機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百五十九話 偽りの歌姫――それでも本当の声で――
ニコルの言葉を、ミーアは最後まで黙って聞いていた。
デスティニープランのこと。
デュランダル議長が本気で世界を救おうとしていること。
そのために、人から選ぶ自由を奪おうとしていること。
聞けば聞くほど、胸の奥が冷えていくようだった。
ニコルが何を止めようとしているのか。
なぜ自分を利用してまで、議長に近づこうとしたのか。
少しずつ理解できてしまう。
理解できてしまうからこそ、つらかった。
「……だから私を傷つけてもいいと思ってたの?」
「そのつもりだった」
「そう。よく分かった」
ミーアは目を伏せ、両手で顔を覆う。
震える肩が、彼女の涙を告げていた。
「……ひどいよ、ニコル」
ニコルは何も言い返せなかった。
ミーアが純粋に自分を愛してくれていたことを知っている。
その想いを利用したのは、他の誰でもない自分なのだ。
沈黙が落ちる。
時計の針が、また一つ音を立てた。
さっきまで何でもないはずだったその音が、今はやけに冷たく聞こえる。
「……ごめん」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
「だから謝らないでって言ったでしょ」
ミーアの声は震えていた。
けれど、怒鳴り声ではなかった。
それがかえって、ニコルにはつらかった。
「謝られたら、私が許さなきゃいけないみたいになる」
「……そうだね」
「私はまだ、許せない」
ミーアは顔を上げた。
涙で頬は濡れていたが、その瞳はまっすぐニコルを見ていた。
「でも、知りたい」
「ミーア……」
「あなたが私を利用してまで知ろうとしたこと。議長が何をしようとしているのか。あなたが何を止めようとしているのか。ちゃんと知りたい」
ニコルは息を呑んだ。
「聞けば、戻れなくなるかもしれない」
「もう戻れないよ」
ミーアは小さく笑った。
泣きながら笑うその表情は、ラクス・クラインのものではなかった。
作られた歌姫の微笑みでもない。
傷ついた一人の少女が、それでも前を向こうとしている顔だった。
「私はもう、聞いちゃったもの。あなたが最初から私を利用するつもりだったって」
ニコルは目を伏せる。
「……そうだね」
「だったら最後まで聞かせて。中途半端に優しくしないで」
その言葉に、ニコルは逃げ道を失った。
いや、違う。
ようやく、逃げなくていい場所に立たされたのだ。
ニコルはゆっくりと息を吐き、言葉を選びながら口を開いた。
「デュランダル議長は、本気で世界を救おうとしている」
ミーアは黙って聞いていた。
「それは嘘じゃない。あの人は戦争を憎んでいる。人が何度も同じ過ちを繰り返すことに、心の底から絶望しているんだと思う」
「……じゃあ、悪い人じゃないの?」
「悪い人、という言葉だけでは片づけられない」
ニコルは首を振った。
「でも、だからこそ怖いんだ」
「怖い?」
「世界を救うためなら、人から選ぶ自由を奪ってもいいと思っている。誰が何に向いているのかを遺伝子で決めて、その通りに生きれば争いは減る。無駄な苦しみも、間違った夢を追って傷つく人も減る。……たぶん、それは一部では正しい」
ミーアは唇を噛んだ。
「正しいのに、止めるの?」
「正しい部分があるから止めるんだ」
ニコルの声は静かだった。
「完全な悪なら、迷わなくていい。でもデスティニープランは違う。救われる人も、苦しみから解放される人もいる。だから人は受け入れてしまう。悲しみと恐怖の中にいる時ほど、誰かに正解を与えてほしくなる」
ミーアの脳裏に、先ほど歌った戦場の映像がよぎった。
砕けた艦船。
漂う残骸。
帰ってこなかった兵士たち。
泣き崩れる遺族たちの顔。
あの映像に、自分の歌が重ねられた。
人々は悲しみ、そしてきっと願ったはずだ。
もう二度と、こんな戦争を起こさないでほしいと。
「……私の歌も、そのために使われたんだね」
ニコルは答えなかった。
答えないことが、答えだった。
ミーアは胸元を握りしめる。
「私は……平和のために歌ってるつもりだった」
「うん」
「みんなが少しでも救われるなら、それでいいって思ってた」
「君の願いは、本物だと思う」
「でも、その願いを議長は利用してる」
「……そうだと思う」
ミーアは目を閉じた。
胸の奥が、ぐしゃりと潰れるように痛んだ。
ラクス・クラインに代わるアイドルとして歌うことを選んだ時、自分は少しだけ特別になれた気がした。
世界に必要とされているような気がした。
誰かの役に立てているなら、この偽物の名前にも意味があると思いたかった。
けれど、もしその歌が誰かを慰めるだけでなく、誰かから選ぶ力を奪うために使われているのだとしたら。
「……私は、何なの?」
小さな声だった。
「ラクス・クラインの代わり? 議長の道具? あなたに利用された駒?」
「違う」
ニコルは即座に言った。
ミーアが顔を上げる。
「そこだけは、違うと言わせてほしい」
「でも利用したんでしょ」
「利用した。そこは否定しない」
ニコルはまっすぐに返した。
「でも、君がただの道具だったことは一度もない」
ミーアの瞳が揺れる。
「僕は君を利用した。だけど、君の歌に救われた人がいることまで嘘にはならない。君が誰かを思って歌った気持ちまで、偽物にはならない」
「そんなの……ずるいよ」
ミーアの声が震える。
「利用したって認めるくせに、私の気持ちは本物だなんて」
「うん。ずるいと思う」
ニコルは目を伏せた。
「でも、それでも言わせてほしい。君の歌は、君のものだ。議長のものでも、ラクス・クラインのものでもない」
ミーアは何も言えなかった。
その言葉が欲しかったのかもしれない。
けれど、今この場でそれを受け取るには、胸の痛みが大きすぎた。
「……わからない」
ようやく、それだけを言った。
「私、今は何もわからない」
「うん」
「あなたのことも、議長のことも、ラクス様のことも、自分の歌のことも……何が本当なのか、わからない」
ニコルは静かに頷いた。
「すぐに答えを出さなくていい」
「ニコルがそれを言うの?」
鋭い言葉だった。
ニコルは一瞬だけ息を詰まらせる。
「私には黙ってたのに? 私を利用したのに? 今さら、すぐに答えを出さなくていいなんて言うの?」
「……ごめん」
「謝らないで」
ミーアはもう一度、強く言った。
そして涙を拭った。
「私は、ちゃんと怒ってる」
「うん」
「傷ついてる」
「うん」
「でも……それでも、あなたの話を聞かなかったことにはできない」
ミーアは立ち上がった。
椅子が小さく音を立てる。
ニコルも反射的に立ち上がりかけたが、ミーアは手で制した。
「今は、近づかないで」
その声は静かだった。
けれど拒絶の意志ははっきりしていた。
ニコルは動きを止める。
「わかった」
「少し、一人で考えたい」
「……うん」
ミーアは扉の方へ歩きかけ、そこで足を止めた。
背を向けたまま、ぽつりと言う。
「ニコル」
「何?」
「私、あなたを許したわけじゃない」
「わかってる」
「でも……あなたが話してくれたことは、覚えておく」
ニコルは何も言えなかった。
ミーアは振り返らない。
けれどその背中は、さっきまで泣き崩れていた少女のものとは少し違って見えた。
「私の歌が、誰かを縛るために使われているなら……それは、嫌」
小さな声だった。
だが、確かな意志があった。
「私は、そんなつもりで歌ってきたんじゃない」
扉が開く。
通路から冷たい光が差し込んだ。
「少しだけ、考える時間をちょうだい」
「……ミーア」
「次に会う時は、私の方から話す」
そう言って、ミーアは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋には、飲みかけのコーヒーの香りだけが残った。
ニコルはしばらく、その場から動けなかった。
ミーアが座っていた椅子。
涙の跡が残るカップ。
まだわずかに震えている自分の指先。
目的のためなら、どんな手段も選ばないつもりだった。
実際にそうしてきた。
けれど、傷つけた相手の顔を見て、それでも平気でいられるほど強くはなかった。
いや、強くなかったのではない。
きっと最初から、そんなものを強さと呼ぶべきではなかったのだ。
ニコルは静かに目を閉じる。
ミーアの最後の言葉が、胸の奥に残っていた。
――私の歌が、誰かを縛るために使われているなら……それは、嫌。
その言葉が、やがて何を変えるのかは分からない。
だが少なくとも、彼女はもうただ利用されるだけの歌姫ではなかった。
ミーア・キャンベルは、自分の声で、自分の答えを選ぼうとしている。
そしてその選択を促したのが、自分の罪であることを、ニコルは痛いほど理解していた。