機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第七十九話 偽りの恋人――何も起こらなかった夜に、生まれた嘘――
ニコルの部屋も豪華なものだった。
シックなダークブラウンの壁紙に、大きな窓から差し込む月明かり。
この部屋には、窓以外に誰かを招き入れる手段はない。
つまりホテル側も、ここに盗聴器やカメラの類を仕掛けることは不可能なのだ。
仕掛けられたとしても、ザフトレッドのニコルが発見することは確実だし、私生活を見張っているとニコルに思わせるのは、ギルバート・デュランダルにとっても得策ではない。
ニコルはソファに腰掛け、ミーアは窓辺に立つ。
二つの影が、月明かりの下でゆらゆらと揺れている。
ニコルは、ミーアを盗聴器付きの部屋から連れ出したことで、彼女を保護した。
自分はこれから、デュランダル議長に忠誠を誓わなくてはいけない。
誓っていると欺くためには、ミーアを利用するしかない。
とはいえ、無論ミーアの心と体を弄ぶ気持ちなど無いし、この部屋にミーアを連れ込んだというだけで、監視者は誤解するだろう。
“ニコルはミーアと一夜を共にした”
この事実があれば、ミーアを傷つける必要は無い。
それにミーア自身、ニコルの“恋人役”を果たせなければ、デュランダル議長の期待に背くことになる。
とはいえ、実はニコルは、女性と一夜を過ごした経験はない。
ミーアも同様なようで、手がかすかに震えている。
彼女も、そういう経験が無いことに安心した。
今までデュランダル議長に命じられて、何人も好きでもない男と寝させられた様子ではなかったからだ。
それでは、ミーアが可哀そうすぎる。
そんなことをさせていたのなら、最終的に殴り飛ばしてやろうと心に決めた。
「お茶にでもしますか」
そう言ってニコルは、ティーポット片手に慣れた仕草で紅茶を淹れた。
ミーアは俯き、ソファに座る。
テーブルに紅茶を置くと、暖かな湯気がミーアとニコルを包み込んだ。
ニコルは、ミーアの隣にそっと座る。
その仕草があまりにも自然で、ミーアは思わずどきりとした。
「ミーアさん?」
「あ、いえ……なんでもありませんわ」
そう言って紅茶を口に含む。
暖かな液体が喉を通ると、少しだけ心が落ち着いた気がした。
ニコルは安心させるように、耳元で囁いた。
「大丈夫ですよ。今夜は何もしませんから」
「でも私は、ニコルさんの恋人に」
「恋人でも、ベッドを共にするのは最初からではないですよ」
「そうなのですか?」
ミーアは覚悟を決めていたようだが、ニコルの一言を聞いて安心したのか、手の震えが小さくなる。
やはり、好きでもない男とベッドを共にするのは抵抗がある。
あたりまえだ。
「ミーアさんのことを聞かせてください。お互いのことを知るのも、恋人のすることですよ」
「そうですよね……よかった」
でも、それだと私は、ニコルさんの何なのだろうとミーアは思った。
嫌いではないし、むしろ好き。
音楽家としても尊敬しているし、自分の歌も褒めてくれた。
誠実で、デュランダル議長にも期待されている。
もし“僕の恋人になってください”と言われたら、断る理由がない。
何より、デュランダル議長に必要とされる人間になれる。
「ニコルさん。わたしは、貴方の恋人ですか?」
「少なくとも、外にいる人からはそう見えるでしょうね」
その一言に、ミーアは驚く。
外にいるのは、私を護衛してくれている人で、その人たちが私とニコル様を恋人と見るのは当然だ。
どうして、そんなことを気にするのだろう?
今はまだ恋人になる気はないのかしらとも思うが、ラクス・クラインそっくりに整形した今の容姿には、自信がある。
ミーアは、ニコルの真意に気が付かない。
ニコルが冷酷な人物なら、ミーアを恋人だと偽り、ベッドを共にして、名実ともに恋人の演技を行うだろう。
だが、それは出来なかった。
ニコルには、ミーアを弄ぶことはできないし、マユを裏切ることも出来ないからだ。
冷酷非情になるには、ニコルは若すぎた。
ミーアは、ニコルの葛藤には気が付かない。
「でも……本当に恋人なら、その、キスとかするのではないのですか?」
「え? あ、そうかもしれませんね」
(しまった!)
ニコルは、ミーアが恋愛に疎いことを思い出す。
ラクス・クラインそっくりに整形したとはいえ、中身はまだ子供なのだ。
「あの、ミーアさん。キスというのは、好き合っている者同士がすることでして……」
「では、ニコルさんは、わたしのことをお嫌いなんですか?」
「……わかりました。キスしますね」
そう言われてミーアは目を閉じたが、ニコルはミーアの頬にキスをした。
一瞬、目を見開いて驚いたミーアだが、少し拗ねた。
「こういう時は、唇だと思うのですが?」
「恋人同士だって、最初は頬から始まるものです。ラクス様と婚約者だったアスランも、頬にキスだけだったそうですし」
「そうなんですね!」
(危なかった……)
ニコルは安堵する。
ミーアが勘違いしてくれたおかげで、一晩を共にしても、何もしていないと思われたはずだ。
カップの中身が少し減ったころ、部屋の空気は不思議なほど落ち着いていた。
沈黙が続いたわけではない。ただ、言葉がゆっくりと流れていた。
「……私、歌うのが少し怖くなってきたんです」
不意に、ミーアがぽつりと言った。
ニコルは何も言わず、続きを促すように視線を向ける。
「前は、ラクス様の真似をすれば、それでよかったんです。皆が喜んでくれて……それで、私も嬉しくて。でも最近は……」
ミーアは指先を見つめた。
「“あなたの歌じゃない”って、言われている気がして」
ニコルはすぐには答えなかった。
紅茶の湯気が、二人の間を静かに漂う。
「それでも、やめたいとは思わないんですね」
「……思いません。だって、歌っている時だけは……私、ここに居ていい気がするんです」
一瞬だけ、震えるような微笑みが浮かんだ。
「誰かに必要とされているって、思えるから……」
ニコルはようやく、静かに口を開いた。
「それは、立派な理由だと思います」
「え……?」
「誰の真似でもなく、誰かに認められたいから歌う。十分すぎるほど、あなた自身の歌ですよ」
ミーアは目を見開き、そしてゆっくりと伏せた。
胸の奥で、何かがほどけていくのが分かった。
「……ニコルさんって、変な人です」
「よく言われます」
小さく笑うミーアに、ニコルも微笑を返す。
それっきり、二人は肩を寄せたまま、夜が更けるまで他愛ない話をした。
歌のこと。子供のころのこと。怖かった夜のこと。
そして――
夜は、何事もなく明けた。
翌朝、支度を整えたミーアは、少し顔を赤らめながら、議長の執務室へと向かっていた。
胸の奥が、妙に温かかった。
――私は、恋人になったのよね。
そう思い込むことで、不安を振り払う。
「どうぞお入りください」
重厚な扉の向こうで、ギルバート・デュランダルの声が響いた。
ミーアは一礼し、少しだけ胸を張って報告する。
「……議長。昨夜、ニコル様と……一夜を共にしました」
デュランダルの唇が、わずかに弧を描く。
「そうですか。それはとても素晴らしいことです」
「はい。そして……ええと……」
一瞬だけ、視線が揺れる。
「……私は、ニコル様の恋人になりました」
言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ締め付けられた。
それでも、嘘だとは思えなかった。
「なるほど。ニコルくんは、とても優秀で誠実な人だからね。きっと、ミーアさんを生涯守り抜いてくれるよ」
満足そうな声。
それを聞いて、ようやくミーアは完全に安心した。
――私、ちゃんと役に立ててる。
嬉しさと、ほんのわずかな罪悪感を胸に抱いたまま、ミーアは部屋を後にした。
その“恋人”が、どんな嘘の上に成り立っているのかも知らずに。
次回予告
何も起こらなかった夜――
それは、最も残酷な“始まり”だった。
守ったつもりの優しさは、
真実を遠ざける嘘へと姿を変え、
信じた恋は、知らぬ間に鎖へと編み直されていく。
ミーアは温もりを信じ、
ニコルは罪を背負う覚悟を固めた。
そして二人は、別々のまま――
同じ檻の奥へと、静かに歩き出していた。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第八十話 偽りの恋人――きらめきの中で、信じ切った嘘――