「それで、僕たちはこれで良いのかい?」
アナハイム社が所有する拠点の一つ。フィランソロピーが管理している場所にアキラは来ていた。というのも、日々プロキシとして働く中、向こうから連絡が来た為である。飛行船の墜落事件から数週間、随分と濃い日々だったとアキラは遠い目をするが、今はそれよりも重要な事だ。
「あぁ、アナハイムから白祇重工に紹介という形でアキラとリンに手伝ってもらう」
「責任重大だね……」
首に手を当て眉を僅かに顰めるアキラに、緊張をほぐす様に笑いかけるのは顔の至る所に古傷を残した白スーツの男、マッチだった。
「そこまで重く捉える必要はねぇさ、いつも通りプロキシとしての仕事をこなせば良い。俺の見立てじゃ、難しく考えるよりそっちの方がお前さんらはうまく行く」
「そう言ってもらえると助かるよ、リンにも『お兄ちゃんは嘘つくのが下手!』なんて言われた事があるからね」
「ま、頑張ってくれ」
肩をポンポンと叩き応接室を出ようとドアノブに手を掛けるマッチに、待ったをかけるアキラ
「あぁ、少し待って欲しい」
「ん?」
「ケルシーさんはいるかな?聞きたい事があったんだ」
以前、貰ったデータについて聞きたい事があった。あのデータの中には零号ホロウの情報もあった。スコット前哨基地で独立調査員として働く機会があったから分かる。彼女が渡したデータには学会もまだ到達していない区域があった。
つまり、へーリオス研究所にも到達しているかもしれない。その情報はどうしても聞きたかった。
「あぁ、ドクターの事か。あの人なら今外に出てる。うちの技術主任の付き添いらしいが」
「そうなのか……また次の機会にするよ」
「伝言くらいなら伝えとくが」
「いや、直接話したい事だからやめておくよ。すまない」
その次の機会がいつになるか。少なくとも今すぐは難しいだろう。アナハイムもフィランソロピーも、普段通りではあるが何処かピリピリしている。この案件が終わればその機会もあるはず。まずは目の前の依頼をこなそう。そう結論つけてアキラは息を吐いた。
同時刻、リバーブ・アリーナ。トンネルを改造して作られたアーティスト達の拠点だ。今も一山当てようとギラギラした目をした若者達が所狭しと通りを行き交う。そんな中、廃材で作られたバーカウンターの席に、話題になった人物は居た。
機械仕掛けの兎耳にメイド服を思わせる、明るい基調の服装。篠ノ之束。その隣に座るは従者を思わせるクラシック調のメイド服を着た表情の薄い女性、ケルシーだ。
「ちょっとー、折角スターを前にしてるのに少しは嬉しそうな顔をしたらどうなのさドクター?」
そんなケルシーを不満げにツンツンする束だったが、返ってくる返答は冷たい。
「今日の私は君の付き添いだ。君を立てなければならないのだから、そうも言ってられないだろう」
鬱陶しいと言わんばかりに素早く突っつく束の指を叩き落としケルシーは嘆息する。
「うふふ、真面目なのね。イヴと気が合いそうだわ」
そんな二人のやりとりを、サングラス越しに見やり笑うのは、新エリー都における歌姫の名を欲しいままにするスター。アストラ・ヤオその人であった。
「私としては、お嬢様にもこれくらい真面目になってもらいたいものだが」
「もう、私はいつも真面目よ?」
周囲に目を配り警戒しながら小言を漏らすのはアストラ・ヤオの付き人ボディーガードのイヴリンであった。
奇しくもこの二組の関係はよく似ていたかもしれない。振り回す者と振り回される者。問題児を見張るお目つき役の二人は視線だけで察した。
((お互い、苦労しているな……))
「それで、私に依頼したいってお話よね?」
そんな中、話題を切り出したのはアストラだ。頷きを返す束は、分厚い書類を取り出す。動きに伴って鼻につく森林にも似た匂いが束達から香る。
「私の研究の一つにその『歌声』が必要なんだ。この書類はその為の装置の設計図」
ふーん、と何気なく数枚捲ってみるアストラだったが難しい数式と記号の羅列ばかりですぐ嫌になり、うぇー、と顔を顰めて横にいたイヴリンに押し付けた。押し付けられた側はその様子に苦笑する。
「これは……エーテルの誘引装置、の様に見えるが」
「うん、彼女の歌声から出てる特異な周波数。これを利用したいんだ」
音動機をそのままでかくしたような装置に眉を僅かに動かすイヴリンだったが、怪しいところは見当たらなかった。
目の前にいる篠ノ之束博士とは。かつて天才とその呼び名を欲しいままにした人物だ。その頭脳から導き出される結論を察知できるものではないが。少なくともイヴリンの目に怪しいものはなかった。
横目でちらりと隣のお嬢を見るイヴリンはため息を吐く。既に乗り気になっているアストラの表情に止められない事を悟ったからである。
「良いじゃない、協力するわよ!」
「お嬢……いや、いい。言わなくても分かる」
アストラが使うステージマイク『ヘミオラ』はこの目の前にいる篠ノ之束博士の理論が元になっている。その分のお礼だと思えばいいか、とイヴリンは割り切ることにした。
「それじゃ、成功を祈って乾杯しましょ!ニトロフューエルでも──」
「ダメだお嬢、この後にも予定が詰まってる」
えー!と不満げに頬を膨らませるアストラだったが、視線を見やれば諦めたように折れてくれた。
そのまま会合の場は解散となり、その場で別れた。
「束」
「うん」
帰り道。ルミナスクエアの街角。路地の一つを歩く二人は前を見たまま会話する。
「何人?」
「二人、いや三人はいるな」
派手な行動をした甲斐がある、と束はほくそ笑む。頼むから面倒事は起こすなよ、とジト目をするケルシーを他所に、二人は誘導するように人気のない裏路地へと歩を進める。
そうしていると、道を塞ぐように前に一人、後ろに二人という形で挟まれる。
「篠ノ之束博士、貴方には我々と来てもらいます」
黒スーツにサングラスで目元を隠す男達。わかりやすく手には銃が握られており武力を盾にした脅しである。
「ふんふん……讃頌会、というよりその息が掛かったTOPSの下っ端かな?」
「だろうな、恐らく治安局に突き出しても無駄だ。尻尾を切られる」
全く動じず会話する二人にイラついた様子で銃口を向ける男達。
「うーん、着いて行くことにやぶさかではないんだけどさー。一つ聞いて良い?」
「……なんでしょう?」
有無も言わさず、と言うわけでもないらしい。会話に付き合う余裕はあるようだ。
「君たちにとって、篠ノ之束って何?」
「何を聞くかと思えば……新エリー都の未来を100年進めた大天才、それが貴女でしょう?誰にも到達しえない領域に到達できる天才が貴女だ」
「……そっか、なら行けないや」
ニコニコとしていた束の表情は抜け落ち、真顔で目の前の男を見る。
「私にとって、天才って言うのは常に『最高』を更新し続けられる者を指すんだ」
私は果たしてそうだろうか。束はそう考える。果たして今の私は篠ノ之束足り得ているのかと。
「違うんだよねー……私は篠ノ之束を超えられていない」
新たな世界に新たな常識、新たな法則。それらを前にした篠ノ之束が果たして篠ノ之束のままで居ただろうか。答えはNOだ。最高にして最悪。それが私の信じる篠ノ之束である。
「だから、無理かな」
「ならば力づくで──ッ!?」
少し血を見てもらう。そう判断して銃の引き金に力を込めた時である。ポタポタ、と自らの顔から血が流れていることに気がつく。
「こ、これは……!?」
「アルカニボラックス……って言ってもわからないかな?プラスチックとかを分解しちゃう微生物なんだけどさ」
この結果はそこから着想を得て開発した欠陥兵器が齎したものだ。
「本当はエーテルを分解する微生物がいればと思って開発してたんだけどねー。そもそもエーテルが対生物において無類の強さしてて負けちゃうんだよ」
だから、そこから方向性を変えて、微生物の偏食性を弄って人間の構成要素だけを喰う微生物を作ったんだ。とまるで手品のタネを明かすマジシャンのように束は言った。
「ただ、それだけに極振りしすぎたせいか空気中に散布されると数十秒もしないうちに死滅しちゃうんだけどね」
だからこうした狭い空間にしか使えない。そんな説明を聞く余裕など男達には残されていなかった。ガクガクと震えて倒れ込み、助けを乞うように手を伸ばすも、その手も空気中に分解されて行く。
「なるほど、だから前もって私達に香水を掛けたのか」
その説明に納得した様子を見せるケルシー。散布された空間でなぜ二人だけが無事なのか。
「エッセンシャルオイルって知ってるかな?自然界で植物が出す天然の虫除けオイルなんだけど」
それと同様に、微生物が嫌がるニオイを予めつけていたらしい。また碌でもないもの作ったな、と真顔で見るケルシーに束はあっけらかんとした笑みを向ける。嘆息しつつ、消えゆく男達にケルシーは告げる。
「前にも言った事があるが……文明なくして、いかに存続を語るというのか。君たち讃頌会は今ある秩序文明を破壊し、その上に天をつけその下に作られる社会を構築しようとしている。だがその文明が僅かなズレすら許されない奇跡の上に成り立っている事実を知ろうとしない。」
無論、その奇跡に夥しい血が流れていたとしてもだ。
「その価値を知らぬまま盲信し、破壊しようとする君たちとは相容れない」
聞こえていたのか否か。それは定かではない。既に男達は服だけを残しその姿を消していたのだから。
「うーん、もっと大物が釣れたら良かったのになー。有益な情報が欲しかったのに」
「その場合、どうしていた?」
「その時はドクターに任せるよ。Mon3trも居るんだし」
「……最初からそうしてくれ」
常人はこんな猟奇的な光景を見て平然としてられないのだから、とケルシーは何度目かわからないため息を吐くのだった