私の野望はただひとつ、怪異(ヤツ)らをデュエルで調伏せよ!   作:久本誠一

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ネタバレ:タイトル回収回。


怪異その六:夢幻の書庫に潜む少女を追え!

 目も覚めるような冷たい風が外を吹く2月。まだ終わらない受験シーズン真っ只中の高三生らしく、疲労交じりの浮かない顔付きな女子高生が、ここにもひとり。しかし彼女の脳内を現在進行形で占めているのは数式や年号、あるいは地名人名の類ではない。

 

「全てを疑え……か」

 

 遊ヶ﨑舞が呟いたのは、あの年を跨いでの怪異戦で手長足長の兄、手長に貰った言葉。あの言葉の意味は、いまだ判別していない。いや、馬鹿者ではあるが決して馬鹿ではない彼女の中では、もうとっくにその意味を理解してはいる。理解してはいるのだが、わかっていてもそこから先の具体的な話に繋がらないのだ。

 学校の七不思議は、人間の常識を書き換える。誰も気付かないうちに日常に浸透し、いつの間にかその一部になる。元々この学校における七不思議の存在自体がマイナーだったとはいえ、存在しない二宮金次郎像を誰も不思議に思わなかったように。これはソリッドビジョンであり、場所は音楽室だという前提を彼女の頭の中から一時的に抜け落ちさせたピアノの幽霊のように。その場所の女子トイレに向かう明らかに異様なルートを、誰にも不思議と思わせなかったトイレの少女のように。

 

「そういえば、君。あの手長足長兄弟の制服だが、男子の制服は君の方が詳しいだろう。あれは相当古いタイプで、もうとっくに日置高校(うち)では誰も着ていない……そうだな?ああ、ありがとう。すまない、邪魔したね」

 

 急に話を振られた後輩が、びくりと面白いようにわかりやすく反応しながらもゆっくりと頷いたのを確認してまた思考に戻る。だというのに誰もがその違和感に気が付かなかったとなると、彼らもまたその力を使っていた?

 

「……あの兄弟の場合は、なにせ目の前で肩車して手足が伸びるからな。制服なんてそれっぽいものさえ着ていれば一見くらいは誤魔化せるだろうし、そうと決めつけるにはノイズが大きすぎる気がするな。まったく、無駄に話をややこしくしてくれる」

 

 一度首を突っ込めばいかなる話も無駄にややこしくかつ大事に仕立て上げることに定評のあるこの女が顔をしかめてこう呟くのがもし他所に聞かれていれば、寄付された大量の鏡によってこの「城」にはちょっとした山ができるだろう。がしかしそんなことを面と向かって口にできる恐れ知らずはこの場におらず、幸いにも彼女の沈思黙考は誰にも遮られなかった。

 

「全てを疑え、か……」

 

 結局、話はそこに戻ってくる。最後の学校の七不思議、第七の怪異は既に我々の認識のどこかに手を加えており、彼女でさえもそれにはまだ気が付けていない。手長はそう言いたかったのだろう……と、そこまでは彼女にも見当が付く。では、どこに。何を、あるいは誰を。どうやって。文章がそこにあるのはわかっていても、5W1Hの全てが不明なまま前に進まない。いたずらに気持ちだけが急いてくるのを自覚しながら、意味もなくもう何度も読み込んだ過去の七不思議についてまとめられた記事に目を通す。そこに並んでいるのは6つの怪異と、最後に添えられたお決まりの文章ばかり。

 

『日置高校最後の七不思議は、誰も内容を知らない。もし知ってしまったものは、死んでしまうと言われている……』

 

 そうだ。七不思議のラストは、いかなる年代のまとめにおいても常にぼかされてきた。その存在だけは常に示唆されながら、誰も知らない最後の怪異。

 正直なところ彼女は、自分ならばそれでも何とかなるだろうという根拠のない自信を持っていた。この第一から第六の七不思議は、異様な再現性の高さと目撃証言の分布の幅の広さからみてほぼ確実に実在する。ならば最悪そいつらを打ち倒したうえで話を聞けば よいと、楽観する気持ちさえあった。

 しかし、現状その考えは甘かったと認めざるを得ない時期が近付いてきていることもまた事実。すでに第五の七不思議までを解決しておきながら、得られたヒントはあまりにも漠然とした一言のみ。確かに前進こそしているものの、ある意味ではこれはむしろ何も知る前よりも性質が悪い。少なくとも、最後の七不思議(・・・・・・・)は存在する(・・・・・)ことだけが確定してしまい、そこへの道筋が何も見えていない事を突き付けられたのだから。

 

「……フン。まるで牛の首の怪談だな」

 

 目を閉じ、腕を組み、完全に自分の世界に閉じこもって考える。そしてそのまま、数分。後輩が何度か様子を伺いながら、この「城」の中で城主たる彼女の気まぐれや我が儘や思い付きや癇癪や親切心、その他諸々一切合切その全ての頭言葉に「無駄な」、あるいは「迷惑な」が付くような日常に付き合わされないという極めて貴重な静謐の時間を謳歌していると。

 

「……う~!駄目だ、さっぱりわからん!」

 

 とうとう頭を掻きながら叫んで立ち上がった遊ヶ﨑が、おもむろに出口へと歩いていく。訝し気な視線には、何か聞かれる前に肩をすくめてぶっきらぼうな答え。

 

「購買に行って甘いものでも買ってくるよ、少し脳に糖分が欲しい。そうだ、君も何か欲しいものはあるかい?徳を積むだけで答えが出てくるのなら、今の私は喜んでボランティアでも引き受けたい気分だよ……いらない?そうか、わかった」

 

 焦りと苛立ちであからさまに不機嫌そうに、それでも八つ当たりしないだけの分別は保ったまま嵐のように「城」を去っていく遊ヶ﨑。不機嫌な時の彼女はまさにその襲来先からすればたった今上陸したばかりの嵐そのものであり、関わり合うといつも以上に碌な目に合わないからと数少ない友人の飯田天詩ですら回れ右して知らぬ存ぜぬを貫き通す存在である、のだが。いかんせん日頃からその気はなくとも恨みを買うことの多いこの女は、こういう時に限って絡まれることが多い。

 この日もほんの十分もしないうちに、窓の外から外の寒さを遮るためしっかりと閉じられたガラスを貫通する勢いで日置高校ならば生徒職員問わずその誰もが嫌というほどに聞き覚えのある大音声が響く。

 

「私はメガリス・オクの効果によって、場の自身と手札のドドドドウォリアーを素材として儀式召喚を執り行う!やれ、レベル8、メガリス・ベトール!そしてメガリス・ベトールの効果により、君の場に存在する5枚のカードはすべて破壊だ!」

 

 くっきりとよく通る声に続き、くぐもった声。何を言っているのかは判別できずとも、そこに込められた恐怖の声色は学校中に伝わっただろう。

 

「これで終わりかい?ダイレクトアタックだ、メガリス・ベトール!」

 

 騒音と共に短い悲鳴が響き、それきりまた沈黙。急な大声に飛び去った鳥たちがまた帰ってくる頃、おもむろにガラガラと「城」のドアが開いた。帰還した主である出ていった時よりは多少なりともスッキリした顔の遊ヶ﨑が手にぶら下げていた見るからにパンパンに詰まったビニール袋を無造作に机に置くと、中に詰まっていた大量のチョコレートやグミ、ビスケットなどの菓子類がその口から覗き見える。

 

「ほら、せっかくだから君も食べたまえ……言っておくが、別に私がカツアゲしたわけじゃないぞ。喧嘩を売ってきたのは向こうの方で、口ほどにもなく負けた後で私が糖分を所望している節を口にしたら震えながら勝手に財布を差し出してきたのも向こうの方だ。名前は……忘れたな、学生証には興味がなかったからさっさと返したし」

 

 言葉通り心底興味なさそうに呟きながら、適当な一口サイズのチョコ菓子の包装を剥いて口に放り込む。実際負けて逃げ帰るのならばそれで終わりにする、というよりもその時点でその程度の相手は眼中になくなるタイプなので完敗したらしたで大人しく引っ込みさえすれば本来ほぼ無害なのが彼女なのだが、勝手にくれると言うならばとその財布を躊躇なく受け取って中身を根こそぎ抜き取る、この面の皮の厚さもまた彼女である。日置高校を中心としてあることあることあることないことくらいの比率で伝わる遊ヶ﨑舞の暴君伝説のうち何割かはこのように敗者が恐怖に気圧された挙句勝手にやったことも被害のうちに含まれるのだが、勝手に差し出される貢物に対し遠慮も否定もしないその性格が余計にそれを押し広げているのもまた事実ではあった。

 

「そんなことはさておき、だ。どうも私は、最初にあれこれ考えるよりもやれることをすべて試してから考える方が性に合うようだよ」

 

 そして糖分が足りないとの本人の言葉通りに袋の中から特に糖度の高そうなものを結構なハイペースでひょいひょいと口に放り込みながら、栄養が効いたのか次第にその目に光が戻ってくる合間に不穏なことを口走りはじめる。先ほどと同じく不穏な気配にびくりと身を縮こまらせる後輩だったが、あいにくまたしても発生しつつある嵐は今度こそ外には飛び出してはいかなかった。

 

「まずは第六の七不思議だ、これを終わらせてからでも遅くはない。むしろこれは私も反省するべき点なのだが、これを終わらせないうちに最後のひとつに関して悩むのは失礼にあたる態度だった。さあ今夜、君はちゃんと来てくれるだろうね?」

 

 質問の体を成した決定事項の宣告と共にじろりと睨まれると、逃げ場もない哀れな獲物は頷くしかない。よろしい、としかめっ面ばかりだった彼女も今日一番の笑みを浮かべ、しかしそれをすぐに消して神妙な表情になると部屋の隅からジオラマを引っ張り出してくる。

 

「今日の舞台はここ、つまりは3階の図書室……そして、今回に限ってはそこにいるのが何者かもほぼ確定している。なにせこの学校の長い歴史でもここの図書室の窓から飛び降り自殺を図り、それに成功した者はただひとりしかいないからな」

 

 

 

 

 

 深夜零時。ノート片手にいつも通り学生服姿の後輩がやってきたのを視認して無言で片手を上げたやはりいつも通りにセーラー服の遊ヶ﨑が、ひらりと身を翻して校内に入る。いつになくテンションの低いその後ろ姿に付いていくと、歩きながら振り返らないままにぽつりと彼女が口を開く。

 

「君は、ここの図書室を利用したことがどれくらいあるかい?入ってみればわかるだろうが、ここの図書室は2階と3階がぶち抜きの構造になっていてその両方に入口がある。『彼女』は今の我々のように深夜に校舎に忍び込んでその3階側にある明かり取りの窓を開き、遺書を残してそこから飛び降りた。せめて最後に、自分の好きなものに見送られたいと書き遺してな。事実その遺書は彼女が生前好きだった本が大量に並べられて、それを重石代わりにしてあったらしい。自殺に見せかけた他殺の線も、特になかったそうだ」

 

 それきり、無言。いつもの侵入時より心なしか高い彼女の靴音だけが、静まり返った廊下に響く。そしてまた少し歩いて唐突に、やはりその表情も内心も後ろの後輩には見せないままに言葉だけが放たれる。

 

「……私はね、この七不思議の元になった生前の『彼女』について何も知らない。その人となりも、好きな食べ物や音楽、それどころかお気に入りのカードについてすらもね。だけどこの件に関しては、はっきりと言えることがひとつある。正直なところ、私には理解が及ばないんだ。特に、これまでの七不思議を見てきたらより一層ね」

 

 階段を一歩一歩踏みしめるように登りながら、口にする言葉。それはいつでも無駄で傍迷惑な自信に満ち溢れた彼女らしくもない、ある種の弱音にも似た吐露だった。

 

「私は自分の人生、何があろうとも自殺の選択肢が頭をよぎったことはないしこの先もそれは変わらないだろう。そこまで切羽詰まるような障害が目の前にあるのなら、力づくでもそれを排除する。ずっと、そうやってきたからだろうな。皆がそうじゃない、それができない人間がいるという考えは、頭では理解していてもどうにも実感に乏しくてね」

 

 なまじどこまでも強者の側でい続け、それができるだけの意思と実力に恵まれた側の彼女だからこそ言えるし言えてしまう、時代は違えど同じ世界に住む人間だったとは思えないまでの、目には見えない決定的な断絶。

 

「ほら、君も思い返してみるといい。これまでの七不思議たちは、誰もみな死にたくなかったはずだ。大なり小なり生への未練や執念があり、そのエネルギーが彼ら彼女らをこの学校に七不思議という形で留まらせた……だが、この『彼女』は違うだろう。むしろその逆、生きていることに嫌気がさし、それを捨てることを選んだ」

 

 階段を上り終え、いよいよ3階。ゆっくりと歩きながら、静かな言葉が闇に溶けていく。

 

「君は、この七不思議の詳しい内容を知っているかい?いや、知りはしないだろうな。つまらない事を聞いた、忘れてくれ。だが『彼女』は、とても大人しいんだ。この七不思議は、これまで私たちが探してきたものとは少し毛色が違う。棚の上の本を取るために脚立を使っていたらいつの間にか見知らぬ女学生が支えてくれ、降りてお礼を言おうとするとそこには誰もいなかったとか。グループ研究で図書室を使っていると、その輪に混じっていた女学生がまさにその研究内容の著書を持ってきてくれたのにそれが誰かは誰もわからないままにいつの間にか消えていたとか。パターンは数多いがいずれもこの図書室内で起きていて、共通して現れる女学生の特徴も一致している。黒髪で丸眼鏡、左利き……まさにその、ここで自殺した『彼女』ともね」

 

 廊下もついに歩き終え、図書室入り口。扉の前で足を止めピッキング用の針金を取り出した遊ヶ﨑はそこで初めて振り返ると、鍵穴に先端を突っ込みながら寂しそうに微笑んだ。

 

「自分の人生には絶望しながらも、誰かのためになる事をし続ける。私には、そんな『彼女』がわからないんだ。そして恐らく、向こうも私のような女に対しては同じことを思うだろう。自分の存在と対極に位置する者どうし、私は一体何を話し、何を為すべきなんだろうね……さあ、行こうか」

 

 小さな金属音がして、あっさりと鍵が開く。思うところを振り払うように力を込めると、すんなりと夜の図書室は彼女たちを迎え入れた。

 

「これは……?」

 

 一歩足を踏み入れて遊ヶ﨑を最初に包んだのは、違和感。蔵書目当てにこの図書室には何度も足を運んだことがあり、目を閉じていても書架の間を歩き回れる程度には馴染みのあるはずの場所で、しかし感じた事のない疎外感と異質感。

 そしてその理由は、すぐにわかった。彼女の前に広がっていたのは、視界の限りに広がる無数の書架が規則正しく並んだ光景。おかしい、ありえない。いくら図書室が広いとはいえ、果てが見えないほどに書架ばかりが並んでいるはずがない。咄嗟に来た道を振り返って、さすがの彼女も目を疑った。たった今くぐり抜けたはずの扉も、歩いてきた廊下も、そこには存在しない。あるのはただ目の前に広がっていたのとまったく同じ、少なくとも視界の続く限りは並んで見える書架の列。

 

「……妖怪変化の類がこの世にいるのはわかったがね、狐や狸まで出るとは聞いていないんだがな」

 

 耳が痛いほどに静まり返り何ひとつ動くもののない無限の書架の合間に、ぽつり呟いた彼女自身の声が小さく消えていく。次いで周辺を警戒しながら自分の手の甲を全力でつねり、さらに手近な書架から適当な本を取り出して開いてみる……その結果は、どちらもあまり芳しくなかった。手の甲から伝わる鋭い痛みは紛れもなく今が現実だと示していたし、ずっしりと確かな感触を手に感じるその本にびっしり書き込まれていたのは紛れもなく意味の通った文章だった。

 

「アラビア語?千夜一夜物語の原語版か」

 

 適当なページを飛ばし飛ばしでめくり、内容に破綻がない事を流し見で確かめてから元の棚に戻す。以前に彼女が自主的に覚えたアラビア語のテスト代わりにと読み解いたことのある本のため、内容にはある程度自信があった。ただ問題は、そのときに使用した原本は地元で一番大きな図書館の書庫の奥の奥からようやく引っ張り出してきたような年代物であり、間違ってもいち高校の図書室ごときに置いてあるような代物ではないという点を除けば。

 

「ここが図書室ではない、となると……まあ、いいさ。七不思議は後回しだな、これは」

 

 とうとう彼女は、この場に留まっていても仕方がないと諦めた。この空間に迷い込んだ際に、どうやら後輩の彼ともはぐれてしまったらしい。彼を探しつつこのふざけた空間からの出口を探す、そう心に新たな目標を決めてとにかく歩いてみる事だと一歩を適当に踏み出した、その時。

 

「はじめまして。あのう、ごめんなさい、びっくりしちゃいました……よね……?」

 

 いかにも気弱そうなおどおどした女性の声に、しかし遊ヶ﨑の反応は素早かった。針一本転がってもその音が響き渡りそうなこの静寂の空間で、自分の背後をこうも簡単に取る?それが異常事態だと躊躇なく言い切れる程度には彼女は自身の感覚に自信があった。大きく前に跳んで距離を取りながら空中で体を捻り、デュエルディスクを構えての臨戦態勢で声の主と向かい合う。

 

「ひ、ひぇ……」

 

 そこにいたのは、今にも泣きそうな顔つきの女学生。それも遊ヶ﨑と同じ、日置高校のセーラー服姿の女子高生だった。背中まで伸びた艶のある黒髪に、どこか小動物めいた印象のおどおどした表情と大きめな丸い目を強調する丸眼鏡。それらの特徴にふとピンとくるものを感じ、警戒は解かないまま鋭い目で問い詰めようと口を開く。

 

「君は……まさか」

「あ、やっぱりわかっちゃいますよね。私、ここの図書室で幽霊やらせてもらっている者です。あのう、突然で失礼ですけど一度、お話を聞いてもらえませんか?」

 

 頼みもしないうちからおずおずと、両手を肩の上まで伸ばしてのホールドアップ。まるで毒気のない態度に、感じない敵意。見る限りそこに演技の色はなく、普段ならば遊ヶ﨑もこの段階でガードは大幅に下げていただろうが、今回ばかりはそうもいかなかった。いまだこの場所が何なのかもわからず後輩がどこに行ったのかも掴めない現状、推定その下手人をほいほい信用できるほどおめでたい頭はしていない。

 だが、仮に目の前の彼女がこの場所と後輩の彼の行方を知っているのであればあまり無下にもできないのもまた事実。全身を緊張に張り詰めさせたまま頷いた彼女に、目の前の女はあからさまにほっとした様子で表情をふにゃりと和らげた。

 

「よかったぁ……あのう、本当にごめんなさいね、こんな真似しちゃって。ええっと、とりあえず、今あなたが見ているこの場所は私の作った幻覚の世界です。さっきあなたが開いた本も、あなたの記憶から読み取った適当な一冊の内容が書いてあったと思います……」

「それが君の持つ七不思議の特別な力、かい?しかし今回はいつにもまして何でもありだな、タネが割れても本物にしか感じられないが」

 

 少なくとも、この言葉は嘘ではない。そう直感し、視界の隅に図書室の幽霊を自称する女の姿を収めながら改めて周りをぐるりと見回す。幻と知ってなお書架のひとつひとつ、そして蔵書の一冊一冊に至るまで目に映る全てが現実そのものの質感や古びた本の匂いをもって彼女の周りを取り囲んでいる。

 幻覚を現実に見せかけるという点では、なるほど確かにあのピアノの幽霊の見せた技とも似たところがある。あるが、彼女の幻覚があくまでソリッドビジョンありきかつきっかけさえあればすぐに破綻するものだったのに対し、目の前の相手はまだデュエルディスクすら装着しておらず、しかもその幻はいくら触れてもそうとわからないほどに、触覚や嗅覚さえも完全に欺いて……怪異としての明らかな格の違いを前に、より一層警戒が増す。

 

「どうしても、この時間が欲しかったんです。あなたとふたりでお話しする時間が……これだって、いつまで持ちこたえられるかはわかりませんが」

「お話?君と?」

「はい、あなたとです。だってあなたと私は、とっても似ているから」

「……?」

 

 あまりに想定外の、そして彼女の出した結論からすれば見当違いどころか真逆の極みを行くような女の言葉に皮肉のひとつも口に出来ず、完全に固まる遊ヶ﨑。しかし当の本人はそんな不可能をあっさりと可能にしておきながら、何に焦っているのか懸命に言葉を紡ぎ続ける。

 

「私は失敗しちゃったから今こんな幽霊(こと)になっちゃったけれど……せめてあなたには、私の分までうまくいってほしいんです」

「待て待て待て、待ってくれ。少しばかり君と私では、何か決定的なところで話が合っていない気がするのだが……?」

「ごめんなさい、私も本当はもっと詳しい話をしたいんですけど、それはできない理由があるんです。だからせめて、私にできることをします!」

 

 ここに至ってもまるで話の先が読めない遊ヶ﨑に対し一方的に覚悟の決まった声で叫び、書架のひとつに右手を添える図書室の幽霊。するとその書架に収められていた無数の本がバサバサとひとりでに浮かび上がり、ページを開いて彼女の右腕に重なり合っていく。そして数秒後にそこにあったのは大量の本の表紙や背表紙、ページが複雑に組み合わさってできた異形の、しかし紛れもなくそのシルエットはデュエルディスク。

 

「ごめんなさい、ちゃんと説明できなくて本当にごめんなさい。でも、あなたには私と同じことにだけはなってほしくないから。このデュエルが終わったら、この幻も解きますから」

「フン。私が言うのもなんだが、デュエルをすればわかり合えるというのはカードさえ手にすれば説明を放棄していいという意味ではないのだぞ……だが、先ほどのまるで要領を得ない話よりはずっとシンプルな世界になったな。とにもかくにも、戦えば君は満足してくれるんだな?大変わかりやすくて結構なことだし、わかりやすいのは私好みだ」

 

 想定外の事態ばかりが起きているが、理由はどうあれ結局はカードで決着(けり)を付けるというのならば、元より彼女としても望むところ。遊ヶ﨑もまた自身のデュエルディスクを構えなおしながら、最後に気にしていたことをひとつ。

 

「……ところで、ひとつ先に言っておこう。これは警告であり、宣告でもある。私と共にここに来た、後輩の彼だが?もしあまり手荒な真似をしているというのなら、私としても多少は君への態度を変えざるを得ない。ゆめゆめ覚えておきたまえ」

 

 剣呑な目線から放たれる冷たい怒気を孕んだ言葉に、しかし図書室の幽霊の反応は意外なものだった。いかにも気弱そうな風体や態度に反しいかにも柄の悪い遊ヶ﨑に対し震えるどころか、諦め混じりの悲しげなため息。

 

「……彼は今、この幻の最奥にいます。私の持てる力の限りを尽くした、何重もの幻覚の底の底。それでも、彼は私たちを……ううん、あなたのことをすぐに見つけるでしょう。私の力じゃ、いくら肉体を失って七不思議になっても時間稼ぎが限界。だけど、その前に少しならあなたとふたりっきりで時間が取れるはず。それが、私はどうしても欲しくって」

 

 謎めいた言葉を、しかし聞き返す前にキッと前を向く図書室の幽霊。話は終わりとばかりに向かい合った左手でカードを引き抜く時間に追われているかのような……いや、事実彼女は自分の言葉通りに少しでも急いでいるのであろうその様子に、遊ヶ﨑もそれ以上の追及を諦めカードを手に取った。

 

「「デュエル!」」

 

「先攻は私ですね。では最初に、レッド・リゾネーターを通常召喚。このカードの召喚時効果により、手札からレベル4以下のモンスターを特殊召喚します」

 

 レッド・リゾネーター ATK1200

 リブロマンサー・ファイア DEF1800

 

 揺らめく炎の音叉使いが呼び寄せたのは、無限に広がる書庫の中の一冊の本。分厚い背表紙のそれが音波を浴びるとカバーが外れ、隠されていた大判のアメリカンコミックがパラリとページをひとりでに開く。するとその中から、サングラス姿の赤髪のヒーローが勢いよく飛び出してきた。

 

「リブロマンサー・ファイアが特殊召喚に成功したことで、効果を発動しますね。デッキから仲間のリブロマンサー・デスブローカーを手札に加えます」

「【リブロマンサー】、そしてサーチ先は儀式モンスター……となれば、先んじて潰させてもらおうか。ドローフェイズ以外で相手の手札にカードが加わったこの瞬間、ドロール&ロックバードを捨てて効果を発動。これでこのターン、私たちは互いにデッキからカードを手札に加えられないわけだ」

 

 サーチに次ぐサーチでその大量展開と継戦力を担保する【リブロマンサー】の特性上、ほぼターンスキップにも等しい効力を発揮する手札誘発。しかしテーマの特性上大打撃となるはずのカードを受けてなお涼しい顔の幽霊に、やはりと遊ヶ﨑はむしろ納得するものを感じていた。一切のサーチを封じられたにしては、あの落ち着きようは不自然すぎた。

 となるとむしろ、嫌がらせ程度にはなる(・・・・・・・・・・)が致命傷には遠い(・・・・・・・・)からこそのあの態度と考えた方がよほど納得がいく。

 

「儀式でない側のリブロマンサーは本来、手札の儀式モンスターを見せることにより無条件で特殊召喚できる効果を共通効果として持っている。にもかかわらず、君は……」

「そう。私はこのデッキに展開能力を持つレッド・リゾネーターを入れてまで、下級リブロマンサーを展開するための要員を増やしました。つまり」

「つまり、君のデッキに存在する儀式モンスターは一般的な構築、私の想定より遥かに少ない、と。そしてその枠で、何か……さて、どんな禄でもない事を目論んでいるのやら」

 

 互いに相手の言葉を継ぎながら、確認するかのようにひとつの結論を導き出す。ほら、似た者同士でしょう?と言わんばかりにはにかむ図書室の幽霊に苦笑で返し、しかしすぐに表情を引き締める。

 目の前の相手が遊ヶ﨑自身と同タイプのプレイヤーということは、現状は【リブロマンサー】のように見えるあのデッキにも彼女の【P.U.N.K.】のような初見殺しのギミックがいくつ入っているのか知れたものではない。たった4000のライフを削りきれば勝利できる……そんな基礎ルールに支えられているからこその、元来のテーマギミックを飛び越えた理外からの飛び道具。彼女の得意とする構築時点からすでに始まっている奇襲戦法が、今まさに彼女自身に対し牙を剥こうとしていた。

 

「レベル4のリブロマンサー・ファイアに、レベル2のレッド・リゾネーターをチューニングします。シンクロ召喚、ドロドロゴン!」

 

 ドロドロゴン DEF2200

 

「そして手札から儀式モンスター、リブロマンサー・デスブローカーを相手に見せることで、リブロマンサー・エージェントの効果を発動。このカードを特殊召喚しますよ」

 

 リブロマンサー・エージェント DEF2500

 

 図書室の床の一部が前触れもなく泡立ち、ぐずぐずに崩れ、その中央から泥だらけの不定形なドラゴンがにゅっと姿を現す。その衝撃で書架のひとつからまたしても一冊の本がバランスを崩して落下するが、しかしその途中でそれを掴み拾い上げる腕が闇の中から現れる。本を片手に抱えたコート姿の男と、その横にひっそりと立つ赤いマフラーにハット姿の怪人のふたり組。

 

「リブロマンサー・エージェントの効果を発動します。私の墓地から同じリブロマンサーのファイアを対象に、選んだカードを私の手札に戻しますね」

 

 図書室の幽霊の手札には先ほど加え今改めて見せられたデスブローカー、そして回収されたばかりのファイアが割れているが、それを抜きにしても未知のカードがあと2枚。サーチもドローも封じられているとは思えない滑らかな動きだが、あそこで止めていなければ今の比ではない展開が始まっていたのも事実。

 だがそうならなかった仮定の話を畏れるよりも、今の彼女にはやるべきことがある。ドロール&ロックバードによるサーチ封じ……今夜の彼女の狙いは、それだけには留まらない。数少ないあのカードが干渉できない方法である手札増強手段、墓地からのサルベージ。そこへの回答を、既に彼女は持ち出していた。

 

「待った。ドローフェイズ以外で相手の手札にカードが加わったことにより、見えざる手(ヘカトンケイル)ブレアスの効果を発動だ。このカードを手札から特殊召喚する」

「見えざる手……」

「君が私に牙を剥く理由は、実のところ私にはどうもいまだによくわからないのだが。しかし君が牙を剥くのなら、私はこの手でもってそれを抑え付けよう。君が(リブロマンサー)だというのならそのページをめくり、読み終えたら棚に戻してやるところまでが私の両手(ヘカトンケイル)の仕事だよ」

 

 見えざる手ブレアス ATK2800

 

 書架の間を縫うようにして形容しがたい咆哮とともに現れたのは幾本もの鉤爪だらけの腕を灰色の巨体から振りかざす、全身に不気味な蛍光色の球体を浮かべる異界の巨人。あからさまに異様な風体のモンスターを従え、次なる一手を迎え撃たんと身構える。これで展開が終わりなど、ある得るはずがない。

 

「ドロドロゴンの効果を、発動します。シンクロ召喚されている時、このカードを含めての融合召喚を行えます。さらにこのカードを融合素材として使用する際、その名前を融合先に指定されたモンスターの代わりとして扱えますから……」

 

 不定形の竜が持つ融合の力が発揮されると同時に、その泥に包まれた姿形が新たなモンスターを模したものへと変化していく。翼は引っ込み、四肢は細くなり、首は伸び。さらにその背には、明らかに人の上半身を模した部位が盛り上がっていく。

 

「召喚条件は、烈日の騎士ガイアブレイズ(ドロドロゴン)及び私のフィールドで表側表示のモンスター1体。朝日と共に駆け抜けて、快晴の空に勝鬨を上げ、落日に向かい去っていく。来て、絵本に夢見た白馬の騎士様!融合召喚、熾天の騎士ガイアプロミネンス!」

 

 熾天の騎士ガイアプロミネンス ATK3500

 

 浄化の炎を纏った白馬の騎士が書架の間を凄まじい速さで駆け抜けて、しかしその身に宿した炎は辺り一面の本をただ一冊も焼くことなく。一切のドローとサーチを封じられた図書室の幽霊がこの場を任せ託したのは、大地の穢れを焼き尽くす太陽の騎士だった。

 

「最後にカードを1枚伏せて、ターンを終了します。さあ、来てください。そして見せてください。あなたの全てを、私に!」

「その熱烈なラブコールには痛み入るが、ご期待に沿えるかどうかは返答しかねるね。だが、私の方も負ける気は毛頭ない!私のターン、ドロー!」

 

 絵本から飛び出てきたような騎士と異本から這い出てきたような怪物が、辺りを包む幻影の図書館でそれぞれの使い手を挟み睨み合う。攻撃力ではガイアプロミネンスが上を行くものの、幻想魔族であるブレアスは自身の介在するあらゆる戦闘によっての戦闘破壊という結果を発生させない特有の能力を持つ。相手モンスターの頭数を殴って減らせないというデメリットにもなるが、今の状況ではむしろ戦闘破壊されないメリットの方がやや大きい。

 

「(では、このままブレアスを盾に場固めに専念するか?)」

 

 一応、それも可能性として考慮はする。幻の奥深くに囚われている後輩を一刻も早く助けたいという感情を無視してもあまり遊ヶ﨑好みのやり方ではないが、すでに相手の展開ルートも、採用カードも一般的な【リブロマンサー】からは大きく外れている。そんな邪道のデッキを前に、初見殺しを食らうリスクを避けたいのもまた事実。

 そして本来ならば儀式モンスター、そしてリブロマンサー・ファイアが相手の手札に揃っている今の状況でそんな悠長なことを言い出すのは愚の骨頂だが、今ならばあながちそうとも言い切れない。

 

「なんにせよ、まずは……」

「スタンバイフェイズ、先にこの伏せカードを使わせてもらいますね。見えざる手ブレアスの起動効果は、ランダムに相手の手札1枚を確認してそれがモンスターならば自身の場に特殊召喚できる強力なもの。もしもこの3枚の手札からリブロマンサー・ファイアを引き当てられたら、大きく戦況は傾く……ですよね?」

「さすがに読まれていたか。それで?ドローソースで『外れ』を増やすかい?それとも召喚できるモンスターを捨てて、私にとっての『当たり』を減らすのかい?」

 

 単調だがシンプルに強力な動きは、しかし単調ゆえに読まれやすい。もし儀式モンスターのリブロマンサー・デスブローカーを選んでしまったら、あるいは最後に残った方の手札が魔法か罠だったなら実質不発に終わるリスクを考えても、なお使い得であり通った場合のリターンは計り知れないハンデスの可能性を秘めた強力な一手。しかしブレアスの効果を使えるよりも早く表を向いた図書館の幽霊の伏せカードには、その内容についてある程度の予想を立てていた遊ヶ﨑もさすがに眉をひそめた。

 

「速攻魔法、烙印開幕、です!このカードは手札1枚を効果で捨てて、デッキからデスピア1体を守備表示で特殊召喚します」

「……対応手段はない、通すとも」

「では……」

 

 そして墓地に送られたカードは、予想に反し唯一残っていたまだ見ぬ手札1枚。そのカードを見た彼女が、今度こそその意図に気付いて目を見開く。

 

「では手札からレベル4モンスター、風化戦士(ウェザリングソルジャー)を墓地に。そしてデッキからは、烙印の道化アルベルを特殊召喚します!」

 

 烙印の道化アルベル DEF0

 

 佇む騎士の隣に大仰な一礼と共にどこからともなく現れる、仮面で顔を隠した道化。呻く彼女を前に、チェーンが組み上げられていく。

 

「そして道化アルベルの効果と、風化戦士の効果を発動します。風化戦士が効果で墓地に送られたことで通常魔法、化石融合-フォッシル・フュージョンを。アルベルが特殊召喚されたことで永続魔法、烙印の命数(セントラル・ドラグマ)を。それぞれデッキから手札に加えます!」

「……やってくれたな!」

 

 一声、呻く。サーチに次ぐサーチで、図書室の幽霊の手札は4枚。風化戦士はブレアスの効果で特殊召喚が可能だったことを考えると、先ほどまで66パーセントで引けるはずだった「当たり」の確率は、たった1枚の伏せカードによってわずか25パーセントにまで落ち込んだことになる。

 だが、遊ヶ﨑が表情を変えた理由の本質はそこではない。ようやく全貌の見えた対面するデッキの、その殺意の高さが露となったことにだった。

 

「……墓地の素材を用いて専用の融合召喚を行う、化石融合。そして烙印の命数。その効果は私もよく知っているとも。なかなかに面白いカードだ……ひとつ、魔法カードの効果によって儀式モンスターを特殊召喚した際、自分か相手のエクストラデッキからカード1枚を墓地に送る」

「そしてもうひとつ。魔法カードの効果によって融合モンスターを呼び出した際、そのモンスターは一時的に攻撃表示モンスターに対してしか攻撃できなくなる代わりに攻撃力が倍となりますよね」

 

 儀式モンスターとリブロマンサー・ファイアが既に手札に存在する事で、遊ヶ﨑が妨害を用意するかブレアスの効果でファイアを引き当てることができなければひとつめの効果は既に条件を満たしているも同然。そしてふたつめの効果によって、化石融合が墓地リソースから叩き出すいずれも戦闘に特化した能力を持つ融合モンスターは攻撃力が倍になる。本来その性質上、より強い融合を行うには墓地に高レベルモンスターが必須となる化石融合だが、その素材は烙印の命数によって確実に担保される。

 では、攻撃に備えて守備表示の壁を並べてターンを回したら?その場合でも簡単だ、烙印の命数の効果を使わなければいい。化石融合によって呼び出されるカードには、貫通能力を持つカードも数多い。そして極めつけは、今の手札状況ならば間違いなくその過程で呼び出される直接攻撃能力を持ったリブロマンサー・デスブローカー……その噛み合い方によっては、たとえ彼女のライフが倍の8000あったとしても一瞬ですべて持っていかれかねないほどの瞬間火力。

 手緩い真似をしたら次のターンにあなたは死にますと言わんばかりの死刑宣告を前に、さしもの遊ヶ﨑も冷たい汗が首筋を伝う。それでも不敵に唇の端を歪め、彼女は笑い飛ばした。

 

「ターン制限付きの詰めデュエル、というわけか?面白い。だが、君の理論には弱点があるな。まずはこのブレアスで、75パーセントの確率を引いてから吠えてもらおうか!メインフェイズに入り見えざる手ブレアス、その起動効果を発動だ!」

 

 仁王立ちで大口を開き、喉らしき器官の奥から威嚇するような聞くに堪えない異音を放ったブレアスの無数の手のうち一本がみちみちと有機的な音を立てて伸び、図書室の幽霊が掲げる4枚の手札のうち1枚を鷲掴みにして引っ張り上げる。ここでリブロマンサー・ファイアさえ引き抜いてしまえば、次のターンでの儀式召喚が不確定となることでまた大幅に話は変わってくる。

 前提条件をひっくり返すための、祈りの一手。ランダムに選ばれたカードが、ひどくゆっくりと表になって公開される。

 

「あなたの選んだカードは……」

「烙印の、命数……!」

 

 しかし、祈りは通じなかった。そこにあったのは、無情にも1枚の永続魔法。常に無理を通し道理を引っ込ませる彼女らしくもない、不利な賭けによる順当な敗北。これでもう、イージーウィンの可能性は消え去った。このターン中に勝てなければ、もはや彼女の敗北は必須。

 

「見ての通り、私の手に妨害の手段はありません。ガイアプロミネンスは相手の手札か墓地で発動したモンスター効果を無効にできるけれど、それをするためには手札コスト1枚を払わなければなりませんので」

「コンボパーツは捨てたくないから、よほどのマストカウンター以外には使ってこないというわけかい?」

「それもあります。でも私が見たいものは、欲しいものは、あなたの本気なんです。ここまで七不思議を攻略してきたあなたの力、私に直に見せてください」

「熱烈なことだ……結構、好きにしてくれ」

 

 状況を整理する。3500もの打点と言及された通りの効果を持つガイアプロミネンスに、さらにその守りを堅牢なものとする烙印開幕の墓地効果……融合モンスターに対する効果破壊への、一度きりの身代わり。それらを乗り越えたうえで、唯一許されるのは後攻ワンターンキルただひとつ。では、それは可能なのか?

 ……結論から言えば、それは可能である。彼女が持ち込んだのが通常の【ヘカトンケイル】ならば、短期決戦よりもどちらかといえば中長期でのリソース戦を得意とし、相手の全てを救済し(うばいとっ)ての物量戦による圧殺を本懐とするこのテーマには些か荷が重い詰めデュエルだったろう。しかし、これは。

 

「これは私の、他ならぬこの遊ヶ﨑舞のデッキなのでな。私の組むデッキは全て、私の要求全てに応えられるようチューニングが施してある。ガイアプロミネンス?結構、ならばその効果を使わせずに倒してくれる!」

「大きく出ましたね……!では、来てください!」

「いいだろう、まずはこのカードだ!永続魔法、魅惑の舞(アリュール・ダンス)!このカードは発動時の効果処理として、魅惑の女王(アリュール・クイーン)またはこのカードを手札に加えることができる。フィールド魔法、魅惑の宮殿(アリュール・パレス)!」

 

 瞬間、幻影の図書館の様子が変化した。床だった場所は一面の白い砂漠の奥底へと呑み込まれ、墓標のように書架だけが変わらず立ち並ぶ。そして、変化はそれだけに留まらず、白亜の宮殿が砂漠を揺るがし地中からせり上がる。幻想魔族たるブレアスには何の変化も起こらないが、本来そこは自陣の魔法使いであればその攻守を500上昇させる女王の領地。

 

「魅惑の宮殿は1ターンに3度まで、手札を墓地に送ることでデッキからその主である魅惑の女王をサーチ、または相手フィールドに特殊召喚できる。私はこのオルターガイスト・メリュシークをコストに、混沌なる魅惑の女王を手札に加えよう」

「サーチ、ですか?リクルートならならガイアプロミネンスには止められませんし、戦闘で相手モンスターを破壊しないヘカトンケイルを並べて出せば私のライフを減らし続けられるのに……」

 

 宮殿の入り口から堂々と歩いて現れ手札に加わった女王を前に、困惑したように呟く図書館の幽霊。しかし褒められた当の本人はそれが気に食わなかったのか、チッチッと指を一本立てて横に振る。

 

「おいおい君、何を言っているんだい?」

「え?」

「ガイアプロミネンスを倒せません、だから横に攻撃力が低いのを並べてタコ殴りにします。実戦的ではあるが、あまりにも片手落ちというものだろう。本気でやれと言ったのは、とにかく君の方なんだからな。お望み通り正面から君のご自慢の騎士様を打ち破ったうえで、かつ後攻ワンターンキルを決めてやろうじゃないか。そもそも送り付けは、本来私がこのデッキで想定していた挙動ではないよ」

「でも、ガイアプロミネンスを倒して?そんなことが……」

「私はね」

 

 何か言いかけた言葉を遮り、強い口調で言い放つ。

 

「昔からずっと上から目線で試されるような真似はどうにも我慢できないし、不可能なことを口にするのは嫌いな性分なんだ。そのうえで、今ここに改めてはっきりと宣言させてもらおう。このデュエルは、私が完全勝利する。私と共に来た彼のことも、君の幻覚から解放してみせよう。そして君を打ち破った末に残る、私の野望はただひとつ。日置高校(うち)に細々と伝わる、学校の七不思議……この私がまだ見ぬ七つ目も含め、根こそぎ調伏してくれる!」

 

 気高く顔を上げて張り上げたその声には、六番目の七不思議を前に真っ直ぐ目を見つめて啖呵を切ったその瞳には、些かの揺らぎも不安もない。いかに単騎とはいえ耐性持ちのガイアプロミネンスを突破して、ワンターンキルを決めると言う。いまだ正体も見えず、調査の芽も掴めない最後の七不思議も含め、すべて自分の手で終わらせてみせると言う。

 不可能だ、無理がある……そう返すことは容易い。しかし、それを許さないだけの何かが彼女にはあった。現実も道理も超越した、脈絡も根拠もないはずなのに感じる確固たる自信と、それを他者にまでも信じさせるような何かが。

 何か言いかけた図書室の幽霊が、そっと目を閉じ口をつぐむ。そして再びその目が開いた時、その口元にはどこか肩の荷が下りたような微笑みが浮かんでいた。

 

「手札のスクラップ・シンクロンはシンクロンの名を持つチューナー全ての代用品となり、さらにその場合手札から自身をシンクロ素材とできる。レベル7の見えざる手ブレアスに、レベル1のスクラップ・シンクロンをチューニングだ」

 

 自身の効果が不発に終わり【ヘカトンケイル】としての展開ルートが断たれても、異形の怪物にはまだするべきことがある。2体のモンスターが空高くで交わったのち、天より勢いよく降りてきて大量の砂を巻き上げ砂漠へと着地したのは人間大のひとつの影。ゆっくりと起き上がるその中央で、真っ赤な両の瞳が丸く輝いた。

 

「ここは祭りの大舞台。天を割り、地を砕き、人を導くは鉄の意志。その熱狂に身を任せ、見えざる拳を振り上げるんだ!シンクロ召喚、レベル8!ジャンク・ウォリアー・エクストリーム!」

 

 ジャンク・ウォリアー・エクストリーム ATK2900

 

「そしてこの瞬間、エクストリームの効果を発動しよう。このターン中にあと1回しか特殊召喚を行えなくなるが、墓地のレベル2以下のモンスター全てを特殊召喚できる!そして当然その中でも魔法使い族には、魅惑の宮殿によるバフが乗ることになるな」

 

 ドロール&ロックバード ATK0→500

 オルターガイスト・メリュシーク ATK500→1000

 スクラップ・シンクロン ATK700

 

 屑鉄の戦士が地表から砂漠を踏みしめ天高くに掲げた腕は、一本。しかしその腕に沿うようにして、拳を握り締めた新たな腕が突き上がる。さらに、一本。そしてもう一本。

 

「永続魔法、憑依覚醒を発動。私のフィールドに存在する全モンスターの攻撃力は、その属性の種類につき300アップする。そして私のフィールドに存在する属性はエクストリームの闇、ドロール&ロックバードの風、メリュシークの水、そしてスクラップ・シンクロンの地!」

 

 ジャンク・ウォリアー・エクストリーム ATK2900→4100

 ドロール&ロックバード ATK500→1700

 オルターガイスト・メリュシーク ATK1000→2200

 スクラップ・シンクロン ATK700→1900

 

 掲げた腕のひとつひとつに、さらなる力が湧きあがる。狂える信徒も、哲かれし賢人も、蒙昧の愚者も、そこには関係ない。一本の巨大な見えざる手が、立ち向かう全てを正面から包み込もうとしていた。

 

「バトルフェイズだ。まずはエクストリームで、デスピアの道化アルベルを攻撃!」

「アルベルは守備表示。ダメージはありません、が……」

 

 ジャンク・ウォリアー・エクストリーム ATK4100→デスピアの道化アルベル DEF0

 

「ああ、そうだとも。そして相手モンスターを戦闘破壊したこの瞬間、エクストリームの装甲をパージする事で更なる効果を発動しよう。戦闘で相手モンスターを破壊したエクストリームは自身を除外する事で、エクストラデッキからジャンクの名を持つシンクロモンスター1体をシンクロ召喚扱いで特殊召喚することができる」

 

 上空高くに飛び上がって、落下の加速を増して振り下ろされた拳が不気味な哄笑と共に踊り狂う道化を正面から叩き潰す。その衝撃で風が乱れ砂塵が舞うが、それだけでは終わらない。なぜならば、そこに腕はもう一本あるのだから。屑鉄の重装甲が音を立てて一斉に外れ落ち、身軽になった戦士が背中のバーナーを噴かせて加速する。

 

「人々の歩み、進化の扉の奥より未来を掴む真打の登場だ。鋼と拳と徒手空拳をもって、未来への一歩を歓迎してくれ―――――ジャンク・ウォリアーっ!」

 

 ジャンク・ウォリアー ATK2300→3200

 

「このカードは元々攻撃力2300と、憑依覚醒によるアップ数値を考慮してもなおガイアプロミネンスには届かない。だがこのカードがシンクロ召喚に成功した時、効果発動!その攻撃力に私の持つ、レベル2以下のモンスターの攻撃力の数値全てを加算する!さあ、このまま最後の攻撃だ!」

「……!」

 

 たったひとりの戦場で炎を纏い槍を掲げて立ち向かう太陽に、ジャンク・ウォリアーの拳を中心としてその全身を包み込むようにして形成された半透明の巨大な拳が唸りを上げる。両者の激突は一時拮抗するも、人馬一体でただ突き進む騎士のそれに対し屑鉄の闘士のそれは背後で天高くに突き上げられたいくつもの拳に支えられ……なおも増していくその勢いはついに、強大な騎士のそれを上回った。

 

 ジャンク・ウォリアー ATK3200→9000→熾天の騎士ガイアプロミネンス ATK3500

 図書室の幽霊 LP4000→0

 

 

 

 

 

「ざっとこんなところか。ワンターンキル、兼ワンショットキル……妨害もなく動かないと知れた相手なら、いくらでもやりようはある。さて、今のがご所望通りの本気だったわけだが。君のお眼鏡にはかなったかな?」

 

 ソリッドビジョンが消えていき、同時に周りの風景も本来あるはずの図書室に戻り……はしなかった。砂漠も宮殿も消えてなお、視界のどこを見渡しても無限に書架が続く図書館の幻影は消えていない。不愉快そうに眉をひそめつつも距離を詰めて問いただす遊ヶ﨑に、敗北した幽霊は気弱な笑みを浮かべた。

 

「は、はい……えへへ、ほっとしましたよ。あなたなら、きっと大丈夫。私みたいには、失敗しないって。それより早くしないと、見つかっちゃう……あの、これ。受け取って、くれますか」

 

 そう言っておずおずと差し出された手の中の物を、ひょいと掴み上げてしげしげと観察する。何の変哲もない、いかにも安物そうなシンプルなつくりのガラス玉のネックレス。手編みらしい紐に繋がれて首から掛けられるようになっている、ビー玉サイズの透明な代物だった。

 

「……これは?」

「あなたへのお守り、です。本当にどうしようもない時に、一度だけ助けになってくれるはずです」

「ふーん……?」

 

 胡散臭いという内心は隠そうともせず、しかし彼女はそれを大人しく受け取った。相手が勝手に渡してくる貢物は、決して受け取りを断らない主義だ。

 

「と、そんなことより。まず、彼の身の安全だ。それと、最後の七不思議。君の知っていること全て、洗いざらい話してもらおうか」

 

 急に渡されたガラス玉のネックレスからは気持ちを切り替え、胸倉を掴み上げんばかりの剣幕で凄む遊ヶ﨑。しかし涙目になって目を伏せながらも、図書室の幽霊は首を横に振った。

 

「ごめんなさい、それはできません。だって七不思議は(・・・・・)まだ完成していない(・・・・・・・・・)んです」

「何……?なあ、それはどういう意味だ?もうそろそろ、私を蚊帳の中に入れてくれたっていいだろう。きっと理解してみせるから、まずは君から説明してみてくれないか」

 

 異様な言葉に、その真意を掴めず困惑する遊ヶ﨑。学校の七不思議の核心を、この幽霊は知っている。その楽観交じりの予感は、もはや確信になっていた。そして図書室の幽霊も、それに頷いて語り始める。彼女の知らない、真実を。

 

「私はかつてこの学校の生徒として、あなたのように学校の七不思議を調査していました。そして二つ目の七不思議、『深夜の音楽室でひとりでに鳴るピアノ』と六つ目『図書室に潜む幽霊』の怪異を見つけ、その方たちに成仏していただくことにも成功したんです……それが、まずかったんですけど。おかげで、目を付けられちゃいました」

「目を付けられた?いや、それよりもピアノの怪異だと?なあおい、それは私が……」

「あなたが解決した『ピアノを弾く幽霊』は、二代目です」

「なっ……!」

 

 さらりと語られた真実に、言葉が詰まる。声も出ない彼女の耳に、図書室の幽霊がまるで何かに追われるかのように必死に語る言葉だけが届く。

 

「あなたもよく調べたみたいですけど、本来あの七不思議は『誰もいないのに(・・・・・・・)ひとりでに鳴るピアノ(・・・・・・・・・・)』でした。それがある年以降、『深夜にピアノを弾く(・・・・・・・・・)半透明の幽霊(・・・・・・)』へと移り変わった……あなたはそれをある年誰かが勇気を持って音楽室の中を覗き込み、半透明の幽霊が演奏していたのを確認してからより具体的な話になったと受け取った、そうですよね?」

 

 質問と言うよりも確認の言葉に、表情を硬くしたまま無言で頷く。確かにある時期からの七不思議の変節については彼女も気が付いてはいたが、情報の精度が増したのをそのまま引き継いで語られてきたのだろうとまるで気にも留めなかった。まさかその中身が丸ごと入れ替わっているなどとは思いもせず、疑いもしないままに。全てを疑え……手長の兄から送られた言葉が、今更ながらに蘇る。

 

「でも実際には違います。あそこのピアノは、私が解決したことで空席となった七不思議をよく似た……そしてより力の強い怪異で埋めるため、あの教育実習生の方は犠牲になってしまった。あの方は、私が手をかけてしまったようなものです」

 

 そう言って辛そうに目を伏せ、肩をわなわなと震わせる幽霊。嘘を吐いている様子は、ない。理性ではそう判断するも、何か根本的なものが足元で崩れたような、そんな気がしてならなかった。そして、その奥に隠れてこれまで見えなかった真実がついにその姿を見せ始めているような。

 ごくり、と唾を飲み込む音がする。それが自分の発した音だと気付くのに、少し時間がかかった。

 

「もう一度、調べてみてください。あなたもその存在はご存じのはずですが……怪異の力で目を逸らされていた真実が、今なら見えるはずですから。手に入る情報はすべて真実、ですが矛盾している。あの方の死亡したのは、私と同じ年。ここ数十年と、七不思議の歴史の中では比較的最近のことです。それよりも前から二つ目の、そして六つ目の七不思議は存在しています」

「では、君も?」

「はい。私も、ここの七不思議としては二代目です。私が七不思議の解明に手を付けたあの年まで、『図書室の幽霊』は今の私よりもずっと力の弱い、小さな子供の霊でした。たまたま私と同じように本が好きで眼鏡をかけていて、黒髪で左利きの女の子……だから力及ばず殺された私の魂は、誰も疑うことなくこの位置にそのまま収まってしまいました」

「……殺された、だって?」

 

 残された遺書、そして第三者の関与を否定する状況証拠。彼女が手に入れていた情報は、本人の口によってまたもひっくり返される。

 

「私もうかつでした。今も忘れないあの日の夜、学校に忍び込んで図書室のあの子を見送って心が緩んだ隙に、あの怪異の力をまともに受けてしまって。帰る前に図書室から飛び降りて(・・・・・・・・・・)自殺するのが常識(・・・・・・・・)だと、あの瞬間の私は信じたきり全く疑えなかった。だからそのまま、それを実行してしまいました」

 

 寂しそうに遠い目をして、遠い昔を思い悲しげな微笑みを浮かべる図書室の幽霊。

 

「それからここに来る生徒たちのお手伝いをしていたのは、単なる私の自己満足です。あの教育実習生の方や結局七不思議を解き明かせず解放できなかったこの学校に来る生徒の方々、そして悲しませてしまった両親や友人たちに対する、何の慰めにもならないせめてもの罪滅ぼしに過ぎませんが」

 

 淡々と語られるその過去に、一体どれほどの悲しみと後悔があったのか。さしもの遊ヶ﨑も、その重みには何も言えなかった。

しかし感傷に浸っていたのも束の間、すぐにまたその目に焦りと決意の光が灯る。

 

「だから、あなたには。この学校の長い歴史でも私に次いでふたりめの、この七不思議を解き明かそうとするあなたにはどうか私と同じ轍を踏んでほしくない。そう思ったから、失礼な真似をしてしまいました。ごめんなさい」

「……いや、顔を上げてくれ。頭を下げるのは、むしろ私の方が筋だろう」

 

 頭を下げる図書室の幽霊に、遊ヶ﨑はもはや怒りを感じなかった。かといってそこにあったのは、安っぽい同情などでもない。

 彼女が抱きその頭を下げさせたのは、ひとえに敬意だった。自分と同じ道を自分よりも早くから手を付けて、自分よりもはるかに未踏の地を力及ばずながらに戦い抜いた先駆者への。その死にざまを経てなお、他者を思いやる事の出来る高潔な精神への。それが、自然と彼女に殊勝な態度を取らせていた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 幽霊の体の内側から、次第に勢いを増して湧き上がる見慣れた光がふわりと昇っては消えていく。時間切れだ。この場に留まり続けていたひとつの魂が、今まさに天に還ろうとしている。

 

「そして、私を死に追いやった七つ目、最後の七不思議についてですが。何もせずとも、あちらの方からあなたに接触してくると思います……私を含めた6つの怪異をすべて調伏させておいて、最後まで何もしてこないなんてことがあるはずがない。何を企んでここまで沈黙を保っているのかはわかりませんが、どうか気をつけて」

「忠告、肝に銘じておくよ。怪異退治の大先輩様」

「ちょっと、もう!やめてくださいよ、それ!」

 

 からかうような言い草に怒るふりをしながらも彼女の知る限り初めて、寂しげな微笑みではなく小さいが心からの笑いを浮かべた図書室の幽霊。そして最後に真面目な顔で、もう一度だけ頭を下げる。

 

「……お願いします、私ができなかったことを。私のやり残したことを。後輩のあなたに押し付ける形になってしまいましたが、どうか」

 

 その言葉を言い終えると同時に、その姿は跡形もなく消えた。同時に主を失った幻影の風景も一斉に歪み、維持できなくなって消えていく。瞬きするほどの間の後、遊ヶ﨑は深夜であるということを除きさえすれば、何の変哲もない図書室の中心に佇んでいる自分に気が付いた。それっきり、『図書室に出る幽霊』の噂は、まるで最初から存在しなかったかのように誰も口にすることがなくなった……ただひとつ彼女の手に残されたチープなネックレスのガラス玉だけが、その話が確かに存在したことの証拠のように非常口の緑色の光を反射して鈍く輝いていた。

 

「……おお、君もそこにいたか。もう大丈夫だ、心配ないとも」

 

 人の気配にふと振り返ると、そこにはノートを手に呆然と立ちすくむ後輩。自分とふたりになりたいからと、今回はとんだ災難な目にあった彼に優しく声をかけるも、その目は彼女ではなくその手にあるネックレスの方へと向いていた。訝しげなその視線に、彼にもその権利はあるだろうと肩をすくめてガラス玉を見せてやる。

 

「うん?ああ、これか。今しがた、ここの七不思議から貰った戦利品だ。私へのプレゼントらし……あ、おい!」

 

 あまりに咄嗟のことに、反応が一手遅れた。ネックレスの出所を聞いた瞬間に表情を変えた後輩がいきなりそれを奪い取って床に叩きつけ、全力でそれを踏み壊したのだ。最初の踏みつけでバラバラになったそれを、さらに何度も執拗に怒りらしきものを込めて粉々にしていく。

 

「なあ、君……」

 

 奪い取られる拍子に切れた紐の部分だけを手にした彼女も、一時はそんならしくもない激昂を見せた彼を宥めようとしたものの、結局は苦い顔で無理もないかと思い返した。図書室の幽霊にも言い分や立場があったのだとは、実際に会話を交わしその言葉を信じた彼女だけにしか知る由もない。

 一方で今回に関してはほぼずっと蚊帳の外にいた彼にしてみれば、いつも通りに深夜の学校についてこさせられたと思えば幻覚とはいえいきなり何の説明もなくわけのわからない空間に隔離され、たったひとりで延々とそこを彷徨っていたのだ。何が起きているのかすらわからない以上、最悪の事態だって現実的な未来として幾度か頭をよぎったとしてもおかしくはない。そこから急に解放された安心感とそれが反転した分の怒り、そして目の前にはその犯人の形見の品。八つ当たりの是非はともかく感情を爆発させるだけの正当な根拠は彼にだってあると言葉を堪え、しかしそれを渡してきた図書室の幽霊のことを思うとやはり渋い顔でそれを見守るしかない遊ヶ﨑。

 結局彼女が再度彼に言葉をかけられたのは、踏み砕かれたガラス玉がもはや完全に粉となって床に薄く広がり、素手では拾い集める事すら不可能になってようやく足を止めてからのことだった。

 

「……気は済んだかい?今回に関しては不問としておくがね、あまりこういうことをするのは私はどうかと思うよ。これだけ散らばられると掃除も難しいだろうし、今日はもうこのまま帰るとしよう」

 

 図書室の掃除は月に一度図書委員によって行われるほかには、利用者ごとに任されている。少しくらい汚れがあったところで誰も気にはしないだろうし、むしろ下手に綺麗にしていく方が余計な印象を抱かせかねない。そう素早く判断し、ひとしきり暴れたせいか肩で息をする後輩の腕を掴んで出口へと引っ張っていく最中、ついでに変な力を込めたせいで破けてはいけないと棋譜ノートを回収して何気なくページをめくる。

 

「(……ん?)」

 

 開いた瞬間に感じた気がした違和感は、しかし具体的に何が変だと彼女自身が気が付く前に夜の闇へと溶けて消えた。彼女自身が過去の七不思議の説明の際に書いてきたピラミッドや棒人間の落書き、そして天馬杯の時のものを含めた計6戦分の棋譜。

 別に、なにもおかしなところはない。きっと刺激的な話を聞いたせいで、感覚が鋭敏になり過ぎているのだろう。それに図書室の幽霊だった彼女の話を信じないわけではないが、ピアノの幽霊に関する情報と例の教育実習生だった彼女の事故の時系列の確認など、しなければならないことだってまだまだ多い。それに、あとひとつ大事なことも残っている。

 そう判断して、急に足を止めた自分を訝しげに見つける後輩へと誤魔化すように笑いかける。

 

「……ああ、いや。なんでもないよ、なんでも。さあ、帰ろうか」




少なくとも今回のこれは【ヘカトンケイル】ではないよなあと思いながら。
一応既出の七不思議ではピアノの幽霊だけ露骨に年代が新しい人なので、そこが伏線……と思っていたら、いっちゃん大事な彼女は怪異の中でも新参者設定はツイッターの方でしか言ってなかった。
どこかの後書きに書いたつもりになっていたよ……。

ともあれ、彼女たちの物語もついに佳境。次回、いよいよ最終回です。
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