機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第六十四話 軍規と慈愛の狭間で──守りたいもののために──
「シンの行為は軍規違反だ。これは事実だね。
指揮命令系統を無視し、独断行動で戦力配分を崩しかねなかった」
ニコルの声は淡々としているが、その一言一言に重みがある。
「だから、“何も問題なかった”なんて言うつもりはない。
これは隊長としてはっきりさせておく」
アグネスがわずかに口角を上げた、その時。
「――ただし」
ニコルは続けた。
「人道的な観点から見れば、シンの判断は妥当でもあった。
強制労働させられていた民間人を救うことは、ザフトの理念と矛盾しない」
アグネスの表情が、再び険しくなる。
「どっちつかずな言い方やめてくれる?
軍規を優先するのか、人道だか理念だかを優先するのか、はっきりして」
「どちらか一方でしかものを考えられないなら、戦場指揮は務まらないよ」
ニコルの声が、少しだけ鋭くなった。
「軍規だけを見て“救える命”を切り捨てるのも、
感情だけを見て“守るべき戦力”をすり減らすのも、どちらも間違いだ」
アグネスの眉がぴくりと動く。
「じゃあ、あんたはどうしたいわけ?」
「線を引く」
ニコルは即答した。
「そのために“隊長”って役職がある。
シン一人に背負わせるんじゃなく、僕が背負うべきだ」
ニコルはシンを見た。
「シン。君のしたことは隊の許可なく行ったという点で問題だ。
だけど“誰かを救いたかった”というその衝動自体を、僕は否定しない」
シンは息を呑んだ。
「今後――似たような状況になりそうな時は、必ず僕に言ってほしい。
“助けたい”と思ったら、“隊長、こういう案があります”って、一言でいい」
ニコルは右手を軽く上げる。
「僕は隊長として、その意見を聞いたうえで、“命令”という形で君を動かせる。
それなら、君の行動は軍規違反じゃなく、“現場の判断”として処理できる」
「でも、それじゃニコルに――」
「シン」
遮る声は、しかし柔らかかった。
「僕だって同じ状況なら、同じことをした可能性が高い。
だったら、“自分の命令だった”って引き受けるのは、隊長として当然の責務だよ」
それはシンを甘やかす言葉ではない。
責任の所在を、自分に引き受ける覚悟の宣言だった。
「……だから、これからは僕を使ってくれ。
君一人の“善意”で突っ走らせるんじゃなく、隊としての形にする。
そのうえで――僕が“ダメだ”と言ったら、その時は、ちゃんと止まって」
シンは、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
悔しさと有難さ、情けなさと安堵がぐちゃぐちゃに混ざって、言葉にならない。
「……わかった。次からは――必ず言う。
勝手に飛び出したりは……しない。しないように、努力する」
最後の一言は、少しだけ自嘲気味だった。
(俺ほんとに……迷惑ばっかりかけてるな)
そんなシンを、アグネスはじっと見つめていた。
「……ねぇ、ニコル」
アグネスは腕を組んだまま、ニコルに向き直る。
「あんたの言ってること、聞こえはいいわよ。
“優しい隊長さん”って感じでね」
皮肉を混ぜた口調。
しかしその裏に、ほんのわずかな期待が含まれていることに、彼女はまだ気づかない。
「でも、その“線引き役”が一番危険ってわかってる?
“人道”だの“理念”だのを理由に、自分の部下だけ特別扱いしてるように見えたら、
部隊の中は一気にギスギスする」
アグネスは淡々と言葉を連ねる。
「“隊長のお気に入りは罰を免れる”って噂が立ったら、他の子たちはどう思う?
あんたが信じてる“ザフトの理想”なんて、簡単に崩れるわよ」
その指摘は、厳しくも正しい。
ニコルもそれを理解しているからこそ、真顔でうなずく。
「だから、“今回は僕の命令だった”って形にするのは一度きりだ。
同じことが二度三度続いたら、それはもう僕の責任じゃなく、“隊の甘さ”になる」
ニコルは言い切る。
「シンにも、ルナにも、レイにも、アグネスにも――今言ったことは全部、同じ条件で適用される。
誰か一人だけの特例にはしない。それが“公平”ってことだと思う」
「……もし、それでも崩れたら?」
アグネスの声には、試すような色が混じる。
「その時は、僕が責任を取るよ。
隊長交代でも、配置換えでも、前線から外されるでも――何でも」
ニコルはさらりと言ってのけた。
「僕は、“そういう甘さも含めて守りたい”って思ってるんだ。
この艦で、一緒に戦ってるみんなのことをね」
アグネスは短く息を呑む。
(……ほんと、バカみたいに真面目なんだから)
胸の奥が、またチクリと痛む。
それが何なのか、アグネスはまだ認めない。
「……やっぱり、あんた、甘いわ」
アグネスは顔をそらし、舌打ちをひとつ。
「命令違反をかばって、“人道的でしたから”って上に報告する気でしょ?
上層部にどう思われるか、ちゃんと計算してる?」
「計算くらいはするよ。
それで信用を失うなら――その程度の組織だったってことさ」
ニコルの声は静かだった。
「僕は、ザフトをそんな組織だとは思いたくないけどね」
アグネスはしばらく黙っていた。
格納庫の騒音が、三人の間を埋める。
「……いいわよ」
やがてアグネスは肩を落とすようにして言った。
「隊長がそう言うなら、従う。
私、軍人だから。命令には従うわ」
そこで彼女は、シンを睨みつける。
「――でも、勘違いしないで。
私はあんたを許したわけじゃないから」
シンは一瞬だけ言葉を詰まらせ、やがて小さくうなずいた。
「……わかってる。アグネスが正しいってことも、わかってる。
だから、その……次からは、本当に――」
「“次からは気をつけます”なんて、中途半端な反省聞きたくないわ」
アグネスはぴしゃりと言い放つ。
「やるならやる、やらないならやらない。
“その時になったら考える”なんて、戦場の真ん中で決められるわけないでしょ」
「アグネス」
その言葉を、今度はルナが制した。
「もういいでしょ。あんたの言いたいことも、みんなわかってる。
シンも、ちゃんとわかってるから」
ルナはシンの肩をぽんと叩く。
「ほら、シン。隊長に一言くらい言っときなさいよ。
こういう時に黙ってると、余計感じ悪いわよ?」
「あ、ああ……」
シンは一度深呼吸して、ニコルに向き直る。
「……ごめん。勝手なことして。
でも、助けたかったって気持ちは、間違ってなかったって……そう思っても、いいか?」
ニコルは微笑んだ。
「そこは、僕も否定しないよ。
だからこそ、“それをどう隊の力に変えていくか”を、これから一緒に考えよう」
そう言って、ニコルは全員を見回した。
「じゃあ、僕は艦長に報告に行ってくる。
シンの処遇については“僕の命令だった”ってことで話を通すつもりだ」
踵を返す前に、アグネスへと視線を向ける。
「アグネス。さっきの意見、ちゃんと感謝してる。
君が言ってくれた“軍規の怖さ”は、僕も忘れちゃいけない部分だ」
「……別に、あんたのために言ったわけじゃないんだけど」
アグネスはそっぽを向いたまま、ぼそりと呟く。
「ナチュラルのためにコーディネイターが死ぬの、見たくないだけよ。
それだけ」
その本音に、ニコルは一瞬だけ目を細めた。
「それもまた、一つの“人道”だよ」
「はぁ? 何それ。意味わかんない」
「そのうち、わかるかもしれないさ」
ニコルは軽く笑って歩き出した。
背中に、ルナの小さなため息と、レイの「……厄介な隊だな」というぼやきが聞こえる。
シンは、去っていくその背中をまっすぐに見つめていた。
(……守りたいって思ってくれてるんだ、俺たちのこと)
胸の奥に、静かな熱が灯る。
その隣で、アグネスは腕を組みなおし、インパルスの足もとを睨んだ。
(ほんと、甘い。甘くて、危なっかしくて……
……でも、そういう“甘さ”のおかげで助かる人間もいる――ってことなのかしら)
その疑問に、彼女はまだ答えを出さない。
ただ一つだけ確かなのは――
この日、シンの独断行動をめぐって交わされた激しいやり取りが、
ミネルバの中に「軍規」と「人道」という二つの軸を刻みつけたということだった。
それはやがて、この艦が選ぶ“戦い方”を、
静かに、しかし確実に変えていくことになる。
誰もまだ、その重さを知らないままに。
次回予告。
――優しい光で抱きしめる少女と、
痛みを知って共に立つ少女。
ステラは救いの歌で、
シンの傷をそっと癒やす。
純粋な想いで、迷いを照らす。
けれどルナは、
震える背中に手を置き、
同じ痛みを知る者として寄り添おうとしていた。
光と影。
そのどちらも、彼を支える“翼”になる。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
『海原に溶ける痛み ―背中を預けるということ―』
迷いの海で揺れる心に、
二つの想いが静かに重なっていく。