機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第百六十六話 遺伝子では決まらない想い――君が選ぶ未来――
戦場の混乱は、さらに広がっていた。
オーブ・地球連合艦隊とザフト艦隊は、月軌道上で激しく交戦している。
艦砲射撃の光が宇宙の闇を切り裂き、MS同士のビームが幾筋もの線を描いて消えていく。
その中で、ニコルのリジェネレイトMK-2は動きを止めかけていた。
マユの言葉が、まだ胸の奥に残っている。
――マユだって選ぶ。間違えるかもしれないけど、それでも選ぶ。
自分は守っているつもりだった。
誰かを救おうとしていた。
けれど、それはいつの間にか、誰かの未来を自分が先に背負うことになっていたのかもしれない。
「ニコル。あなたはデュランダル議長を裏切るのか」
レイの声が、冷たく通信に響いた。
エグゼキューターガンダムが、リジェネレイトMK-2へビームライフルを向ける。
「僕は裏切っていない」
ニコルは苦しげに答えた。
「ただ、デスティニープランには、もっと穏やかな施行の道があると思っただけだ。適性を知ることと、人生を決めることは同じじゃない。道を示すことと、拒む自由を奪うことも違う」
「それは、議長の理想を否定する言葉だ」
「違う。僕は、議長の願いまで否定したいわけじゃない」
ニコルはドラグーンを展開しかける。
だが、その動きには明らかな躊躇があった。
レイは迷わなかった。
エグゼキューターのライフルが光を放つ。
しかし、そのビームはリジェネレイトMK-2には届かなかった。
割り込んだのは、アグネスのレジェンドだった。
「アグネス!?」
レイの声に、かすかな驚きが混じる。
アグネスは通信越しに肩をすくめるように言った。
「ようするに、デスティニープランには欠陥があるってことでしょ?」
「アグネス、どういうつもりだ」
「どういうも何もないわ。完璧じゃないなら修正すればいい。使えるところは使って、邪魔なところは変えればいい。それだけの話じゃない」
レイは無言でレジェンドを睨んだ。
アグネスはニコルを庇う位置から退かない。
「あら、おかしい? デスティニープランが完璧かどうかなんて、私にはそこまで重要じゃないわ。能力がある人間が埋もれない世界。それは必要よ。でも、だからって全部を議長に決めてもらう必要もない」
その言葉に、ニコルは戸惑った。
「アグネス……あなたは」
「勘違いしないで。私は正義の味方になったつもりはないわ」
アグネスは冷たく言う。
「ただ、選ばれなかったら終わりの世界なんて、私もごめんだと思っただけよ。選ばれる側に立つつもりだった。でも、選ばれるかどうかまで誰かに握られるのは気に入らない」
アグネスらしい言葉だった。
優しさではない。
献身でもない。
ただ、自分の価値を他人に委ねることへの拒絶だった。
だがそれでも、彼女はニコルを撃たせなかった。
「あなたにだけは、議長の思想を否定して欲しくなかった」
レイの声は静かだった。
だが、その奥には抑えきれない苛立ちがあった。
「あなたは議長に未来を示された。見捨てられたはずの人間を、それでも導く力があると証明してくれた。だからこそ、あなたなら……」
「レイ……」
ニコルの声がかすれる。
レイが自分に期待していた。
自分の中に、議長の理想の証明を見ていた。
その事実が、ニコルの胸を締めつけた。
だが、そこへシンの声が割り込んだ。
「レイ」
デスティニーが、戦場の光の中でエグゼキューターへ向き直る。
「やっぱり俺は、デスティニープランが正しいとは思えない」
「シン……!」
「だってそうだろ。遺伝子で未来を決めるってことは、遺伝子に選ばれなかったら、自分のやりたいことを諦めろって言われるってことだろ」
「まだそんなことを言うのか」
レイの声が鋭くなる。
「何度言えば分かる。自由を持たない者に必要なのは、迷う権利ではない。生きる道だ。適性を示されることで救われる者がいる」
「それは分かる!」
シンは叫んだ。
自分でも驚くほど、声が強くなっていた。
「分かるんだよ、レイ。何も示されないまま潰れていく人がいることも、向いてない場所で苦しむ人がいることも、才能があるのに埋もれる人がいることも。でも……それでも、本人がまだ選んでない未来を、先に閉じるのは違うだろ!」
「選べる者の言葉だ」
レイは冷たく返す。
「お前には家族がいる。守りたい者がいる。明日を考える場所がある。だからそう言える」
その言葉に、シンは一瞬詰まった。
レイの痛みを、完全には分からない。
自分には帰る場所がある。
マユがいて、両親がいて、ステラがいる。
だからこそ、自分の言葉がレイにとって眩しすぎるのだと分かった。
それでも、退けなかった。
その時だった。
「……わたし」
通信に、小さな声が入った。
シンの手が止まる。
「歌を歌う資格、ないの?」
「ステラ……?」
シンは驚愕して、周囲のモニターに視線を走らせた。
そこには、マユの乗るシェンウーがいた。
そして通信の向こうに、ステラの声がある。
「ステラ、どうしてこんな所に……!」
「シン」
ステラの声は震えていた。
けれど、逃げてはいなかった。
「検査では、ステラは歌手じゃないんだって。歌うより、戦う方が向いてるんだって」
シンは息を呑んだ。
「でも、ステラ、歌いたい」
その言葉は、とても小さかった。
戦場の轟音にかき消されそうなほど、頼りない声だった。
けれど、シンには何よりも強く聞こえた。
「シンに聞いてほしい。マユにも、みんなにも。歌ってる時、ステラは怖くない。ステラ、生きてるって思える」
通信が、わずかに静まった。
完全に戦闘が止まったわけではない。
なおも遠くでビームが交差し、爆光が散っている。
だが、確かに射撃の密度が落ちた。
一瞬、誰かが迷った。
誰かが、モニターの向こうの少女の声に耳を傾けた。
ステラは、短く歌い始めた。
それは戦場に似つかわしくない、静かな歌だった。
勝利を讃える歌でも、誰かを責める歌でもない。
ただ、不器用に生きようとする少女の心が、そのまま声になったような歌だった。
ザフトの通信回線にも、オーブの艦橋にも、地球連合のパイロットの耳にも、その歌は届いた。
『……この声』
『ステラ・ルーシェか?』
『本当に、歌手適性が低いっていうのか……?』
誰かが呟いた。
シンは何も言えなかった。
ステラに歌手としての適性がない。
なら、今この歌を聞いて胸を締めつけられている自分は何なのだ。
戦場の兵士たちが、一瞬でも引き金を引く手を鈍らせたこの声は、何なのだ。
遺伝子は、何を測り、何を測れないのか。
「ステラに歌手の適性がないなら……」
シンは震える声で呟いた。
「今、ステラの歌を聞いて、胸が痛くなった俺は……何なんだよ」
その時、ヴァルキュリアガンダムがデスティニーの隣に並んだ。
ルナマリアだった。
彼女はシンと、ステラとマユを庇うように機体を前へ出す。
「ルナ……?」
「シン」
ルナマリアの声は、いつもより静かだった。
「私も、ずっと悩んでた」
戦場の光が、ヴァルキュリアの装甲を照らす。
ルナマリアは操縦桿を握りしめたまま、まっすぐ前を見ていた。
「平和は欲しい。戦争は終わってほしい。もう誰かが死ぬのを見るのは嫌。だから、デスティニープランで救われる人がいるって言われたら、迷った」
その声には、飾りがなかった。
「でも、だからって、誰かに心まで決められるのは嫌」
レイは無言だった。
シンも、言葉を挟めなかった。
ルナマリアは一度、息を吸った。
「私は、シンが好き」
シンの呼吸が止まった。
「ルナ……」
「遺伝子に決められたからじゃない。正しい相手だからでも、相応しい相手だからでもない。私が見て、悩んで、苦しくなって、それでも好きだって思ったの」
声は震えていた。
けれど、逃げていなかった。
「シンがステラを大切にしていることも知ってる。マユを守りたいことも知ってる。それでも、私はこの気持ちを誰かに決められたくない。間違ってるって言われても、向いてないって言われても、これは私が選んだ気持ちだから」
シンは何も言えなかった。
ステラが小さく微笑んだ気配がした。
マユも通信の向こうで、息を呑んでいる。
アグネスは、呆れたように小さく笑った。
「……やっと言ったのね」
その声には皮肉があった。
だが、どこか柔らかかった。
ルナマリアは続けた。
「だからシンも、自分で選んで。議長でも、レイでも、ザフトでもなく、シン自身が守りたいものを選んで」
その言葉が、シンの胸に落ちた。
ステラの歌。
マユの夢。
ニコルの迷い。
アグネスの拒絶。
ルナマリアの想い。
そして、レイの孤独。
すべてが、シンの中で一つの形を取り始める。
デスティニープランで救われる者はいる。
取りこぼされる人々を見つける仕組みも、きっと必要だ。
ただ自由だと放り出すだけでは、救えない人がいる。
それは否定できない。
けれど。
「……俺は」
シンは操縦桿を握り直した。
「誰かの夢を、本人より先に閉じる世界は認めない」
レイの視線が、デスティニーへ向けられる。
「それがお前の答えか、シン」
「ああ」
シンはエグゼキューターを見据えた。
「適性を知ることまで否定したいわけじゃない。道を示すことが救いになることもあると思う。でも、それを選ぶかどうかまで奪ったら、それは救いじゃない。拒む自由まで奪ったら、ただの支配だ」
レイの表情は変わらなかった。
だが、その瞳の奥に、かすかな影が揺れた。
「お前も、議長の敵になるのか」
「違う」
シンは即座に答えた。
「俺は、議長を敵にしたいんじゃない。レイ、お前もだ。俺は、お前が選べないまま終わるのを見ていたくない」
「……黙れ」
レイの声が低くなる。
「選べる者が、選べなかった者を憐れむな」
エグゼキューターのドラグーンが展開する。
青白い光が、宇宙に鋭い軌跡を描いた。
デスティニーもまた、翼を広げる。
ルナマリアが息を呑む。
「シン……!」
シンは短く答えた。
「大丈夫だ」
その声には、まだ迷いが完全に消えたわけではなかった。
けれど、もう逃げる揺らぎではない。
自分で選んだ迷いだった。
レイは静かに告げる。
「ならば、来い。シン」
デスティニーとエグゼキューターが、月軌道上で向かい合う。
友として並んだ二つの翼は、ついに別々の未来へ進もうとしていた。