機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百五十七話 零れた想い――まだ言えない本当――
戦闘終了後のミネルバ艦内は、喧騒と疲労感に包まれていた。
アーモリーワンでの戦闘以来、最大の戦場だったからだ。
ミネルバも多数の損害を受け、沈まなかったとはいえ被害は大きい。
プラントに戻って大規模な修理が必要だと判断したタリア艦長は、応急修理と休養を命じていた。
そんな中、ミネルバに着艦するシャトルがあった。
慰問コンサートの隙間時間を縫って、ミーアがニコルに会いに来たのだ。
到着すると、待ちきれなかったようにミーアは格納庫へ飛び出した。
通路には整備員や補給要員が慌ただしく行き交い、焼けた金属の匂いと機械油の匂いが薄く混じっている。
どこかで工具を打つ音が響き、損傷した機体からはまだ白い蒸気が立っていた。
戦闘は終わったはずなのに、艦の中にはまだ戦場の余熱が色濃く残っている。
ミーアの胸の鼓動だけが、それ以上にうるさく鳴っていた。
格納庫の一角に、頭に包帯を巻いたニコルの姿が見えた。
「……ニコル!!」
そう言って駆け寄ろうとしたミーアだったが、ニコルがひどく辛そうな顔をしていることに気づき、思わず足を止めた。
自分を拒絶しているわけではない。
けれど彼は、何かに深く悩んでいた。
「ミーア……会いに来てくれてありがとう」
「当たり前じゃない。だって私たち――」
そこまで言って、言葉が止まる。
恋人でしょう?
なぜか、その一言だけが喉につかえた。
その違和感は、今初めて知ったものではない。
ニコルはいつだって自分に誠意を尽くしてくれる。
優しくて、穏やかで、ひどいことは何一つしない。
けれど時々、どうしようもなく辛そうな顔をするのだ。
……どうして?
問い詰めても、きっと答えてはくれないだろう。
そうでないなら、もっと違う形で自分を受け入れてくれていてもおかしくないのに。
何度もアプローチをかけてみた。
遊ばれているとは思えなかった。
ニコルは、そんな人ではない。
でも二人の間には、いつも見えない距離があった。
それは冷たさではなく、むしろ優しさの形をしていた。
だからこそ苦しかった。
拒絶されるならまだわかりやすい。
近づけば壊れてしまうものを、壊さないように大事に持たれているみたいで、なのに決して手の中には入れてもらえない。
そんな曖昧な距離が、ミーアにはずっと痛かった。
それでも離れられなかったのは、その優しさが嘘ではないと知っていたからだ。
「私、ずっと怖かった。戦争もだけど……さっきの残骸の中に、ニコルがいるかもしれないって思って」
ミーアはそれ以上堪えきれず、声を震わせる。
「とっても怖かった」
その言葉が、ニコルの胸を深くえぐった。
ミーアが本気で自分を想ってくれていることを知っているから。
そして自分が、その想いに同じ形で応えられないことを知っているから。
彼女の涙は、誰かに見せるためのものではない。
慰問の場で浮かべる作られた微笑みとも違う。
目の前の少女はただ、自分が死ななかったことに安堵して泣いている。
その純粋さが、ニコルには痛かった。
自分はその想いに支えられながら、同時にそこから目を逸らしてきた。
気づいていないふりをしていれば、いずれ自然に曖昧になるかもしれない。
そんな臆病さが、心のどこかに確かにあった。
「怖い思いをさせてごめん。……会いに来てくれて、うれしい」
ニコルがそう言った瞬間、ミーアはたまらず彼の胸へ飛び込んだ。
そして大粒の涙をこぼす。
ザフトレッドの制服を痛いほど強く握りしめ、ミーアは声を殺しきれないまま泣いた。
嗚咽が、広い格納庫の片隅にかすかに響く。
無事だった。
本当に、生きていた。
包帯が痛々しくても、顔色が悪くても、声が少し疲れていても、ここにいる。
その事実だけで胸がいっぱいになり、言葉は涙に押し流されてしまう。
歌っている間、世界のために祈っているふりをしながら、心の底ではただ一人の無事だけを願っていた。
そんな自分はきっと身勝手だ。
それでもよかった。
いまだけは、身勝手でもよかった。
ニコルはすぐには抱きしめられなかった。
腕が宙で止まり、行き場を失う。
そのままそっと、震える肩に触れるのがやっとだった。
もうこれ以上、曖昧な優しさでミーアを傷つけることはしたくなかった。
抱きしめてしまえば、きっとこの子は救われる。
少なくとも今この瞬間だけは。
そして自分も、そのぬくもりに甘えたくなってしまう。
誰かに必要とされ、誰かに泣いて喜ばれることは、弱った心にはあまりにも優しい。
だがその優しさに身を預けることは、結局彼女の想いを利用することになる。
それだけは駄目だった。
これ以上は、本当に駄目だと思った。
「わたしね……少しはわかってた」
泣きながら、ミーアが言う。
ニコルが心のどこかで、自分を受け入れきれていないこと。
誠実ではあるけれど、それは自分が望んでいる愛とは少し違うこと。
それでも。
「私、ニコルを愛してる」
「ミーア……」
「だから話して。あなたの本当の気持ち。私、ちゃんと受け止めるから」
その言葉に、ニコルの胸の奥で何かが沈んだ。
逃げ道を塞がれたのではない。
むしろ逆だった。
逃げなくていいと、彼女のほうから言われた気がしたのだ。
優しい嘘で守ってほしいのではなく、傷ついても本当を知りたいと。
目の前で泣きながら、ミーアはそう差し出している。
ニコルの心の中は激しく揺れていた。
このまま曖昧な優しさで包んでしまえば、今だけはこの涙を止められるのかもしれない。
けれど、それはきっともっと深く彼女を傷つける。
愛しているとまで言ってくれた少女に、不誠実なままではいられなかった。
「僕は……」
言いかけて、ニコルは言葉を止めた。
ミーアの肩が、ぴくりと震える。
制服を握る指に、さらに力がこもった。
言わなければならない。
そう思った。
けれど、ここで言っていいのか。
整備員たちが行き交う格納庫。
戦闘後の熱がまだ残る場所。
誰かの機体が壊れ、誰かが負傷し、誰かが戻ってこなかったことを、剥き出しのまま突きつけてくる場所。
そんな場所で、彼女の想いに答えるべきではない。
これは、戦場の余熱に流されて口にする言葉ではない。
同情でも、罪悪感でも、疲労でもなく。
自分自身の心で選ばなければならない言葉だった。
ニコルは目を閉じる。
ミーア・キャンベル。
ラクス・クラインの歌を背負わされ、世界のために歌うことを求められ、それでも一人の少女として自分を想ってくれている人。
その彼女に向き合うなら、自分も逃げてはいけない。
「……場所を変えよう」
ニコルは静かに言った。
ミーアが顔を上げる。
涙に濡れた瞳が、不安げに揺れていた。
「ここでは、ちゃんと話せない」
格納庫の奥では、整備員たちが損傷した機体の修理を続けていた。
工具の音。
警告灯の明滅。
焼けた金属の匂い。
戦場の余熱が、まだ艦内のあちこちに残っている。
こんな場所で、彼女の想いに向き合うべきではない。
ニコルはそう思った。
「少しだけ、時間をくれる?」
ミーアは涙をぬぐいながら、小さく頷いた。
「……うん」
ニコルはそっと手を差し出した。
ミーアは一瞬だけためらい、それからその手を取る。
握り返された手は、まだ震えていた。
けれどその震えの中に、逃げないという意志もあった。
二人は並んで、格納庫を後にする。
戦闘の終わったミネルバの中を、警告灯の赤い光が淡く照らしていた。
通路の向こうでは、負傷者を運ぶ医療班の足音が遠ざかっていく。
壁際の表示灯は不規則に明滅し、艦がまだ完全には平常に戻っていないことを告げていた。
まだ何も終わっていない。
戦争も。
世界も。
そして、二人の間にある曖昧な想いも。
けれど少なくとも今、ニコルは初めて決めていた。
ミーア・キャンベルという少女に、偽りの恋人としてではなく、一人の人間として向き合おうと。