機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第七十三話「フェイス」――選ばれた者の、重み――
黒海から吹き上げる風が、デュランダル議長の長い髪を静かに揺らした。
テラスに立つその背中は先ほどまでの重苦しい政治の話など最初から無かったかのように、柔らかな夕焼けの中に溶け込んでいる。
内心を吐露した議長は、ゆっくりと踵を返して席へ戻り、そこに集う面々を見渡した。
「いや、すまない。職業病で、つい堅苦しくなってしまってね」
そう言って温和に微笑むと、張り詰めていた空気が嘘のようにほどけていく。
その変化を、ニコルは誰よりもはっきりと感じ取っていた。
(――やはり、この人は“役者”だ)
ほんの一言と一つの笑みで、人の心の緊張をほどき、問答無用で空気の主導権を握る。
多くの人間は、きっとこの微笑みにすべてを委ねてしまうだろう。
ニコル自身も、ミーアの件と、アスランたちから聞かされたラクス暗殺未遂への関与という疑念がなければ、この男を疑うことなどなかったはずだ。
(それほど……魅力的なんだ)
天性の“人たらし”。
その資質こそが、ギルバート・デュランダルという男の最大の武器なのだと、ニコルは肌で理解していた。
「実はね。タリア艦長とニコル君に――今日、直接手渡したいものがあるのだよ」
そう言って議長は、白い小箱を二つ、静かにテーブルの上に置いた。
瞬間、全員の視線がその箱へと吸い寄せられる。
タリア艦長は背筋を正し、微動だにせずそれを見つめている。
だがニコルだけは、箱を見た瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
(……まさか)
議長が箱を開ける、その一瞬の間。
ニコルの思考は、矢のように駆け巡る。
(僕がキラやアスランと接触していることが――ばれている?)
(いや、メイリンを介している以上、それは考えにくい)
(それなら……ミーアの件か。ラクス様暗殺未遂の調査か……)
そして箱が静かに開かれた。
中に納められていたのは――
フェイスの徽章。
予想していたにもかかわらず、心臓が一拍、強く跳ねた。
「タリア艦長とニコル隊長に、フェイスの称号と資格を与えたいと思う。受け取ってくれるね?」
議長の穏やかな笑みに答え、タリアは「光栄です、議長」と一切の迷いなく一礼し、即座に徽章を受け取った。
その動作には、軍人としての誇りと覚悟が寸分の揺らぎもなく宿っている。
だが――その隣で、ニコルの動きだけが、ほんのわずか遅れた。
(……もし本当に気づかれていたのなら、フェイスどころか――今頃、僕は黒海に沈められている)
そう考えると、この場に立っていられるという事実そのものが、まだ“安全圏”にいる証だった。
(デュランダル議長は……僕を“手駒”にしたいのか)
拒めば即、疑念を招く。
そして拒否した瞬間、ミーアとラクス暗殺未遂へ辿る道は、永遠に閉ざされる。
(疑わしい。だが――だからこそ、懐へ)
ニコルは、心の中で静かに決意を固めた。
「どうしたのかね?」
穏やかな声が、逃げ道を許さない。
ニコルは意図的に表情を整え、ほんの少しだけ声色を変えた。
「……いえ、とても名誉なことですから。少し、気が動転してしまって」
完璧な所作で一礼する。
すでに、覚悟は決まっていた。
(この人の懐に、飛び込むしかない)
「謹んで、受け取らせていただきます」
フェイスの印章が、静かにニコルの手に渡る。
その瞬間。
胸の奥で、確かに何かが“外側”から“内側”へと踏み越えてきた感覚だけが残った。
タリア艦長とニコルがフェイスに任じられた瞬間、場内に大きな拍手が広がる。
祝福と羨望と、わずかな畏怖が入り混じった音だった。
拍手の波の中で、シンはぎこちなく手を叩きながら、ニコルの横顔を見つめていた。
ついさっきまで、同じ目線で冗談を言い合っていた“義兄同然の兄貴分”が、今は公式に「フェイス」として認められ、階級も立場も、はっきりと自分の上に立ってしまった。
(……遠くに行っちゃった、みたいだ)
祝福したい気持ちは本物だ。
ニコルが努力してきたことも、苦しんできたことも、誰よりも近くで見てきた。
だからこそ、その背中が少しだけ遠くなった気がして、胸の奥がちくりと痛んだ。
「ニコル……本当に、おめでとう」
口に出した声は、思ったよりも大人びて聞こえた。
その隣で、ルナマリアは、少し誇らしげにニコルを見上げていた。
フェイスという地位の重さも、軍における影響力の大きさも理解している。
それでも彼女の胸にあったのは、恐れよりも安心だった。
(やっぱり、ニコルさんはこうなる人だったんだ)
シンをかばい、アグネスと正面から渡り合い、誰よりも冷静に戦場を見ていた。
その姿を何度も見てきたからこそ、「当然の結果」だと素直に思えた。
「……これで、もっと無茶しなくなるといいんですけど」
冗談めかした口調の裏で、
――それでも、もっと危険な場所へ行ってしまうのではないか、という不安も、確かに存在していた。
一方で、レイは拍手の輪の中で、ただ静かに佇んでいた。
理屈だけで言えば、これほど理想的な配置はない。
優秀で、冷静で、作戦理解力も高いニコルが、直接議長の意向を受ける立場に入った。
それは、ザフトにとって“最善”に近い。
(……最善、のはずなのに)
胸の奥にだけ、説明のつかない違和感が残っていた。
さっきの、ほんの一瞬のニコルの“間”。
フェイスを手にした瞬間の、あのわずかな硬さ。
(取り込まれた……? それとも――)
結論は出ない。
だがレイは、直感だけが、警鐘のように鳴っているのを無視できなかった。
そしてアグネスは、誰よりも華やかな笑顔で拍手を続けていた。
だがその内側は、決して祝福だけでは満たされていない。
(家柄、才能、功績……その上、フェイス)
どこからどう見ても、非の打ち所のない“完成品”。
それを「誇らしい」と思う気持ちは、確かに本物だった。
自分が想いを向けてきた男が、これほどの評価を受けたのだ。
嬉しくないはずがない。
――なのに。
胸の奥に、針のような痛みが残る。
祝福と同時に、どうしようもない焦りが湧き上がっていた。
(……これで、ますます遠くなるじゃない)
一瞬、脳裏をよぎるマユの笑顔。
肩書きも、階級も、何も持たずに、ただ隣に立つだけで許される存在。
(……なんでよ。なんで、今そんな顔が浮かぶのよ)
自嘲するように唇を噛みしめ、アグネスは、より強く拍手を打ち鳴らした。
祝福の音で、自分の胸のざわめきをかき消すように。
───フェイスの徽章は、想像していたよりもずっと重かった。
金属の冷たさが、掌の奥まで染み込んでくる。
(……これで、戻れない場所に来た)
ずっと外側から見てきた。
戦場も、政治も、議長という存在も。
危険だとわかっているからこそ、距離を保っていられた。
だが今は違う。
もう“観察者”ではいられない。
この徽章は、栄誉であり、首輪でもある。
デュランダル議長は、恐ろしいほど人の心を読む。
怒りも、理想も、無力感も、すべてを「正義」という言葉に包んで提示してくる。
――だからこそ、危険だ。
ラクス。
ミーア。
そしてロゴス。
このすべてが、一本の筋で繋がっている予感だけが、はっきりとしていた。
(この場所から逃げるのは簡単だ。でも……)
逃げた瞬間、真実には永遠に辿り着けなくなる。
ならば――
(疑われる覚悟で、信用されに行くしかない)
フェイスとして生きる。
フェイスとして疑われ、試され、利用される。
それでもなお、この場所で真実を掴む。
ニコルは、誰にも気づかれぬよう、そっと息を整えた。
(大丈夫だ……まだ、終わっていない)
この手に残る冷たい重みだけが、彼の覚悟を静かに証明していた。
次回予告
フェイス――
それは、選ばれた者に与えられる栄誉。
けれど同時に、
誰かとの“距離”を変えてしまう、静かな境界線。
遠くなった背中を見つめるシン。
誇らしさと、寂しさが入り混じった、その視線の先で――
ニコルは、もう一つ先の場所へと足を踏み入れていた。
そしてその頃、
街の灯りの中で寄り添うふたり。
何気ない会話と、並んだ歩幅。
それだけで、心は少しだけ救われていた。
戦争に引き裂かれそうな日々の中で、
それでも、誰かを想う気持ちだけは――
まだ、ここに残っている。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第七十四話 『解放の街、ほどける心――束の間の平和は、甘い夢のように――』
けれどこのぬくもりが、
いつまで続くのかは、誰にもわからない。