機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第六十八話 偶像―本能が告げる違和と理性が見抜く真相―
ミネルバの食堂は、珍しく笑い声で満ちていた。
テーブルの上には、温かい料理が並んでいる。
香辛料を使った鳥の丸焼きや、焼きたてのパン、豪華なデザート。
ここが今だけは戦場ではないと錯覚しそうになる。
「今日ばっかりは遠慮すんなよ、シン! エース様なんだからさ!」
ヴィーノが紙コップを掲げ、シンの背中をどん、と叩いた。
「いって……! 別に、俺一人でやったわけじゃないだろ」
照れ隠しのように返すシンに、周囲からも囃し立てる声が飛ぶ。
「シンのおかげで、あたしたちまだここで飯食べてられるのよ。素直に胸張りなさいって」
そう言って笑うのはルナマリアだ。
口調は軽いが、その瞳には本気の感謝が宿っている。
そこへ、端末を抱えたメイリンが小走りでやってきた。
「はーい、みんなー。ちょっと息抜きニュースです!」
いつもの調子でぽん、と端末を指先で叩き、メイリンは大型モニターへと向き直る。
「本国でね、今すっごく面白いことになってるんですよ。ほら、これ」
照明が少し落とされ、食堂の壁に埋め込まれたスクリーンに映像が浮かび上がる。
華やかなライト、レーザーが交差するステージ。そこに、見慣れた――しかしどこか違和感のあるシルエットが立っていた。
「ラクス様……?」
誰かの呟きが漏れる。ピンクの髪、白とピンクを基調にしたドレス。優雅な仕草。だが、画面端に浮かんだテロップが、その早合点を否定した。
《ミーア・キャンベル ―ラクスを継ぐ、プラントの新たな歌姫―》
次の瞬間、会場を揺らすような歓声とともに、少女の歌声が食堂に流れ込んでくる。
高く、よく通る声だった。派手な伴奏に乗って、戦場へ向かう兵士たちを鼓舞するようなリズム。
歌詞の端々に「勝利」「正義」「使命」という言葉が散りばめられているのが、耳に引っかかった。
「おおおっ……! 可愛いじゃん! っていうか、ラクス様そっくり!」
ヴィーノが身を乗り出し、ヨウランも頷きながら叫ぶ。
「な? でもラクス様より、ちょっと今風って感じしない? 衣装とかさ。この腰のラインがさあ――」
「ばっ、バカ、えっち!最低!」
ルナが慌てて小突くが、その頬もどこか上気している。
ステージ上の少女が光を集めているのは事実だった。
「ラクス様もいいけどさ、俺はミーア派かなー。なんかこう、親しみやすいっていうか」
「いやいや、やっぱラクス様でしょ。あの儚げな感じがさー……」
ヴィーノとヨウランが、ああでもないこうでもないと軽口を飛ばし合う。
その背後で、シンは黙ってスクリーンを見つめていた。
眩しすぎるライト。派手なカメラワーク。観客席で揺れるペンライト。
歌と、言葉と、映像。すべてがひとつの方向へ、民衆の心を押し流していく。
正義の戦争。
解放。
勝利。
(……違う)
喉の奥で、何かがきしんだ気がした。
ステラの歌声が、ふと頭の中でよみがえる。
傷ついた人々の手を握りながら、小さなホールで歌っていたあの夜。
聞いている者の胸の奥の痛みに、そっと触れてくるような歌だった。
今、スクリーンから流れてくる歌は、確かに上手い。
プロが作り、プロが演出した“完成された歌”だ。
けれど、そのどこにも「癒し」がなかった。
(誰かの傷じゃなくて……前へ進めって、背中を押すためだけの歌だ)
戦う者を、迷わせないための歌。考える暇を与えないための歌。
シンは、いつの間にか握りしめていた紙コップを見下ろした。
手の中で、飲みかけのジュースが揺れる。
「……シン?」
隣から、ルナの声がした。
彼女も同じようにスクリーンを見つめながら、視線の端でシンの横顔を盗み見ている。
シンがミーアから目を離さないので、胸の奥がちくりとした。
ああ、また。――また、誰かに見入ってる。
そんな小さな嫉妬が、喉の奥に苦味となって残る。
けれど、ルナは同時に、画面の中の演出を冷静な目で追っていた。
スポットライトが、観客席を照らし出す。
カメラが、軍服姿の若者たちの笑顔だけを抜き取る。
テロップには《PLANTの未来を担う若者たちへ》と大きく表示されている。
(……歌ってる相手が、最初から決められてる)
そこにステラの「誰に届いてほしい」という迷いはない。
ラクスが時折見せる「それでも悩むメッセージ」もない。
そこにあるのは、“演出されたメッセージ”だけだ。
ルナはふいに、シンと同じ答えにたどり着いていた。
「……なんか、わざとらしいわね」
「え?」
「歌は上手いけどさ。こんな歌、コンサートっていうより……宣伝、って感じしない?」
あえて軽く言ってみせると、シンは一瞬だけルナを見てから、小さく頷いた。
「……うん。そう、だな」
テーブルの向こう側では、レイが静かにコップを置いた。
「合理的な判断だと思う」
その声に、ヴィーノたちがきょとんと振り返る。
「へ? 何が?」
「ラクス様は今、オーブにいる。表立ってプラントの顔にはならない立場だ。それなら、デュランダル議長が新たな“象徴”を用意するのは当然だろう」
レイの口調は、いつもの落ち着いたものだった。
「民衆は不安定を嫌う。戦時下ならなおさらだ。誰かが“安心できる顔”を演じなければならない。その役を、彼女が引き受けているだけだ」
ヴィーノは「へえ」とか「難しい話はよくわかんねーけど」と笑って誤魔化す。ヨウランも「まあ可愛いからいいじゃん」と肩をすくめた。
アグネスは、そんな男たちの反応に、内心で舌打ちしたくなる衝動をこらえていた。
(ふん。あの程度の歌と脚線美で、よくもまあ……)
舞台の真ん中で、ミーアはすべての視線を一身に集めている。
ミネルバの食堂ですら、男たちの視線の多くがスクリーンに吸い寄せられていた。
(私のほうが、もっと魅力的なのに)
そんな拗ねた気持ちを、アグネスは紙コップの中身を一気に飲み干すことで誤魔化す。
――その時、隣に座るニコルの指が、かすかに震えているのに気づいた。
「……どうかしたの?」
アグネスが小声で問うと、ニコルははっとしたように瞬きをした。
「い、いや……」
視線はスクリーンから離れない。その瞳には、明らかな戸惑いがあった。
ミーア・キャンベル――。
その名前に、聞き覚えがある。
まだ戦争が激しくなる前、プラント音楽院のオーディションで、ひどく緊張して震えながら歌っていた少女。
声は悪くなかったが、技術は未熟で、何より自分の声に自信が持てていないのがありありとわかった。
けれど。
(あの時の彼女と……今、ステージの上にいる“ラクス様に似せられた彼女”は、まるで別人だ)
音域の使い方、 vibrato のかけ方、フレーズの切り方。
ラクス・クラインの歌唱スタイルをコピーさせられた跡が、あまりにも生々しく耳に残る。
あの頃の彼女の素朴な揺らぎが、どこにも残っていなかった。
(これは……)
ニコルは無意識に、拳を膝の上で握り込んでいた。
(彼女の歌じゃない。彼女に歌わせている、“誰かの歌”だ)
ギルバート・デュランダル。
プラント最高評議会議長。
ミーアが“ラクスの代わりではない新しい歌姫”として推されているという事実。
その背後で、政治と宣伝と戦意高揚のための歯車として、彼女が組み込まれてしまったことを理解するのに、ニコルには時間は必要なかった。
スクリーンの中で、ミーアが笑う。
完璧に作られた笑顔。
だが、ニコルには、そこにかすかな悲しみが見えたような気がした。
「……ニコル?」
アグネスがもう一度、名を呼ぶ。男たちの視線を奪い合う相手だと思っていた少女の歌が、ニコルの心をかき乱しているのだと思い込んで、胸の奥が少し痛んだ。
ニコルは、ようやく視線をスクリーンから外した。
「――ごめん。少し、驚いただけだよ」
そう答えながらも、その表情からはまだ動揺が消えない。
祝勝会のざわめきの中、
シンの胸の中にはざらついた違和感が残り、
ニコルの頭の中には冷たい分析結果が形を取り始めていた。
同じ映像を見て、
同じ歌を聞いて、
辿り着いたのは――同じ結論だった。
ただ、その道筋が違うだけだ。
ひとつは、本能。
ひとつは、知性。
ミネルバの食堂にはまだ笑い声があったが、
その奥底で、静かに、何かが軋み始めていた。
次回予告
その歌声は、戦火に疲れた人々の心を、確かに奮い立たせた。
光に包まれ、歓声に押し上げられ、
少女は“象徴”として、今や誰よりも高い場所に立っている。
けれど、その笑顔の奥に――
ほんの一瞬だけ、揺れた影を見た者がいた。
それは、誰かの代わりに立つ者の孤独。
誰かの理想を背負わされた者の、逃げ場のない重さ。
癒しの歌ではなく、進軍の旋律。
祈りではなく、号令のための声。
人々は熱狂し、希望を重ね、
少女はそのすべてを一身に受け止めて、歌い続ける。
だが――それは本当に、彼女自身の歌なのだろうか。
同じ空の下、
心を癒すために歌う“天使”がいて、
心を奮い立たせるために歌わされる“偶像”がいる。
交わらない二つの歌声が、
これからの運命を、静かに引き裂いていく。
次回、機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第六十九話
『影の歌姫 ―戦意の旋律、心に届かぬ歌―』
光の裏にある“本当の声”は――
まだ、誰にも届いていない。