機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生――運命に抗う少年と、崩れゆく世界――   作:屠龍

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第九十五話 背中を預けて――それでも、行かなければならない――

 第九十五話 背中を預けて――それでも、行かなければならない――

 

 ラクスがキラの手を掴んだ。

 指先に伝わる温度は、確かにここにあるのに、どこか遠い。

 

 キラの指に、ラクスの指が絡まる。

 重ねられた手の感触は、互いの存在を確かめ合うようでいて、同時に別れを意識させるものだった。

 

 キラの顔は、艦橋の照明を受けて、まっすぐラクスを見据えている。

 その瞳には迷いがない。

 不安も恐れも、すべてを飲み込んだ上で、それでも前に進むと決めた人の目だった。

 

 ラクスの鼓動だけが、時間の流れを告げている。

 早鐘のように胸を打つその音が、キラにも聞こえてしまいそうで、ラクスは息を整えようとした。

 

 ラクスはその大きな瞳でキラを見つめたまま、言葉を探すように何度か口を開きかけて、閉じた。

 言葉にしてしまえば、何かが壊れてしまう気がして。

 

 「キラ……」

 

 喉の奥が詰まるような感覚。

 呼びかける声さえ、震えを隠せない。

 

 艦橋のスピーカーからは整備班の指示が飛び交い

 

 「発進準備、最終段階へ」

 

 「推進系チェック、オールグリーン」

 

 という機械的な声が、無情に現実を進めていく。

 

 窓の向こうでは、地下ドックの巨大な扉がゆっくりと開いていく。

 金属が軋む低い音が、まるで別れを告げる鐘のように響いた。

 

 やがて、機関の微かな振動が足元から伝わってくる。

 アークエンジェルが、目を覚まし始めていた。

 

 (……こんなにも、心配している)

 

 ラクスは、自分自身に対して小さく苦笑した。

 ここにいるのは、ヤキン・ドゥーエを生き延びた人たちだ。

 あの絶望の戦場で、希望という言葉すら嘘に聞こえた場所をくぐり抜けた英雄たち。

 

 マリュー、ナタル、ムウ。

 アークエンジェルと共に戦い、失い、それでも前に進み続けてきた人たち。

 ムラサメ三人娘も、フレイも、サイも、トールも、ミリアリアもいる。

 

 キラは、独りではない。

 背中を預けられる仲間が、ここにいる。

 

 それなのに——。

 

 (それなのに、私は……)

 

 ラクスは、胸の奥に広がる自己嫌悪を振り払えずにいた。

 これ以上ない布陣。

 理性では理解している。

 それでもなお、キラが傷つく可能性を思うだけで、心が締めつけられる。

 

 「ちゃんと帰ってくるよ。心配しないで」

 

 キラの言葉は柔らかく、けれど芯があった。

 誰かを宥めるための言葉ではなく、自分自身に言い聞かせる誓いのようでもある。

 

 その優しさが、逆にラクスを苦しめた。

 

 「心配、しないなんて……そんなの、無理ですわ」

 

 声が、わずかに掠れる。

 それは弱さではなく、愛するが故の正直な感情だった。

 

 「でも僕は……行かないと」

 

 キラの手が、ラクスの指を強く握り返す。

 逃げないという意志が、その力に込められている。

 

 温かい。

 確かに触れている。

 なのに、そのぬくもりが、少しずつ遠ざかっていくような錯覚に襲われる。

 

 「キラ……あなたが危険な目に遭うのは、もう耐えられません」

 

 ラクスの声は、半ば懇願に近かった。

 引き留めたい。

 一緒に行きたい。

 それでも、そのどちらも許されないことを、彼女自身が一番よく理解している。

 

 オーブにとって、ラクス・クラインは象徴だ。

 カガリにとって、国家を支える“命綱”でもある。

 今、彼女がオーブを離れることはできない。

 

 だからこそ、一緒に行けない。

 それが、何よりも残酷だった。

 

 それでも、キラは静かに首を横に振る。

 

 「それでも、行かないと。

 僕は……君を、この世界を守りたいから」

 

 その言葉に、ラクスの目尻に涙が滲む。

 キラの決意が変わらないことも、

 自分がそれを受け入れるべきだということも、理解している。

 

 理解しているからこそ、苦しい。

 心だけが、どうしても追いついてこない。

 

 「ラクス」

 

 キラの親指が、そっとラクスの目元を拭った。

 涙が零れ落ちる前に、優しく、確かめるように。

 

 その感触だけで、ラクスはすべての言葉が消えていくのを感じた。

 悲しさも、不安も、怒りも、名前をつけられない感情も——

 ただ、キラへの愛だけが、胸の奥に残った。

 

 「……わかりました。

 でも、必ず帰ってきてください。約束してください」

 

 震える声で、それでもはっきりと告げる。

 

 キラはラクスの小指に、自分の小指を絡ませた。

 懐かしい地球の風習。

 幼い頃の記憶に残る、ささやかで、絶対的な誓い。

 

 「約束だ。絶対に帰るよ」

 

 ブリッジの扉が閉まる音が、二人の間に線を引いた。

 最後の確認信号が灯り、アークエンジェルはゆっくりと発進態勢に入る。

 

 ラクスは、もう何も言わなかった。

 言えば、引き留めてしまうから。

 

 ただ静かに、キラの背中を見送る。

 

 その瞳に映る青年の姿は、

 今まででいちばん頼もしく、

 同時に——いちばん遠いものに見えた。

 

 だが、その距離こそが、彼の強さの証だった。

 

 ブリッジの照明が一段落とされ、警告灯が淡く明滅する。

 艦内に張りつめた緊張が、静かな秩序へと変わっていくのをキラは感じていた。

 

「発進準備、最終シーケンスに入ります」

 

 マリュー・ラミアスの声は落ち着いていた。

 だが、その一言には、これまで積み重ねてきた数え切れない出撃の記憶が滲んでいる。

 

「推進機関、臨界出力へ移行。

 メインカタパルト、固定解除――」

 

 艦体の奥深くで、重厚な振動が唸りを上げた。

 白い船体を貫く力が、眠っていた獣を目覚めさせるように脈動する。

 

 アークエンジェル。

 それは単なる軍艦ではない。

 幾度となく戦場を越え、人を守り、そして生き残ってきた“意思”そのものだった。

 

「ドック開口確認。進路、クリア」

 

 地下秘密ドックの巨大な扉が、ゆっくりと左右へと開いていく。

 隙間から差し込む外光が、艦橋の床に細い帯となって伸びた。

 

 キラは、その光の先にある宇宙を見つめる。

 そこには恐怖もある。

 絶望もある。

 だが、それ以上に――守るべきものがある。

 

「……行こう」

 

 誰に聞かせるでもなく、キラは小さく呟いた。

 

「アークエンジェル、発進します」

 

 マリューの号令と同時に、推進機が轟音を上げる。

 白い巨体が、ゆっくりと、しかし確かな力で前へと押し出された。

 

 重力を振り切るように、

 過去を振り切るように、

 そして未来へ向かうように。

 

 アークエンジェルは、地下ドックを離れ、光の中へ躍り出る。

 

 その姿を、ラクスは最後まで見届けていた。

 何も言わず、祈りも口にせず、ただ胸に手を当てて。

 

(……必ず、帰ってきて)

 

 言葉にしなかった願いが、静かに艦の背に重なる。

 

 アークエンジェルは上昇を続け、やがて雲を突き抜ける。

 白い軌跡が、空に一本の線を引いた。

 

 

 ――守るための出航。

 

 アークエンジェルは発進する。

 静かに、しかし確かな意志を乗せて。

 

 メンデルコロニーを巡る長い旅路が、

 今、はじまる。

 

 

 次回予告

 

 アークエンジェルは、静かに進んでいた。

 戦うためではなく、避けるために。

 

 この艦にあるのは、若さの衝動ではない。

 数多の戦場を越えてきた者たちの、

 言葉にせずとも通じ合う距離だった。

 

 守るものが増えたからこそ、判断は慎重になる。

 踏み込みすぎない優しさも、

 笑い合える余裕も、

 すべては生き延びた者たちの選択だ。

 

 だが、この静けさは平穏ではない。

 嵐の前に訪れる、わずかな猶予。

 

 次回。機動戦士ガンダムSEED DESTINY REBIRTH 運命の再生

 第九十六話

 『静かな航路 ――大人たちの距離――』

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