機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界――   作:屠龍

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第百九話 天使の歌声が夜を包む――壊される前の、ただ一度の平穏――

 第百九話 天使の歌声が夜を包む――壊される前の、ただ一度の平穏――

 

 夜のベルリンの街を歓声が包む。 

 石畳の通りに、柔らかな音が染み込んでいく。

 遠い戦場の爆音や警報ではなく、人の声と旋律だけが街を満たしていた。

 それだけで、この夜が特別なものだと誰もが直感していた。

 

 戦争が続く世界で、夜に足を止めて空を見上げる余裕など、久しくなかった。

 それでも今夜だけは、多くの人が歩みを止め、同じ方向へ耳を傾けている。

 歩きながら手を繋ぐ家族が立ち止まる。

 子供の瞳に美しい短い金髪の少女がマイクを手に歌う姿が写った。

 その歌声を聞いて微笑む両親。

 通りに面した家々からも同じ歌が流れている。

 

 街角でライブ配信されたベルリンのコンサート会場では、ステラがステージの上で清楚な青いドレスを着て優しく歌っていた。

 

 『天使の歌声ステラ・ルーシェ』

 

 歌姫ラクス・クラインと並び評されるステラの歌声は、戦争で疲れた人々の心を優しく包み込むようだ。

 ライトに照らされて切々と平和と愛の歌を歌うステラに観客席からペンライトが振られている。

 光の草原を歩むような姿に、舞台袖からステラを見ているマユの胸はときめいた。

 マユ・アスカは将来義姉になる予定のステラに憧れている。

 

 兄のシンもステラもお互いを愛し合っているのは明らかだし、シンからステラの魅力をこれでもかと聞かされているマユにとって、ステラは最高の義姉になるだろう。

 無論マユも恋人のニコルの事をシンに聞かせるのを忘れない。

 その度にシンが困り顔を見せるのだが、そろそろ妹離れして欲しいと思っている。

 マユもニコルに出会う前はシンのような男の子が好みだったから、お互い様なのだが。

 

 きっと何年後もステラを見ているだろう。

 そのころ自分は何をしているだろうか。

 マユはそんな未来を夢見ていた。

 このまま戦争が終われば、きっとこんな夜が何度も訪れる。

 ステラが歌い、兄のシンが客席のどこかで照れた顔をして、自分はその隣で、当たり前のように笑っている。

 それは、何の根拠もない夢だった。

 けれど、こうして歌を聴いていると、不思議と「あり得る未来」に思えた。

 

 歌が終われば、拍手があり、笑顔があり、

 そしてまた、明日が来る。

 ただそれだけの繰り返しが、どれほど尊いことなのかを、

 マユは今、初めて実感していた。

 

 ステラの歌声がステージを包み、ベルリンの夜空を包み込みコンサート会場は惜しまんばかりの拍手に包まれる。

 観客たちは魅了され、一瞬で彼女の世界に引き込まれた。

 その歌声は柔らかく透き通るようで、それでいて芯があり魂を揺さぶる深みがあった。

 

 一曲目が終わり、静寂が会場を支配する。 

 音が消えたあとも、誰一人として声を上げなかった。

 咳払いすら憚られるほど、会場は澄み切っていた。

 まるで、歌声がまだそこに残っているかのようだった。

 

 やがて、誰かがゆっくりと手を叩く。

 その音に呼応するように、次々と拍手が重なっていった。

 その瞬間、どっと溢れ出すような拍手と歓声。

 スタンディングオベーションが始まり、熱気は増す一方だった。

 

 ステラは微笑みを浮かべながら丁寧にお辞儀をし、次の曲へと移っていく。

 観客たちは息つく暇もなく彼女の魔法に酔いしれていった。

 誰もが時間を忘れ、ただステラの歌声に没頭していた。

 

 ステラの歌声が最後のフレーズを紡ぎ終えた瞬間、

 ベルリンの夜空は再び静寂に包まれた。

 

 それはほんの一瞬だった。

 

 次の瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に飲み込まれる。

 誰もが立ち上がり、両手を叩き、名前を呼ぶ。

 アンコールを求める声が、波のように押し寄せた。

 

 ステラは一度だけ目を伏せ、ゆっくりと息を整える。

 その表情に迷いはなかった。

 この声が、誰かの痛みをほんの少しでも和らげるなら。

 そう思うたびに、ステラは歌うことを選んできた。

 

 再び照明が灯り、舞台に彼女の姿が戻ると、歓声はさらに大きくなる。

 ステラは胸に手を当て、観客へ向かって深く一礼した。

 

 最後の一曲。

 それはこれまで以上に穏やかで、静かで、どこか別れを含んだ旋律だった。

 ステラは目を閉じ、胸の奥で小さく息を整える。

 この一曲が終われば、今日の役目は果たされる。

 それでも、もう一度だけ、声を届けたいと思った。

 

 誰かのために。

 

 名前も知らない、どこかで泣いている誰かのために。

 ステラの声は、夜風に溶けるように広がっていく。

 誰かを責めるでも、何かを訴えるでもない。

 ただ「ここに生きている」ことを肯定するような歌声だった。

 

 観客は言葉を失い、ただその声に耳を傾ける。

 ペンライトの揺れも、次第にゆっくりとしたものへ変わっていった。

 

 やがて、最後の音が消える。

 

 深い静寂のあと、

 それまで以上に大きな拍手が会場を満たした。

 

 観客席には疲れ切った顔をしていた男性の老人が立っていた。

 胸に抱いた帽子を持ち、振る。

 感動に涙する彼の左手は義手だった。

 彼だけではなかった。

 目頭を押さえる者、静かに天を仰ぐ者、

 互いに言葉を交わさず、ただ頷き合う人々。

 

 この歌を聴いたという事実が、それぞれの人生のどこかに、確かに刻まれていく。

 ステラは微笑みながら、もう一度丁寧に頭を下げる。

 そして、舞台袖へと下がっていった。

 

 照明から外れたその場所で、ステラはふっと力を抜いた。

 緊張が解けたように肩が下がり、長い髪が背中に流れる。

 胸の奥に溜め込んでいたものを、ゆっくりと吐き出す。

 歌っている最中は感じなかった重さが、今になって肩に乗ってきた。

 それは疲労というより、役目を終えたあとの静かな反動だった。

 

 ――ちゃんと、届いただろうか。

 

 ステラは自分に問いかける。

 誰かを救えるほどの力はない。

 戦争を止めることも、失われた命を取り戻すこともできない。

 それでも歌うたびに、ほんの一瞬でも誰かが息をつけるなら。

 涙を流してもいいと思える時間を作れるなら。

 それだけで、ここに立つ意味はあるのだと信じてきた。

 

 歌姫と呼ばれることに、今でも慣れない。

 ただ、声が出るだけ。

 ただ、歌うことしかできない自分が、

 こんなにも多くの視線と期待を集めている現実に、

 時折、怖くなることもあった。

 

 ――それでも。

 

 ステージの向こうで、誰かが立ち上がり、

 誰かが泣き、誰かが帽子を振っていた光景が脳裏に浮かぶ。

 あの瞬間だけは、確かに繋がっていた。

 国も立場も関係なく、同じ歌を聴いていた。

 

 それなら、きっと大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせるように、ステラは小さく息を整えた。

 そこに、マユが駆け寄ってくる。

 

 「……すごく、きれいだった」

 

 マユの声は少し震えていた。

 ステラは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから優しく微笑む。

 

 「ありがとう、マユちゃん」

 

 その笑顔は、ステージの上とは違う、柔らかなものだった。

 

 ステラはそっとマユの頭に手を置く。

 マユは少し照れたように視線を逸らしたが、その手を拒まなかった。

 

 「行こうか。楽屋」

 

 「うん」

 

 二人は並んで歩き出す。

 背後では、まだ拍手の余韻が残っている。

 

 ベルリンの夜は、いつもより静かだった。

 遠くで車が走る音も、警備ドローンの巡回音も、

 今はすべて、拍手の余韻に溶け込んでいる。

 

 この静けさが、守られるものだと、

 誰もが当然のように思っていた。

 この夜が、

 最後まで無事に終わると信じて疑わないまま。

 

 それが、

 ほんの束の間の、平穏だった。

 

 次回予告

 

 歌が終わった夜は、まだ優しかった。

 だが静けさの裏で、何かが確実に動き始めていた。

 

 守られるという事実が、危険の近さを告げる。

 疑念は言葉より早く、胸に灯る。

 

 信じたい想いと、突きつけられる現実。

 その狭間で、人は試される。

 

 それでも、信じるという選択があった。

 疑わないことではなく、背を向けないこと。

 

 守られるべきものが、はっきりと形を持った夜。

 嵐は、もうすぐそこまで来ている。

 

 次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生

 第百十話 静かな夜に、信じるという選択――揺れる想いと、守られるべきもの――

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