逃避行 作:妄想の悪魔
私もデンレゼが好き。
複数のSNSにアカウントを持っていてね。映画が公開されてからデンレゼの作品がいっぱい流れてくるんだ。話の中には、ハッピーエンドを迎えるデンレゼが潜んでいて、他の作品に埋もれる前に感想を書かなきゃいけない。だから、感想欄を開いて誰かの書いた「ばん」の文字が見えるんだけど……。
……どうしてだろうね。それを見ているととても安心するの。
潮の匂いが鼻の奥を刺した。
波が足首を撫でて、引いていく。
それが何度も繰り返されるたび、背中に積もっていた砂が少しずつ落ちていった。
「……っはぁ!」
デンジは夢から引きずり出されたように、勢いよく上体を起こした。
「チェンソー様ア!!」
聞き慣れた声がした瞬間、デンジは反射的に拳を突き出した。
「抱きつこうとすんじゃねえ!」
「ぎゃあああああ!」
デンジに殴られたビームは勢いのまま後方に吹き飛んでいき、砂浜に背中を打ちつけて、ぐるぐると目を回していた。
「あー……頭が痛ぇ……」
その様子をろくに気にも留めず、デンジは周囲を見渡した。
焼けるような陽射し、潮の音、遠くの海鳥。すべてが、懐かしい気さえした。
──俺、何してたんだっけ。
砂粒みたいにザラついていた脳が、ゆっくりと回転を始める。
浜辺。約束。カフェ。花束。電車。夢。逃避行。
言葉の断片がぐるぐると巡って、ようやくデンジは思い出した。
「そうだ……レゼ。……レゼは!?」
デンジはふらつく身体で、顔を腫らしたビームに詰め寄る。
「ワ、ワカらない……でも、チェンソー様はずっと寝てた……」
「ハァ?寝てたって、俺は電車で……」
会話の噛み合わなさに、デンジの胸に小さな違和感が芽生える。
──そもそも、なんで俺ぁまたここにいんだ? 電車に乗ってたはずだ。電車に乗って、そんで……。
思考の海に身を投じるデンジに、陽光を遮る影が差す。
「おはよう、デンジ君」
波の音が遠のいて、代わりに冷たい声が、彼の耳に伝った。
「マキマ、さん……ッ!」
彼女の姿を見て、デンジの頭の中に張っていた靄が、少しずつ晴れていく。
──そうだ。確か、マキマさんに追われて、戦っていたはずだ。
デンジは咄嗟に身構えて、胸のスターターに手を伸ばす。
「チェンソー様?」
その様子にビームは怪訝な顔を浮かべるが、マキマは表情ひとつ動かさず、静かに淡々と語った。
「君はボムちゃんと戦ってすぐ、妄想の悪魔に襲われて、意識を失ってたんだよ」
「モーソーの……悪魔?」
聞き慣れない単語に、デンジは眉を顰める。
「“ああだったらいいな”、“こうだったらよかったな”。そんな、誰もが一度は夢見る都合の良い妄想を、自分の世界に引き摺り込んで見せる──恐ろしい悪魔なの」
マキマはデンジの側に歩み寄って、撫でるように顔についた砂を払ってやる。それだけでデンジの心拍は上がり、胸に伸ばしていた腕は力なく垂れた。
「幸い、私とビームくんで倒したからデンジ君は目を覚ましたと思うんだけど……その様子だと、夢と現実の記憶が混濁してるみたいだね」
「夢……」
反芻した言葉が、喉の奥へと落ちていく。自身の記憶と、彼女らの話す現実に齟齬があった。それがすべて夢だったのなら、とデンジは納得を覚えた。
「夢、だったのか……」
確かに、夢のように幸せな時間だった。
俺が好きになった女が、俺を好きだと言ってくれて。俺と同じ夢を見てくれて。……最後のほうは、あんまし覚えてねえけど。二人で逃げてる時間は、間違いなく幸せだった。
──その幸せが、全部、嘘だった。
「デンジ君は精神操作系の攻撃に弱いみたいだね。これからは頭をチェンソーで切り刻みながら戦ったらどう?」
マキマの声が、軽やかに響く。
冗談なのか、本気なのか。デンジには区別がつかなかった。
「……そーっすね」
「デンジ君?」
「そーっすね……」
言葉が空っぽのまま、口だけが動く。
デンジの心は夢に囚われたままで、まだ現実を受け入れ切れていないみたいだ。
「う〜ん……」
マキマは少し悩む素振りを見せてから、そっと彼に腕を伸ばす。
「え……? ま、マキマさん?」
夢と同じように。
柔らかな感触が、デンジを包み込んだ。
突然の抱擁に息を呑んで、視線が自然とマキマに吸い寄せられる。──目が合った。
暫く。多分、時間にしてほんの僅かの間だが。二人は見つめ合う。
「現実から
聖母のような優しさが、デンジの胸に沁み込んでいく。
「……今回、頑張ったご褒美に。一緒に旅行に行こうか?」
「行きまァす!!」
反射的に叫ぶデンジ。沈んでいた気分は嘘みたいに吹っ飛んで、今は最高の気分だった。
その姿に、マキマは穏やかな笑みを浮かべる。
「それじゃあ、私は報告書書かなくちゃいけないから。二人で帰ってね」
「ハァイ!」
最悪の
「……よくワカんねぇけど、妄想の悪魔にゃ感謝するぜ。マキマさんと旅行に行けるんだったら、俺ぁ全てを帳消しにできるね」
レゼの事を忘れてしまえるほどに。
幸せを感じながら歩き出したところで、デンジはふと足を止めた。
「チェンソー様?」
「いや……なんか、今、ノドの奥がチクっとしてよぉ……」
指でノドを押さえてみる。
小さな骨が、ノドに突っかかってるような感覚。……魚なんて食ってねぇのに。
「まァ、いいか」
どうせすぐ治るだろ、と。
デンジは違和感を振り解いて、再び歩みを始めた。
「……今度は私を選んでね。チェンソーマン」
その声は、波風に呑まれて消えていった。
これにて本編完結。
出発点と終着点だけ決めて、見切り発車で書いた為、中間がスカスカの急行で申し訳ない。
しかしまぁ、今日という原点にして頂点の悪魔の誕生日に終われてよかった。
暇があったら、後日談みたいなの書きます。デンレゼ最高!