アイリス・ミドガルは天才だった。
魔力量は膨大で、動体視力も良く、体を動かすセンスにも長けていた。
剣を手に取って僅か3年足らずで師を超え、それからも鍛錬を欠かさなかった。
学園時代、学内トーナメントでブシン祭の出場権を勝ち取り、その年のブシン祭で最年少優勝を果たした。
ブシン祭には毎度出場し、連続優勝記録を打ち立てた。
その頃から彼女は、”王国最強の魔剣士”と呼ばれるようになった。
『アイリス様なら安心だ』
『アイリス様がいたらこの国の未来は安泰だ』
『王国最強のアイリス様が負けるはずないだろう』
”王国最強の魔剣士”という肩書が世間に広まると同時に、彼女の耳にそんな言葉が聞こえてくるようになった。
曰く、王国最強だから絶対大丈夫。
曰く、王国最強は負けない。
曰く、王国最強ならやってくれる。
彼女は感じた。
皆の期待が自分の肩に伸し掛かっていることを。
だから応えた。
皆の期待を裏切らないために、応え続けた。
彼女にはそれができたから。
できてしまったから。
皆に失望されないために――。
皆の希望であり続けるために――。
いつしか彼女は、そのために剣を振るうようになっていった。
◆◇◆◇◆
夜の更け切った王都の一角。
絶え間なく鳴り続ける爆発音と共に土煙が上がる。
建物は崩れ、地面は抉れ、尚も止まることのない轟音の只中には、赤い獅子を思わせる髪を持った王国最強の魔剣士アイリス・ミドガル。
対するは漆黒を纏った謎の存在シヴァ。
アイリスは豪剣を振るうが、シヴァに届くことなく、その軌道を途中で変える。
シヴァは類稀なる技術をもって、アイリスの連撃を全て凌ぎ続けていた。
アイリスの愛剣は仮にも『アーティファクト』である。
通常の剣より魔力伝導率が高く、それがアイリスの膨大な魔力で強化されることで、どんなものでも破壊する豪剣と化す。
そのはずなのだ。
今のシヴァの刀の魔力量は騎士団でも中堅程度と、お世辞にも多いとは言えない。
にも拘わらず、アイリスの剣を完璧に凌ぎ続けていた。
芸術の域にまで達した、美しい技の結晶。
アイリスは既に理解させられていた。
彼が自分より遥か格上であると。
しかし、自分の矜持が、王国最強としての誇りが、彼に挑むことを諦めさせてはくれなかった。
わたしは、私はッ……!
「ぅあぁぁあッ!!!」
より全力の魔力の解放。
上段に大きく振りかぶる、隙だらけの構え。
しかし、シヴァは敢えてその隙を狙わない。
次が彼女の最後の一撃だと悟ったから。
「ケヒャハハッ! 魅せてみろ、王国最強ッ!」
「はああぁあああッッ!!!!」
アイリスは全力で剣を振り下ろした。
そしてアイリスは、自分の手に伝わる感触をひどく懐かしく思った。
◆◇◆◇◆
幼少の頃、師から初めて剣を受け取った日のこと。
アイリスは剣を持てたのが嬉しくて、城のみんなに自慢して周った。
これから憧れの魔剣士になるための訓練が始まるのだ、と。
期待に溢れる胸を抑えて、その日を過ごした。
嬉しくて嬉しくて、どこに行くにも肌身離さず剣を持ち歩いた。
妹のアレクシアが羨ましがったが、危ないからと見せるだけにした。
「おねぇたま、いいなー!」と妹から羨望の眼差しを向けられるのが嬉しかった。
そして、その日の夜。
使用人に我が儘を言って寝室にまで剣を持ち込んだ。
その日は期待と興奮でなかなか寝付けなかった。
だからアイリスは心を一度鎮めるため、剣を振ってみることにしたのだ。
部屋中のぬいぐるみをベッドの一箇所に集めて、ヨロヨロと剣を振り上げ、力任せに剣を振り下ろす。
鞘に入ったままの剣が斬れるはずもなく、その衝撃をクッションが全て受け止め、剣の勢いをそのまま跳ね返した。
その勢いを受け止めきれず、剣は手から放れ、体勢を崩したアイリスはそのまま後ろに……。
◆◇◆◇◆
アイリスが気付いた時には、地に尻餅をついていた。
手に愛剣は握られておらず、見渡せば少し離れた位置に転がっていた。
「理解できない、といった面だな」
見上げればシヴァがいた。
肩に刀を掛け、アイリスを愉快そうに見下ろしていた。
未だ呆けたままのアイリスにシヴァが続ける。
「力とは本来、一方向にのみ作用するものだ。力同士が正面からぶつかれば力の差引きが行われ、より強い力が残る」
黒い触手を器用に使い、解りやすく説明するシヴァ。
「力に力で対抗する場合、その力と同程度以上の力が必要になってくる。だが、何もそれだけが戦い方ではない」
そこまで言われてアイリスは先の戦いを思い返す。
シヴァは魔力をほとんど使わず、アイリスの剣と互角以上に渡り合っていた。
「力というのは直線上にある力には滅法強いが、そこから角度が付けば付くほど弱くなる性質を持つ」
2つの触手が直線上で合わさって拮抗し、片方が角度を付けたことによって、もう片方の触手があらぬ方向に飛んでいった。
その光景は、アイリスに先の攻防を思い出させるのに十分なものだった。
「先の戦いでは、俺は数ある中でこの技術しか使っていない。それでも、お前は負けた」
「負け……た……?」
アイリスは足下の地面が崩れ行く感覚に襲われた。
ふわふわと、どこか現実味がなく、視界がクラクラ歪んで倒れそうになる。
そんなアイリスを見つめ、シヴァはゆっくりと問う。
「アイリス・ミドガル、お前は何を目指す?」
「めざ、す……?」
「お前は、何の為に剣を握る」
「なんの、ために……」
アイリスは、未だ焦点の合わない目で己の手を見下ろす。
手には未だ先の懐かしい感覚が残っていた。
◆◇◆◇◆
かつて、アイリスはある一人の英雄に憧れた。
まだ、年端も行かぬ幼子の頃、母に読み聞かせてもらったお伽噺に登場する一人の英雄。
世界に希望を齎し、人々を救うその姿に憧れた。
いつか自分も誰かの希望となり、人々を救う英雄のような魔剣士になるのだ、と。
だから剣を貰ったあの日の夜、居ても立っても居られず剣を振った。
目標への道が、やっと開いたような気がしたから。
もちろん、とても見ていられるようなものではなかった。
力も足りず、剣を振り上げるだけでも一苦労。
腰も入っておらず、剣の重さに体が振り回されるだけの、とても剣術とは言えない代物。
でも、それでよかった。
頭の中にある英雄の動きに合わせて剣を振るい、悪いやつをバッタバッタと斬り倒す自分の姿を夢想しながら、思い思いに剣を振るう。
はたから見れば、単なる子供のごっこ遊びと笑われるだろう。
それでも、あの時私は……。
――とても楽しかったのだ。
自分の理想に向かって周りの目を気にせず、やりたいようにやるのは、とても楽しかったのだ。
いつからだろう――他人の評価を気にしだしたのは。
いつからだろう――頭の中に目指すべき英雄の姿を見なくなったのは。
いつからだろう――剣を振るうのが楽しくなくなったのは。
私の目標はいつからか、『お伽噺の英雄』ではなく『完璧な私』になってしまっていた。
◆◇◆◇◆
「わた、しは……!」
アイリスは立ち上がろう脚に力を入れる。
「私はッ……! あの日、母に聞かされた、英雄のように……!」
笑う膝に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。
「お前たちのような……! 悪人から、人々を護る……英雄になるためにッ……!」
脚の震えを追い出すように己の脚を殴りつけて前を向いた。
「私はッ!!! 人々のために、何よりも、私自身のためにッ……!」
地面を強く踏みしめてシヴァを睨む。
「――負けるわけにはいかないッ!!!!」
光を取り戻したアイリスの鋭い眼光が、シヴァを捉えて離さない。
そんなアイリスの目を見たシヴァは愉快そうに口元を歪めた。
「クハハッ、良い目になったな……。ならばここは1つ、アドバイスをくれてやる」
瞬間、視界の端で青紫色の莫大な魔力の柱が立ち、王都の一角を飲み込んだ。
――チリンッ
アイリスが意識を魔力の柱へ向けた一瞬の隙に、目の前からシヴァの姿が消え、鈴の音だけが響いた。
急いで周りを見渡すが、シヴァの姿は見当たらなかった。
――真の敵を見誤るな。
「ッ!? 待てッ!」
どこからかシヴァの声が届いた。
咄嗟に声を上げるアイリスだったが、その静止が意味のないものだということだけはわかった。
「真の敵……『シャドウガーデン』……彼らは、いったい……?」
アイリスの呟きは、美しい満月に照らされた王都の闇にとけていった。
そしてアイリスは一度かぶりを振って、自分のやるべきことを果たすため、行動を開始した。
「アレクシア……!」
何よりも大切な妹を救えないままでは、人々を救う英雄になるなど夢のまた夢だ。
アイリスは少しだけ回復した魔力を体に込め、未だ痛む体を引きずるようにして妹の魔力反応を追った。
◆◇◆◇◆
アレクシアは瞼の奥に焼き付いたシャドウの剣を模倣するように剣を振るう。
ただ愚直に努力を積み重ねるしかない、凡人の剣。
その先にある、卓越したシャドウの剣技。
私の、凡人の剣のひとつの到達点。
シャドウの剣を見て、今の自分に足りないものが明確に見えてくる。
――『僕は僕の剣が天才に届かないとは思っていない』
彼も、サイのやつも、こんな気持ちだったのかしら……?
『アレクシア……アレクシアッ……!』
遠くで、誰かが息を切らして叫んでいるのが聞こえた。
「アイリス、姉様……?」
声の方向に視線を向けると、ボロボロのアイリスが大穴を伝ってこちらに走って来るのが見えた。
アイリスは駆けつけてきた勢いのまま、アレクシアを抱きしめた。
「無事で良かった……本当に」
「姉様、わ、私ッ……!」
アイリスに力強く抱きしめられるアレクシアの目には涙が浮かんでいた。
アレクシアもおずおずとアイリスの背中に手を回した。
冷たくて温かい姉の体温に、涙が溢れて止まらなかった。