便利屋68:3 テラーズ・オブ・ザ・スペクトル 作:まーろう
目を背けたくなる光景に、カヨコは言葉を詰まらせた。頭が真っ白になって、かけるべき言葉が見つからなかった。
キヴォトス人は基本的に肉体は頑丈だ。これも神秘の力なのか定かではないが、この性質のおかげで神秘を持つ生徒たちは銃弾を素肌に受けても赤くなる程度で済む。何らかの処置が必要な怪我も、大口径の銃を不意に受けなければ早々できるものではない。針で縫う程の怪我や——まして骨折なんて同学年に一人いたら珍しく、一生の語り草になる。このキヴォトス人の性質が相対的に銃火器の危険性を落とし、スポーツギアと同程度の扱いにまでさせていた。
キヴォトス人が銃器で致命傷を負うことはそうそうない。カヨコが目撃した状況は、そんな凝り固まった常識を突き崩すものだった。
ハヤテの左腕は上腕部からまるで食い千切られたように断たれて、焼け焦げた断面から血が滴っていた。着ていたレザージャケットも断面近くで焼き切れて、片袖がない不自然な形になった。
ハヤテは直立不動のまま、歯を食いしばっている。乱れた黒髪の間から力の篭った眼光を、目の前の敵に向け続けていた。食いしばった歯から漏れる呼吸が荒い。損傷部に目を向けようとしないのは、取り乱したり叫びたくなる衝動を力ずくで抑えつけているからだ。本能を噛み殺すのに精一杯で、目の前の敵を睨む以上の事ができていなかった。
惨状を間近で目の当たりにしたゲッコウも同様に、取り乱しそうな自分を無理やり抑えている。しかし体が小刻みに震えていた。見慣れない血だまりと損傷に戦慄して、言葉にならない声がぽつりぽつりと喉から出る。助けてもらった礼や詫び言を紡ぐこともできていない。それぐらい自分たちを守った代償の大きさに腰が引けていた。
ハヤテの知り合いの監視役も同様だった。ゲッコウと二人でレイを抱き込んでいる。不意に運転を頼まれてから、ものの十数分でこうなるとは想像しなかったに違いない。
レイも狂気が鳴りを潜めると、茫然と滴る血を見つめていた。自分が作った怪物の攻撃をいなしたことへの驚きなのか、それとも身を挺して仲間と自分を守ったことが信じられないということなのか。目の前で起こった事の処理が満足にできておらず、文字通り目が点になっていた。
便利屋の四人も誰も口を開けなかった。沈黙を破ったのは、ゲッコウの方へ振り向いたハヤテだった。
「……ゲッコウ、無事か?」
ゲッコウはかくかくと頷いた。やや間があって、恐る恐る口を開いた。
「はい……でもハヤテさんの、その」指摘しようとして、言葉に詰まった。何と言うべきか──傷口に触れるか触れないか逡巡があった。
「このくらい問題ない」心配させまいと、噛み潰すように言った。残った片方の拳が力んで白くなっている。
「問題ないさ。このくらい……」声が尻すぼみになる。ゲッコウに向けてではなく、自分に言い聞かせるように繰り返していた。
黒鉄女の右手が動いて、前腕の銃口がハヤテを睨んだ。ハヤテは抵抗することもせず、立ったまま自分の運命を決める機銃をただ睨み返す。少しの慈悲も容赦もなく、女は冷酷にとどめを刺そうとした。
「やめなさい!」アルの怒号が響くと、続けて狙撃銃が吠えた。女はたちまち横殴りの爆発に飲み込まれる。
怒りをのぞかせたのはアルだけではなかった。ボストンバッグを振りかぶったムツキも、瞳に怒りの色がこみ上げていた。
「うちの臨時社員ちゃんに──何してくれてんの!」
黒く覆われた顔が見えた瞬間、起爆したボストンバッグは狙撃銃の何倍にも炎を膨れ上がらせる。すぐにアスファルトを巻き上げるほどの爆風と轟音が放たれた。
カヨコはこの隙にハヤテに駆け寄った。すぐに何らかの処置をしなければ、失血でハヤテは持たない。自分でも驚くほどカヨコは冷静だった。
「ハヤテ。すぐに処置しなきゃ危ない」
ネクタイの結び目を引いて解くと、ハヤテはカヨコに手渡した。「悪い、カヨコ。これを使ってくれ。良い服だから──」
「謝らないで、少し我慢して」
ハヤテはこの状況でもカヨコに軽口を叩いた。しかし事態は急を要するので、カヨコは無視して黄色いネクタイで固く縛り付ける。顔の近くで苦悶の声がもれるのを耳にした。
完全には止まらないが、これでいくらか出血がましになった。ハヤテは汗だくでカヨコに苦笑した。
「地獄行きの日程がいくらか遅くなったな」
カヨコはつられて苦笑いをした。この減らず口もなんとかして縛ってやりたかったが、惨状を目の当たりにした時と比べて、いくらか心が軽くなった。
しかし状況が悪いことに変わりはない。爆炎の向こうから、かすかに唸り声が聞こえる。黒鉄女はここまで攻撃を受けても、まだ倒れていなかった。
ハヤテは視線をレイに向けた。「おい、博士。あいつらに弱点はないのか」
レイは話を振られて驚いていたが、すぐに返事をした。「弱点なんて考えられない。知っていたら私が修正してるから」
「くそ!ずいぶん丁寧な仕事だな」
視野の外から尋常でない威圧感がすると、黒鉄の女の姿が見えた。元から焦げておりダメージは分からないが、怪しく光る目がぎらぎらと揺れている。すぐにでもこちらを捻り潰せると言いたげだった。
ハヤテをこれ以上頼るのは危険だ。カヨコがハヤテを座らせようとすると、入れ違いにゲッコウが立ち上がった。
「カヨコ……私も手伝うよ」
「駄目。ゲッコウじゃ危険が大き過ぎる」
「それでも、いないよりはましでしょ。私だって、風紀委員会だよ」
ハヤテの事で責任を感じて、心に決めたのは間違いない。だが自棄になったような危うい眼差しだった。無理やりでも止めるべきかとカヨコは思ったが、こうなると言われて引き下がる彼女ではない。黒鉄女はどんどん距離を縮めてくる。ここで言い争いをしている場合ではなかった。
ゲッコウは勢いよく立ち上がった。リボルバーを引き抜くと、黒いできものみたいな頭に続けざまに六発撃つ。だが女が右手で軽く払うと、弾は鈍い金属音を立てて弾かれる。
「来ないで!」ゲッコウは言った。「あなたは誰?なんでそんなにしつこく追い詰めてくるの?」
言葉を話さず、まして理解できているかも分からない怪物にゲッコウは精一杯の疑問を投げかけた。カヨコにしてみれば、愚問以外の何でもない。だがこの問いかけに怪物が、僅かに反応を示した。
獰猛な獣をうかがわせる唸りが低くなると、女の歩みが急にのろくなった。視線が足元に向くと、悩むような仕草をした後に頭を左右に振った。何か引っかかるものがあるという様子だ。
今の呼びかけのどこが彼女を悩ませているんだ?ゲッコウには見当がつかなかった。
「落ち着いてよ。別に私たちはあなたに文句はないんだから」言い終えてから慌てて「いや、ハヤテさんをやったのには文句の一つくらいあるけど」
身内の監視に肩を担がれて遠ざかるハヤテが、わざとらしく咳き込んだ。
女が突然体を震わせた。両手を頭にやって、ひどい頭痛に襲われているようになる。いまにも黒い殻が背中からぱっくり割れて、羽化した昆虫みたいに中身が飛び出してきそうだ。
カヨコの側にいたレイは、女とゲッコウのやり取りから目を離せないでいた。展開の決まりきった実験で、予想外の結果が生まれたみたいに驚いて、原因を探し出そうと観察に躍起になってる。
頭痛が落ち着くと、黒鉄女は背筋を伸ばして、ゲッコウめがけてずんずんと迷いなく歩き出した。ゲッコウは慌ててリボルバーに弾を装填し直すが、回転式拳銃は再装填に時間がかかる。カヨコとハルカが女に狙いを定めた。
女は急に天を見上げると、狼みたいな咆哮を上げた。再び衝撃波がばらまかれて、ほとんど全員が重心を崩されて地面に倒れ込んでしまう。間近にいたゲッコウが仰向けに無防備な姿で倒れると、女はゲッコウに歩いて近づいて来た。リボルバーは衝撃波に攫われて、離れた位置に転がる。ゲッコウは黒い影を見上げて、万力のような腕が今にも掴みかかってくるのを両手で制しようとした。黒い塊が覆いかぶさってくると、両手で鎖骨の辺りを押し出そうとした。焦げた表面はざりざりとした感触で、手のひらはすぐに煤で黒くなる。顔と同じくらい大きい黒い手がゲッコウの肩をがっしりと捕まえて、両者の顔がぶつかりそうなほど近くなった。
ゲッコウは死を覚悟したが、次の一撃は来なかった。それから女がばっと自分から離れて後ずさりしたことに気づいた。
女は異様に躊躇っていた。何かに気づいたようにゲッコウの顔を凝視して、また頭をさすり始めた。急に夢から覚めて、自分が何をしているのか呑み込めずに遠ざかる。今にも倒れてしまいそうだ。
ゲッコウもまた、目の前の苦悩する怪物を見つめていた。急に記憶の底から一つの光がひらめいた。先ほど接近した時に感じた気配は、なんだか昔懐かしい感覚がする。この体躯、気配、そして黄色の目。
まさか!そんなことが!
「あなたは、あの基地で死んだはず!そのはずなのに」せり上がってくる熱いものが、自然と声を荒げさせる。
女は今の一言に困惑したようだった。くぐもった息を吐く音を立てる。するとまた体を小さく振動させ始めた。一段と低く響くような唸り。自分が誰なのか、どこにいるのかという情報をわっと浴びせられたみたいにひどく動揺している。
ゲッコウは目の前の女が誰だか確信を持った。間違いない。
「ソウ」
自然と口をついてでた言葉に、女は愕然とした。右腕の機銃は垂れさがり、もう誰にも狙いを定めてない。呼吸もひどく荒い。
カヨコやハルカも茫然としていた。今しがたの呼びかけの真意を探ろうと目線をこちらに向けてくる。妙に見当違いな言葉に思えたのは、九ヶ月前の確かな記憶と認識を否定したくなかったからかもしれない。レイは思わぬ展開にあっけにとられている。ちらりと姿を見ただけのアルとムツキはきょとんとしていた。張り詰めた空気が漂う。
ゲッコウは立ち尽くすしかなかった。変わり果てた姿の彼女を見て、何を伝えるべきか分からない。
最後に顔を合わせたのは、ネオ・チャレンジャー基地でカヨコとハルカに倒された時だった。あの時のソウは、柔和な表情を浮かべていた。僅かな時間だが、二人の心を通わせることができて満足そうだった。黒い外殻に覆われた今では、何の表情も見えない。九ヶ月という間に二人の在り方はすっかり変わってしまっていた。
ゲッコウはネオ・チャレンジャー事件の後、ソウを基地に残してきたことを心の中でしばらく悔やんだ。自分がもっと強ければ、違う未来があったかもしれない。その時は心配をかけないためか、気丈に振舞っていた。アルは二人の関係を後で知ってから何度か言葉をかけてきたが、ゲッコウは少しも辛い表情を見せないようにした。仕方がなかったんだと自分に言い聞かせて、本心では望まぬ結果となったことも割り切ろうとした。間近で見ていたカヨコからは何も言われなかった。あえて何も言わない配慮が、ゲッコウには苦しかった。きっとこちらの本心も見抜いていたに違いない。いたたまれなくなった末、ゲッコウは便利屋から逃げるように──ソウの名残の側にいたかったのもあるが──風紀委員会に入った。誰かの役に立ちたいと思ったのは本心だ。だが半ば自暴自棄になっていたとも思う。ソウの真意が知りたかった。それから恩人の便利屋の皆に同情をさせたくなかった。
自分で未来を選択したと思っていたが、結局他人を理由にして身を投じたようなものだ。そしてグラウンドゼロでは風紀委員会に見切りをつけて、その場の都合よく便利屋68に出戻りしている。挙句に執着を捨てたはずのソウを目の前にして、心が揺らいでいる自分がいる。様々な記憶と思いが混じりあい、闇鍋のようなぐちゃぐちゃな感情が支配した。
ソウは苦悩と苦痛の板挟みになっていた。すると上空を旋回していた戦闘機じみた彼女も、急に攻撃の手を止めると空中で停止したまま高度を下げてきた。ジェットエンジンの甲高い駆動音が徐々に弱まっていく。アルとムツキも攻撃の手を止めると銃の狙いを下げた。亡霊部隊の二人は、急に戦闘意欲を削がれたみたいにテンションがずんと落ち込んだ。
ハルカが宙に浮く女の方をばっと見た。「そ、それじゃ向こうは、もしかして上我──」
「さすがだ、便利屋68」女が言った。「この俺を思い出したか?ハルカ」
悩めるソウと対照的に、上我オルは浮ついた調子だった。戦場を俯瞰できる位置に停止して、首をほぐすように回す。
「さあハルカ、もっとやり合おう。感情をあらわにして、あの時みたいに怒れ。怒ってみせろ!」
「イカレ野郎はそっちでしょ!だいたいなんで生きてるの」ムツキが割って入ると、ハルカを強く抱きしめる。
オルは気味悪い笑い方をして、変に上ずった口調で続ける。心ここにあらずという、精神病棟から飛び出した患者みたいなテンションだった。初めて会った時もやけに好戦的だったが、目の前の彼女はとても正気とは思えない。
「生き死になんて問題ない。ただお前たちとの一時をまた楽しみたいんだ。だから邪魔な奴らは排除した」そう言うとグレネードランチャーの銃口を、黒焦げの戦車へ向ける。そしてぐるりと辺りを一周させた。
ふと高速道路で戦っていた事を思い出すと、辺りでしきりに警笛が鳴っているのに気づく。完全に火の壁で阻まれ、向こう側は崩落した陸橋が塞いでいる。亡霊部隊は交通インフラに重大な障害をもたらしていた。
「銃を持て。そいつは置いて続きを始めよう」
「またハルカちゃんに自分を止めさせるの?サイロで話したオルはそんなのじゃなかったよね」
「私を止められるのはハルカだけだ。邪魔をするな」
「ハルカちゃんも言ってやって!お前なんか知らないって」
ハルカが亡霊に連れていかれないように、ムツキは強く抱きとめる。ハルカはわたわたとしていたが、オルを見上げて口を開いた。
「えっと……出過ぎた事ですが、妹さんに会えなかったから戻ってきたんですか?」
夢遊病者じみた仕草がぴたりと止み、オルがハルカをじっと見つめた。黒いマスクで顔を覆っていたが、声に冷静さが宿る。
「……妹?」
ハルカが落ち着いた声で聞いた。「最後に話してくれましたよね。私と亡くなった妹さんが似ているって」
時間が止まったようだった。気の迷いが手足の震えに現れると、オルは喉にからむ声で言い返した。「俺の妹が亡くなったって?」
「はい、ずいぶん昔に亡くなっていると。分かりませんか。あなたが言っていたんですよ。私を見ると落ち着くと」
オルもぶるぶると震え始めた。ソウと同じく頭を抱えて、重大な何かを思い出そうとしている。いきなりジェットエンジンが暴走したみたいに出力が上がると、噴射の勢いで砂利が辺りに飛び散った。オルは苦痛の叫びを上げて、頭を抱えて、宙で体を丸めた。
「何?」アルが叫んだ。
「くそ!頭が割れそうだ」オルが叫んだ。
ハルカが何か言おうと口を開いたが、ジェットエンジンのノイズにかき消された。オルは叫び声をあげると、制御を失ったロケットみたいに浮き上がり、どことも分からぬ方へ飛んでいった。呼応するようにソウが唸ると、オルの飛び去った方向へ走り出す。
「待って!」ゲッコウが叫んだが、悲痛な願いは届かなかった。
ムツキとハルカが慌てて飛びずさると、ソウは左手を振りかぶった。甲が戦車のキャタピラーに当たると、黒い廃物が落ち葉みたいにくるりと宙で回った。やがて大きな音を立てて地面に倒れた時には、ソウは信じられない跳躍で陸橋の残骸を飛び越え、闇夜に溶け込んで消えた。姿が見えなくなる直前に、獣めいた唸りが辺り一帯に響いた。
日はとっくに暮れていた。戦場に残されたのは茫然としたアルたちだけで、あとは燃え盛る火の静かな音と木霊する警笛だけ。きれいに舗装されていた高速道路は無残な姿になっていた。煙が漂っている。ここに警察や消防隊が押し寄せるのは時間の問題だ。
カヨコがアルに歩み寄った。言いたいことや確認したいことは多いが、早く行動を起こすべきだと提言している。アルは現実に引き戻されると、力なく返事をしてスマートフォンを取り出した。回線が繋がるまでに、戦場で生き残った全員が身を近くに寄せる。ゲッコウもふらつきながら何とかたどり着いた。
レイは放心して、何かぶつぶつと呟いている。周りに人がいてもお構いなしな辺り、話しかけるなという遠回しな表現のようにも見える。この場の全員がレイに聞きたいことは山ほどあったが、この調子と疲労で話しかけようとする者はいなかった。
スマートフォンが電子音を発した。
「はい、こちら連邦生徒会防衛室」ゲンゲツの声が出た。
「ゲンゲツ、私よ。レイを確保したけど、車が動かなくなったから迎えを寄こして欲しいの」
「本当か!良かった、無事に捕まえたのか。ならすぐにヘリコプターを──」
「ゲンゲツ」アルが矢継ぎ早に言った。「かなり厄介なことになってる。詳しくは戻ってから話すけど、オルとソウらしき奴らに襲われたの」
「ばかばかしい、アル。奴らがネオ・チャレンジャー基地で倒れたことは君たちがよく知っているはずじゃないか」
「そうよ」アルが深刻な声で続けた。「奴らが倒れたのは、私たちがこの目で見ているわ。それが問題なの。アスが死を装ってレイを使っていたなら、なぜ奴らまで生きてるの?オルとソウはとっくの昔に死んでいるのよ」
アルの疑念はこの場の全員にすぐに広がった。ゲッコウもカヨコの渋面を眺めた。アルが口にした疑問はオルとソウらしき人物に襲われる前から始まっている。そもそもなぜ下尊アスが、ネオ・チャレンジャー基地の戦いで生き延びていたのか。アスを乗せたヘリコプターは吹雪に攫われて、山奥に派手に墜落した。ところがブラックスターが動き出した時には、アスはもう彼女たちの一団に加わって便利屋と争わせる計画を進めていた。そしてオルとソウ。死を偽装するトリックでは、もはや説明がつかない。基地の外へ飛んでいったアスはともかく、オルとソウとオアはアルたちが確実に死に目を目撃しているのに。
湧き出た疑問がそれまで信じていた仮説にひびを入れて、新たな真実──それも触れることすら憚られるようなどす黒い深淵の顔を見せる。
電話越しにゲンゲツがため息をついた。「まさか……冗談じゃないのか?」
監視に肩を借りて近づくと、ハヤテが呆れたように言った。「そのまさかだ。どうやら私たちは表に出せないような禁忌に触れてしまったらしい」
連邦生徒会防衛室は退勤直前になって、ひっきりなしの電話対応に追われていた。どの通報も高速道路が壊れて何時間も立ち往生をしているというものだ。忌々しく思いながらも、それを色には出さず淡々と応対する。そして受話器を戻すと、一息ついてから再び呼び鈴が鳴り始める。
この騒動が始まった少し前から、不知火カヤは室長席から動けなかった。他の防衛室職員たちも必死で画面に食いついて対応している。奥の方では人員派遣を担当する部署の職員が、早歩きで部屋を横切ると扉から出ていった。これでは帰宅後の楽しみも今夜は期待できない。カヤが再び受話器を戻すと、机を挟んでゲンゲツが近づいてきた。
「室長、便利屋68が行方不明だった上永レイを捕まえたようです。アスの情報源になるため、ヘリコプターを飛ばして回収しようと思うのですが構いませんね」
カヤは微笑を崩さずに返す。「分かりました、手配をお願いします。ところであなたは知っていたのですか?」
ゲンゲツの表情が強張った。少し躊躇ってから、自信を多分に込めて言う。「もちろんです」
「時間をとってゆっくり褒めてあげたいですね」
ゲンゲツの表情が安心したものになると、足早に防衛室を出ていった。
カヤはゲンゲツの後ろ姿を見送ってから、今の会話の内容を反芻した。その間に細い視界で全員を見回して、忙しくてそれぞれが机をしばらく離れられないことを確信する。しばらく微動だにしなかったが、ゆっくりと組んでいた手を受話器に伸ばして取り上げてから、慎重にボタンを一つずつ押して盗聴防止装置をかけた。それから電話口に相手が出てくるのを待ち、誰も気に掛けないくらいの声量で短いやり取りを始めた。