機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第七十四話 解放の街、ほどける心――束の間の平和は、甘い夢のように――
第七十四話 解放の街、ほどける心――束の間の平和は、甘い夢のように――
デュランダル議長との会談が終わり、シン、ルナマリア、アグネス、ニコルは、ザフトが用意した保養用の高級ホテルに滞在することになった。
重苦しい政治の話と、戦争をめぐる現実。頭も胸もいっぱいになった彼らにとって、束の間とはいえ「何も考えずに過ごせる時間」が与えられた形だった。
とはいえ、全員が揃って休めるわけではなかった。
レイは「少し調べたいことがある」と言って、早々にミネルバへ戻っていった。
ニコルもまた、議長に呼ばれているらしく、客室には戻らず、静かにロビーの奥へと姿を消した。
結果として、部屋に残ったのは、シン、ルナマリア、そしてアグネスの三人だけだった。
窓の外では、夕暮れへと傾きつつある空が淡い橙色に染まり、遠くからは街のざわめきが微かに届いている。波の匂いを運ぶ潮風が、テラス越しにわずかに流れ込み、戦地とはまるで違う空気がそこにあった。
沈黙が落ちる。
それは気まずさではなく、誰もが「何かを抱えたまま」、言葉を探している沈黙だった。
ルナマリアは、その沈黙の正体がすぐにわかった。重いのは空気ではない。――シンの胸の奥だ。
やがて、シンがぽつりと切り出す。
「ルナ、少し街に出ないか?」
不意の誘いに、ルナマリアの胸が小さく跳ねた。
ほんの一瞬、ただ“誘われた”という事実だけが、甘い期待として心に灯る。
だが同時に、胸のどこかがひり、と小さく痛んだ。――この誘いは、逃げ場を探している時のものだ。
――けれど、その直後だった。
シンの横顔に宿る影。
その微妙な沈み込みに、ルナマリアはすぐに気が付いた。
(……あ、違う)
これは、ただの気分転換ではない。
何かを抱えたまま、どうしていいかわからなくなった時の、あの表情だ。
戦場で何度も見てきた。仲間を失った後、命令に納得できないまま従った後、自分を責めるしかなかった時の――あの顔。
ルナマリアは無言でアグネスを見る。
それは「一緒にどう?」ではなく、「察して」という訴えを込めた視線だった。
アグネスもまた、一瞬だけシンの横顔を見ると、小さく目を伏せてから肩をすくめる。
「私はパス。別行動するわ」
あっさりとそう告げる声には、わざとらしいほどの軽さがあった。
だが、その裏側にある「今は二人に任せる」という明確な線引きを、ルナマリアは確かに受け取っていた。
「いいけど、行きたい所とかあるの?」
ルナマリアは、わざと普段通りの調子で尋ねる。
深く踏み込めば、きっと今のシンは、うまく応えられない。だからこそ、あえて軽く。
「ちょっと街を歩きたいだけ」
それだけの答えだった。
観光でも、買い物でもない。ただ“歩きたい”という、あまりにも漠然とした目的。
その曖昧さが、逆にシンの心の中のもやを、そのまま映しているようで――ルナマリアは、胸の奥に小さな不安を覚えた。
(……やっぱり、議長の話だ)
理屈では整理できない何かが、まだシンの中で燻っている。
怒りでも、恐怖でも、疑念でもない。
“信じたいのに、信じきれない”という、曖昧で苦しい感情。
「いいわよ。それじゃ、着替えていきましょう」
ルナマリアはそう言って、あえて明るく微笑んだ。
今はまだ、問い詰める時ではない。
ただ、隣を歩きながら――
シンの中で絡まっているものを、少しずつほどいていけばいい。
30分後、二人はホテルのロビーで待ち合わせた。
高い天井から柔らかな光が降り注ぎ、クリスタルの照明が淡く反射する白い大理石の床には、夕刻の色が水面のように滲んでいる。
ロビーの奥では静かなピアノの旋律が流れ、革張りのソファにはくつろぐ客の姿が点々とあった。
保養地として選ばれただけあって、戦争の影はここには薄い。
だがシンは、その美しさを素直には受け取れずにいた。
あまりにも静かすぎて、自分だけが場違いな場所に立っているような感覚が拭えなかった。
シンはグレーの薄手パーカーと無地のTシャツ、紺色の細身デニムとスニーカー。
ルナマリアは、白と淡い桃色を基調にした半袖ワンピースに細いベルト、ショートジャケットを羽織り、足元は歩きやすいスニーカーだった。
軍の制服ではない彼の姿は、年相応の少年そのもので、ルナマリアは少しだけ胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。――戦場では、こういう顔を見る余裕すらなかった。
「シン、元がいいんだから、もう少し気を使えば?」
「持ってないからさ。ルナは何着てもよく似合うよな」
「ふふ、ありがとう」
その一言で、胸の奥に灯っていた緊張が、少しだけ溶けた。本当に少し出かけるだけの格好のシンと、ほんのわずかに“誰かと歩く”ことを意識した自分。その差を、ルナマリアは可笑しくも、愛おしくも感じていた。
二人は肩を並べてホテルを出る。
外へ出た瞬間、潮の香りを含んだ夕風が頬をなぞり、遠くで海鳥の鳴き声が響いた。石畳の道は夕陽を受けて淡く輝き、建物の壁には長く伸びた影がゆっくりと揺れている。
街は最近まで地球連合の支配下にあったが、今はザフトの管理下に置かれている。軍政とはいえ、住民自治への移行がすでに約束されているため、空気には張り詰めた緊張よりも、解放された直後特有の安堵の色が濃い。
露店では地元の果物を買うザフト兵と露天商の笑い声が混じり合い、手を繋いで歩く若いザフト兵と地元の女性の姿もある。焼きたてのパンの香ばしい匂い、香辛料の刺激的な匂い、遠くで鳴るグラスの音。制服と私服、ナチュラルとコーディネイター。その境界が、今だけは曖昧だった。
恋人同士のように並んで歩く自分たちを、誰も咎めない。シンはその事実に、どこか居心地の悪さと――それ以上に、胸の奥が温かくなる感覚を覚えていた。
戦場では、守るべきものは“概念”だった。基地、戦線、命令。だが今、目の前にあるのは“具体的な人の生活”だ。その重みが、ゆっくりと心に染み込んでくる。
「きれいな街だな。ユーラシアは貧乏なんじゃないかと思ってた」
「ここは地中海から近いからね。美味しいワインやオリーブオイルがたくさんあって裕福みたい。しかも海に囲まれてるから、ユーラシア本土よりも豊かなんだって」
「へぇ……オーブに似てるかも。空気の匂いも、街並みも」
そう言って微かに笑ったシンの横顔に、ルナマリアは小さく息を呑んだ。
その笑顔は、戦場で見せる決意の表情とはまるで違う、ただの十六歳の少年のものだった。
「ねえ、あのお店入らない? 地中海式のお菓子があるのよ」
ショーケースに並ぶ焼き菓子の甘い香りが、二人を包み込む。
久しぶりに“選ぶ”という平和な行為に、シンは少し戸惑っていた。
甘いものを口に運びながら、他愛もない会話を交わす時間。
それはシンにとって、戦場の緊張から切り離された、あまりにも遠い世界のようで――だからこそ、壊れやすい夢のようにも感じられた。
次回予告
束の間の平和は、甘い夢のように、心をほどいて――
けれどその優しさの裏で、
信じたい想いと、疑ってしまう現実が、
静かに、確かに、シンの胸を締めつけていく。
守ったはずのもの。
奪われたかもしれないもの。
その境界は、あまりにも曖昧で――
少年はまだ、答えに辿り着けない。
それでも彼は、今日も前を向こうとする。
隣に立つ少女の想いに、支えられながら。
次回。
機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH
運命の再生――
第七十五話
『真実の重さ――信じたい心と、疑ってしまう現実――』