「桜井さん最近明るくなった?」
「……そうですか?」
会社に朝一で出勤して言われた一言はそんな言葉だった。
明るくなった、と聞いて思いつくのは最近入ってきた隼人の事だった。
もともと親友だった。その気持ちがつい表に出てきてしまって、表面上は明るく見えてしまうようになったのだろう。
あくまでも元親友。俺はそう思っていたのだが、田中さんはどうやら違ったらしい。
「明るくなったよ!それもやっぱり隼人くんのお陰、かな?」
と、遠くで座っている隼人を見てニヤニヤしながら言っている田中さん。
……圧倒的な勘違いである。恋仲とかそういうわけではない。
そんなに俺が隼人に好意があるようにでも見えるのだろうか。
「隼人くんと一緒に話しているときとか笑顔になるもんね。……それに昼休みずっと二人で食べてるし」
「……別にそんなわけじゃ」
「もう、桜井さんはもう少し素直になっていいのに」
「……なれないですよ」
「え?聞こえなかった」
「何でもないです」
素直になる。考えたこともなかった。
男だったという過去を誰にも話すことをなく、自分を偽り続けている。そんな俺が素直になれるか、と聞かれたらすぐに首を振る。
自分だけでなく周りの関わる人にも偽り続けている。
俺は、嘘つきだ。
◇
今日は、土曜日だった。会社に行く必要もないし、ただただ家にこもっている。
ベッドの上で横になりながら動画を見ている。
果たして俺の生活はこれで良いのだろうか。やることが何もないのだ。
動画から出される音声だけが響く室内に、変化が起きた。
「……あ」
メールの知らせを告げる通知音だった。
差出人は隼人。ちょうどこの前に連絡先を交換したばっかだった。仕事の連絡を取ったりするときに便利かなと思って交換した。
内容を見てみると食事のお誘いだった。
……行くか、行かないか。それだけの問題だが、俺を悩ませるのには十分すぎた。
行って、もし俺の正体がバレたら隼人はどのような顔をするのだろう。どのような言葉を俺に投げかけるのだろう。
自分を裏切った者として接してきたら?
自分の気持ちが暗くなっていく。
それでも。
自分の手は勝手に『行きます』と返事をしていた。
ここでも、自分の体は制御ができない。なぜか勝手に動いてしまったのだ。
「はぁ」
ため息が漏れる。間違いなく、自分自身への呆れの気持ちによるものだった。
とはいえ、行くと言ってしまったからには行くしかない。
手持ちの服をざっと見回す。
悲しいことかな。一人で外出することもあまりないもので、手持ちの服なんか多く持っているわけがなかった。
持っている中で最適な服装を導き出すしかない。
ふと目に映ったのは、白いブラウスだった。俺が女になった時、母に買ってもらったものだ。着る機会もなかったのだ一度も着たことが無かった。
少しだけ透け感のある生地で、首元に繊細なフリルがついている。
そのブラウスを手に取り、近くにあったデニムのスカートに合わせてみた。
姿見を見るといつもの自分とは違って見えた。普段こういう服を着ない、というところもあるかもしれないが。
「……いいかも」
口からも思わず零れ落ちた言葉。今の自分にはとても似合って見えた。
……なんだか好きな相手に会いに行く女の子の『特別な日』の雰囲気があるが、無視だ。
俺と隼人はそんな関係ではない。まだまだ仕事で会ったばかりの先輩と後輩、それだけの関係。
ピコン、と静かな部屋にまた通知音が届いた。
『本当ですか!?ありがとうございます。六時前に駅前集合でお願いします』
「……ふふ」
なぜだか分からないけど、隼人とのやりとりは自然と笑みがこぼれてしまう。
一瞬でも、過去に戻ったような。そんな感覚が得られるのだ。あの時と何も変わらない日常、そんな感覚が。
時計を見て、時間を把握する。
目的地は、いつもの駅前。そこまで時間はかからないし、今からだとかなりの余裕がある。
近くの腕時計を腕に巻き付けて、リビングを横切り、玄関へと向かう。
明るめのスニーカーを履いて、ドアノブに手を触れて、ひねる。
玄関の扉を開けて、一歩外へと踏み出す。
今から急いで駅前に向かう理由は無い。それでもなぜか、俺の体はまた勝手に動いていた。
少し早歩きに上機嫌な自分に驚き、その理由を考える。
女になってから、プライベートで誰かと一緒に食事、ましてや遊ぶことすら一度もなかった。
だから、別に隼人だからどうこうという訳じゃないだろう。
誰かと一緒に何かをする、ということが今上機嫌な理由だろう。
隼人がどうこうという訳じゃない、とは言ったものの、やはり隼人も関係はしているとは心の底で思う。
今までの俺だったら、食事に誘われてもすぐに断っていただろう。
それでも、隼人はその扉をこじ開けた。
今まで何の変化もなかった俺の生活が、隼人に会ってから変わり始めている。
そんな簡単なことに気づいたのは、今日、土曜日の事だった。