
私は、その言葉に返事する代わりに、マスターに笑顔を向けた。
そのまま、デンジ君と店を出た。
そのまま、デンジ君の案内で、一緒に歩いていく。
あの時は、小さな彼を二道に引き込むためにと手を引いたっけ。
少し前のことなのに、懐かしい。
その道中、話で盛り上がったり、デンジ君に先に1つ、約束のお菓子……クッキーの袋を渡したりした。
……しばらく、話しながらの移動に時間がかかって。
マンションが、見えてきた。
階段を登り、また少しだけ移動して。
デンジ君がドアの前で歩みを止めた。
「ここだよ、ついたぜ」
……ここが、デンジ君の家。
少しだけ、緊張する。
「それじゃあ…お邪魔しまーす」
私は、デンジ君に案内されるまま、その中へと入っていく。
靴のある玄関、フローリング、白い壁。
奥のリビングには、物が色々と置いてあって。
周りをパッと見ただけでも、生活感が見て取れる。
「……」
私は噛みしめるようにその光景を眺めながら、ゆっくりデンジ君の後ろをついて奥のリビングへと向かう。
……中には、2人の人がいた。
なんと言えば良いのか……独創的な髪型をしている方が、台所に立っていて。
角の生えている方が、リビングで寛いでいた。
こうなると、2人の人というより人間が1人と魔人が1体、と言うべきかもしれない。
ともかく、2人は入ってきた私の方をじっと見ていた。
第一印象は、かなり大事だ。
とりあえず物腰低くいこう。
「あの〜……こんにちは。私、レゼって言います。デンジ君に誘われて来たんですけど……」
おずおずと、初対面相手に緊張している普通の少女のような声を出して、私は二人に声をかけた。
「ああ、どうも。話は聞いてます、早川アキと申します。いつもデンジがお世話になってるようで……」
それを聞いて、作業の手を止めてこちらを向き、軽く頭を下げながらのその言葉。
名前を言われなくても、そうだと分かる。
丁寧で真面目そうというか、イメージに合うというか……
とりあえずこのまま、普段デンジ君相手に見せていた性格は崩さない範囲で、猫を被ろう。
「そっ、そんなぁ!そんなことないですよ!むしろ私の方がデンジ君に付き合ってもらってるって言うか………」
私は照れ臭そうな表情を作り、手をぶんぶんと振ってそんなことを言った。
「あっ……あのこれ、お邪魔させてもらうお礼ってほどじゃないんですが……クッキーです!良ければ……」
「ありがとうございます。そんな恐縮しなくて大丈夫ですよ」
私は物腰を低くしたままクッキーの袋を取り出して渡すと、彼も同じく丁寧な態度でそれを受け取った。
大袋の中にはあと1個分、デンジ君のバディさんのモノだけが残った。
「広くはない家ですが、好きに寛いでください。自分はしばらくここにいますので。……良ければ、デンジとも遊んでやってください」
彼は小さく笑った。
「あ、ありがとうございます…!」
私は、ぺこりと頭を下げた。
……どちらかといえば、好感触に思える。
あまり悪くは思われていなさそうだ。
一方、リビングにいる……その、もう一人は……彼女と、言うべきだろうか。
彼女は私をあまり気に食わなさそうな顔で、見ていた。
ワガママでウソつきとは聞いていたけど、その上魔人……大丈夫かな。
あまり、この状況でトラブルは起こしたくないのだけれど。
「……ウヌよ」
すると、私の視線に気づいたのか、彼女は座ったまま私に話しかけてきた。
「はっ、はい?」
私は、あえて少し恐縮しているような態度を取った。
「デンジから聞いておるぞ、ウヌは菓子を持ってるそうじゃなァ」
変わらず彼女は、私を睨み続けている。
「その袋か?今すぐ差し出せ!そうすれば、ここにいるのを許してやらんこともない」
……なるほど、この……パワーちゃん、だったっけ。
この魔人ちゃん、結構子供っぽいっていうか、こういうタイプなんだ。
「おいパワー、お客さんだぞ。あまり失礼なことを言うな」
「そーだぜ!ナニサマだよ!」
「うるさいのう二人揃って……ワシはこの……レゼとかいうのに話しかけとるんじゃ、邪魔するな!」
……なるほど、彼女の性格の方向性が、分かったかもしれない。
1つ、試してみよう。
「……もしかしてあなた、デンジ君のバディさん?」
「んぁ?そうじゃが?」
私は、彼女にだけ見えるよう表情を作り、輝かせてみせた。
そして彼女の傍により、声を潜めて彼女にだけ聞こえるようにする。
「じゃあ……もしかして、すっごく強かったり……?」
「……当然じゃ。ワシは最強の悪魔じゃからな」
「すっごい……!もしかして、デンジ君を助けたりしたことも……?」
「当たり前じゃ!数え切れんぐらいあるわい!」
「わぁー…!すごい、尊敬しちゃう……!」
私は適当なことを言い、肯定し、褒めてみた。
彼女の顔は見るからにニヤけ、自信が増していっているのが分かる。
やっぱり、おだてれば乗るタイプか。
こうなると、割とやりやすいかもしれない。
「……あの、これ、こっそり一番多めのを渡してるから、デンジ君とアキさんには内緒に……」
そして更に、私は特別感の出る文句をつけながら彼女の分を取り出して、渡した。
……彼女はにぃっと笑って、私の肩を強く叩いた。
「なんじゃあウヌ、分かっとるのぉ……!いいぞ、ウヌからの願いじゃ、内緒にしておいてやる」
……多分、気に入られたっぽいかな。
これで、ややこしいことにはなりにくいハズだ。
すると、デンジ君が不安げな顔で私の方に寄ってきた。
「……なーレゼ、まえもいったけど、あんまパワーの言うことマジメにきかねーほうがいいぜ?こいつ、マジでメチャクチャウソつくからな?」
「あァ!?なんじゃデンジ!ワシは嘘なんぞ一度もついたことはない!!」
褒められていたのに茶々を入れられて不機嫌になったのか、魔人の彼女がデンジの方を睨みつける。
「それがもうウソだろ!」
「嘘はそっちの方じゃろうが!やるか!?」
2人は凄み合い、火花が飛びそうなほど睨み合っていた。
すると、台所から一喝、声が飛んだ。
「やめろお前ら!こんな時にみっともないことするなら、メシ抜きだぞ!」
「……へーい」
「……ちぇっ」
……そのやり取りを聞いて、私はプフッと軽く吹き出してみせる。
「あはは!皆さん仲良しなんですね」
「……よして下さい、手を焼いてばかりですよ」
彼はため息をつきながら、どうしようもなさそうな顔で私の方を見た。
……さて、とりあえず、挨拶は穏便に済んだ。
あとしばらくは、流れに任せるかな。
人の家に来た時の正解までは、私には分からない。
「…なーレゼ、とりあえずオレんヘヤあんないするよ」
すると、デンジ君が突然そんなことを言い始めた。
「デンジ君の部屋?」
「うん。……リビングでさわぐと、アキうるせーかもだし」
デンジ君は台所で調理をする彼には聞こえないように、私に言った。
そのまま、私はデンジ君に連れられていく。
「待てデンジ!ワシもそっち行く!」
魔人ちゃんも、リビングから立ち上がって、こちらの方に来た。
私はそのまま、勢いで2人に連れ込まれる形になった。
中に入ると、ベッドが1つあり、漫画や遊びの道具などがある程度整理されているのが目に映った。
「へー、ここがデンジ君の部屋なんだ…ちゃんと整理整頓してるんだね」
中を見渡しながら褒めると、デンジ君は照れ臭そうな態度を取った。
「……へへ、まーな」
「いつもは散らかっとるぞ、デンジが昨日必死で片付けとった」
すると、平然とした顔で、彼女がそんなことを言った。
「パワー!!なんでそれバラしちまうんだよ!!」
……私に格好つけたかったんだろうか。
デンジ君はブチ切れて、彼女の方を怒鳴りつけた。
「本当のことを言っただけじゃが」
また、彼女は平然と言い返す。
デンジ君は悔しそうに、わなわなと震え始めた。
「……っく、ぐぎぎぃぃ〜……!!」
……ほんと、子供の喧嘩を見てる気分だ。
いや、デンジ君は事実子供だけど。
なんか、見てると笑いそうになる。
「まぁまぁ……私が来るから片付けてくれたんでしょ?嬉しいよ、ありがとう」
「……おう」
私が宥めると、溜飲を下げたのかデンジ君は静かに座り込んだ。
「それじゃ、何する?」
私は空気を変えるべく、表情を明るくして2人に聞いた。
「オレは……レゼとならなんでも」
「ワシは……面倒なことじゃなければ付き合ってやらんこともない」
「んー、そっか……」
……提案する側になってしまった。
遊ぶのに、ちょうど良さそうなものは何かないだろうか。
私は周りをもう一度見て、何かないかを確認した。
「……あ!じゃあ、これ使ってババ抜きとかどう?」
私はふと見つけたトランプの束を取り、2人に見せた。
「いーじゃん。やろーぜババ抜き」
「ババ抜きなら圧勝じゃ!なんせワシはババ抜きの世界大会で優勝したことがあるからのぉ」
「えー、ホントならすごいなぁ……私じゃ勝てないかも」
私はケラケラと笑った。
2人とも、とりあえずやる気がありそうで良かった。
私がカードを混ぜ、全員分を配った。
そして、私が魔人ちゃんから引き、デンジ君が私から引き、彼女がデンジ君から引く……
この順番で、勝負は始まった。
最初は、揃っていたのを捨て、引いては捨て引いては捨て……それだけだった。
……ただ……その間のやり取りだけでも分かる。
デンジ君、悲しいぐらいババ抜きが弱い。
引いた時揃ったか揃ってないかとか、表情があまりに分かりやすすぎる。
この様子だと、ババを引いたら絶対に負ける。
……素直だし子供だし、仕方ない話ではあるんだけど。
格好つけたがりのデンジ君、初回から負けたら大凹みするかもしれない。
それを彼女が煽って喧嘩にでもなれば……面倒だ。
ここは、私が負けておくか。
2人の視線や動作を読んだから分かる。
多分、ババは魔人ちゃんの方が持っている。
「えーと……こっち、かな」
私は、カードを摘んでちらりと表情を見る。
特に、変化がない。
「じゃあ……こっち?」
……変化がない。
「これかな〜……」
……本当にわずかにだが、口角が上がった。
これだ。これを引いてキープし続ければ、私が自然と負ける。
「……えい!」
私が引くと、彼女はニヤッと笑った。
当然だ、ババが消えたんだから。
私は「あちゃー」と思ってるのを、隠そうとしているが隠せていない……
そんな表情を作って、デンジ君の方を向いた。
デンジ君は、特に何も考えてなさそうな顔で私のを引く。
これまでの引き方のクセ的に引かない位置にババを持っておいたから、当然デンジ君は引かない。
……そして、ゲームは進む。
あえてババを引かせないようにしているから、終幕は早かった。
「……うりゃ!」
デンジ君がラスト1枚、私の手札から引いた。
「よっしゃ!上がり!」
デンジ君は軽く跳ねて喜んだ。
「うぐぁ〜、負けちゃった〜……」
私はへなへなと、その場にへたり込む真似をする。
「わりーなレゼ、ババは引いてあげられなかったぜ」
「ガハハハ!なんじゃウヌ弱いのぉ!デンジに勝てないのは相当雑魚じゃ!」
デンジ君は少し申し訳なさそうに笑って、魔人ちゃんは豪快にバカにして笑っていた。
……楽しそうで、良かった。
それにしても、デンジ君に勝てないのは相当弱いって、それだけ2人は普段遊んだりもしてるのか。
「うるせぇよ、パワーには勝てなくてもアキには勝てたりするもん」
その様子だと、彼もきっと私みたいに手を抜いてたりするんだろうな。
3人でババ抜きしている様子が、目に浮かぶようだ。
「悔しいなぁ、もう一回やろうよ!」
私はムキになったような顔を作って、2人に言った。
「いいぜ!」
「ガハハハ、次もワシが一位じゃ!」
そして、私達は次々と勝負をした。
「うわぁ~引かれた〜!!」
私が負けたり、
「ギャー!!ババのこっちまった…!!」
デンジ君が負けたり。
「また1抜け〜〜!ワシ最強!!ババ抜き界の風雲児とはこのワシのことじゃあ!!」
彼女には、負けが回らなかった。
私が一応のことを考えて回さなかった、とも言える。
……デンジ君が笑う姿を見れたり、魔人ちゃんがメチャクチャなことを言ったり。
途中、アキさんがジュースを私達に出してくれたりもして。
そんな空間にいると、本当にただ遊びに来たような気分になりかける。
……それから、しばらく経って、夕飯時。
また彼が、部屋に顔をのぞかせた。
「おい2人とも、夕飯できたぞ」
「んぁ、もーそんなじかんか」
「丁度勝つのにも飽きてきたところじゃ」
2人の慣れたような返事を聞いて、彼は私の方にも声をかけてくる。
「貴方の分も用意させてもらってるので、よければご一緒に」
「あ、デンジ君から聞いてましたけど、本当にいいんですか?」
「ええ、ウチの者がお世話になったお礼も兼ねてですから。ご迷惑でなければぜひ」
「そんな、ありがとうございます!」
好意を無下にするのも悪いと思っていそうな表情で、返事をする。
私達はそうしてリビングの方に向かった。
「へー、今日はカレーか」
「……おいチョンマゲ、ワシのには野菜入ってないじゃろうな」
「ちゃんと分けてよそった。入れてないから安心しろ」
ジロッと彼を睨みつけながら言う魔人ちゃんに、彼は淡々と返事をする。
「レゼさんはカレー、大丈夫ですか?苦手でしたら他の物もあるのでそちらを用意します」
一方、私の方にはかなり気を使っているのか、彼はそんなことを言った。
「いえ!全然!むしろ好きですよ、カレー」
「なんじゃ、レゼとワシらとで随分扱いが違うのう」
「当たり前だろ、客人だぞ」
「なんでもいーじゃん、はやく食おーぜ」
そんなやり取りをしながら、先にデンジ君と魔人ちゃんの2人がそれぞれ座り込む。
私は、アキさんに譲られて、広い方の場所に座って、テーブルの残り一枠に彼が座った。
文字通り、食卓を囲む形になり「いただきます」の声が重なる。
……私が、経験したことのない光景だ。
無言でがっつくデンジ君と魔人ちゃんに、静かに食べ進めるアキさん。
……私も、習うようにゆっくりとカレーを口に運んだ。
……美味しい。
マスターは確かカレーが得意料理だって聞いて味見をさせてもらったこともあったけど、同じぐらい……いや、それより上かもしれない。
「美味しい〜!うちのマスターも顔負けですよ、これ!」
私は会話の皮切りとして、思ったことをそのまま言った。
「ありがとうございます。……デンジから聞いたんですが、レゼさんはカフェで働いてらっしゃるんでしたか」
すると、彼はお礼を言いながら話題をこちらへと繋げてきた。
「あっ、はい!アルバイトで入ってます!…うちの店、朝以外は閑古鳥が鳴いちゃってますけどねー。デンジ君はお店の救世主です!」
「そんな謙遜なさらなくても……朝に人が入る店は穴場のいい店と聞いたことがあります。また、機会があれば立ち寄らせて貰います」
「チョンマゲはコーヒーとかいうドブ水が好きじゃからな!あんなモノの何が良いのか全く理解できんわ」
「んフッ」
……あまりにも突然の、彼女のあんまりな言い回し。
魔人ちゃんも、そこはデンジ君と同じなのか。
少し、食べながら笑ってしまった。
「おい!失礼だろ!」
彼は怒ったけど、むしろ私はおかしくて仕方なかった。
「あっはは!いいんですよ、私ただのバイトですから!デンジ君も言ってたもんねー?」
「…おう、ドロだしドブだと思ってるぜ。ギューニューとあまいのでも飲めるだけでウマくなんねぇんだもん、逆にスゲーよ」
デンジ君のコーヒーへの感想を聞いて、アキさんは心配そうな顔で私の方を見てきた。
「…あの、デンジは貴方の店のマスターにはご迷惑かけたりしてませんでしたか……?」
「全然ですよ、むしろデンジ君のことは気に入ってると思います!」
これは嘘とか気遣いじゃなく、マスターは結構デンジ君のことを気に入っている。
自分の料理を美味しい美味しいと食べてくれる子供のことを嫌いな店員は、中々いないんじゃないだろうか。
「ザンネンだったなアキ!そこらへんにかんしてはオレにおこるネタはねーぜ!」
「お前なぁ、そういう意味じゃなくて……」
舌を出しながら小馬鹿にするような態度を取るデンジ君に、彼は呆れたように言葉を詰まらせた。
「……ふふ、いつもこんな感じなんですか?」
……食事の時、こんなに喋るなんて、こんなに騒がしいなんて初めてだ。
でも、なんと言うか……
悪い気は、しない。
「ええ、お恥ずかしい限りで……」
「そんな事ないですよ。うちは静かすぎるので、羨ましいぐらい」
「……そうですか。ここじゃ嫌でも騒がしいのを聞くことになると思うので、それなら良かったです」
彼がそう言った瞬間だった。
デンジ君と魔人ちゃんは食べるのが早く、空になった皿を彼の方へと差し出していた。
「なぁアキ、おかわり」
「ワシも!」
「……入れてくる」
そうして2人がおかわりをして、また4人で会話をしながら、食べ進める。
……いつしか、全員の皿が空っぽになっていた。
ごちそうさまでした、の声がまた重なる。
「……美味しかったです、ありがとうございました!」
「そう言っていただけて嬉しいです。お粗末様でした」
「ご馳走になりましたし、片付けだけでも手伝わせてください!」
……あくまで「いい子」の体裁は崩さず行こう。
私は笑顔を作りながら、彼に手伝いを申し出た。
「いえ、ありがとうございます。お気持ちだけ受け取ります。それより……」
しかし彼は、私に対しては依然とした態度で、優しい表情をしていた。
「良ければあっちの2人と、遊んでやってください。今日、何となくいつもより楽しそうなので」
彼が目をやった場所には、食べ終えて遊んでいるデンジ君とパワーちゃんがいて。
いつの間に用意したのか、2人で何か、電子機器でゲームをやっているみたいだった。
「……何してるの?」
「おー、レゼ。今アレやってるぜ、ヒゲのオッサンのアクションゲーム」
「1ステージクリアするか死んだら交代じゃ……あ」
私に気を取られてよそ見をしたせいか、どうやら彼女はミスをしたようだった。
「あーあ、しんじまったな。ほら、コータイしてくれよ」
「……」
魔人ちゃんは、そのデンジ君の言葉と差し出された手を無視して、ゲームを続ける。
「おい、しんだらコータイだろ!」
「は?そんな約束しとらんが?」
彼女は、全く気にせずゲームを続けている。
「もーいいって!!このやりとりなんかいめだよ!!」
「うるさいのぉ、何回もなにも一回目じゃろうが……あー、デンジが意味の分からんこと言うから気を取られたわ」
デンジ君が怒鳴ると、パワーちゃんは面倒臭そうにしてゲーム機を置いた。
「これ以上邪魔されたら集中できん。シャクじゃから交わってやる、感謝するがいい」
そして、興味を無くしたかのようにふいとそっぽを向いてしまった。
「はぁ、ったくもー……」
デンジ君は、そのゲーム機を拾う。
じゃあ、私はこのまま遊ぶのを見ていようかな、そう思った時だった。
「はい」
デンジ君は、それが当たり前みたいな顔をして、私にそれを手渡してきた。
「……え?」
「あれ、レゼ、やんねぇの?」
むしろ、私が受け取るのを戸惑ったことに対して、デンジ君は不思議そうにしていた。
……そっか。今は、いいんだ。
こういうことも、したって。
「……ううん、いいならやらせて」
私はそれを受け取って、操作を始めた。
……そう言えば、ゲームというものがあるという知識はあっても、そのやり方も知らないな。
ボタンいっぱいあるし、とりあえずどれをどう押したらどう動くのか、勉強しよう。
「うわ、なにこれ……すごいね」
「……こうやって動くんだ、へぇー……」
私がボタンを押す度、画面の中のキャラクターが、ゆっくり右往左往したり、跳ねたりしていた。
「レゼ、もしかしてゲームやったことねぇの?」
「ちょーっとね、操作とかまだ分かんなくて……あれ、なんか画面が固まっちゃった」
「あー、それ、同じボタンおしたらもどるぜ」
「……あ、ホントだ。ありがとデンジ君」
……まさか、デンジ君から教えてもらうことがあるなんて。
私は少しずつ操作に体を慣らしながら、そんなことを考えていた。
「……分かってきたかも、こんな感じだよね」
「おー、コツつかんだっぽいな」
「ふふ、このままクリアしちゃおっかなー……?」
調子良く進んでいた、その時だった。
「……でりゃァ!!」
「うわぁ!!」
魔人ちゃんが、油断していた私に飛びついてきた。
驚いた私は操作を間違えて、そのままミスしてしまった。
「ガハハ!死んだな、これで交代じゃ」
さっきは興味を失ったような顔をしてたけど、やっぱりやりたくなったのだろうか。
半ば強引に私からゲーム機を奪って、彼女がプレイを始める。
「おいパワー!それはナシだろ!」
それを見たデンジ君はまた怒っていた。
「いーよデンジ君、大丈夫……」
……私は正直、むしろ何となく、こういうノリも悪くないような気がして。
思わず、笑みを浮かべてしまった。
「その代わり私もパワーちゃん、妨害しちゃうからっ!」
私は勢いに任せて、彼女が私にやったようなことを、そのままそっくりやり返した。
「あっ、こらレゼ、離せ!!卑怯者がァ……!!」
彼女が私に邪魔されて鬱陶しそうに振り払おうとしている間に、キャラクターが死んだ音が聞こえてきた。
「……ワシのヒゲがぁーー!!」
悲劇のヒロインがごとく嘆く彼女は、ゲーム機を手放して私の方を睨みつけた。
「レゼぇ……ウヌは今このワシに向かって、とんでもない大罪を……!!」
私の方に掴みかかりそうな勢いだった。
……そこまで怒るとは、やりすぎたかなと思ったその時。
怒る彼女を一切無視して、デンジ君がそのゲーム機を持った。
「じゃ、次オレか。パワーのかわりにささっとクリアしてやんよ」
デンジ君はそのまま、ゲームを始めてしまった。
「……なぁ、レゼよ」
すると、先程まで嘆いていた魔人……パワーちゃんは、ころっと態度を変えて私の方に話しかけてきた。
「ウヌよりも、今デンジの方が大きな罪を犯した。レゼ、ワシが大罪を晴らす機会を与えてやる」
……彼女が何を言いたいか、何となく分かった。
私はニヤッと笑って、その言葉に乗っかるようなことを聞いた。
「……その機会とは?」
私の笑みを見て、彼女も同じような表情を浮かべる。
……まぁ、要するに。
私達、悪い笑顔を浮かべてた。
「……へ?」
デンジ君は、私達の言葉を聞いて、ゲームの手を一旦止めてこちらを見た。
パワーちゃんはその瞬間、デンジ君の方に思い切り人差し指を向けた。
「ガハハ、行けレゼ!罪を晴らすための正当なる攻撃じゃ!!」
そのメチャクチャな発言と命令に従うことを、私はためらわなかった。
「はーい!!うりゃー!!」
私はデンジ君に飛びつき、軽くくすぐるようなマネをする。
「ちょ、レゼ……!?ウソだろ、やめ……ははははっ!!」
デンジ君は笑いながら一瞬でゲーム機を手放した。
「あはっ、攻撃成功かなー?ごめんねデンジ君、上官命令には逆らえませんでした!」
私は冗談交じりにそう言ってみた。
すると、デンジ君は笑ったままこちらを睨む。
「チキショー、やったなー……やりかえしてやる!」
なんか、そういう遊びのスイッチが入ったんだろうか。
デンジ君は、私にやり返すために飛びついてきた。
「おぉ……それじゃあワシは罪を清算したデンジにつく!今度はレゼ、ウヌの番じゃあ!!」
「えぇー!?わーやめて!あははははっ……!!」
私は2人に飛びつかれる形になる。
完全に、じゃれ合いだ。
「お、おいお前ら!それはやりすぎだ!危ないだろ!」
すると、台所で片付けていた彼が、じゃれ合いとは言え私が2人がかりでやられているのに心配したのか、慌てて止めに来た。
「おうデンジ!チョンマゲが邪魔に来たぞ!そっちは任せた!」
「へッ、まかせとけ、ボコのボコにしてやる!」
「待てっ!!俺はふざけに来たんじゃなくて、止めにッ…!!」
「あはははっ!ごめんなさーい!降参、こうさんしまーすっ!だからやめて!あーははははっ……!!」
……楽しい、のかな。
いや、楽しいんだ。今だから分かる。
こうして、ずっと……
しばらく揉み合って、いつの間にかお互いに息が切れて、それが終わった。
「ほんと……お前らな……」
「ワシの……せいじゃない。2人が……勝手にやった」
「は……はァ〜〜!?さいしょけしかけたの、パワーだろ……!」
「あっはは!……あー、メチャクチャだった……!」
全員息も絶え絶えで、お互いに言いたいことを言ってるだけだった。
皆、呆れていたり疲れた顔をしていたけど。
私だけ、笑っていた。
……その後は気を取り直して、私達はちゃんとルールを決めてゲームを再開した。
「いえーい!ステージクリア〜!」
「ふーん……まぁワシならもっと早くクリアできるがのぉ」
遊んで。
「なんじゃあこの落とし穴ァ!!前やった時はこんなの無かった!!仕込みじゃ!!インチキじゃあ!!」
「パワー、このタイプのステージニガテだよな」
遊んで。
「…チクショー、よくばってアイテムとろうとしたらしんだ……おーい、アキもやろーぜ」
「俺はいい。片付けしてるから皆で…」
「いーから、ほら」
遊んで。
「………」
「チョンマゲがいちばんつまらん死に方したのぉ、ドヘタクソじゃ」
「フツーにテキにあたってたな」
「フフッ……いや、ごめんなさ……っあはは……!」
「……笑いながら謝らないでください」
そうやって、私達は遊んでいた。
……花火を見ていた時、デンジ君が言ったこと、良くわかる。
『今のセーカツ、すきなんだ』
ずっと……
ずっと、こうしていたい。
……いや、ダメだ。
子供みたいなワガママ言ったって、時は止まってくれない。
楽しい時間は、これが最後のつもりでいよう。
私は、このあとの事の進み方次第で。
今日で、消える覚悟もしてる。
……私は、もうすぐ飲み込まないといけない大きな刺のことは忘れて、溢れ出るような笑いに身を任せていた。