機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第八十一話 噴水の下の視線――平和の中で、選ばれなかった者――
昼下がりの港町。
ゆるやかな潮風が運ぶ塩の匂いに、焼き菓子とコーヒーの甘い香りが混じり、穏やかな昼の空気が街全体を包み込んでいた。
噴水を中心にした小さな広場には、観光客と買い物帰りの人々が行き交い、子供たちの笑い声が水音に混じって、きらきらと反射した水滴とともに弾んでいる。
その広場を見下ろす位置にある、ガラス張りのカフェ。
テラス席の一角で、シンとルナマリアは向かい合って腰を下ろしていた。
白いテーブルの上には、氷の入ったグラスと軽食のプレート。
グラスの表面を伝う水滴が、ゆっくりと陽光にきらめきながら流れ落ちていく。
「こうして平和な世界にいると」
「いると?」
「戦争中って事、忘れるよな」
シンがストローをくわえながら言うと、ルナマリアは軽く肩をすくめた。
「最近は任務ばっかりだったからね」
その声には、安堵と、どこか張り詰めた疲労が同時に混じっていた。
戦争の只中にいることを、ほんのひととき忘れられる時間。
だからこそ、この平和が壊れやすい幻のようにも感じられてしまう。
広場では子供たちが噴水の周りを走り回り、母親たちがそれを追いかけて笑っている。
普通の、ありふれた午後の光景。
それが、なぜか胸の奥に少しだけ沁みた。
――その時だった。
「……シン」
ルナマリアの声が、わずかに低くなる。
視線は、カフェの外。
ガラス越しに見える、ちょうど正面に広がる噴水のある広場へと向けられていた。
シンもつられて顔を上げる。
噴水の縁。
水のしぶきを背に、並んで立つ男女の姿があった。
淡い桃色のワンピース。
柔らかな日差しに透けるような生地。
揺れるピンクの髪。
そして――
「……ニコル?」
思わず、声が漏れた。
向かいに立っているのは、間違いなくニコル・アマルフィだった。
軍服ではなく、私服姿。
それだけで、いつもの「フェイス」としての彼と、どこか別人のようにも見えた。
ミーアと向かい合い、微笑みながら話している。
距離は近く、互いの声がよく届く位置。
その立ち位置だけ見れば――
まるで恋人同士が、他愛のない会話を交わしているようにしか見えなかった。
「……噴水デート、って感じね」
ルナマリアが、冗談めかして言おうとして……言葉が続かなかった。
シンも、なぜか笑えなかった。
ニコルの様子が、どこか変なのだ。
デートにしてはぎこちない。
笑ってはいるが、肩の力が抜けきっていない。
一見すると、護衛の騎士と姫君のようにも見える。
シンの胸の奥に、小さな棘のような違和感が引っかかる。
ルナマリアも同じ疑問を抱いたのか、視線を細めた。
一見恋人に見える二人だが、仕草がどこか噛み合っていない。
合わせているようで、呼吸がずれている。
「……ミーア、笑ってるけど」
ルナマリアが小さく言った。
「なんか……必死な笑顔に見えない?」
シンも、ミーアの顔を見る。
確かに、口元は綺麗に笑っている。
けれど、その瞳の奥は、どこか張りつめているようにも見えた。
怯えと、期待と、不安と。
いろいろなものを押し隠した、作られた輝き。
ニコルが一歩近づき、ミーアが少しだけ照れたように視線を逸らす。
指先が、かすかに触れそうな距離。
完全に――“恋人の距離”だった。
「……考えすぎ、か」
シンがそう呟く。
フェイスが、歌姫と話している。
それだけのこと、と言えば、それだけのことだ。
だが、ルナマリアはストローを指で転がしながら、ぽつりと漏らした。
「……ねえ、シン」
「ん?」
「ニコルさんって、嘘つく時……あんな顔、しない?」
シンは、一瞬だけ返事に詰まった。
「ああ……する、かもな」
理由はない。
証拠もない。
ただ、何度も同じ戦場に立ってきた者同士だからこそ分かる、ほんの微細な違和感。
思考ではなく、勘。
二人ともニコルとは長い付き合いで、他人なら気づかない表情の癖を知っていた。
「聞いてみよう」
「やめなさいよ、シン」
「でもニコルはマユが好きな筈だろ。どうして他の女とデートしてるんだよ」
「シンは、ニコルさんがマユちゃんを捨てる様な人に見える?」
「見えないから、聞きたいんだ」
「きっと何か理由があるのよ」
「何か理由って、何がだよ」
「私にわかる訳ないでしょ。今わかってるのは――声をかけたら、全部壊れるってだけ」
ルナマリアの言葉は低く、重かった。
触れたくても、触れれば崩れるものがある。
それを、彼女は本能的に察していた。
シンは答えられず、再び噴水へと視線を戻す。
◇◇◇
同じ時刻。
同じカフェ。
シンとルナから少し離れた、柱の影の席。
アグネスは、ひとりで噴水のほうを見ていた。
視線の先にいるのは――
ニコルと、ミーア。
水しぶきを浴びながら並び立つ二人。
距離は近く、間には迷いも緊張もない。
肩と肩が、どこか自然に触れ合っている。
(……ああ)
喉の奥が、ひくりと鳴った。
(そう。そういうこと)
理解した瞬間、胸の奥で何かが――崩れた。
悔しさ?
怒り?
違う。
それよりもっと、根深くて、逃げ場のない感覚。
――置き去り。
「……っ」
グラスを握る指に、無意識に力がこもる。
中の液体が小さく揺れたが、味など何一つ感じなかった。
あの人は優しかった。
誠実で、静かで、自分を対等に扱った。
だから――
(私は、“選ぶ側”だって……そう、思い込んだ)
思い込めるだけの自信は、今まで確かにあった。
容姿。実績。立場。
努力も、競争も、勝ち続けてきた自負。
だからこそ。
噴水の向こうで、何の疑いもなく“選ばれている”少女の姿が、
アグネスの自尊心を、真正面から踏み砕いた。
(……何よ)
(顔と知名度だけで女を選ぶ、薄っぺらい男ってこと?)
吐き捨てるように心の中で罵る。
(そりゃあそうよね。あんなちんちくりんより、
“歌姫”のほうが、ずっと映えるもの――)
――その瞬間。
(……あ)
自分の中に浮かんだ言葉が、
あまりにも露骨で、あまりにも卑しくて、
アグネス自身の胸に、鋭く突き刺さった。
(……今の、私の本音?)
(私、今……ミーアを、外見と肩書きだけで見下した?)
ブーメランのように返ってきた自己嫌悪が、喉を締め上げる。
(最低……)
(女を値踏みしてるの、今の私じゃない……)
だが――
わかっていても、止まらなかった。
胸の奥で、もっと醜い声音が囁く。
(それでも――)
(どうして、“私”じゃないのよ)
噴水の前で、ミーアが笑う。
ニコルが、それに応えるように視線を落とす。
その距離。その空気。その親密さ。
(私じゃ、ダメだった?)
(私は……ずっと“選ぶ側”だったのに)
気づいた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
――嫉妬している。
自分が、今、はっきりと。
(……嘘でしょ)
(私が? ミーアなんかに?)
認めたくなくて、笑い飛ばしたくて、
それでも心臓だけが、やけにうるさく主張する。
(……どうして私を見ないの)
(私のほうが、ずっと優秀で釣り合うはずなのに)
視線は逸らせなかった。
立ち上がることもできなかった。
プライドが、
嫉妬が、
そして“選ばれなかった現実”が――
椅子に縫い止めるように、アグネスの身体を縛りつけていた。
ただ、恋人のように寄り添う二人を、
最後まで、
本当に最後まで、
噛み殺した呼吸のまま、見続けていた。
次回予告
噴水のきらめきは、あまりにも無邪気だった。
信じる心も、躊躇う沈黙も、等しく包み込むほどに。
だがその幸福は、すでに“誰かの掌の上”に置かれている。
選ばれた恋も、揺れる疑念も、すべては盤上の駒。
見えない糸は、微笑みさえ操り、
守るための嘘さえ――計算の一部へと変えていく。
そして今この瞬間も、
遠く離れたその場所で、
次なる一手は、静かに打たれようとしていた。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第八十二話 掌の上の恋人たち――囚われた駒は、幸せを疑わない――