便利屋68:3 テラーズ・オブ・ザ・スペクトル 作:まーろう
耳が何も聞こえなくなったような静寂が場を支配した。アルは動かなかった。誰によって引き起こされた音なのか、誰も状況を飲み込めていない。張り詰めた緊張によって身体が動かない。アルの視野には、身体を持ち上げていたピアノ線がぷっつり切れたみたいに膝をつくゲッコウが写った。心臓の辺りを強く押さえて、ピクピクと指を震わせる。シャツがいつの間にか赤く染まっていた。地面にへたり込み上体を強く立てようとしたが、ゆっくりと頭をもたげてうずまった。
ゲッコウの裏には銃を構えた人物が数人立っていた。PMC兵は迷彩柄で、顔や武器まで緑色に塗っていた。腕や足に沿うように、ギリースーツみたいな造草まで身に着けている。あれで伏せられては、一面緑の草原では識別困難だった。
そしてPMC兵に囲まれるように二人のキヴォトス人が立っていた。一方は汚れた白衣を着ている。そして白髪に小さな翼、紅い目から、病院の襲撃で奪還された上永レイだと分かった。細い腕で握る拳銃から線香みたいに煙が立ち昇っている。
もう一人の女がレイの腕を掴んで狙い澄まさせており、グリップを握る手を上からしっかり押さえていた。茶色のダスターコートを身に着けている。タクティカルパンツにブーツで、戦闘向けの装いをしていた。
眼帯を右目に着けた顔。初めて会った時から変わらない青い目は、まったく無関心の表情で獲物を吟味する冷たい鉱石みたいだった。金髪はやはり後ろでまとめていて変わりはない。戦場を渡り歩いて固くなった顔も変わらないが、真実を知った後では残忍な色をたたえて見える。身体の年のわりに大人びて見えるどころか、全く異質な生命体が宿ったようだった。
下尊アス──エルトセプスの碧眼がまっすぐこちらを見つめた。「情けないな便利屋68。連邦生徒会と仲違いをして、今やシャーレの飼い犬か」
アスの発音ははっきりとしたものだったが、アルにはぼんやりと重なって聞こえた。血が凍り付くような衝撃だった。
ゲッコウは青い草地に倒れてしまった。数秒前まで快活に笑っていたはずが、今は途切れ途切れの声を絞り出すだけになる。鮮血で身体の下の草が、赤い刃みたいに染まっていた。ごぽっと溺れそうな咳をして、口元を押さえた指の間からも赤いものが滴る。その音で意識が呼び戻された。何をしているんだ、ばか!助けろ!彼女を助けるんだ!
一番側にいたカヨコがすぐにゲッコウを庇った。アルも駆け寄ると、わきに膝をついて、静かに言う。「しっかりして。あなたもキヴォトスの人間だから、銃弾の一発は何ともないはずなのよ。手当をすれば、また動けるようになるから」
ゲッコウは唸った。「アル社長。ごめん、私」
「喋らないで、体力を使ったら駄目」カヨコが言った。
ゲッコウの声には痛みと失望が混じっている。「ようやく皆やソウを助けられたのに、私は本当に駄目だよ……」
「そんなことないわ!お願いだからじっとして」
「アル社長、分かるの。DAだよ……普通の弾じゃない、内から破れてく感じで……」
アルは血の気が引いた。よりにもよってゲッコウが撃たれるなんて。
「お願い。アスを倒して」
「諦めないで!スパイの汚名を被ったまま死んで良いの?」
「皆に理解されていれば、私は大丈夫だから」
「駄目よ!」
「ずっと誤解していた、皆の勇気の意味が分かったの」
ゲッコウは泣いていた。蚊の鳴くような声になっていた。「回り道だったけど、私は後悔してない……だから、皆もしないで」
この期に及んで、彼女はアル達を気遣っている。こみ上げる感情が涙腺を刺したが、自分が泣くわけにはいかなかった。
「最期にお願い」ゲッコウの呼吸は荒く震えていた。「ソウが起きたら、ごめんって伝えて……私を忘れないで……」
血を拭った手でアルの服を掴んだ。それからじっと身を寄せてきて、アルは応えるように抱きしめた。すぐに全身が一度痙攣して、強張った。それから最期の一息を吐き出すと、アルの腕の中でぐったりとなった。ヘイローが崩れて散ると、それきり動かなくなった。
アルはゲッコウをソウの側に横たえてやると、ゆっくりと立ち上がった。次々に湧いてくる複雑な感情を噛み潰すのに精一杯で、束の間アルは冷静さを失いそうになった。エルトセプスの方を睨んだ時、奴はレイの手から拳銃を奪い取ると鼻に近づけて、気取って臭いを嗅いでいた。無表情な青い目は、厚い雲がかかった灰色の空を遠く眺めていた。「なあ、アル。死の臭いというのは、何か特別なものがあるんだ。キヴォトスでは貴重なものだ、最期に吸うか?」グラウンドゼロで煙草を勧めたように、銃口をこちらへ差し出して見せた。
アルは静かに立っていた。「お断りよ、エルトセプス」
エルトセプスは片眉をつりあげた。「ようやく話の前提が飲み込めたか。お前たちにアスと呼ばれるたび、いつも思わず後ろを振り向きそうになっていたな。ところでこれは何の冗談だ?たった六人──いや、五人で解決するつもりだったのか」
「お前がエルトセプスか」先生が険しい面持ちで言った。「お前の秘密はすべて暴露された。私の大切な生徒たちへの凶行も到底許すことはできない」
だがエルトセプスは至って平然として、冷ややかな目を先生に向けた。「こうして顔を合わせるのは初めてだな、シャーレの先生。一体何の権限があって、私と彼女たちの間に土足で踏み入るんだ?これまでまともに関わった事もないのに、この場でしゃしゃり出る資格は全くないぞ」
それまで黙っていたムツキが怒気をはらんだ声を出した。「どうしてゲッコウちゃんを撃ったの」
「そいつが亡霊部隊の運用に支障をきたすと分かったからだ。過去の報告でゲッコウがソウを止めた事は知っていたから、早めに眠ってもらっただけだ」
アルが言った。「やはり誰かにスパイをさせていたのね」
エルトセプスは肩をすくめた。「それ以外にレイからも証言をすっかり聞かせてもらった。連邦生徒会はこちらの行方を全く把握できていないな。偉ぶっていても、実情はこんなものさ」
PMC兵に囲まれているレイは、顔をこちらに向けなかった。痛みに負けた自分自身に失望したような様子だった。腕や足には、紫の痣や切り傷がいくつもついていた。
「ところで便利屋68」アスが冷たく言った。「オアもブラックリスタも必要以上に長く敵を生かしすぎたとは思わないか?自分の過去について小説にして三、四ページも使うほど演説して、まだ利用価値があるとかほざいては自分が盤面を支配できている唯一の人間だと誤解して酔っていたんだ。その結果、お前たちに反撃の隙を与えてきた」
「おかげさまで助かっていたけどね」カヨコがつぶやいた。
「そこで私は考えたんだが、今みたいに邪魔者が全員揃っているならすぐさま始末するべきと思ったんだ。便利屋68はいい加減しつこいし、シャーレの先生もついでに消せるなら都合が良い」
その言葉を聞いた瞬間、ムツキが機関銃をばっと構えた。
二発の銃声が続けざまに轟くと、赤い機関銃はムツキの手からこぼれて草地に落下した。エルトセプスの大口径拳銃は、黒い目でムツキを睨んでいた。
「私にこんなものを使わせるな。焦らずとも全員あの世に送ってやる」エルトセプスが合図すると、背後からさらにPMC兵が現れて全員が突撃銃でこちらに狙いを定めた。
いつもなら真っ向からの勝負でも便利屋68は受けて立つし、先生も指揮を始める事だろう。しかしゲッコウに放たれた一発が全員にストッパーをかけた。これは勝敗を決めるためのスポーツではなく、生き死にのかかった殺し合いだ。黒服の忠告が今になって身に染みた。PMC兵が構えている全ての銃にDAが仕込まれているのだろうか。もしそうなら一か八かの反撃を試みても、すぐさま蜂の巣にされるだけだ。それに平原では身を隠すところもない。万事休すという一言が当てはまる状況だった。
緊張が高まっていくのが肌で分かる。エルトセプスは血に飢えた獣みたいに、処刑開始の合図を待っていた。しかもその旗を自分が持っているのだ。先生が口を横につぐんだ。
エルトセプスの手がゆっくりと上がる。もうすぐ来る。ハルカが目をつむった。カヨコが唇を噛んだ。ムツキは仇を静かに睨みつけていた。
「用意──」
突然紫色の光が一直線に飛び込んでくると、エルトセプスはとっさの側転で回避した。こちらへ狙いを向けていたPMC兵たちが次々に紫の光に呑まれて、細かい鉄片をぶちまける。空を見上げて応戦していたが、一人ずつ形を為さなくなり草や土までひっくり返された。衝撃が平原を揺るがして、山々に木霊して繰り返される。冷静だったPMC兵たちが虚しい悲鳴を上げた。
エルトセプスは驚いて地面に身体を伏せると、レイも頭を抱えて小さくなった。アル達も同時に身を屈めたが、銃口の狙いがそれたおかげで武器を手に取る時間ができた。だがこの流れで使う事はなさそうだった。
騒ぎを聞きつけたPMC兵が続々と草原から身体を起こすが、動いた瞬間に紫の光が粉砕する。ほとんどは反撃はおろか、攻撃の正体を見る事すらできずに倒れていた。紫の光が一筆書きみたいに敵を薙ぎ払い、通過した跡は濃茶の土が表面にでていた。動けば自分もああなる。単純な事だが洗脳されたPMC兵は理解できないようだ。機械らしく命令を忠実にこなす事しか頭にないといったように立ち上がり、そのたびに散らばる部品の数が増える。今では五十以上いたPMC兵は、ほとんど影も形もなくなっていた。
紫の光が近くを通過すると、アルは掃射音が耳に入ったのが分かった。これは銃火器だ!そして遠くからもう一つの唸りが近づいてくるのを耳にした。大きな排気音とエンジンの唸り。振り返ると戦車や装甲車が大地を駆けて、山の向こうからヘリコプターまでが大挙して押し寄せてきた。
装甲車には連邦生徒会のロゴマークの他に、いくらかゲヘナ学園のものも混じっている。アルにもようやく状況が飲み込めてきた。
車両の軍団が近くで止まると、続々と連邦生徒会の職員たちが出てきた。そして白い制服連中の中には、黒いブレザーを着た者が入り混じっている。赤い腕章、ゲヘナ学園風紀委員会だった。一機のヘリコプターが草原に着陸すると、ドアを開け放って七鏡リン、不知火カヤ、そして常闇ゲンゲツまで出てきた。紫色の掃射も止むと、空崎ヒナがふわりと降り立った。
ひとまず危機は去ったが、これはどういうことだ?アルはため息をつきたくなった。連邦生徒会を出発してから、十二時間には到底早い。ゲンゲツが口を割ったか、シャーレの不在がばれたかのどちらかだ。
ヒナはアルに歩み寄って、それから倒れたままのゲッコウを見下ろした。拳を固く握りしめたのが、アルには見えた。
「救急班、この子をお願い」ヒナが簡潔に伝えると、すぐに担架をかかえた隊員が二人やってきてゲッコウを連れていってしまった。横たわっていた跡は、まだ赤いしみが残っている。一雨降らない限りは落ちそうにない。
リンは銃を構えた職員にエルトセプスを包囲させた。先生とアルの方を一瞥したが、きっとした冷静な面持ちでアスへ近づいた。「武器を捨てて、両手を上げなさい」
アスは神妙な顔でリンを見たが、しぶしぶ両手を顔の高さへ持ち上げた。レイもうずくまっていたが、アスに倣って手を上げた。
リンは表情を崩さなかったが、声に少しだけ得意の色が出た。「随分と好き勝手を働いてくれましたね、下尊アス」アスは口を閉じたままだった。
「ええ、何も言わずとも結構ですよ。あなたを連邦生徒会の地下取調室に閉じ込めてから、ゆっくりと駄弁を聞かせてもらいますので」
それだけ言うとリンはアル達──特に先生に険しい顔つきで向き直った。「色々とお話しなければならない事があるようですね。違いますか?」
「ああ、おかげで助かったよ。ありがとう」鈍感を装って、先生は爽やかに返した。「でもどうしてここにいると分かったの?」
「連邦生徒会の内部でこそこそして、バレないとお思いになられていたんですか?あなた達が備品倉庫にゲンゲツさんを連れていき、内密の話をしていた事をカヤ防衛室長が告げてくれましてね。わざと泳がせて行方を追いながら、ゲンゲツさんに事情聴取をしたら白状してくれましたよ」リンはポケットからしわだらけの写真を一枚取り出してみせた。
アルはゲンゲツに振り返った。カヤに連れられるゲンゲツはこちらに目を向けようとせず、先生に目線で助けを求めているようだった。それに気づかない鈍感な先生ではなく、ゲンゲツにフォローを入れようと歩み寄った。
「なんだ、とっくにバレちゃってたのか。ならゲンゲツを責めないであげて。彼女に協力を頼んだのは私だから……」
ゲンゲツの光のないすみれ色の瞳が、じっとシッテムの箱を見ていた。「幽霊は日に晒された。亡霊の勝ちだな」
カヨコがはっとして叫んだ。「先生、離れて!」
忠告が耳に入る直前、ゲンゲツの手がシッテムの箱をひったくると先生の首元を腕で締め上げた。膝を裏から蹴って体勢が崩れると、右手のナイフを先生の顎に沿わせて拘束した。
カヤは隣にいたにも関わらず、突然の出来事で携帯した銃を向けることが出来なかった。「ゲンゲツ、やめなさ──」止めようとしたが、先生の顔に刃が突き立てられるとそれ以上動けなかった。周りにいた連邦生徒会の職員のいくらかはゲンゲツに銃を向けたが、先生を人質に取られていては無暗に撃てない。躊躇している間に、ゲンゲツはアスの近くに陣取った。アスは手を降ろして、堂々と突っ立っている。連邦生徒会と風紀委員会の大軍に囲まれても平然としていた。
アルは驚愕の声をあげた。「ゲンゲツ、どういう事なの」
ゲンゲツは口元を歪めて邪悪な笑みを浮かべた。「ああ──何か言いたそうだな、アル。先生からこういう時は何と言うのか教わらなかったか?潔く、諦めて、負けを認めるんだ。”こういう日もある”ってな」
カヨコが舌打ちをしてつぶやいた。「やっぱりそんな事だったんだ」
「……どういうこと」アルがカヨコを見た。
「なんだ、カヨコは気づいてたのか?ならいつ気づいたかが問題だ」
「グラウンドゼロやスワン空港で先回りされていた時から、ずっとおかしいとは思ってた。一時はオアみたいに予知能力が使えるのかと思ったけど、私たちの動きを知って報告するならゲンゲツが適任だと思ってた」
カヨコが不信感を持ったのは、ゲンゲツの顔を被ったスライによってネオ・チャレンジャー基地へ赴いた時だった。あの時のエルトセプスは便利屋68を見て、あきらかに驚いていた。つまり事前に何も察知できていなかった。スライも黒服と組んでいたり後ろ暗い所はあったが、エルトセプスを倒すという目的ではこちらと合致していた。
アルもこれまでの作戦行動を冷静に検討していった。全ての辻褄があう。
「なんだ、そこまで分かっていながら何故備品倉庫で私を信用したんだ?」ゲンゲツは首を傾げた。
エルトセプスが素っ気なく返した。「ふん、情が捨てきれなかったのが答えか。お前も甘いな」
カヨコは静かに話した。「……グラウンドゼロから帰った後で、ゲンゲツは私たちのために本気で怒ってくれたよね。その他にも色々助けてくれて、そのおかげで本能で察しても、理性が拒否していた。裏切っているなんて考えたくなかったのに、これまでの事はすべて嘘だったの?」
ゲンゲツは少し考えてから応えた。「全部嘘って訳じゃないさ。君らを守らなきゃと思う事もあったし、こんなに信用されてるのに騙して悪いなとも思ったよ。けど私の本当の主人は亡霊だし、それに計画を完遂させて世界を変えなきゃいけない。序列で権限を握っただけの連邦生徒会や、ぽっと出のシャーレにでかい面をされてたまるか」
リンは拳をわなわなと震わせていた。「ゲンゲツ……これは明確な反逆行為、連邦生徒会役員として厳罰に値しますよ」
ちっとも怖くないと言った様子でゲンゲツは返した。「その呼び方はよしてくれないか、反吐が出る。それにその薄っぺらい善悪の概念も間もなく作り替わるんだからな」
「何を」
アスは一歩前に出ると、国家元首のような態度になった。「その通りだ。連邦生徒会とゲヘナ風紀委員会、連邦捜査部、そして便利屋68──目下の敵がよくぞ大挙してゴルゴダに集まってくれた」大袈裟に両手を広げて、辺り一帯を囲う銃火器を見回した。「役者は揃った。おかげでテラーズ・オブ・ザ・スペクトルは既に成功を収めた!」
世界が静まり返った。聞こえるのは気ままに吹くそよ風と、内面の鼓動だけだった。理解が及ばない。いったい何の計画があったのか、それとも気づかぬ内に何か間違いを犯していたのか?辺りがざわめき始めた。
「何の計画があったっていうの」カヨコが尋ねた。
小さく驚く声が上がると、ガシャンという音を立てて、ヒナが自分の機関銃を地面に落とした。ヒナはすぐにそれを拾い直そうとしたが、機関銃が持ち上がらない。
この不思議な現象はアルにも起こった。急に狙撃銃が両手で持っていられないほど重くなると、驚いて落としてしまった。慌てて手を伸ばすが、先ほどまで軽々と扱えていた狙撃銃が丸太のようにずっしりと感じられた。
ハルカは無反動砲を背負っていたため、急に重みが増した事で仰向けに転がってしまった。立ち上がろうとしてもがいている。ムツキも細い腕で機関銃を何とか持っていたが、弾帯を付けた状態では銃口が地面を見下ろしてばかりだった。同じ現状があちこちで起こり始めた。拳銃や軽機関銃は問題ないが、武器が大きくなるほど扱いきれずに落としたりまともに狙えていない。
先生も状況が飲み込めていなかった。何かが起こっているのは明白だが、誰もその正体を掴めていない。
「これが、エルトセプスの計画なの?」アルがつぶやいた。
カヨコだけは問題なく拳銃を持てていた。エルトセプスはカヨコを見て、ふんと鼻を鳴らした。「やってみろ。ただし腰をしっかり入れるんだぞ」
「親切なご忠告どうも」カヨコはエルトセプスをしっかりと見据えて、人差し指でトリガーを引き絞った。
けたたましい銃声が響き渡ると、弾丸はエルトセプスのどこかへ命中した。当たったのは分かったが、注目したのは発砲後のカヨコの方だった。顔をしかめて、グリップから手を離すと払った。一発の射撃だけで手が痺れるなんて今まで見たこともなかった。
「どうした?調子が悪いみたいだな」アスはせせら笑うと、それまで弄んでいた拳銃をすかさず構えて銃火をひらめかせた。
カヨコは肩を強くぶたれたように身を翻して、地面に倒れ込んだ。アルにはエルトセプスの放った弾丸が、カヨコの右肩を貫いて飛んでいったのが見えた。苦悶の声がもれる。拳銃を落として、肩を強く押さえると指の間から赤いものが滴る。エルトセプスはわざと急所を外した。そうしないと今のカヨコの身体では、ただ一発の銃弾でも命取りになりかねない。ただ一発でも。
先生が青ざめていた。アルは気づいた。これではまるで先生と同じ、神秘を持たない身体にされたようなものじゃないか。ならばこれが……。
「これがテラーズ・オブ・ザ・スペクトルだ」エルトセプスが高らかに宣言した。「お前たちはDeath for Angelを単なる殺人兵器としか見ていなかったな。確かに不完全なDAは宿主の神秘どころか、身体もろとも破壊して崩壊させる。だが完全なDAは神秘のみに干渉して、細かく切断する。つまりお前たちキヴォトス人から神秘の力を取り除いて、見た目相応の子どもの身体にできるんだ。どうだ?筋力は遥かに衰えて、息切れしやすく、それに壊れやすい──それが本来のお前たちだ。これまで当たり前に思っていた力は、全て身体に宿っていた神秘の影響に他ならない。私の長年の研究はこうして実を結んだ……世界は新章へと突入するんだ!」
誰もが凍り付いている。自分の身に起こった事を呑み込めない。世界が真っ白になったみたいだった。
エルトセプスは拘束された先生の顔をのぞいた。「どうだ、先生。これじゃお得意の指揮もご破算だな。ただの子どもに武器を持たせて戦わせるなんて、大人として恥ずべき行いだ──そうは思わんか?え?」
先生は苦し紛れに言った。「何が狙いだ。こんなことをして一体何になるんだ」
エルトセプスは表情を変えなかった。「私が傭兵会社RAXAの再建を目論んでいると予想していたが大外れだ。一度危険因子として社会から排除された組織を、わざわざ目立つ形で再建して何になる?それは本当の目的じゃない」ゆったりと立ち上がった。「神秘が消えてしまえば、キヴォトスではもう銃を面白半分では使えなくなる。そうなれば人類は選択を迫られるだろう。これまでの愚かな社会を生かすか、それとも銃を捨てて新たな段階へと進むか?お前たちは私を極悪人に決めつけて、私の計画を世界に対する犯罪として駆り立てていたな。だが脳みそを最大限に動かして考えてみろ。私のような高次の見方をしてみるんだ」
エルトセプスも例にもれず演説好きだった。しかし前に挙げた二人と違い、計画が完成されている。自分は以前の二人とは違うと言いたいのだろう。エルトセプスは長い演説に一息入れた。
アルはうんざりしていた。こういう話の中身はいつも同じだ。自分の計画を正当化しているんだ。もっともらしい理屈をつけて、自分が絶対的な有利にあって揺るがない事が分かると、窮地に陥った相手にぺらぺらと自分がどんなに素晴らしい頭脳の持ち主なのか話すのはとても気持ちの良いことなのだろう。こんな奴の話を受け入れるつもりはない。ゲッコウの犠牲を正当化なんてさせない。
エルトセプスは整然とした説明口調だった。「ところで陸八魔アル。お前は私を天唯オアやブラックリスタと同列に考えていた節があるな。ここで一つ、その誤解を解いておこう。まずオアが起こしたネオ・チャレンジャー基地占拠事件は、精神を病んだ病人が起こした一種のヒステリーみたいなものだ。こういう奴らはたいてい手に届く物を投げたり壊したりするが、オアの場合はたまたまロケットが手に入ってそれを使おうとしたに過ぎない。これには目的も何もない、論理性に欠けた無謀な一騒ぎだ。次にブラックリスタが起こした一連の事件だが、あれはただの私欲だ。身を守るための道具にDAを選んで、自分の城に持ち込もうとした。だがこれは動物の生存競争で考えれば、少しは理にかなった行動だ。人類の遠い祖先は身を守るために棍棒を手に取った。例えのままで言えば、これも一匹の猿の思い付きに過ぎない。そして最後に私の計画──テラーズ・オブ・ザ・スペクトルだが」エルトセプスは再び一息入れた。「アル、長い付き合いのお前には真実を打ち明けておこうか。私も研究者として長年キヴォトスを観察して研究を続けてきたが、最近になってある倦怠に悩まされていたんだ。キヴォトスの連中、特に君たちのような神秘を持つ生徒は、何か気に食わなかったり癇癪を起こしたりするたびに気安く銃を手に取っているな。銃社会に身を置いていては分からないかもしれないが、ずっと外から研究を続けていた私にはひどく退屈に思えたんだよ。君らは大した頭脳を持っているはずなのに、何かあれば簡単に銃を手に取ってばかりで全く思考が成長しないどころか退化している。キヴォトス人だけでなく機械人たちがPMCを産業として定着させたおかげで拍車がかかって、今ではどこも猿だらけだ。そこで私は人類の進化を阻害するものは銃火器と神秘の二つだと結論付けて、こいつらと戦ってやろうと決心したんだ。そこで私は世界と人類を解放するための有用な方法を思いついたんだよ──キヴォトス人がのさばっている原因である神秘を消し去ってやることだ。それによって私はお前たちに選択の機会を作ってやっているんだよ。それが先ほどの愚の社会か進化かという話だが、神秘を消すことで銃を手放す機会を作ってやったんだ。誰だって痛みから逃れたいし、死には近づきたくもない。私はお前たちが年相応に振舞える社会の土台を作って、もうこんな醜い鉄片に捕らわれず過ごせるような世界を作ってやろうというんだ。オアの姉妹という表現は実に的を射ていたな。最も姉は私で、妹がお前たちになるわけだが。それにPMC離反兵を大勢出したのも、神秘がなくなった世界に不要なものを先に消してやろうと考えたためだ。世界で反PMCの機運が高まってPMCが解体されて、君たちも無垢な子どもに還れば、神秘と銃火器がなくなった世界は住みよいものになるだろう。私はこの真に解放された世界をRAXAと仮称しているが、実現されればきっとこの名は残るだろうな。今のところ愚鈍な連邦生徒会は私の雅量に気づいていないがな。しかしこれは犯罪どころか、世界でも類を見ない最大の公共奉仕であることは認められると思うぞ。これのどこが大きな罪になるというんだ?」
アルはもう理屈を聞くのはたくさんだった。「あなたがスペクトルを狂わせて、ブラックスターを扇動し、生死を玩具のように弄んで、仲間を大勢傷つけたから私たちはずっと追っていたのよ。あなたみたいな異常者の都合だけ喋らないで!」
「まあ、いいさ。お前と私が相いれない事は分かっていた。それではこちらも仕上げにかかろうか」
天蓋のような灰色のどんよりとした雲はずっと停滞していた。エルトセプスが指を鳴らすと、雲の中でもひときわ黒色が濃いものが出てきて膨張し始めた。竜巻のように徐々に回転を強めていき、バベルの塔のように巨大な黒いねじれへと成長する。そよ風が急に嵐のように強まって、ゴミが入らないよう目を覆った。やがて黒い竜巻が徐々に霧散していくと、先ほどまで何もなかった空間にだいだらぼっちの影が現れた。二足で直立しており、城のように見上げるほど大きい。頭は天守閣のように平べったく、全身を特殊な防弾合金で覆われたヒト型兵器。
ガリバーが手品のように現れて、ゴルゴダの平原に降り立った。どよめきが起こり、動揺が目に見えて広がる。連邦生徒会の職員たちがひきつった顔で銃を降ろして見上げて、風紀委員会もそれに倣った。
エルトセプスは満足げだった。「結構、それではDAレイの試射を始めようか。ガリバーがテラーズ・オブ・ザ・スペクトルの鬼火を世界へ広げる。この一発でキックオフだ」
地面にうずくまったままのレイの身体を引き上げると、エルトセプスは悠然と背を向けて歩き出した。ゲンゲツも先生にナイフを突き立てたまま、ゆっくりと後ずさりでついていく。先生はもがいていたが、神秘が取り除かれてないゲンゲツの腕は払えない。ヒナが追いかけようとしたが、ナイフが先生の肌に触れると忌々し気に止まる事しかできなかった。
アルは声を張った。「そうはならないわよ」
エルトセプスが立ち止まった。ゲンゲツがアルを睨んだが、エルトセプスはもったいぶって振り返った。「……なんだ?」
「確かに神秘はなくなったかもしれないけど、銃火器が全く使用できない訳じゃないわ。ここには連邦生徒会と風紀委員会の武装が一通り揃っている」
「それがどうしたんだ?」
「PMC兵はさっきの攻撃でほとんど破壊したわ。そして亡霊部隊も動かないまま。あなたの戦力は自分とゲンゲツとガリバーだけ。ここであなた達を倒せば、鬼火が世界へ広がる事もないわ」
エルトセプスは黙っていた。やがて風向きが変わってくると、続々と武器が手に取られる。ヒナもいつもの機関銃ではなく、市販の軽機関銃を受け取った。ハルカは自身の散弾銃を手に取り、ムツキは弾帯を短くして何とか取り回せるようにした。アルはムツキから、近くにあった拳銃を手渡された。物言わぬ長物と化した狙撃銃よりずっと小ぶりで、軽くて扱いやすい。アルはワルサーPPKの弾倉を取り出して、弾が入っているのを確認した。グリップの底から差し込むと、一度スライドを引いた。「あなたの戯言は聞き飽きたわ。ここは銃器社会キヴォトスよ。決着をつけましょう、エルトセプス」
「そのざまでよくほざけるな!」アスは大きく高笑いした。「お前たちの相手なら他にいるさ。そいつらと血の洗い合いでもしてろ!」
集団の中で不審な動きがあった。風紀委員会の制服を着ていた一人が拳銃を取るや、ヒナの背に銃口を向けた。
カヨコがすかさず自分の拳銃で狙い定めて、手元目掛けてトリガーを引き絞った。右肩に響いて呻くが、ヒナを狙っていた拳銃は宙を舞った。その隙に近くにいた風紀委員が取り押さえた。
今のが試合開始のゴングとなり、あちこちで同士討ちが始まった。エルトセプスは連邦生徒会や風紀委員会にも、PMC離反兵のように洗脳した生徒を紛れさせていたらしい。洗脳された生徒は躊躇なく銃を撃つが、反動を制御しきれずに落としてしまったりしている。残りはそれまでの仲間を銃撃する度胸が湧かずに、結局掴み合いの取っ組み合いになっていた。装甲車が暴走を始めると、別の装甲車が自らぶつけて止めに入る。戦車もお互いに狙いを定めきれず、そもそも勝手が違うため動かす事すらままならない様子だった。ヘリコプターも早々に着陸して、地上での争いに身を投じていく。エルトセプスがいったように昔の武器を持つ前の猿人の争いみたいな光景だった。
アスとゲンゲツは、それぞれレイと先生を連れて赤煉瓦の廃墟の中へ逃走した。ガリバーはまだ動く様子はなく、ただそこに直立しているだけだ。だがいつ動き出してもおかしくない。
アルはエルトセプスを追おうとした。しかし銃弾が目の前をかすめると、風紀委員会の下っ端がすぐ目の前まで迫って来た。
「アル様に近づくな!」ハルカが叫ぶと、散弾銃を逆手に持って棍棒代わりに殴りつけた。女は地面に転がったが、すぐに新しい敵がやってくる。これではきりがない。
「アルちゃんはあいつを追いかけて!必ず勝ってね」ムツキが傀儡たちの前に立ちふさがった。
「二人とも恩に着るわ。気を付けるのよ!」アルはカヨコを連れて、赤煉瓦の廃墟へと向かった。ゲッコウのため、ハヤテのため、そして忌まわしい過去と未来の安寧のためにも亡霊を必ず追い祓う。