機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百五十六話 悲しみの果て――それでも明日を選ぶために――
ダイダロス基地司令部は全滅し、守備艦隊は降伏した。
秘匿兵器レクイエムは破壊され、彼らの士気も崩壊したのだ。
いまだ諦めず抵抗している一部勢力はいるが、戦況はもはや変わらない。
地球連合もザフトも多大な戦力を失った。
お互い得るものは何もなかった。
ギルバート・デュランダル議長以外は。
『このような無謀な戦い、無意味な犠牲。なぜまたこのような悲しい結末を迎えたのですか? それは我々が持つ無知と欲望なのです』
デュランダル議長の声が通信回線を通して木霊する。
低く、落ち着いたその声は、戦闘の熱も怒号も消えた戦場に不気味なほどよく響いた。
砕けた戦艦の残骸が無数に漂い、黒く焼け焦げた装甲片が月光を鈍く反射している。
爆発の名残で淡く発光するガス雲の向こうには、崩れ落ちたダイダロス基地の外郭が見えた。
つい先ほどまで殺意と憎悪が交錯していた空間は、いまや死者の沈黙に支配されている。
この戦いは、彼にとってのみ利益のあるものだった。
『私はあらためて、デスティニープランの即時施行をここに求めます』
そして戦場に、ミーア・キャンベルの歌が流れた。
切々と歌い上げる彼女の声に重なるように、残骸が漂うダイダロス基地の映像が映し出される。
破壊されたレクイエム。
味方ごと秘匿兵器を撃たせたブルーコスモスの蛮行。
流される敵味方の犠牲者数。
そこに示される数字は公平とは言いがたく、ザフト側は戦死者、地球連合側は死傷者を含めた数になっていた。
だが、その差異に気づいたとしても、ミーア・キャンベルの歌声はそれすら感傷のなかへ溶かしていく。
砕けたMSの腕がゆっくりと虚空を漂い、その先を、引きちぎられたケーブルがたなびいている。
艦橋を失った艦船の断面には、赤黒く焼けた内部構造がむき出しになっていた。
投げ出されたヘルメットが静かに回転し、その傍らを誰かの手袋が流れていく。
生も死も区別のつかぬほどに砕かれた戦場を、ミーアの歌だけがやわらかく覆っていた。
残酷な映像であるはずなのに、歌声が重なることで悲惨さは怒りではなく哀しみに変わり、人々の胸に沈んでいく。
世界は、悲しみに満たされていた。
ミーアはただ鎮魂のまま歌い続ける。
けれど彼女の胸にあったのは、世界の平和という大きすぎる願いだけではなかった。
あの戦場にいる、たった一人の無事を祈る気持ちが、歌声の奥で震えていた。
一方でデュランダルは、静かにその放送を見つめていた。
この戦いで失われた命はあまりに多い。
だが、それでもなお彼は思う。
これほどの惨禍を前にすれば、世界はもはや旧い自由へは戻れないと。
必要な犠牲は、これでそろった。
ミーアの歌も、砕け散った戦場の映像も、人々の悲しみも恐怖も、すべてはデスティニープランへ世界を導く力になる。
そうしてようやく、人類は争いを終えられるのだと――彼は本気で信じていた。
ミーアは歌い終わると、そっと瞳を閉じた。
一瞬だけ、プラントのアイドルではなく、一人の少女として。
愛しく思うニコルのことだけを考える。
先ほど映し出された残骸のどこかに、ニコルがいたかもしれない。
そう考えただけで、足が震えた。
スタジオの照明はまだ落ち切らず、白い光が舞台の縁を淡く照らしていた。
歌い終えたあとの静寂は、戦場の沈黙とは別の重さを持ってミーアの肩にのしかかる。
スタッフたちもすぐには声をかけられず、モニターに残る戦場映像の残光だけが部屋の空気を冷やしていた。
ほんの数分前まで世界へ向けて歌っていたはずなのに、いまのミーアには自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。
指先が冷たく、呼吸が浅い。
ニコルの無事を確認するまでは、どれだけ歌っても、この胸の痛みは消えないのだと思った。
「ミーアはん。おつかれさん」
「プロデューサー」
ミーアが顔を上げると、プロデューサーがやわらかな笑みを浮かべていた。
その表情に何かを感じ取り、ミーアは思わず腕に力を込める。
「ニコルはん、無事に帰還したで。いまミネルバにいてるわ」
その一言を聞いた瞬間、ミーアの瞳から涙がこぼれた。
歌姫の背を支えるように、プロデューサーはそっと歩み寄る。
張りつめていた糸が切れたように、ミーアの肩が小さく震えた。
安堵はこんなにも痛いものなのかと、彼女は涙の熱のなかで知る。
戦場の映像の中で何度も最悪の想像をしてしまったこと、そのたびに胸の奥が冷えていったこと、そのすべてが一気にあふれ出した。
「よかったな、ミーアはん。でも泣いたらあかん。歌の後の表情は大事やで」
差し出されたハンカチを受け取り、ミーアは慌てて涙をぬぐった。
「……よかった。ホントによかった……」
それしか言えなかった。
胸の奥に張りつめていた不安が、その言葉と一緒にほどけていく。
「もう一仕事終わったらシャトルを用意させるさかい、会っておいで」
「プロデューサー、ありがとう」
涙はなかなか止まらなかった。
けれどそれは悲しみの色ではなく、春の朝露のような澄んだ輝きを帯びていた。
モニターの隅に映るダイダロスの残骸がぼやけ、やがて暗転する。
世界に向けて流れた鎮魂の歌は、今まさに幕を閉じようとしていた。
その終わりの先で、ミーアの心にはただ一つ、無事でいてくれたという安堵だけが残っていた。
だが、その同じ映像を、別の宙域で見つめている者たちもいた。
◇◇◇
戦闘の終わったダイダロス基地近くに、アークエンジェル、エターナル、ドミニオンの艦影があった。
それぞれのクルーは沈痛な面持ちで戦場跡を見渡す。
そこに映し出されていたのは、ザフト、地球連合双方の破壊されたMSと艦船だった。
砕けた装甲片が漂い、焼け焦げた残骸のあいだには、投げ出された乗員たちの亡骸さえある。
破片に反射した月光は冷たく、静まり返った宙域はまるで巨大な墓標のようだった。
煙も音もないはずの宇宙空間なのに、そこには確かに戦いの絶叫が染みついているように思える。
漂流する機体のコクピットが半ば開いたまま流れていくたび、クルーたちの表情はいっそう強張った。
戦闘が終わった後の静けさが、かえってその凄惨さを際立たせていた。
この光景を見て、なお戦争を望める者がいるとすれば、それはもう正気ではなかった。
エターナルの艦長席で、バルトフェルドが深くため息をつく。
「間に合わなかったか」
双方に停戦を呼びかける間もなく始まり、そして終わってしまった。
この惨状は、そのままデュランダル議長のデスティニープランを後押しする材料になる。
地球連合にはまだアルザッヘル基地が残っている。
だが、この敗戦で動揺しているのは間違いないだろう。
「いいえ、まだ終わってはいません」
ラクスは静かに立ち上がり、アークエンジェルとドミニオンへ回線をつないだ。
モニターに、マリューとアリスの顔が映し出される。
「この光景を見て、世論はデスティニープラン賛同へ動くでしょう。戦争の悲惨さと、ザフトの強さを見せつけられたのですから」
一拍置いて、ラクスは続ける。
「ですが、それは悲しみと恐怖に押された一時の感情です。後に残るのは、強制執行されるデスティニープランと、選ぶことを許されぬ平和です。私たちはデュランダル議長の示す“秩序”に、ただ屈服してはなりません」
ラクスの言葉を聞き、マリューとアリスも頷いた。
「確かにデスティニープランを受け入れれば、戦争は終わるかもしれない」
マリューが静かに言う。
「でも、その後に待っているのは、人が自分で生き方を選べない世界よ」
「私たちは、そんな世界に生きたくはありません」
アリスの言葉は若干十七歳の少女とは思えぬほど、まっすぐで揺るぎなかった。
その姿に、マリューはかつてのハルバートン提督を思い出す。
アリスは間違いなく、あの提督の血を継ぐ者だった。
幼い頃から戦いを見聞きし、そのうえでなお逃げずに立っている。
デスティニープランは、たしかに魅力的だ。
そして戦争の悲劇を見せつけられた世論には、なおさら正しい答えに見えるだろう。
だがその先に待つものを、ラクスたちは知っている。
遺伝子がすべてを定める世界。
人が役割を与えられ、その枠の中でしか生きられない世界。
それは平和の名を借りた、別の牢獄でしかない。
「これからどうします?」
アリスの問いに、ラクスはまっすぐ前を見据えた。
「戦います」
毅然とした声だった。
「私たちが、自分たちで生きる未来を手に入れるために。誰かに決められた平和ではなく、自分たちで選ぶ明日のために、戦いましょう」
この悲劇を、ただ次の支配の口実にさせないために。
マリューとアリスは、無言で頷いた。
「私たちの戦いは、まだこれからです。オーブ艦隊と合流しましょう」
「「了解!」」
二人の艦長は、副官をはじめとするクルーへ次々に指示を飛ばし始めた。
アークエンジェルの艦橋では操舵手が進路を入力し、ドミニオンでは通信士が各艦との回線を整理していく。
エターナルの格納庫でも整備員たちが忙しなく動き始め、次の出撃に備えて機体の確認が進められていた。
静まり返っていた艦内には、再び人が意思を持って動き出す音が戻ってくる。
それぞれの思いを胸に、アークエンジェルとドミニオンもまた新たな戦いの準備へ入る。
ラクスの言葉を信じ、彼女とともに立ち上がる決意を胸に。
三人とも、世界を敵に回す覚悟はすでにできていた。
作者です。
しばらく最終章の準備とストック確保のため、更新をお休みします。
物語はいよいよ終盤に入りますので、最後まで安定して書けるよう、少し時間をいただきます。
ここまで読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
再開までお待ちいただければ幸いです。