機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第十二話 祈りの友
朝の光は、夜より正直だ。
病院の中庭に差し込む白い光は、瓦礫の角をくっきり見せる。
花壇代わりに並べた木箱には、昨日よりも多くの緑が増えていた。
子どもたちが植えた小さな芽。
そこに指先の泥が残る。
誰かの手の温度の跡が、光をひとつやわらかくする。
ベンチに腰かけて、ルナマリアは紙コップの甘いココアをすする。
湯気が鼻先でほどけた。
中庭の反対側で、ステラが水やりをしている。
水色の上着、袖は肘まで折ってあり、手首が細い。
ジョウロを傾けるたびに光が跳ね、葉の上で玉になった水が滴る。
「おはよう、ステラ」
ルナマリアが声をかけると、ステラは顔を上げた。
目が合うと、少しだけ遅れて笑う。
「おはよう、ルナ。……水、冷たくない」
「手、赤いじゃない。貸してみて」
ステラの手を取る。
ひやりとした肌。
ルナマリアは自分のココアの蓋を外して、湯気に手をかざすよう促す。
ステラの手は小さく、同性のルナマリアでも守りたくなる。
シンだってきっとそうだろう。
この小さな手でステラはみんなを支えてる。
「ほら。こうすると、少しまし」
ステラは素直に手を温めた。目を細める。
「ふわってする。……ありがと」
「どういたしまして。私、看護師さんほど器用じゃないけどね」
朝の空気に、遠い波の音。
港のクラクションが一度だけ鳴り、すぐにやむ。
ステラはジョウロを置いて、ベンチの端にちょこんと座った。
ルナマリアも体を少し寄せる。
間にココアの湯気が漂って、ふたりの呼吸が同じリズムになる。
「昨日の歌、よかった」
言うと、ステラは首を傾げる。
「よかった?」
「うん。ずるいくらい、よかった」
少し笑いながら続ける。
「泣いてる人の肩に、そっと毛布かけるみたいな声だった。重くも軽くもない。あったかい」
ステラは俯いて、指先でベンチの木目を撫でた。
「わたし、戦うの、うまくない。歌なら……できる」
「それで十分よ」
即答すると、ステラが目を見開く。
「十分?」
「うん。戦うだけが強さじゃないって、昨日、思い知らされたから」
ベンチの影が、ゆっくり伸びていく。
ルナマリアは、ステラの横顔を見る。
薄い睫毛、髪の柔らかな癖。
身体は小さいのに、その真ん中に一本、折れない芯が立っているのがわかる。
昨日、彼女の歌が街の空気の向きを変えた。
あれは偶然じゃない。
彼女は、選んでそこに立ったのだ。
「シン、今は?」
ルナマリアが訊ねると、ステラは嬉しそうに頬をゆるめた。
「港。朝ごはんのあと、すぐ行った。……みんなのとこ、早く行きたいって」
「シンらしいね。止まってるの苦手だもの」
ふたりで笑う。笑い方は違うのに、響き方は似ていた。
ルナマリアはココアをもう一口飲み、わざと明るく言う。
「シン、あなたには甘いよね」
「……うん」
「そこがいいんだけど」
ステラは少し考えてから、こくりと頷く。
「シン、やさしい。ときどき、苦しそう。でも、ちゃんと笑う」
「そう。だから、支え甲斐があるの」
「ささえがい?」
「そう。支えるの、楽しいってこと」
ステラの視線が、ルナマリアに戻る。
「ルナも、シンを支える?」
「うん。私の番が来たら、ちゃんとやるよ」
言いながら、内心で舌を噛む。
余計な色を乗せないように、言葉を均す。
友達としての線を、はっきり引く。
「ほら、私、体力は自慢だから。MS使って荷運びとか。歌は任せるけど」
「うた、ルナも、きっと、できる」
「私が歌ったらカモメが逃げるよ」
ふたりでくすっと笑う。
笑いの余韻が、花壇の葉っぱを震わせた。
中庭の扉から、子どもが顔をのぞかせた。
タオルを頭に巻いて、片手に木箱。
「おねーちゃん、水ちょっと貸して」
「はい」
ステラが立ち上がり、ジョウロを渡す。
子どもはお礼もそこそこに駆け出し、土の匂いが濃くなる。
あの子も研究所にいて保護された子だ。
ステラの歌で心を癒されている。
ルナマリアはその背中を目で追い、ぽつりと言った。
「ねえ、ステラ。あの子たち、また笑えるようにしよう」
「うん」
返事は短い。でも、その短さは頼もしい。折れない音が芯にある。
ベンチに戻ると、ステラが袖で指の水滴を拭いた。
「ルナ」
呼ばれて顔を向ける。
「きのう、星、きれいだった。シンと、見た?」
「うん。少しだけね」
「よかった」
ステラは嬉しそうに笑った。
胸が締め付けられそうになりかけて、ルナマリアは深呼吸で逃がす。
「ステラ」
今度は、ルナマリアから呼ぶ。
「あなたはすごい人だよ」
ステラが瞬く。
「すごい?」
「うん。自分で自分を選べる人。それって簡単じゃないよ。昨日、歌ったでしょ。怖さごと、そこに立った。あれ、私にはできないことだった」
ステラは小さく首を振る。
「こわかった。でも、みんなの、ないてる声、わたしの中に来た。だから、うたった」
「ね。だから、すごい」
言ってから、ルナマリアは微笑んだ。
「そして、あんたは“シンの彼女”でもある。……それもすごい」
「すごい?」
「相当、体力いるから」
ステラは目を丸くして、次の瞬間ふふっと笑った。
「いる。たいりょく、いる」
「ね」
会話の角に、恋の棘が立たないよう、ルナマリアは丁寧に言葉を選ぶ。
シンの話をするとき、ステラの目は水の底みたいに澄む。
その中に自分の顔を落とさないように、彼女は軽口と明るさで輪郭線を引き直す。
友達として、親友として、その距離がちょうどよくなるところを探る。
「私、あなたの友達になりたい」
唐突に言うと、ステラは驚いた顔をした。
「ともだち?」
「うん。ちゃんと、ね。困ったら言って。楽しいことも、言って」
「……うん」
返事は小さかったが、頷きははっきりしていた。
「じゃあ、今は友達。で、いつか親友。どう?」
「しんゆう?」
「そう。ちょっとやそっとじゃほどけないやつ」
ステラは胸の前で手を重ね、目を細める。
「ほどけない……いい」
「よし。契約成立」
ルナマリアが握手の手を差し出すと、ステラは慎重に、その手を包んだ。
温度が移る。
ルナマリアは心の奥で小さく頷く。
線は引けた。引きたい線を、引けた。
昼近く、港からの風が強くなる。
干したシーツがはためき、看護師の声が飛ぶ。
ルナマリアは立ち上がって、袖をまくった。
「私、午後はシンとMSでCブロックの荷下ろし。ステラはどうする?」
「うた、すこし。あと、こどもたちと、はな」
「完璧じゃん。じゃあ、終わったら合流しよ。今日の夜、甘いもの持ってく。看護師さんからの差し入れ情報、もう仕入れた」
「ルナ、はやい」
「任務だから」
ステラが笑い、ルナマリアも笑う。
笑い声が中庭の壁に跳ね返って、音が丸くなる。
ふと、ステラが真面目な顔になった。
「ルナ。……ありがと」
「なにが?」
「ともだち。……うれしい」
胸の奥が温かくなる。
「こちらこそ。頼られたいタイプなんで」
笑顔で得意気にピースサインをすると、ステラは小さく拍手した。
午後の陽が、木箱の芽に斜めから落ちる。
緑は光に透けて、葉脈が細かく見える。
ルナマリアはその小さな地図を覗き込み、自分の足場もまた、今ここにあると思った。
恋の足場ではなく、友の足場。
祈りを受け渡す手の足場。
そこからなら、まっすぐ歩ける。
「ステラ」
最後に名前を呼ぶ。
「シンのこと、頼りにしていいときは、ちゃんと頼って。……で、頼れないときは、私に回して」
ステラは瞬きして、笑った。
「わかった。ルナ、つよい」
「うん。強くなる」
風が少し冷たくなり、空の色が澄む。
遠くで波が崩れて、白い縁を作った。
ルナマリアは中庭を振り返る。
芽は小さい。
けれど、増えている。
ステラの歌と、街の手の数と、シンの汗で、ここは毎日すこしずつ形を変える。
昨日とは違う今日に、彼女は軽く頷いた。
行こう。荷下ろしが待っている。
声を張る場所がある。
ルナマリアは背中を伸ばし、一歩踏み出した。
友達として。
親友になる約束を胸に。
祈りを言葉でなく、手で運ぶために。