機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界―― 作:屠龍
第八十九話 波に消える決意――歌姫が“今は歌わない”と決めた日――
翌朝、カガリは政務庁舎へ向かい、アスランはステラとマユが慰問コンサートツアーに向かっているベルリンへ飛ぶ準備をした。
内容が洩れればニコルの命だけでなく、世界の存亡にもかかわる事態になりかねない。
オーブ政府は公に動けない状態で、キラ、アスラン、カガリ、ラクスだけが秘密を共有していた。
その日の昼、キラとラクスは浜辺を歩いていた。
海水は冷たく、砂浜に残された二人の足跡を消していく。
二人は日課の散歩を楽しむ演技をする。
どこにプラントのスパイが潜んでいるかわからないから、ニコルの通信は護衛にも知られてはいけないからだ。
浜辺には、二人以外の人影はほとんどなかった。
遠くで漁船のエンジン音がかすかに響き、潮の匂いが風に混じって運ばれてくる。
空は高く、雲の切れ間から差す陽光が、海面を細かく揺らしていた。
――平和だ。
そう思った瞬間、キラは胸の奥がわずかに痛んだ。
この景色は、あまりにも“普通”で、あまりにも“守られている”。
守られているのは、この浜辺ではない。
自分たちが、だ。
「……ここ、昔から変わらないね」
キラがそう言うと、ラクスは小さく微笑んだ。
「ええ。だからこそ、好きなのですわ。
誰かの思想も、正義も、ここまでは届きませんもの」
その言葉に、キラは一瞬だけ足を止めかけた。
届かない――それは、今だけだ。
砂浜に視線を落とす。
寄せては返す波が、二人の足跡を丁寧に消していく。
戦争が終わったと思った時も、
やっと平和になったと信じた時も、
世界はいつも、こうして静かに息を整えた後で、次の牙を剥いた。
ラクスは黙ったまま歩いている。
だが、その背中から伝わる緊張を、キラは見逃さなかった。
彼女は感情を包み込み、外から見えないようにするのが上手だ。
だが今は、考えている。
そして、その末に「動かない」ことを選ぼうとしている。
もし立場が逆だったら、自分は同じ選択ができただろうか。
キラは、答えを出せずにいた。
「まさかあんな事になっているなんて、思いもしなかったよ」
キラが感慨深げに呟く。
ユニウスセブン落下と共に発生したラクス暗殺未遂事件。
アスランの調査で、おそらくプラントの工作員だという疑いはあったが、なぜギルバート・デュランダルがラクスの命を狙うのかは分からなかった。
すべては、ミーア・キャンベルというプラントの歌姫の神話を作り上げるためだったのだ。
隠棲したとはいえ、ラクスの発言力はプラントでは大きい。
ギルバート・デュランダルが何かの計画を企んでいた場合、発言力のあるラクスの存在は極めて危険な要素だ。
ラクスの影響力はミーアとは比較にならない。
今後のために、ラクスを消したいと思ったのだろう。
「私はキラの傍で、平和に暮らしたいだけでした。
ですが私に、その自由は無いのですね。
私が表に出ない事で、ミーアさんを危険に晒してしまっている」
ラクスは悲しそうにつぶやいた。
プラントの歌姫であり、大戦の英雄であるラクスという少女は、本人が望んでも政治からは逃れられない。
キラも同じだ。
ヤキン・ドゥーエの英雄を、世界はこのまま静かに暮らさせてはくれない。
「ニコルが言ってたんだ。
もうキラとラクス様が戦わなくていい世界を、僕が作りますって」
「私とキラの静かな生活を守るために、ニコル様はきっと今までも尽力してくださっていたのですわ」
「でも……僕たちを頼るしかない所まで、来てしまった」
二人は、ニコルがブルーコスモスに非人道的な扱いを受けていた子供たちを引き取ってくれたことを思い出す。
子供たちを連合の探索の網から逃しつつ、そのままオーブに匿うことはできなかった。
シン達がいたハーバーコロニーは、ニコルの故郷マイウス市所属コロニーという特殊なコロニーだから、子供たちの身を守れた。
あの日、誰かの手引きで、ハーバーコロニーの存在をブルーコスモスに知られるまでは。
すべては順調に進んでいたはずなのに。
「僕たちの世界は、いつになったら戦争がなくなるんだろうね」
キラの呟きに、ラクスは答えることができなかった。
ただ一つだけはっきりしていることは、このまま何もしなければ、再び世界は悲しみに包まれてしまうということだ。
「私は、ミーアさんに会わなければなりません。
直接会って、話をしなくては」
「何を話すの?」
「ミーアさん自身の歌を歌うべきだと伝えます。
誰かに歌わされるのではなく、自分の歌を歌うことを」
ラクスの言葉に、キラはすぐには答えなかった。
潮風が二人の間を通り抜け、寄せては返す波音が、会話の隙間を埋めていく。
「……危険だよ」
ようやく、キラはそう言った。
責める調子ではない。
ただ、事実を置くような静かな声だった。
「ラクスが動いたら、全部が表に出る。
ニコルがあんなやり方を選んだのは……それが分かってるからだ」
ラクスは否定しなかった。
視線を落とし、波に消えていく足跡を見つめる。
「ええ。分かっています」
自分が“象徴”であること。
前に出れば、誰かを守れる代わりに、誰かを犠牲にしてしまうこと。
「私が動けば、ミーアさんは……守られるかもしれません。
でも同時に、ニコル様の立場も、あなたの立場も、オーブの立場も……壊れてしまう」
ラクスは静かに息を吸った。
「だから……今は、動きません」
その言葉には、諦めはなかった。
むしろ、強く自分を抑え込むような響きがあった。
キラは、その横顔を見つめる。
かつて歌に頼るしかなかった少女は、今は“待つこと”を選んでいる。
「……もし私が、ミーアさんの立場でしたら」
ラクスは、ぽつりと続けた。
「きっと、誰かに“救われたい”とは思わないでしょう。
ただ……自分の歌を、自分の声で歌いたいと、そう願うだけです」
キラは、胸の奥が静かに締めつけられるのを感じた。
それは、ミーアのための言葉であり、同時にラクス自身の本音でもあった。
「ニコルは……時間を稼いでる」
キラは言った。
「僕たちが、答えを急がなくていいように。
選択を、間違えないように」
ラクスは小さく頷いた。
「ええ。だからこそ……その時間を、無駄にはできませんわね」
二人は再び歩き出す。
並んだ足取りはゆっくりで、波がまた足跡を消していった。
残るものは、何もない。
けれど確かに――ここに、決意だけがあった。
「……僕達に何ができるんだろう」
キラの言葉に、ラクスは答えなかった。
ただ、その手をそっと重ねる。
南太平洋の海は、何事もなかったかのように静かだった。
だがその静けさの下で、世界は確実に次の局面へと進み始めていた。
次回予告
それは、あまりにも完成された幸福だった。
疑う余地も、疑われる理由もない、眩しい光。
歌う少女は知らない。
その笑顔が、誰かの計画の中にあることを。
借り物の光ほど、人を幸せに見せる。
期限があるほど、輝きは強くなる。
だから誰も、この夜を止められない。
だから誰も、この歌に嘘を見つけられない。
だが――
本当の残酷さは、奪うことではない。
奪われる理由すら、与えられないこと。
幸福は今も、拍手の中にある。
そしてその裏で、世界は静かに次の犠牲を選び始めていた。
次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生
第九十話
『残酷なほどの幸福――借り物の光が、いちばん眩しい夜――』