機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百三十話 愛の歌───応えられない想い
ロゴスのメンバーがアイスランドのヘブンズベースに逃亡したという知らせはデュランダル議長から直接もたらされた。
ジブラルタル基地の専用回線に映るデュランダル議長は、いつもの落ち着いた表情を浮かべている。
だがその口元には、ほんのわずかな愉悦が滲んでいるようにも見えた。
照明を落とした通信室の空気は静かで、機器の低い駆動音だけが壁際から微かに響いている。
モニターの光が議長の顔を淡く照らし、その影がわずかに揺れていた。
他人には見せない本性。
案外寂しい人なのかもしれない、とニコルは思いながら対話する。
レイと、そしてニコル。
忠義な腹心にだけ見せるのだろうその笑顔。
だがその裏に何があるのかを知るまでは、ニコルには気が休まる暇などない。
議長の言葉一つで、世界の流れは大きく動く。
それを知ってしまった以上、もう以前のように無邪気に敬意だけを向けることは出来なかった。
『彼らにも困ったものだよ。まったく話を聞こうとしない』
モニター越しに議長は肩をすくめる。
「自分たちの特権を奪われると思っているのでしょう」
ニコルは淡々と答えた。
声は落ち着いているが、胸の奥では別の思考が巡っている。
『別に命まで取ろうとは言っていないのだがね』
その言葉に、ニコルは一瞬だけ沈黙した。
デュランダル議長が直接命令したわけではない。
だがロゴスのメンバーは、怒り狂った民衆の襲撃を受けて殺害されている。
この人はいつも自分が直接の加害者にはならない。
だが他人を動かして目的を達するのが上手い。
民衆の怒りも、正義も、憎しみも。
すべてを利用して、最終的に望む形へと導く。
ニコルは内心軽蔑しつつも、その政治的手腕には納得するしかなかった。
それほどまでに、この男は世界の流れを読んでいる。
『ミネルバも含めた艦隊を派遣し、彼らに降伏を呼びかけるしかないだろうね』
議長の声は穏やかだった。
まるで、ただの外交問題のように。
「降伏してくれればよいのですが。誰も死なないし楽でいいです」
ニコルはあえて軽い調子で言う。
だがそれがどれほど難しいことかは、二人とも理解していた。
『ぜひそうして貰いたいものだ』
議長は微笑んだ。
通信は一時間ほど続き、ようやく終了した。
ニコルは静かに敬礼して通信室を退室する。
ドアが閉まると同時に、室内に満ちていた緊張がふっと緩んだ。
部屋の外で見張っていたレイが敬礼する。
ニコルも自然に敬礼を返した。
「デュランダル議長とは何を」
レイの声はいつも通り静かだ。
「ロゴスのメンバーがアイスランドに逃亡した事と、今後の作戦についての打ち合わせです」
レイには包み隠さずに言っておく。
あくまでレイには同志だと装わなくてはならない。
長い廊下には、夕方の柔らかな光が窓から差し込んでいた。
基地の空気は慌ただしく、兵士や整備兵が行き交っている。
その時だった。
遠くから明るい声が響く。
「ニコルーー!!」
廊下の向こうから、明るい声が弾けた。
振り向いた瞬間、ミーアが駆け寄ってくる。
そして勢いのままニコルに抱きついた。
ふわりと甘い香水が香った。
甘く、どこか安心する香りだった。
その温もりに一瞬だけ思考が止まる。
隣に立つレイの表情も、心なしか穏やかだった。
デュランダル議長の同志であり戦友であるニコルが幸せなのは、レイにとっても嬉しいことらしい。
「ミ、ミーア!?」
「ニコルがここにいると聞いて、来てしまったの。お邪魔?」
大きな瞳で見上げてくる。
その視線は、ただ会えた喜びだけではなかった。
「そんな事はないけど、少し待っててくれる?」
「はい。それじゃ用事が済んだらここに来て」
そう言ってミーアはカードをニコルに握らせた。
それは保養地として名高いスペインのホテルだった。
青い海と穏やかな陽光が有名な場所だ。
カードに描かれた海の写真が、どこか遠い世界のように感じられた。
◇◇◇
ニコルの内心は複雑だった。
デュランダル議長に近づく為、ミーアと恋人の演技をしている。
だがミーアの気持ちを思うと、罪悪感に苛まれる。
彼女が本気でニコルに恋をしているのは明らかだからだ。
勿論ニコルもミーアは好きだ。
だがそれは異性として好きという意味ではない。
ホテルの部屋の前でノックすると、すぐに笑顔のミーアがドアを開けてくれた。
部屋の中には柔らかな灯りが灯っている。
窓の向こうには、夜へ沈みかけたスペインの海が広がっていた。
彼女は思い詰めた様子でニコルを見る。
その視線が何を意味するのかわからないニコルではない。
だが恋人ではない自分がミーアを汚す訳には行かない。
「愛してるわニコル。ずっと会いたかったのよ」
そう言って胸に飛び込んでくるミーア。
ニコルはその髪を優しく撫でて落ち着かせた。
先ほどの香りと、シャワーを浴びたばかりの肌の湿り。
温もりが腕の中に伝わってくる。
どれほどの勇気をもって待っていたのだろう。
不誠実な男なら、この場で押し倒しているはずだ。
そして彼女も、それを拒まないだろう。
ミーアもきっと望んでいる。
「ミーア」
「ニコル」
ミーアの吐息が耳元にかかり、甘く掠れた声で囁く。
「あなたが欲しいの」
それは願いであり、恐れであり、すべての感情を込めた一言だった。
「……ミーア、君は」
言いかけて、声が詰まる。
彼女の熱が、吐息が、肌の香りが、全身に絡みつくように伝わってくる。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響く。
ミーアの眼差しが、唇が、喉元の白い肌が、すべてが近すぎる。
理性と衝動の境界が、危うく揺れはじめる。
ミーアはとても美しい。
危うく欲望に流されそうになる。
それほどミーアに求められるという事は心を揺らした。
それでもニコルはマユを選んだ。
「少し、時間をくれないか?」
「ニコル?」
「まだ君と人生を共に歩めるとは限らないから」
ニコルの言葉に、ミーアは少しだけ目を伏せた。
——そういうことなのね。
ニコルは、戦争が終わるまで自分に触れないつもりなのだ。
それほど大切に思ってくれている。
そう思うと、不思議と胸が温かくなった。
不満が無いわけではない。
明日が分からないからこそ求めあうものなのに。
ただ、ニコルらしいとも思う。
それほど大切に思われている事が誇らしかった。
ミーアはニコルから少し離れる。
「ねえ、ひとつお願い」
「なんだい?」
「今日はニコルの為だけに歌うわ」
ミーアは窓を開けた。
夜の海風が、カーテンを揺らして部屋に流れ込む。
遠くで波の音が静かに響いている。
そして、小さな声で歌い始めた。
ステージでもない。
カメラもない。
ただ一人のためだけの歌だった。
ニコルは黙って聞いていた。
その歌は、戦争の歌でも、アイドルの歌でもない。
ただ
「帰ってきて」
そう願う歌だった。
歌い終えたあと、ミーアは少しだけ照れくさそうに笑う。
「この歌は、ニコルだけのもの」
ニコルは静かに頷いた。
その日は夜まで穏やかに過ごす。
ニコルはミーアの聞き役に徹していた。
その細い肩に、プラントだけでなく反ロゴスを求める人々の期待がかかっている。
ミーアの言葉一つで、何万人も死ぬことになる。
今のミーアは、かつてのアイドルではない。
夢見た少女ではいられなかった。
その声は人を戦地へ駆り立てる。
その歌声は、兵士の心を奮い立たせる。
辛い。
苦しい。
それでもニコルがいてくれる。
何があってもニコルは支えてくれる。
そう思うと、心が温かくなる。
歌う理由が増えた。
彼が生きる限り、自分は歌い続ける。
いつか世界に平和が訪れたとしても。
ミーアの心は決まっていた。
「明日も明後日も、ずっとあなたの帰りを待ってるから」
ミーアは静かに笑った。
それが愛という名の祈りだった。
次回予告
――人は、誰かとの出会いで変わっていく。
ほんの小さな言葉が、
閉じていた心に灯をともす。
見ていてくれた、その事実だけで。
人は、前を向けるから。
守られるだけではなく、隣に立つために。
選び取る、自分の在り方。
その変化は、静かに周囲をも動かしていく。
――その想いが、戦場で形になる。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第百三十一話 支えたくなる理由――彼女が変わった、その日――