機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界――   作:屠龍

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第百五十八話 偽りの恋――利用された想い――

 第百五十八話 偽りの恋――利用された想い――

 

 ニコルは自室にミーアを案内した。

 

 ここなら防音防諜は完璧だし、何より最終決戦前に恋人と過ごしたいという行為を咎める者はいない。

 

 自動扉が閉まると、通路のざわめきは急に遠ざかった。

 戦闘後のミネルバはまだ慌ただしく、壁越しにかすかな振動や警告音の残響が伝わってくる。

 だが、この小さな個室の中だけは、まるで外の世界から切り離されたように静かだった。

 

 室内の照明をつけ、ニコルはミーアに椅子を勧めた。

 簡素な士官用の個室だった。

 ベッド、机、収納棚。

 壁際には楽譜が数枚まとめられ、端末の横には使い込まれた携帯型のキーボードが置かれている。

 それがなければ、ここが音楽を愛する少年の部屋だとは分からなかったかもしれない。

 

 ミーアはそのキーボードに一瞬だけ目を留めた。

 ニコルが戦場に立つ兵士であることは知っている。

 けれど同時に、彼が本来なら音楽を奏でる人なのだということも知っていた。

 その二つが同じ部屋に並んでいることが、なぜか胸を締めつけた。

 

 ニコルは手際よくコーヒーを淹れる。

 

 簡易ポットの小さな作動音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。

 湯気が細く立ちのぼり、苦味を含んだ香りがゆっくりと広がっていく。

 その香りは、戦闘後の焦げた金属や機械油の匂いとは違って、あまりにも日常的だった。

 だからこそ、今から交わされる会話が日常から遠いものになることを、かえって際立たせていた。

 

 男の部屋に入ったが、ミーアに不安はなかった。

 ニコルが紳士だと知っているからだ。

 

 それでも、胸の奥は落ち着かなかった。

 ここへ来るまでの通路では、ただ会えたことが嬉しかった。

 生きていた。

 無事だった。

 それだけで涙が出た。

 けれど今、向かい合う椅子と椅子の距離を見た瞬間、ミーアは分かってしまった。

 

 これは、再会を喜ぶためだけの時間ではない。

 

 二人は向かい合って座る。

 時計の針がコチコチと時を刻んでいた。

 

 その音だけが、妙に耳につく。

 ニコルはカップをミーアの前に置いた。

 白い陶器の縁に、淡い照明が反射する。

 揺れる湯気の向こうで、ニコルの表情はいつもより硬かった。

 

 「……いつからなの?」

 

 ミーアの声は、自分でも驚くほど小さかった。

 

 「……議長に君を紹介された時から」

 

 ニコルの言葉に、ミーアはショックを隠せなかった。

 

 コーヒーカップを持つ手が震える。

 中の黒い水面が小さく揺れ、カップの縁に触れて波紋を作った。

 

 それでもミーアは、コーヒーを飲み干して、カップをソーサーに置いた。

 

 苦味が舌に残る。

 けれどその味すら、どこか遠かった。

 喉の奥が熱い。

 泣きそうなのか、怒りたいのか、自分でも分からなかった。

 

 平静を装うのは難しかった。

 

 「最初からなんだね。どうして?」

 

 「議長に信用されるために」

 

 ニコルの言葉は、ミーアの心に突き刺さる。

 

 何度迫っても、ニコルはミーアに手を出そうとしなかった。

 それは彼の誠実さを示すものだったが、同時にひどく不安だったのだ。

 

 利用されたという怒りより、ただ悲しかった。

 

 もし最初からそうだったのなら。

 自分が勇気を出して近づいた日も。

 冗談めかして腕を絡めた時も。

 歌のあと、褒めてほしくて彼の反応を待っていた時も。

 そのすべてを、ニコルはどんな気持ちで見ていたのだろう。

 

 優しく笑ってくれた。

 困ったように目を逸らした。

 それでも決して突き放さなかった。

 

 その一つ一つが、今になって違う意味を帯びていく。

 思い出が壊れる音はしなかった。

 ただ、胸の奥で何かが静かに崩れていった。

 

 コーヒーの湯気が細く立ち昇り、部屋に静寂が満ちた。

 ミーアは小さく唇を噛みしめている。

 

 その表情を見つめながら、ニコルはテーブルの上で両手を組み直した。

 

 今から告げる真実は、決してきれいなものではない。

 むしろ今まで守ってきた優しさを壊してしまうかもしれない。

 

 いや、もう壊している。

 ニコルにはそれが分かっていた。

 

 目の前にいる少女は、ラクス・クラインではない。

 世界を導く歌姫でもない。

 ただ、自分を信じようとしてくれた一人の少女だ。

 

 その少女に、自分は刃を向けている。

 

 「……全部は話せないよ」

 

 前置きのようにそう言ったが、それはほとんど懇願に近かった。

 

 全てを語ってしまえば、ミーアは何もかもを疑わなければならなくなる。

 

 デュランダル議長。

 コーディネイターとナチュラルの未来。

 そしてプラントを動かしている“真実”。

 

 けれど、このままでいるわけにはいかなかった。

 

 「僕には目的がある。それを果たすまでは、どんな手段を使っても構わないと思ってた」

 

 コーヒーカップを持ち上げかけた手が止まる。

 

 ミーアは微かに眉を寄せたが、責めるような目つきにはならなかった。

 ただ静かに続きを待っている。

 

 その沈黙が、ニコルには痛かった。

 責めてくれた方がまだ楽だった。

 怒鳴って、泣いて、ひどいと言ってくれた方が、自分も罰を受けている気になれたかもしれない。

 

 けれどミーアは、聞こうとしていた。

 

 傷つきながら。

 それでも逃げずに。

 

 「君に惹かれていなかったと言えば、それは嘘になる」

 

 ニコルは俯き加減に言葉を継いだ。

 

 「でも……最初から、利用しようと思ってたのも本当だ」

 

 そして、その答えを得た。

 

 デュランダル議長はニコルにデスティニープランの詳細と、真の目的を語った。

 ニコルの謀略は完璧に成功したのだ。

 

 ミーアの悲しみと引き換えに。

 

 「悪いと思ってる?」

 

 「思っている」

 

 「私を傷つけた」

 

 「傷つけてごめん」

 

 「謝らないで。それより教えて、あなたの目的」

 

 その言葉に、ニコルは一瞬だけ目を上げた。

 

 ミーアは泣いていなかった。

 少なくとも、まだ涙は落としていない。

 けれどその瞳の奥には、すでに傷があった。

 それでも彼女は、答えを求めていた。

 

 自分がなぜ傷つけられたのか。

 その理由を知らなければ、怒ることも、許さないことも、選べないから。

 

 「……人類を守ること」

 

 「でもそのためなら、私を傷つけても構わなかったのよね?」

 

 「うん」

 

 ミーアは膝の上で拳を握った。

 

 爪が掌に食い込む。

 痛みがある。

 その痛みが、かろうじて自分を支えていた。

 

 そして決意を込めてニコルを見つめた。

 

 「あなたを許すかどうかは私が決める」

 

 「もちろん」

 

 「だったら教えて。何があなたをそこまで駆り立てるの?」

 

 ニコルは少しだけ躊躇し、それから真剣な眼差しでミーアを見つめた。

 

 デスティニープランのこと。

 デュランダル議長の過去のこと。

 そして、ニコルの本当の目的。

 

 そのすべてを、彼は語り始めた。

 

 ミーアは黙っていた。

 

 ただ、目を逸らさなかった。

 

 ニコルが何を言おうとしているのか。

 それを聞いてしまえば、もう元には戻れないのだと分かっていた。

 

 それでも、途中で止めることはできなかった。

 

 利用された。

 傷つけられた。

 けれど、それだけで終わらせてしまえば、自分は何も知らないままになる。

 

 ニコルが自分を利用してまで知ろうとしたもの。

 デュランダル議長が世界に差し出そうとしている未来。

 そして、自分の歌がその中でどんな意味を持っているのか。

 

 知らなければならない。

 

 そう思った。

 

 窓のない部屋の中で、時計だけが規則正しく時を刻んでいる。

 その一秒一秒が、二人を今までいた場所から遠ざけていくようだった。

 

 さっきまで恋人同士のように並んで歩いていた。

 けれど今、二人の間にあるのは甘い空気ではない。

 嘘と、罪と、それでも聞かなければならない真実だった。

 

 「……話して」

 

 ミーアは小さく言った。

 

 「ちゃんと、最後まで聞くから」

 

 ニコルは一度だけ目を閉じた。

 

 逃げ道はもうなかった。

 いや、逃げるべきではなかった。

 

 傷つけた相手が、それでも真実を聞くと言っている。

 ならば、自分だけが安全な場所に残ることなど許されない。

 

 「分かった」

 

 ニコルは静かに頷いた。

 

 そして、デュランダル議長の描く未来を語り始めた。

 

 その未来が、どれほど魅力的で。

 どれほど正しく見えて。

 そして、どれほど恐ろしいものなのかを。

 

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