機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百四十一話 後悔という証明――それでも、人は選び続ける――
食後キラは自室に戻る。
部屋に備え付けの端末をつけると、しばらくしてラクスがモニターに現れた。
部屋の照明は落としてある。
薄暗い室内に、端末の光だけが浮かび上がる。
その光に照らされた自分の手が、わずかに震えているのが見えた。
「……ラクス」
喉の奥が乾いているのに、声はかすれなかった。
指先に力が入りすぎて、端末の縁を強く握りしめている。
その感触だけが、かろうじて現実に繋ぎ止めていた。
「キラ、会いたかったですわ」
その声が届いた瞬間、張り詰めていた何かがわずかに緩む。
視界が滲み、こぼれた涙が頬を伝った。
気付いた時には、もう止められなかった。
オーブにいるラクスとは幾重にも張り巡らせた暗号通信で繋がっていた。
それもミラージュコロイドの影響を一時だけ部分解除した送受信パネルを使ってだ。
だから毎日は会えない。
「僕は君に会いたい」
言葉にした途端、胸の奥が締め付けられる。
息を吸うのが少し苦しい。
肺がうまく広がらず、浅い呼吸を繰り返す。
キラは涙を流しながらモニターに微笑む。
ラクスに触れたい。
抱きしめあって今の不安を癒して欲しい。
自分の遺伝子を持つ妹が、自分を否定するなんて状況に耐えられそうになかった。
今この瞬間だけでも、全部忘れてしまいたかった。
「私もキラに会いたいですわ」
画面越しの距離が、やけに遠く感じられる。
伸ばした手が空を切る。
わかっているのに、触れられない事実だけがやけに重かった。
ラクスもキラのメンタルが異常に疲弊している事に気が付いていた。
だから今すぐオーブからハーバーコロニーへ向かいたい。
だが、オーブはロード・ジブリールの死で混乱した地上の聖域だ。
極めて難しい立場にいるカガリとオーブを思えば、ラクスはオーブから離れられない。
「キラの抱える悩みや苦しみ。私に打ち明けてください」
その言葉に、肩に入っていた力が抜ける。
椅子の背に体を預け、天井を一瞬だけ見上げた。
ラクスの言葉にキラは自分の気持ちを吐露する。
言葉にしながら、自分の中にあるものの輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。
だがそれは、整理されるのではなく、むしろ重さを増していくようだった。
「そうですか。そんな事が」
ラクスの声は変わらない。
だがその静けさが、逆に逃げ場をなくしていく。
その沈黙に押されるように、キラは言葉を続けてしまう。
「うん。その子にとって、僕達は非効率に見えるみたい。遺伝子に従うのが最善だと」
言葉を続けるたびに、胸の奥が重く沈んでいく。
吐き出しているはずなのに、軽くならない。
むしろ形を持って、自分の中に残っていく。
「……出来る事とやりたい事は違いますわ。でも結果だけ見れば、確かに得意な事をする方が効率的でしょう」
その答えに、思わず息を止める。
予想と違う言葉に、思考が一瞬遅れる。
理解しようとするより先に、感情がざわついた。
ラクスの答えは意外だった。
てっきり少女を否定すると思ったのだ。
いや、否定して欲しかった。
「ラクスはその生き方を肯定するの?」
問いかけながら、無意識に唇を噛む。
わずかな痛みが、思考を繋ぎ止める。
「効率的だと言う事は同意します」
胸の奥が小さく跳ねる。
その一言が、予想以上に重く響く。
「それじゃ僕達のほうが間違えているの?」
声がわずかに揺れる。
それでも視線は逸らさない。
ここで目を逸らしたら、戻れない気がした。
「いいえ。どちらも間違えていません。キラがアスラン達と戦ったのは、お友達を守りたかったからでしょう?」
その言葉に、呼吸がわずかに整う。
胸の奥で固まっていた何かが、ゆっくりと動く。
「うん」
小さく頷く。
その動きが、自分の中の何かを確かめるようだった。
「その為に望まない戦場に立ち、守り抜きましたわ」
言葉の一つ一つが、静かに積み重なる。
逃げ場を塞ぐのではなく、足場を作るように。
「うん」
握っていた手の力が少しだけ緩む。
指先の感覚が戻ってくる。
「キラが遺伝子に従って迷わず戦っていたら――
アスランも、ニコルさまも、この世にはいませんわ」
心臓が強く打つ。
その名前が出た瞬間、過去の光景が一瞬よぎる。
音も匂いも、すべてが鮮明に蘇る。
「……あ」
言葉にならない何かが、胸の奥でほどけた。
押し込めていたものが、静かに崩れていく。
「キラは確かに沢山の人を殺め、沢山の人を助けました。でもそれは悩んだからでしょう?」
胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりと浮かび上がる。
否定ではなく、触れられる感覚。
「……」
言葉が出ない。
だが、逃げることも出来なかった。
「悩み抜いた先に今の私達がいるのです。私はそんなキラだから愛しているのです」
その言葉が落ちた瞬間、呼吸が止まる。
胸の奥に、温かいものが静かに広がる。
それはゆっくりと、確かに広がっていく。
キラは何も言えなかった。
ただ、胸の奥に残っていた重い何かが、少しだけ形を変えた気がした。
「……キラは、それでも迷うことをやめますか?」
問いが、静かに突きつけられる。
その言葉の重さが、時間を引き延ばす。
キラは、わずかに目を閉じる。
呼吸を整えようとするが、うまくいかない。
「……わからない。でも」
言葉は途切れたまま、続かなかった。
それでも、その先を探そうとしている。
「……けれど、それでも迷いは消えませんわ」
その言葉に、肩の力が抜ける。
張り詰めていたものが、音もなくほどけていく。
静かな部屋に、自分の呼吸だけが残る。
画面越しのラクスは変わらない。
だがその存在だけが、確かにここにあると感じられた。
画面の向こうで、ラクスは何も言わなかった。
ただ静かにキラを見つめている。
その視線は変わらず優しく、だが決して逃がさない強さを持っていた。
キラはゆっくりと息を吐いた。
気付けば、肩に入っていた力が抜けている。
いつの間にか強張っていた指先も、わずかに緩んでいた。
それでも――完全には軽くならない。
胸の奥にあるものは、消えたわけではない。
ただ、形が変わっただけだ。
重く、冷たい塊のようだったそれが、
今はまだ曖昧なまま、そこに“在る”と分かるものになっている。
(……消えなくていいのかもしれない)
ふと、そんな考えがよぎる。
迷いを消すことが正しいのだと、どこかで思っていた。
だから苦しかった。
だから、あの少女の言葉に揺らいだ。
だが――
(違うのかもしれない)
答えを出すことがすべてじゃない。
ラクスは、答えを与えなかった。
肯定も否定もせず、ただキラの中にあるものをそのまま差し出してきた。
それが、何よりも重かった。
そして――
救いだった。
「……ラクス」
もう一度、その名を呼ぶ。
さっきとは違う。
今度は、確かめるように。
自分がここにいることを。
繋がっていることを。
「はい」
短い返事。
だが、それだけで十分だった。
それ以上の言葉は必要なかった。
キラは目を閉じる。
完全に整理されたわけではない。
納得したわけでもない。
それでも――
さっきよりも、ほんの少しだけ前を向ける気がした。
遠くで、微かに機械の駆動音が響く。
コロニーは眠っているようで、完全には止まらない。
それと同じように。
自分もまた、止まることは出来ないのだろう。
「……また、話してもいい?」
少しだけ間を置いて、キラは言った。
自分でも驚くほど、自然な言葉だった。
「ええ。何度でも」
ラクスは微笑む。
変わらない。
いつも通りの、あの笑顔。
それが、今は何よりも心強かった。
通信の時間は長くない。
この回線も、いつまでも維持できるものではない。
それでも――
「ありがとう」
小さく、そう呟いた。
その言葉に、ラクスはただ静かに頷く。
それだけで、十分だった。
やがて、通信は途切れる。
画面の光が消え、部屋に再び静けさが戻る。
先ほどまで感じていた孤独は、完全には消えていない。
だが――
同じものではなかった。
キラはしばらくそのまま立ち尽くし、
やがてゆっくりと窓の方へ歩み寄る。
人工の空。
作られた星。
それでも、その光は確かにそこにあった。
(……選ぶのは、僕だ)
誰かに決められるのでも、
遺伝子に従うだけでもない。
迷いながらでも。
それでも――
キラは目を開いた。
まだ答えは出ていない。
だが、問いを手放すことはしなかった。