機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界――   作:屠龍

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第六十五話 海原に溶ける痛み ―背中を預けるということ―

 第六十五話 海原に溶ける痛み ―背中を預けるということ―

 

 ミネルバの展望室。

 昼間の輝きを溶かしたインド洋は、今ゆるやかに夜へ傾いでいた。

 

 水平線は薄い橙から群青へと色を変え、

 波が夜の気配を抱いて、静かに艦を揺らす。

 

 この海は、太古から人間の欲望と夢を運んできた。

 香辛料、宝石、宗教、戦争――

 全てを呑み込み、全てを次の地へと送り出してきた道。

 

 ペルシャ湾を抜け、やがてヨーロッパへ。

 ミネルバもまた、その歴史の一部として進む。

 

 静かな海原を前に、シン、ルナマリア、レイが肩を並べて立っていた。

 

 テーブルには淹れたての紅茶と、

 艦内補給で受け取った甘い焼き菓子。

 

「ほら。シンもレイも、飲みなさい」

 

 ルナマリアがカップを配る。

 カップを持つ指先は、少しだけ気遣うように柔らかい。

 

「んん、この香り……絶対カレーに合うわねこれ。今度シェフに言っとく」

 

 ルナマリア特有の軽口が空気を和らげる。

 しかし、シンは湯気の向こうに視線を落としたまま動かない。

 

 沈黙。

 先ほどの格納庫での激しいやり取りが、まだ胸に刺さっていた。

 

(……俺のせいで誰かが傷つくかもしれなかった)

 

 アグネスの言葉が、喉の奥で鉛のように張り付いている。

 

 ルナマリアはシンの表情を盗み見る。

 その横顔は、悔しさでもなく怒りでもなく――自責。

 

(あぁ、また一人で抱え込んで……)

 

 彼の弱さも、強さも、全部知っている。

 だからこそ、そっと声をかけた。

 

「……ねぇ、シン」

 

 少し驚いたように、彼は顔を上げる。

 

「シンは間違ってなかったよ」

 

「……ルナ?」

 

 ルナマリアは、視線の奥に笑みを宿す。

 

「私も、きっと同じことした。

 泣いている人がいたら、放っとけないもん」

 

 昼間見た女性と子どもたち。

 血の上を走り抜けた叫び声。

 

 それを、ただ見ていろなんて――無理だ。

 

「でもさ」

 

 ルナマリアは真顔に戻る。

 

「軍規を破ったのも事実。

 仲間を危険にさらしたのも事実。

 それはちゃんと反省して」

 

 甘さと厳しさを両方持つ声。

 

「でもね、それでも飛び出しちゃうのが……

 アンタなんだよね」

 

「俺、が……?」

 

「そう。誰かが泣いてたら動ける人。

 考える前に“助けたい”って走っちゃう。

 そういうところ、正直、好き」

 

 その「好き」にはいろんな意味があった。

 戦友として、人間として――そして少しだけ異性として。

 

 シンの胸が、じんわり熱くなる。

 

 その横でレイがカップを置いた。

 

「俺もルナマリアと同意見だ」

 

 いつもの冷静な声音。

 だが言葉には明確な温度がある。

 

「命令違反は命令違反だ。だが――

 あの場面で、救助の許可を得る余裕はなかった」

 

 レイは装備の配置、敵の数、砲撃タイミングまで冷静に思い返す。

 

「結果として、救える命が救われた。

 それはザフトの理念に合致する」

 

 そう――ザフトは、無差別殺戮を目的とした軍ではない。

 人間の尊厳を、守る側でありたい。

 

 レイは言葉を続けた。

 

「議長なら、きっと喜ぶだろう。

 “ザフトはナチュラルを見捨てない”――

 その事実は、戦略的にも意味がある」

 

 そこには、理屈と信念の両方があった。

 

「でも」

 

 レイは言い切るように続けた。

 

「仲間の命を危険にさらした可能性があるのも事実だ。

 だからお前が悩むのは、間違っていない」

 

 シンは拳を握った。

 

「俺……怖かったんだ。

 もし誰かが撃たれてたら……

 俺が撃たせたようなもんだって……」

 

 海風が、窓越しにシンの呼吸を冷ます。

 

「俺は……誰も失いたくない。

 なのに俺の行動が、誰かを失わせるかもしれないなんて……」

 

 喉の奥が震えて、言葉が途切れた。

 

 沈黙。

 

 ルナマリアが、そっとその肩に触れる。

 

「シン。

 あんたさ……“全部一人でやろう”としてるでしょ」

 

 優しいけれど、責めるトーンではない。

 

「シンは背負いすぎ。

 優しさも、正義も、後悔も、ぜーんぶ一人で抱えるつもり?」

 

 シンは唇を噛む。

 

「でも……俺が動かなきゃ……」

 

「違う」

 

 ルナマリアははっきりと首を振った。

 

「一人で背負って転ばれたって困るのよ。

 あんたが倒れたら、誰が“助けたい人たち”を救うの?」

 

 そして――瞳に、ほんの少しだけ恋の色を乗せて。

 

「私は、シンの背中を守りたいの。

 前へ進む時も、迷った時も。

 だから、頼って」

 

 レイも静かに言葉を重ねた。

 

「俺もだ。

 お前が走りすぎたら止める。

 崩れそうになったら支える。

 それが“仲間”というものだ」

 

 ふたりの声が、シンの胸に沁みた。

 

「……ありがとう。

 本当に……ありがとう」

 

 紅茶を一口飲む。

 少し冷めているのに、味がやけに温かく感じた。

 

 窓の外では、夜風が波間に星を落としている。

 その光が、三人の目にささやかな輝きを置いた。

 

「……アグネスの言葉も、ちゃんと覚えておく。

 俺は……隊を危険に晒すために戦ってるんじゃない。

 仲間を守るために戦ってるんだ」

 

 その言葉に、ルナマリアは満足げに頷く。

 

「よろしい。

 ちゃんと理解できるシンなら――大丈夫」

 

 レイも短く応じた。

 

「次はうまくやれ。

 俺たちを使え。

 隊長を使え」

 

「……ああ」

 

 シンは静かに拳を握る。

 

(背中……預けられるんだ)

 

 その気づきこそが、今日という日の答えだった。

 

 夜は深まっていく。

 海は変わらず、静かに寄せては返す。

 

 戦争はまだ続く。

 だが、孤独ではない。

 

 ――仲間がいる。

 

 それだけで、胸の奥の痛みが少し溶けていく気がした。

 

 展望室の窓に広がる海原は、

 暗闇の中で確かな道を指し示していた。

 

 三人はしばらく言葉もなく、

 その海と同じ方向を、同じ強さで見つめ続けた。

 

 明日も戦う。

 それでも、今日――

 支え合う背中がひとつ増えた。

 ◆◆◆

 

 ───展望室の灯りが落ち、三人の気配が遠ざかっていく。

 その背中を、通路の陰から静かに見つめる者がいた。

 

 ニコルだ。

 

(……よかった。ちゃんと支え合える)

 

 ひとりで背負おうとする癖のあるシンに、

 寄り添い、叱り、また寄り添う仲間ができた。

 

 その事実に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 

「隊長。黄昏れてる?」

 

 背後から声がかかる。

 振り返ると、アグネスが腕を組んで立っていた。

 

「黄昏れてなんてないさ。ただ……ほっとしてる」

 

「ふぅん。シンのこと?」

 

「みんなのことだよ」

 

 アグネスは展望室の窓へ視線を向け、わずかに眉を緩めた。

 

「……悪くない顔してたわ、あの子たち」

 

「シンも、きっと前を向ける」

 

「前を向くのはいいけど、暴走されたら困るのよね。

 無茶は、周りを殺すもの」

 

 アグネスの言葉は鋭い。

 しかしニコルはその奥にあるものを見逃さない。

 

「心配、なんだよね。仲間を」

 

 アグネスは返事をせず、そっぽを向く。

 否定するでもなく――肯定を飲み込むように。

 

「隊長。あなたも甘いわ。

 でも……その甘さで助かる命があるなら、悪くない」

 

「ありがとう。アグネスの厳しさも、僕は頼りにしてる」

 

 少しだけ目をそらしたアグネスが、小さく息をつく。

 

「……まぁ、隊長が倒れられたら困るもの。

 ミネルバは強くなきゃいけない。全員でね」

 

「うん。いい隊になるよ、きっと」

 

 インド洋を渡る夜風が、窓越しにそっと流れ込む。

 束の間の静かな時間の中で――確かなものが育ち始めていた。

 

 次回予告

 

 ――胸に残った痛みは、弱さじゃない。

 あの日守れなかった悔しさも、今日支えてもらった温もりも……

 全部、俺を前へ押し出す力になる。

 

 ステラの歌がくれた優しさ。

 ルナの言葉がくれた強さ。

 レイの信頼。ニコルの覚悟。

 

 もう迷わない。

 もう震えない。

 

 俺は――俺の仲間を守るために戦う!

 

 次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生

 

 『裂け目へ ―託された背中―』

 

 闇に開いた狭き道。

 退けば誰かが泣くなら、進むしかない。

 

 託された背中に、火は灯った。

 ――なら、やるしかない!

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