便利屋68:3 テラーズ・オブ・ザ・スペクトル   作:まーろう

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28 願いこそ永遠に

 アルは倒れたエルトセプスを眺めていた。灰色の雲が少しずつばらけていき、遠くの山影の上に夕日が姿を現す。少しずつだが、周りの空気が澄んでいくのが分かった。オレンジ色の陽光が、決闘場に漂っていた陰気な光を吸い込み、浄化しているのかもしれない。自分では見えないが、きっとヘイローもすぐ元通りになるだろう。

 

 複数の足音を聞きつける。顔を上げると、自分を奮い立たせてくれた仲間たちがいた。ムツキ、カヨコ、ハルカが走って近づいてくる。先生は後ろから歩いて来て、ソウも近くに控えていた。

 

 三人が歩を緩めると、倒れた女を見た後にムツキが言った。「終わったね」

 

「ええ」アルは言った。「終わったわ」

 

 カヨコが心配そうに口を開いた。「ひどい怪我……社長、大丈夫?すぐに手当てしてもらおう」

 

 アルはこのような感慨は初めてだった。まだ生きていて、仲間と会う事ができる。九ヶ月に及ぶ亡霊との因縁が決着して、暗雲が払拭された。

 

 ハルカがぐずぐずの声になっていた。「良かったです……アル様……」アルはハルカを手で呼び、そっと撫でてやった。するとムツキが近寄って、アルの頭を撫でる。ようやくアルの顔もほころんだ。

 

 追いついた先生にも安堵の色があった。生徒の無事が何よりも安心に思えたのだろう。そっと言った。「アル、お疲れ様」

 

 ソウは先生から一歩離れた場所で、アルを見た後にエルトセプス──アスを見下ろした。

 

 アスの息は絶えそうだった。「アル……」

 

「なに」アルは応えた。

 

「これからだぞ……お前には亡霊が付きまとう。そして一時的にでも神秘をなくした……命を奪いかけた銃への嫌悪が染みつき、私の理想郷RAXAの遺志を継ぐ次世代となる……」

 

 アルが何も言えないでいると、先生が代わりに応えた。

 

「エルトセプス、彼女はお前の次世代になんてならない──させはしない」

 

「なぜだ先生?なぜ彼女たちを庇う……キヴォトス人は銃を持ち、脅威の身体能力を備えて、中には奇術を使う者もいる。私は彼女たちを無害な子供にしようとしただけだ……それが世界や彼女たちの平和に繋がる。先生もそれを望むはずだ」

 

「君のやり方では世界を変えることは出来ない。私も最初は混乱したけど、キヴォトスや彼女たちにとって銃は当たり前のものなんだ。今回のように神秘をなくしたとしても、世界は一度手にした銃を忘れることはできない。いずれ新たな暴力が登場して、今度はじゃれ合いじゃ済まなくなる。それはいずれ善悪も分からない、凄惨な戦いになる。私は先生として、彼女たちにそんな運命を辿らせるわけにはいかない」

 

「ならば、先生は諦めるのか?キヴォトスで平和を実現するなど……絵空事なのか」エルトセプスの体が震えていた。

 

「違う、確かに世界のあり方そのものは変えられない。でも変えられるものもある。ほんの一時でも彼女たちが銃を手放して、年相応に振る舞えるような世界にすることはできる。気の許すような友達と、スイーツを囲んで、他愛もないおしゃべりをして、心の底から笑える瞬間なら、きっと実現できる。私はそう信じてここにいる」

 

 エルトセプスは黙って耳を傾けていた。急速に弱っている。DAの効果がもう限界なんだろう。

 

「エルトセプス」

 

「なんだ……アル?」

 

 アルはエルトセプスに近づいて、顔をのぞいた。「信念は似ていようと、先生とあなたの行動には天と地ほどの差があるわ。あなたのしたことは、とんだ迷惑よ。何も生まない──それどころか被害が増すばかり。大迷惑だわ。いくら世界がひどいからといって、こんな計画を世のためだなんて。なんて惨めなこと……」

 

「何が言いたい」

 

「……スペクトルの子たちにこんなことしかしてやれなくて、さぞ辛かったでしょう。あなたがスペクトルを作った。そしてオアたちと関わるうちに、少しずつ気に入るようになっていたんじゃないの。だからスペクトルが利用されてネオ・チャレンジャー基地で倒されたと知ったあなたは、アスに乗り移り、破棄された研究を復活させて、スペクトルを蘇らせた。RAXAに拘っていたのも、昔に居場所を奪われたオアのために、新しい場所を作ってやりたいという親心のようなものがあったんでしょう」

 

「オア」エルトセプスは小さく言った。それから苦しげに笑った。「……そうか、そうだった。私は……彼女たちを、愛してしまっていたんだ。ああ、なんてことだ……悪党失格だな。そんなことに……今まで自分で気づけなかったのか」

 

「あなたの亡霊──恨みや怨念を連れたまま、生きるつもりはない。だけどあなたが愛した彼女たちを、私はずっと忘れない」

 

 先生も後に続いた。「そして君の平和への願いは、私が受け継ぐよ。神なんてどこにもいない(God is no where)、私たちが新しい世界を作って見せる」

 

 エルトセプスは目に諦めを浮かべて、二人を見た。「奇妙だな……安心した」呼吸が浅くなる。「ならば、託すことにしよう……これで、私の遺志も生き続ける……ありがとう……」

 

 最後の息を吐き出すと、目を閉じた。それから急に咳き込み、顔をしかめると、憑き物の取れたような青い目がアルを見つめた。

 

「いい……根性だった……さすが……オアの認めた幼馴染だ……」

 

 今度こそ静かになると、彼女は息を引き取った。

 

 アルは三人の社員たちに支えられて、ゆっくりと立ち上がった。ようやく区切りがついた。

 

 あれほど激しく駆り立てて、憎み合っていたはずなのに、最後に生まれたのは同情と憐れみだった。争いは何も生まないというが、しかし確実に得たものはあった。達成感ではないが、それでも区切りがついたという実感だ。

 

 アルはソウを見た。かつて仲間だった女を静かに見つめている。感じるものがあるのは自分と同じかもしれない──たった一日で大勢の親しい者を亡くした。ゲッコウのことを引きずらないだろうか。

 

「ソウ」カヨコが小さく声をかけた。「死なないでね。ゲッコウも私たちもそんなことは望んでないから」

 

「カヨコ」ソウはつぶやいた。「……どうしろと言うんだ。誰も私の側から消えて、もう何も残ってない天涯孤独の身だ」

 

「ソウ、君は生き残ったんだ。私からのお願いだ、どうか彼女たちの分も生きてほしい」先生はソウを見ていた。

 

 口をつぐんだまま、ソウは目を逸らした。自然な反応だ。いきなり言われて飲み込める訳がない。だがせめて、先生の言葉の意味が分かるまでは生きてほしい。アルも切実にそう願った。

 

「彼の言う通りだ、ソウ」だしぬけに第三の声が響いた。アルは反射的に振り返った。

 

 草原に黒いシャツを着た女性が佇んでいた。簡素なズボンを履いて、武器も何も持っていなかった。

 

 白い髪にグレイの目。女がはっきりとした声を響かせた。「また会えたな、アル、ムツキ。私が天唯オアだ。初めましてになるな、先生」

 

 その場の全員が立ち尽くした。かつて自分が倒した幼馴染の姿に、アルは釘付けになっていた。

 

 オアは最後に会った時と、ほとんど変わっていなかった。だがやはり、右目に紅い死者の烙印がある。彼女もまた、エルトセプスによって蘇った亡霊だった。

 

「どうした、アル?亡霊でも見たような顔だぞ」

 

亡霊(スペクトル)はオアの方じゃない!いや、それより、あなたも復活していたの?」

 

「ああ、オルとソウと合わせて、私も谷底から引き上げられた。アス──エルトセプスは私も蘇らせたが、亡霊部隊には加えなかった。代わりにガリバーの核に私を乗せていたんだ。だから破壊されたことで、ようやく自由の身で出てくることができた」

 

 オアはアルから、ソウへ視線を移した。ソウは躊躇いがちに言った。「ボス。オルとアスは、この世を去った」

 

「……そうか」しんみりとした様子だった。「ソウ、スペクトルはあの日に自然消滅した。だがあえて宣言しよう──スペクトルは今日限りで解散だ。私ももうすぐ消える。だがお前にはやるべきことがある」

 

「やるべきこと?」

 

「ガリバーの中から、私はあらゆるものを見た。奪還されてからゴルゴダの平原に移る前に、上永レイがDeath for Angel(天使に死を)のプログラムを改竄していた。それは私は存在自体が機密だから対象外だった上、DAレイも手は加えられてなかった。レイは亡霊部隊のDAの弱毒化を試みていたんだ」

 

 カヨコがはっとした。「それじゃ、ソウだけ再活性化しなかったのは……」

 

「レイはお前の体内のDAを遅滞させていた。どうして急に心変わりしたのかは、私の理解には及ばないがな」ここでオアは意味ありげにアルを見た。「しかし、あくまで遅滞させただけだ。進行を食い止めたり、完全に消滅させたわけじゃない。少し猶予ができた──その猶予は、お前の好きなように使え」

 

「猶予……」ソウはオアの言葉を繰り返した。

 

「ところで先にDAの完全消滅は無理だと言ったが、実はかなり特殊な条件が揃えば不可能じゃない」

 

「条件?」

 

「知っての通りDAは神秘を媒介として干渉する。だが例えば神秘自体がなくなったり、ばらばらになっていたらどうなる?DAもまた存続困難──または既に憑りついた神秘の一部分を壊すだけに留まる。神秘が完全に犯される前に、このような状態になれば体内のDAは自身を維持できずに消滅する。かなり稀な──本当の強運の持ち主の例だがな」

 

「神秘がなくなれば……」ソウは段々と話が飲み込めてきたようだった。

 

「もしスピリチュアルな人間の話を信じるなら、会いに行ってやれ」

 

 感情のこもりにくいソウの声に、希望の色が混じった。「分かった──ボス、ありがとう」

 

「私はもはやお前のボスじゃない」

 

「そうだった、オア」ソウは会釈だけすると、足早に去っていった。

 

 オアは後ろ姿を見送ってから、アルに向き直った。オアの印象はもう、アルにとって敵ではなく幼馴染になっていた。ネオ・チャレンジャー基地でのぎらぎらした様子は影も形もない。

 

「数年前、ここで私は全てを失った」オアは飄々とした態度だった。

 

 アルは遠慮がちに言った。「傭兵会社RAXAのことね」

 

「そうだ、アスと二人だけ生き残っても、私は深い傷を負った。一生残る見えない傷だよ。その時に関わったのが、エルトセプスだった」

 

「スペクトルを組織したのも奴だったわね。目的は何だったの?」

 

「次期連邦生徒会長の創造」

 

 先生が絶句した。アルも素っ頓狂な反応を示した。

 

「本当だ」オアは続けた。「私に予知能力なんかない。それはエルトセプスの力の借りものに過ぎなかった。奴はその力で連邦生徒会長が失踪するという事実を掴み、自分が手を加えた超人を座らせようとしていた。そのひな型に選ばれたのが、RAXAの統率者だった私だ。全てを失い絶望した私を導き、超人に仕立て上げる計画だったんだろうな。だが本人がゲマトリアを追われる身になり計画は中断。私の存在を隠すために、カイザーの秘密組織という隠れ蓑を作ってそこに匿った」

 

「それがスペクトル……」ムツキがつぶやいた。

 

「創設時はアスと二人で、後からオルとソウが加わった。一時的な措置だと思っていたが、いつまでも奴は帰ってこなかった。そのうちに私自身も気が違ってしまって──後は分かるな?」皆まで言わせるなと言いたげだった。「あの日絶望した私は、自分から立ち直ろうともせず、エルトセプスに頼り切りになった。思えばあの時から、私はまともに何かを決定する事もなくなった。全てエルトセプスの予知に頼り、最善の答えを選択し続けた。それが突然止んだことで、極度の不安から私は私ではなくなってしまった。もし私がお前だったなら、また違う未来があったかもしれないな」

 

「オア……」

 

「私がアルの元から去ったのは、リーダーの資質を持つ者同士が相いれる事はないからと、そう言ったな」

 

 アルは頷いた。忘れるはずがない。ネオ・チャレンジャー基地での狙撃戦前に、オアは自身の哲学について話していた。

 

「この考えがあったのは本当だ。だが一番の理由は、私の手本がアル──お前だったからだ。私が傭兵会社なんて作れたのも、アルの姿を見てリーダーたるべき人物像を学んだからだった。私は、アルのようになりたかったんだ」

 

「私のように?」アルが聞き返した時、オアの表情が陰った。突然唸って、頭痛に苦しむ。アルが慌てて手を伸ばすと、オアは遮った。一過性の痛みが過ぎると、オアは問題ないという仕草をして、アスの隣に腰を下ろした。

 

「まだ幼かったが、アルは私と全く違かった──既にリーダーシップの片鱗を見せていたお前が素晴らしく思えたんだ。それから大きくなって、私も長を張れると考えた。学校から離れて、自分の力を試したかった──虚栄心もあったかもしれない。だがRAXAは壊滅させられた。その時は何がいけなかったか分からなかったが、アルと再び会って何となく分かった」

 

 オアは先生を見た。「さっき先生が話してたことにも通じるが、可変と不変だよ。私もエルトセプスも、不変のもの──人間や世界の根底部分だな──を変えようとして失敗した。まず物を知り、可変と不変を見極めて、それから可変の部分を変えるしかない」

 

「そうだね」先生は優しく言った。「その答えに自分でたどり着けたら、立派なものだよ」

 

「先生、あんたの考える世界を、私も一度見てみたいな。どうすれば実現できるんだ?」

 

「そうだね……まずありのままの世界を愛する事。そのためには、世界をよく知らないといけない──人間の強さや弱さ、世界の美しさと醜さ。その両方を知らなければ、真にこの世界を愛することはできない。そして愛した世界をどうしたいか──より良くしていくためにどうするかを考えるんだ。私はそれを伝えるために、先生として生き続ける」

 

「ゲヘナのような生徒でもできると思うか?」

 

「私は生徒を信じる。例え銃がなくとも、人間には知恵と勇気があるからね」

 

 オアはふっと笑った。それから便利屋68の四人を見た。「ムツキ、アルを支えてやってくれよ。とんでもない無茶をするからな」

 

「クフフ、分かってるよオアちゃん」ムツキはにっこりと笑った。

 

「無茶をたきつけてるのは、だいたいムツキだけどね」

 

「だってアルちゃんってば、面白いんだもーん!」カヨコのつっこみに、ムツキはにやりとした。

 

「無茶なんていつものことだし、私たちも慣れてるから大丈夫」

 

「わ、私も、アル様を影からお支えしますし、死んでもお守りしますので……」

 

 アルは胸が詰まる思いだった。「私は大丈夫。何があっても、今回の事に比べれば楽勝よ。だから安心して、オア」

 

「ああ……これは先を見ずとも大丈夫だな……」オアは意識が混濁し始めたようだった。「アルたちは永遠だ。そしてこの世界も……ありがとう、便利屋68」

 

 奇跡的に倒れなかったイチョウの木から、黄色い葉が一枚舞い上がった。しばらく風に踊ると、夕日の差す光の中へと消えていった。

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