便利屋68:3 テラーズ・オブ・ザ・スペクトル 作:まーろう
高速道路をまたぐ陸橋の上に、PMC製の戦車と六人のPMC兵が陣取っていた。親元のカイザーPMCから離反したこの部隊の長は、戦車上部のハッチから上半身だけ出して、眼下に伸びる高速道路の先を見つめている。緊急の報告で、上永レイが便利屋68によって攫われた事が伝えられた。彼女たちは黒いバンに乗って、高速道路を中心街に向かっているという。既に味方車両一台が撃破され、この部隊には便利屋68の逃走を阻止せよという命が下っていた。
戦車に搭載された一〇五ミリのライフルは、足元に伸びている車線の上で獲物の顔が見えるのを待ち構えていた。黒い姿とナンバーが一致すれば、すぐにでも進路を吹き飛ばせる準備が整っている。彼はこの仕事に満足していた。カイザーPMCの上司たちは常に腹の中で企みと答えを持ち、毎日見えない盤上でチェスを繰り広げている。彼らの駒としての役割から逃れて、久しぶりに解放感に浸っていた。それに新たなボスの計画はとても素晴らしいものでもあった。このボスも腹の内の読めないところはあるが、権力と派閥争いの渦中よりはましだった。
「隊長、どうしてゲヘナの生徒たった四人にこんな厳戒態勢が敷かれているんです?」部隊の一人が言った。
隊長は答えた。「情報では少数精鋭でかなりのやり手だそうだ。前理事長の島流しにも関与していたらしい。ボスは奴らをかなり警戒していて、我々をここまで寄こしたんだよ。グラウンドゼロでも奴らの目撃情報があったからな」
「あのレイとかいう女は何者なんです?」
「さあな、だが例の特殊部隊を作るために彼女の力が必要だったそうだ。彼女もあの特殊部隊にひどく執着しているらしい。俺に言わせれば死神博士だがな」
部隊のPMC兵たちはどっと笑った。ちょうどそこへ通信が飛んできた。送り主は航空班のものだった。
「ジュピター、こちらマーズ。バンは予想通りの経路で逃走中。砲撃で足止めしろ、レイは傷つけるなという命令だ」
「こちらジュピター、了解。奴らを仰天させてやる」隊長は通信を切った。「奴らがお出ましのようだ。充分引き寄せてから弾丸を浴びせてやれ。戦車ももっと端に寄せろ」
隊長がそう言った途端、動き出した戦車は急停止して、隊長はハッチから危うく落ちそうになった。
「このぶきっちょめ!」隊長が怒鳴った。
「ち、違います!私はガードレールになんてぶつけていませんよ!」足元から操縦士の声が反響した。
「馬鹿言うなよ。だったらなんでぶつかったみたいな衝撃が──」
幅広のキャタピラーがアスファルトを削った。だが戦車は動いてない。何度もキャタピラーを必死に回転させるが、路面のアスファルトの細かい粒がPMC兵たちの足元に散らばった。
「おい、どうした?」
「何をしてるんだ?」
不審に思ったPMC兵たちの視線が戦車に集まった。
いきなり戦車の前方が浮き上がり始めると、隊長は驚いてハッチの縁に捕まった。何かに乗り上げたみたいに前方が上を向いて、キャタピラーは地面に触れている部分以外が虚しく空転している。随伴するPMC兵たちは持ち上がった戦車の下から、鉄製の足を見た。全員が銃を構えて恐る恐る戦車前方に近づくと、先頭の一人が銃口を向けつつ覗いた。
狼狽した兵士たちが次々に、戦車を持ち上げている何かに向けて銃弾を浴びせ始めた。二メートルにもならない距離で六人が一斉に攻撃をしているが、何かはひるむことなく戦車がさらに急角度に持ち上がる。兵士たちは皆憑りつかれたように射撃を続けたが、とうとう弾が切れると兵士の一人が匙を投げた。
「なんだこいつ──人間じゃない!」勝ち目がないと悟ると、部隊を外れて叫びながら逃げ出した。
だが逃げ出したPMC兵士のすぐそばを影がかすめた。空を切る音をさせて、影は空へ舞い上がる。機械の頭が上を向くと、首から横一文字に切られていた。兵士の足ががくんと折れると、地面に落ちた頭のそばに体が倒れた。
「なんてこった!」
「気をつけろ!」
「あれだ、撃て!」
次々にPMC兵が上を向くと、飛行する影に向かって撃ち始めた。隊長はなんとか取り直そうとハッチから身を乗り出して、地面に滑り降りた。
ブースターの戦闘機じみた音が急接近すると、戦車のすぐそばのアスファルトがはじけ飛んだ。爆発音と炎。隊長が地面に伏せて衝撃をやり過ごすと、先ほどまで応戦していた隊員の体が目の前を通り過ぎて、陸橋の下まで飛んでいった。
頭上を影が通り過ぎて、隊長は我に返った。気が付くと六人いた兵士たちは見えるだけでも三人まで減って、全員が骸と化していた。ばらばらになった部品が散らばっている。
地響きがすると、戦車の前足がようやく地面についた。しかし戦車はもう動かなかった。先ほどの爆発で右キャタピラーが吹き飛び、起動輪がむき出しになっている。ふと戦車前方にいた何かが、ゆっくりと回って隊長の前に姿を現した。
その何かの体は、溶けた黒い鉄で全身を覆われていた。ただれた装甲ボディースーツは腕周りだけ金色と黒が入り混じって、右前腕には機銃の銃身が取り付けられている。頭部も黒い鉄を被ったようだが、目元だけは元の肉眼がのぞいていた。右は血のように赤く、左は満月のように黄色い。隊長にヘイローは認識できないが、中身はキヴォトス人だろうと考えていた。
隊長は身震いした。地響きのような唸りを上げる何かは、地獄から現世に蘇った怪物のようだった。銃撃を一切受け付けず、あっという間に戦車付きの一部隊を壊滅させた何かは、見るからに正気ではない。
空を舞う影の正体も、隊長は自動的に気づいた。人体に機械の羽とジェットエンジンを接続して、さらに誘導ミサイルやグレネードランチャーという戦闘機じみた武装。こちらもやはりキヴォトス人に違いない。高負荷の重力に耐える常識外れの肉体はキヴォトス人である証明だ。だがどちらも普通の人間でないことは明らかだった。
隊長は仁王立ちする何かの前にひざまずいた。抵抗する気はとっくに失せて、上ずった声しか出てこない。機械の体の節々が小刻みに震えて止まらなかった。恐怖とは無縁のはずの機械の体は、長年の戦場での経験でがたが来ていたに違いない。何かの右腕についた機銃が隊長に向けられた。
電子音の荒い息遣い。そして──
「
脳内のコンピュータがはじき出した単語はそれだった。誰に向けられたものでもなく、目の前の事実を簡潔に説明する言葉だった。
「よせ」隊長が言った。「よせ、私は仲間──」
重い銃声が一度した。戦車の主砲のような音だった。隊長の体はゴミみたいに地面に倒れると、既に倒れている三つの廃物に加わった。
陸橋上で動くものはなくなった。隊長の体に取り付けられた通信機が虚しい呼びかけを続けている。黒鉄の女は目もくれず、戦車の右キャタピラーの下へ両手を潜らせると、軽々と戦車を傾けて重量挙げのように頭上へ持ち上げた。ぎらぎらと燃え盛る赤と黄の目は、眼下の高速道路をこちらへ向けて走ってくる黒いバンをはっきりと捉えた。
右足を少し前に出すと、腕を一瞬だけ耳の後ろまで下げる。声にならない唸りを上げると、戦車をバンの進路上に投げ飛ばした。
レイの狂気を目の当たりにしたカヨコは、何かを言おうとして口をつぐんだ。瞬間的に異常を察知すると、すぐに前方へ目をやる。運転席の監視が急ブレーキをかけたのは同時だった。車体の上からハヤテの声がしたが、内容は聞き取れなかった。しかし身に迫る危険を知らせてくれたのに違いはない。目に飛び込んできた光景は想像をはるかに超えたものだった。
出し抜けに前方の道路が暗くなると、深緑の巨体がバンの目の前に出現した。着地した周囲のアスファルトをぶち割って、眼前に落ちてきた戦車は行く手を完全に塞いでしまう。監視はとっさにステアリングを切ると、目いっぱいに踏まれたブレーキがけたたましい高音を発する。かろうじて逸れたおかげで正面衝突は免れたが、スピードが落ちないまま滑り始め、制御を失った。バンはスピンして側面から戦車に突っ込み、勢いで車体右のタイヤが一瞬だけ浮き上がり空転した。
カヨコの体が凄まじい力で車外に引っ張られたが、シートベルトが功を奏して投げ出されることはなかった。運転席の監視も瞬間的に膨れ上がったエアバッグに体をうずめた。だが衝撃でフロントガラスが粉々に割れて、バンパーも持ち上がりひしゃげている。ぶつかる瞬間、後ろから誰のものかも分からない声が聞こえたが、強い衝撃の後でしーんと静まり返った。
しばらく時間が止まった。自分の身を守ってくれたエアバッグから体を起こすと、カヨコは少し唸って頭を持ち上げた。急に強く揺さぶられたことで、のぼせたみたいに頭がじんわりと痙攣している。まず首を動かして、それから手と足が動くかどうか試した。幸いにも体に異常はなかった。状況が飲み込めていないが、カヨコはシートベルをなんとか外して後ろを振り返った。
ようやくまともに座り直したはずの五人は、再び体が投げ出されて積み上がっていた。下敷きになった者の苦悶の声が聞こえる。やはりアルのものだった。意識がはっきりしてくると全員が起き始めて、突然の事態に対処しようと武器を握り出す。
「カヨコちゃーん、無事?」ムツキが声を出した。
「なんとか。そっちは全員大丈夫?」
「一体今度は何なの……頭ぶつけたわ……」床に落ちたままアルが唸った。
「すみませんすみませんすみません!私としたことがアル様にぶつかってお怪我をさせてしまうなんて。この罪は自害して償います、すぐに償いますので」
「なに──何が起こったの?」ハルカとゲッコウもこの状況を理解し始めた。バンは戦車に当たって形がおかしくなっていた。横倒しのハッチが車内までめりこんでいる。今度もレイは隣に座っていたゲッコウに守られていた。
カヨコはフロントガラスを蹴って割ると、土煙の中へ足を降ろした。後ろのドアも横に開くと、ムツキを先頭に次々に這い出してくる。様子はモグラ隊みたいだった。
カヨコはふらつきながらバンから離れて状況を確認しようとした。ようやくバンから顔を出したアルは埃だらけになっている。自分もかなり悲惨な見た目に違いないが、見た目を気にしていられなかった。
土煙が薄くなるとカヨコは絶句した。
自分たちが乗っていたバンの倍以上はある戦車が、道路の中央に横倒しになっている。バンはスピンして戦車に左側から突っ込んだのだ。めり込むようにひしゃげて、もう自走できそうには見えなかった。
アルがカヨコに近づいて、同じ惨状を目の当たりにする。
「そんな……」アルも愕然とつぶやいた。
二人は荒い呼吸のまま、無言で目の前の惨状を眺めていた。連邦生徒会のビルがある中心街まで、車でもあとニ十分はかかる。日はとっくに山の向こうに隠れて、空は暗くなり始めていた。等間隔に配置された白色灯が道路をあちこちで照らし出している。もうすぐ夜だ。空港からの騒動続きで歩く気力はとうになかった。
「……そうよ、ゲンゲツだわ。ゲンゲツに連絡して、ここまで迎えに来てもらえば良いのよ。きっと防衛室で私たちの連絡を待っているはずだわ」
アルがポケットから携帯電話を取り出そうとした時、ふいに噴火のような衝撃が襲った。
赤色の光が視野の外で閃いた瞬間、背後の道路が粉々に吹き飛び、雷鳴にも似た轟音を立てた。すぐに爆風と衝撃波が二人を巻き込む。煙がバンまで吞み込むと、ゲッコウが悲鳴をあげていた。頭上を噴射音が過ぎると、続けざまにバンの奥でも雷鳴がもう一撃轟き、目先にアーチ状にかかっていた陸橋が噴煙を上げてがらがらと崩れる。道路に瓦礫が落ちると、地響きはこちらまで届いた。カヨコはアルと身をかがめて体を守るのに必死だった。バンの近くにいた仲間たちが気がかりだったが、道路全体が強く揺さぶられて立っていられなかった。
激震が過ぎても、耳には爆発音が強く残っていた。アスファルトの埃を伴う熱風が辺りに吹き荒れている。カヨコとアルは互いに支え合いながら、なんとか立ち上がった。爆発した箇所からは噴煙が空まで立ち昇って、炎がめらめらと行く手を塞いでいる。反対側は陸橋を構成していたガードレールが見え隠れする城壁のようになり、カヨコたちは高速道路の上で立ち往生になった。周りは戦争があったような凄惨な有様だった。
「カヨコ、これって」アルは何かに気づいたようだった。カヨコも同じだった。
辺りにPMCのヘリコプターは見えない。あの横倒しの戦車だってPMCのものだ。この惨状がPMC離反兵によって引き起こされたものでないことは分かっていた。カヨコは足早にレイに近寄ると、真剣な眼差しで問いただした。
「レイ、PMC兵たちが言っていた特殊部隊はあなたが作ったんだってね。一体どんな連中なの」
ハルカに支えられながら、レイはカヨコを見た。今の自分の人相がひどいものだと自覚していたが、レイは全くひるまずに目を合わせてきた。
「あれは──亡霊部隊」
「亡霊部隊?」アルが返した。
「私が作った部隊。アスは彼女たちを”
電気ショックのような衝撃がカヨコだけでなく、アル、ムツキ、ハルカに駆け巡った。言葉を失いながらも、アル達はレイの事を見つめた。
カヨコもその名前をここで聞くとは思わなかった。ERTCEPS!三ヶ月前に初めて耳にしてから、アル達が探し回ってきた正体不明のDAの開発者。しかしレイは”彼女たち”と言った。どういうことだ?自分が作り上げた部隊に、DAの開発者と偶然同じ名前をつけたとは考えられない。カヨコの考えは一つ──レイがDAの開発者であるERTCEPSと何らかの繋がりがある──に定まった。彼女は自分たちが考えていた以上に、このDAを巡る一連の謎の深くまで食い込んでいる。運が傾いてきた。
しかし必ずしも自分たちの方へ傾いたとは限らなかった。
まばらに輝き始めた頭上の星々が巨大な影に覆われると、炎上する道路を背に黒い塊が降り立った。路上での尋問は中断された。カヨコが即座に片手の拳銃を向けると、レイ以外の全員が銃を黒い塊へ向ける。うずくまっていた黒い塊が徐々に大きくなり、段々と全貌が見えてくる。カヨコは無意識に自分の唾を飲み込んだ。戦場に立ち込める緊張感がこれまでにないほど高まって、金縛りのように喉や胴をきつく縛り上げている。
黒い塊がぬらりと仁王立ちになり、人の形をしているのが見えた。
とても人間とは思えなかった。いや、それで合っている──地獄から飛び出した亡霊だとカヨコは直感した。その直感を肯定するように、黒鉄を纏った女が獰猛な咆哮を上げる。そう、女だ。はっきりとした形は分からないが、キヴォトス人特有の天使の輪が見える。しかし自分たちのものとは明らかに異なる性質であることも理解した。この場の誰よりも身長が頭抜けて高い。全身を覆う黒鉄と背後の炎が、彼女をさらに巨大に見せていた。
言葉が出なかった。普段なら状況を分析して指示を飛ばす流れのはずが、あまりに現実離れした光景と気迫に押されて思考が止まってしまった。黒鉄女がこちらに向けて歩き出した。同時に止まっていた思考が再び急ピッチで巡り始める。この窮地を何としても抜け出さないと、アスにたどり着く前に全員がここで死ぬ。ただならぬ状況に直面して、生存本能が火事場の馬鹿力を発揮し出した。
「──社長は離れて狙撃!ハルカとムツキはあいつを撃って足止めして!ゲッコウはレイをつれて隠れて!」即座にできる限りの対応をはじき出すと、脊椎反射で口から指示を飛ばす。アルが背を向けて走り出すと、黒鉄女が反応して歩く速度が増した。ハルカとムツキは迫ってくる敵に向かって、機関銃と散弾銃を正面から連射する。無数の弾丸を食らって、歩く速度が落ちた。地底からせり上げるような唸りを発する。だが二人が射撃の手を止めると、女は何事もなかったように歩き出した。銃弾は効き目がない。そう判断すると、ムツキが即座に手榴弾のピンを外して足元へ投げた。
起爆した手榴弾の爆発が黒い巨体を包み込む。黒煙と炎の手が左右に割れると、女は平然としたまま歩いてきた。
ムツキは軽い舌打ちをした。「そーだよね、効くわけないよね!」吐き捨てるように言うと、新たな手榴弾を取り出す。
ハルカも散弾銃に弾を装填し直した。こいつを足止めできるのは、爆発系の武器か一撃が重い銃──アルの狙撃銃かハルカの散弾銃だけだ。カヨコは辺りを見回して、なんとかこの戦場から逃げ出す方法を探った。倒すという選択肢は既になかった。こいつはまともな方法でやりあっても勝てない。直感がそう告げていた。ネオ・チャレンジャー基地でのソウとの対決が思い出される。こいつも真正面の撃ち合いで勝てる相手ではなかった。配管室での決闘では、たまたま配管を流れていた高濃度の塩酸をかけて勝利した。今ここに塩酸があれば!ないものねだりが無駄だと分かっていても、そうせずにはいられなかった。長く伸びる高速道路の一区画では身を隠せるものすらない。嫌でも顔を突き合わせての対決を強要されることになる。
カヨコはサプレッサーを取り外すと、銃口を夜空へ向けた。これでどれだけ足止めできる?せいぜい一秒か、二秒くらいだろうか。そんな考えがよぎったが、散弾銃を再び体で受けた女が唸ると、すかさず引き金を引いた。
女がいくらか体を強張らせたのが分かった。歩みが止まる。その間にカヨコとムツキ、ハルカは距離を置いた。まったく攻撃が無意味な訳ではない。そんなかすかな希望が三人の意識をかすめた。倒れた戦車とバンの辺りから頼もしい銃声がすると、一発の銃弾が黒鉄女の体のど真ん中に着弾して爆発した。アルの狙撃銃を受けて、女の姿が見えなくなる。しかし倒れてない事は直感で分かった。これで倒れてくれれば苦労はない。
アルが夜空を見上げると、大声で叫んだ。「もう一人、何か飛んでいるわ!」
カヨコが夜空を見上げると、立ち昇る黒煙の間から、翼を広げた何かが現れて飛翔している。姿はまるで戦闘機だった。こちらが存在に気づくと、上空を旋回していた何かが進路を変えて猛烈な勢いで迫りくる。ムツキの機関銃が立て続けに火を吹いた。いくらか着弾すると、高度を上げて頭上を大音量で飛び過ぎる。ソニックブームのやかましい音が耳を埋め尽くした瞬間、翼の下に連結した人間の姿形が見えた。ムツキが空を飛ぶ影を追うが、黒煙に隠れると見失ってしまう。あの戦闘機じみた人物に対抗できるのは連射が効くムツキしかいない。
「ムツキはあれを撃って。私たちは──」カヨコが指示しながら振り返ると、煙をかき分けて黒鉄の巨体が出てきた。カヨコとアルの連携でも、足止めをできたのは十秒程だけだった。
ハルカが散弾銃を向ける。カヨコもサプレッサーを外したまま拳銃越しに睨んだ。いつまでも対抗している訳にはいかない。いつかは隙をついて逃げ出さなければならない。どこへ逃げるのか?中心街まで追跡を撒いて逃げ切るのは困難に思えた。空から見られていては、動く限り場所は筒抜けだ。どこかに隠れるか?しかし隠れられる場所も辺りにはない。八方塞がりだった。黒鉄女の右手が上がると、機銃の銃口がこちらに向く。避けなければ!
カヨコがハルカを抱いて回避しようとした瞬間、黒鉄女の顔面近くに新しい影が飛び込んだ。宙で体を横向きに倒して、両足を揃えて折り曲げるのが見えると、ばねのように突き出した両足のキックが女の顔面に直撃した。上半身が大きく揺らぎ、倒れそうに見えたが女は踏みとどまった。地面に倒れ込んだもう一人はこちらに転がると、腕を地面に突き出して体を起こす。
「ハヤテ!」思わず名が口から出た。
「待たせたな。放り出されて動き出すまでに時間がかかった」ハヤテは女から目を離さずに言った。
これで三対一だ。アルは状況を見てムツキに加勢しているが、支援があれば四対一になる。突然の助けに心が軽くなったように感じた。状況は変わらず悪いが、一人いるだけでも百人力だ。
黒鉄女が雄たけびを上げると、三人は一斉に発砲した。弾は全て命中したが、体を覆う鉄にはじかれる。ハヤテはすぐに武器をひっこめた。
「私の武器は玩具だな。いい気分じゃないが、直接やりあうしかなさそうだ」
なんと黒鉄女と近接戦闘をする気らしい。危険極まりないが、ハヤテは既に決めたようだった。
「私も出来る限り動きを止める。ハルカは隙を見てショットガンで撃って」
「わ、分かりました」
ハヤテの意図を汲んで、ハルカに指示を出すと拳銃を上に構えた。何度も使える手ではないが、出し惜しみをしてやられては元も子もない。
再び一帯に悪魔の咆哮を轟かせる。女の動きが鈍くなると、ハヤテは一直線に駆け出した。
ハヤテは機関拳銃を弾倉が込められたまま、女の顔面に向けて投げ飛ばした。女は目を開いたまま拳銃を受けると、手の届く距離に入ったハヤテに右フックを繰り出した。しかし安直な狙いのそれを、ハヤテは左手で受け流して懐に潜り、右手を顎に突き上げて体格差のある女を倒そうとした。女は一瞬よろめいたが、すぐに立ち直ると再び右フック。ハヤテは右手で受けて肩の関節を極めようとしたが、ここで危険を察知した黒鉄女が素早く振りほどくと、顔の側面に肘鉄を食らった。一定の距離ができると、すぐにハルカの散弾銃が火を吹く。女は防御もせずに受け止めた。ハヤテとどちらが先手をかけるかのにらみ合いになる。
ハヤテは防御をしない女に勢いを落とさずパンチにキックの連打を浴びせる。身体能力の高さは三ヶ月前から変わらず健在だった。攻撃のたびに黒い体が動くが、ダメージがあったかは分からない。やがてハヤテの正拳が払われると、その隙に今度は女が主導権を握った。纏った鉄の加重で威力が上がっているからか、ハヤテの防御でも完全には防ぎきれていなかった。一撃でも早く抜け出そうと、ハヤテは右フックを防ぐと女に組みついた。横腹に膝蹴り。固い金属は重い衝撃音を立てただけで、効いている様子はない。ハヤテはようやく捕まえた顔面に渾身の手刀を入れると、畳みかけるように渾身の左正拳を放った。額を捉えた正拳が固い頭突きで防がれる。ハヤテは手をぷらぷらさせて、痛みを振り払う仕草をしながら距離を取った。
カヨコの拳銃が三度咆哮した。同時にハルカが散弾銃を乱れ撃つ。息の合った連携攻撃を受けると、黒鉄女はその場で身を少しかがめた。
諦めない猛攻で、ついに女の動きが止まった。低い声で呻きながら、体が丸まりかけている。三人は距離を取って様子を見守った。もしかすると今がチャンスじゃないか?カヨコはアルとムツキの方を見た。二人は上空からの爆撃を避けつつ反撃を続けている。敵はまだ墜ちていないとはいえ、黒鉄女ほどの異常な耐久力はなさそうだ。上空の敵だけなら、何とか倒して逃げ切れるかもしれない。
「ハルカ、ハヤテ。今のうちにここから逃げよう」カヨコの提案に二人は頷いた。
ハルカはアルの方へ駆け出した。カヨコは黒鉄女に銃口を向けながら、警戒しつつ後ずさりした。ハヤテは道路の隅に丸まっているゲッコウとレイ、そして自分の仲間の監視の元へ向かう。一刻も早くここから抜け出さなければならない。
黒鉄の巨躯はかがんだまま動かない。何か力を溜めているのでは、ということにふと考えが及んだ。握られた黒と金の拳が震えながら持ち上がると、突然ぐいと立ち上がり夜空に向けて人間とも獣のものともつかぬ雄叫びを上げた。ハルカとハヤテが異常を察知して振り返ると、突き上げるような衝撃波が女から放射状に放たれた。カヨコの身体が舞い上がる。吹き飛ばされたのはハルカとムツキも同じだった。アルとハヤテはぎりぎりで道路に伏せたが、ハヤテは頭部を守り切れず黒髪が暴れていた。自分の体がどうなって、地面がどこにあるかも分からず、カヨコの視界からは世界が振り回されて見えた。
背中から地面へ強く打ちつけられると、カヨコの体は力なく道路へ転がっていた。立ち上がろうとするが、平衡感覚がなく腕に力が入らない。体を動かそうとする意識に、節々がついていかなかった。横に転がってうつぶせになると、顎を地面にやって顔を上げた。頭がずきずきと痛んで、額を生暖かいものがしたたり落ちる。飛ばされた時に、頭を強く打ったんだ。
目に見える黒鉄女の右手に炎が塊のように集中している。銃口があまりの高温で赤く染まり上がっているのが見えた。
黒鉄女は右手にエネルギーを溜めていた。理解が及んだ瞬間、溜めが終わった女の右手が正拳のように突き出された。あまりにも強力な火器だった。弾丸は巨大な火球のようになり、ハヤテと裏に控えたゲッコウとレイと監視役に向けて放たれる。ERTCEPSは生みの親がいようとお構いなしだった。もしくはアスから情報源を断つように命じられたのか──まずい。
咄嗟に逃げてと言おうとしたが、声が出ない。アルが何か叫んでいたが聞こえなかった。ゲッコウがレイと監視役を庇うように背を向けた時、左拳を振りかぶって勢いよく立ち上がったハヤテの姿が見えた。
渾身の裏拳が火球の狙いを逸らした。ハヤテとゲッコウの左を間一髪でかすめると、道路の端を突き破って飛び去って行った。軌道に赤い尾が残り、火の粉と埃が二人の横頬を赤く照らす。しばらくの間、全員の息遣いだけが聞こえていた。
ちょろちょろと道路に残った火の手が現実を映し出す。焼け付く臭い。足元に赤黒い水たまりができている。ハヤテは三人を守ったその場から動かなかった。
恐る恐る顔を上げたゲッコウが驚愕の声を短く発した。
カヨコも愕然とせざるを得なかった。アルが真っ青になったのが視界の端でも分かる。無意識のうちにこぼれ出た自分のつぶやきを耳にした。
「ハヤテ……」