便利屋68:3 テラーズ・オブ・ザ・スペクトル 作:まーろう
D.U.地区はキヴォトスでも一番発展した近代都市のため、高層ビルも所狭しと並んでいる。徐々に空が白み始めても、ビルの狭間はほとんどが影になって日当たりは良くない。地上から太陽が見えるのは、常に建物の隙間か高く上る昼過ぎの時間帯に限定されていた。ロイヤルビル裏口の駐車場も例外ではない。昨日バンが止まっていた箇所には、今度は一台の車がいた。表通りへつながる小路も含めて早朝はまだ暗かった。表通りを走る車も少なく、エンジンの微かな響きも聞こえてこない。もう少し時間が経てば賑やかになるだろうが、午前六時前ではわずかな人気もなく閑散としていた。
大隅ゲッコウは裏手口から駐車場に出た。煤埃と焼け跡まみれの服から新しいシャツとズボンに変えて、戦場の汚れをすっかり落としていた。便利屋68の四人は昨晩の疲労が効いて、もうしばらく床から出てくる様子はない。振り返ってビルを見上げるゲッコウは神妙な面持ちだった。目の下にくまができている。
アルの要請を受けて、高速道路には間もなく連邦生徒会のヘリコプターが回収に来た。その場の全員が荷物みたいに次々に放り込まれて、逃げるように夜空と煙の中へ姿をくらました。ゲッコウはハヤテの隣に座らされて、本部へ到着するまで生々しい傷跡の隣りで縮こまっていた。時々白衣を着た職員がハヤテに何か言っては、あれこれと包帯や何かを巻いて処置を続けた。ハヤテも生返事しかしておらず、ゲッコウから何か話すこともできなかった。ヘリは間もなくロイヤルビルの屋上に着くと、ハヤテと一部の職員だけが機内に残り、他の全員は降ろされた。ヘリはすぐにまた浮き上がり、旋回して病院のある方向へ飛んでいった。レイは別室に連れていかれて、アルたちとゲッコウは職員が寝泊まりする部屋の一室を借りられた。ゲンゲツが便宜を図ってくれたのだろう。五人はひどい苦労の悪態をつきながら、ようやく戦場の汚れを洗い落とすと、あっという間に泥のように眠りについた。ゲッコウも床について、しばらくは目をつむって現実から一時的にでも逃れようとした。だが目を閉じて暗闇の世界にいると、決まって一つの場面が浮かんでくるのだ。気が付くと自分は配管室にいた。四方をコンクリートで囲まれた冷たい部屋は、あちこちにくすんだ赤や黄や緑の配管が伸びている。それがどこなのか気が付くと、目の前に倒れ込む女の姿があった。黒いパワードスーツが原型を留めないほど溶けて垂れさがり、その下に見知った女性が埋もれている。愕然とした。ソウの黄色い満月みたいな目ははっきりとこちらを見て、救いを求めるように手を伸ばしてくる。すぐにでも助け出してやりたかった。だがどれだけもがいても体が石みたいに動かない。目線も動かせず、苦しむ彼女をただ見守ることしかできない。いきなり目の前の一面に炎が上がり、黒焦げた外殻に包まれたソウが現れる。夢だと自覚できるのに、炎は火傷をしそうなほど熱かった。ソウは右手をこちらに伸ばして、ゆっくりと歩いてくる。言葉になってない呻きは、何を言おうとしているのか分かってしまう。どうして置いていった。苦しい。助けてくれ。
ゲッコウは必至に抵抗しようとした。だが体が動かない。ソウの右手が頬に触れる。熱い!「やめてよ、ソウ!」ゲッコウはつぶやいた。「やめて!」
眼前に黒いぼんやりとした線が入ると、ほの暗い白い天井になる。ゲッコウはソウの燃える手を振り払おうと、両上を上げた。今は動く。押しのけようとソウの肩に手をやると、手は黒い体を突き抜けてしまう。何度も振り払うが、ソウの姿は消えず虚しく空を切るだけだった。左手がごつんと固いものに当たる。はっと急に意識が戻り、消灯した電灯が目に入った。ソウの姿も炎も消えた。左に目をやると、手はアルの額に乗っている。急いで手をどかすと、アルは起きはしなかったが険しい表情で寝言をつぶやいた。
「大丈夫よ──何とかなったわ、なんとか」
五人は一つの布団に身を寄せて寝ていた。ゲッコウの手は、ぎりぎりハルカの頭上を避けてアルに当たっていた。ゲッコウはアルに背を向けて寝返りを打つ。邪魔しないよう眠りにつこうとしたが、先ほどの光景が焼き付いて暗闇が怖くなっていた。
それから日が登り始めるまで、ゲッコウは結局一睡もできなかった。誰よりも早く布団から静かに抜け出すと、どうするわけでもなく外に出てきていた。
「朝早くに何をしてるんだ?風紀委員会の迷子犬」
背後から話しかけられて振り返ると、荷物を持った取り巻き数人に囲まれてハヤテが立っていた。レザージャケットの代わりに黒いロングコート姿で、左の袖は風に揺られて垂れさがっている。
「ハヤテさん、もう大丈夫なんですか」
「ああ、神秘の力はすごいのさ」
ハヤテは快活に笑って、垂れた袖を回してみせる。だが自分を守った代償を前にして、ゲッコウは笑えなかった。ハヤテは小さくため息をついて、取り巻きに荷物を車に積むように言う。取り巻きが離れると、ハヤテはゲッコウの側に寄った。
ゲッコウは難しい顔で項垂れた。「私たちを守るために、すみません」
ハヤテはささやいた。「ゲッコウが謝る事じゃない。命があるだけ丸儲けだし、こういう日もあるだろうよ」
昨日屋上で話した時より、優しい話し方だった。ハヤテの前向きな調子は、ぐずぐずしている自分と対照的に見える。
「あんたも風紀委員会の例にもれず、とても生真面目なんだな。私はだいたいの事は適当だから、ずいぶん大人に見えるよ」
傷の責任を感じているのがバレたのだろうか。至ってからりと振舞っている。気持ちが楽になりつつあるが、そうして良いものか分からなかった。
「大人は一人で物事を決断できる人のことです。私は自分では何も決めきれない子どもですよ。自分の所属も、ソウの事も、これからどうするべきなのかも分からない」
「そうか?自分でこの道に入ったとカヨコから聞いたが」
「それも、ソウや便利屋の皆の事があって入っただけで……ちっとも自分でなんて決められてません」ハヤテが取り直そうとしてくれているのに、自然と胸の内にあった思いが口をついて出てくる。自制しきれないことが申し訳なく、また不甲斐なく思えた。
「風紀委員会にはヒナ委員長も、幹部の人たちもいます。そこが私の居場所なのかも分からなくて……大して戦闘でも役に立てない自分は必要ないんじゃないかって思ってしまうんです。それで今は、また便利屋の皆に匿って貰っているだけなんです。そしたらソウが生きていて、もうどうすれば良いのかも分からなくて……」
ゲッコウが尻すぼみになると、二人はしばらく無言で荷物が積まれるのを眺めていた。自分でこんな空気にしておいて、何となく気まずく思ってしまう。この場から逃げ出したい衝動に駆られた。
せめて雰囲気を戻そうと、ゲッコウは口を開いた。「すみません、こんな暗い話をしてしまって」
「まさか、そんな事を考えながら風紀委員会でも仕事していたのか?」ハヤテは言った。「硬いな」
「そ、そうですか?」
「アル社長が心配するのも頷ける。このままじゃワーカーホリックかヒステリーでも起こしそうだ」
「自分なりに答えを探そうと、色々考えているんですよ」
「類は友を呼ぶ、というやつか。風紀委員会に似た性質の奴が多いわけだ」
ゲッコウは少しむっとした。罰当たりかもしれないと思ったが、それでも風紀委員会を貶されるのは納得がいかなかった。だが負い目がある手前、口に出す度胸はなかった。
「一番大人に近いのはアル社長だろうな」ハヤテがぼそぼそと言った。
「というと?」
「自分の価値基準で物事をはっきりと決めている。それに会社と仲間に対する責任感も持っている。どちらも私たちのそれぞれに欠けているものだよ」
確かにそうだ。ネオ・チャレンジャー基地で初めてアルの声を聞いた時、カヨコとハルカは安心しきった表情を浮かべていた。ゲッコウ自身もアルと話す内に、その訳が分かった気がした。もう大丈夫、彼女についていれば問題ない。そう直感で思えたからこそ、ゲッコウはあの地獄から抜け出すことができた。
ハヤテもアルの姿を見る内に、自分に足りなかったものを見つけた。だから目の前で準備をしている人たちのように、今では付き添ってくれる人たちがいる。その様子を眺めるハヤテの表情は柔らいものだった。つられて自分の硬かった頬が無意識に緩む。背負い過ぎだという先ほどの指摘が、すっと胸に溶け込んでいく。
ゲッコウは素直な口調になった。「アル社長が──私たちに足りないものを教えて、そして示してくれている」
「そうだ」ハヤテが続けた。「あんな人間は他にいない。彼女もまた傑物だよ」
取り巻きの一人がハヤテに呼びかけた。「リーダー、いつでも出発できますよ」
「ありがとう」ハヤテはそう言うと、ゲッコウに顔を向けた。「私はここを離れる。ささやかな助けだが、事が前進しそうだから良かったよ。乗りかかった船を降りるのは心残りだが、これじゃもう役に立てそうもない」左の袖をまた回して見せた。
「もうすぐアル社長たちも起きる頃だから、最後に会って行っても良いんじゃないですか?」
「いや、この有様を見たらしょげてしまいそうだ。私よりもアスに集中して欲しいし、アル社長にはゲッコウから言っておいてくれ」
ハヤテは車に向かおうとして、ふと思い出したようにゲッコウへ向き直った。
「彼女──天独ソウへの未練はあるか?」
意味ありげな聞き方だった。ゲッコウはこの質問の真意を探ろうとハヤテの顔を見つめたが、表情にヒントはなかった。私がこれまでの会話から学びを得ているか試しているのだろうか?ゲッコウはなんとなく話の内容を思い返して、そしておずおずと口を開いた。「私も成長しなきゃいけません。だから、未練はなくします」
黄金色の瞳を力を込めて見返すと、ハヤテの口元がにやりとした。
「ほう、本音は違うんじゃないか?彼女が生きていると知ったからには」
「……何が言いたいんですか」
「もしかしたら感動の再開ができるかもしれないという希望がある」
こちらの考えていることを占い師みたいに当てて得意げにしたいのだろうか。ゲッコウはなるべく表に出さないように素っ気なく返した。「そんなこと、ないです」
急にハヤテが距離を詰めてきた。不意に息がかかるほど顔が近づくと、黄金色の澄んだ瞳が見つめてくる。ゲッコウは思わずどきっとした。髪の長さや背丈こそ違えど、眼前の顔が記憶の中のソウと重なる。確かによく似ているとは言ったが!反射的に後ずさろうとすると、ハヤテの右手が肩の裏にまわった。心臓が急にうるさく鳴り出して、顔が火照る。まさか、こんな場所で?仲間の数人が見ている前で?ハヤテの手が腰に移る。ゲッコウはたまらず目をつむった。
「失礼」ハヤテは腰のベルトに差していた拳銃を引き抜いた。まじまじと見てから、グリップをゲッコウに向けて返した。「これはまだ必要になるだろう。よく手入れしておけよ」
ゲッコウは両手で拳銃を受け取った。心臓はまだ早いテンポで脈打っている。動揺を見られたのではないか。勘違いした自分に気づくと、途端に恥ずかしさと不安で顔が赤くなりそうだった。
「それと、もう少し自分に素直になれよ。背負い過ぎも良くないし、お前の好きにしていい。生真面目は美徳だが、度が過ぎれば微毒だ」ハヤテは今のしゃれを気に入ったみたいだった。取り巻きからも笑いが起こった。
今のはなんだ。かまをかけられたのか。純粋な心を食い物にされたことに内心毒づきながらも、助言は素直に受け取ることにした。それに先ほどまで心に刺さっていた負い目の棘も、今ではすっかり取れて気にならなくなっていた。ゲッコウは肩をすくめてみせた。
「分かりましたよ。そうしてみます」
「ぜひそうしてくれ。ではそろそろ行くよ」
「お気をつけて、ハヤテさん。それとありがとうございました」
「こちらこそ。ゲッコウもな」
ハヤテは最後まで爽やかな表情を見せていた。左腕も痛々しく見せず、自分の好きにした結果だと言いたげだった。自分で選んだなら、責任も自分一人だ。だからお前も好きにしろと。
ドアが閉じると、全員が乗り込んですぐに車は走り去っていった。ゲッコウは寂寥感を胸に留めながら、車の後ろ姿を見送った。
学校や組織に馴染めなかった風紀委員会のはぐれ者、責任感が追いつかず長になりながら集団を一度放り投げた者。両者を結びつけたのはアウトローを目指す零細企業の社長。なんとも摩訶不思議な関係だが、これも学園都市キヴォトスの神秘がもたらしたものなのかもしれない。
ゲッコウは幾分軽くなった足取りでロイヤルビルの中へ戻った。そろそろアル社長たちが起き出す頃だ。