逃避行 作:妄想の悪魔
喫茶店「
傾きかけた陽が窓辺のテーブルを橙色に染める。デンジはその光の中で、ただ空を見つめていた。
──来ねぇよな……。
グラスの中の氷は溶け始めていて、カランと小さな音を立てるたび、デンジは扉を見やっては、ソファに沈んでいく動作を繰り返していた。
──来るわけ、ねぇか。
やがて氷が溶け切って、何処かで秒針の進む音が聞こえ出した頃。ギィ、と錆びついた音が店内に響く。
「レ……!」
視界の端で、捉えた
正直、もう来ないと諦めていた節があった。だから彼女を見た瞬間、腕から零れ落ちそうになった花束を、慌てて抱え直してデンジは再び彼女を見つめた。
「……呆れた。ほんとに待ってたんだ」
嬉しそうで、でも寂しそうな横顔が、夕陽に照らされている。
初めて会った日と同じくらい高鳴っていた鼓動は、少しずつ鳴りを潜めて。
「だってよ……、レゼだって来たじゃねぇか」
そんな憎まれ口を叩くくらいには、デンジも少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「別に。……マスターにお礼、言ってなかったなって思っただけ」
「マスターなら、買い出し行っちまったぞ」
「……そう」
そんな短い会話の応酬を終えて、デンジは深く息を吐く。脳内シミュレーションは完璧だったはずだ。だが、いざってなるとキンチョーして上手く言葉にできない。
「……これ、やるよ」
悩んだ末、ぶっきらぼうに花束をレゼへと差し出した。
「……どういうつもり?」
レゼは目を瞬かせて、その真意を問う。
「あー……なんか順番、逆になっちまったけどよ。ほら、こういうのって普通、渡すもんだろ? 花束とかさ」
一拍。
次の瞬間、レゼは吹き出した。
「……っぷ。あはははははは! 何それ! あれ、プロポーズのつもりだったの? あはは!」
笑いながら、レゼは思い返していた。
『一緒に逃げねえ?』
殺されかけたくせに私を蘇らせて、それでも私を好きだと言った男の言葉。
多分それが、私に向けられる最初で最後のプロポーズだったのだ。
初めてだ。感情が、あんなに揺さぶられたのは。
初めてだ。世界が色づいて見えたのは。
初めてだ。こんなバカに出会ったのは。
そう。私にたくさんの初めてをくれたのは、とんでもないバカだった。
「はぁ〜……ほんと、バカみたい」
──だからきっと、私もバカになったんだ。
「バカだよ。……でも俺はシンケンだ。レゼみてーなユートーセイ、ってのにはわかんねぇだろうけどな」
レゼの自虐じみた言葉を拾ったのは、この場に相対する唯一の人間。照れ隠しのように視線を逸らして、頬を掻いていた。
その仕草がとっても愛おしく思えてしまうのは、気持ちを理解したからだろうか。
「……優等生、か」
彼から貰った花束を我が子のように抱きながら、レゼは少しだけ考えて、告げる。
「デンジ君。ほんとはね、私も学校、いった事ないの」
「え?」
突然の告白にデンジは息を呑む。言葉までも飲み込まれる前に、レゼは続けた。
「マスターに別れを言いに来たって言ったけど、あれも嘘。……きっと、アイツらから逃げることなんてできない。だから──デンジ君はここに残って。それを伝えに来たの」
吐き出した言葉は痛みを伴って、耐えるようにレゼは唇を噛んだ。
これはケジメだ。自分を好いた人間に対する、彼女の最後の思いやりだった。
「……じゃあよ。邪魔する奴ら全員ぶっ殺せば安心だな」
だが、デンジにとってはそんなこと、どうでもよかった。いつだって彼はそうだった。ポチタと一緒になった日から、彼のやるべき事は何一つ変わっていなかった。
「……話、聞いてた?」
「聞いてたよ。……でも、どうしたいかは、もう決まってっから」
デンジは立ち上がって、レゼの前に行く。お互いの心音すら聞こえそうなほど、近くに。
柔らかな陽の光が、二人を優しく包み込んだ。その眩さに、レゼは目を細める。
「俺はレゼと学校行きてぇ。レゼの制服姿、見てぇし。だから──」
牧師なんていない。綺麗な約束じゃない。寂れた思い出の中で行われる、彼の誓いだ。
「逃げようぜ、二人で」
答えなんて聞かずに、デンジはレゼを抱き抱えて店を出る。行き先なんて考えていないだろうに。見切り発車な彼の腕の中で、レゼは唇を微かに動かす。
「……バカ」
無人の店内で。
テーブルに残ったグラスだけが、影を残していた。
XのTLをデンレゼで埋め尽くされた者の末路。
オマエもデンレゼ最高と叫びなさい!!