機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百四十七話 選ぶ者と、選ばれる者――迷いなき肯定と、揺らぐ意志――
シンとルナマリアが展望室から立ち去った後、気分転換に展望室に来たのはアグネスだ。
といっても偶然ではない。
こういう難問の時、ニコルはよく展望室に来る。
そして一人で思い悩むのだ。
案の定、ニコルはいた。
そして相変わらず何かに悩んでいる。
背をわずかに丸め、手すりに指先を置いたまま動かない。その視線は海に向いているが、何も見ていないのはすぐに分かる。
その仕草が可愛らしくて笑みがこぼれた。
こういう時、優しくする事しかできないミーアとマユと違い、対等に相談できるのは自分だけだとアグネスは自負していた。
「どうしたのよこんな所で。また何かに悩んでるの?」
アグネスの言葉にようやく気が付いたようで顔を上げるニコル。
一瞬だけ遅れて視線が合う。その反応の鈍さに、アグネスは小さく息を吐いた。
まったく戦場だったら命取りよ。
そう考えたが何に悩んでいるのかアグネスにはわかっていた。
「デスティニープランの事でしょ」
アグネスの言葉にニコルは瞬き、すぐ俯いた。
否定する言葉を探すように唇がわずかに動くが、結局何も出てこない。
手をぎゅっと握り動揺を隠す。
「どうしてわかったの?」
「どうして?みんなが悩んでるもの。でもデュランダル議長の懐刀って言われてるニコルが悩むなんてね」
「僕はそんな」
ニコルは慌てて否定しようとしたが、アグネスは人差し指で制した。
軽く唇に触れるその仕草は、冗談めいているのに妙に有無を言わせない圧があった。
「もう噂になってるわよ、諦めなさい」
アグネスの言う通り、ニコルとレイはタリア艦長と一緒に親デュランダル議長派だと目されている。
それ自体は悪くはないが、やはり気分がいいものではない。
虎の威を借る狐と言われて嬉しいはずがない。
「どうして悩むの?デュランダル議長のいう事は正しいじゃない」
「正しいのかな。人の選択の自由を奪ってる気がして」
言葉にした瞬間、自分の声がどこか頼りないものに聞こえた。
確信ではなく、迷いをそのまま差し出しただけの言葉。
「でも公平よ」
迷いなく言い切る。
「少なくとも、今よりはずっとね」
その声には一切の揺らぎがなかった。
断定することに何の躊躇もない響き。
そう言ってアグネスは展望室の手すりにもたれ掛かりニコルの隣に立つ。
距離は近いが、寄り添うというより並び立つ位置。
そんなアグネスをニコルは迷いを含んだ瞳で見つめ返した。
「公平なのかな?」
「公平よ。無能な上司の下で苦渋を強いられる生き方より、能力で地位や権力が決まる社会の方がいいに決まってる」
アグネスは身を乗り出し、ニコルに語り掛ける。
その視線は逃がさない。
傍から見れば恋人のじゃれ合いに見えない事も無い。
「選ぶ自由なんてものは最初から無いわ。どこの組織にも無能な上司はいる。そこで出来る事は堪えるだけ。一日でも早く上司が異動か退職するのを祈るしかない。デスティニープランは二人の人物を救ってくれる。一人は有能な若手。この人は出世する。もう一人は能力以上の地位を与えられた上司。彼も自分の力量に適した所に異動する。組織は動脈硬化しなくて済むし、健全な活動になる」
言葉が淀みなく続く。
経験ではなく確信から来ている論理。
そう言ってアグネスは優しく微笑んだ。
その笑みは柔らかいのに、どこか逃げ場を塞ぐようでもあった。
アグネス自身が有能だからそう言えるのだろう。
「でもその場合、有能でも無能でもない人はどうなるの?」
「一生平凡な地位のまま。でもいいんじゃないの?組織としては適切よ」
少しだけ肩をすくめる。
「それがその人の適性なんだから」
「無理に上に行って、周りを不幸にするよりずっといいでしょ?」
究極の能力主義だと言う事だろう。
「私はね、努力してここまで来たの。誰かの機嫌で評価が変わる世界なんて、まっぴらよ。少なくとも私は――選ばれる側よ」
アグネスはわずかに顎を上げた。
その仕草に、根拠のない自信は一切ない。
積み上げてきたものへの確信だけがある。
「自分の能力に見合った場所に行けるなら、それを拒む理由はないわ」
ニコルは言葉を失った。
正しい。
理屈では、何一つ間違っていない。
だからこそ――否定できない。
「それともニコル」
少しだけ首を傾げる。
「あなたは、自分が選ばれない側かもしれないって思ってるの?」
それは挑発でも侮辱でもない。
純粋な問いかけだ。
逃げ道を用意しない問い。
「まさか。そんなことは思わないさ」
「じゃあ問題ないじゃない。選ぶ側になる自信、あるんでしょ?」
そう言ってアグネスはにこやかに笑った。
ニコルだって有能だという自負はある。
だが、その“自負”が、今はどこか薄く感じられた。
「組織にとって個々人の幸せなんてどうでもいいのよ。軍人ならわかるでしょ?任務に応じた能力で対処する。そこに兵士一人ひとりの幸せなんて考慮されない」
「でも軍隊と他の組織を同列にするのは」
「違う?」
ニコルは押し黙った。
言葉が見つからないのではない。
見つかっても、意味を持たないと分かっているからだ。
「───デスティニープランはね」
「私たちを守ってくれるものじゃない。“私たちが使うもの”なの。それを忘れないで」
その一言で、議論は終わったように思えた。
「でも……」
それでも、喉元で言葉が詰まる。
「それは……本当に“自由”なのかな」
「さぁね」
アグネスは軽く肩をすくめた。
「でも、少なくとも――私は“選ばれない奴”にはなりたくないわね」
それだけ言うと、アグネスはすっと踵を返した。
「考えておきなさいよ、ニコル。アンタ、頭良いんだから」
「またアグネスは適当な事を」
「フフ、アンタはもう少し適当になった方がいいわ」
「そうかな。もう少しマシな回答がほしいよ」
アグネスの言葉に苦笑するニコルを見て、彼女は少し安心した。
やっぱり彼にはこの顔が似合う。
「ニコルがデスティニープランに悩むのはいいけれど、良い一面があるし私はデスティニープランを支持する。それが私が選ぶ自由よ」
そう言いかけて、アグネスはわずかに言葉を切った。
「それともニコル」
「あなた、本気で“選ばれない側”に落ちる覚悟があるの?」
ニコルにはその言葉が、正しいのかどうかは分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
――アグネスは、迷っていなかった。
アグネスの足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
やがて完全に消え、展望室には再び静寂だけが残った。
ニコルはその場から動けなかった。
正しいのかもしれない。
間違っているのかもしれない。
どちらも――理解できてしまう。
だからこそ、選べない。
アグネスは、最後まで揺らがなかった。
だからこそ強い。
だが――
迷うことが、間違いだとは思えなかった。
視線の先、凪いだ海は何も答えない。
ただ静かに、すべてを受け入れるように広がっていた。
その静けさが、今はただ恐ろしかった。