機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第七十七話 手のひらの上――歌姫とフェイス、選ばれた者の檻――
夕焼けが、ホテルのテラスを鈍い橙色に染め上げていた。
海から吹き上げる風はまだ昼の名残を帯びているが、空気の奥には、確かに夜の冷たさが混じり始めている。
ニコルと向かい合っているデュランダルは、グラスを傾けながら機嫌よく微笑んでいた。
ザフトレッドというだけでは、フェイスは任じられない。
人格、識見、実績――すべてを備えた者にのみ許される証。
ギルバート・デュランダルは、常に優秀な人物を集めている。
それは彼の計画の中核を成す、重要な条件だった。
ニコルとデュランダルの間には因縁がある。
月で行われた地球連合との和平会談、ユニウス条約締結の交渉の席で出会った。
あの時ニコルはデュランダルの意図を読み、デュランダルもまたニコルの能力を見抜いた。
ニコルを排除するのは簡単だった。
だが、味方にすれば――これほど心強い駒もない。
夕暮れまでの会談で、ニコルをどうしても自分の子飼いにしたいという意志は固くなる。
対するニコルも彼の事を理解しかけていた。
物腰穏やかで理知的な指導者。
力づくという言葉がもっとも似合わない人物に見える。
アスランからラクス暗殺未遂事件に彼が関わっている可能性があると知らされていないなければ。
その時軽やかな足音と、明るすぎる声が、二人の間に割って入る。
「デュランダル議長~! ここにいらしたんですね!」
振り向いた先に立っていたのは、ミーア・キャンベルだった。
夕焼けを映したかのようなピンクの髪、舞台用ではない私服姿。
それでも、周囲の空気を一瞬で変えてしまう、独特の存在感があった。
「ミーア嬢。コンサートは拝見しましたよ。実に素晴らしかった」
「本当ですか? わぁ、嬉しいです! 次はもっと、もっと頑張ります!」
弾む声、屈託のない笑顔。
その姿だけ見れば、ただの明るい歌姫だ。
ミーアにとってデュランダルは救いの主だ。
無名だったミーアを今の地位まで押し上げてくれた恩人でもある。
ミーアは、デュランダルの隣に立つニコルへと視線を移し、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
「……あの、議長。この方は……?」
「紹介しよう。ニコル・アマルフィだ。先ほど、フェイスに任じた」
「まあ……!」
ミーアはぱっと表情を明るくし、深く頭を下げた。
「初めまして、ミーア・キャンベルです」
「ニコル・アマルフィです。――お久しぶりです、ミーアさん」
その一言で、空気が凍りついた。
ミーアの瞳が、わずかに見開かれる。
その言葉にミーアは少し考えこむと、顔色がこわばる。
かつてミーアが参加したオーディションに、ニコルが審査員として参加していた事を想いだしたのだ。
ニコルが“昔のミーア”を覚えている事にミーアは戦慄した。
忘れたい過去。
忘れたことにしてきた過去。
ミーアにとって忘れたい過去を彼は知っているのだ。
デュランダルの目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
この場にいる二人を、同時に縛る糸が、静かに編まれた。
ニコルを手駒にし、かつミーアの過去を拭い去る名案を。
デュランダルは震えるミーアの肩を優しく叩いて囁く。
「彼は特別優秀なパイロットで将来は私の後継者になるかもしれない人物だ。きっとミーア嬢を守ってくれる。今のうちに“仲良く”しておくといい」
デュランダルの声は、いつもと同じ優しさだった。
それなのに、ミーアの背中を伝うものは、熱ではなく冷たさだった。
「……仲良く、ですか?」
その言葉と同時に、胸の奥がかすかに軋んだ。
声が震えた理由を、ミーア自身もまだ理解できない。
ただ、断ってはいけない。逆らってはいけない。そうしなければ、今の自分は簡単に失われてしまう――そんな根拠のない恐怖だけが、喉の奥に絡みついた。
歌っている時は、怖くない。
笑っている時も、怖くない。
けれど、静かな場所に立たされて、選択肢のない選択を突きつけられた瞬間だけ、どうしようもなく“自分が軽い存在に思えてしまう”。
それでも、ミーアは笑顔を崩さなかった。
笑っていれば、守られると信じていたからだ。
「お二人は旧知の仲のようだ。私は同席できないが、今夜はゆっくりと食事でもして過ごされてはいかがかな?」
そう言って、デュランダルはニコルに意味深な微笑みを向けた。
その瞬間、ニコルは自分に選択肢が無い事に気が付いた。
懐に飛び込む以上、後戻りはできない。
「わかりました。ミーア嬢、よろしければ僕と食事でもいかがですか?」
「は、はい。喜んで」
快諾の言葉とは裏腹に、ミーアの手はわずかに震えていた。
ニコルは、その小さな異変を見逃さなかった。
レストランへ移動した二人は、窓際の席へ案内される。
外ではすでに完全な夜が訪れ、港の灯りが水面に長い帯を引いて揺れていた。
料理が運ばれ、ミーアはいつものように明るく、自分の歌の話を始める。
「次は、今までと少し違う曲にも挑戦したいなって思ってて……」
ニコルは、静かに頷きながらその話を聞いていた。
彼女の言葉は軽やかだったが、その奥にある「応えなければならない期待」の重さを、ニコルは感じ取っていた。
「議長がね……言ってくれたんです。
“あなたはラクスを超えられる”って」
それは誇らしげな声音だった。
だが同時に、“縛り”の告白でもあった。
「そうだったんですか。議長は慧眼ですね」
「でしょう?ラクスさんがオーブへ行ってしまってからプラントの歌姫の地位を狙う子は多かったんですよ」
ニコルの目から見てもミーアの歌唱力は素晴らしいと思う。
オーディションで落選したのは審査員とあの時のオーディションの趣旨と少し外れていたからだ。
ニコルの評価は高かった。少なくともミーアの努力を肯定する。
オーディションでも、そうでなくても。
「オーディションでは落選しましたけど、貴女は最高の歌唱力を持っていると思います。議長もその事を買っていらっしゃるのでしょう」
「……えっと、その話なんですが」
ミーアは言葉を探すようにして俯いて、再び顔をあげた。
ミーアはラクスを越えられていない事が悔しいのか。
デュランダルのために何でもやっている。
ミーアが欲しがっているのは賞賛なのか? 感謝なのか?
ニコルにはわからなかった。
「あの人の代わりになれない事がわたしは辛くて仕方がありません」
「何故ラクス様の代わりが必要なんですか?」
「……え?」
ミーアの目に驚愕の色が浮かんだ。
ニコルは続ける。
「貴女には貴女の良さがあります。それにラクス様を越えなくてはいけないのでしょうか?貴女の歌はとてもすばらしい。ミーアさんはミーアさんの歌を歌えば良いと思います」
ミーアはラクスを超えるという事を義務のように思っていた。
なぜなら自分を引き上げてくれたデュランダルがそう言ってのだ。
“あなたはラクス・クラインを超える逸材だ”
ミーアの瞳が、わずかに揺れる。
「でも……それが、デュランダル議長の望みなんです」
口にした瞬間、胸の奥に小さな虚しさが広がった。
本当に、それだけなのだろうか。
“望まれているから”歌っているのか、“歌いたいから”歌っているのか。
その違いを、考える余裕はずっと与えられなかった。
ミーアは無意識に、胸元のリボンを指先でつまんだ。
それは不安な時の癖だった。
けれど、誰にもその仕草を見られたくなくて、すぐに手を離す。
怖いとは、言えない。
苦しいとも、言えない。
言ってしまえば、自分が「代用品」だと認めてしまう気がして――
ミーアはただ、微笑み続けるしかなかった。
夜のレストランに、静かな沈黙が落ちた。
やがて食事が終わり、皿が下げられる。
外はすっかり夜になり、街の灯りだけが、二人の影を窓に映していた。
ニコルは心の中で吐息を漏らす。
ミーアにとってデュランダル議長の期待に応える事が最重要なのだろう。
誰かの為に生きる事自体は悪くない。
だが今のミーアはデュランダル議長を通してしか自分を見ていない。
あの一見温厚なカリスマに囚われたままだ。
このままではミーアは不幸になる。
役立つ間は優遇されるが、役立たなくなったりすれば……。
きっとミーアの代わりの歌手候補は多いのだろう。
選択肢を奪っていくやり方は老獪な政治家の技術だ。
そんな相手に少女が敵う筈がない。
それはニコルも同じだった。
いかにデュランダル議長にとって有用な駒であることを演じ続けられるのか。
ニコルもミーアも今はまだデュランダル議長の手のひらの上だった。
次回予告
光を与えられた者ほど、影は深くなる。
歌姫とフェイス――選ばれた二人は、すでに逃げ道のない場所に立たされていた。
守っているつもりの優しさは、
いつの間にか、首を絞める鎖に変わっていく。
知らぬ間に張り巡らされた監視の網。
試される忠誠、差し出される感情。
ニコルの選択は、誰を救い、誰を危険に晒すのか。
ミーアの笑顔は、いつまで“役割”でいられるのか。
二人はまだ知らない。
この夜が、取り返しのつかない分岐点になることを――。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第七十八話
『夜に預けた心――役割を演じる少女――』