機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百三十九話 選べなかった答え――それでも人は、迷うことをやめない――
ハーバーコロニーの夜はひどく静かで寂しい。
先日の襲撃からコロニーを守る為に外壁の強化など、昼は活況な分夜は静かだ。
キラとアスランはハーバーコロニーにある宿舎で共同生活を送っている。
コロニー住人は多彩で、ニコルの実家マイウス市の技術者やその家族、ジャンク屋、オーブやプラントからの移住者、そして地球連合の研究所から保護された子供たちだ。
ミラージュコロイドで秘匿されたコロニーなので入国審査は厳しい。
夜のコロニーは、昼とは別の顔を見せていた。
人工の街灯が淡く照らす通路には人影がまばらで、遠くから機械の稼働音だけがかすかに響いてくる。
昼間はあれほど人の気配に満ちていたはずなのに、今はまるで世界そのものが息を潜めているようだった。
静けさの中に、どこか張り詰めた緊張が残っている。
守られているはずの場所なのに、その安心はまだ完全ではない。
キラ、アスラン、実験体No.54126はリビングで食事を取っていた。
最初は食事を物珍しそうにしていた彼女だったが、栄養補給ではなく美味しいという喜びを知ったのか、食事は珍しく楽しそうだ。
彼女を微笑ましく見ていたキラだったが、アスランにため息交じりに呟いた。
温かい料理の湯気がゆっくりと立ち上る。
その匂いはどこか懐かしく、戦場では決して感じることのない穏やかさを運んでくる。
だがキラの胸の内は、それとは裏腹に重く沈んでいた。
こうして普通の食卓を囲んでいるという事実が、かえって現実感を失わせる。
目の前の光景は穏やかだ。
皿に盛られた料理。
静かに交わされる会話。
だがそのどれもが、どこか借り物のように感じられた。
「トールとミリアリアに、この子に名前を付けてあげてって言われたよ」
その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが引っかかる。
名前。
それはただの記号ではない。
その人が、その人として在るためのものだ。
それを――自分が与える。
それがどれほど重いことなのか、キラは理解していた。
それを聞いたアスランは当然だと言わんばかりに頷いた。
「いつまでも実験体No.54126ではな。名前は重要だろう。この子は生きている。機械じゃない」
迷いのない言葉だった。
アスランにとって、それは疑う余地のない前提なのだろう。
「やっぱり必要だと思う?」
キラは確認するように問い返す。
自分の中にある迷いを、誰かの言葉で埋めたかった。
「必要に決まっているだろう」
「そうだよね」
そう言ってキラは少女を見た。
美味しそうにカツレツを頬張っている彼女は、年頃の女の子にしか見えない。
ふと目があって、キラは目を逸らした。
その瞬間、胸がざわつく。
普通だ。
あまりにも普通すぎる。
だからこそ違和感がある。
この少女は、本当に“そこにいる”のか。
それとも、ただそう振る舞っているだけなのか。
その境界が、分からない。
「キラ・ヤマト。私は名前、別にいらない。今まで通り実験体No.54126で構わない」
「君はそれでいいの?」
「問題ない」
その言葉はあまりにも軽く、重かった。
名前というものに込められるはずの意味を、最初から切り捨てている。
名前がなくても問題ない。
それはつまり――
“自分が誰であるか”を必要としていないということだ。
アスランが口を挟む。
「君には名前が必要だ。君は機械じゃない。生きている人間なんだ」
その言葉には、わずかな苛立ちが混じっていた。
理解されないことへの、焦りにも似た感情。
「私の役割は、戦士、パイロット、エンジニア。それ以上でもなければそれ以下でもない」
「それは君の全てじゃない」
少女は首を傾げる。
困っているというより、理解できないという表情だ。
「私を私に……よくわからない」
その言葉には、戸惑いすらなかった。
分からないという事実だけが、淡々と置かれる。
理解しようとする気配すらない。
そのことが、キラの胸を締めつける。
実験体No.54126は食事を終え、皿を洗いに行く。
水の流れる音が静かに響く。
生活音のはずなのに、それがどこか現実から切り離されたように感じられた。
その音だけが、妙に耳に残る。
まるで、この場にいる全員の思考を洗い流してしまうかのように。
「あの子は自我を持たないように教育されている。今はまだ自分が何者なのかわかってないんだろう」
キラはうつむいた。
少女が今までどのような環境で生きて来たのかもわからない。
そして突然同じ遺伝子で“作られた”と言われて混乱しないほうがおかしい。
「……僕があの子に名前を与えるのは無責任だよ。同じ遺伝子なんだ」
天井を見上げる。
人工の照明が白く広がり、そこには何の答えも映らない。
静かに目を閉じて言葉を探す。
キラが思い悩んでいる事。
アスランは理解して答えを急かさない。
「僕は、自分の意志で運命を選んできたと思っていた。でも本当は――遺伝子がそうさせていただけなんじゃないかって、時々思うんだ」
その言葉は、独白に近かった。
誰かに聞いてほしいわけじゃない。
ただ、自分の中にある疑問を確かめるように。
言葉にするのが怖かった。
それを認めた瞬間、これまでの自分が崩れてしまう気がした。
「キラ」
アスランは静かに言った。
放っておくと崩れそうな親友に優しく言う。
「お前は、自分で選び取ってきた」
「……そう、かな」
「ああ。間違いなく」
その言葉は力強かった。
だが、それだけではキラの迷いを消すことは出来なかった。
確信ではなく、信頼。
それは救いになるが、答えにはならない。
――だからこそ、怖かった。
「アスラン。もしも僕じゃなくてあの子が僕だったら、アスランは友達になってくれた?」
自分でも卑怯な問いだとキラにはわかっていた。
そしてアスランもわかっている。
だから誠実に答える。
「わからない。ただ一つだけ言えることがある。俺がキラと親友になったのは、キラの能力のせいでも能力があったからでもない。キラはキラだ。俺の大切な親友だ」
キラは言葉を飲み込む。
あの時間。
銃口を向けあった。
そして和解して泣きあった。
笑い合った日々。
戦いの中で失われていったもの。
それらが本当に“遺伝子の結果”なのか。
それを否定したい。
だが、完全には否定できない。
「あの子の言ってること……間違ってるのかな」
わずかな沈黙。
アスランはそうでも、キラには能力がある。
だがアスランは、はっきりと言い切った。
「間違ってる」
アスランは即答した。
「人を役割で決めるなんて、おかしい」
迷いなくアスランは答えた。
かつてのアスランなら迷っただろう。
父親パトリックの人形として、母の仇としてキラ達と戦った頃なら。
だがアスランはそれを乗り越えてきた。
キラは視線を落とす。
「でも……あの子は出来るんだ。僕と同じように」
その言葉が、胸の奥に重く沈む。
もしキラが迷わなかったら。
その答えが少女だったら。
迷うことなく、能力に従い、引き金を引けたら。
もっと多くの人を救えたかもしれない。
その代わりに――
もっと多くの人を殺していたかもしれない。
否定できない。
それが一番苦しかった。
もしそれが正しいのなら――
今までの自分は、何だったのか。
そこに食器の片づけを終えた少女が戻って来た。